ドール・トゥ・ガール   作:天音ウカ

5 / 6
Ar05 ドール・トゥ・ガール Al01

 ――穏やかな陽射しの降り注ぐ戦場に、銀色の風が吹く。

 

「殺戮人形だ! 姿を見せないと思ったら、こんなところに……!」

「絶対に逃がすな、ここで討ち取れ!」

 

 叫び声と共に放たれる弾丸が、雨のように『それ』へと――アルマ・リヴォルタへと向かっていく。しかし、所詮は雨のようでしかなく、それぞれの弾丸の間には大きな隙間があった。

 アルマは自らへ迫る死のない箇所とタイミングを察知し、そこを潜り抜けるように動くことで弾丸の雨を突破する。そして、眼前の兵士達の効率的な殺し方を理解した本能の導くままに行動し――自らの右手に握る長剣が一人の首を捉えようとしたところで、その軌道を歪めた。

 

「邪魔をしないでください……!」

 

 長剣は兵士の首の薄皮一枚を裂いてすぐ横を通り抜けた。一瞬とはいえ刃が首に触れた感触と、表情こそ大きな変化は見せないものの感情の籠った声に気圧されてか、狙われた兵士が失神する。アルマは止まることなくその傍を駆け、先に進む。少ししてから呆けていた他の兵士達が我を取り戻し、彼女に銃を向けた。

 

光よ(call the light)!」

 

 しかしその直後、悲鳴のような声での詠唱が発せられると同時に、複数の光の鎖が後方へと伸びて兵士達を拘束する。アルマが一瞥もせずに……そして何より、殺さずに拘束しただけに留めたという事実が、彼らに動揺を与えていた。

 

(殺せない……そのせいで余計に時間を食ったとしても、殺せない!)

 

 今のアルマは急いでいる。目的を果たす為ならば躊躇せずに殺すべきだ。それを理性でも本能でも理解していながらも、殺すことはできなかった。

 きっとそれは、彼女の心が成長し、彼女もまたそれを自覚したからだろう。

 地下鍛錬場でデイヴと向かい合ってから、色々なことが頭の中を巡っていた。大切な存在やそれを失うことの苦しみについて。裏切ることへの罪悪感に、一緒に過ごしたいと感じる欲求についても。考えて、考えて――彼女は、一つの結論へと至った。

 自分にとって養父と先生、セシルをはじめとしたアバーナシー家で働く皆が大切であるのと同じで、名も知らぬ誰かもまた他の誰かにとって大切な存在であるということ。

 そう考えてから、アルマは自らのこれまでの行いを恐ろしく感じた。誰かが失いたくない存在を、この手で幾つ奪ってきたのか。止めたいのに止まらない思考が、彼女に恐怖と不安を与えていた。

 拭っても消えない血がこびり付いている。かつて養父が語ったように、自分もまた血で汚れ切っている。

 

「先生は、一体どこに……!」

 

 物陰に潜みながらも走ることをやめない。心中の焦りを表すかのように、小さく言葉が漏れた。

 言うまでもないが、アルマが屋敷から出てこの戦場に立っていることには理由がある。その理由とは、デイヴが屋敷に残した手紙のことだ。

 彼がセシルに預けた手紙には、こう書かれていた。

 

『我が親愛なる教え子、アルマ君へ

 所用のため、最前線に赴くことになった。帰れない可能性もあるから、事務的な連絡だけここに記しておくよ。

 ・心についての講義は昨日のものを以て終了とする。

 ・それに伴い、屋敷の結界で弾く対象から君を除いた。

 他にも伝えたいことはあるが、時間がないため一言添えるだけにしておこう。

 自由に生きなさい。あとは、鍛錬場で言った通りだ。

 レージュア王国マーティア辺境伯 デイヴ・アバーナシー』

 

 帰れない可能性がある――そう記されていることが、アルマにとって一番の気がかりだった。

 デイヴは強い。単純な戦闘技術で言えばアルマよりも遥か上の存在と言える。殺意のない手を抜いた攻撃で彼女を制圧できるだけでもその実力は窺い知れる。

 その彼が、わざわざ遺書ともとれる手紙を残して戦場へ赴いたのだ。それはつまり、デイヴは自分にも劣らない実力者がいると考えているのだろう。

 そしてそれに該当するアミュレイトの者は、アルマには一人しか思い当たらなかった。

 

「養父様……!」

 

 彼女の養父、ジェント・リヴォルタ。個人でありながら、五分もあれば戦況を覆すことができるとまで謳われる戦略級兵器。彼に幾度となく稽古をつけてもらい、扱う魔法や戦闘の癖をある程度分析できているはずの彼女でさえ、いざ戦闘となれば未だ指一本触れることすらできていない化け物。

 アルマは血痕の一つもない戦場を駆ける。

 

 ――胸の内で痛みと不安が急速に肥大化していくのを感じながら。

 

 

「やあ、待たせたかな」

 

 これではまるでデートだな、などとデートの一回もしたことのない男は考える。男――デイヴ・アバーナシーの右手には、肩よりも広く身の丈よりも長い灰色の刀身を持つ巨大な剣が握られていた。

 

「構わん。自軍の兵に見つからないように来なければならない分、そちらの方が必要な労力は大きいだろう」

「その辺り、貴方は魔法でどうにかできるのだろう? 私も魔法を学ぶべきだったか」

「付け焼刃にしかならん。やめておけ」

 

 デイヴの言葉に淡々と返すのは、彼の教え子の養父でもあるジェント・リヴォルタだ。そちらも既に抜刀しており、右手で豪華絢爛な装飾が施された実用性を感じない銀色の十字剣を握っている。

 

「他の者に見つからないよう細工はしてあるが、面倒事が起きても困る。さっさと始めるぞ」

「まあまあ、少し話でもしようじゃないか。私個人としては、貴方に言っておかなければならないことがあるものでね」

「……ほう?」

 

 笑顔で語るデイヴにジェントが怪訝な顔をする。彼にとってそれは思ってもいなかった言葉なのだろう。

 まずはこちらの流れに持ち込めたな、と冷静に思考を回す。

 

「アルマ君のことだよ。この一ヶ月で、彼女のことや貴方のことをわかってきたつもりではあるが、だからこそ直接言ってやらないと私の気が治まらないのだよ」

「言いたければ勝手にしろ」

 

 短く会話を切り、ジェントが十字剣を横に振るう。それだけで空気が刃となってデイヴを襲うが、それを灰色の剣によって斬り払う。その直後、十字剣の軌跡に光が収束し、二つ目の刃となって射出された。

 研ぎ澄まされた剣技による飛ぶ斬撃。次いで放たれる周囲へと拡散しながら進む光の刃。或いは光波と呼んでも良いのかもしれない。いずれにせよ、これだけで並の魔法生物は地に沈むだろうなと気の抜けた考えを起こしながら、デイヴは小さく告げた。

 

「熾きろ、サングリア」

 

 握る灰色の剣――彼がサングリアと呼んだそれから、灰と炎が吹き荒れる。光波とせめぎ合うことなく一方的に吹き飛ばし、周囲の木々を燃やす――こともなく、静かに散って消えていく。

 

「魔法そのものでは劣るが、魔法生物の扱いや技術転用に関してはそちらの方が上だったな。それが噂に聞く竜の剣か」

「ああ。灰竜サングリアと呼ばれた魔法生物から生み出した、レージュアの中でも三本の指に入る名剣だ。……皮肉なものだね。魔法生物の中でも最強の種族とまで謳われた竜よりも、それから作った武器を握った人間の方が強いなどと」

 

 やれやれと肩を竦め、しかし鋭い視線はジェントに向けたままで。

 

「話を戻そうか。私が見る限り、アルマ君は情報というものの価値を理解していなかった。そこは今回の一件も含めれば仕方がないことだと割り切れるからまあ良いとしよう」

 

 自らに向け、斜めに交差させた二連撃が放たれる。当然飛ぶ斬撃と光波がどちらにも付随しており、対してデイヴはサングリアを横に一閃させる。刀身本体と、ジェント同様の飛ぶ斬撃で二発の斬撃を処理した。

 続く光波に対しても同様だった。サングリアの軌跡に灰と炎が収束し、それ自身が刃であるかのように振る舞い、そして炸裂する。土煙が舞い上がり、互いの視線を遮る煙幕となる。

 

「だが、貴方は心というものを教えようともしていなかったな――貴方程の人物であれば、自らの手で心を芽生えさせることもできただろうに!」

「そうだろうな。……他にすべきことがある、そう判断しただけだ」

「仮にも貴方はあの子の養父(ちち)だろう! それでいて他にすべきことがあるなどと……!」

 

 怒りを隠さないデイヴに、ジェントが溜息を吐く音が聞こえた。

 

 ――後ろから。

 

「やかましい。貴族の、それも他国の家の教育方針に口を出すな。過去の話ではあれど、それは内政干渉と捉えられかねない行為だ」

 

 三番八式、と小さな声がした。

 直後、空気の揺らぎを感じて身体を動かす。デイヴには経験からそれがどんな攻撃かを既に看破していた。四方八方から包囲するように放たれる、不可視の風の刃による波状攻撃。最小限の動きで躱し、サングリアで弾き、灰と炎を散らして防ぐ。

