魔剣王正伝   作:プルプルマン

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ソロサイゼリヤたのしい。


Menu.3 地獄から来た男

気だるいくらいに暑く、少し湿っぽい日だった。

ラジオを聞いていたイオン曰く、遠方の「エラソーマ6大湖」で発生した濃霧が、夜の間に流れてきた可能性が高いとのことである。

だから、別に周辺地域が弩級の低気圧に包まれていたとかいうわけではない。

だが、今日の店内はいつもより静かだった。

というのも、早朝一番からカンクーペは用事で遠出しており、代わりに口元を厚手の布で覆った男が制服を纏っていたのだ。

当然、(今日の朝飯は蠢動物が入ってないといいな)くらいしか考えていなかったバイト達は面食らった。

同じく何も説明されていなかったのであろう、見知らぬ男も目を丸くし、デッキブラシを握ったまま固まっているようだった。

気まずい緊張が漂い始めたその場に現れる、ゴキゲンな店長コトネ。

彼女は、その場にいた全員の説明と助けを求める視線に気づき、数秒おいて頭を下げる。

『申し訳ありません。こちら、窯担当兼お掃除係のDさんです。みなさん、仲良くしてあげてくださいね。』

実に簡素なお言葉であったが、Dと呼ばれた男はそれだけで理解したらしい。

『新しいバイトか、コトネさん。』

『ええ、とてもよく働いてくれています。』

『ありがたい…ガルー・D・メロン、よしなに。』

Dが深々と頭を下げ、釣られてジュラ達も礼を返す。

『こちらこそよろしくお願いします。私はイオンです。こちらはジュラで…』

『私が、顔の広さに定評のあるカブウです。カブさんとお呼びください。』

『了解した。』

おそらく、本人の気質によるものなのだろう。

隙間風のようなノイズの混じった、しかし毅然とした声色だった。

店の奥から現れたアヤカシの顔に驚きが浮かぶ。

『お、なんだD帰ってたのかよ〜。さては…おれに隠れてコトネさんにアプローチする気だったな⁉︎汚ないぞ!』

鉄仮面を真っ赤にして怒り始めたアヤカシに対し、Dが顔を抑えて首を振る。

『1週間前も同じことを言っていたぞ。確かに、彼女は世界一、もとい天上天中天下に比類無く素晴らしい至宝だが。』

これをいたく真剣な目つきと口調で主張し、そのまま聞いている方が恥ずかしくなるような論戦へと移行する。

それだけで誰だって分かるだろう。

Dという男もまた、コトネのいるこの店を魂の巣とする者であり、間違い無くアヤカシとカンクーペの同類だったのだ。

二度寝を満喫し、無遠慮な足音を立てて起きてきたライコが、大きな欠伸とともにドアを開ける。

その瞬間、憚りのない告白合戦を目の当たりにしたライコは、目を半開きにしたままベッドへリターンするのだった。

 

 

 

 

弾力の豊かなパンを頬張り、ミルクティーを口に含んで自然な笑顔をこぼす。

本日の客はまこと幸運だった。

Dが店に出ている時しか食べられない、人間界隈での常識的な形状・性質を備えたパンとともに、優雅なモーニングを楽しむことができたのだから。

普段、ゲテモノとも分類し難い形容不能な料理しか出てこないこの店において、それはごく特別な経験となる。

いかに味が良かろうが、良質な食事とは見た目の調和も最重要ファクターなのだ。

尤も、そのあたりは個人の嗜好によるところが極めて大きく、評価も難しいところであるのだが。

小麦のポテンシャルを余すことなく引き出す窯を眺め、ジュラが呟く。

『なんか…そうだよなぁ。料理ってこうするんだよなぁ。調理器具ってカテゴリに、電球とかバレンとか、普通入ってこないよなぁ。』

『あいつがいるとおれの仕事が半分くらいに減っちまうんだ。後、電球はぴんぴるゾナの圧巻きに使うし、バレンはソウマルチの胎脂締めに使うって言ってるだろ!』

アヤカシとしては、ジュラの独り言に大いに異議ありらしい。

重たげにドアのベルが鳴る。

朝の魔力に釣られ、また1人満たされざる者が来たらしい。

『いらっしゃいませー!何名様でのご利用ですか?』

『うっすー、残念ながらここ最近はずっと1人ってもんだよー、お嬢ちゃん。』

その悩みとか無さそうな声の主は、豊かな…というより無精な赤い髪を後ろで縛り、よれて色の薄れたセーラー服を身に纏い…そして己の背丈よりも大きな鎌を携えていた。

ジュラの身に緊張が走り、咄嗟に店内を確認する。

騒ぎの広がる気配は無い。

2〜3人の客が仰天した顔を浮かべていたが、彼等もまた取り立てて喧騒にならない店内の様子に疑問符を浮かべているようだ。

確実ではない。

だが、状況証拠が物語る。

そこにいるのは、終わりある者皆が忌む、最後の旅路の案内人…「死神」だった。

(鎌を持ってやがるってことは、『仕事』しに来たのか?店で死人出るなんて縁起悪すぎるぜ。しかしどう追い返したもんか…)

