これに続くはミロのヴィーナスかァァーーッ⁉︎
『時に疑問なんだが、野菜に水をやりすぎると腐るだろう?じゃあ油を過剰にあげたらどうなるんだろう?揚がるのか?』
前触れも無く話し始めた山威 汽穂に他3人の視線が集まる。
『そりゃ…水足りなくて腐るんじゃない?根っこがフライパンみたいにコーティングされたりしてさ。』
『腐りはしないんじゃないかなエリー、だってほら、トマトとかオイル漬けにするじゃん?』
エリシャ・ラシリアと灯焆 燐が互いに独自の理論を展開する。
『…さも日常の一コマみたいに話し出す内容じゃないな。疲れ過ぎじゃないかヤマイ。』
山威が車窓の外に向けていた顔をゼロ達の方へと戻した。
その顔に刻まれた隈が、逆光のせいで余計に濃く映る。
『心配無用だ。ちょーーーーっと二徹して札を作ってただけのこと、思考はかつて無いほどクリアにできているっ。』
『俺には、直ちに熟睡が要るように見える。』
筆を持ったような形のまま無意識に手を動かし続ける山威の様子は、ベストコンディションとは程遠いように見える。
『寝台を取るべきだったかしらねー。でも、路銀(山威の私財)もそんなに無いし。』
『お前が腹八分という言葉を覚えてくれたら、問題も八分解決するぞ灯焆。…どちらにせよ、寝る気分じゃない。敗走からのリベンジ、なんぞ御伽話のようにスマートなワケがないからな。』
汽笛が鳴り響き、ゼロ一行の会話を一時遮る。
直後に通商路との交差点が車窓を水平に過ぎ去り、再び景色が退屈な灌木林へと戻る。
ここは「チャンカニヤ南部鉄道」の線路上、列車番号144の2等客室。
ゼロ達は船を放棄し、列車にて大陸を北上していた。
当然、鉄道が誇る速度で時間を稼ぐ算段でもあるが、真の目的は別にある。
それは、決戦。
未だ着実に追跡して来ているであろう、ジクサクALとスズガモ・フィンカルカヤを打ち破り、手元にある文書を『使える』ようにするための戦いだ。
一度目は完膚なきまでに敗北だった。
二度目は撃退にこそ成功したが、敵に情報の優位を握らせることとなった。
このままでは、いずれどこかで追い詰められ、徹底的に分析されて詰まされる。
どこかでは必要な賭けだった。
それに何より…逃げ回りながらの建国記など、様にならないだろう。
ノンフィクションで記すなら、見栄も格好も今からだ。
エリシャがチケットで折った笛を吹く。
『んー、高いチケットはやっぱ音が違う!「メイムーナ楽団」にだって採用されますぜ。』
『10割10部気のせいだぞラシリア。しかしあと6時間か、流石に遠いな「マジェラン公国」は。』
『しかも、そっからは犬ぞり?なんだっけ。いよいよ逃亡者みたいになってきてるわね。』
燐の声がオクターブを上げる。
未知の乗り物にテンションが上がっているのか、はたまた向かう場所が少々涼しそうだからなのか。
『既に『みたい』じゃ無いんだけどな。あと正確には「毛鰐橇」だ。…済まない、極寒地帯にはなってしまうが、人が居ないところで戦いたかった。』
『気にするな。あのあたりは空気が乾いているし、風も吹く。こちら側にとっては文字通りの追い風的環境だ。…まぁ、どこかでコートだけは調達したいが。』
『自分もイヤーマフ欲し〜い。』
窓格子から流れ込む空気は、既に高原のそれような冷涼さを帯びており、前方に見える山々は眩しい程の白帽子を被っている。
『ラシリアは先に腹巻きでも買った方が…』
『うわっ、オッちゃんてばスケベー。シルフってのは風の中ならどこでも大丈夫なもんなの!』
山威が顔を手で覆う。
まるで、不用意な発言をダシに、この後買い物に付き合わされることが確定したような様である。
『…例えばの話なんだが、シルフが凍った池に落ちたら無事でいられるのか?』
『やだなあ天使様、そりゃ普通に凍死でっせ。』
『…………世界は不思議だな。』
山威が腕輪から取り出した地図を広げ、硯を重り代わりに固定する。
ゼロが指差したのは一点、既にマーキングしてあるその場所こそが決戦場、「ゴロミャンカ」である。
『あくまで地図上での話だが、最寄りの集落までは52km。地形の起伏も多く、一度たどり着けば大規模な追手は来れないはずだ。』
『そこで連中を分断か。どう誘導したものかな。』
B.B.Cでの襲撃でも、分断は有効だった。
ともすれば、ジクサクALを倒せていた可能性さえある程度には。
『やっぱ、ジクサクちゃんをおちょくって誘い出す、ってのはどうかしら。オジサンの方はノリ悪そうだし、悪口のレパートリーなら自信アリよ!長死にしてるから!』
『ああ…それが正攻法だろうな、だが向こうもこっちが各個撃破を狙うしかないってのは、わかってるはずだ。正面からぶつかった以上、こっちの取れる手段はある程度割れていると見た方がいい。』
山威が頷く。
『同意だ。元より経歴を知られてる俺は論外として、ゼロとラシリアも手札を見せていたはずだ。逆に、敵にとって一番の未知数は……これだからなぁ。』
微妙な視線を向けられた燐が、両手でピースを作って見せる。
『水とかいつでも冷たく飲めるわよ〜』
『熱中症知らずですばらしいな。来年の夏くらいまで生き延びたら期待しておこう。』
『…やっぱリンを警戒させるってのは危険だな。ジクサクが釣れてもスズガモにタネを割られちゃ、そこで破綻する。もっと確実に…できれば相手が必要に駆られて分かれるような…』
『もういっそジクサクちゃんほっといてもよくない?』
地図を眺めていたエリシャが、なんとなく発した言葉が、一行の軸を決めた。
『なるほど、いやなるほどだ…押してダメなら、というやつか。』
『流石エリーね、それでこそこの私が認めた大親友よ。』
『まあそれほどでも大いにあるかな!なーんて、リンさんってば口が上手いんだからもう。』
『フフン、伊達に長死にしてないってことよ!』
ゼロの瞳に闘志が灯る。
元々勝ち目の薄い戦い、セオリーから外れた作戦も、解釈次第でローリスクハイリターンになりうる。
それに、失敗したとしてもこの環境であればゼロの能力最大出力で、仕切り直しへと持ち込める可能性は高い。
どうせ呑まなければならない毒なら、アレンジレシピでいただこう。
今より美味くなればそれで良し、中和などできればなお最高。
気づけば、窓の外には鉛色の雲がかかり雪がちらつき始めていた。
山威が備え付けのランプを灯し、赤橙色の光がテーブルを囲む一同を照らし出す。
巻き込み事故から始まったとは思えないほど、目線の先に同じ何かが宿っていた。
或いはその正体は、逃亡生活が引き起こした単なる深層心理の熱病だったかもしれない。
しかし、生き残りを賭けた極限の場でそれは立派な武器だ。
あるかもわからない希望と、根も葉もない自信のみが、自分すら騙せない嘘を真実へと変えるのだから。
『よし、基本の動きは粗方決まった。後は…考えられる限りの展開と、その対応を詰めていくぞ…夕食を摂りながらな。』
空の菓子皿に目線を落としていた燐が、待ってましたとばかりにニマリと笑う。
『ああ、すっかり固くなってしまったが…』
山威が取り出したサンドイッチを均等に分配する。
汽車がその炉を休めるまで後2時間、テーブル上でできることは全てやっておくべきだ。
もちろん英気の保養も含めて。
新雪だけが積もる庭を指差し、パイプを3本も咥えた壮年の男は言った。
『はいよ、好きに連れて行き。』
『ヘイおじいちゃん、あんま私達を舐めちゃいけないわよ。こちとらもう雪なんて見飽きてるんだからね。』
老人が口笛を吹くと、途端に雪は盛り上がり、内部から6つの何かが這い出てくる。
そのまま数歩歩いてピタリと動きを止めたそれは、縦長に切れ込んだ瞳孔と豊かに伸びる白い毛を持つ四足の動物だった。
エリシャが感心したように首を振る。
『確かに若干犬っぽいワニ…?うん、これ最初に見たら「毛鰐」としか言えないかぁ…』
『中々…話通じなさそう感があるな。時に、彼等が出てきて以降、全く動いていないのは正常なのか?凍えてやしないか?』
山威の言葉通り、毛鰐達は口笛に呼応したきり、瞼さえも動かさずに雪の中で静止していた。
貸橇屋の主人が頷く。
『うん、犬とは作りが違うでな。何も無けりゃ半日でもこうしとる。だがなんでも食べて体温は常に27℃、いつでも動き出せるよ。』
『それはエラいな…わかった、6頭と中サイズの橇を一台借り受けよう。』
『あいよ、準備は万全にしておいき。あんたら遠いところへ行く目をしとるよ。』
『ご忠告感謝する。彼等は確実に返すことができるよう…』
『いらんいらん、あんたらがくたばったら勝手に帰ってくる。まだ温かな肉で、『少々の腹ごしらえ』を済ませてな。』
物々しい話を横に聞きつつ、ゼロが毛鰐の目の前で氷柱を振る。
何の反応も示さない毛鰐から目を逸らした瞬間、手元の氷柱は太い円錐形の歯に噛み砕かれていた。
心強い道連れになりそうで、何よりである。
荷物の積み込みを終え、吹雪が止むのを待つ一行。
『50kmとちょっとの距離、どうやって進む?ものを知らなくて申し訳無いが、1〜2日で着くものなのか?』
『そこんところはよくわからん。主人の話では天候によるとのことだ。』
『なるほどな…食料は?』
『3週間分、決着の後もみてはいるが足りるかはわからん。』
『まるで心中だな。…悪い、縁起でもない言葉だった。』
燐の背中パンチによる抗議を受け、ゼロが頭を下げる。
