田村・スマラグディナの憂鬱   作:ガチャピン三世

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書いてあるのはここまで。


多治見警部補の事件簿

ネオフゥトシティ、ネオフゥト警察署。

かつては美しい風の通る町と呼ばれたこの土地も、前世紀からの環境破壊の波に飲まれ今は見る影もなく、重苦しい光化学スモッグに小さなうねりを与えることで精一杯の風しか吹かない。

町のシンボルたるカゼ・グルマもその姿をなくして久しく、ネオフゥト警察署の正面に据えられた、赤錆びたエンブレムにその影をようやく見つけることができる。一世紀以上前の警察署長が市井の友人と作ったエンブレム、と伝えられるそれは、目のついたカゼ・グルマの後ろに、WとAのアルファベットが配されている。これについては、21世紀末に起きた国家の解体と、それに伴う警察機構の再編による混乱で資料が散逸してしまっており、当時の住民や警察署長が何を思って作ったのか、全くの謎となっていた。

 

交通安全、家内安全、と狂ったように繰り返す受付のスピーカーに迎えられ、警察署正面の階段を三階に上がると、わかりやすく左右に分かれてドアが設置されている。

それぞれ刑事一課、二課と仰々しい看板を掲げ、日夜問わず人の出入りは絶えない。しかし、刑事の習性というのか、一課(キョウコウ)二課(ソタイ)はお互いに反目しあっており、よほどのことがなければ一課の職員は二課へ入ろうともしないし、その逆も然り、であった。

 

刑事一課のドアが内側から開き、よく鍛えられた体を窮屈そうにスーツで包んだ三十路の男、多治見俊介が顔を出した。清潔に刈り揃えられた黒髪は、美青年といっていい涼やかな眉目と、少しえらの張った力強さの漂う顎とのバランスを見事に取り持ち、一人の好漢の姿を作り上げている。

多治見は右手に書類の束を持ち、開いた左手で臆すことなく眼前の刑事二課のドアノブを握った。

ドアを開け中を覗き込むと、目があった二課の若い吊り目の刑事が、慌てた様子で多治見の元へ駆けつけ、要件を聞く。その口調は硬く、戸惑いを隠しきれていなかった。

多治見は若い刑事の頭を飛び越して、室内のとあるデスクで神経質そうな目を書類に落とす男を視野に入れながら、「浦部」と声をかけた。肩越しに用件を通された若い刑事は、丁稚の面目を潰されたと渋面を作る。多治見は、身長差からくる圧力を滲ませながら若い刑事に視線を落とし、「に、相談したいことがあってね。繋いでもらえるかな」と、なんでもないことのようにいった。

 

少しして、二課のドアから細身で小柄な男が姿を現した。ぴくぴくと揺れる薄い眉が、男の機嫌がよろしくないことを雄弁に語っている。

気負わない様子で掲げられた多治見の左手には目もくれず口を開く。

 

「一課が何の用だ」

「ああ、少し時間をとってもらえるかな、少しばかり込み入った話なんだ」

 

浦部はふん、と鼻を鳴らして、「なんでもいいが、若いのの顔を潰すのはやめろ、西野のやつ、あれでまた暫くからかわれる」と吐き捨てた。

「彼は好かないんだ、刑事の立場で小遣い稼ぎをするにしても、やり方というものがあるだろ」

「否定はしない。が、使いどころがある。つまらん感情で計算を狂わされるとかなわん。重ねて言うが、不要な波風をたてるな。

 で、相談というのはなんだ? ここしばらく管轄内のシンジケート連中は静かにしているはずだが」

「さすがだな、着任からこの短時間で、もう連中の動向を把握できてるのか」

「ふん、あんな連中は悪ではない。ただの事業家だよ、躍らせようはいくらでもあるさ。……よこせ」

 

言うが早いか、男は多治見の右手から書類の束をむしり取る。

100枚程度の書類を一分もかからず読み終え、鋭い視線を多治見に投げた。

 

「八番調べ室が空いてる、来い」

「話が早くて助かるよ、浦部」

「浦部警部、だ。間違えるなよ、多治見警部補」

 

二十代半ばと、やや遅まきながら警察官の道を志しながら、その才覚を十全に発揮し七年目にして異例の速さで警部まで昇進した男、浦部孝は、己の階級に強いアクセントをつけ、多治見に冷ややかな笑みを向けていた。

 

 

**

 

 

「さて、まずは認識のすり合わせと行きたいが」

 