近頃の死神の鎌はハイテクだ。

魔界に来ていた地獄関係者からの受け売りだが、見せる対象…というより刈り取る対象を細かく選択することができるらしい。

関係者以外不可視モードは事務作業、全可視モードは戦闘運用。

そして、恐らくは『死』との距離が近い者にだけ見せている今は、迷える霊魂を連れてゆく彼等の本業モードだ。

ジュラにそれが見えているのは、直近で死の危機に近づくことが多々あったからだろう…不本意ながら。

どうやら、対面するイオンにも鎌は見えているらしい。

普段通りの釣られて笑いたくなるような笑顔を浮かばせたまま、さりげなくレジカウンターを挟んで距離を取ろうとしている。

仕事の対象が誰かはわからない。

だが、それにイオンやカブウが含まれる可能性が、1%でもあるというなら…

『どうしたジュラ、腹でも冷やしたか?』

余程露骨であったらしい。

アヤカシが心配そうにジュラの顔を覗き込んでいた。

『アヤカシさん、あんまりお客をどうこう言いたくないんですが、今入ってきたのは死神です。更に言うなら、仕事中の可能性が高いですよ。無礼を承知でお帰り願いますか?』

『マジで?全然気づかなかったなぁ。しかし…うん、ここで追い返してもお前が死後ネチネチ言われるだけだろ?何よりコトネさんに飛び火するかもしれん、それは許せない!ここは一つ任せとけ、年の功ってのを見せてやるから。』

アヤカシが鎧の袖を捲り(そうとしか表現のしようが無い行動だった。)、拳を火打石のように鳴らす。

『おおー、かっこいいぜアヤカシさん。因みに、プランの詳細は!』

『ターゲットが店出て300mくらいまで、待ってもらうよう土下座する!年くって一番上手くなるのは頭の下げ方だ任せとけ!』

『なんてこったこの上司!料理人が!地面に手着けてどーすんだよぉーー!』

『問題ない!後で交換する!腕ごとぉ!いらっしゃいませぇお客様ァ!』

死神がふらりと向きを変え、驚きの表情を浮かべる。

ただし、その目線の先にアヤカシは居なかった。

『10…20は前だよな…だとすると…お前さんワニ小僧のデーか⁉︎老けたねぇ!』

パンに目を落としたままDが目元に皺を寄せる。

恐らくは厚布の下で口も曲げているだろう。

『スコンブか…後50年は会いたく無かった。』

『その渾名まだ覚えてくれてんのなー、かわいいやつめ。』

死神が二マリと笑う。

『お客様ぁ…もしかしなくても、うちのDとお知り合いで…?』

『おー、こいつ昔ウチに居候してたんだよ店員さん。家賃1コンスも払わずに消えちまったんだけどさ。』

颯爽と駆け出した直後の、いつにも増して珍妙なポーズで固まったアヤカシに死神はことも無げに答えた。

 