山威が手を振った。
『気にするな、いざとなれば木の芽でも食って生き延びるつもりだ。死ねない理由なんぞ、考えなくても出てくるだろう?』
『そうだな。ところで…やっぱり寒いのか?』
ずっと足が震えている山威を見かね、ゼロが毛布を手渡す。
『安心しろ、半分は武者震いだ。それより心配なのはこっちだな。』
山威がモコモコのカバーで覆われたバッグを持ち上げる。
休眠状態の餐禍が収められている、特別製の一品だ。
『一応、彼女自身の付属機が錬成する魔力で中の環境は保たれるらしい…気の悪くなるこの説明書を信用するなら、だが。』
『わかった、一応負担にならないよう結界にしまっておいてくれ。』
『そのつもりだ。…おい、その辺にしておけ灯焆。齧られるぞ。』
毛鰐の目の前で鱒の燻製を振っていた燐が渋々戻ってくる。
かれこれ10分は格闘していたが、相手にすらされなかったようだ。
エリシャが荷物の頂点に飛び乗り、彼女のジャケットが背から受けた吹雪ではためく。
『さて、到着はまだ遥か先、なんならここがスタートラインってことになるけど…お前らー!覚悟はできてるかー!』
『うぉぉーーー!』
燐1人分の大声が速やかに寒風へ散ってゆく。
『ちょっとー、ノリ悪いよ約2名!』
『人間という生物は口開くと寒いんだ、勘弁してくれ。』
山威のまつ毛にはすでに氷の玉が張り付いている。
『すまない、考え事をしていた。』
『しょうがないなあ、んじゃ2人は決着の後で自分に改めて宣誓しにくること、以上!』
決意表明の事後報告という珍妙なノルマを課され、山威とゼロが顔を見合わせる。
全く、残念だ。
また一つ、死ねない理由ができてしまった。
竜の背に乗った魔法使いが身を震わせる。
その体は、存分に着膨れしているであろう耐寒コーデの上からでも見て取れる程、痩せこけていた。
『脂肪が足りない。骨に冷気が染み入ってくるようだ。』
歯の根の合わない声でぼやく魔法使いを竜は甲高い声で侮蔑的に笑った。
『キャハハ、んじゃ今後食べるもの全部にバターでもかけちゃえばぁ?』
『勘弁してくれ、さらに腹が緩くなる。』
『知らねーよオムツでもしてろ。てか、ご自慢の魔法でなんとかすりゃいーじゃん。』
『相手は一度こちらに噛みつき返している。油断せず魔力は温存しておくべきだ。君も良く理解しているだろう?』
竜が口の端から炎をちらつかせる。
『あ?嫌味のつもりか?テメェからブッ殺してもいいんですけどぉ?』
『すまなかったよ…む、文書の反応が二手に分かれた?この場より10km先、つい4分前の情報だ。』
魔法使いの持つ石板に表示された点が2つに分かれ、別々の方向へと進んでいた。
『使い捨てのボンクラ共の尾行でも、こっちに来てるのは間違い無いんだよな?この雪に埋もれて逃げ切ろうってのかにゃー?』
竜が舌舐めずりする。
小細工を弄し、背を見せた獲物は彼女の大好物であった。
『いや、現在近隣の集落で動かしている移動手段は、毛鰐橇3台に貨物トロッコ1両…うち、ターゲットが借用しているとみられる毛鰐橇以外は所在が割れている。となると…決意したか。』
『バカ共が?死に場所をか?』
『あるいは、我々を葬る場所かもしれないが。ここからは、追跡ではなくなるぞ。』
『へー上等じゃん。爪の先まで怯えさせてから、焼き殺したくなっちゃう。てか、場所が決まったなら、時間はアタシが決めんのが道理じゃない?』
魔法使いが懐から取り出した壺の温度を確認し、中身を口に含む。
『そうだな、向こうも決着をお望みのようだし、フェアにいこうか。【ヨール・アクロ・マ・バザリオス】』
竜の背中に手をつけた魔法使いが魔力を解放すると、鱗に覆われた翼が水平に伸び、後方に2対の魔法陣が形成される。
同時に鱗を基礎としてエネルギーの鎧が形作られ、竜の全身を覆ってゆく。
時間にして1秒とかからない変形、しかし竜の姿は凶悪なまでに鋭く変わっていた。
魔法陣が輝き高密度のエネルギーを噴出し始めた次の瞬間、竜は星になる。
時速にしておよそ500kmオーバー、高度を上げた状態でさえ気流をめちゃくちゃに変え、眼下の雪と黒土を吹き飛ばしながら進んでいく。
こんな無人地帯でもなければ目立ちすぎる神速の移動手段、この札を切るということは標的からの決着のお誘いに対する、『上等だ待ってろ』の返答でもあった。
1分と少しの後、竜の目前に目的地が迫る。
『どう降りよっかなー、決めた!』
瞳孔を細めた竜が角度を変え、斜面に向けて垂直に突撃する。
当然、背中の人間への気遣いなど全く無い。
着地…というよりは着弾と言い表すべきだろう。
巨竜の質量が、魔力の鎧を伴って隼を超える速度で降り注いだのだ。
そのエネルギーは小型の隕石にも匹敵しただろう。
遥か上空まで舞い上がる永久凍土、一瞬にして昇華した雪による水蒸気爆発で吹き飛ぶ森、地中を駆け後に地震として報じられる程の衝撃…体中から蒸気を立ち上らせる竜が雪煙を掻き分けて現れた時、尖った葉の木々は同心円状に倒れ伏し、地は巨大な玉を押し付けたように抉れていた。
『キャハ、キャハハ!地獄からお迎えだよー!雁首揃えて神妙にぃ、ブチコロされにおいでーー!』
決戦の火蓋は切られた。
この吹雪が明けた時、照らされる勝者は誰なのか。
『少なくとも、アタシ達じゃあないけどな。キャハハ!』
スズガモが石板のレンジを絞り、文書の反応を特定しにかかる。
『1つはかなり近い、少なくとも100m四方…いや、まさか…真下に居る?』
竜の口から火が噴き出る。
『さっき消し飛んどきゃ楽だったのに、救えねーなぁ。炙り出してあーげちゃう!』
泥のシャーベットとなった大地に、煉獄の如き熱が叩きつける。
『おいっ、雪崩が起きるぞ!標的喪失(ロスト)してしまう!』
炎の荒波を避けて舞い上がったスズガモが忠告するも、ジクサクALの耳にはどこ吹く風である。
(ここまではいい、彼女は好きに暴れてくれるくらいがベスト。こちらで警戒すべき要素は、都合の良すぎる文書の位置だ。出来すぎている…撒き餌か。)
【バラフロル・ベル・プロトン】
スズガモが上空へ向けて腕を振るい、自分達の上空に炎に包まれた帯状の青白い魔力障壁を出現させる。
一手遅れて降り注いだ大量の氷柱を、過熱された盾は最も容易くただの蒸気へ変えた。
『古典的でつまらない策だ。どうするジクサク、最高戦力のゼロから削ぐか?………ジクサクAL?』
相方の状態を確認し、スズガモは瞬時に状況を理解する。
狂ったように怒声を上げ、燃える雫をこぼし続ける竜の顔を毛布が覆っていた。
それも、凍りついたノミの死骸がハラハラ落ちるようなボロ布が。
竜の角に腰掛け、逃亡者が笑う。
『どうもどうも久しぶりー。寒空飛んできて大変しょ?プレゼーント。』
高濃度の埃を吸わせられ、ジクサクALの殺意は簡単に閾値を超えた。
頸椎が外れんばかりの勢いで竜の首を伸ばし、目障りなゴミを排除しにかかるジクサク。
当然、能力で逃げられないよう『マウスピース』も準備している。
『うわっ!火ぃ噴いたまま噛みついてきた!熱くないそれ?』
危うく炎に炙られかけたエリシャが冷や汗を拭う。
しかし、真に焦りを感じているのはジクサクALの方であった。
(クソ羽虫が、どうやってアタシの攻撃を躱しやがった?この身体の限界を超えた速度だってのによぉ〜!)
続け様に牙の打ち合わせられる音が、吹雪の中で確かに響く。
だというのに、ジクサクALはエリシャを捉えることができていない。
エリシャの動きが想定される領域から大きく外れているのだ。
魔力弾による援護射撃を開始したスズガモもまた、感覚のズレを実感していた。
(妙だ、身軽すぎる。気配をぼやかす歩法等は生活で身につけた物だろうが、それだけでは説明のつかないものがある。)
未知の動きと仲間の襲撃に備え、さらに魔法の出力を上げる。
直後に懐の壺の中身を飲み干し、スズガモは顔を顰めて叫んだ。
『何もさせるな!確実に捕縛し、文書を持ってこさせるっ。』
『うるせーなぁ〜!クソっ、ちょこまかしてんなよ羽虫女がぁーー!』
どこままでも勢いを増していく攻撃が、ついにエリシャのキャパシティを超えたらしい。
背中の左側にばら撒かれた魔力弾が直撃し、空中で大きくバランスを崩したのだ。
『キャハ!マヌケェーー!ブッ殺しパーティー再開だスズガモ!』
『好機!だが警戒を怠るなよジクサクAL!【カチム・タズグル】』
吹き荒れる吹雪が集まり、ネズミザメのそれに似た3対の顎が形成される。
吹雪の中でさえ一際白く目立つその顎は、いわば勢子だ。
仕留め役たるジクサクALが確実に敵を討つための、徹底的な補佐。
既に手負いとなった獲物に対してこそ、一分の隙も無い策が必要なのだ。
実際、少なくないダメージを受けて尚、エリシャの速度に緩みは見られない。
スズガモの予感が、確信へと変わりつつあった。
『なるほど、やはりシルフの特性か。彼女は吹雪に乗っている!』
『キャッハー!羽虫の分際で頑張るじゃん!んじゃこういうのはどーう⁉︎』
竜が大きく振るった尾には真紅の氷柱がぶら下がっていた。
末端体温をコントロールし、凍傷を誘発して作っておいた、蛋白毒たっぷりの飛び道具である。
背後から飛んできたそれを、エリシャは同化して受け…訪れた痛みに顔を歪めた。
『っづ…あぁ!何が…』
焼けるように熱い腿の傷口には、焦茶色の鋭利な欠片が深々と刺さっていた。
