ドール・トゥ・ガール   作:天音ウカ

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Ar04 掴み取れなかったもの

「体調でも崩したのかい?」

 

 二十九回目の殺害失敗。アルマ・リヴォルタを取り押さえながら、デイヴ・アバーナシーは彼女に言葉を投げかけた。

 

「最近、どうも動きが鈍いようだが。風邪とかならまだ良いが、病気だと困るね。一応君がここに滞在していることは伏せているわけだし」

 

 どうやらデイヴはアルマを心配しているようだった。彼が口にした通り、最近の彼女には技のキレがない。

 アルマの殺しの技術はデイヴが知る中でも随一のものだ。どれだけ鍛え抜かれた兵も彼女と殺し合えば、最終的には間違いなく命を落とすことになるだろう。彼もまた何度も命を狙われた身であり、決して油断できる相手ではない。

 それ故に、あっさりと制圧できてしまったことに違和感を覚えているのが現状である。一回だけならまだしも、ここ数日はずっとこの調子だ。

 

「……わかりません」

 

 しかし、その理由はアルマ自身にもわからないらしい。最近は少しだけとはいえ表情を見せることも増えてきているのだが、僅かながらに困惑の色が感じ取れた。

 

「ということは、体調の方は問題ないのかな。とりあえずそこは安心したよ。……ふむ。そうなると、アルマ君の内面、心の方に原因があると見るべきか」

「そちらも、まだわからないことが多いですから。先生もそのようにお考えであれば、恐らくはそうなのではないでしょうか」

「そうだね。まあ、自分のことは意外とわからないものだから、それはそれで構わないが。だが、不調を放っておくわけにもいかないからね……どうしたものか」

 

 実を言うと、デイヴには心当たりがないわけではない。彼女の心についての問題である以上憶測でしかないことは言うまでもないが。

 しかし、彼の予想があっていればこれは大きな一歩になる。そのことを頭に入れ、アルマへと一つの提案を投げかけた。

 

「今日の目標は、君の不調の原因を探ることにしようか。今回だけは特別に、私が止めるまで何度でも殺しに来て良いよ。ただ、それはうちの鍛錬場にいる間だけだからね」

「わかりました」

 

 とても親しげに話すようなことではないが、もう二人とも慣れたものだ。

 軽く水分補給をしてから並んで鍛錬場へと向かう。アバーナシー家に備え付けられた鍛錬場は地下にある。あまり激しく戦闘を行うと崩落しそうにも思えるが、実際には魔法生物から作り出した道具によってそのようなことはないという話である。

 少しすれば何事もなく鍛錬場に到着し、二人は互いに距離を開けてから相対する。

 

「さて、いつでもかかってきなさい」

 

 デイヴの言葉に従い、アルマは弾けるようにして飛び出した。彼の得物は身の丈よりは小さいものの、それでも随分な大きさの刀身を持つ肉厚の両手剣だ。しかし、それは彼の動きが遅いというわけではない。寧ろアルマと同等以上の速度で、それも片手で軽々と扱い、本調子の彼女の攻撃ですら的確に捌ける程だ。

 低く跳躍し、左手に携えた光の長槍を全身を使って突き出す。詠唱せず魔力制御のみによって作られたものだが、威力は十分である。

 顔目掛けて放たれた一撃をデイヴは首を傾けて躱す。続けて長剣による横薙ぎが首を狙うが、そちらは両手剣を勢いよく振り上げて弾くことで防ぐ。後方へと吹き飛ばされたアルマに彼は一つの指摘をした。

 

「剣での攻撃に移るまでが遅かったね。本来なら、今のは槍での刺突とほぼ同時――一瞬だけ遅れさせて繰り出し、その対応に移ろうとしたところに魔法で追撃を仕掛けるつもりだった。……違うかな?」

「いいえ、その通りです」

 

 宙で体勢を整えて着地したアルマが頷く。デイヴは片手を顎に当て思案し、少ししてから再び構える。

 

「今度はこちらからだ」

 

 その言葉を発した瞬間には、既にアルマの目の前にその姿があった。

 