死神が大股を開いて腰掛ける。

『よっこいしょっ、良い椅子使ってるねぇ。高いんじゃないかい?』

『いやぁ、大体私が作っておりますので、そんなことは。しかし、お褒めにあずかり光栄です。あと、メニューこちらです。』

死神がメニューを受け取り、その文面に目を落とす。

『すげー、なんちゅうハイスペ。あっしにゃマネできんねぇ。おっと申し遅れた、あっしは死神の峽河 恋々(はざまがわ れんれん)。ワーキングフォビアの体現者さね。』

『…労働恐怖症?』

『そ、労働恐怖症。だから今日も元気をチャージして、恐怖に立ち向かうためにきているのさ。つらいねぇ。』

恋々がジュラの言葉を鸚鵡返しし、ウインクしてみせる。

『仕事に来たわけではなく、ですか?私が間違ってたら申し訳ないんですけど、オフの時は鎌にロックかけないといけないんじゃ…』

恋々の笑顔が引き攣り、無言で鎌を確認し始める。

『やべえ、またイカれてる。整備サボり過ぎたかねぇ。』

不真面目な主が安全装置のツマミをいくら回せど、鎌が見えなくなることは無い。

『また整備依頼書くのぉ〜、だる。そもそも、近頃の鎌は複雑怪奇にし過ぎなんだよねぇ、3秒でバラせて丸洗いとかできないもんかね、ハァ。…まあいっか。』

恋々が適当に投げ出した鎌が椅子の後ろに真っ直ぐ浮遊する。

涙ぐましい忠義である。

『おお〜、なんて超便利!じっくり見せてもらって良いですか!』

『いいよーお嬢ちゃん、ついでに修理しといてくれると大助かりってね、アハハ。』

『わかりました!あ、こちらお店の場所と連絡先です。』

『え?あ、本当にやるの?』

『初回なのでお代金は頂戴しません!でも、依頼達成の暁には、地獄の皆さんにも口コミよろしくお願いします!』

恋々が何か言う間もなくイオンが奥へと消えてゆく。

ジュラじゃなきゃ見逃しちゃう疾さだ。

『なんてお嬢ちゃんだ、堂々と副業かましに行ってしまった。てか、外部の、それも生者に触らせちまったってことは…始末書…クビ…地獄行き……………………………………………………………フゥ…この店のメニュー、高い順に全部よろしく!』

顔色を海中のイカの如く変えた後、何食わぬ笑顔で言い放つ恋々。

(この不良死神、口封じにかかりやがった。)

