娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~ 作:白臼
「今日はとっても特別なお客様をお迎えするの。そのお相手をあなたにお願いするわ」
女将さんはそう言ってあたしにニッコリと笑いかけた。こっちの顔を覗き込む女将さんの目が
本当ならお休みの日なのに急なことでごめんなさいね、なんて謝っていたけれどこっちは全然構わなかった。
元々お休みをもらっても暇してることが多かったから別にいい。
あたしは他の人達みたいにあんまり遠くにお出かけできる体でもないから、お休みのときは大体お部屋でごろごろしているのだ。
お日さまの香りがするお布団に寝っ転がって、文字通りごろごろごろごろしているのはとっても気持ちいい。
そういうときにはついでに手も足も外してしまう。
しょっちゅういろんな人に「義肢のあつかいがうまくなるためにも、普段からちゃんと付けておきなさいね」なんて言われるけど、たまには大目に見てほしい。
だって、お布団の上でごろごろするときに手足が長いと邪魔なんだもん。
手がないと指先で物をつかめないのは不便だけど、使わないときにはしまっておいた方がよくないかなぁ。
そりゃもうちょっと器用になりたいっていうのも本音だけど、ずっと指を動かす練習!なんて気を張ってたら疲れちゃうもん。
あ、お話し戻そう。
そんなこんなであたしは『特別なお客様』お迎えのために準備中なのでした。
「そっちの引き出し、
「下地終わったぁー?」
「口紅どうする?いつもので行く?」
「んー……いや、ここは思い切ってちょっと強めの色でいきましょうか。『可愛い系の女の子がちょっと頑張って背伸びした』路線で行くわ」
「ならいっそのこと髪も弄る?」
「それはそのままで、今回来店される方のご年齢を考えるとそこまで経験豊富ではないわ。ニーナちゃんが自分で解けない以上、いざという時にもたつくのはマイナスよ」
周りでは従業員のお姉さんたちがわいわいやっている。
ここで言うわいわいやってる、は遊んでいるとかそういうのじゃなくてお店の準備のこと。
お店の準備はあたしたちの準備でもある。更衣室と化粧室では今日お仕事をする娼婦のお姉さんたちも身支度をしている。
あたしはこの時間がとても好きだ。お着替えとお化粧が嫌いな女の子なんていないと思う。
ドレスは可愛いものも綺麗なものも、選り取り見取り。
口紅に頬紅、マスカラにアイシャドウに。お化粧品を詰め込んだ引き出しはまるで宝石箱みたい。
「ニーナちゃん、じっとしててねー」
「はーいっ」
元気よく返事をしたら後はされるがまま。鏡の前に座って目を閉じてお人形さんモード。お人形さんになるのは得意だ。
お人形さんというのは可愛いもの、愛されるもの。手に取った人にちやほやされて、綺麗に着飾ってもらっ
それってとっても素敵なことだとあたしは思うし、そんな素敵なものになれるならあたしは嬉しい。
女将さんも『先生』も、あたしは人に愛される才能があるって言っていた。
だとしたらそれはとってもすごいことだ。えっへん、と心の中で胸を張る。
人は何かを愛でるときに幸せになるんだって、あたしは良く知っている。
お店であたしを指名するお客さんはいつもそう。あたしのことを「可愛い可愛い」と言う人の顔はいつだって笑顔。
あたしが可愛くなればお客さんも幸せで、お客さんが幸せだとあたしも嬉しい。
これをウィン・ウィンの関係っていうんだ……って『先生』が前に言ってたと思う。響きが面白くてちょっと好き。
でも可愛い系のあたしの需要もちゃあんとわかってはいるんだけど、たまには綺麗系のあたしもいいんじゃないかなって思う。
ここのお店の娼婦の人達はみんなあたしよりお姉さんで、大人っぽくて素敵だなって感じる。