断面と思しき場所に見える構造からすると…
『キャハ!本命はウロコなのよ大マヌケ!辛そだしぃ、命乞いでも愉快にすぅれぇばぁ?』
エリシャは止まりもしなければ振り返りもしない。
きっと同じ痛みが走る背中にも、鱗は食い込んでいる。
だが元々他者よりタフネスに劣る彼女は、不安に駆られて減速する度、残り僅かな体力を浪費するであろうことも理解していた。
この気温と風速ならすぐに傷口は凍りつき出血も止まる、今はただ『追われる』ことだけを考えるべきだ。
怯えを見せず距離を離す標的に舌打ちし、竜の筋肉が張り詰める。
次の瞬間、竜が翼で地面を激しく叩き、標的の追跡を再開した。
氷の顎を従え追従するスズガモ、彼が鼓膜を僅かに圧迫されるような違和感を覚えた直後のことだった。
己の体がコントロールを失い、弾かれるように後ろへと飛ぶ。
竜の後ろ姿を収めていた視界が途端に白一色へと変わり、雪に埋もれたであろう半身にジンジンとした冷たさが染み込んでくる。
スズガモが痛みを知覚したのは、その後であった。
即座に周囲を覆う魔力障壁を展開し、自身の体に起きたことを整理する。
『この反応と鋭い痛み…ヤマイの電流か。どこに札が?土地勘の無いここで吹雪の中我々を正確に誘導していたのか?ぐっ…ダメージはあるが、作戦は継続可能だ…幸いだな。』
雪から這い出たスズガモが一番に見たのは、細く切れ込んだ黄金色の眼球達だった
『うおおっ!』
本能的に呼び起こされた忌避感に従い、背後に転がるスズガモ。
同時に、魔力障壁を収縮し眼球の持ち主を閉じ込める牢獄へと転用する。
6頭もの仲間と狭い空間に囚われても、特に気にした様子は無い眼球の主、その正体は毛鰐であった。
『これは…彼等の…待て、体表に紙が貼り付けられている。つまり…』
2発の銃声が轟き、雪に紅が差す。
『食が細いってのは課題だよ。自分で言うのも複雑だが、こう骨と皮ばかりだと寒さが堪える。転べばずっと痛むし、このダメージだって軽減できたかもしれない。そうは思わないか?』
足元を真紅に染めながらも、立っていたのはスズガモ・フィンカルカヤだった。
逆に、雪の中から完璧な奇襲を仕掛けた山威 汽穂は、頭の傷を押さえて雪に横たわっている。
スズガモが一手早かったのだ。
体表に薄氷の鎧を銃弾の威力を軽減、さらにそのエネルギーは破片へ残り、山威へと返された。
後手前提の反射装甲である。
『見事だった。まさか私を狙った作戦を取るとは思わなかった。ついでに、毛鰐を動く札として利用してくるのも。』
失血のためか、スズガモがその場にかがむ。
『私がこれまで1日でも魔法の研鑽を欠いていれば、そちらとの距離がほんの少しでも近ければ、瞬時に鎧を生成できるこの環境でなければ…結果は変わっていただろう。』
山威が氷のかけらを払い、立ち上がる。
『無駄だ、全身を氷塊に打たれている。その状態では術の行使も難しいだろう。毛鰐を呼んだのはトウエツ リンか?エリシャ・ラシリアはまだジクサクを引き付けているとして、やはり1番の脅威は天使様か…』
『ま、待てっ!』
最優先目標を定め、上空へ舞いあがろうとするスズガモ。
山威の制止になど、耳を貸すわけもない…はずだった。
ほんの50cm程浮いたっきり、その場に留まる。
そうして何かを思案していたスズガモが降下し、山威の方を向く。
『トウエツ リンは今何をしている?いや、冗長な問いだった。彼女は、今札を貼っているな?もしや、一定高度にある生物だか物体だかに反応する陣を組んでいると…いや、答えはもう必要無い。』
血の気が引いた顔で銃弾を込め直す山威の様子は、仮説への返答として十分だったらしい。
『まったく嫌になる。会うたびにあんたが魔法使いとしても仕事人としても、半端者たる俺の先にいることを痛感させられてな。精神衛生的に深刻な事態だ。』
『同意する。強い光は目の奥底までも焼いてしまう。お互い苦労するね。』
山威が杖に見立てた小枝を放り投げた。
魔法使い同士の決闘、その儀式だ。
風に流され回る枝が地面に触れた時、始まりの合図となる。
投げ上げられた枝の軌道が頂点に達し、落下が始まろうとした直前、再び銃声は轟いた。
スズガモの背中に食い込む直前で停止し浮遊する1発の弾丸、それは正面で目を見開く山威 汽穂からのプレゼントではない。
『なるほど、そこにいたかトウエツ リン。弾道の角度から察するに、雪中に伏しているな?』
『対策されていたか。神聖なる儀式の途中だというのに…少しは信用してくれてもいいんだぞ。』
不意打ちを外された山威が力無い笑いで場を濁す。
『立場が逆なら私もそうする。枝はもう、落ちているぞ。』
薄暗い銀世界に魔法が満ちた。
必要な仕事は一つ。
打破せよ、鉄心痩躯の大魔法使いを。
ジクサクALは苛立っていた。
目の前には手負いで、運命を憎み嬲られるしかない獲物がいて、自身は享楽に任せてそれを弄ぶ立場だというにも関わらずである。
(クソが。みみっちく死ぬしかねぇ羽虫のクセに、いつまでちょこまか逃げ回る?いいとこ吹雪が止むまでのセコい命なのによぉ。)
ジクサクALのイラつきの果てに、竜が口元を歪めて笑う。
竜の翼が角度を変え、その四肢が大地を蹴る。
(キャハ、アタシったら多少すばしこくても、所詮羽虫一匹なの忘れてたわ。最初から、圧倒的にこうすればいいのに。)
上空40m、竜は羽ばたきを停止する。
疲労か?不調か?否、ただ単に必要無いだけだ。
竜の口から炎が迸った。
狙いは低空を移動するエリシャがいるであろうあたり。
大まかな位置さえ合っていれば、反動で体が浮く最大火力で雪原ごと焼き殺せるとの判断だ。
ジクサクALの殺意を濃縮した竜炎は、天地開闢以前より伝わる『神の杖』のように、地上へと突き立てられる…はずだった。
獲物の絶望を見下ろし、ついでに最大限の酸素を取り入れようと竜が頭を振り上げる。
そのアギトが噴き出さんとする炎に押され、わずかに開いたその時をもう一匹の羽虫は待っていた。
『よく持ちこたえてくれたエリシャ!白熊 棚氷ッ‼︎』
黒い流星の如く垂直に降下するゼロ、その右手を核として氷による特大の獣爪が形成されていく。
ジクサクALがその存在を認識する刹那、巨獣の一掻きが竜の頭部を叩いた。
慣性に従い、氷塊と巻き込まれた竜が落下する。
大岩でも落としたような轟音が轟いた。
すんでのところで脱出したゼロの目に、雪煙の向こうで手を振るラシリアの姿が映る。
(そうか、来れたか。ベストな位置に!)
ささやかな安堵も束の間に、散らばった氷雪を吹き飛ばして竜が這い出てくる。
顔の鱗が焼け付くほどの憤怒を湛えて。
『キャハ、キャハハハハハハハハァ‼︎殺すッ‼︎』
竜とはまったく、呆れる程に頑丈な生物である。
しかし、怒れるジクサクALを前にして、ゼロの視線は別の方向を向いていた。
プライドを逆撫でされたジクサクが、問答無用でゼロを嚙み裂こうと首を伸ばし、空ぶった。
『冷静になるんだなジクサクAL、こんな新雪の斜面に衝突したんだ、注意報じゃあすまないぞ。』
竜の眼がようやく自身の沈んだ後脚を捉える。
慌てて翼を広げようとした竜の動きが止まる。
気づけば、背中に携えた一対の自由が氷に埋まっている。
溶かすのも割るのも、難しいことではない。
それを、自然が悠長に待ってくれるかはともかく。
『この…この…ドブ臭い罪人風情がぁぁーーー!』
『仕込みはすでに終わらせているっ。ブラックモンブラン!』
ゼロが指を鳴らすと、斜面の上方から突き上げるように黒い氷塊が出現する。
それは宣戦布告であり、起爆剤だった。
雪崩、それは雪深い山地に付き纏う自然現象の一種であり、圧倒的な質量が巻き込まれたモノを平等に冷蔵してしまう、破滅的な災害である。
その脅威が今、呼び起こされた。
純白の破滅が瞬く間に斜面を駆け下り、地上に縛り付けられた竜を飲み込む。
姿勢を変え、流されぬよう抵抗はしていたようだが、それも無意味に等しかった。
雪を掻き分けた首が1つ吠えたのを最後に姿を消す竜、未だ止まぬ銀の濁流をゼロは険しい顔で見つめていた。
雪崩の終着点に舞い降りたゼロ、その足元からエリシャがするりと姿を現す。
『さっすが天使様ー、ナイスぅ。』
そのウインクは抱えた痛みを隠しきれていない。
『一重に、お前が頑張ってくれたおかげだ。…そしてすまない、まだ力を借りることになる。』
爆弾でも炸裂したように雪が舞い上がった。
ボトボトと鱗の雪を落としながら這い出る巨影。
竜は、ジクサクALは生きていた。
『マジすか〜、雪崩ですぜ雪崩、自然災害。もう生き物どうこうのレベルじゃないっすよ。』
『本当に残念ながら想定内だっ…いくぞ、後ろに道は無しッ!』
ゼロと竜が同時に翼を広げる。
果たすべき仕事はただ一つ。
打破せよ、変わり転ずる命の深淵を。
盾がわりに背中を預けた大木が、瞬時に炭化し雪上に哀れな姿でばら撒かれる。
お返しに山威の撃った弾丸はいとも簡単に逸らされ、スズガモの歩みを僅かばかり遅らせることさえできない。
しかしスズガモが警戒を緩めることは無い。
山威 汽穂は結界分野に長けた札使いである。
何重にも事前準備をしているであろう、札使いが選んだ場所で戦う。
その危険性をスズガモは深く理解していた。
(トウエツ リンの気配が消えている、雪女の特性か?恐らくは現在進行形で札を貼り、私を追い込む陣を描いているな?)