『はぁ、それは当店としてもありがたい申し出ですが…今日はメニューを108種類ご用意しておりますよ?大丈夫でしょうか?』

また死神の顔色が面白く変わった。

Dが眉間に指を当て、首を振る。

『変わらない方だ…お客様。当店は口が固い。小細工無くとも、秘密は抱えて死にます。』

『そっちは変わったねぇ。随分口数が増えたじゃないか。良き連れ合いでもできたか?』

『仲間に恵まれました。後、全時空で一番最高に堪らなく美しく、妖艶で、もう堪らなくて、切ない、おーぉおーーな雲上の花に運命爆発したくらいです。』

恋々が椅子ごと20cm後退し、アヤカシが大きく頷く。

『そ…そうかい。そりゃ何よりだ、うん。』

『幾宿もの恩です、なんでも食べてください。私が出します。』

『本当に変わるもんだねぇ。お前さんからそんな殊勝な言葉が聞けるとは。んじゃ、お言葉に甘えて頂こうかね。………なぁ、花板さん、さっきから思ってたんだけどさぁ…』

アヤカシが前に出る。

『久方振りにそう呼ばれましたよ、「鰓蛭」の方で?』

『惜しい、「豊玉」者です。で、本題なんだけども…ドリンクのアイスは?てか氷菓子的なのは…』

『申し訳ありません。ウチではやってないですね。』

『この地獄みたいな灼熱地帯で⁉︎出しておくれよぉ裏メニューでいいからさぁ。』

恋々が驚くのも当然だろう。

この店は1日の半分を紫外線に焼かれ続ける荒野に位置している。

しかし、ジュラはこの場所で一度も氷を、

更に言うなら、結露の一つさえも見ていない。

氷とは入手から使用まで、何かと金のかかるものだ。

こんな場所であれば、それはもう殊更に。

しかし、それを上回る需要があるからこそ、商人は汗水垂らして氷を運ぶし、冷却魔法の研究は日進月歩なのだ。

しかしこの店には氷という字の丶さえ存在しない。

仮に、このお品書きによく冷えたレモネードの一つでもあれば、喫茶白子鳩は誰もが知る荒野のオアシスとして、満員御礼酒池肉林の繁盛を遂げているだろう。

そういう誰にだってわかる、取っ手の付いたようなビジネスチャンスだというのに。

『それは私も気になってました、アヤカシさん。多少コストかけてでも氷を使っていった方が、集客効果は抜群だと思います。』

尤も、これ以上客が増えるのはアヤカシがパンクして店存続の危機への直行便だろうが。

アヤカシが困ったように兜の頬に手を当てる。

『至極真っ当なご要望です、お客様。それにジュラも。ですが、これは店長の方針でして、変えることはできません。どうぞご了承ください。』

『え、コトネさんが?あの人そんな寒がりなんですか?確かに、袖捲りさえしてるとこ見ないですけど。』

『この非人道的蒸し暑さの中で?いいねぇ、地獄ならどこでも大歓迎だ。紹介書書いてもいいよ。』

『そういうわけですので、ウチには器の温度を下回るメニューはございません。これは、私共の大事な芯を成す、要石的拘泥です。どうぞご容赦ください。』

アヤカシとDが改めて頭を下げる。

『まぁあっしは構わないけどさぁ…頼むから、ノープラン熱中症で仕事増やさないでおくれよ。水分摂りなさい水分、後は塩。』

死神が本日仕様の分厚いメニューのページを繰る。

『んじゃカモミールと、なんかあったらたこわさ的なやつで。』

狂気の食い合わせである。

それを抜きにしても、この店でそんな抽象的な注文をしてしまえば…

『はい、カモミールティーと海棲軟体動物を刺激成分含有抽水植物を含む調味液に浸漬させた的なモノですね。承知しました、少々お待ちください。』

『えっ、海棲…なんだって?』

『行くぞジュラ、回転率上げてこーー!』

迂闊なお客様に哀悼の意を込めて御辞儀し、ジュラも料理長の後に続く。

 

メニューと玉虫色の炎が舞う厨房を交互に見やり、己の軽薄さを悟りつつある恋々に向けて、その場に残されたDがポツリと言葉を発した。

『あの時は信じがたい無礼を働いてしまいました、改めてお詫び申し上げます。本当に…』

恋々がその先を制止する。

『背伸びした物言いはよせよ恩知らず。あっしとお前さんの仲だろ。…幾つになったんだい?』

『36に。』

『もうオッサンじゃないか、時の流れは怖いねぇ。此岸はエンジョイしてるか…と聞くのは野暮かね。ま、せいぜい閻魔様に胸張って『頑張った』って言えるストーリーにしなよ。』

『ああ………時に、まだ酢昆布は好物なのか?』

『もちろん、最近は懐に箱で入れてないと落ち着かなくてねぇ。』

『珍依存症だ、病院行け。』

『えー、保険更新めんどくてここ20年行ってないからなぁ。また小言言われるじゃないか。』

『俺に代行させたあれが最後か。死神が不摂生では説教も格好がつかないぞ。』

『その辺は別部署の担当さね。あっしはあくまでお迎え専門。良い組織とは、良い分業をする!』

『よく言う、専門は時間潰しだろうに。』

『フハハ、これでも部署じゃ5指に入る古株だぞ。年功序列で文句は押さえ込む!』

『いかにも地獄の職場だ。まったく…何も変わらない。』

『800年もやってりゃ、心も鈍ってくるのさ。新しく趣味でも増やすかね。』

テーブルクロスの端を弄ぶ恋々の目が、小走りで近づイオンを捉える。

『おや、どうしたんだいお嬢ちゃん。バラして戻せなくなったとかはやめとくれよ。』

『そんなことしませんよ〜!えーと、構造は結構イメージできたので、これから始めるところなのですけど……さっきからこのランプが点滅していまして。センサーらしい場所には気をつけていたのですが、私が触ってしまったからでしょうか。』

イオンから鎌を受け取り、恋々が溜息をつく。

『ああ、これただの呼び出しランプ。大方部署の連中からかけてきてるだけだろう。今黙らすからちょっと待ってな〜。………もしもし、おいポン助!英気錬成中に電話するなって何度言ったらわかんだい…』

『もしもし、こちらポン助です。』

通話をかけて来たのは老若男女人妖生死の区別がつかない、あるいはその全ての平均のようにも聞こえる声の持ち主だった。

途端に恋々が姿勢を正す。

その背中は鉄芯でも入ったかのように伸び切っており、先程までの怠惰っぷりは影も形も無い。

『は…はは、どうもご無沙汰しております閻魔大王閣下様。』

コールのお相手は、全ての命の管理者たる閻魔大王その御方であった。

『まず、番号は確認して出なさい。知らなかったのであれば覚えなさい、なるべく覚えやすい番号にしています。そして、敬称を使うなら適切にしなさい。…さて、本題ですが現在貴方は何処にいるのですか?』

