ある日の朝。
「のび太君、起きろー。朝だぞ。起きろー起きろー」
「うーん」
のび太は大きな声で目を開けた。
「ありゃ?」
のび太は覚醒一番違和感を覚えた。それは変な違和感だった。違和感がないことが違和感だった。
「やっと起きたか。早くしないと学校に遅刻するよ。さあさあ、起きて」
視界にドラえもんが映った。
ドラえもん。
昔から飼っている家猫。
「あれ、そうだっけ?」
「なに寝ぼけてるんだよ。早くしないと遅刻するぞ」
のび太はドラえもんの存在をすんなり受け入れていた。それがのび太には違和感だった。
何が違和感なのかわからない違和感。紛れもなく、ドラえもんは昔から飼っている猫。パパが買ってくれた猫。
でもそうではないような気もした。不思議な感覚だった。
「はい、顔を洗って朝ごはん。時間割の確認。やることは山積みだよ」
「ちょっと待ってくれよ。起きたばかりでだるいんだから」
「そんな暇ないぞ。今日はテストなんだろ。だったら、復習もしなくちゃ」
「そうだ、今日は算数のテストがあるんだっけ」
「大丈夫大丈夫、平行四辺形の面積を求めるだけだよ。そんなの底辺かける高さを計算するだけでいい」
「それができたら苦労しないよ」
のび太の成績は悪い。人が当たり前にできることものび太には難しいことだった。
「あっ」
のび太は階段を下りる途中でまた違和感を覚えて、振り返った。
「どうしたの、のび太君」
「ドラえもんっていつから僕の部屋にいるんだっけ?」
「何言ってんだよ。4年前からだよ。忘れたのか、薄情なやつだな」
「4年前……そうか、そうだよな」
のび太は首をかしげたが、どうしてもひっかかった。自分の思い違いだといいのだが、それにしてはひっかかりが大きすぎた。
「のび太、ドラちゃん、ごはんよ。降りてらっしゃい」
「ママ、おはよう。あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
「ドラえもんって4年前からうちに住んでたっけ?」
「あら、もう4年になるんだっけ。早いものね。でも、それがどうしたの?」
「いや、何でもない」
母親もドラえもんに違和感を覚えていなかった。すると、やはり自分の勘違いなのだろうか。のび太は4年前、父親に買ってもらったのはダルマの貯金箱だったように記憶していた。
しかし、それはドラえもんだった。どうしてそんな勘違いをしてしまったのだろう。のび太は不思議でしょうがなかった。
「のび太、今日は時間通りに起きられたな、偉い偉い」
父親はいつもの特等席で新聞を読んでいるところだった。
「ドラえもんが起こしてくれたんだ」
「そうか、やはりドラえもんは頼りになるな。血統書付きのいいのを買ってよかったな」
「血統書付きなのか……」
父親までもドラえもんに違和感を覚えていなかった。ならばこの違和感はやはり自分の思い込みなのだろう。のび太はそう確信した。
のび太が時間通りに起きたので、家族みんなで朝食にありつくことができた。
「ドラちゃん、いつもありがとね、のび太を起こしてくれて」
「どういたしまして」
ドラえもんはペラペラとしゃべった。
あれ? とのび太は思った。猫ってしゃべるんだっけ?
「ドラえもんっていつもそんなふうにしゃべってたっけ?」
「何言ってんだよ、のび太君。さっきから様子がおかしいよ」
「ははは、まだ寝ぼけてるんだろう」
父親はそう言って笑った。
「そうえいば、のび太。今日はのび太の学校に転校生が来るんだって? 外国の子なんだっけ」
「うん、たしかリルル・アントワネットっていう人。イギリスから来るって」
のび太はそう言いながら、また違和感を覚えた。
「あれ、転校生って今日だったっけ。来週だったような……」
これも勘違いだろうか。どうも、記憶と実際におかしな齟齬が生じているようだった。
「外国の子なんてめったに関われないからな。親しくなったらぜひうちに連れておいで」
「うん」
のび太は終始違和感の中にいた。
◇◇◇
「行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張ってね、のび太君」
ドラえもんが玄関の先まで見送りに来てくれた。いつもの日常の光景のはずなのに、どこかおかしな気がした。
のび太は切り替えて集合場所を急いだ。
のび太の姿が見えなくなったとき、ふいにドラえもんの隣にセワシの姿が現れた。
「ふう、石ころ帽子は窮屈だぜ」
セワシはそう言うと、石を模した帽子を取った。
「でもうまくいったみたいだね」
「さすがに違和感を覚えてたみたいだけど、そのうち慣れるよ、きっと」
「それじゃあ、ドラえもん。時空法の権限は今日までだから僕は帰るけど、おじいちゃんのことを頼んだよ」