パイプ椅子にどかりと腰を下ろし、長い足を窮屈そうに組んで、卓上に広げた書類を指差して浦部がいう。典型的な下層市街であるネオフゥトシティを歩くには不釣り合いなほど磨きこまれた革靴が、天井のシーリングライトに照らされて輝いていた。

 

「このホトケ=サン、鈴木悟というのは、モモンガのことで間違いないんだな」

「ああ。仕事に出てこないので会社から依頼が来た。うちの若いのが確認に向かったところ、自宅内で亡くなっていたらしい。VRメットを被った状態で、『ユグドラシル』が起動したままだったそうだ。

IDを照合してアバターを特定、死亡推定前のバイタルデータも追いかけたが、目立った変調なし、だ」

「死因は、心停止、か」

 

書類から上げられた浦部の視線は、多治見の葛藤を深いところまで見通す光をたたえていた。

 

国家という枠組みが解体され、企業がすべてを牛耳るこの22世紀の世界では、刑事であっても有力な企業の意向を無視することはできない。どこかの企業にとって不利益となる死、これを隠蔽する必要があるとき、死因についての報告書は「心停止」とのみ記載されるのだ。

祖父、父親ともに警察官の家に生まれ、きらきらした正義感を胸に警察官を志した多治見は、この抗いきれない現実をひとまずでも受け入れるのに10年かかった。上司に噛みつき、反抗し、書いた始末書は数知れず。

組織に抗うことに疲れ、無気力に沈んでいた何年かを経て少し大人になり、周囲との折り合いのつけ方を身につけ、悪く言えば諦めと向き合って刑事課へ戻れば、もともとの高い能力もあってとんとんと昇進していったのが今の多治見だ。今になって「心停止」の事件について掘り返そうという考えは、多治見本人にもなかった。しかしそれは、二日前に部下が回してきた検死の報告書を目にするまでは、の話であった。

 

浦部は知っている。かつて刑事課を追い出され、閑職に回された多治見はVRゲーム『ユグドラシル』へ逃げた。

現実世界ではなし得ない「正義」という言葉にこだわり、虐げられるプレイヤーらを救済しようとクランを立ち上げ、気のおけない友人を得て、心を慰めながらゆっくり現実と向き合い、刑事課へと返り咲くことができた。いわば、『ユグドラシル』で知り合った40人の仲間は、多治見にとって友人であるとともに恩人なのだ。

死ぬまで口にするつもりはないが、世をひねて燻っていた浦部に刑事という天職への道を示してくれたのは多治見であり、その意味で浦部は多治見に大きな恩を感じている。であるからこそ、悩み深い多治見の泣き言にも等しい相談に、皮肉交じりとはいえ根気よく付き合ったり、部署を超えて知恵を貸したりもしているのだ。

だからこそ、浦部は多治見が持ち込んだ報告書に不吉な予感を覚えていた。

 

浦部もまた『ユグドラシル』の世界で、モモンガこと鈴木悟に世話になった身だ。そんな鈴木が「心停止」で処理されてしまうことに、心のざわめきを覚えないほど冷血漢ではない。

しかし、『ユグドラシル』は少しまずい、と浦部の冷静な部分が告げている。運営会社は国家企業というほどの勢力ではないものの、ネオサワメシティが再編される前から地元に根付く大会社で、独自に編成する警備部隊の練度や装備の水準も相当に高く、シンジケートに出回る噂ではソウカイヤの刺客を撃退した実績すらあると聞く。

そこに捜査のメスを入れることが果たして可能なのか、多治見はどこまで追求するつもりなのか。もみ消しや部内の処分程度で済むならやりようはいくらでもあるが、向こうが排除を考えてくる可能性は、その場合の対応策は、取引のある大会社でコネの使えそうなところは、……。

 

「すまない、浦部」

 

浦部が考え込んだのはほんの数秒であったが、多治見はそれを的確に読み取ったかのように言葉をかけて思考を中断させる。

 

「何がだ」

「いや、言っておきたかっただけさ。それと、考えを深める前に、もう一つ目を通して欲しい資料がある」

 

多治見は、懐から取り出した掌サイズのメモ帳を浦部へ渡した。この時代の電子機器は、無線ネットワークを通して必ずどこかへ接続されているため、あまり見られたくない資料については100年前と変わらず手書きで作成する、という不文律があった。浦部は渡されたメモを、少し時間をかけて紐解く。右手の人差し指が、浦部の意思と関係なく鼻の下をこすり始めた。

 

「『ユグドラシル』プレイログの、しかも通信量の抜粋かこれ? お前どこからこんなデータを」

「情報元は後だ。その数値、気にならないか」

「確かに妙だな、VRゲームのトラフィックがでかいのは当然のことだが、それにしたって日付変更直前の時間帯が異常だ。……これが原因で肉体側の神経系がオーバーロードを起こしたと?」

