のび太はしずかを介して、リルルと会うことになった。
「あなたが野比のび太君ね。私はリルル・アントワネット。よろしくね」
リルルはそう言うと、握手を求めるように手を差し出してきた。
「よ、よろしく」
のび太は緊張した面持ちでリルルと握手を交わした。
リルルはのび太の手を笑顔で握り締めた。
「指紋情報ダウンロードします」
リルルの中でとあるプログラムが起動した。特にリルルに変化はなかったが、のび太は手に何か違和感を覚えていた。
指紋ダウンロードが終わると、リルルはのび太の手を離した。
「それじゃあ、行きましょうか」
3人は町に出た。
しずかはリルルを色々な場所に連れて行っては詳しく紹介した。
女子に慣れていないのび太は二人についていくだけだった。
「と、これでこのあたりのことは紹介し終えたかしら。のび太さんはどこかおすすめの場所とか知ってる?」
「えーっと……特には」
「そうだ、空き地も紹介しなくっちゃ」
「空き地?」
リルルが尋ねた。
「うん、なんの変哲もない場所だけど、昔からみんなで集まるときに利用してる思い出の場所なの。ね、のび太さん」
「あ、うん」
のび太の家から600mほど離れたところにある空き地はのび太の通学のための集合場所でもあるが、昔からよく利用されていた。
しずかはお節介焼きだったので、ずっと昔からのび太に勉強を教えたり、放課後は一緒に宿題をしたりとのび太との時間を多く過ごしていた。
そのときにその空き地はよく利用されていた。
のび太にとってはしずかと最も多くの時間を過ごした場所でもあり、特別な場所だった。
しずかはリルルをその空き地に連れて行った。
一軒家に挟まれた狭いスペースに土管が3つ束ねられていた。本当に何の変哲もない場所。
しかし、この場所にはさまざまな思い出が詰まっていた。
のび太が幼稚園に通っていたころ、のび太が大好きだった祖母が亡くなった。
そのショックで、のび太は家を飛び出し、町をさまよった。その途中で雨が降りはじめたが、ずぶ濡れになりながら、町をさまよった。
その道中でのび太はしずかに出会った。傘をさしていたしずかはのび太を迎え入れた。
「どうしたの、のび太さん。風邪をひいてしまうよ?」
「……」
のび太は答えなかった。しずかは幼いころから相手の感情を読み取る才能に優れていて、すぐのび太に何かショッキングな出来事が起こったのだということを悟った。
「おうちに帰りたくないなら、いいところがあるの、こっち」
しずかは例の空き地に連れて行って、のび太と共に土管の中に入った。
「ここなら濡れる心配もないでしょ。それに誰にも見つからないし、とっても静かだから、自分の心の声も聞こえてくるの」
しずかはそのように言った。
土管の中は薄暗くて静かだった。囁くような雨音だけが耳に響いていた。
のび太はその場所で自分の心の声を聞いた。のび太の心の中にはまだ愛する祖母がいて、にこにことほほ笑んでいた。
「のびちゃん、元気出さんといけんよ。隣を見てみなさい。のびちゃんには素敵な友達がいるでしょう」
祖母はそのように言って温かく微笑みかけた。
のび太はその声に導かれて隣に顔を向けた。
そこにはしずかがいて、のび太に微笑みかけてくれていた。
しずかは唯一の所持品だったビスケットを半分に割ると、その1つをのび太に差し出した。
「はい、どうぞ。半分ずつ食べよ」
のび太はそろそろと手を伸ばしてビスケットを受け取った。
「実は私もさっきまでずっと泣いてたの」
しずかはそう言いながら、いまは顔に笑顔が見えた。
「今朝ね、ペロが死んでしまったから……」
「え、ペロが?」
のび太は少し愕然とした。
ペロはしずかの飼い犬で、のび太も何度もペロとは交流していた。
「ほら、学校の裏山の手前に火葬場をしているお寺があるでしょ。ペロ、そこで火葬になるの。でも、私は受け入れられなくって逃げ出してきちゃった」
「……」
のび太の祖母が亡くなるのと同じくして、しずかも飼い犬を失っていた。
二人はそういう意味で、似た境遇に立たされていた。
「でもやっぱり目を背けちゃダメね。ちゃんと送ってあげなければ天国に行けないかもしれないから」
「うん……」
