娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~   作:白臼

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11.骨灰のシンデレラⅰ

 

 

 

「あのう……可能であるならば、女将さんにお取次ぎいただきたいのですが……」

「あっはい」

 

 夜半、娼館『リーベ・エンゲル』営業時間中の事である。

 受付を担当している事務員が出迎えたのはすっかり馴染み客の一人となった若手官僚、ザカリー・ロットフーゲルだった。

 はて次回の予約はまだ先だったはずでは、と思いながらも挨拶を交わすがどうやら日付を間違えてきたというわけでもないようであった。

 最近どうにもやつれ気味であることが多かったその青年はいつにも増して疲れ切った死人のような空気を纏いつつ、その双眸だけはギリギリで生にしがみつかんとするぎらついた光を放っていた。

 端的に言って目が据わっている彼に受付担当者は曖昧な返事をしてから女将との話し合いの場を設けることとした。

 押し付けた、ともいう。

 

「こんばんは、ようこそいらっしゃいましたロットフーゲル様。なにやらお困りのご様子ですね?私共にお力添えできるようなことでしたら、なんなりとご相談いただければと思いますわ」

「いえ、こちらこそ……急な来訪で申し訳ないのですが」

「いえいえ、お気になさらず」

 

 ザカリーが通されたのは娼館の一角にある応接室である。

 客室とはまた違う意味合いでの接待に利用する部屋であり、高級娼館の看板に違わずこちらの部屋の調度も品よく整えられている。

 赤茶色の艶も美しいマホガニー製の机の上には来客用の紅茶とお茶請けが載せられている。

 ほのかに蜂蜜の香りを漂わせる紅茶を一口含んで飲み下し、ザカリーはそこでようやく一心地つくように息を吐いた。

 

「さて……女将さんにご相談させていただきたいのは他でもありません。僕の方からご紹介させていただきたいお客様がおりまして」

「まぁ、有難いお話です。ロットフーゲル様ご紹介の方でしたならこちらとしても喜んでお受けいたしますわ」

 

 女将であるライラは顔の前で手を合わせ喜色満面といったような笑みを浮かべた。

 ころころと如何にも楽し気に笑う表情は童女めいていながらも上品さと妖艶さを失わない、なんとも彼女らしい笑みだった。

 ザカリーはただそんな笑い声を聞くだけでここしばらくの緊張とストレスでギリギリと締め付けられていた心が緩んでいくのを感じた。

 

 そのまま座席のふわふわしたクッションに身を沈めて泥のようにへたり込んでしまいたい、などという気持ちも湧いてきたがそこはなけなしの気合いを入れて背筋を伸ばして耐える。

 今から口にしようとする言葉、それを頭の中で転がすだけで身が竦む思いだったが、それも(遺憾ながら)ここしばらくの業務の中で慣れ親しみつつある代物だ。

 紅茶で舌先を湿らせ、少しでも滑りを良くしてから彼は重苦しく口を開いた。

 

「はい。……しかし、その、ご紹介させていただきたい方が――――少々、()()()()()()身分のお方なのです」

「……まぁ」

 

 その言葉を聞いたライラはすぅっと目を細めた。

 口元は柔和な笑みを浮かべたままだが、俄かに雰囲気が変わる。

 高級娼館『リーベ・エンゲル』は顧客に元大司教であるアルブレヒト・マクラーレンを抱えているように、その質と知名度から大貴族と称されるような人物を迎えることも稀にある。

 だがしかし()()()()()()、とそこまでの形容を使われるほどの人物を受け入れるとなると、流石のこの店であっても穏やかではいられない。

 

「詳しいお話をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「……はい」

 

 居住まいを正したライラに、神妙な顔をしたザカリーが答える。

 やんごとない身分のお方――――そうとまで言われる人物となると()()に連なる者に相違ない。

 そして事実、このハイヴェルド大公領・公都ジョンズバーグには皇家の人間が滞在している。

 名をウィリアム・ザイン・アーシルファといい、現皇帝の第二子に当たる。

 

「皇帝陛下は既に後継として第一皇子殿下を指名しておられます。それを受けて第二皇子であられるウィリアム殿下は皇家から独立し、公爵の地位と領土を賜ることが決まっています」