背が高くてすらっとしてたりする人とか、胸がおっきくて色っぽい人とか、そういうのにもあたしは憧れる。
あんな素敵な大人になりたいなぁ、っていうのをよく考える。
――――だから、今日のお着替えはちょっとわくわくしている。
「ねえねえ、今日は大人っぽい感じのお化粧にするのっ?」
「そうね。今回のドレスは結構
「普段のだとニーナの垢ぬけない感じを崩さず色を差す感じだからね。それも可愛くて癒されるんだけど、今夜は綺麗系で纏めましょう」
「素敵だねっ」
今日のあたしのドレスはいつもより少し大人っぽい、黒と白と青のやつ。
きらきらしたスパンコールが表面に散って、まるで夜空のお星さまみたいでとっても素敵だ。
色合いだけじゃなくて上はデコルテとか背中とかばーんっ、て見えてて色っぽいと思う。
もう少し胸があったらなぁ、なんて思ったりするけど肌が綺麗だから似合うよって言って貰えたのが嬉しかった。
このドレスに似合うようにお化粧も大人っぽくいくことが決まって、あたしも
これはお店の中でもかなり上等なやつで、女将さんが秘蔵の一品だって言って出してきてくれた。
こんな素敵なドレスを着せてくれるなんて夢みたいで、ついつい大はしゃぎしてこけそうになったりしちゃった。
そうやってはしゃぎすぎると子供っぽいな、という風に反省したあたしはドレスに恥じないようにお淑やかにすることを心掛ける。
今日は特にすごいお客様をお迎えするので粗相のないようにしないと。
そう。特別なお客様――――なんでもお客様は
それを聞いた時はおもわずぽかーん、と口が開いてしまったものだ。
だって
白いお馬さんに乗ってくるんですか!?って女将さんに聞いたら笑われてしまった。絵本の中では大体そうなんだけどなぁ。
「うふふーっ」
「……なんだか楽しそうね、ニーナちゃん」
「だって今日のお客様はお……じゃなくて、すごい人だって聞いてるもん。わくわくしちゃうよね」
「具体的にどういう誰が来るかは私たちは聞いてないけど、女将さんが一番いいドレスと部屋で頼むって言ってたから、相当よねえ」
「でも
「ところで誰が来るのかしらねえ。最近、今度新しく公爵様になる方がこの辺りに来られてるってお話もあるし……」
「まっさかー。公爵様だから皇族でしょー。こんなところに来ないってー」
「えへへー」
あたしの身支度を整えながら周りで従業員のお姉さんたちがそんなことを言っている。
実はその予想正解なんですよー、とは言えないのがもどかしい。
今日のお客様が皇子様なのはあたしと女将さんだけの秘密……ということらしい。
女同士の秘密よ、なんてウィンクする女将さんも素敵でした、
正直な話、皇子様もこういうお店に来るというのも新鮮な驚きだ。
絵本とかだと
……ひょっとするとお姫様とうまくいってないのかな?セックスの相性がよくないと夫婦仲が続かない、って言ってたお客さんもいるし。
体の相性ってとっても大事だ。二人で気持ち良くなると幸せな気持ちになれるのだけど、そうでなかった時は
あたしの場合は最初良くなくても
だからセックスの相性が良くないのに我慢してお付き合いするのはストレスが溜まって良くないこと、だそうだ。
まぁ、皇子様が実際にどうなのかはあたしは知らないし、実際に会ってからベッドの上で聞けばいいか。
「はい、ニーナちゃん。マスカラ終わったから、目開けていいわよ」
「あ、ちょうどよかった。ニーナちゃんの義肢、磨き終わったから付けるわね」
「うん、ありがとうっ」
ちょっとだけ重たく感じる瞼を開けると、白い腕と脚が差し出された。
あたしの手と足だ。そう、何を隠そう着替えとお化粧中は外していたのだ。
やっぱり外した状態の方がコンパクトで、人に体を任せるときは楽というのはみんなもわかってもらえると思う。
それで、外している間はあたしの手足を磨いてもらっていた。