 両手剣を握った右半身は後ろへと引かれていて、その直後人知を超える速度での刺突がアルマへと迫る。彼女はデイヴの姿を認識する前から回避行動へ移っていたこともあり、身を伏せることでその強烈な一撃を避けた。衝撃波が背中を撫でる感触がするが、それと同時に長槍を切っ先に触れさせ、刺突の速度を乗せて回転扉のように動かす。跳ね上げられた穂先がデイヴの顎へと向かうが、彼はバックステップによって退避し、その際に放った回転斬りによって長槍を砕いた。

 

撃ち抜け(assault him)

 

 否。砕いたのではなく、アルマが砕かせたのだ。完成した魔法に後から詠唱を加えて改編する高等技術。養父が詠唱の追記と呼んでいたこれにより、長槍の破片は光り輝く弾丸となって射出された。

 デイヴは左半身を前に出し、斜めに向くことで幅を狭め、着弾しかねない箇所を減らす。その上で両手剣による斬り上げで直撃するものだけを的確に消し飛ばした。動きを止めることもなく、流れるような動作で振り下ろしへと繋げるが、アルマはそれを大きく横に跳ぶことで回避する。

 凄まじい速度の一撃。刀身の先端に近づくにつれてその速度は増しており、衝撃波が生じて接地した箇所の周辺も破壊していく。その範囲ギリギリに残った煌めく銀髪が揺れた。

 

剣よ(call the sword)

 

 最初から形状を指定した詠唱で光剣を作り出し、右手の長剣も併用した二刀流でアルマがデイヴを襲う。両手剣は地面に突き刺さったままだ。しかし、彼はだからと言ってそう易々と攻撃を受けるような男ではない。

 両手剣の柄を潜るようにして動き、攻撃できる範囲を絞る。アルマは嫌がるかのように反対側へと回り込むが、それを見越していたと言わんばかりに掌底が置くように放たれていた。

 咄嗟に左手で弾き、手放していた光剣を操作してデイヴの背後から強襲させる。だが、逆手で柄を握り、地面から引き抜かれた両手剣によって簡単に砕かれた。

 デイヴは得物を握り直し、後退しながら斬り払うことでアルマの動きを牽制する。そして次の瞬間には、彼は先程よりも更に速い動きで踏み込んで両手剣を振り下ろしていた。切っ先から生じた衝撃波がアルマの胸を打ち、弾き飛ばす。続けざまに放たれたもう一歩踏み込んでの斬り上げは、振り下ろしによる衝撃波が彼女を弾いたことでその身を捉えずに終わった。

 

「殺意や死を察知する能力に異常はないようだね。今弾き飛ばされたのも意図的なものだろう。アルマ君はそれを認識していなかったかもしれないが。まあ、いずれにせよこちらは良くも悪くも正常だ。殺意も敵意も、害意も込めなかった掌底には本能が反応しなかったみたいだからね」

 

 ここまで、と両手剣を背負ったデイヴが話し始める。

 彼の目には確信の色があった。アルマの不調の原因を見抜いたのだろう。

 

「攻めの時にこそ君の動きは鈍っているようだった。殺し方は本能的に理解していたように見えたが、それに身体の動きが追いついていない。私が槍を砕いた時、いつもならもう一節分は詠唱できたはずだ。……私としてはもう少し威力が強ければ対処法も変えなければいけなかったから、そこは別に構わないのだが」

 

 直立する彼女へと歩み寄り、心に切り込む。

 

「――躊躇した(・・・・)ね?」

 

 ぴくりと、アルマの身体が僅かに動いた。

 

「今まで君は殺しへの躊躇いというものを見せてこなかった。だから、君がこうして躊躇ってくれたことを嬉しく思う。君の心がそれだけ育った証とも言えるからね」

 

 少しの間、沈黙が流れる。アルマは未だ握り続けていた長剣を鞘に納め、腰に提げると、一目では気付けぬ程小さく頷いた。

 

「……はい。きっと私は、先生への攻撃に躊躇したのだと思います」

 

 左腕で身体を押さえつけるように抱く。目を逸らして話し始めるその姿は、不安を感じているようにも見えた。

 

「ですが、何故躊躇したのかがわかりません。私は先生を殺して、任務へ戻らなければいけないのに」

 