 

 封建領主性社会において一般的に公爵という地位は王家・皇家に連なる人間が任じられる爵位である。

 次期皇帝の地位を兄に譲ることになったウィリアム皇子がその地位に就いて別途領土を得るのも特におかしい話ではない。

 彼が賜ることになるのは件の『黒魔術戦争』の影響で領主を失った土地を幾つか寄せ集めたものになり、そこは『レスト公爵領』と新たな名が付けられる予定になっている。

 

「公爵位の叙任は年内には行われる見通しです。そのような次第でして、現在ウィリアム殿下は領地を隣接することになる諸侯の方々へのご挨拶のための巡業中なのです」

 

 挨拶と根回し。強い権力をその手に集約する貴族たちの間では必須の事であり、むしろそれらこそが彼等の本業と言っていいただろう。

 特にハイヴェルド大公は帝国五大領邦の一角を治める大領主であり、皇帝の襲名の是非を決定する権限を持つ選帝侯の一人でもある。

 皇族にとっては決して無視できない人物であり、近場に領土を持つことになるウィリアム皇子としては決して応対をおろそかにできない相手である。

 

「それで……その……僕もこちら側の官庁の職員として殿下の応対をすることになりまして……ここ数日ほど大公領の視察や傘下貴族の方々との会合の場に同席を……うっ」

「まぁ、大変なご苦労をなさっておいででしたのね。まだお若いのに、やつれてしまわれて……」

「あぁ、すみません。ご心配をおかけしまして」

 

 ザカリーはここしばらくの間の異様な緊張を思い出して胸を抑えた。

 何せ相手は(将来的に離れると決まっているとはいえ)直系の皇族。しがない若手地方官吏の彼にとってその応対は尋常ではない重圧だった。

 おまけに挨拶回りの対象も一人一人が彼にしてみれば雲上人と言っても過言ではないほどの高位貴族だ。

 会合の席の隅の方に佇みながら自分は一体全体こんなところで何をやっているのだろう、と思ったことも数えきれず。

 

 そのことを思い返すと手先がカタカタと震えるが、紅茶を一杯飲み下して平静を保つ。

 今は彼の境遇に同情してくれるライラの温かな言葉と労わるような微笑みが限りない癒しだった。

 彼女の声は不思議と人を包み込むような響きがあり、ただ耳を傾けているだけでささくれていた心が癒されるような錯覚を覚える。

 このまま彼女に仕事の愚痴を聞いてもらいながら安らかに眠りたい、などと思いつつも背筋を正す。

 まだ話は終わっていないのだ。

 

「それで、殿下のご挨拶回りも本日で終わられたのですが……本来のご予定から少し余裕ができたということでして、しばらく公都に滞在されるそうです」

「あぁ、なるほど……それで()()()に」

「えぇ、そういうことになります」

 

 ライラは納得したという風に小さく頷いた。ザカリーもそれに首肯する。

 ようするに若干ながら暇ができたウィリアム皇子は公都内で遊んでから帰ろうと、そう考えているのだ。

 その上で皇子本人が出したリクエストが高級娼館であり、よりにもよってその選定を任されたのがザカリーであった。

 極力視界の隅に入らないように心がけていたやんごとない御方に唐突に声をかけられて「どこか良い娼館を知らないか」などと聞かれた瞬間のショックは一生ものの思い出となるだろう。

 そして勿論のこと、彼が紹介できる中で最も信頼のおける優良店といえばやはりここ『リーベ・エンゲル』を置いて他になかった。

 

「皇子殿下はいつ頃のご来店を望まれておりますか?」

「……明日、です」

「明日、ですか」

「はい、明日です」

「なるほど……」

 

 質問を投げかけられたザカリーはバツが悪そうな顔でそう答えた。

 明日、とはあまりに急な話ではあると彼も重々承知している。

 何せこの店は公都でも特に高名な娼館であるため、予約はほぼ毎日満員である。

 場合によっては一月以上前から予約を試みても取れないこともあるのに、それで急に明日と言われても難しいだろう。

 ただ、それでも相手は皇族。不興を買ったら物理的に首が飛ぶ相手だ。

 ここでウィリアム皇子が満足できる店を紹介できなければザカリーの頭と胴体が泣き別れする可能性を考えれば、彼にとってはまさに藁にも縋る気持ちなのだった。

 

