ここは夢かうつつか。
のび太はもやの中をさまよっていた。
薄いピンク色をしたもやはどこまでも広がっていた。
ここがどこなのか……そんなことはどうでもよかった。
夢ならそのうち覚めるだろう。
のび太はそんな思いでもやの中を歩き続けた。
しばらく歩いたところで、誰かが声をかけてきた。
「おや? こんなところに人が入り込んでくるなんて……」
幼い少年の声だった。のび太はもやの上空を見上げて、声の主を探した。
しかし、もやの先には何も見えなかった。
「なるほど、君はとても不思議な運命を持って生まれてきた人の子のようだね」
「誰かいるの?」
のび太はもやの先に問いかけた。
「僕は種を蒔く者」
「種を蒔く者?」
「そうだね、君にも分かりやすく言うなら神様……みたいなものかな。厳密には少し違うのだけれど」
「はあ……神様」
のび太はぼやけた声を出した。少年みたいな声で「神様」なんて言われてもまるで信用できなかった。
「これも何かの縁だ。最期の審判を君にゆだねると決めたよ」
神様はそう言うと、ついにその姿を現した。
もやの中から誰かが降りて来た。
それはのび太と同じぐらいの歳の幼い顔立ちの少年だった。
少年はのび太と向かい合うと、にこりと微笑んだ。
「僕が神様だよ」
「君が? まさか、君みたいな子供が神様のわけないよ」
のび太はこれは夢だと思っていたから、特に細かいことは気にせずそう言った。
「まあ、それでいいよ。それより僕は君を最期の審判者にすることを決めたよ」
「いったい何を言っているんだい?」
「僕は神様だろ? この宇宙は僕が創ったわけだけど……」
少年はそう言いながらのび太に近づいた。
「この宇宙にどのような生命が生まれるかは、神様に託したんだ。つまり、神様の神様だね」
話がややこしくなったので、のび太は首をかしげた。
「つまり、君が生まれることは僕の予期しなかったこと。君だけじゃない。地球が生まれることもすべて僕の予期しないことだったんだ」
少年はそう言いながら、のび太の周りを回った。
「改めてこの宇宙を見ると、失敗作だと思ってね。いまこの宇宙を消去しようかどうか考えていたんだ。つまり、この宇宙を滅ぼすかどうかをね」
「宇宙を滅ぼす? 神様の君がどうしてそんなことをするの?」
「あえて神様だからだよ。この宇宙は失敗作だと思うんだ。特に人類という種族は失敗作だったと思う。君はそう思わない? 人類は最高傑作だと思う?」
「人類と言われてもな……」
のび太は人類レベルでなど物事を考えたことがなかった。
「でも、僕のことで言うなら、失敗作かもしれないな」
「ん? 君は自分のことを失敗作だと思ってるの?」
のび太はしばらく考えてからうなずいた。
「僕は何のとりえもないから。勉強もスポーツもダメ。何やったってうまくいかないし、おっちょこちょいだし」
のび太は自分のことを素直に話した。素直に話すたびにネガティブな要素ばかり出て来た。
「ふーん、なるほど。人類というのはそんな些細なことをいちいち気にするんだね」
「些細なもんか。勉強もできなくてスポーツもできなくて、好きな女の子に声をかけることもできない。それがどれだけ辛いか、君は神様なのにわからないのか」
のび太は少しムキになってそう言った。
「ごめんごめん、そんなにムキにならないで。さっきも言った通り、人類は僕の予期しない存在だからね、僕は人類の気持ちなんてわからないよ」
神様は悪びれもなくそう言った。
「そうか、でも君の話を聞いていると、人類というのが少しだけわかった気がするよ。失敗作だと思っていたけど、もしかしたら君は僕に見せてくれるかもしれないね、人類の希望というものを」
「……」
「決めた。君にすべてをゆだねる。君が僕に人類のすばらしさを教えてくれたなら、もう少しだけこの宇宙を人類に任せようと思う。でも、少しも素晴らしくなかったら、当初の予定通り、この宇宙を消去する。すべては僕の気まぐれ、いや、君の見せてくれる人生しだいかな」
「僕の人生なんてろくでもないと決まってるよ」
「ろくでもないかどうかは僕が決めることだからね」
神様はそう言うと、再びもやの中に消えていった。
「これから君はあらゆる運命に振り回されることになると思う。その中で君がどんな決断をするか楽しみにしているよ。すべてが終わったときもう一度会おう。そのときに最後の審判をする。めげずに頑張るんだよ、野比のび太君」
それから神様の声は聞こえなくなった。
のび太はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて周囲のもやがかき消されていった。のび太の意識も遠くに消えていった。
◇◇◇
「のび太、いつまで寝てるの! 早く起きて来なさい。学校に遅れるでしょ!」
やかましい声を受けて、のび太は目を覚ました。
「のび太!」
「ママの声だ。神様はどこに行ったんだろう」
「のび太、聞いてるの? 早く起きなさい」
「わかってるよ。いま起きたって」
のび太は体を起こして大きな声で言った。
のび太は1つあくびをした。
昨日の夢のことが思い出されていた。
いやにはっきりした夢だった。もやの中で神様を名乗る少年と出会うという不思議な夢だった。ただ、神様が自分に対して何を言ったのか、細かいことは思い出せなかった。
のび太は布団を片付けると、ノロノロと一階へ降りて行った。
「おはよう」
「ようやく起きたのね、いい加減一人で起きられるようになりなさい。もう小学5年生なのよ」
「わかってるよ。明日から頑張るよ」
のび太はそう言いながら母親のお説教を横切って、食卓の椅子についた。
向かいには父親が座っていて新聞を広げていた。
父親は母親と違い、あまり細かい説教などはしなかった。
「のび太、おはよう」
「おはよう、パパ。また寝過ごしちゃったよ」
「はははは、子供は寝て育つもんだ。気にしなくてもいいさ」
「あなた、あんまりのび太を甘やかすようなことを言わないでちょうだい」
「しかしな、ママ。これからの若者は自由な世界をのびのび生きていくんだ。古臭い考え方じゃ現代に似合わないよ」
「それが甘やかしてるって言うのよ。いつも遅刻ばかりで学校の成績も悪いし」
両親の言い合いはいつものことだった。のび太はもう慣れっこになっていた。
「そうだ、のび太。5年生になったんだし、のび太にもスマートホンを買ってやらんといかんな」
「スマホ? ほんとに? 買ってくれるの?」
のび太は期待に目を膨らませたが、母親が間に入って阻害した。
「もうパパ、勝手なこと言わないで。そんなことしたらゲームに夢中になってますます成績が悪くなるだけよ」
「いやでも、ほら。マーク・ハンバーグとか世界の富豪は幼いころからITに親しむ環境にあったと新聞に書いてあるし」
「よそはよそ、うちはうち」
のび太はため息をついて食卓を離れた。
ゆっくり朝ごはんを食べている時間もなかった。のび太は慌ててランドセルにノートと教科書を詰め込んだ。
「しまった。昨日の宿題やってないや」
のび太は今になって宿題をやるのを忘れていたことを思い出した。
たしか、昨日やろうとしたところで眠くなったので、「明日早起きしてやろう」と言って寝たんだ。
しかし、早起きは実らず寝過ごしてしまった。
「のび太、遅刻するわよ」
「はいはい、わかってるよ」
のび太はランドセルを持つと慌てて部屋を飛び出した。