スズガモが地面に手を付く。
『なら、その目論見ごと無に返そう。【グラーラ・マキゴンカ】』
魔力が降り積もった雪の下、大地に作用する。
途端に黒土の層は震え、スズガモの念じるままに螺旋を形作った。
当然、地上にあるモノ達の意思は問題にされない。
雪も樹木も魔法使いも、等しく巻き込まれ飲み込まれてゆく。
最初の絶叫は大地の呻き声の中にあって、良く聞こえた。
『うぉぉぉぉーーッ!』
根ごと引き剥がされた木に巻き込まれたらしい。
這いつくばった山威が足を引き抜こうとしつつ、雪に沈むまいともがいている。
『捉えたぞ、ヤマイ オチボッ!』
スズガモが新たな魔法陣を描いたその時、目の前に2つの白い影が躍り出た。
『毛鰐っ!【アースラ・リバラル・ブロア】』
2つの魔法陣から吹き出した旋風が飛びかかる爬虫類達を弾き返し、直後に合わさって鋭利な刃の塊を形成する。
その標的は、毛鰐の使役者、灯焆 燐だ。
『犬笛の類を使っているな。たとえ聞こえていなかろうと、大気そのものは震えているぞ。』
魔力に満ちた風刃が、正確に音の源を襲った。
一見して何も無いその場所で紅白の雪が舞い上がり、直後に降下する。
『動物を、ましてや借り物を巻き込むなみっともない。』
夕暮れを煮詰めたような色の中、キャベツのように切り刻まれた燐が横たわっていた。
『灯焆ーーーーッ!きさまっ、よくも…』
『オッちゃんて…ば大袈裟〜。私全然…へっちゃらよ。けど、ちょっとすぐに…は起きられないかも。ごめん。』
表面の凍りつつある血溜まりに波を立て、燐が笑う。
『謝罪は必要無い、トウエツ リン。そこから逃げられないヤマイは、すぐに消え…その後を追うことになるからだ。』
『まぁ…こわーい。ところでオッちゃん、ラインは整った?』
雪を踏む足音が止まる。
『ライン…だと?』
山威が親指を立てる。
『最高の位置で止めてくれたな灯焆。急遽の陣形変えだったが、バッチリだ!』
木立の中で、一枚の札が光る。
それに伴って発生した魔力は、同じく木に貼り付けられた札を伝わり…冷たい大気を裂いてスズガモを貫いた。
『がぁぁぁぁ!木々は根こそぎ移動させたはず。なぜ軌道が繋がって…‼︎』
山威を押さえつけるだけであったはずの倒木、その表面に札が貼られていた。
ちょうど木立の中で始まった閃光からみて、スズガモを挟撃する位置である。
後方で魔力の小爆発を起こし、強引に誘電のラインから外れるスズガモ。
(これで終わり…なんて甘い期待はして無かったが…距離が遠すぎるかっ…)
山威が歯噛みする。
空中を進む電気は、急激にエネルギーを失う。
元々札一枚で起こせる電気は高が知れている。
陣を組み、連鎖を繋いでそれをカバーしているというのに、地形そのものから崩されては世話がない。
『やはり…周囲の木立はトラップか。私が下手に動いた瞬間、札を経由した放電が背中を撃つ…というわけだ。まったく、模範的な地の利の活用、というほか無い。』
湿ったコートを引き摺りつつ立ち上がったスズガモが、懐から取り出した壺の中身を飲み干す。
明らかに魔力のギアが上がった。
『また、飲んだな。どうした?魔力が足りてないんじゃあないか?』
空になった壺が粉砕され、風に還ってゆく。
『もう隠す意味も無い、そう…私が惜しみなく魔力を振るえるのには、それなりの理由がある。知ったところで、という話ではあれどな。』
スズガモの周囲、半径20mに無数の魔法陣が展開されてゆく。
さながら、銃口でできた星空の中にいるような危機、それを作り出した魔法使いに山威は尊敬の念を覚えていた。
『地の利があるのは其方だけじゃあない。確か、ここから最寄りの集落まで50km弱…何をしても雪が埋めてくれるだろう。』
スズガモの意思に呼応した魔法陣が、一糸乱れぬ動きで占位する。
『灯焆ッ!無茶を言うが這ってでも移動しろッ!この位置はマズいッ!』
星空が瞬いた。
【ペタバチナ・カトル・マ・リューガロン】
魔法陣達の中心にエネルギーが収束し、空間を捻裂くようにして竜の姿が現れる。
雷鳴と同じ圧力で吼えたそれは、莫大な電気エネルギーの塊だった。
スズガモの指先に合わせ、手持ちの札で作った結界ごと山威が飲み込まれる。
当然、それだけで止まる安い術ではない。
氷雪は一瞬にして蒸気へ、樹木は白に映える炭へ、岩石はとろけた赤い流体へ、強引に在り方を変えられてゆく。
それでいて、何を呑み込もうと竜の勢いは収まらない。
ただ、己に内在する無指向性のエネルギーを破壊のために振るうのみである。
一瞬にして農園一つ分の土地を焦土に変える圧倒的な魔法の暴力を前に、燐は状況確認どころか、伏せて嵐が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。
泥の混じった雨が降る。
大量の蒸気が冷え、巻き上げられた土壌と共に落下しているのだ。
時折落ちてくる穴だらけの石が、水溜りに落ちるたび温度差で割れる。
ブーツに染みた生ぬるい泥水の感触に顔を顰めつつ、スズガモが一歩二歩と踏み出す。
どこからも雷鳴は聞こえなかった。
『流石は武里式札術の専門家、負傷だけで凌いだか。』
僅かに焼かれる前の形を残した炭素塊の上、山威 汽穂は息も絶え絶えとなって横たわっていた。
僅かに露出した顔のみですら、腫れ上がった火傷が見て取れる。
凌いだ、というよりは死ななかった、とでも表現すべき状態だった。
【カチン】
撃ち出された氷の礫に山威が懐から取り出した札を投げつけるも、容易く突き破られる。
やや速度を落とした礫は、それでも山威の右腕を砕くのに十分な威力を持っていた。
『うぐぅあぁぁぁぁっ‼︎ぐっ…くたばってくれっ!』
ろくに狙いもつけていない銃弾が3発、吹雪の中に消えてゆく。
『やはり、隠し持っていたか。そして今、利き手を砕いた…札も銃も、その痺れた左手で扱えるか?【ギガス・ドラ…』
山威が焼けた前を引きちぎり、コートを脱ぎ捨てる。
『灯焆ーーーーー!プランSだっ!』
スズガモが慌てて背後を確認する。
燐が自身の着ていたレインコートを上空に放っていた。
そのポケットに押し込まれた、一丁の拳銃と共に。
(なにを…?魔力の発露は感じない。では…金属かっ!)
山威が投げ捨てたコートに狙いを定め、スズガモの魔法陣が火を吹く。
ラインを断ち切るなら、より近く確実に狙える方に限る。
合理性が最優先たる仕事人ならば、当然の判断だ。
スズガモ程のベテランとなれば、それこそ体が勝手に判断し行動を起こすクセが身についている。
だからこそ、虚が生まれるのだ。
山威がブーツを脱ぎ捨て、折れた右腕をスズガモの首へと叩きつけた。
一瞬呼吸を奪われ、倒れるスズガモ。
気づけば、完全に頸部を抑えられ締め上げられていた。
(折れた腕でどうやって…⁉︎いや、この男結界で無理矢理固定している!)
両腕もがっしりと足で押さえられ点滅し始めた意識の中、それでもスズガモには猶予があった。
たったの数秒、だが深手の魔法使い1人消し去るには十分な時間だ。
『まさか、チョークがラストスペルの魔法使いがいるとは、これは歴史書ものだ。』
『勘違いするなよ、俺は魔法使いだ。らしく戦う。』
スズガモの背中に硬い物が当たる。
特徴的な回転部の感触から、正体は容易に理解できた。
『拳銃…!コートはブラフか⁉︎』
『覚悟決めろよスズガモ・フィンカルカヤァ!俺もそうするっ!起動しろォー!』
破壊を免れた数本の木から魔力が迸る。
程なくしてそれは雷のエネルギーとなり、燐の投げた拳銃を中継し…次の目的地、山威の拳銃へと突撃した。
『失策だぞヤマイ、照準がその銃なら最初に感電するのは…』
『ハハ、何のために高い服と靴捨てたと思っている。オタクとキャンプファイヤーするためじゃないぞ。』
スズガモは気づく、猛吹雪と先程溶かした雪のせいで、全身濡れ鼠となっている自分に。
『あんた、弱い電流でも痛がっていたな。見立て通りなら、体脂肪が…電気抵抗が殆ど無いんじゃないか?…青ざめたな。』
最後の電撃が、組み合う2人の魔法使いに降り注いだ。
『起きて‼︎オッちゃん‼︎死ぬなんて許さないわよ!』
火傷していない方の頬を叩かれ、山威が目を覚ます。
『灯焆…生きていた、というのも妙だが無事だったか…』
『無事じゃないのはオッちゃんだわ!最後の中継地点がオッちゃんなんて聞いてない!騙したわね!』
『お前、少しは自分のやってることのヤバさがわかったか。ざまあみろ。…奴は?』
燐が指差した方向には、頭がシュークリームのように膨れたスズガモの姿があった。
B.B.Cからエリシャがくすねた特殊手錠で拘束され、周囲には陶器のかけらが散らばっている。
『壺は壊して、きつめに頭殴っといたわ。』
『おーありがとうよ。胸がすく。まったく、しんどいたたか…』
山威の視界に炎の柱が映った。
地上から一直線に伸びるそれは、さながら天への螺旋階段のようで、たまらなく不吉な象徴に思えてならなかった。
力の入らない足を無理に動かし、炎の方向へ行こうと急ぐ山威。
数歩でつんのめった体を、下に潜り込んだ燐が何とか支えた。
『重いっ、この細腕には重すぎるわオッちゃん!てかちゃんと寝てなさい!』
『す、すまん灯焆。だが、ゼロは…ラシリアはまだ戦っているっ!状況だけでも把握しなければ。』
『耳元で大声出さないで!わかった、私が連れてくから、大人しくして。あと、多少引きずっても文句言わないこと!』
『恩に着る…』
橇の残骸に山威を乗せ、引きずって坂を登る燐。
亀の如き歩みではあったが、確実にもう一方の戦場は近づいている。
ついに到達した丘の上より、吹雪の奥を見渡す山威。
火傷が、異様に冷たくなった。
時はジクサクALの分断直後、キンキンと響く声で笑う巨竜は、その内に秘めた破壊的なエネルギーを、遺憾無く振るっていた。
高級鎧を鼻で笑う強度の鱗が覆う尻尾は簡単に空を切り裂き、屈強な四肢は煎餅でも割るかのように永久凍土を破壊・隆起させる。
雪崩を塗りつぶすように荒れ狂う意思持つ災害は、もはや誰にも制御不能だった。
