娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~ 作:白臼
「こんちわーっす。ニーナちゃんいるっすかー?」
「あっ!アナちゃん、おはようっ!こっちだよーっ」
三人が一通り食事を終え、お茶を飲みながら時間を潰していた頃に来客があった。
トランクを引きずりながら勝手知ったるという風に入ってきたのは黒いローブに黒い鍔広の帽子と、なんとも暗い色合いの出で立ちの女性だった。
見栄えなど考えたことも無いような黒一色の服装に加え、帽子の下から覗く赤い髪は伸ばしっぱなしの乱雑なもので、眼鏡も太い黒縁の野暮な品である。
仮に彼女が娼婦であったのならば如何せん客に恵まれなさそうな容姿ではあるが、それに関しての心配は無用だろう。
彼女は娼婦ではなく、魔術師なのだから。
「ニーナちゃん、久しぶりっす。元気してたっすか?」
「元気元気、大元気!昨日もお仕事頑張ったよっ」
「それはなによりっす。それじゃあ体診るっすけど、部屋行くっすか?」
「いつもの感じだったら、別にどこでも行けると思うけど」
「ん。じゃあ、その辺座ってもらっていいっすか?」
「はーい」
アナ……アナベルは早歩きで駆け寄ってきたニーナと抱擁を交わして笑顔を向け合った。
その様はさながら仲睦まじい姉妹のようでさえあった。実際のところ血の繋がりは無いが、当人たちに聞いても「そんな感じ」と肯定が返ってくる程度の関係であった。
挨拶もそこそこに二人は適当な椅子に腰かけて『診察』の準備を始める。
とはいってもニーナに関してはただ座っているだけだ。
一方でアナベルはトランクからこれまでの経過を纏めたカルテや羽ペンなどの筆記用具などなどの道具類を机の上に広げて並べ立てる。
一通り準備が終わってから診察が始まるが――――こちらもそう大仰なものではない。
傍から見ればアナベルがニーナの体に触れながら何事かをぶつぶつと呟いているだけに見える。それでも大概不審な光景かもしれないが。
「アレって何やってんの?」
「ニーナの健康診断よ。主に義肢の調整ですって」
そしてそれを別の
ミカエラは『リーベ・エンゲル』の内では比較的新参に当たるため、ニーナの診察を見るのは初めてだった。
彼女は興味津々といった風にその光景を眺めていたが、ただ見ているだけでは何をどうやって診断しているのかもよくわからなかった。
頭上に『?』マークを浮かべている彼女にリズは助け舟を出すことにした。
「ニーナの義肢は魔道具だから、体の魔力の流れを診ているんでしょうね」
――――この世界には『魔法』という概念が存在しており、それを解析して人間が扱えるようにしたのが『魔術』という技術である。
研究者である『魔術師』たちの探求によって世界には『魔力』という目には見えないエネルギーが満ちており、それを制御することで任意に様々な現象を引き起こすことが可能であると明かされ、また人間の体にもその魔力が宿っていることが分かった。
……だがしかし魔術師と成り得るのは才能に恵まれたごく一部の人間に限られる。
棒切れを持ってチャンバラごっこをする子供などありふれているが、そこから剣の術理を修めて剣士、剣客と呼ばれるようになるようなものはどれだけいるのだろうか?
魔術に関しても同じで、ただ単に魔力を持っているかでではなく、その扱いを己の生業として定めるだけの不断の努力と知識の研鑽が求められる分野なのだ。
故に歴史上において魔術は(その原型となった魔法も勿論の事)ごくごく限られた専門の技能者のみが触れることを許される陰に秘された分野の学問であった。
しかしながらここ一世紀ほどの間で発達したのが魔道具関連の技術である。
物品の中に予め魔術を仕込んでおくことで魔術の訓練を行っていない者でもその恩恵に与れるため、様々な分野でその研究が進んでいた。
「ふーん。そんじゃあ、
「そう言うことになるわね」
ミカエラはリズの解説を聞きながら自身の下腹をぽんぽんと叩いた。
これは気を抜けばすぐにでも弛み始める
今は服に隠されていて見えないが、彼女の下腹部にはハート型を彷彿とさせる形状の刺青が刻まれている。
これは魔道具技術の応用で作られたものであり、性病予防と避妊の効果を併せ持った魔術的な紋様である。
処置に際して相応の費用は掛かるが、高級娼館である此処では所属する娼婦全員が施しているものだ。無論、ニーナとリズにもある。
「それを入れてから、時々不自然な体の怠さを感じるようになったんじゃないかしら?それは魔術の紋様が作用するときに貴女の体の魔力を消費している証拠なのよ」
「へぇー、それは知らなかったね。女将さんはそこまでは話してくれなかったし」
そこまで話をしたところでミカエラは診察中のニーナの方へと顔を向けた。
少女は大人しくちょこんと椅子に腰かけたまま、腕をテーブルの上に投げ出している。
アナベルは生身と義肢との接続部周りや、磁器のように白い腕の表面を医師さながらの慎重さで触診していた。
いや、実際にやっていることは医療行為なので医師と言ってもあまり誤解は無いのかもしれないが。