 

 デイヴは無傷だった。後ろでまとめた薄い赤の髪が風に揺れる。

 

「だとしても、彼女の師として見過ごすわけにはいかない」

「面倒な男だ――五番七式、三番零式」

 

 ジェントの言葉と共に、空間のある一点がじわりと黒く滲む。インクの染みのようなそれはやがて形を成し、一匹の黒狼となった。五番七式――闇を扱う魔法によって生み出されたゴーレムがデイヴへと駆け出すのと同時に、ジェントが何度かあらぬ方向へと十字剣を振るう。飛ぶ斬撃と光波もまたそちらへと進むが、デイヴは気を緩めなかった。

 彼の懸念は的中し、周囲を囲むようにして虚空から幾つもの斬撃と光波が出現する。まさに攻撃の嵐。極まった魔法使いが兵器に分類されることに納得しつつも、対処するのは難しいことではないと言わんばかりの表情を見せる。

 

「吼えろ!」

 

 叫ぶと同時に、猛烈な回転斬りを見舞う。灰と炎が今までにない程激しく、今度は軌跡からではなくサングリアの刀身から直接放射される。斬撃と光波の全てを斬り伏せるだけでなく、その勢いで空へと飛び上がったデイヴは、再び灰と炎を放射させて加速した縦回転斬りを放った。

 刀身が地面に触れた瞬間、放射されまとわりついていた灰と炎が混ざり合い、灰色の炎となって大規模な爆発を起こす。ぬかるんだ地面から水分が飛ぶ程の灰炎と熱で周囲一帯が満たされるが、それでも木々に燃え移ることはなかった。

 

「燃やす対象を選べるのか」

「灰の炎はただの残り火。燃え移るだけの勢いを持っていないだけさ」

「よく言う」

 

 ジェントが生み出した黒狼は跡形もなく消し飛んでいた。しかし、何の役にも立たず、無駄に魔力を消費して終わったことに彼は何も感じていないようにも見える。

 

「……思うところがないわけではない。だが、アルマの力は危険だ。俺はあいつの本能に首輪を付けることを優先しただけに過ぎない」

「言い訳というわけではなさそうだ。だが、理解はしても納得はしない。貴方は親としての責務を放棄した」

 

 サングリアを振るい、灰炎を灯す。それだけでなく、デイヴが空いた左手を地面に押し付ければ大地が揺れ始めた。次第に左手が触れた箇所が隆起していき、少しの間を置いて一つの武具が形成されていった。

 それは大鎌だった。大地から作られた土の大鎌。巨大な剣と大鎌という奇妙な組み合わせでの二刀流に、ジェントが訝しむような視線を向ける。

 

「大地の獣、エイビム――その力の一端、たっぷりと堪能してもらおう」

 

 地面を抉るように大鎌を振り上げれば、そこが一瞬で隆起し土の刃となる。それだけでは終わらず、土の刃はまるでジェントに直進するかのように連続で作り出されていく。

 

「三番零式」

 

 しかし、ジェントに届くことはなかった。一定の距離まで作り出された時点で土の刃の生成は止まり、逆にデイヴの後方で形を成して彼へと迫る。そのまま彼へと突き刺さる――と思われたその直前、全ての土の刃がその場から消失した。

 ほんの少しだけ、ジェントの双眸が大きく開かれる。僅かな違いではあるが、デイヴはそれを見逃さなかった。今は互いが持つ手札を分析している途中だ。これがブラフでなければ、相手はまだサングリアの灰炎とエイビムの力の実態を把握し切れていないことになる。

 今の内に魔法の性質を見極めておかなければならない。そう判断し、先程と同様に後方へと戻されることを覚悟の上で蹴った地面が砕ける勢いでジェントへと駆けた。意外にも戻されることなく彼の正面まで迫ることができ、拍子抜けしながらもデイヴは左手に持つ大鎌の先端で首を狙う。無論それだけではなく、右手のサングリアで追撃を仕掛ける準備も整えてある。

 

「二番一式、五番二式、五番二式、五番二式」

 

 手に伝わる硬い感触。大鎌が捉えたのは巧妙に作られた土人形だった。魔法によって編まれた光のベールが剥がれ、その奥に立つジェントの姿が顕わになる。彼は右手の十字剣で刺突を繰り出すと同時に、周囲から闇の奔流を三つ放っていた。それら三つは虚空へと消えると同時にデイヴを包囲するように出現し、その姿を呑み込もうとする。

 闇とは本来光のない状態を指す。だが、魔法学においてはそれとはまた別の意味を持った、物質的な闇が存在することを証明されている。限りなく黒に近い色をしており、殆どの生命を蝕み作り変えてしまう性質を持つ。基本的には泥のような液状の物体だが、水のように常温で気化し、更に気化してもその毒性が消えることはないため、取り扱いには注意を要する有害物質だ。

 今デイヴに迫っているのはそれだ。魔力に命令を与え、変質させることで生み出した闇。いくら敵対しているとはいえ、躊躇なくそんなものを人間に向けるジェントに戦慄する。だが、思えば先程の黒狼も闇で形作られたものであり、今更のことだ。そんなことをぼんやりと考えながら冷静に構えていたサングリアを前方へ突き出す。刀身から灰炎が溢れ出て、刺突の軌道の延長線上を灰炎の奔流となって埋め尽くす。それだけでなく、デイヴの周囲を覆って闇の奔流を逸らし、互いに衝突させて弾き飛ばすことに成功した。

 十字剣の切っ先から放たれた光と灰炎がせめぎ合い、大きな爆発が起こる。再び土煙が舞い上がり、二人の視界を遮る。視界は悪いが、今のデイヴにはジェントの位置をはっきりと認識できていた。

 土人形が一つ作られるのを知覚する。水の弾丸が、まるでその土人形が放ったように偽装を施されて射出されるが、冷静にそれを斬り捨て――元居た場所から自らの後方に現れたジェントに向けて柄を伸ばした大鎌を振るう。しかし、大鎌は彼にある程度まで接近すると突如その姿を消す。

 

(そういうことか)

 

 先程から使用している魔法の仕組みを看破する。大鎌は未だ握ったままで、その刃は先程までジェントがいた位置に存在している。つまりこれは転移ではなく離れた空間の接続。ある二点を繋げることで転移同然の移動を行い、多角的な攻撃を可能にしていたということだ。

 種が割れれば対処のしようもある。これはあくまで攻撃を別の空間に逃がしているだけであり、その繋げた空間から逃がされたものとは異なる攻撃を仕掛ければこの魔法では防げない。

 

「ここが切るべき時か」

 

 小さく呟き、伸ばした柄を縮め手元に戻した大鎌を横に一閃させた。間を置かずして、晴れずに漂う土埃の中を灰が舞う。周囲一帯が灰で満たされ、

 

「吼えろ、サングリア!」

 

 デイヴが叫び――灰に炎が灯り、爆発する。その余波で周囲の灰にもより強い炎が点き、連鎖して大規模な爆発を起こし続ける。強烈な光が、轟音が、衝撃がデイヴを襲うも、彼自身はサングリアの力によって守られているため無傷だった。一時的に視覚や聴覚の機能を喪失するといったこともない。

 漂っていた土埃は今の一撃によって晴れたが、それも一瞬のこと。連鎖した爆発のせいで再び視界は塞がれたままになってしまう。こうなることがわかっていたとはいえ、やはり煩わしいものは煩わしい。出力や規模を抑えていても地形を変えてしまいかねないのもあり、サングリアはデイヴにとってあまり使いたくないものでもあった。

 不意に強風が吹き、視界が鮮明になる。目に映ったものを見て、デイヴは思わず溜息を吐きそうになった。

 

「大地の獣とやらの力で生み出したその大鎌でも竜の力を扱えているようだったが……成る程な。そういうことだったか」

「あれで特に目立った損傷もないとは……正直人間としてどうかと思うな。私が言えることでもないが」

 

 若干煤けてこそいるが、ジェントは特に傷を負うこともなく平然と立っていた。冷静に分析をしていたところからも、焦ったりということもないだろう。

 

「その剣と大地の獣の力を宿した武具を、何らかの手段で接続しているな? その武具に灰を供給することで一時的にそちらでも扱えるようにしたといったところか。大鎌での最初の一撃も、大地から生やした刃を灰に変えて霧散させたのだろう。それならば今の連続爆破の範囲がやけに広かったことにも納得がいく」

「……隠し切れる気もしないから白状するが、その通りだよ。流石は魔法学の第一人者だ。魔法を組み込んだ道具と魔法生物から作り出した道具は根本のところでは同じだからね」

 

 あっさりと手札を看破されたことに肩を竦める。ジェントの強さは想定以上だ。武芸においても秀で、魔法を使えば戦略級。優れた頭脳は敵対者の能力を容易く見抜き、そして見抜いたデータを基に行動を読んで対応してくる。

 これだけの実力者が相手となると、勝利を収めるには一筋縄ではいかない。彼を討つことがデイヴの目的ではないが、それでも一発は強烈な攻撃を叩きこんでやりたいというのが本音である。加えて、可能な限り粘れるとより理想的な展開を迎えられるだろう。