『キャハハハハーー!テメェラこのアタシを『分断』したつもりだろーけどぉ、違うのよねー!』
炎の竜巻が吹雪を巻き込み、過熱蒸気の暴風圏を生み出す。
『テメェラゎあ、自分でブレーキ捨てたんだよ、わーかーるぅ?スズガモちゃんがいないなら、アタシとびきり張り切っちゃおーかなぁ?』
喉の組織が焼け爛れ、鋭い歯の間から垂れ落ちようとも、竜の炎は止まらない。
むしろ、気化した血液毒を含んで有害性を増し続けている。
『ぐっ…地面がまるで洪水だ。無茶な出力を…!』
炎を掻き分け竜がゼロを喰らわんと突進する。
血濡れた牙が腹を裂く寸前、翼を全力で振るい体をずらす。
『キャハ!惜しい惜しい。』
燃え上がる雪山の上昇気流を受け、竜が異常な速度で舞い上がる。
熱波を氷の膜で防ぎつつも、ゼロの焦りは増すばかりだった。
せっかく寒冷地に誘い込んだというのに、こうも熱源だらけでは能力をフルに使えない。
いや、それどころか、局所的に45℃を超えている異常環境では、80%のパフォーマンスすら期待できない。
『いやー、どうします天使様。自分、生き物見てる気がしませんぜ。』
シルフの特性ゆえか、極端に炎へ接近しなければ吹き荒れる熱風も平気らしい。
『…地表で戦う。熱の特性上、空中戦を続けるよりは良いはずだ。』
眼下は地獄のように様変わりしているとはいえ、溶け残った雪が点在する程度には穏やかそうである。
『なんか、大喜びで狙い撃ちしてくるだろーなぁってのが見えますぜ。』
『だろうな。ジクサクALがそういう性格だってのは、十分にわかっている。なら…やりようもあるだろ。』
ゼロのハンドサインに合わせて、2人が高度を上げる。
対する竜の目は、無謀にも近づいてくる獲物の姿を完全に捕捉していた。
『キャハッ、着いて来んのかよ〜優しく殺してあーげ…やっぱ止ぁめた!悶えて死ねや。』
竜が喉までせり上がった炎を広角に吐き出し、周辺の酸素を奪いつくす。
だが、炎を吐くため一瞬視界をずらした間に、獲物の姿は忽然と消えていた。
『あ?どこ行きやがった?』
獲物がいた場所に残るのはうっすらとした氷霧のみ。
それもみるみる内に炎でかき消されていく。
『確か…羽虫女の方は血を流してた。臭いを辿…』
炎の竜巻の中から、蒸気を垂れ流す氷塊が飛び出した。
僅かに透き通った氷の中には、覚悟を決めたゼロの顔が覗いている。
竜が首の向きを変えるより早く、氷塊は巨鎚の形へと変化した。
『バカスカ環境破壊をしやがって…だが、お陰で隠れやすかったぞ。氷鎚スリーセブンッ、キングサイズだッ!』
10mはくだらない氷塊の質量が、重力を伴って竜の背に叩き込まれた。
『ぬがっあっ…調子こいてんじゃねぇよ!』
だが、巨竜は堕ちない。
長年生態系の頂点に君臨した身体能力が、つまらない質量攻撃による威厳の失墜を許さなかった。
ムチのような尻尾が振るわれ、ゼロが氷の盾ごと地面へと叩きつけられる。
『ガハッ…あれで堕ちないとは冗談キツいなまったく…だが、今度は受けてやったぞ。』
直接確認はできない(というかしたくない)が、恐らく背中が裂けているだろう。
接合と止血を兼ねて氷を這わせる。
(しばらくは飛べないか…)
次の手に悩むゼロを巨影が覆った。
『うわっ、まだ生きてる。えらーい。で、どうするわけ?その濡れ雑巾みたいなヒンヤリ感で、何しに来たのぉ?』
口元を愉悦に満たした竜に対し、ゼロもまた柔和な笑みで答えた。
『決まっている。ジクサクAL、あんた達を助けに来た。』
沈黙だった。
炎の轟音も泥混じりの雨音も遠くなるほどの、静かな間があった。
『あぁ?何言ってんの、アンタ。』
ゼロが初めて聞く、暗いトーンの若い声だった。
『素の声は初めてだな。何度でも言ってやる、俺はあんた達を助けに来た。もう誰も、文書のために死なせたりはしない!俺のはそういう戦いだ。』
『本当に何言ってんだテメェ、頭イカれちゃったんですかー?』
ゼロが首を振る。
『俺は天使だ。全ての生きとし生けるものを見守り、命を尊べ…そう神より命を賜った、生粋の守護者なんだ。他に理由はいるか?』
『…キャハ、逃げに逃げた末路が空飛ぶ胡乱なピエロなんて、サイコーに笑えるじゃん。』
ゼロが胸に手を当て、ジクサクALを見つめる。
『もう連中に縛られなくていい。あんたにも『本当の自由』を…』
一振りされた竜の爪が大地を抉った。
『キャハハッ、ゴチャゴチャうるせえな。ドブで染めたみたいな羽色のクセに。救済ごっこやりたいなら、漂白剤ぶっかけて出直せよ。』
語気の隅々にまでジクサクALの怒りが溢れかえっていた。
竜が地上に降り立ち、全身の血管が鱗を透かすほどに膨張する。
『アタシは自由だ!気に食わなきゃ誰でも殺すッ、欲しいものは全部手に入れるッ!ゲロクセぇ口でズカズカと…アタシを定義するなァァーーーー!』
ゼロが氷柱の剣を構える。
(頼んだぞ、エリシャ。俺1人じゃ、コイツは救えないっ…)
ずっと奥に、誰にも悟られないよう隠しててきた逆鱗。
無遠慮に触れられたそれは、もはや単なる感情のトリガーではない。
ジクサクALという存在を剥き出しにする、取り返しのつかないスイッチだ。
しかしゼロは粉雪の一粒ほども悔やまない、元より後ろに道は無いのだから。
エリシャがゆっくりと指を動かし、『それ』に触れる直前で止まる。
(やっぱこれ、神経だわぁ。)
彼女が潜り込んだのは竜の背中、丁度翼に付随する筋肉の周辺である。
先程、ゼロの氷塊に紛れて侵入に成功したエリシャであるが、今現在その本懐を果たせているとは言い難い。
彼女の目的は『探し物』である。
体内を勘付かれずに進み、完全な勝利に必要なあるものへ辿り着かなければならない。
もし、それが無かったとしたら…
余計な考えを頭から振り払い、エリシャがそっと体を動かし始める。
(結構無茶ですぜ天使様…生き物の体がどんだけフクザツか…)
神経も血管も、体内には網の目のように張り巡らされているし、筋肉や脂肪だった一枚岩ではない。
悪くすると、実にバリエーション豊かな内臓器官にまでぶち当たるのだ。
その全てに気を遣って、あるかどうかの裏付けさえ取れていないものを探す…気が遠くなる話だった。
(また神経…これ既に八方塞がりってやつでは…)
突如として体全体が傾き、振動する。
(ヤバい、動き出した。さっさと見つけないと…天使様がっ!)
1人でに先へ行きたがる気持ちを抑えつつ、カタツムリよりもゆっくりと動く。
どうしようもなくもどかしい、しかし彼女は鍵である。
完全な勝利へ向かう門戸はここにしか無く、またそれを開けられるのもエリシャだけなのだ。
竜の1掻きが大地に3本の災いを刻む。
何度も何度も、お気に入りのおもちゃを転がすように。
だが、今のジクサクALに遊びを嗜む余裕は無い。
頂点にまで上った怒りが、どこにも降りていかないのだ。
鞭のように首を振り回し、岩より分厚い鱗を消し去るべき対象へ叩きつける。
黒い羽を混ぜ込んだ氷の盾が、飴細工のように引き裂かれる。
『キャッハーー!ムダムダ、そんな小細工しか無い能無しなら、素直に死ねばー?』
乾いた音と共に180°オーバーに開かれた竜のアギトを、一対の凍りついた翼で防ぐ。
だが、僅かばかり厚みが足りなかったらしい。
骨と牙が触れ合う不快な音と共に、鋭い痛みがゼロの体を駆け抜けた。
『ぐっ…やはりそうだ、力が弱まっている。自分でも気づいて…』
竜の喉奥に炎が灯る。
『しつけーんだよ‼︎消えろッ!』
噴き出す炎、同時に竜の口内が爆発し、巨体が地に倒れた。
柔らかい物に埋まる感覚、火傷に染み入る雪の冷たさ、遠くへ行きかけたゼロの意識が舞い戻る。
雪を掻き分け外へ顔を出すと、目の前には未だ悶えている竜がいた。
ゼロは炎を浴びる直前、自身を極低温の氷の鎧で覆っていた。
それが炎熱を受け、一瞬で1000倍以上の体積へ膨張する。
さしもの古竜も体内への水蒸気爆発は堪えたか、立ち上がることすらできない様子だ。
(やはり…釣れたか。ここまでの反響は予想外だったが…持ってくれよ我が翼ッ。)
この作戦において、ゼロのできることはほぼ終了している。
後は、どれだけジクサクALの意識を惹きつけられるかだ。
幸いにして、ゼロは彼女の抱える爆弾を踏み抜いたらしい。
だからこそ、先程は手痛い一撃を与えられた。
願わくば、このままダウンし続けていてくれれば…
竜がまるでスイッチ制御の電気回路のように、いきなり立ち上がった。
『そう上手くはいかないよな…ハッ。』
しかしどこか様子がおかしい。
4本の脚で堂々と仁王立ちしているにも関わらず、竜の首はまるで柳のようにしなだれ、その瞳孔は開き切っている。
牙の隙間から垂れた赤い泡が、口内の粘膜を巻き込んで凍っているところを見るに、殆ど意識を失っているようだ。
『キャハ、満身創痍って感じでかわいそー。でもごめーんね、ぜーんぜん痛くないの。アイスティーでも淹れてくれたのかしらー⁉︎』
項垂れたまま喉を震わせる竜を見て、ゼロは確信を得た。
『そうか、胸くその悪くなる最低の想像だったが、当たってしまったか…尚更、放ってはおけないな。今助けるぞ、貴女という『人間』を!』
竜の前脚が大地を摺鉢状に圧壊する。
『イカれてんのかこのゴミ野郎がアァァァ!何様のつもりだゴラァ!アタシがアタシのアタシを肯定シテンダヨッッ‼︎口だけ回んならまずソイツを食いちぎってやる!』
頭が割れるようなその咆哮をゼロは真正面から受け止める。
ようやく、始まった。
『天使』を遂行せよ、仲間に応えよ、そして何より…己の涙さえも恐れる彼女を救い出せ。
全体重を乗せた竜の体当たりが斜面そのものを抉り取る。
もはや、ジクサクALにとって竜の首は肉の鞭以外の何物でもないらしい。
体当たりを躱したゼロに向けて、めちゃくちゃに振り回された首がその証明だ。
その角も鱗も、大地を打った程度で摩耗することはないし、首そのものが折れての自滅もおそらくはあり得ないだろう。
ゼロにできることは、1秒たりとも気を抜かず、エリシャのチェックメイトを待つことだけだった。