 彼女の声は微かに震えていた。今の言葉も、自分に言い聞かせているように見えた。

 いや、実際そうなのだろう。ひと月にも満たない間に、彼女の心は出会った頃とは比較にならないくらい豊かになった。

 調子が悪い理由をわからないとは言ったが、指摘されて思い当たることがあったのだとデイヴは理解する。きっと彼女は、躊躇する理由も心のどこかではわかっているはずだ。ただ、これまでがああだったせいではっきりと言語化できず、合っているのかよくわからないだけで。

 

「アルマ君は、ここでの暮らしをどう思っているかな。セシル君に世話をしてもらって、話して、私の講義を受けて。従業員を何人か集めて、茶会を催したこともあったね。楽しいと思ってくれれば、私は嬉しいが」

 

 前屈みになり、デイヴは正面からアルマを見据える。ただ視線を合わせるのではなく、敢えて顔と顔を近づけるようにして。

 それは子供にするようなことでもあった。だが、実際彼女は子供なのだ。

 単純な年齢でも成人は迎えておらず。

 何も感じず、言われるがまま生きてきて。

 心を知っても、まだ一ヶ月も経っていなかったから。

 

「……楽し、かったと……はい。きっと、楽しかったのだと、思います」

「そうか。それは良かった」

 

 デイヴが穏やかに笑う。自分でそう認識できたのなら、もう何かを言う必要はないだろう。道筋を与えなくても、彼女は一人で歩くことができる。辿り着ける。

 身体を戻し、アルマに背を向ける。動かず、何も言わず、瞳を閉じて、ただ彼女の言葉を待ち続ける。

 やがて乱れた髪が自然に戻ってきた頃、アルマの口が開いた。

 

「先生を殺すことは、この日々を終わらせるということ。セシルに身嗜みを整えてもらうことも、何かの話をすることも……先生の講義を受けることも、一緒に茶を飲むことも。私は……自分の手で、それら全てを終わらせることになる」

 

 声の震えが大きくなっている。

 

「笑顔を向けてくれた人をこの手で殺して、二度と見れなくしてしまう。仕えてくれている人を裏切って、二度と会えなくなってしまう」

 

 地下の鍛錬場に雨の降る音がする。

 

「私は……嫌です。まだ、セシルと一緒に過ごしたい。先生の講義を受けて、もっと多くのことを知りたい。皆と茶を飲んで、色々な話をしたい」

 

 空気に水気が増していく。

 

「でも、それだと養父様を裏切ることになってしまう。……それも、嫌なんです。養父様は私を救ってくれて……いつも、守ってくれていたから」

 

 白いものが付着している。

 

「教えてください、先生。私は……どうすれば、良いのですか? 先生達も養父様も裏切りたくなくて、でもどちらかを選ばないといけなくて……ずっとそのことが、そのことだけが頭の中を巡って、わからなくて……! わからないことが、苦しくて!」

 

 頭を抱えて蹲る。

 雨が白い肌を伝って垂れていく。

 黒い肌に落ちた白いものがはっきりと見える。

 

「わからないことがこんなにつらいなんで、知りたくなかった!」

 

 音がよく響くこの場所で、彼女は初めて泣き叫んだ。

 

 ――もしも。

 

 この屋敷に運び込まれ、デイヴに提案をされた時。もしも断って、その場で彼を殺そうとしていたら、どうなっていたのだろう。

 拘束していた鎖を無理にでも破壊して襲いかかったのだろうか。それとも、予想もつかない方法で抜け出して殺そうとしたのだろうか。

 その場合、デイヴはアルマをどうしたのだろう。レージュア王国の防衛を担う者として、処分したのだろうか。それとも、拘束して説得を続けていたのだろうか。

 

 全て、中身のない仮定の話だ。

 

「……でも。それでも、私がここで過ごして、自分の心を知ったのは……このつらさを知ったのは、きっと、否定してはいけないんです……! 私は、先生達と一緒にいるのが、楽しかったから……!」

 

 養父の言葉が脳裏をよぎる。

 

 ――目を逸らすな。

 