 

「もう少し温存しておきたかったが、仕方がないか」

 

 大鎌を散らし、空いた左手で懐に手を入れる。取り出したのは血を思わせる深紅の果実と枯草色の砂時計、そしてあちこちが錆びつき欠けた短剣だった。視界に入るだけで威圧感に襲われる。ジェントもそれを感じたらしく、即座に無数の光剣と炎槍を殺到させた。

 だが、それよりもデイヴが果実を口にする方が先だった。その直後、彼の薄い赤の髪が果実と同じ深紅に染まり、その色の光が――ジェントが放ったような、しかしそれとは色の異なる光波が周囲へと広がる。光剣と炎槍はその余波で全てが消し飛び、一瞬だけ静寂がその場を支配した。

 枯草色の砂時計は落ちるべき砂が中心で固定されている。デイヴはそれを握り潰し、次に短剣を自らの胸に突き刺した。しかし彼が出血することはなく、短剣が塵となって消えるだけだった。

 

生命(いのち)を司る神獣の三番目の心臓。悠久の蛇の忘れ物。古き大悪魔の爪の破片。……全て、アバーナシー家で保管されていたものだ。元々は王家に伝わる古代の遺産で、扱いを一任されていた。使い捨て前提なせいで普段なら使う気にもなれないものだが、貴方と戦うのであれば陛下も笑って許してくれるだろうさ」

「呆れたな。こんなことに無駄遣いするとは……まあ、こちらもエドであれば許可はしそうではあるか。俺はそういったものを使う気はないがな」

 

 再び土で武器を作り、構える。今度は大鎌ではなくサングリアにも劣らない大きさの両手剣。既に土の武器でも灰炎を扱えることは看破されているが、それならば逆に出し惜しみする必要もない。

 先に動いたのはジェントだった。何かさせる前に決着をつけようとしているのか、その動きはデイヴの目から見ても速い。一秒にも満たない間に接近し、低く落とした腰に捻りを加えた斬り上げ。十字剣本体に飛ぶ斬撃、そして光波の三種類の刃が混ざった同時攻撃。それだけには留まらず、彼の背から二本の光剣が飛び出し、更に地面からデイヴが作ったものにも似た刃を生やしている。そして回避先に飛ばせるよう、闇の弾丸が周囲に展開されていた。

 

「――()()私はそこにはいなかった(・・・・・・・・・・・)

 

 唐突にデイヴの姿がその場から消える。次の瞬間には、サングリアと両手剣による連撃がジェントの身体に絡みついていた。人の肉を斬る感触はせず、寧ろ硬質なものを叩いた時にも近い。よく見れば、彼が着ている礼服と剣の間には紙一枚分程度の隙間があった。

 不可視の防壁。それでも構わないと言わんばかりにデイヴは攻撃の手を緩めず、ジェントの身体を勢いよく吹き飛ばす。それとほぼ同時に地面を蹴って追いつき、更なる一撃を入れて再び吹き飛ばす。このサイクルを完成させ、戦況を一方的かつ自分の流れに持ち込んだ。

 だが、それでもジェントは無傷だった。今のデイヴの攻撃にも耐える防壁など俄かには信じがたい存在である。何か固有の法則を保有しているのかと考えたところで声が掛けられた。

 

「これはただ硬い防壁というだけだ」

 

 十字剣を地面に突き刺し、ブレーキを掛けながら語られた内容はこれまた俄かには信じがたいものだ。体勢を整え、何度も勢いよく飛ばされていたというのに揺らぎを見せない冷静かつ冷徹な視線を寄越してジェントは続ける。

 

「悠久、そして忘れ物。この単語と今の動きから察するに、世界から自分の時間を一時的に切り離したのか。身体能力が上がっているのは最初の果実の影響か? ……どうだろうとも、対応できる範疇であることに変わりはない」

 

 的確な分析と、あまり喜ばしくはない言葉。若干憂鬱な気分になりながらもデイヴが斬りかかれば、ジェントは先程よりも素早い動きでそれを躱して反撃に出る。振るわれる十字剣を灰炎をまとわせたサングリアで弾き、一歩下がる。止まることなく両手剣を突き出し、その切っ先から灰炎の奔流を放つも、灰炎は途中で裂けて拡散した。

 十字剣の軌跡に集った光は動くことなくその場に残留していた。これが灰炎の奔流を裂いたものの正体。今までは光波として放っていたが、そうはせず軌跡に留めておいたのには理由があるのだろう。デイヴはそれがわからない程の間抜けでもないし、ジェントの意図も読めていた。

 

(光の刃として設置しておくことで移動可能範囲を狭めた。言うまでもなく忘れ物への対策だな。存在を消失させられるからと言って、安易に使えば再出現したところを刈られるだけだ)

 

 何度か十字剣が振るわれる度に光の刃が増えていく。先程の空間を繋げる魔法も併用しているのだろう。しかもそれだけではない。光波を放ち、ある程度拡散したところでその場で静止させた。そんなこともできるのかと感心しつつも、厄介なことになったとデイヴは冷静に事態を把握する。

 拡散しているため当然だが、光波は十字剣の軌跡に留まっているだけの光の刃よりも非常に大きい。下手に動けば腕の一本や二本くらいあっさりと持っていかれるだろう。デイヴに傾いたように思えた勝利の天秤は、すぐにジェントの方へ戻ってしまった。

 

「そんなに魔法を使って、身体の方は大丈夫なのかい?」

「生憎と魔力の過剰生成の反動で肉体を傷つけたことがないものでな」

 

 それはまた羨ましい話だ、と嘆息する。しかし、それはそれで付け入る隙になるとも考えられた。恐らくこれは魔力への免疫機能が極めて強力であるが故のことだ。裏を返せば、魔力によって肉体への負担がないに等しいせいで、その生成を利用した肉体のリミッター解除は行えないとも言える。あれは命を脅かし、物体を破壊するという魔力の特性が作用して初めて成立する技術なのだから。

 つまり、身体能力を向上させ続け、既に限界まで削られている動きの無駄を今よりも更に削ぎ落せば――今よりも強くなれば、必ずジェントにも限界は訪れる。そう判断してしまえば、後は実行に移すだけだった。

 ジェントはデイヴの身体能力が先程よりも上がっていることを三番目の心臓の影響かと推察していたが、それは正しい。だが、三番目の心臓の効力はそれだけではない。寧ろそれはおまけ程度でしかなく、その本領は別のところにあった。

 

「生命よ芽吹け――育ち、咲き誇れ、世界に示せ」

 

 それはまるで詩のよう。デイヴが口遊むと、周囲に生えていた葉の落ちた木々に変化が訪れる。瞬く間に緑が宿り、加えて本来ではありえない大きさにまで成長したのだ。

 木々の枝葉が伸びてデイヴを守るかのように取り囲む。これが三番目の心臓を喰らった者が得る力。その存在の格を一時的に神獣と同じ領域にまで押し上げる。そしてその者の血となって全身を巡り、神獣の権能の一端を行使できるようにする――紛れもなく、世界の理を乱し壊す力だった。

 少しずつ三番目の心臓が自らに馴染んできたことをデイヴは実感する。身体の内より活力が溢れ、感覚が研ぎ澄まされていく。有形の魔法が崩れ霧散したことで大気中を漂っている魔力の流れすらも感じ取れる。人間の身では届かない力が肉と心を昂らせている。

 だが、まだ足りない。時間が経過するだけで強くなっているデイヴだが、それでも眼前の相手に一発叩きこむのは困難だろう。謙遜ではなく、確信を持ってそう判断する。

 ジェントは強い。素の状態で戦えば十回に三回勝てるか否かといったところだ。単純な武技では上回っていても、鍛え上げられた知覚能力に人類最高峰の頭脳と戦略級の魔法が噛み合って手が付けられない。優秀な血を取り込み続けた各国の王族にも劣らない実力を有している。いや、劣らないどころか一部には勝っているかもしれない。

 果たして何があればこんな怪物が生まれてくるのか。デイヴの記憶が正しければ、リヴォルタ家は代々魔法に秀でている家系だとかそんなことは一切なく、寧ろ武に秀でた一族だと聞いていた。突然変異なのかもしれないが、そんな一言で片づけて良いようにはとても思えなかった。

 

「……さあ、始めよう」

 

 身体の内側に意識を向ける。先程取り込み、まだ使用していなかったその力を――古き大悪魔の力を、起動させる。

 次の瞬間、デイヴの身体から深紅の魔力の嵐が吹き荒れた。

 彼の意思に関係なく、膨大な量の魔力の生成と放出が行われる。デイヴを取り囲んでいた枝葉が呑まれるが、大量の魔力を浴びているにもかかわらずそれらが崩壊するといったことはなかった。

 古き大悪魔は契約と支配によって万物を己のものとしたという伝承が残っている。そして、それとは別に無尽蔵の魔力を生成できるといった話もある。

 今のデイヴは正しくそれと同じ状態だ。神獣の権能と併用することで、支配した生命をより上位の存在に昇華させる。神獣と同じ領域まで存在の格を押し上げられたデイヴの身体は、大悪魔の支配を受けた魔力にも耐え得るものになっている。