「生きとし生ける者はいつか死んでしまう。私たちも。そうして命がつながっているの。死と引き換えに命はあるの。私たちが生きるためにも多くの命が引き換えになっている。だから、死が悲しいことのはずないよ。もっとずっと前向きなもののはずよ。神様はきっとそういう思いで死を創ったのよ」
しずかは5歳児とは思えないほど悟ったようなことを話した。のび太にとってはとても難しい話だったが、論理ではなく思いの部分でしずかの話の意味を理解していた。
死から目を背けてはいけない。のび太の目に強い光がこもった。
「しずかちゃん、ペロのところに行ってあげて。僕もおばあちゃんのところに行くことにした」
「……そうね。行ってあげないとね。のび太さんもおばあちゃんのところに行ってあげて」
「うん」
のび太は拳を握り締めると、土砂降りの中を走った。雷が鳴ろうとも、溝にはまろうとものび太は何度でも立ち上がり、祖母のもとへと向かった。
のび太はそのころのことを思い出して、この空き地がよりいっそう特別な場所に思えた。
「ここが思い出の場所?」
リルルは空き地に入り、あたりを見渡した。
当事者ではないリルルにはその特別性を理解することはできなかった。
「うん、ここは私たちにとって特別な場所なの。リルルにもそういう場所はあるの? 思い出の場所」
「思い出……」
リルルは遠い目をして空を見上げた。
リルルにはさまざまなプログラムチップが埋め込まれている。そのチップの性質は「破壊」「殲滅」「人間への憎悪」などに偏っていた。
思い出という概念はない。ただ、任務を忠実にこなすだけ。ただそれだけのために生み出された存在。
しかし、リルルはしずかの言った「思い出」という言葉に必要以上の何かを感じ取っていた。
「私にそんな場所はないわ。場所は空間でしかないもの。どこでも変わらないわ」
リルルは機械的なことを言った。
「そっか。リルルは海外を転々としてきたものね」
ずっと同じ場所に住んできた者とは感覚が違うのかもしれない。
「なら、リルルにとって日本が、この場所が思い出の場所になったらいいね」
しずかはリルルに微笑みかけた。
「残念だけど、ここは近い将来消えてなくなる場所でしかないわ」
「え? どういうこと?」
「世界はそういうものでしょう? いずれは消えてなくなる。何も残らない。宇宙は無へと還るのよ」
リルルは当然の道理を話した。
「そうね、必ずすべてが終わる日がやってくるのでしょうね。でも、それでも消えないものがあると私は思うの。非科学的だと馬鹿にされるかもしれないけれど」
「……」
「すべてが無に消えても、そこには必ず残るものがあるわ。きっと」
しずかの言葉はリルルに必要以上に響くところがあったようだった。
◇◇◇
のび太、しずかと別れたあと、リルルは高層ビルのてっぺんに降り立った。
リルルは飛行能力もあり、地球技術のレーダーやセンサーをかいくぐることもできる。
どんなセキュリティーも突破することができた。
リルルには日本でのいくつかの任務が与えられており、その任務が完了するなり次の場所へ移動することになっていた。
しかし、リルルは司令部に任務の延長を申し入れていた。
「こちらリルル、メカトピア応答せよ」
「リルルか。どうした? 任務は順調に進んでいるのだろうな?」
「当初の予定では2週間程度としていましたが、さらに2週間延長を申し入れたいのです」
「延長だと? 完全無欠のスパイロボットであるお前が期限内に任務を終えることができぬというのか。まさか、例の言い伝えの影響か?」
「いいえ、我々の想定外の概念がありまして、それを自分なりに確かめたいと思いまして」
「想定外の概念とはなんだ?」
「いずれ報告します。どうか、延長をお願いします」
「仕方ない。いいだろう、2週間だ。それ以上の延長は認めない。それ以上の延長は貴様がポンコツであることの証明。速やかに貴様をスクラップにする」
「わかりました」
「ジュドはまもなく到着する。受け取ったらもう一度報告せよ」
「了解」
リルルは通信を切った。
それから、リルルは空に浮かんだ満月に目を向けた。
「思い出……それはいったいなに?」
闇夜の中に、リルルのそのつぶやきはかき消された。