固まった表情の奥で、ベテラン死神峽河 恋々はかつて無い高速思考を巡らせる。

可能な限り真実寄りの、可能な限り当たり障りない回答を、可能な限りスピーディーに800年超えの語彙から探しだすのだ。

『現在地は地界、人定国境区分におけるサイレンス共和国「カルサウス平原」南西部、魂魄管理区符号五〇六ーB内部でございます‼︎』

『その近辺で言えば、喫茶店白子鳩がありましたね。そこに滞在しているのですか?』

『はいっ!回収予定の霊魂の反応を追い、潜入調査しておりました‼︎』

『わかりました、これより先は特殊任務区分の話になるので、直接話します。速やかに帰還しなさい。』

『承知しましたァ!エンジンの限界を超越してみせます‼︎』

『法定速度は守りなさい。それと、もう一件。英気錬成という非常に興味深い言葉の意味を釈明する準備もしておきなさい。』

『それはその、言葉の難しきところというか、なんというか。』

『本日であれば、私は執務室に常在です。待っていますよ。』

通話が切れる。

『今度こそクビかな!まったく、いいセカンドライフだった!最後の朝餐楽しむよぉ〜☆』

『わかりました!お急ぎとのことなので、お食事されてる間に仕上げます!』

『本気で直すのかい?まぁそのまま持ってっても、罪業が2倍になるだけだけどねぇ。んじゃ期待せず待っとくよ。』

イオンと入れ替わるようにトレーを掲げたジュラが現れる。

ウェイターが少ない今、コトネだけでは回らないのだ。

『お待たせしましたお客様、カモミールティーと、その…まあ…お料理でございます。』

皿の上では黄金の如き輝きを放つ、何かの肉片がネットリとした汁を纏って蠢いていた。

『ご注意…じゃなくて、ご注文は以上でしょうか!幸運を!』

『待っとくれ、ちょい。』

『私も業務に戻ります、お元気で。』

『十字を切るなぁぁぁぁ!』

皿上の神秘はそんな悲しみの世界をよそに、自身の体積を増し続けていた。

 

 

 

 

 

『お客様〜、そのー…生きておられますか?』

彼方へ旅立ちかけた恋々の意識を呼び起こしたのは、キッチンから様子を見に来たジュラの呼びかけであった。

『河が…河が見えたんだよ…いつもの見慣れた河が。』

『本格的に大丈夫ですか?もしアレでしたら、シェフを呼んできますが…』

『トドメでも狙っているのかい?安心しなよ、業火みたいな旨みの大瀑布の処理で気絶してただけだから。』

『それは大丈夫ではないのでは。…閻魔様には内密に頼みますよ。』

『あいよ。さて、心も満ち足りたことだ、マニアックなお嬢ちゃんが飽きたらお暇するかね。』

『あー……イオンのことですか。無理を言ってすみません。でも、私の予想ではそろそろ…』

階段を二段飛ばしで駆け下り、イオンが卓をすり抜けてやってくる。

前方に突き出された彼女の両手には何も無いように見える。

しかし、その掌は確かに棒状の何かを握りしめていた。

『お待たせしてすみません!でも、なんとかなりましたよお客様!どうぞ!』

『おいおいおいーマジかいこりゃあ。1時間ちょっとの訓練で分解できる、骨董鎌刃じゃあるまいし。ちょいと失礼。』

恋々が手元のツマミを操作すると、鎌が現れては消えを繰り返す。

『おおぅ…お嬢ちゃん、かましてくれたねぇ…』

『さっき申し上げました通り、お代は結構です。私も勉強させていただきましたので!』

『そうだろうねぇ…結構、機密情報大集合だからねぇ。…よしお嬢ちゃん、これを報酬代わりに受け取っとくれ。』

恋々が差し出したのは、青白い顔のような意匠のバッヂであった。

『これを着けてると死神見習い扱いで、地獄の関係者として認められるんだ。そして、関係者が触る分には機密の漏れなんて無い!多分!』

縁起でもないアイテムを押し付けて、無理矢理機密流出を無くす。

無茶苦茶な不良死神である。

『イオン、悪いこと言わないから後で捨てとけよ。旅の土産に爆弾が織り込まれてるなんて、笑い事じゃないぜ。』

ジュラの囁きが聞こえていたらしい。

恋々が慌てて首を振る。

『危なくない危なくない!申請は後で出すから!なんか起きそうになっても揉み消すから!』

『あんたのそういうスタンスが一番アブねーんだよお客さんッ!沈んでくなら1人でやってくれッ。』

しかし恋々も必死である。

『もう一つ!もう一つサービス!機密情報大公開!…お前さん達、じき死ぬよ。』

『いらねーよそんなも………え?』

恋々の声から途端に色が抜け落ち、死神然とした響きを纏う。

『ぶっ壊れてた以上、完全に言い切れるわけじゃあないけど、あの状態の鎌が見えたなら、その魂は漸死状態…運命的に死と近い状態にある。遅くとも、3ヶ月以内には命を失うだろうさ。ご愁傷様。』

生者に宣告を行う時、プロの死神は皆こんなにも冷たい声になるのだろうか?