 今なら、彼が本当に言いたかったことがわかる。

 

 ――前を向け。

 

 誰かを殺した事実が消えることはない。自分も誰かを殺した事実は否定してはいけない。

 

 ――歩き続けろ。

 

 何故なら、それもまた今の自分を作る要素の一つなのだから。

 

 ――俺達生者には、その権利と義務がある。

 

 そしてそれは、誰かを殺したことに対してだけではない。どんなことにでも通じるものだ。それまで経験してきた全てが、過去の軌跡そのものが、今の自分を作っている。

 だから過去から目を逸らしてはならない。過去を背負って生きなければならない。どれだけつらくとも、その過去がそう思える自分を作ってくれたのだ。それを否定することは、今の自分を否定することになる。

 

「……そうだね。その通りだ」

 

 また、雨が降る。

 

「私も、君も……人は、苦しんで生きている。何かを失って、その手から取り溢して生きている。でも、それを否定してはいけないんだ」

 

 雨が降り続ける。

 

「君は心を理解したことで、苦しまずに生きる権利を失った。でも、それで良い。その事実を受け止め、受け入れ、背負って生きていきなさい」

 

 暫く止むことはないだろう。

 

「取り溢したこと、掴み取れなかったこと。失った過去と共に――自分の意思で、自分の足で歩みなさい。君は私に答えを求めたけれど……それは、自分で見出すものだから」

 

 そう告げて、デイヴが顔をアルマへと向ける。彼もまた泣いていた。

 だが、彼の瞳から流れる涙は、彼女のそれとはどこか違って見えた。

 アルマにはその意味がわからない。何故泣いているのか。何故そんな表情をするのか。

 知りたい、と思った。今まで抱いてきた未知への好奇心とはまた違う。何が違うのかは具体的な言葉にはできないけれど、はっきりと区別する何かがあるのを感じた。

 

 ――雨の音が響く地下鍛錬場で、デイヴ・アバーナシーは泣きながら笑っていた。

 

 

 扉をノックする音が響く。入りなさいとデイヴが返し、ゆっくりと扉が開く。

 

「失礼します」

 

 そこにいたのはアルマの使用人となった少女、セシル・マティスだった。彼女は綺麗な一礼をし、部屋へと――デイヴの私室へと入る。

 

「君には迷惑をかけたね」

 

 椅子に座り、セシルに背を向けたままデイヴがポツリと声を漏らす。

 

「いえ、決して迷惑などでは。使用人としては無礼と承知の上で言わせていただきますと、アルマ様は手のかかる方ではありませんでしたから」

「そうか。では訂正しよう。君には迷惑をかけるね……本当に」

「そちらもお構いなく。迷惑ではありませんし、当然のことですので」

「……君のような子を使用人として雇えて、私は果報者だな」

 

 彼は机に向かい、紙に何かを書き込んでいた。脇にも多くの紙が積み重なっており、その横には判子と印璽が置かれている。

 

「アルマ君はどうしている?」

「部屋で眠られています」

 

 セシルの声色から真に問いたいことを把握したデイヴは、返事を聞いて目を閉じる。ゆっくりと息を吸い、そして吐く。握っていた筆を置いて身体から力を抜き、椅子に身を預けて、そこで漸く、そうかと一言だけ呟いた。

 

 少しの間だけ、部屋から音が消えた。

 

「……よろしかったのですか?」

 

 静寂を破ったのはセシルだった。デイヴからは見えないが、今の彼女の表情は硬くなっているに違いない。声もやや強張っていた。

 だが、決してそれだけではないのを彼は知っている。今の言葉も最後に確認しておく程度のものだろう。故に、改めて確固たる決意を伝えるべく口を開いた。

 

「ああ。もうあちらにも伝えてある。君こそ、降りるなら今しかないが」

「私も問題ありません。仮面を被って生きることには慣れていますから」

「頼もしいな」

 

 背を向けたまま苦笑する。どことなくセシルの雰囲気も柔らかくなったような気がして、気が楽になった。

 デイヴにとって、彼女は誰よりも信頼できる。だからこそ、彼女の心が安定していると自分も嬉しくなる。無論、セシル以外でも――それこそアルマでも、彼の大切な者が幸福を感じていたり、落ち着いていても同じく嬉しくはなる。