「わからない。モモンガさん、いや鈴木さんの遺体は解剖なしで火葬場へ直行だったそうだ」

「そこもおかしい。いくらなんでも手回しが早すぎる」

「ああ。それと、あちらさんの渉外担当への話の通りが不自然にスムーズだったことと、……たまたま会社の外で他の署の刑事と出くわしてな、よそでも同じような事件が複数あったらしい」

「『ユグドラシル』の最終日に、プレイ中に亡くなったと思われるホトケ=サンが複数、しかも会社はそれを把握している可能性が高い、ってことか」

 

お互いが思考に沈み、わずかな沈黙が訪れた。多治見が長く息を吐いて、

 

「手元の資料だけじゃ事件か事故かも断定できない。こんなとき、警察の横の繋がりがほとんどないこの時代が恨めしい」

「なんだ、また前世紀のテレビジョン・ドラマの話か? あんなもんは企業より力のある普遍的な社会の枠組みがあってのものだろう、昔語にすぎんよ」浦部は鼻で小さく笑い、肩をすくめた。

「それよりだ、多治見警部補。お前、先方の社内に協力者でもいたのか」

「そうだ、後まわしにしたきりだったな、すまない。実は昨日、『ユグドラシル』運営チームのリーダーから話が聞けたんだ」

「それが知り合いか何かだったのか」

「ああ、驚いたよ」

 

そういって多治見は視線を左右に振る。聞かれたくないことか、と察した浦部が、多治見の背後、調室の出入り口をちらりと見て、聞き耳を立てている気配のないことを確認し、目で続きを促した。

 

「タブラさんだったよ、覚えてるだろ、『アインズ・ウール・ゴウン』の、タブラ・スマラグディナ。亡くなった鈴木さんとも面識があったらしい。ずいぶん狼狽えてた」

「タブラ? また懐かしい名前だな、あいつ運営なんてやってたのか」

「本名は田村さんというらしい。で、日付が変わる一時間くらい前からはゲームの通信量がはね上がり、運営チームでもオーバーロードで倒れた人間が田村さんともう一人いたそうだ」

「運営チームにも被害者が二人、か。そっちはもともと莫大なデータを脳内に流すんだ、業務上の事故と考えても理解できるが、……いや待て」

 

考えを巡らせていた浦部が、ふっと眉を上げる。

 

「よその管轄でも複数名死者が出たとか言っていたが、お前の把握しているだけでいい、この件でユーザーは何人死んでる?」

「そうだな、ネオサワメで二人、さらに又聞きだが隣のネオクルマでも二人、うちの管轄で鈴木さんを入れて、最低でも五人……なるほど」

 

浦部の問いかけに、多治見も彼の言わんとするところを察した。

 

隣接する町だけで最低五人も死んでいるのなら、関東圏のみに絞っても相当数の死者が出ている可能性がある。被害者ら全てに鈴木悟のケース同様、プレイヤーを死に至らしめるほどのデータ送信量の増大があったとしたら、そのデータの行き先である運営チームの人的、物的被害はもっと甚大であるはずだ。しかし実際には、運営チームには死者の一人も出ておらず、機材の破損等もなかったという。

つまり、死亡したユーザーが送信したデータは、『ユグドラシル』のサーバーまで届いていないのではないか、という仮説が立つ。

 

「ユーザーとサーバーとの間に何かが挟まっているかもしれないな、当たるとしたらゲーム会社ではなくプロバイダだ、そっちならいくつかアテがある」

 

不敵な笑みを浮かべながら捜査方針を練る浦部は、ふと向かいに座る多治見の浮かべた笑みを見とがめ、眉根を寄せた。

 

「何がおかしい」

「いや、自分の見通しの甘さにな。最初にこれを見せるとき、捜査を止められるかな、と心配していたんだ。だが、いざ蓋を開けてみればしばらく見ていなかった浦部の本気だ」

 

多治見がじっと自分の右手を見ていることに気づき、浦部は右手を口元から離す。浦部は、状況から真実を推測する能力においてそうそう負けるつもりはないが、人間観察の面ではまだ多治見に及ばないことを認めている。

 

「ふん、はじめから乗せるつもりだったんだろうに。白々しい」

負け惜しみにしかならない言葉だったが、いわずにはいられなかった。多治見の笑みが深くなる。いやらしさのない、意志の強い瞳が細められた瞼のうちに輝いていた。

 