『それが本当だった時、私達は避けられるんですか?』

イオンの言葉に対する死神の返答は、いかにも軽いものだった。

『なんとも言えないねぇ。頑張りゃどうにかなることもあるけど、ここまでドス黒く死を纏ってる魂は初めてお目にかかるもんでね。特にそっちのおぼっちゃん。今生きてることが奇跡ってレベルさ。』

淡々と、合間にハーブティーを啜る音を挟みつつ紡がれるその言葉に、絶望的な色は無く、むしろ欠伸が出そうな心地よささえある。

何万回と繰り返したであろう死出の旅路を彩る対話。

きっと、そのいずれにおいても、この死神はこうして喋って来た。

そういう穏やかな響きがあり、それが逆に言葉の真実味を増していた。

『そんなに…深刻なんですか…?』

『残念ながら。うちのボスがよく食べてる、ドロドロスープの担々麺って感じの、濃い死相が出てる。まぁーあっしも仕事が増えるのはやだから、精々気をつけて過ごしなよー………あ、こういう話も機密情報だから、誰にも言わないでよ。』

この風通しの良いカフェで何をほざいているのだろうか。

とはいえ、確かにどれほど盛り上がっている卓でも、その会話内容が聞き取れるほど声が聞こえたことは無い。

防音バッチリ物件とは度々聞かされているが、その機能は想像以上に優秀なのだ。

秘密の秘匿を破らず触れ回れるほどに。

『ポットも乾いたことだ、最後に余興でも見て帰ろうか。あの『舞台』はそういうこと、なんだろう?』

気づけば、ステージの上に椅子と楽器が並べられ、コトネが真剣極まる表情で子供用カスタネットの調律をしていた。

『ええ…良ければ聞いてってくださいよ。』

『是非に。ただ、湿っぽい鎮魂歌だけは勘弁しとくれよ。もう百生分は聞いてるもんでね。』

店内の視線がステージに向けられる。

防音性抜群の店内だが、アヤカシの妙技の賜物か、この演奏だけは通りがいい。

『皆様、本日もご来店いただきありがとうございます。本日が初の方もいらっしゃるのですか?そうですか。ご感想はいかがでしたか?…アイスメニューを出して欲しい?ご意見ありがとうございます、出しません。だって、人間寒いのが一番嫌じゃないですか。あんまり冷えると、芯までずっと残ってむずむずしますし。どうしても冷たいものをご所望であれば、裏手に水汲みポンプがありますので、頭から浴びてください。水温だいたい6℃です。それでは、本日の一曲『ダイヤモンドを公魚へ』、お聞きください。』

帰還したDが操るチェロ、その威厳ある音色が魁となり、素朴な尺八の音が追従する。

基本的に、日替わりの演奏曲はコトネ店長のセレクトである。

この曲は本来組曲の一部だそうだが、コトネが選定した後、単曲でも映えるようにアヤカシがアレンジしたらしい。

(本当なんでもやってんなあの人。頭が上がらねーぜ。)

単調…というより仲良く不規則に揃っているカスタネットも、この曲の中ならむしろ跳ねる公魚を連想させるスパイスだ。

演奏開始から1分、長い待機であった。

旋律を滑り込ませる最高のタイミングに全神経を注ぎ、ジュラの手が躍動する。

このアレンジの主役はバイオリン…そして、いっそ悪趣味で暴力的なほど豪勢なダイヤモンドを体現したかのような、オルガンだった。

だが、その一角…ジュラの担当するバイオリンの音には、確かな濁りがあった。

(一番集中したいってこの時間…なんて話ぶち込んでくれんだよハザマガワ レンレン…てめーらからの余命宣告はもうただの判決文だっ。牢中の囚人へ執行日を伝える温度の無い文書だっ。どうする?どうすりゃこの運命を躱せる?)