 強烈な負担が彼を苦しめると同時に、人間という種族から逸脱した回復能力がそれらを打ち消していく。決して命が脅かされていないというわけではないのだ。そしてそれは、その負担によってデイヴの肉体のリミッターが外れていくということでもあった。

 地面が爆ぜる。音を超えた速度での踏み込みにジェントの対処が遅れる。転移でもないのに転移にも等しい速度で彼の眼前に現れたデイヴは、サングリアでの刺突を見舞う。溢れ続ける魔力を燃料として灰炎がより猛々しく燃え盛り、刀身の軌道の延長線上へと凄まじい勢いで広がっていく。これまでとは比べ物にならない出力での灰炎の奔流。放ったデイヴ自身もその規模に目を見開くが、それよりも驚くべきはジェントの方だ。辛うじてサイドステップでの回避に成功しており、お返しと言わんばかりに十字剣を突き出そうとしているのが見えた。

 その直後、槍のように先端の尖った幾本もの太い枝がデイヴの後方から飛来する。反撃から迎撃に動きを切り替えようとするジェントに左の両手剣での斬り上げを放って妨害する。後を追うようにして軌跡を埋め尽くした灰炎が十字剣を弾き、遂にその手から放させることに成功した。

 

「三番零式」

 

 ジェントの姿が消える。一拍遅れて枝の槍が彼のいた場所に殺到するが、既に魔法を解除したのかそれらまでその場から消失することはなかった。

 だが、デイヴの感覚は彼の居場所を既に掴んでいる。跳ねるような動きで即座に追いつき、左足を振り下ろすような回し蹴りに続けてサングリアでの追撃、そこから更に両手剣を振り下ろした。速度も威力も跳ね上がった鮮やかな連撃だが、ジェントは冷静にそれらを捌く。格闘術にも長けているのか、素手だというのに的確に剣の腹を打って軌道を捻じ曲げ、遅れて放たれた灰炎はすぐに身を引いて躱す。更に攻撃直後の無防備な身体に反撃の一撃を加えようとし――その場から飛び退く。それとほぼ同時に地面から槍が生え、退かなければ貫かれていたことを示した。

 

罪人は牙を剥き(justify the opinion)そして栄光を得る(kill the president)――二番五式」

 

 そこでジェントが初めて詠唱した。これまで魔力制御のみで魔法を扱ってきた男が、初めて。悪寒が走り、上体を後方へと倒す。その直後、デイヴの頭があった位置を通るように、白一色が瞬いた。

 変質させた魔力によるレーザー。照射された時間は十分の一秒にも満たない。だが、その火力はまともに受けれるものではないと直感する。戦慄しながらも身体を戻そうとした瞬間、視界を再び白い輝きが満たす。

 それはギロチンの刃を模した光の大刃だった。流石にレーザーの速度には劣るが、それでも一瞬でデイヴの首に迫る。今から武器を振るうには遅すぎて、上体を逸らしたままでは機敏に動けない。つまり、弾くのも躱すのも間に合わない。故に、身体を使わない方法で迎撃する。

 肉に大刃が食い込むか否かというところで、デイヴの身体から放出されていた魔力が指向性を持って放たれる。大量の魔力は大刃と正面から激突し、彼の首に大きな衝撃を与えながらも大刃を空へ押し戻した。その間に伸ばした枝で自らの身体を絡め取り、幹の方へと引き寄せ、体勢を整える。

 

(今の魔法は火力特化と見て良いだろう。詠唱したのもあるが、これまでとは比べ物にならない威圧感があった。……しかし、ここまでやってまだ余力を残しているとは)

 

 だが、手札を切らせていることに変わりはない。魔力制御だけでなく詠唱を加えた魔法は、これまでと比べて火力だけでなく発動速度も卓絶していた。普段から詠唱していないのは慣れさせたところに奇襲を仕掛ける意味合いもあるのかもしれないが、切り札としての側面も持っているように見える。それを早期に切らせたのは大きなメリットだ、

 分析を行いながらも動くことはやめない。枝を伸ばして絡ませ合い、複雑怪奇な足場を形成する。次々に枝を蹴るという三次元的な動きでジェントに接近し、深紅の魔力をまとわせた両手剣による縦回転斬りを繰り出した。しかし、今もなお身体能力は強化され続けており、それに伴って速度も増しているのにも関わらず、予め軌道を読まれていたように最小限の動きで躱されてしまう。

 

(だが、それで良い。今の先読みは視認してからでは間に合わなかったことの証だ)

 

 生成される魔力量を意図的に増やして身体に更なる負担をかける。自身を追い詰めることでまだ残っているリミッターを強引に外し、着地したところに殺到する無数の光剣をサングリアによる回転斬りで全て弾く。一拍遅れて灰炎がその軌跡をなぞり、一瞬だけ二人の視界を遮った。

 それと同時に、灰炎の環の内側から食い破るようにしてジェントに向けて枝の槍と土の刃が突き進んでいく。視界が晴れた時には既に作られていた光の盾によって止められたが、押し込むように両手剣の腹でそれらを叩き、更に灰炎による爆発で加速させる。今のデイヴの剛腕と爆炎による加速には耐えられなかったらしく、光の盾が砕け散った。だが、攻撃がジェントに届く前に槍と刃の先端が見えなくなる。離れた空間を繋ぐ魔法だ。

 

「読み通りだ」

 

 彼の横でデイヴが笑う。灰炎の爆発で加速させたのは両手剣だけではない。デイヴ自身も押し込むと同時に両手剣を手放して大きく迂回するように移動し、展開された魔法の影響を受けることなく接近していたのだ。

 

「ああ、俺の読み通りだ」

 

 灰炎を灯したサングリアの一閃が空振り、闇で形成された槍がデイヴの左目を抉る。頭部へと侵入し、貫いた闇が彼の頭を蝕み始める。身体に侵入した部分から皮膚が闇のように黒ずんでいく。

 

「悪いが、ここまでが私の読みだ」

 

 それでもなおデイヴは笑った。地面に突き刺さったサングリアの柄頭に手を乗せ、傷口が広がることも厭わずに跳躍する。傷は灼けるように熱く、闇は凍えるように冷たい。常人なら動くどころか失神している程の痛みを強靭な意思で捻じ伏せ、ジェントの顔に魔力を帯びた強烈な踵落としを見舞った。

 防壁が割れ、デイヴの黒い靴が顔の肉に食い込んでその身体を大きく吹き飛ばす。勢いは殺されたが、それでも大砲にも劣らない威力があったはずだ。現に防壁を砕いた余波だけで地面が罅割れていた。尤も、普段とは比較できない程の力を得たデイヴが暴れていたり、自領ではないとはいえジェントが周囲に気を配ることもなく魔法を使用しているせいで、既にここら一帯は荒れ果ててしまっているのだが。

 素手で闇の槍を掴んで引き抜く。左目を失い、頭部も貫通していたため重傷どころではないのだが、驚くべきことにデイヴの肉体は少しずつ修復が始まっていた。闇に蝕まれたところも黒色が引いていき、元の色を取り戻している。

 

「神獣様様だね」

 

 直に眼球も再生するだろう。貫かれるとわかっていながら躊躇いなく攻撃を仕掛けたのはこれを見越してのことだ。だが、必要となれば神獣の心臓を捕食し取り込んでいなくとも同じことをするだろうと自分では考えている。

 生命を司る神獣の権能を行使するとはこういうことだ。一つの生命を本来の形から逸脱させることもできれば、逆にその生命の本来あるべき形に戻すこともできる。毒や病に侵されようとも、闇に蝕まれようとも、それら全てを排して浄化することすら容易い。神の御業にも等しく、神獣と呼ばれる所以でもあった。

 

「本来なら致命傷だったはずだが……それを理解した上で、躊躇せずに仕掛けてくるとはな。治るとわかっていても相応の恐怖が伴うのが人間というもの。考えはしても実行するのには多大な勇気が必要となる。褒めてやろう」

 

 デイヴから少し離れた場所で、唐突にジェントが出現した。その手にはいつの間にか回収していたのか十字剣が握られている。

 

「左目を犠牲にしても口の中を切るくらいの傷しか与えられない、というのは流石に少しショックを受けるね。防壁が割れる寸前、自分から蹴りと同じ方向に跳んだだろう?」

「それもあるが、別にこれしか傷を受けなかったというわけではない。再生促進の魔法を使っただけだ。寿命を削るせいであまり使いたくはないが……まあ、今となっては関係あるまい」

 

 ジェントに動く気配はない。そのまま動かず時間が経過するならデイヴとしては一向に構わないのだが、その身から放たれる威圧感は少しずつ大きくなっていく。

 

「正直に言えば、こんな茶番に付き合うつもりはなかった。結末が変わるわけでもなく、そもそも貴様自身変えようとしているわけでもないだろう。時間の無駄でしかないと……そう、考えていた」

「今はそうではないと?」

「ああ。貴様の見せた意地に感化されているのか、それとも最後だからか。少しくらいであれば乗ってやっても良いと思っている自分がいる」

 

 威圧感だけではない。彼の身体は淡く輝き、光の粒子が漏れ出ている。十字剣も同様で、しかもどこかその輪郭が曖昧になっているようにさえ見えた。

 