『安心しろっ!貴女が不自由無く生きられるよう、手を尽くすっ!』
激昂も頂点に達したか、ジクサクALはもはや声に答えない。
僅か数秒で大地に10本以上の傷が刻まれる。
岩も木も氷も蹂躙され、ゼロの体に青痣が増えてゆく。
怒りに任せた猛攻は嵐の如き、しかしその単調さ故に直撃は避けられ、ゼロは生き延びている。
とはいえ、圧倒的と称することすら控えめな体格差、押し切られるのは時間の問題だった。
竜の尻尾が振るわれる。
その先端は音を置き去りにしていた。
ちょっとした丘のような氷塊が砕かれた直後、大口径の空砲のような音が響く。
全身を叩く衝撃波は手当たり次第に毛細血管を断ち切ったらしい。
ゼロの視界が赤く滲んだ。
『テメー如きペテン吐きのゴミムシが足掻こうが、何も変わらねぇンだよ!カス共の世界もッ、アタシもな!』
竜が踏みつけた氷が、ガクンと沈んだ。
『陥没っ、いや霜柱⁉︎』
『止まれジクサクALッ、ブラックモンブラン‼︎』
霜柱に隠された黒い氷が拡大し、竜の前脚と首を押さえ込む。
だが、遮熱性抜群の鱗と血が煮えたぎるような体温が、氷の拘束を無意味へと帰する。
『バ〜カ、こんな鼻紙みたいな枷で何ができるって…っ‼︎』
竜の動きが止まった。
硬直、ではあるが緊張はしていない。
ゼロの気持ちがほんの少し緩む。
『間に合ったか……ありがとよエリシャ…』
ジクサクALの今の思考に、体を動かすリソースは残されていなかった。
彼女が意図したことではない、あまりに突然差し迫った緊急事態に対し、半自動的に作動した防御機構である。
(悪い夢だろ…?なんで、このアタシが気づかなかった?なんでこの羽虫女が潜り込んで、どこにも違和感が無かった⁉︎)
神経にも直接触れているからだろうか、エリシャ・ラシリアの口から出た言葉は明瞭にジクサクALの奥深くへと届いていた。
『見つけたぜ〜、やっぱ天使様の予想通りだった!』
エリシャがジクサクALへ突きつけているのは、ネズミすら仕留められるか怪しい手刀である。
だが、対象を縛るには十分だった。
なぜなら、ようやく辿り着いたジクサクALには、脳以外の器官が存在しなかったのだから。
いや、正確に言えば脳の下に接続された器官は生命維持のための最低限の装備だろうし、脳自体も弾力のある卵白のような半透明の層に包まれている。
しかし彼女は、そのほかの一切を持っていなかった。
目も、口も、己を守る骨格さえも。
脳から伸びた神経のようなものが、慌ただしく輝き、周囲の組織と接続している。
ジクサクALは、他の生物を操ることに特化した生命だった。
『育て親』の手により機能外の余分なものを取り除かれた体は、彼女が一人で生きていくことを不可能にしたが、同時にあらゆる生物を意のままに操る力をもたらしたのだ。
『しっかし、マジにやるかねこんなコト〜。ドン引きだぜ〜。おっと動かないでよ、自分もグロいことはしたくないんで。』
(どうやって、アタシに近づいた?テメェが体内でちょこまかしてんなら、探知できるはずだけど。)
同化している神経を通して、ジクサクALの問いが直接体内へ流し込まれる。
他人の声が骨を伝わる感覚に身を竦めつつ、エリシャは答える。
『自分、ガンガゼちゃんに言われてから考えてたんでさ。自分はこの世にあるどんなものとも一つになれる、どんな混ぜ物でもそれを歪んだ色眼鏡で一つの物質と認識すれば、そうあることができる……なら、混ぜ物の中の一つを深く考えたら、『それ』だけを区分することもできるんじゃないか…って。』
(そうか、テメェが今紛れ込んでやがんのは組織液、か。竜(アタシ)そのものじゃあない。神経も筋肉も、そこにソイツがいるのを疑問にさえ思わない。そういうことだよな?)
『あったりぃー、んでどうする?次は自分でも乗っ取ってみる?』
(なるほど、アタシの秘密を探った身の程知らずは始末したいし、一石二鳥かもね。けどなぁ、『ナイト』の存在を忘れちゃダメだぞー?)
得意げなエリシャの右手に強烈な熱と痛みが走る。
その手には周囲の組織を巻き込んで一対の刃が食い込んでいた。
(キャハ!やっぱアタシって大天才、こうなるのを見越して護衛をつけとく先見性よねー!)
どこに潜んでいたのか、猛禽の嘴にも似た刃の持ち主が、8本の腕をくねらせてエリシャに立ちはだかっていた。
『よし、これで最後の足も固めた。これでテーブルについてくれるといいが…』
微動だにしない竜の四肢を氷で固定し終えたゼロが顔を上げる。
炎の竜巻はすでに消え去り、少し弱まった吹雪が竜の背をうっすらデコレーションしつつあった。
(…翼も凍らせとくべきか。)
ゼロが飛び立った瞬間、すれ違うように地面へと転げ落ちる何か。
竜の胸部付近から出てきたそれは、半分取れかかった腕を庇い呻くエリシャだった。
『な…エリシャ!大丈夫か⁉︎』
『へへ…しくじっちゃいましたぜ、天使様…あの時のタコ、まだ飼ってたみたいでさ。ぐぅ…』
みるみるうちにエリシャの腕が黒炭の色に変わっていく。
明らかに毒の作用だった。
『速やかに毒と…』
『同化するしかねーでしょ?キャハ!』
ジクサクALが活動を再開した。
そう認識するより早く、ゼロは地面に叩きつけられていた。
口の中が血と泥由来の鉄臭い感覚で満たされる。
目障りな羽虫を叩き落としたジクサクALが、竜の尻尾を振り歓喜の声を上げる。
『キャハハハハハッ!ざまーみろゴミクズが!ほらほら、命乞いの一つでもしてみれば?アタシちゃん、ゴキゲンになって見逃してあげるかもよー?』
ゼロは立ち上がる。
恐らくは横腹に尻尾の一振りを受けたのだろう、体内で何かが忙しく崩れていくのを感じる。
だが、ゼロは自身の痛みなど気にしてはいない。
いかなる状況であろうと、天使は真に痛みへ喘ぐ者に笑みを向けなければならない。
『貴女は、強い。涙の流し方さえ封じて忘れ込めるほどに。だからこそ助けが要る。』
差し伸べられた手にジクサクALは激昂した。
『そりゃ、自前の目もねぇアタシをおちょくってんだな?ふざけやがって。もう、遅いんだよ!!!』
竜の体温が一気に高まり、足を覆う氷が弾け飛ぶ。
どうも鱗の内側を凍らせるまでには至っていなかったらしい。
その首は未だ垂れたまま、エリシャの出てきた位置から察するに、ジクサクALの本体は胸部付近にいる。
ゼロの頬を伝った汗が小さな霰となって地面に落ちる。
覚悟を締め直せ、これは救済の戦いだ。
彼女を彼を、そして何より天使としての軸をズタズタに折られ、蹲ってしまった自分自身を引っ張り上げるのだ。
その後のことなど、その後考えればそれでいい。
山威 汽穂は、感謝してしまっていた。
己の相手が、理性を備えた人智の範疇であったことに。
見下ろした先に広がっていたのは地獄だった。
山は抉れ、谷は崩れ、樹々だったものが灰燼と化す。
毎秒地図が変わり、天気は1秒たりとも定まらない。
地面に溜まる濁った雪解け水が炎の色を写し出し、大きな血溜まりに見えた。
『馬鹿げている…これを、たった一頭の竜が…そうだ、奴はどこに…』
爆発と共に大岩が宙を舞った。
なぜ、など考える必要も無い。
結界から双眼鏡を取り出し、その方向を確認する。
死んだように首を垂らした竜が、体を震わせながら暴れ回っていた。
(声は聞こえないが確信できる…奴め、笑っているな。)
その暴力の標的もまた明らか。
(ゼロ…抱えているのはラシリアか⁉︎作戦は失敗…ということか…っ‼︎)
『こら、この重傷患者!Dr.リンに無断で動き回っちゃダメでしょ!』
『灯焆、術式を組みたい。残り何枚持っている?』
『ごめん、2枚。他は全部貼っちゃった。』
『気にするな、十分だ。』
山威が一枚の札を握りつぶすと、魔力を伴った光が周囲から引き寄せられ始める。
あるものは雪の中、あるものは木のうろ、あるものは沈没しつつあった泥の底から。
結界術使いは、その解除用の機構を用意できてこそ一人前である。
『53枚…ダメだ、足りない…ッ。』
原因はスズガモの魔法である。
本来であれば、自身の手札と戦闘中に起動しなかった札を集め、一点集中した大出力をもってゼロを援護するつもりだった。
だが、実際は多くの札がスズガモの魔法で誘発させられ、また地形そのものの変化で破壊されて、既に使用不可能となっている。
手持ちも防御用の結界で使い切ってしまった。
最初の遭遇時を思えば、今の手札で出せる威力がかの竜鱗を貫くとは、到底考えにくい。
しばし迷い、山威は心を決める。
『未完成の理論を実戦の場に持ち込むなど、まこと恥ずべき魔法使いだ。元々外道の魔法使い、それも似合いかもしれないが!』
『オッちゃーん?急にブツブツ言い出してどしたの?まさかもう意識が!』
『無問題だ灯焆、全くもってだ。…カケリカケリコリシシュウバク 札よ、我が視程の限り正しき道を成せ。』
二列に並んだ札が山威の前方に平行線を作り出す。
それは新進気鋭の鉄道会社が敷いたレールにも、武器庫に整然と並んだ一般兵用の槍にも似た、奇妙な陣形だった。
藍染式札術を知る者なら、よく知りたる系譜の未知なる術式に知恵熱を出すこと必至だろう。
『あんた最近どんな本読んだ?』
独居房の中だというのに、その女は本に囲まれ寝そべっていた。
おそらく、普段からそうしているのだろう。
女の服は肘の部分だけが擦り切れていた。
『え、いやまあ魔導書などを…』
牢の前に立った山威の姿を確かめることもなく、女はページを繰る。
『フーン、なんで?』
『…私は魔法使いの山威 汽穂、流派は武里式札術の藍染流。さる事情から力を欲しています。是非、歴史に名高き貴女の知恵もお借りしたい。理由はこれで十分でしょうか、Ms.メリノ・グミ・イルカンテス。』
メリノ・グミ・イルカンテス、それはかつて爆裂魔事件と呼ばれる大規模破壊を起こした、『八尺メリー』その人である。
世間ではとうの昔に処刑されたとされており、山威自身も独房の名札を見るまでそう認識していた。
だが、相対し理解する。