何度も、命が吹けば飛ぶようなトラブルを超えて来た。

秘密の軍事実験に巻き込まれ、居るだけで皮膚が爛れそうな地底を踏破し、狂気の魔人を討ち倒し、武闘派ギャングとの抗争も超えてのけた。

だが、そこには全て確かな希望があった。

何をしてでも生き残るという意思と、絹糸よりも頼りないものではあるが命を拾うことのできる可能性があった。

だからこそ100%を受け止めてしまう。

死の専門家からの確実な宣告、その意味を。

ついにその濁りは隠すことのできない領域にまで達し、隣のアヤカシが怪訝そうにジュラを見始めた。

その視線を避けるように顔を逸らす。

その先には、普段となんら変わりないテンションで演奏に興じるイオンがいた。

彼女はいつでも揺るがない。

(ったく…能天気というべきか、図太いというべきか……けど、まぁそうだよな。これまでだって、がむしゃらにやって、なんとかしてきたもんな。)

体のこわばりが解け、楽観的な思考の余地が生まれる。

(今からビビってもしょうがねーか。来るもんは来る。それが今夜とかでもない限り、備える時間はあるだろ。)

バイオリンの音が調子を取り戻し、アヤカシの注意も楽譜に戻る。

さあ息を整えろ、サビが近づいてきているぞ。

 

 

 

 

 

『良いもんだねぇ生演奏ってのは。』

死神恋々が深々頷く。

『ありがとうございます。』

店員Dは嫌々応える。

『レコードなんか聞くといっつも後半寝ちまうんだけどさ、生の迫力とでもいうのかね、叩きつけられるみたいな何かがあったよ。』

『光栄です、店主に伝えます。』

『よろしく〜、ところで…そこのパンを2〜3個いただくよ。』

『種類は?』

『仕事中につまめるやつをお任せで頼むよ。ディー、お前さんのセレクトでね。』

『握り飯は?いつも持ち歩いていたでしょう。』

『夕飯を悩む必要が無くなった、ラッキーじゃないか。』

『左様ですか。』

パンの入った紙袋を受け取り、その重さを確かめた恋々が笑う。

『いいじゃないか。』

『お出口は彼方です。』

『照れんじゃないよディー…ま、ちゃんと正しく死ぬんだぞ。』

ドアを押し開け、峽河 恋々がゆらゆらと去って行く。

既に日は高い。

その姿はすぐに陽炎へと紛れ、昏き世界へと消えていった。

 

 

 

 

『みなさん、本日もお疲れ様でした。特にジュラさん、イオンさんが抜けたところを上手くカバーしてくださいましたね。とても助かりました。』

『いえいえそんな、ウチのアホが勝手なことしてすみません。』

『失礼な!ちゃんとコトネさんに許可取ったよ。』

抗議のイオンパンチがジュラの肩を打つ。

『ああ、朝の件ですね。刃物持って走り回ってるものですから、びっくりしました。あんなに大きいと扱いにくそうですよねー。そういえば、件のお客様はDさんのお知り合いなんですか?』

『はい。…熟れ切った縁です。』

『そうですか、わたしもご挨拶しておきたかったですね。さて、みなさん今のうちに共有しておくことはありますか?』

珍しくライコが手を挙げる。

『デカ頭がずっとくっついてきて鬱陶しい、さっさと引き剥がせジュラ。テメェ等のペットだろ。』

過剰武装な物言いではあるが、なるほどそれは問題である。

ライコの担当は店に踏み込むかもしれない脅威の排除、カブウがまとわりついていては役目の遂行も困難だろう。

本人の性格からして、そんなに真面目な理由ではないだろうが。

『悪かったなライコ。…だそうだから、離れちゃくれねーかカブさん。』

『あ…ああ、ご迷惑したねライコ君。心より謝意を表するよ…』

するすると絡まった触手が解ける。

『なんでオレにくっつく?』

『なはは。』

『おいごまかすな。』

『そもそもどしたんだよ。子鹿みたいに縮こまってさぁ、カブさんらしくもないぜ。』

『いやー、死神の御仁が来たものだからね。遂に年貢の納め時かと思って、戦々恐々さ。』

『…もう死後3ヶ月くらいだっけ?確かに結構滞納してるなぁ…』

『大丈夫だよカブさん。いざとなったら別のとこに魂隠せるマシン作ってあげるから。』

『君はいつでもクリエイターだね、頼りにしているよ。』

アヤカシが興味ありげに身を乗り出す。

『いいな、完成したらおれにも教えてくれ。体取っ替えて、『老い』ってものを味わってみたい。』

贅沢な願望である。

コトネがひとつ大きなあくびをする。

『わたしが眠たくなったので、ミーティングはおしまいとします。後何かありましたら、明日の朝お伝えください。みなさん、本日もお疲れ様でした。』

それだけを宣言し、さっさと浴場へと向かうコトネ。

その動きは流麗であった。

『流石コトネさん、一挙手一投足が無駄とは無縁だ。さて、おまえらも寝ろ寝ろー。ただし!フロにはちゃんと入れよ!』

アヤカシに促され、バイト達が階段を登ってゆく。

最後に残されたライコが呟いた。

『で、なんでオレにくっつくんだよ。』

 