 だが、その大切な者の中でも、セシルは特別な存在だった。

 

「この戦争が始まって、もう十年になるのか……」

「デイヴ様は今年で二十九でしたか」

「それで独身なのは何とも言い難いよ。父上は十代で結婚し、丁度二十になる頃に私が生まれたからね。まあ、他に一人も遺さず逝ったから、それはそれでまた言葉にしづらいのだが。母上に一途だったと言えば聞こえは良いが、世継ぎを遺すのも貴族の務めだろうに」

「デイヴ様がそれを仰られますか」

「耳が痛いな。……母上は私が三つの頃に亡くなられたそうだからね。正直なことを言うと、母というものを知らなかった分、相手にそういったことを求めてしまいそうで不安なんだよ。誰かに甘えることなく育ったものでね」

 

 そこでセシルが盛大な溜息を吐いた。あまりに唐突であったため、デイヴは何事かと思い勢いよく振り向く。

 

 気持ち悪いものを見るような視線を向けられていた。

「気持ち悪いです。凄く」

「ああうん、すまない。いや、言わなくてもわかっているからせめて言葉と視線のどちらかにしてもらって欲しい」

「正直今まで仕えていた方にこんなことを打ち明けられるとか思っていなかったです。幻滅しました」

「待て。私が悪かったから少しずつ距離を取るのをやめてくれ」

 

 音もなく一歩ずつ下がっていくセシルに懇願する。悪いのは自分だが、それでも急だったこととショックで冷静な思考を行えなくなっていた。

 

「大丈夫です。三割程冗談ですので」

「そうか、それなら……三割? ……と、兎も角。父上が亡くなったのは戦争が始まってすぐだったからね。一応世継ぎがどうとか言っている場合ではないというのもある。忙しなく駆け回って体調を崩したところに流行り病となれば文句は言えないが、相続の準備も全くできていなかったんだ。結局私まで各地を駆け回らなければならなくなってしまった」

「私を拾うまでにそのような経緯があったのですね」

「……懐かしいな。確か一年目だったね」

 

 互いに顔を合わせて小さく笑う。

 二人が出会ったのは戦場となった町だった。アルテア領とマーティア領の丁度境目、国境上に存在していたその町は、言うまでもなく最初に戦禍に晒されていた。

 

「元々小競り合いは多発していたが、どうしてこうなってしまったのやら……」

 

 アミュレイトとレージュアの二国では、騎士団をはじめとしたそれぞれの国軍による小競り合いが起こるのは珍しくなかった。別に外交が上手くいっていないというわけではなく、寧ろ二人の国王の仲は良好である。単純に、互いの軍のガス抜きとして死者が出ない程度に争っていただけだ。要するに合同演習のようなものだ。

 だが、ある時国軍や貴族の一部が暴走し、死者が出て事実上の戦争状態に陥った。或いは、何らかの事情によって死者が出たから暴走したのかもしれない。いずれにせよ、どちらの国でも国王の独裁を防ぐ為に設立された――即ち、条件さえ満たせば国王と同等の権限を持てる機関が暴走したことに間違いはない。国王側が対処しようとしても、真っ向から対立してしまっている以上処分の王命を出すわけにはいかない。相手側が却下できてしまうだけでなく、強行しようとすれば最悪国が割れてしまう。

 

「正直に申し上げますと、私はこの戦争が勃発して良かったと思っています。人前で言うことはできませんが」

「私やアルマ君に出会えたからかい?」

「ええ。それに、デイヴ様は無理に背負い込んでしまいそうですから。一人くらいそう考えていれば、肩の荷も下りるでしょう」

「そうだね。過去を否定してはいけないが、そのせいで重く見過ぎてしまうことはあるかもしれない。だから……助かるよ」

 

 椅子ごとセシルに向き直る。笑いながらも、デイヴの瞳には楽しげな様子は一切ない。熱くも冷たく、眩しくも薄暗く、激しくも穏やかな決意と意思がただそこにあるだけだ。

 