「浦部、これは私の勘だが、今回の件、事故と事件の両面があるように思う。企業に喧嘩を売るつもりはないが」多治見が言葉を切る。一拍置いて、「だが、何者かが鈴木さんを、『俺達』のギルドマスターを狙った、あるいは巻き込んだというのなら、私は真実を白日のもとにさらし、彼の無念を晴らしたい」

 

多治見は浦部をまっすぐ見つめていった。浦部はわざとらしく舌打ちし、「それが喧嘩を売りかねないってんだよ」と吐き捨てた。

 

「俺だってモモンガには世話になったんだ、この件については全面的に協力してやる。だがな、デリケートな捜査になるのは必至なんだ、表立って動くのは控えろよ、多少なら手を回してやれるから、必要なら俺を通せ」

「わかった、頼りにしている。……私はもう少し関係者を当たる。田村さんをクッションにすればもうしばらくは大丈夫だろう。通信データの関係は、伝手があるなら頼めるか」

「やっておく、そちらも何か判明すれば共有しろよ」ひらひらと浦部が手を振って、「そちらの話はわからんでもない、が」

 

浦部が、指の隙間から多治見の背後にあるドアを一瞬見て、語調を強める。手にあったファイルを机に叩きつけ、蛇のそれを思わせる切れ長の目が多治見を射抜いた。

 

「そんな与太話を、しかも一課(キョウコウ)の下働きだと? ふざけるのもいい加減にしてもらいたいなァ、多治見警部補?

 確かに君は私の先輩にあたる、世話になったと感じていることも嘘ではないさ、だからここまで礼を尽くした、聞いてやった。

 だがここまでだ、君は二課(ソタイ)の警部職に、生意気にも要請できる立場では決してない。私は何か間違っているかね、刑事一課強行犯第一係、多治見班長殿?」

 

言いながら、浦部の左手は散乱したコピー用紙の隅に、こっそりと何がしかを書きつけている。

多治見は浦部の目に視線を返し、ぐっと強く拳を固めてみせた。右肩にも少し力を込め、要望の通らなかった悔しさを背中に示す。何も言わず立ち上がり、書類を手早くまとめた。小声で、「そのときは私が出そう、キャッシュは不要だ」とだけいって踵を返し、デスクに足を乗せた浦部の軽蔑したふうな視線を背に感じながら、少し待ってからドアノブへ手を伸ばした。外には誰の姿もなかったが、遠ざかる足音の残響が多治見の鼓膜をくすぐった。

 

「粗末な張り込みだ、要らん節介だろうが、彼は使えそうに思えない。二課の仕事に出せば彼は死ぬぞ」

「そうだろうな、きっとそうなるだろう。悲惨な末路だろうな、心が痛むよ」

 

嫌悪感を交えながら、しかし若者の行く末を案じる多治見の言葉に、浦部は指で前髪をくるくる巻きながら、「それがアレの選んだ道だった、それだけのことだろう」平然と返す。

多治見の背中が、道端で腐って膨らんだまま放置されるゴミ袋のように、その裡から溢れ出ようとするどろどろしたものを、巨人の手のひらを思わせる膂力でもって無理矢理に抑え込んだように見えた。

ドア越しの西野に見せた多治見の演技もまだまだだな、と、浦部は他人事のように思った。ひとたび溢れれば血の雨が降るまで止まらない、そんな激情が眼前で渦巻くのを見ながら、それでも友人の自制心を、諦めの深さと言い換えてもいいそれを浦部は知っていたし、信用していた。

 

「君は、本当に、性格が、わるいな」

 

錆びついた鉄塊が擦れあうような口調で紡がれた言葉に、浦部は何も言い返さなかった。

革靴のソール程度のクッションでは、床に叩きつけられる多治見の踵を受け止めきることは出来なかった。ごつごつと鈍い音を立てて歩み去る多治見を見送って、浦部は黄ばんだ、埃と煙、その他人体に有害なものがふんだんにこびりついた取調室の天井を見上げる。

 

「俺を誰だと思っている、『聖騎士』サマとは水と油の、『大悪魔』やってたんだぜ」

 

『ユグドラシル』にログインしていた頃のように、浦部の指先が宙を踊る。彼が『ウルベルト・アレイン・オードル』として、その身に染みつくほど繰り返した超級魔法のコマンドだったが、それはまるで、いにしえの大魔法使いが魔法陣を描くがごとくに迷いなく、数多の人間の悔恨が染み込んだ、くすんだ色合いの取調室にはとても不釣り合いな優雅さが秘められていた。

 

 

 


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