「認めよう、マーティア伯。貴様は俺の敵だ」

 

 ジェントが笑う。

 

生命を上書きし(innovate myself)その身を光と化せ(harmonize the light with life)――七番零式、二番零式」

 

 そして、デイヴの左腕が消し飛んだ。

 

「が、ぁ――っ!?」

「む、流石に制御が難しいな。右を狙ったつもりだったのだが」

 

 反応すらできなかった。強化された知覚能力が遅れて事態を認識していく。

 今のジェントは光に限りなく近い。光速と同等の速度で動き、デイヴの左腕を十字剣で斬り飛ばしたのだ。その余波だけで周囲は完全に焦土と化している。

 消し飛んだのが左腕だけで済んだのは神獣の権能もそうだが、それ以上にデイヴ自身の生存本能によるものが大きい。直感だけで大量の魔力を放出して可能な限り余波を殺した。それでも肉体は悲鳴を上げている。

 

 ほんの一瞬。

 たった一撃。

 

 それだけで、今までの戦闘を嘲笑うかのように――デイヴは人生最大の窮地に追い込まれていた。

 

「ああ、一応言っておこう。これでも抑えてはいるのだが、本来ならもっと広範囲に被害が出ていた。とはいえ、今は戦場を限定して隔離しているからな。無関係の人間は巻き込んでいない」

「それはそれで、安心したけど……正直、それを気にしている余裕は、ないね……っ!」

 

 続く二撃目をサングリアで受け止める。自らの魔力を燃料にして灰炎の勢いを上げ、無理矢理十字剣をそこに留めることに成功した。

 しかし、それでも被害は大きい。刀身が軋み、腕の骨には罅が入る。肉は断裂しているだろう。あくまで神獣の権能の一端でしか行使できないせいで、損傷を抑えてもこれだけの傷を負ってしまう。

 神獣本体であればこの程度の傷は一秒も経たずに完治しただろう。いや、そもそももっと余裕をもって攻撃への対応が行えたはずだ。これだけのダメージを貰うこと自体なかったに違いない。

 回復を急ごうと少しでも魔力を回せば、今度は灰炎の出力が足りなくなって攻撃を受けることもままならなくなる。そうなればより深い傷を負うだけだ。故に片腕だけで光速の連撃を受けねばならなかった。

 デイヴの左半身から来る刺突にサングリアの刺突を合わせる。光と灰炎が混ざり合って閃光を生み出し、それと同時に右肩から左脇腹にかけて深い裂傷が刻まれた。更なる追撃の斬り上げが絡みつこうとし、そこでやっと反応できたデイヴが切っ先の欠けたサングリアで灰炎を爆ぜさせ、強引に距離を開ける。

 

(死に直面したからか、心臓による強化が一気に進んだ感覚がある。……攻撃速度は光速ではあるが、動作と動作の間はそうではない。意図的に作られた切れ目が存在している。恐らく常に光速で動くことはできないのだろう。そのおかげでどうにか一発ごとなら対処はできるが、防御と被弾を繰り返してしまっては意味がない)

 

 そう、一回であれば攻撃に反応し防御を行うことができるのだ。皮肉にもジェントの光速の一撃が強力すぎるが故に、生存本能によるものかより早く心臓が馴染み、その恩恵に与れるようになっている。このままどうにか受け続ければ、連撃にも対応できるようになるだろう。

 

「二番四式」

 

 だが、その微かな希望をも砕くかのように魔法が起動する。光そのものとなって輪郭が朧気になった十字剣から光子が放出され、それと同時に光速の一閃が振るわれた。辛うじてサングリアの刀身を盾にして受け止めるが、その直後、光子は光剣となって後を追うように空を駆ける。

 身体の強張ったデイヴに光剣が迫る。強烈な衝撃。ジェントの攻撃を再現するように飛来した光剣はサングリアと激突し、デイヴの身体を後ろへと押し遣った。

 

 ――そして、幾本もの光剣が並んでいるのが見えた。

 

「っ――吼えろ、サングリア……!」

 

 即座に灰炎を放出してその場を離脱する。それとほぼ同時に光剣の群れが一瞬で攻撃の軌跡をなぞるようにして飛び、最後の一本が通り過ぎた瞬間に再び光速の刺突が繰り出された。灰炎でその速度を僅かながらに減衰させたところをサングリアで迎撃する。欠けた切っ先の損傷は激しくなり、デイヴも後方へと吹き飛ばされたが、今度は傷を負うことなく防ぐことに成功した。

 そこで左目の再生が完了する。視界が戻り、攻撃への反応速度を取り戻す。左腕の再生の方も進んではいるが、まだ半分も終わっていないのが現状だった。何より、再生したとしても切れる札の数は減ってしまっている。

 

(エイビムから作り出し、その力を行使する源となっていたのは指輪だ。左腕を消された時に一緒に消滅してしまったのが痛いな。あれがまだ残っていれば時間の稼ぎようもあったというのに)

 

 周辺の生命は死に絶えている。ジェントは余波による被害を抑えているとは言ったが、それでも彼の魔法によって隔離されたこの戦場は最早ただの焦土でしかなく、新たに生命が宿る余地もない。神獣の権能もまともに活用できない状態にある。

 悠久の蛇の忘れ物も迂闊に使用すれば出現したところに光速の一撃を貰うだけだ。速度ではあちらの方が圧倒的に勝っている。魔法も行使してから効果が出るまでのタイムラグが殆どないため、攻撃と攻撃の切れ目……彼が光速で動けないタイミングで出現しても結局は手痛い一撃を受けることになる。原理を早期に看破されてしまったのはやはり大きなディスアドバンテージだったと言えるだろう。

 となると、残された札は一つ。

 

(大悪魔の力をただ解放させるのではなく、神獣の権能を使って大悪魔そのものをこの身に顕現させる。それぞれ既に私の強化に使ってはいるが、それを維持したまま実現しなければならないな。……だが、これ以上は私自身の処理能力に限界が来る)

 

 戦闘を続行しながら複数の能力を全て完璧に制御する。言葉にするのは簡単だが、実行するのは困難などという言葉で表せるものではない。ましてや交戦相手はジェントだ。既に限界は近かった。

 

 ――大悪魔の顕現を実現するには、一度灰炎を解除する必要がある。それをデイヴは確信する。

 

 だが、灰炎を解除すればジェントの攻撃を凌ぎ切れない。使用していてもなお全てを捌けてはいないというのに、突然それを使わずに受けるなど無謀の極みだ。結局攻撃を凌ぐのに手一杯になり、顕現できないどころか追いつめられるだけである。

 武芸を修めた達人だからこそ、それを理解してしまっていた。

 

「……っ、しまっ――」

 

 現状を冷静に分析したが故に戦況を覆せないことを知り、それが気の緩みとなって反応が遅れる。

 十字剣と光剣が自らに迫るのを、デイヴは身体を動かすこともできずにただ見ていた。

 

 *

 

 走る。

 走る。

 走り続ける。

 

「先生……養父様……!」

 

 戦場となっている場所は全てその足で見て回ったはずだ。だが、デイヴと――それと一緒にいると思われるジェントの姿はどこにもなかった。

 もしかしたら二人が交戦しているというのはアルマの思い違いで、既に彼は屋敷に帰っているのかもしれない。一瞬そんな甘い憶測が脳裏をよぎるが、そんなことは絶対にないという確信があった。

 デイヴは茶目っ気こそあるが、悪質ないたずらをするような人物ではない。まだ未熟の身ではあれど、一緒に過ごしてきて彼の人柄も大まかに把握できていた。

 

「――これ、は……?」

 

 焦燥に駆られながらも、まだ確認していない場所はないかと改めて最前線の地図を頭の中で展開する。ある地点での目立った特徴といったものはデイヴやジェントに教えてもらった。現在位置とこれまで巡った場所を確認し――そして、一つの気付きを得た。

 地図には記載されているのに、現実では存在していない空白の領域がある。

 本来あるべきものがない。見ても歩いても現実では地続きになっているが、地図が正しければそこは別の地形であるはずなのだ。

 何らかの理由によって空間が捻じ曲がっているとしか考えられない。そして、そんなことができる人物をアルマは一人しか知らない。

 

「三番の、零式……?」

 

 それと断定するには違和感がある。歩いて確かめてみれば、空白の領域は円形をしていた。ジェントの使う三番零式――大気や風、空間に干渉する魔法を極めた先にある魔法は、空間のある二点を繋げるものでしかない。点を広げて面にすることはできるが、立体の表面のように何かを取り囲むようにして使用することはできないのだ。故に、空白の領域をこの魔法で形作ることは不可能と言える。

 空間に干渉する魔法で作られているのは確かだろう。だが、これは繋げると言うよりかは世界からの隔離と言った方が適切だ。そこだけ足を踏み入れることも認識することもできないのだから。

 心当たりがないというわけではない。アルマはこの現象を引き起こせる魔法を知っている。

 

「……三番極式」

 

 ジェントの研究室に置かれたレポートに理論だけ記されていた魔法。聞いてみれば、彼自身も理論を完成させただけでまだ実現はしていないとのことだった。

 基本的に魔法とはある現象を再現する技術で、それに手を加えて様々な用途で使用されているのが実情だ。その根源にあるのは世界そのものと言っても良い。

 しかし、極式の魔法はそれらとは根本的に異なる。魔法の根源――世界そのものから切り離すのがこの魔法の本質だとジェントは語った。魔法は理を超える力を持つが、それを含めて世界というものを再定義し、その上でそこから逸脱させる。

 

「極式には、同じ極式の魔法でしか干渉できない」

 

 それが一番の問題だった。世界から切り離されている以上、世界の内から干渉することはできない。理論も法則も立つ土俵も、何もかもが全く異なる存在なのだ。干渉できなくて当然ではあるのだが、アルマからすればそれは不安と焦躁を煽る要素でしかなかった。

 間違いなくデイヴとジェントはこの空白の領域の中で戦っている。いつ実際に極式を運用できるようになったのかは知らないが、知らない間に新たな魔法を完成させているのがアルマの養父なのだ。アバーナシー家で過ごした一ヶ月の間に会得していても不思議ではない。だからこそ、彼女の心は酷く波立っている。

 

 ――アルマ・リヴォルタは、極式の魔法はおろか零式の魔法すら会得できていないのだ。

 

(どうすれば良い……私は、どうすれば……!?)