まるで、爆薬輸送中の船が凪の海原に閉じ込められているような、苛烈を秘めた静けさが房を満たしている。
その中心で溜め息を吐く女は、澱みなく厳かな狂気を纏っていた。
『誰が名乗れと?まぁヒマを持て余してここまで来た以上、手ぶらで帰すのもつまらないわ。助言の1つでもくれてやりましょう。魔導書なんぞ暖炉に突っ込みなさい。以上。』
『ま、待ってくれ!報酬は弾む!貴女程の強力な魔法使い、鍛錬や研究法に秘密を持っているはずだ!教えてくれとは言わない、ヒントだけでも…』
『やかましいわねぇ。呪文と札じゃスタイルも違うしぃ、だいたいあんた、飢えてないのよ。』
『はぁ、幸いメシは食えているが…』
『聞いてないわよ、まぬけ。身体的エネルギー収支の話じゃなくて、精神の話。智を求めるなら、どうして他を喰らわないの?』
『他…確かに呪文法への造詣など、まだ浅いところは…』
メリノが首の向きを変え、山威を睨みつける。
『その考えこそ妥協の満足、性根から暖衣飽食なのかしらね。飢えて飢えて胃液が心を溶かす痛みに悶えなさいよ。有機化学でも恋愛小説でもポルノ雑誌でも風土記でも、なんでも読んで、一欠片でも響くモノがあるならツギハギするのよ。誰が魔法に純潔を強いるの?目を逸らすな、あんたの言語中枢が震えているわ。』
そこからは外に関する世間話と、ちょっとした言伝(拒否権無し)を押し付けられただけだった。
師と呼ぶことが憚られるほど短い会話、しかしそれは魔法使い山威 汽穂の精神に透き通った何かを与えていた。
(あえてこう呼ぼう!師よ、感謝するっ。貴女の言葉が無ければ、この術へは辿り着かなかった‼︎)
札で形成されたレールが強固に接続し、山威が銃を形どった指を一端に差し込む。
それは、逃走中に読み耽った内の一冊にあった、兵器を模した形状。
本によれば、それは電流の作る磁界を利用し弾丸を飛ばす、新時代の兵器案とのこと。
だが同時に、一台を動かすのに城下町全てを風車にしなければならない、腕白な『大飯食らい』である。
と、皮肉たっぷりに紹介されていたそれに、山威 汽穂は道を見た。
スパークに目を奪われていた男が、気付いたのだ。
電気そのものの新たな一面に。
照準はすでに合わせられ、53枚の札が淡く光り始める。
術式の発動までほんの1秒も要さない、万全の体制ができていた。
だが、山威は引き金を引けない。
この新たな術式をもって尚、山威には『足りない』という確信があった。
問題は出力ではない、摩擦だ。
山威の想定する弾丸は、先ほどできた空薬莢。
弾としては使えるが、あまりに薄い。
発射時の莫大な熱で変形し、容易に空中分解してしまうだろう。
そんな豆鉄砲のようなものが当たったところで、きっとジクサクALは気づきもしない。(気付いたら気付いたで、喜んで狩りに来るだろうが。)
銃そのものを弾に使う…のも現実的ではない。
弾が砲身たる札に対して大きすぎる。
暴発して術者自身が吹き飛ぶ、それはいい。
未完成の理論である以上、不定のリスクは呑まなければならない。
それよりも判断を誤れば、不意打ちという最大のアドバンテージを失うことを考慮しなければならない。
2発目などは考えられないし、仮にできたとしてもそれを許す相手ではないだろう。
絶対に外せない、故に撃てない。
そう躊躇する山威の視線の先、竜の後ろ脚に触れたゼロが地面に転がった。
『灯焆ッ!観測手(スポッター)を頼む。それと、この周囲を徹底的に冷やしてくれ。いや違うな。Dr.ガンガゼに倣って言うなら、この弾と砲に、決して熱を生ませるなァァ!とことんまで冷やせェーーーー!』
レールの間に空薬莢をセットし、山威が地に伏せる。
狙いは一点、竜の前脚だ。
瞬時に下がる気温。
周囲の大気が静寂を刻み、唇が割れたことを自覚する。
『もっとだ灯焆!より強く、より低く、とことんまで冷やし尽くしてくれっ!』
山威の手元から何かが転げ落ち、燐の視線が反射的に向けられる。
それは、凍りつきひび割れた紫色の二本指だった。
『オッちゃん!指っ!』
『何も気にするな灯焆!徹底的に…あ、来た。』
札からの光が無くなり、微かに聞こえていた線香花火のような音も鳴りを潜める。
不完全な術式の中で、準備が整った。
『再現性のカケラもないってのは、魔法使いとして大いに遺憾だが…ひとまずは名付けよう。藍染式…いや、【山威式 氷麗添華電磁砲】』
一瞬、などという冗長な時間はかからない。
山威が念じると同時に、術式は仕事を終えていた。
小枝のように舞う竜の脚を2つの眼で認識した直後、ジクサクALはつんのめるように地面へと倒れ込む。
四肢が1つ欠けたのだ、即座に対応できる生物はそういない。
傷口からの痛みのシグナルと、どっちが早かっただろうか。
天使ゼロ・ゼロが、焼けた傷口に手を翳していた。
『やっと、中だぞ。…ラクトファミリアッ』
強引に動かされ続け疲労の溜まった竜の体は、容易に熱の奪取を許してしまう。
急激に鱗へ霜が降り、そのまま軋む氷塊へと包まれていく。
代謝を引き上げるも体温は下がり続け、ジクサクALは体内で必至の避難を強いられる。
気づけば隣には昏睡状態の竜の脳髄、それはそこがもう行き止まりという印だった。
『こんのクソカスがぁー!アタシを…!』
咄嗟に頭部を操り、ゼロに噛みつこうと試みるも、放置された口は血と唾液で自然に凍結しており、ただ虚しく首の伸びるばかりであった。
『こうなりゃテメェの体を貰うっ!光栄を噛み締めろ!デク烏が…あ?』
ゼロは、一切の抵抗を見せていなかった。
まるで、そうすることでジクサクALが救われるならそれでいい、そう言うように両手を広げて立っていた。
その目は、ジクサクALが初めて見る温度を持っていた。
『なんだ、なんなんだテメェはよぉ…!』
『よくがんばった、天使ゼロ・ゼロが今、助けに来たぞ。』
氷が竜の首を這い上り始めた。
『アタシは…一人でメシも食えねぇ、睡眠ですら外部制御されてて。それどころか、外に3時間もいりゃ勝手に死ぬ。テメェがご大層な理想語ろうが、アタシはこうとしか生きられないんだよ。リモコンのボタン一個でそれっきりなんだよ。』
何者にもなれる無能者が、甲高い声で嘲笑う。
竜の鼻からずるりとジクサクALが現れた。
まだ数本の神経を繋いでいるのか、竜の喉が震える。
『何が救済だ。現実見てからモノ言いやがれ。おい、言えんのか?この剥き出しの粘膜とシナプス見てェ、おんなじことが言えんのかぁ⁉︎』
ゼロがジクサクALの凍り始めた脳を抱え上げ、羽根で包む。
『約束する。俺は天使だ、貴女が…ジクサクALが望む限り祝福しよう。勿論、拒む自由もセットでな。』
『体温、高いな。…………………本当に、遅すぎんだよ。』
ジクサクALが氷に包まれ、活動を停止する。
勝利の余韻、というほど小気味良いものではない。
ただ、後を引く何か失ったような感覚に浸かって、ゼロは竜鱗に積もる雪を見つめていた。
『ヤマイ、さっきの援護には助けられた。ありがとう…病院へ行くぞ!』
山威の欠けた手を目にし慌てるゼロ、対する当人は呑気なものであった。
『ああ、結構だ。指そのものが凍って取れた以上、どうあがいてもくっつかん。まぁこの火傷は勘弁願いたいが、悪人ヅラが酷くなる。』
『そうよ、オッちゃんはこれから片足が竜の男として、足跡を刻んでいくのよ!』
前向きすぎる見解に山威が苦笑する。
『もう少し気にしてくれてもいいんだぞ灯焆〜。ともかく、お互い命は拾ってるようで何よりだ。ラシリアは?』
『ダメージが深い、まだ眠っている。毛布はまだあるか?』
『いや、橇ごと壊されてしまった。シルフゆえ低体温症の恐れが無いのは幸いだが。』
『そうか…一刻も早く移動したいが…』
山威が引きずってきていた袋の中身がもそもそと動き出す。
『む、目を覚ましたか。待ってろ、今開ける。』
袋の中から出された男は、まず雪の明るさに目を細め、次いで自分の置かれた状況を悟った。
『彼女も…負けたか。殺しておけ、木端の工作員たる私をいたぶっても出るものは無い。まったく、いたく残念だ。』
縛られた魔法使いスズガモが目を閉じる
『潔すぎるぞ、あんた。安心しろ、誰も命は奪らないし、搾り出せるもんもある。』
『そうそう、例えば…カタミチ屋との繋がり方とか。裏社会の奥の奥、ミッドナイトゾーンのこととか、洗いざらい吐いてもらうわよ〜。』
スズガモが首を振る。
『同僚の平穏を乱したくはない。口を噤ませてもらう。それに……もうどうせ生きる意味もなくな…』
『メリノ・グミ・イルカンテスなら、殺されはしない。と言えば?』
山威の言葉でスズガモの落ち窪んだ目に光が戻る。
『どこでそれを?』
『又聞きだが、B.B.Cの所長が言っていたそうだ。『ある魔法使いが、キミの助命嘆願のためにカタミチ屋になったんだって。泣かせるねぇ〜。』だと。』
『その通りだ、私は所詮初恋相手を忘れられず、外道に相応の裁きを受けさせない卑怯者だ。』
『いや、そこまでは言ってねーぞ。…あんたも愉快な大ボケの手の者なのか?』
ゼロが呆れたように首を振る。
『…本題はここからだ。彼女が生かされた理由は、魔法使いスズガモに報いて…というわけじゃない。もっと単純、彼女が稀血だったためだ。』
『稀血…確かに、昔から彼女はどんなに誘っても血液型占いをしてくれなかったが…』
『ゼロ、やっぱコイツ撃っていいか?ダメ?そうか。結局、彼女は毎月一定量の血を抜かれることを対価に生かされ続けている。あんたの生き死には作用しない。』
『ありがとう、ヤマイ オチボ。それだけ聞ければ十分だ。さあ、1発で頼む。』
厳かに手を広げたスズガモの脇腹を燐が蹴飛ばした。
痩せた体が茹でエビのように曲がり、声にならない悲鳴を添えて転げ回る。
『黙って聞いてりゃてめー!そんなポンポン死のうとするんじゃないわよ!ほんと、どんだけつらいかも知らないくせに舐めてるわ、ブジョクよブジョク!』
『も、申し訳ない?』
『ダメダメ!疑問形許さないラリアットぉーー!』
スズガモの体が微妙に宙を舞う。