あたしの肌よりも真っ白で、部屋の明かりを照り返してピッカピカの腕と脚。頬ずりしたらすべすべで気持ちいんだろうなぁ、なんて考えが浮かんじゃうくらいだ。
お店の廊下に飾ってる美術品みたいに綺麗で、こんな素敵な体をあたしにくれた『先生』にはいつだって感謝してもしたりない。
具体的に思い出そうとすると頭がモヤモヤしてくるからうろ覚えなんだけど、切られた後の断面なんか本当にぐちゃぐちゃで酷くて、血が止まらないから焼きごてで焼かれて真っ黒になってたし。
今では短い手足の先は丸まったつるりと白い肌で、ここに傷があったのなんて誰にもわからないくらい『先生』が綺麗に塞いでくれた。
時々ここを撫でたがるお客さんもいるけど、気持ちはあたしもわかる。感触を確かめたくなるくらい綺麗だもの。
手袋を嵌めるみたいに、靴下を履くみたいに、両腕と両足の義肢を嵌めて貰う。
うっすらと繋がる感覚があって、それを確かめるように軽く指を握ったりぶらぶらと動かす。関節が
ものに触ってる感覚と動かしている感覚が薄いので目視で確認するのが大事だ。
「一回ちょっと立ってもらっていい?全体確認したいから」
「うんっ。……おぉー、素敵……っ」
よいしょ、っと言いつつ椅子から降りる。
重心がぐらつかないように意識しながら立ってみて鏡を覗くと、思わず感動してしまった。
支度はまだ途中のはずなのだけど、もうこれで完成でいいんじゃない、って言いたくなるくらいだ。
綺麗なドレスとぴかぴかした手足の女の子が、目を丸くして鏡の中からこちらを覗いている。
これあたし!?っていう感じ。
「よし、良い感じに仕上がってきてるわね」
「このまま任せておいてちょうだい。今夜のニーナちゃんを素敵な
「て、照れちゃうなぁ……」
周りのみんなから見ても今のあたしはかなり素敵な感じになってるみたいだ。
素直に嬉しいけど、『お姫様』はちょっと気恥ずかしい。
だって、あたしはお姫様じゃなくて娼婦だし。
お人形さんの方がまだ抵抗が少ないかな?
******
「ここが件の店か。……ふむ、悪くはなさそうだな」
「お褒めに与り恐縮にございます、殿下」
「ははっ、そう畏まるな。今日は遊びに出てきているんだからな。堅苦しくされると面倒だ」
「お、恐れ入ります」
宵の入り、空が夜の帳を下ろし始めて街がその表情を変え始めるころの事。
繁華街裏手の大きな屋敷にも見える店の門を一台の馬車が潜っていった。
窓から見える『リーベ・エンゲル』の看板を横目に見ながら、車内の若者は対面に座っている青年に声をかけた。
青年――――ザカリーという青年官僚がガチガチに緊張しているのはその若者が初めて会った時からいつものもことなのでもう気にはしていない。弄って遊ぶくらいの余裕がある。
それに彼からすれば自分に面通ししたものが緊張に身を強張らせるのは当たり前の話でもあるので彼としてももう慣れてしまっている。
何せ彼こそはアーシルファ帝国の第二皇子、ウィリアム・ザイン・アーシルファその人なのだから。
「それで……今夜僕の相手をすることになる娘だが、お前も世話になったことがあるという話だったな?どうだったんだ、具合は」
「え、えぇ……とても、可愛らしい少女でありました。子犬のようで……」
「ふぅん、可愛い系ね……。まぁ、お前の推薦の店だ。そうマズいことにはならないだろう。これでも僕はお前の事を高く買っているからな。今日の店が良かったらこれからも
「ぁっ、ありがたき幸せ、です」
切りそろえた自身の金色の髪を指先で弄りながらウィリアムは雑談を交わす。
その面持ちにはまだあどけなさが垣間見えるが(彼基準で)質素な礼服に身を包んだ佇まいには生まれ持った気品が溢れている。
細かな所作に乱雑な所はなく、身振り手振りがゆっくりとはっきり見える。言葉は明瞭で声には張りがあり良く通る。