「サングリアを出す。他にも幾つか使い潰すだろう。残ったものは全部君に預ける。好きに使ってくれ」

「承りました」

「資産も好きに分配してくれて構わない。陛下に託すべきものはもう分けてある。あとは上手くやってくれるはずだ」

 

 どこか無機質にも感じられる声にセシルが応じる。彼女の声もまた、感情を読み取りづらいものになっていた。

 その後幾つかのやり取りをし、それらが終わる頃には日付が変わる直前だった。では、と一礼して退出しようとしたセシルをデイヴは呼び止める。まだ言っておかなければいけないことがあったのだ。

 

「最後に一つだけ、頼んでも良いかい?」

「何なりと」

 

 即答だった。その様子に気が緩み、思わず普段の笑みが出てしまう。

 だが、セシル・マティスはそれでこそだとも思う。そんな彼女だからこそ、誰よりも信頼出来るのだ。

 

「明日の朝は、久々に君のサンドイッチが食べたいな」

 

 これまでの会話からは予想もできない、何とも気の抜けた要望。セシルも彼女本来の柔らかい笑みが出て、深く一礼する。

 

「勅令、拝領いたしました。それでは失礼します。良き夢を――お休みなさい、マイロード」

 

 ――歯車が回る。

 ――動き続けている赤い歯車を止める為に、回る。

 

 *

 

「んぅ……」

 

 小さな呻き声のようなものを漏らし、アルマは目覚めた。活動し始めたばかりで本調子ではない頭が、何か違和感を覚えている。

 辺りを見回す。特に大きな変化があるわけではない、いつもの私室だった。精々いつもより少しだけ明るく、ベッドの横の椅子にセシルが座っているくらいだ。

 

「……セシル?」

「おはようございます、アルマ様。いつもより長くお眠りになられていたので、起こしに参ったのですが……申し訳ありません。あまりにも気持ち良さそうに眠られておりました故に、起こしてしまうのも悪いかと思い」

 

 上体を起こしてセシルを見る。普段通りに見えるが、少しだけいつもと違うようにも見える。だが、具体的にどこが違うかはわからない。気のせいかと思いながらも、アルマの口は動いていた。

 

「何か、ありましたか?」

「いいえ、特にこれと言ったことは。……ただ、本日はデイヴ様が外出しておられまして。恐らくそれに関連した手紙を預かっております」

 

 セシルの反応は普段と変わりなく、本当に気のせいだったのかと首を傾げる。

 何もないのであれば、気になるのは彼女の発言についてだ。

 

「先生が、外出……。その手紙というのはどちらに?」

「私が持ち続けるのもどうかと思いましたので、食堂の方へ置いてあります。朝食……時間帯としては昼食が適切でしょうか。いずれにせよ、お食事の準備が整いましたらそちらへ。その折にお渡しいたしますので」

「昼食……ということは、今は昼なのですか? ……つまり、私は寝坊したと」

 

 少しばかり目を大きく開いて、アルマは現状を確認する。

 寝坊。朝遅くまで寝続けること。それは理解している。

 

「……寝坊したのは初めてです」

 

 そう、それが一番驚くことだった。リヴォルタ家の養女となってから、戦場に出ていない時は規則正しい生活を送っていた。戦闘や魔法の鍛錬として養父との殺し合いを日常的に行ってこそいたものの、生活習慣そのものは健康的だったのだ。仮にも貴族令嬢である以上、そういったところには気を配るように言われていたのである。

 自分が驚き、少なからずショックを受けているということをはっきりと認識できるようになっているところにも思うところはあるものの、今は食事が優先だ。セシルだけでなく、作ってくれている者達にも迷惑をかけたに違いない。そう考え、可能な限り急いで、しかし乱れがないように着替え、顔を洗ってから食堂へ向かう。

 アルマがいつも座っている席には、セシルの言った通り手紙が置かれていた。アバーナシー家の家紋を刻んだ封蝋もされており、随分としっかりとしたものになっている。屋敷には通信機の類もあるというのにわざわざどうしたのだろうかと考えつつ、手紙を開ける。

 

 ――そして、手紙を読み終えた直後。

 

 ――アルマ・リヴォルタは、脇目も振らずに駆け出した。

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