心配になる軽さである。
『…とにかく、あんたにはこれから生きて…差し当たり食事をちゃんと取ってもらう。俺は天使だからな、しっかり見てるぞ。』
『それ、最高ね。なんたって、うちの大事な宮廷魔導士だもの。』
スズガモの額に皺が寄る。
『宮廷魔法使い?それはどこの…いや、まさか…『それ』なのか。世界を敵に回してまで、文書を持ち逃げした目的は…そのやらかしに、このスズガモも巻き込むつもりなのか⁉︎』
『心踊るでしょ?いずれあなたの銅像も建ててあげるわ!どうせやけっぱちならその命、我がリンリン王国のために使ってみない?』
3秒で考えたような(実際そう)王国名と野望の前に、スズガモが座り込む。
寒いのか、恐ろしいのか、あまりに酷いネーミングに気絶したのか…
とにかくそれを、燐は臣下のポーズと受け取った。
『決まりね、精々栄養つけなさい!』
『早速で悪いが、最初の仕事を頼みたい。あんた含めここは治療が必要な者だらけだ。教会病院のある西の集落まで俺達全員を運べるか?』
スズガモが雪の中に埋まった木を指差す。
『少し、掘り出してはくれないか。後、この手錠も解いてもらえれば。「魔力吸引鉱」が埋め込まれているだろう。』
手錠はともかく、木を掘り出せとは奇妙な頼みである。
ゼロが氷の柱で突き上げるように木を掘り出す。
手錠を解かれたスズガモが樹皮を観察し、徐に一点を引き剥がす。
スズガモは、そのまま傷ついた箇所を舐め始めた。
一心不乱に、脱水症の犬のように、ペロペロと。
『どうしたんだ、スズガモは。』
『松脂を食べている。油を即座に魔力へ変換できる体質ゆえ、これが一番手っ取り早い。誰ぞに油壺を割られてしまったゆえ。』
ありがたくも本人からのお返事である。
『そうか…論理的な行動なんだな。絵面以外は。』
その奇行に、一行が仲間に引き込んだのを後悔していたおりのことだった。
スズガモが立ち上がり、ゼロ達の方を向く。
『見苦しいものを失礼した。だが、これで当面の魔力は工面できるだろう。』
スズガモが指を鳴らすと、ゼロ達の体が浮かび上がり、吹雪の中で静止する。
『速度は控えめでいくぞ、頼りはコンパスのみの悪条件だ。それに、あまりスピードを出すと寒い。』
『待って!駆け込み乗車よ!』
燐が笛を吹くと、逃げ隠れしていた毛鰐が四方八方から集まってくる。
例え危険が去ったとしても、呼ばれなければわざわざ彼等は動かない。
『それと、そいつらも頼む。かなり重くなっちまうが。』
『構わないが…いや、そういうことか。我々は幸運だな、ジクサクAL。』
ゼロの指した氷漬けの竜の中に別の魔力があることを確認し、スズガモが目を細める。
全ての役者が浮かび上がった。
『では向かおう、上着の着込みは十分か。』
奇妙な編隊が、西へ向けて発進した。
『それで?まさかこの大人数で珍道中を演じるわけにもいかない。どうするつもりだ?』
ゼロが答える。
『あんたには着いた村の近くで、ジクサクALと餐禍ちゃんを守ってもらいたい。』
『失敗者達の隠れ里、か。他にやることも無いし、心得た。』
『安心しなさいよガモっちゃん、準備が整ったらすぐ迎えに行くわよ。』
『期待せずお待ちしていよう。』
『それにしても、もう宮廷魔導士が2枠埋まったぞ。ちょっと人員過多になるんじゃあないか?』
『大丈夫よ、オッちゃん。次の職は斡旋するわ!』
『真っ先にリストラだと⁉︎』
燐が山威を揶揄い出し、日常を満喫し始めた直後、自前の翼で飛ぶゼロがスズガモの横へと接近する。
『ありがとう、危険な仕事だがよろしく頼む。』
『敗者に口無しだ。それに、常冬のここは引きこもるのに都合がいい。地元でしか知られない道や気象がそのまま防壁となる。』
『…それでだな、礼といってはなんだが、リンは国を興したその時は、メリノ・グミ・イルカンテスを招くつもりらしい。』
スズガモが唾を呑む。
『俺としては、罪人には相応しい償いがあるべきだと思うが…あんたには世話になるからな。』
『そうか、そうかい、これは失敗できない、するわけにはいかないか。人生一の大仕事になりそうだ。』
スズガモの痩せこけた顔に赤みが戻る。
この日、2人の人間が救われた。
同時に、天使ゼロ・ゼロは帰ってきたのだ。迷わず救いの手を出せる、天使としての自信を取り戻したのだ。
ドス黒い任務で溺れかけていた自分をも救済し、晴れやかな気分で仲間を見る。
善きことに、各々が何かを得た顔をしていた。
気持ちを新たに、ゼロ一行は進む。
いつの間にか、向かいからの吹雪は止んでいた。
小太りの男が鬱陶しそうに棘を払いながら森を奥へと進んでゆく。
その顔には直近のストレスが如実に現れており、豊かなその腹も比例して萎んでいた。
不運にもスリに会い、現在の騒動が続く原因となっているこの男、名をシボリ・カラカネというミクラミ王国の中堅貴族である。
本来なら鬱蒼とした森林などとは縁のない彼が、何故大汗をかきながら歩いているのか。
答えは、男が片手に抱えた瓶を『献上する』ためであった。
つい最近古木が倒れたのだろう。
若木がポツポツと生える広場に、『それ』はいた。
『ぬ?シボリか。いつもご苦労じゃのう。』
『いえいえ、程よい運動でございますよ。ウィズダム卿。』
安楽椅子に乗り、ゆらゆらと揺れる少女が軽く会釈する。
『相変わらず仰々しいのう、分相応にクローチェと呼んでほしいわい。しかし、定例面会にはちと早くないかの。まだ14回しか夜はすぎておらん。何か厄介事でも持ち込んできたかのう?』
目的を見透かされつつも、シボリは動じず話を続ける。
『流石ですな。実は、卿に折行って依頼が。この写真の4名を始末してもらいたい。』
顔の前に突き出された写真を、クローチェがじっと見つめ首を振る。
『いかんのう、今日は調子が悪い。』
手袋が近くの枝にかけられた眼鏡を取り、クローチェの顔へと装着する。
『ふむ…魔力を浴びてみんことにはなんともじゃが、面倒じゃのう。』
シボリが持ちこんだ瓶を椅子の前に置く。
『こちら、前報酬の「シロムクギク」の精油です。貴女の髪質に最もよく馴染むはず…なにとぞ、お引き受けいただきたく……なにとぞっ!』
『やめんか、土下座されても儂にゃよく見えんからのぉ。儂に話が回ってくるほど死んでもらわねばならぬ相手なのじゃな?ふむ…まぁいいじゃろう。最近座布団が古くなってきた。なるべく腰の痛まん奴に新調しとくれ。それを報酬としよう。』
シボリが顔を上げ、安堵の色を浮かべる。
『かたじけないっ…すぐに職人に命じ作らせましょう。』
『なるはやでの。それと、条件が1つ。彼等と闘う舞台はお主らで設定しとくれ。なるべく暑くも寒くもない、ちょうど良い湿度の場所で頼むぞ。あと、煙たいのも日差しが強いのもイヤじゃ。』
『わかりました、追い込みはこちらで。』
深々と頭を下げ去ったシボリが10m離れた途端にどんな悪態をついているか、彼女には知る由も無ければ興味も無い。
今の最重要は男の置いていったオイルの効果である。
4枚の手袋が躍動し、瓶の中身を長い髪へ丁寧に撫でつけてゆく。
お気に入りのサラサラした服に垂らさないよう、慎重に慎重に…
程なくして、己の合格点を得た彼女が椅子ごと空へと舞い上がる。
空気と髪の触れ合う感触を確かめるように、彼女は踊る。
その座からはレース飾りのスカートだけがはためいていた。
過去最長を更新しちまった、詰め込みすぎなのだ。
あと新規の魔法一気に出すな、後書きやる時のことを考えんか。
登場人物
シボリ・カラカネ
原初のスリ被害者。
ミクラミ王国の地方領主にしてカラカネ家本家の実力者。
文書奪取の責任を問われ、ここぞとばかりに失脚させられかけている。
クローチェ
かつて黒子鷺で行われた『神性到達実験』の被験者だったが、施設を破壊して逃走しミクラミ王国の森に居着く。
以後、カラカネ家と生活の面倒を見る代わりに暴れない約束を結ぶ。
ウィズダム卿とはミクラミ王国から勝手に与えられた称号、あまり気に入ってない。
用語集
チャンカニヤ南部鉄道
チャンカニヤ大陸南部にレールを広げる大手鉄道会社。
自社で近場に炭鉱を所有しているため、コストを抑えられるのが強み。
メイムーナ楽団
スタージョン皇国皇帝直下の名門音楽団。
結成より300年の歴史あり。
マジェラン公国
極寒の地として有名な国であり国土の80%を永久凍土が覆っているとする説もある。
最低気温は寒期で-89℃を記録した。
数日間だけ夏と呼べる時期があり、大洪水と大量の生命の発生が風物詩となっている。
毛鰐橇
チャンカニヤ大陸の一部地域で使われる、毛鰐に引かせる橇。
たとえ乗り手が死んでも毛鰐は勝手に元の場所へ帰るため、安心!
ゴロミャンカ
マジェラン公国南西部に位置する雪原。
起伏が激しく、不慣れな者が行けば雪崩の危険大。
毛鰐
寒冷地に生息する肉食性爬虫類。
大きな鱗の合間に長い角質の毛を持ち、基本何でも食べる。
顔つきがちょっと似てるだけで別にワニでは無い。
ヨール・アクロ・マ・バザリオス
翼持つ者の飛行性能を劇的に強化する呪文。
隕石の真似事すら可能にする。
バラフロル・ベル・プロトン
炎を帯びた細長めの魔力障壁を作り出す呪文。
カチム・タズグル
サメの顎のような氷を作り出す呪文。
グラーラ・マキゴンガ
大地そのものを螺旋状に絞り上げる呪文。
アースラ・リバラル・ブロア
2つの魔法陣から旋風を発生させ、合成する呪文。
ペタバチナ・カトル・マ・リューガロン
電気エネルギーだけからなる竜のカタチを召喚する呪文。
山威式 氷麗添華電磁砲
山威 汽穂が藍染流札術の発展系として生み出した術式。
札の枚数と冷却手段を備えれば、一回限りで自身の限界を超えた威力を生み出せる。
魔力吸引鉱
世界中の鉱山で普遍的な副産物として掘り出される鉱石。
周囲の魔力を取り込んで結晶化させ、自身の体積を増していく。
シロムクギク
深山に生える白い花。
葉が白い毛に覆われ垂れ下がることが名の由来。
エキスはある種の魔法薬の副作用を抑えるために使われる。