 

 

 

 

『おつかれジュラー、ちゃんと元気?』

『他人の部屋入る時はノックとかしなさい。着替えとかしてたら恥ずかしいだろーが。てかまだ起きてたのか。』

『朝のことでちょっとね…』

イオンの顔に神妙な色が差す。

言わずとも伝わる、死神恋々の件だろう。

しかし、彼女の想うそれはジュラの心配とは少し違うはずだ。

『………当ててやろうか、お前見たことない機構にテンション上がりすぎて、寝れないだけだろ。』

『ふへへぇ、バレちゃった?いやーすごいんだよレンレンさんの鎌!魔法科学とは全く違う軸のテクノロジーでさ、パッと見ただけじゃどこが何の管制してるかとか、全くわかんなかったの!でもムダに複雑だとかそんなんじゃなくて、一回分解しちゃえばメンテもしやすいし、実用性の行き着くところみたいな、完成度の高さが偉くてーー何ニヤニヤしてるの。』

夢中のイオンを呼び覚ますほどジュラの頬は緩んでいたらしい。

『いや別に、お前いつでもハツラツだなーって。』

『さてはバカにしてるな、ウキー!』

『よくわかってるじゃねーか、がはは。…なぁ、あんな不良死神の言う通りになんのもシャクだしよ、死なないように頑張ろうぜ。』

『…もちろん、絶対に死なせないから安心してよ。』

イオンが拳を突き出し、ジュラが合わせる。

それを見守るカブウがやけに感涙していた。

『くっふー!なんて熱い誓いだい!よし、このカブウも死なないように全力を尽くそう!3人で生き残るんだ‼︎』

『『いや、それはもう手遅れだと思う。』』

涙は、あの日シチューと化した、己の首から下を思う物へと変わった。

 

 

 

 

 

水音と何かを擦るような音が静かに共鳴する。

シュリ…シュリ…と、その音は凪の日の水面より穏やかだ。

これは男の見解だが、良い道具とは金をかけて手に入れるものでは無い。

例え廉価な量産品でも、手間を惜しまず、共に歩み、日々労わってやることで、手に馴染んだ唯一無二の逸品となるのだ。

少なくとも、男はそう信じて相棒の世話をしている。

こびりついた紅白の澱がタイルの上を流れてゆく。

次の仕事も意欲旺盛にこなしてくれそうな相棒を見つめ、寡黙な男は耳まで裂けた口を歪ませて微笑んだ。




私はDuskbloodsの新情報を求めて、ニンダイの深海へと漕ぎ出していた。
気付けば、人類は十進法を採用していたし、英吉利牛は凍っていたし、紅い月が昇っていたんだ。

登場人物

ガルー・D・メロン
カフェ白子鳩の窯担当。
無口ではあるが、目的のためなら地獄まで突撃するガッツの持ち主。
蕎麦が嫌い。

峽河 恋々(はざまがわ れんれん)
年中有給の不良死神。
世界の長い歴史の中で、唯一閻魔大王の手違いで死んだ元人間であり、特別措置として後天的に死神となった。
今の名前も戒名的なモノである。
最近、業務用に貸与されている船へ勝手にエンジンを着けて怒られた。

用語集

エラソーマ6大湖
カロウエル最大の湖にして、水源地。
それぞれの湖は小国が入ってしまう大きさをしている。
当然、内水面漁業の中心地である。

死神
地獄で勤務する魂に干渉できる種族。
生物の寿命が感覚的にわかる。

鰓蛭郡
かつて数多くの鬼たちが生きていた場所であり、鬼退治で焼け野原になった。
今でも少し地面を掘れば当時の武器や骨が出土する。

豊玉郡
名家唐金家が治める武里国で最も歴史の深い都市であり、かつては政治の中心地であったらしい。
また同時に国外の文化が伝わったのも早く、その影響を各地に感じられる。

カルサウス平原
サイレンス共和国南西部に広がる、乾燥した平原。
度々強風の吹く危険な地ではあるが、道自体は確立されており宿場町もある。
喫茶白子鳩の所在地。
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