 

 そもそも、彼女に適性がある魔法は光を扱う魔法――管理しやすくする為にジェントが適当に付けた番号で言えば、二番のものだけだ。魔法を組み込んだ道具や他人の協力なしに他の番号の魔法は使用できない。

 紛れもなく、詰みの状況にあった。

 今の自分にできることは何もない。あったとしても、二人が戦っているという推測が外れていて、何らかの理由によって空白の領域が形成されているだけのことだと……そう信じることくらいだ。

 

「……本当に?」

 

 否定したかった。無力な自分を否定したかった。何度も何度も自分を呪う言葉ばかり頭の中を巡って――そこで、世界で最も大切な人の一人が語っていたことを思い出した。

 

「考えることをやめるな。思考を続けろ――歩き続けろ」

 

 立ち止まってはいけない。諦めてはいけない。

 殺し合いでなくとも、考え続けることがいつか大きな意味を持つことになると言っていた。

 過去が今の自分を作るからこそ、否定してはいけないと示唆していた。

 

 ならば、無力な自分を――力を得られなかった過去を呪ってはいけない。受け止め、受け入れ、自らの過去全てを背負って前へ踏み出さなければならない!

 

「絶対に……絶対に、何か手があるはずです……!」

 

 過去の一秒一秒を振り返れ。僅かな一瞬も見逃すな。自分が歩んできた軌跡を辿り、事態を好転させる解を導き出せ。

 力が足りないなら今手にすれば良い。魔力が足りないなら命を削ってでも生み出せば良い。

 

 できる、と思う自分がいる。

 無理だ、と諦める自分がいる。

 

 できるできないではなく、必ずやり遂げるという強靭な意思で両者を捻じ伏せ、分析と思考を続ける。

 

「諦めません――アルマ(わたし)は養父様の娘で、先生の教え子だから……!」

 

 ――そして、見つけた。

 

 存在しない空白の領域に干渉し、侵入する余地を作る手段。

 成功したことのない魔法と試したこともない魔法を使い、更にもう一つ。それらを経て初めて成立する。分の悪い賭けよりも酷く、醜く、愚かな……そして、何よりも美しい、心の輝きを放つ悪足掻き。

 

その身を光と化し(harmonize the light with life)原点を偽として真を成せ(gainsay the irrevocable inception)――!」

 

 アルマの身体から光が溢れ――その姿が消失した。

 

 

 全てが静止している灰色の世界。眼前には十字剣を振り抜く直前のまま一切動かないジェントの姿。その後ろには十字剣の後を追うように配置された光剣が見える。

 

(確かこれはスローに見えているのではなく、死に直面したことで限界まで研ぎ澄まされた感覚が時間経過を遅く感じさせているのだったか。いずれにせよ、初めての経験だな)

 

 死の間際、生存本能がもたらす感覚と記憶の拡張。不思議とそんなことを考えられるくらいには冷静だった。或いは、極限状態にあるからこそ生存の為に思考を冷静にしているのかもしれない。

 今のデイヴには何もかもがはっきりと感じ取れた。ジェントや彼の握る十字剣から漏れ出す光の粒子に、大気を舞う塵。砕けた地面から飛び散った細かな粘土。それら一つ一つに至るまで詳細に知覚し、更にそれぞれに加わった力の大きさや方向まで。

 

(……美しい)

 

 戦闘中だというのに、そんな感想が湧いて出た。

 まるで世界を無数の糸で絡め取っているかのよう。ありとあらゆる物理的な因果を理解した彼には、自分がどう動くべきか、どのような結果を得られるか、そして少なくともその先の十手まで把握できた。

 

(流石に腕は動かないな)

 

 脳だけが超高速で稼働しているが、その速度に彼の身体は追いつかない。

 だが、デイヴは構わず腕を動かそうとし続ける。世界が戻ると同時に動くように。間に合わないということはまずないだろう。こうして腕を動かそうとするだけで、そこに力が加わっていくのを感じている。続ければ続ける程、力は大きくなっていった。

 少しずつ世界に色が戻り、止まっていたものが動き始めていく。その状態でも感覚と記憶の拡張はまだ完全に終わったわけではないらしく、腕を動かすのと同時に身体と認識の僅かなズレを調整することまでできた。

 もう一度、闘志を昂らせる。死に傾いた身体を生へと戻し、気合を入れなおすように息を吸う。

 そして、全てが元に戻ると同時にデイヴは叫んだ。

 

「私は――私はまだ、戦える!」

 

 全身全霊でサングリアを振り上げる。切っ先に入った大きな亀裂が更に拡大していくが、灯された灰炎の勢いの衰えぬまま繰り出された一撃は、光速で振り抜かれた十字剣と真っ向から激突した。

 光と灰炎は嵐の如く周囲へと解き放たれ、ジェントの後方の光剣を木っ端微塵に砕く。それを知っていたが故に迷うことなくサングリアを連続で振るい、遂に十字剣の刀身を根本から折ることに成功した。

 デイヴの攻撃はまだ終わらない。双眸をはっきりと開いたジェントに灰炎を放出することで加速させた蹴りを見舞い、更に胴体を両断する勢いで放った横薙ぎの一撃が決まる。傷口に残った灰炎が炸裂し、彼の身体を大きく吹き飛ばした。

 

「古き大悪魔……その左腕をここに!」

 

 一度灰炎を消し、その間に神獣の権能によって取り込んだ古き大悪魔の爪の破片から左腕を顕現させる。再生途中の左腕を覆い尽くすようにして、血を思わせるような深紅のラインが入った純白の肌が姿を見せた。

 腕は細く、長さも人間とそう変わらないものだった。しかし指の先端――漆黒の爪は獣のそれに近い。若干丸みを帯びていて、太くも鋭い。掴んだものを容易く抉り引き裂いてしまいそうな危うさがある。

 

「その深紅のライン……貴様が食った心臓と同じ色だな。何か共通点でもあるのか?」

 

 十字剣は折れ、自らも深い傷を負ったというのにジェントは意に介してもいなかった。空間を繋げる魔法でデイヴの目の前に現れると同時に、闇の長槍と光で刀身を作った十字剣で斬りかかってくる。それらの動作は静止した世界から得た情報から構築した先読みの通りだったこともあり、サングリアと腕を使って難なく受け流す。その後の反撃まで含めてデイヴの対応は完璧だったが、それ故に読まれていることを読んだのかカウンターの一閃は光速移動で距離を取られ回避された。

 見れば、無傷というわけではなかった。肋骨のすぐ下の辺りは大きく抉られており、そこを更に残留したデイヴの魔力によって灼かれている。口からも血が垂れているが、戦闘続行には問題ないように振る舞っている。

 

「そんなことより、私は貴方がその状態で動けていることの方が気になるがね」

「魔法で血流を弄っているだけだ。……今の貴様の魔力は、俺の体質を以てしても肉体に損傷を加えた上で再生を阻害する効力があるようだな。これでは治るものも治らん」

「ここまで来たら治す気もないだろうに」

「それもそうだな」

 

 身体が痛む。全身余すことなく激痛に苛まれている。存在の格が上がったからと言って痛みが消えるわけではない。デイヴ・アバーナシーという一つの生命体であることには変わりはないのだ。

 左腕は大悪魔の腕と接続されているが、再生途中の断面から神経を物理的に繋いでいるせいで突き刺すような痛みと熱が絶えない。右肩から左脇腹にかけて刻まれた裂傷は細胞一つ一つに炙られているかのような感覚を送り続けている。

 傷でなくとも酷使した身体は既に悲鳴を上げている。特に静止した世界の観測と、その状態で動こうとした反動は非常に大きかった。一度に膨大な量の情報を処理したせいで脳は疲れ切っており、割れるような頭痛と熱を発している。最短最速で動かす為に命令を送り続けた腕も、目に見える傷こそないものの中は大変なことになっているに違いない。