「任せてよ」
「くれぐれも時空法に触れることを人に教えちゃいけないからな」
「心配するなよ。僕はロボットだぞ」
「つっても旧式の欠陥品だからな。まあいいか、じゃあ、頼んだよ」
セワシはそう言うと、再び姿を消した。
◇◇◇
のび太はいつものとおり学校に登校した。そして、いつもどおり机の上に座る。
「おい、のび太」
机に座るなり、ジャイアンがやってきた。
「ジャイアンズの件。ドラえもんに相談してくれたか?」
「え、ジャイアンズ? なんのことだっけ?」
「なに、忘れたのかよ。ジャイアンズの練習場をドラえもんに何とかしろと頼んでおいただろ。特別に無能のお前に7番ライトのポジションを与えてやったんだろうが」
「ご、ごめん。そうだったっけ。今日必ず頼むから」
「絶対だぞ。このままじゃ、ジャイアンズは地区シリーズ最下位だ」
ジャイアンもまたドラえもんに何の違和感も持っていなかった。やはり自分が誤解していただけだったのだとのび太は安心した。
入れ違いで、しずかものび太のところにやってきた。
「ねえ、のび太さんにお願いしていい?」
「え、あ、うん」
「転校生のリルルね、まだ日本の暮らしに慣れていないと思うから、東京の町を色々紹介してあげたいと思ってるの。のび太さんにも手伝ってほしいと思って。いいかな?」
「あ、うん。いいけど」
「私の家の隣のマンション知ってるでしょ? リルル、そこに引っ越してきてるの。私は昨日手伝いに行って色々話はしたんだけど、クラスになじめるようにのび太君も協力してあげて」
しずかは転校生のリルルの件での話だった。
リルルは今日転校してくることになっている。のび太は来週とばかり思っていたが、それは錯覚だったらしい。
朝の朝礼は体育館に全校生徒が集まって行われた。
そこで、転校生のリルルが紹介された。
リルルはのび太の1つ上の6年生だった。
「えー、みんな、注目」
先生に連れられてリルルはみなの前に姿を現した。
外国人というだけあって、存在感が際立っていた。かなりの美少女で、多くの男子の目を釘付けにした。女子からも羨望の目を集めた。
「リルル・アントワネットさんです。イギリスから来られましたが、大変な才女で、日本語も完ぺきに話すことができるそうです」
「みなさん、初めまして。リルル・アントワネットです。日本のことが大好きで、日本の暮らしや文化に触れることを楽しみにしていました。どうか、よろしくお願いします」
リルルはていねいにそう言うと、頭を下げた。完ぺきな日本語だった。外国人のなまりをまったく感じさせなかった。
のび太も他の男子と同じようにリルルに見とれていた。すると、リルルと目が合った。リルルはにこりと微笑んだ。
「……」
のび太は目を背けた。恥ずかしさというより、どこか人間離れした雰囲気に圧倒されたところがあった。リルルからはドラえもんに似た雰囲気をかもしだしていた。
リルルは転校初日から人気者になり、6年生のクラスは一日を通して大盛り上がりしていた。
放課後も、リルルは色んな誘いを受けていたが、いずれも断った。
「ごめんなさい、今日はどうしても外せない用事があるの。また明日誘って」
「そっか、残念。それじゃあ、また明日ね」
リルルは愛想よく手を振って同級生にあいさつすると、人が変わったような目つきになって誰もいない廊下を歩きだした。
歩きながら、リルルは耳に手を当てた。
「応答せよ、メカトピア」
リルルがそう言うと、雑音に続いて低い声が聞こえて来た。
「リルルか。日本へは無事入国できたか?」
「ええ、地球の技術はメカトピアより遅れています。パスポートも住民票もその偽造を見抜けなかったようです。いまだに古臭い指紋認証を使うなど、日本の科学技術もたかが知れています」
「だが、油断するな。日本にはさまざまな言い伝えがある。はるかな未来からやってきた青いタヌキの伝説や神の預言者を継承した少年。間違いなくその時代のどこかにいるはずだ。やつらの介入次第では、我々の計画は頓挫する」
「青いタヌキはまだ見つかっていませんが、例の伝説の少年に酷似した者なら見つけました。少し探りを入れてみようと思います。ちょうどいいお節介な下級生もいるから利用させてもらってね」
「くれぐれも気をつけろ。我々の動きが知られてはならん」
「わかっております。しかし、万が一のこともあります。いざというときのためにジュドを転送してもらえますか?」
「良かろう。地球に向けてジュドを転送する。無事受け取ったら報告せよ。ただし、通信は傍受される可能性がある。最低限にな」
「了解」
リルルはそう言うと、通信を切った。目を上げると、しずかが待っていて、手を振ってきた。
「ふふふ、私が何者かも知らずに……」
リルルはそう言うと、口元を緩めた。