無意識に行う一つ一つの言動の全てが他人に見られること、そして他人に働きかけることを前提として身に付けられている。
年齢は十六歳。この国ではまだ成人を迎えたばかりだが、それが未熟さではなく若々しい力の発露として見えるだけの
金の睫毛に縁取られた碧眼を窓の外に向けてウィリアムはこれまでの事を僅かに思い返す。
公爵就任の説明のための挨拶回り。大公領内でのそれが予想より早く終わったのだ。
このまま次の予定通り一旦首都に帰参するという案も無いではなかったが、どうせなら遊んで帰るかと思い立ち、その為の紹介をザカリーという男に頼んだのである。
彼を選んだのは巡業の早めの終了がこの若い官僚の男の尽力の結果だったことを評価しての事。
その上で娼館に行こうかと思い立ったのは――――年齢通りの旺盛な欲求故のことである。
ウィリアムも既に童貞ではないし婚約者もいる。
皇族という身の都合上、下手な相手と夜を過ごすのは
彼が求めているのは口が堅く、勝手に子供を産んで遺産相続をややこしくする可能性がなく、それでいて床上手で気持ちよくしてくれるという、非常に都合の良い女性である。
その前提条件に当て嵌めれば『リーベ・エンゲル』は合格であった。
身分の高い客を抱えることも多い関係で顧客の個人情報の扱いには慎重であり、魔術的な手法で避妊と性病予防を確りと行い、娼婦の腕は保証済みだ。
このような優良店を紹介してくれたザカリー・ロットフーゲルという男に対し、ウィリアム皇子はますますの高評価を抱いていた。
……まぁ、その評価が彼の心身の健康に寄与するかどうかは全くの別問題なのだが。
「それで、そのニーナという娘には手足が無いと言っていたが、本当か?」
「はい……それは間違いありません。ぁ、そのっ、両手足がないとはいえ代わりに義手と義足を着けていますので、見た目にはそう普通の人間とは変わりませんので……」
「あぁ、別に文句を言っているわけではないんだ。むしろ軽く興味が湧いているくらいでな」
皇子は端整な顔に微かな笑みを浮かべた。
彼の言は目の前の男を気遣ったわけでもないし、別段嘘を言ったわけでもない。
両手足のない娼婦、という存在に興味を覚えているのは純然たる事実だ。
常識的に考えてみると良い――――肉体に欠損があったら本能的に醜いと感じてしまうのは当然の事ではないだろうか?
昔、傷痍軍人の慰問の為に病院を訪れたこともあるウィリアムは目や耳、手や足を失った元兵士たちを見てそう思った。
彼らのそれが国に身を捧げた者達の名誉の負傷であることを慮って口にはしなかったが、彼の感性からすればその傷跡は醜いと言わざるを得ないものだった。
それらは憐れむべき欠落であると理性ではわかっていても、である。
だが翻ってそのニーナという娼婦は両手足を失っていながらも、この高級娼館で一定の人気と売り上げを誇っているというではないだろうか。
場末の貧民街でならいざ知らず、一晩で相応の値段を払う必要のあるこのような店で働けているということは、それだけの価値のある娘であるということが保障されているのは間違いない。
実際に抱いたことのあるザカリーの反応からしても決して悪いものではないのだろう
そうなればその顔を拝みたくなるのが人情というものではないか?
手も足も無い、達磨の身で高級娼婦をやっている娘とはどんな人間なのだろうかと、そんな怖いもの見たさ……というには些か不敵な、純然たる好奇心である。
「……さて、着いたか。明日の朝、迎えに来い」
「はっ。どうぞお楽しみくださいませ」
つらつらと考えを巡らせていると馬車が足を止めた。
御者が扉を開いて昇降台を設置するのを確認してから、ウィリアムは鷹揚に言い残して降りていった。
店の人間が一礼してから開いた扉の間を抜け、彼は娼館の中へ堂々と足を踏み入れたのだった。