 だが、それらがデイヴの歩みを妨げることはなかった。再び灰炎をサングリアに灯して駆け出す。眼前のジェントから放出される光の粒子が多く、そして強く輝いたのを見て光速移動の前兆と判断し、限界を超えて感覚を研ぎ澄ます。

 

 ――そして、世界が灰に染まった。

 

 本来死を間近にして初めて体験するはずの感覚と記憶の拡張。それをデイヴはたった一回の経験で強引に引き出し、一つの技術として確立させることに成功した。

 静止した世界の中で、多くの情報を次々に知覚していく。どんな力が、どれくらいの大きさで、どの方向に働いているのか――それら全てを認識し、少し先の未来を理解する。

 左腕を動かそうとする。当然動かないが、先程と同様そこに加わる力が大きくなっていくのを感じた。これによって静止した世界が元に戻る時、本来デイヴに出すことのできない初速を得られるようになるのだ。

 

(流石にもう終わるか)

 

 先程よりも世界に色が戻るのが早い。デイヴ本人の疲労が大きくなっているのもその理由の一つだろう。だが、一番の理由は自分の意思でこの世界に足を踏み入れたことだと確信していた。要するに、理性も本能も必死さ――生への執着が足りないのだ。

 唐突に、デイヴは少しずつ動き出す世界の中で僅かな揺らぎを感じた。

 

(……これは)

 

 何か物理的な力が加わったわけではない。大気や塵が待っているだけの虚空から謎の揺らぎが生じたのである。これが何なのか理解はできない――正確には、この揺らぎを認識したのは初めてで関連する知識を持っていないのだが、普通では起こり得ない現象なのは確かだ。

 

 ――そう、理解できないからこそ確信できた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 デイヴが自分の取るべき行動を認識すると同時に、世界は再び完全に色を取り戻す。ジェントに向けて突き出された左腕は、闇の長槍と十字剣を逸らし砕きながら彼の胸に迫る。鋭い爪を備えた指が傷口を広げるように入り込み、臓器を傷つけながら肋骨の一本を掴み……折って引き抜いた。

 その際に生じた強烈な衝撃がジェントの身体を大きく吹き飛ばす。血が飛び散り、しかし即座に流血は止まって彼も体勢を整えた。常軌を逸した対応力。まともに受ければ間違いなく死んでいた一撃に対し、ジェントはまず衝撃を和らげて身体がそれ以上損傷することを防ぎ、その直後に血流を操作して血を失わないようにした。動じることなく対応していることから痛みを極力排除しているのかもしれないが、それにしても判断の速度が尋常ではなかった。

 認識と判断、そして実行のプロセスというものが限りなく短い。少なくとも知覚能力はデイヴよりも上だろう。頻繁に使用している空間を繋げる魔法で神経伝達にかかる時間をゼロにしているのかもしれない。判断に関しては自前の頭脳の賜物だろうか。こうも一瞬で実行に移れるのであれば、人間というよりも一定のルーチンに従って動く機械のように感じられた。

 

「こんな局面になって何かを掴んだようだな」

「何のことかな。貴方の肋骨なら掴んで引き抜いたが」

「ほざけ」

 

 ジェントが笑う。デイヴも惚けたような笑みを見せるが、それでも彼自身優勢に立ったとは思っていない。会得した技術は決して乱用できるようなものではない。脳と肉体に著しい負担をかける荒業だ。死に際にのみ許されたことを再現しているのだから当然ではあるが、魔力を利用した肉体強化などとは比べ物にならない程命を削るものだった。

 行えてあと一回といったところだろう。そう確信し、デイヴは笑みを穏やかなものに変えて口を開いた。

 

「そろそろ終幕といこうか。こんな不毛な戦いを続ける必要もない」

「そうだな。……ああ、本当に」

 

 最後の一合に向け、互いに立ったまま脱力する。

 

「これを見せるのは貴様が最初で最後だ――七番極式」

 

 刀身がなくなっただけでなく、鍔や柄までひび割れた十字剣が掲げられる。次の瞬間、可視化できる程の密度を持った魔力が放出され、そこにあるべき刀身の形をとる。

 本来素の魔力というものは目に見えるものではない。例外はデイヴの放出していた深紅の魔力くらいで、常人では自らの生命を燃やし尽くして魔力を絞り出したとしても、人はそれを視覚で認識することはできない。

 だというのに、目の前の男はそんな常識を軽々と打ち破っている。本当に規格外な方だとデイヴは心中で称賛した。

 

「生命そのものに干渉する魔法、その逆がこれだ。生という概念を対象から切り離す、そのことだけに特化した虐殺の為の魔法。禁忌と罵られてもおかしくはない……いや、寧ろ罵られて当然だろうな」

「さっきの闇の魔法もそうだけど、貴方は本当に躊躇なくそんなものを人に向けるね。合理的に生きるのは苦労しそうなものだが」

「合理的だから何でもする、というわけでもないがな」

「それもそうだ。でなければこんな事態にはならなかったからね。……まあ、光栄に思うよ。かのアルテア侯が本気で敵と認識した相手になれるのだから」

 

 魔力を生成する。神獣の権能をフル稼働させた上で、それでもなお命が削れていくように(・・・・・・・・・・)全力で。生成した分は全てサングリアに注いでいき、灯された灰炎を膨れ上がらせていく。

 身体が裂け、血が垂れる。再生が追い付かないくらいの勢いで自らを傷つけ、衰弱させる。その姿を見ていたジェントが納得したような表情を浮かべたのが見えた。

 互いに準備が終わったのを直感的に把握し、構える。左半身を引いた居合の構え。鞘はないが、そこはサングリアの刀身を大悪魔の左手で握ることで無理矢理成立させた。あとは時を待つだけ。最後の一合のきっかけとなるものが何なのか、デイヴには理解できていた。

 

 ――不意に、視界の端で何かが眩く煌めいた。

 

 それと同時に二人が動き出す。ジェントが光速で移動し、デイヴは身体が死を目前にしたことで静止した世界に足を踏み入れる。自分自身で限界まで命を削ることで、会得した技術を本来の――いや、それ以上の精度で成功させるに至った。

 何も動かない灰色の世界で、デイヴは知覚できる情報の全てを掬い取る。三度目となれば慣れたもので、加速した主観時間がどれだけ経過すれば終わるのかすら理解できた。

 

(……避けられないな)

 

 出した結論は、ジェントの一撃を捌けないというものだった。限界を超えるどころか限界という天井を壊し、突き抜けるように研ぎ澄ました感覚によってどれだけの初速を得ようとも、受け切ることも躱すこともできない。悠久の蛇の忘れ物は間に合わない。彼の最後の攻撃はデイヴが静止した世界に踏み入れることを前提に繰り出されていた。

 人体の可動域の外からの攻撃。姿勢を変えるのも関節を外して強引に可動域に入れるのも、それをしている間にジェントの一撃によって命を落とすだけだ。デイヴにできるのは、攻撃を受けながら反撃することだけだった。

 それがわかれば十分だった。動かない身体に力を入れる。

 この一合で二人は互いに命を落とすことになる。それを理解しながらも、デイヴに恐怖はなかった。それはジェントも同じだろう。既に覚悟は決めてある。

 

 ――そして、運命の時が訪れた。

 

 膨れ上がった灰炎を全力で放出し、これまでにない程加速させた居合を放つ。肉に食い込んだ刃が移動して鮮血が舞う。立てられた爪が動く刀身に亀裂を作る。大悪魔の左腕を焼き焦がしながら、ボロボロになったサングリアが振るわれた。

 腕一本を犠牲にした一撃がジェントの魔法と衝突する。人知を超えた領域での一合は大地を割り、空を裂き、世界を物理的に揺るがしかねない衝撃を生んだ。

 だが、それも刹那のことだった。サングリアは半ばから折れ、魔法はその大半が消失する。魔力も殆ど透明になり、しかしそれ故に互いの攻撃はすれ違い――二人の身に届く。

 神獣の権能が剥がれていく。古き大悪魔の左腕が消えていく。生命を喪失させる魔法は確かにジェントの語った通りのものだった。その身に受けたことで、それが虐殺の為のものだと実感できた。

 灰炎がジェントの傷を広げる。組織を焼いて潰し、それでも出血は止まらず大量の血が溢れ出す。正面から臓器が覗けるようになってしまっていた。

 一瞬だけ静寂がその場を支配し、二人は仰向けに倒れる。未だ生命活動を行えているのが不思議なくらいだった。だが、それもすぐに終わる。何をしても助かることはない。

 

「貴様……謀ったか」

 

 ジェントの恨めし気な声が聞こえて、小さく笑う。二人の視線は同じある一点を見つめていた。

 

 ――その身から光を溢れ出させたアルマ・リヴォルタを、穏やかな目で見ていた。

 

 

 結果から言えば、アルマの悪足掻きは無事成功した。本来なら今の彼女ではとても成功させられるようなものではなかったが、諦めない心が奇跡を呼んだのかもしれない。

 手順としてはこうだ。まず第一に、二番の零式――自らの身体を光に変える魔法によって、アルマ・リヴォルタという存在は光であると再定義した。第二に二番の極式によって、ある一つの光――即ち自らを世界から切り離した。