「ふむ……」

 

 対面の相手が脂汗でもかきそうな沈痛な面持ちを浮かべているのをあくまで冷静な面持ちで観察しながら、ライラは白い指先をほっそりとした顎に添えながら考えを巡らせていた。

 娼館『リーベ・エンゲル』の明日の予約状況は手一杯である。残念ながらこれは動かしようのない事実だ。

 ならば既存の客に予約取り消し(キャンセル)を申し出るか、と提案されてもライラは首を横に振るだろう。

 『リーベ・エンゲル』は完全予約制で一見お断り。だからこそ客の受け入れは予約最優先であり、それは絶対に遵守されねばならない。

 例え相手が皇子だろうが皇帝だろうが、そこに区別はつけない。権力を嵩に着た横紙破りを許しては商売が成り立たない、というのが彼女の信条だ。

 

 ……とは言ったが、実のところ一応部屋自体は空いている。

 空席になっているのは最上階スイートルーム。一泊当たりの部屋代が高いのでやや空きがちの部屋であり、それに関しては明日も例外ではなかった。

 相手が皇族であるならばそこを案内しても問題は無いだろう。

 

 あとはあてがう娼婦を誰にするか。

 体力調整や本人の都合なども考慮して勤務表(シフト)を組んでいるのであまり動かしたくはないのだが、本来は非番の娼婦から一人出て貰うことになるだろう。

 ライラ自身が出るという手もあるし、それが一番後腐れがないという考えもある。

 だが、彼女は自身から積極的に客を取ることを自らに禁じている身であった。

 現役時代はついつい客を絞りすぎて何人も廃人と中毒者を生み出してしまったものである。

 ウィリアム皇子はこれから公爵位を叙勲する、未来ある身の上だ。

 ライラの中でしか子種を吐き出せない体になって一代でお家断絶というのは流石にまずいだろう。

 

 自身を除外した上で頼むならどの()か?

 皇子の女の好みまでは流石に知らないが、年齢だけは風の噂で十代半ば頃だと聞いている。

 性に積極的なお年頃だろうし、それくらいの年代の若者であれば『リーベ・エンゲル』の娼婦なら満足させるのは容易い。

 

 だが、問題は皇子にして将来の公爵であるという素性を知った上で冷静な接客をできるものがいるかどうか、という話である。

 

 夜遊びであれば相手もお忍びで来るのだろうし意識する必要はない……という考えもあるかもしれないが、それは客同士が互いを詮索しないという意味合いであって、接客する側がそれをおろそかにするのはマズいだろう。

 身分の高い人間は気位も相応に高いことが多い。お忍びであっても、店側も身分を完全に蔑ろにした応対をするのは駄目だ。

 だからこそ最低限相手が皇族だと知った上で接客させる必要があるのだが、それをわかった上で受けてくれる娘がいるのかという話になってくる。

 

 身分の高い貴族の接客に慣れている娼婦も店には在籍している。

 リズなどであれば安心して任せられるのだが、生憎と彼女は明日既に予約が入っているのでパスだ。

 そういう風に条件に会いそうな幾人かの娼婦の顔と名前がライラの脳裏に浮かんでは消え――――最終的に彼女は一つ息を吐いてから口を開いた。

 

「――――承りましょう。一名、予定を開けられる()がおりますので」

「よ、よろしいのですか!?」

「えぇ、問題ございません。どうか皇子殿下にもよろしくお伝えくだされば」

 

 ライラがそう言うとザカリーは腰を椅子から浮かさんばかりに喜びを露にした。

 憐れな青年官吏は首の皮が繋がったことに安堵のため息を吐くが、同時に一つ質問を思いついた。

 そうなると出てくれる娼婦は誰になるのだろうか。もしも自分が知っている娘であれば、皇子にもよい報告ができるだろう。

 そう思って口にした彼に、女将は微笑を浮かべながら答えた。その真意が伺えないほどに、完璧な微笑みだった。

 

 

「ニーナに担当してもらおうかと思います」

 

 

 

 

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