 ここで重要なのが、世界から切り離したからと言ってその存在が完全に消滅するわけではないという点だ。極式の魔法は使用者が再定義した世界という枠組みから逸脱しているだけであり、元々存在していたものを別の場所に移しているというのがその実態なのである。

 理論も法則も立つ土俵も異なるとはつまりそういうことで、だからこそアルマは自らを対象として極式の魔法を使用したのだ。全てが異なっているから干渉できないのであれば、自分もそちらに行けば干渉できるようになると考えて。

 そして第三に、空白の領域を作り上げていた魔法を認識し、実際に干渉した。具体的な手段は彼女が今まで行ってきたことと何も変わらない。魔法を構築している魔力を自分のもので上書きし、制御できるようにするだけだ。それは純粋な魔力制御でも、詠唱を後から加えて改編する手法でも良い。

 魔法に関して言えば、アルマは光を扱うものにしか適性を持たない。彼女の身体は魔力を光以外のものに変質させられるように作られていない。自ら空間に干渉する魔法を構築するという正攻法での攻略を行えなかった理由もその一つだ。しかし逆に言えば、既に完成された魔法が目の前に存在しているのであれば、自分から適性のない魔法を出力する必要などなく、彼女にとっては最早手慣れた作業でしかなかった。

 理論を詰め、法則を理解し、同じ土俵に立った。それまでが不可能に近いようなことだったというだけで、そこまで辿り着くことができたのならあとは誤差でしかない。

 

 何故なら――彼女は既に、養父から、彼の基準で、一人前と認められているのだから。

 

「うぎぃ……ぐぁ、かはっ……!」

 

 しかし、無理押しした代償は大きい。全身から血を流し、身体から漏れる光はその色に染まったかのような紅色をしている。いや、流れ落ちる血もまた光の粒子となって放出されているのだ。

 ジェントの二番零式は七番零式――生命を自在に作り変える魔法と併用することを前提としている。そうでないと身体を光に変換する際に莫大な反動が生じ、それによって肉体に大きな損傷を与えてしまう。アルマの適性が足を引っ張り、彼女は不完全な形でしか使用できないのが実情である。

 また、空白の領域を形成していた魔法の制御を上書きする形で奪い取ったことも彼女の負傷が著しいものになった要因だった。それなりの体積を持つ空間を切り取って隔離する――言葉にするのは簡単でも、それに必要な魔力の量は膨大である。制御を奪うにはそれ以上の魔力を要求されるのだ。過不足なく必要な量だけの生成に留めたとしても、それだけで反動は大きなものになってしまう。

 身体を光へと変えた反動に、大量の魔力を生成した反動。これだけで、アルマは今にも死んでしまいそうな程だった。

 だが、歩みを止めることはない。切り離された空間へと強引に降り立ち、動こうとしない身体を無理矢理動かして移動する。視界が霞みながらも意識を保ち、

 

「――ぁ」

 

 小さな声が漏れた。

 

 視線の先に、人が二人。地面に仰向けで倒れている。彼らは、彼女のよく知っている人物だった。

 

「ぁ、あ、ああ――」

 

 養父――ジェント・リヴォルタが。

 先生――デイヴ・アバーナシーが。

 

 今のアルマよりも遥かに、それこそ直に間違いなく死んでしまうと誰が見ても確信するくらいの傷を負って倒れていた。

 思考がまとまらない。視界が揺れる。身体がふらふらと動いてその場に頽れる。手で覆った口から音のない悲鳴が止まらなかった。

 

「……アルマ君」

 

 呼ばれて、顔をそちらに向ける。横たわったデイヴの姿が目の前にあった。視界が滲む中で見れば、全身傷だらけというだけでなく左手を失っている。

 それはまるで、もう一人の自分を見ているようだった。

 

「言うべきことは、手紙に記した……つもりだったが。君の顔を見ると、まだ……語らいたいと、そう思えるね。何ともまあ、不思議なものだ」

「せん、せい……」

 

 目から落ちるそれを拭うことなく、デイヴのことを見つめ続ける。

 デイヴもジェントも、もう永くない。絶対に助からない。皮肉にも、人を殺し続けてきたせいでそれを理解してしまっている。

 それがどうしようもなく辛く、苦しく――彼女は泣いていた。

 

「だが、時間もないから……一つだけ。終了と、伝えてはいたが……これが、本当に、最後の講義だ」

 

 喋らないでと言うことはできない。助からないとわかっているから、延命ではなく講義を受けることをアルマは選んだ。

 泣きながらも、最期の言葉を聞き逃さぬよう見つめて耳を傾ける彼女に、デイヴは嬉しそうに笑む。次第に薄れていく意識を必死に保ち、言葉を絞り出す。

 

「人形は……涙を、流さない。

 ――忘れるな。君は……人間だ。一人の、女の子だ」

 

 そして、ゆっくりと瞼を閉ざした。

 

「……逝ったか」

 

 アルマが顔を伏せて涙を流す中、そんな声が聞こえた。顔を上げれば、今度はジェントの姿がすぐ隣にある。

 彼の傷も酷いものだ。普段着ている礼服は上半身の部分が殆ど存在せず、焼け焦げている。露出した胸からは骨や臓器がはっきりと見えてしまっており、即死していないのが不思議なくらいだった。

 

「全てこの為とは、食えん奴め。……三番で活動を維持してはいるが、傷は治せん。俺も直に死ぬ」

 

 それでも今殆ど流血していないのは、本人の言う通り魔法によるものなのだろう。血が流れ落ちる前に本来通る血管や臓器に直接移し、脳や他の臓器を生かしている。しかしそれもずっと続けられるわけではないし、七番の魔法で再生させていない以上傷を治せないというのも間違いない。

 ジェントが手を持ち上げてアルマの頬に触れると同時に、彼女から溢れていた光の粒子が消えた。彼は手を下ろすことなく、そのまま頬を撫でる。

 

「アルマ……父親らしいことの一つもできなかった身ではあるが、俺はお前の成長を喜ばしく思う。心というものを自覚し、零式や極式の魔法の行使にも成功した。お前は間違いなく、俺の自慢の娘だ」

 

 少しずつ彼女の傷が癒えていく。放置すれば死ぬというものから、暫く安静にしていれば命に別状はないというところまで回復する。

 完治させず、その程度に留めたのは彼女のことを考えてだろう。この魔法はあくまで再生促進でしかないのだ。何も考えずに使用すれば寿命を縮めることになる。

 

 ――それは紛れもなく、ジェントの愛情だった。

 

「家督はジーノに継がせる。あいつは政には疎いが、上手くやれるだろう。だから、お前は好きに生きろ。もうお前を縛るものは何もない」

 

 それと、と一度区切って手を離し、虚空へと伸ばす。彼の指先から手首にかけて少しずつ見えなくなり――再び見えるようになった時、その手には黒い髪飾りが握られていた。

 ただの髪飾りというわけではない。橙と桃の中間色の宝石が取り付けられており、細かな意匠も含めて最高級品だと誰もが一目見るだけで理解できるものだった。

 ジェントは両手をアルマの顔に近づける。下を向いているせいで垂れて目を隠している前髪を持ち上げ、髪飾りを留めて固定する。顕わになった深紅の双眸を見て、満足気に笑った。

 

「俺がお前にできる、最初で最後の父親らしいことだ。……本当なら、こんな時に渡すようなものでもないがな。折角の贈り物だというのに、汚れてしまった」

 

 笑いながらも、少し残念そうにそう吐露する。その姿を見て、アルマは涙を流しながらもどうにか笑顔を作った。口角を吊り上げ、目を細める。お世辞にも綺麗な笑みとは言えないが、それだけでジェントは嬉しそうに彼女の頭を撫でた。

 

「似合っていますか、養父様」

「ああ。俺の目に狂いはなかったようだ」

「それは良かったです」

 

 アルマもまた、彼の手を撫でる。優しく、労わるような手つきで。

 

「五年前を覚えているか」

「はい。五年前の今日……あの路地裏で出会い、養父様に拾っていただきました」

「一応あの日を誕生日としていたが、まさか俺の命日になるとはな。神というものがいるのなら、随分と悪辣な性格をしているものだ」

「そうですね。これでは素直に喜べません」

「……不思議なものだ。これまで自分の感情に目を向けず生きてきたが、お前の口からそのような言葉が出てくるだけで、嬉しく思える」

 

 ジェントが身を起こす。最早動くこともままならないはずだが、魔法で無理矢理動かしているのだろう。それ故にアルマはその行動に込められた想いを理解する。

 腕を回し、二人は抱き合った。まだ温もりを感じられる大きな身体。元々身長は高いが、実際よりも大きく思える。父親の背は大きく見えると聞いたことはあったが、それに近いものなのだろうか。

 

「アルマ」

「はい」

「誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 身体を離し、改めて顔を合わせて向き合う。

 

「養父様には名前と、知識と、技術と……それと、この腕と髪飾りを。

 先生には心を。

 お二人をはじめとした、多くの方からは愛を。

 全て、私が頂いた大切な宝物です。

 これらに恥じぬよう、私は私の思うままに生きていきます」

 

 ――そう告げて、もう一度。一人の少女(Alma)は、今度こそ綺麗な笑みを見せた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。