「それじゃあ、なんだ?ニーナの方の体は大丈夫なのか?魔力っていうのはよくわかんないけど、使ったら体怠くなるんだろ」
「ううん、あたしはそんなに疲れたと思ったことはないけど……」
「――――あぁ、それはこの義肢が消費型じゃなくて循環型だからっすね」
ミカエラの呟きにアナベルが反応する。
彼女は手元の義肢に視線を注いでいるままだが、その口調に澱みは無かった。
「人間の体には血液みたいに魔力が順繰りに巡ってるんすけど、ニーナちゃんの場合は手足がないんで本来そこに流れるべき魔力が断面の所で滞留してるっす。そんで、この義肢は接合部から魔力を取り込んで生身の体と同じように循環させて動かしてるって寸法っすね。肉体の延長線上で元々あるべき機能をそのまま再現してるだけなので燃費は格段に良いっす。一方で皆さんのお腹に刻んでるやつは人体の機能の抑制と追加。こっちは体に新しい能力を付与したようなもんなんで本来の魔力循環構造に組み込むのが難しいんすよねー……。まぁ、それでも普通はやっぱ消費型の方が一般的っすよ。出来合いのやつをポンと載せるだけで済むっすからね。循環型は個人個人の魔力経絡の構造に合わせた
「そ、そうなのか」
「んで、こいつを見て欲しいんすけど」
立て板に水といった調子で捲し立てるアナベルに若干引いた様子だったが、ミカエラは言われるがままに彼女らがいる側のテーブルに歩み寄った。
彼女は既に頭がややパンク気味で辟易とした表情になりつつあったが、リズの方はむしろ興味津々と言った様子で魔術師の手元を覗き込んだ。
「んー……海の境、沢の堰を破る。血水、六脈を巡る。精気、五色を晒せ」
「おーっ!」
感嘆の声を上げたのはニーナである。
アナベルが彼女の義手を外してから断面に手を当てて何事かを呟くと、そこからじわじわと滲むように淡い光の線が中空に伸び始めた。
それはやがて血管のように脈を打ち、ぼんやりとした腕の輪郭を象り始めたのである。
「これはニーナちゃんに
こともなげにそう言うとアナベルは、今度は机の上に置かれた義手の側にも手を置いた。
彼女が同じように魔術を唱えると義手にも光の血管のようなものが浮き上がる。
それらは今もニーナの腕から伸びている仮想の魔力流と同じ模様を象っている。
これまでの資料と見比べて双方に綻びが出ていないか確認したアナベルがまた一撫ですると、それらの光はまるで蜃気楼だったかのように一息で消え去るのだった。
「ん。右腕は問題なしっすね」
「すごいねーっ。あたしの体にも魔力ってあるんだ!」
「まぁ、多少の多い少ないはあるけど人間には皆あるっすよ。……っていうかニーナちゃんも魔力制御訓練やったじゃないっすか。『先生』のところで」
「……そういえばそうだったね!」
腕が両方あればポンと掌を叩いていたであろう、今思い出したと言わんばかりのニーナの態度だった。
アナベルの言う通り人間には個人で多寡の差はあれど誰しも魔力がある。
この量はどれほど鍛えたところで誤差の範囲でしかない。それ故に何より重要なのは魔力を認識し、理解し、制御する技術である……とは『先生』の弁だが――――ニーナはこの辺りの才能が全くと言っていいほど無かった。
彼女は一年ほど『先生』の元で治療を受けながら義肢使用訓練の一環として魔力の運用に関しても指導を受けていたが、まるで
「……じゃあ、だけど。魔力の制御がもう少しうまくいってればニーナちゃんの義手ってもう少し器用に動くのかしら?」
「おっ、リズさん鋭いっすねー。まさしく、言う通りっす」
リズの指摘にアナベルは我が意を得たりと頷いた。
人間の四肢には単純な触覚だけでなく、位置覚や深部覚……今自分の体がどのあたりにあってどのように動いているのか、を感じ取る機能が備わっている。
今、指を握っているのか開いているのか?
手首を曲げているのか反らしているのか?
腕を上げているのか下げているのか?
普通なら目を閉じていても存在しているこれらの感覚は思った通りの動きを体にさせるためにまず必要な情報だ。
この義肢には皮膚の触覚は再現されていないが、もしも着用者が義肢内を流れている自分の魔力を精密に感じ取ることができるのなら、そうした感覚の代用にはなるだろう。
ニーナには残念ながらその辺りの才能はさっぱりなかったのだが。
「『先生』に言わせると、
「ゲンシツー?」
「体の一部を失った人が、その失ったはずの部分に痛みを感じる現象っす」
首を傾げたミカエラに対して魔術師が講釈を垂れる。
例えば腕を失った人間であれば、傷が塞がっているにも関わらず腕が本来あるべき場所に耐え難い程の痛みを感じることがある。
その痛みという輪郭によって象られる本人の仮想上にのみ存在している手足を幻肢と呼ぶ。
幻視が本来の手足に対してどの程度の割合が残っているように感じるかは個人差があるが、目を閉じていれば実際に指や肘を曲げ伸ばししたりするように感じられることもあるという。
「んで、魔術的な分野から解説すると、幻肢ってのは傷跡から漏出した魔力が無意識のうちになくなった四肢を形成している現象なんすよねー」
そう言いながら彼女はニーナのもう片方の腕に対して魔術を行使した。
すると先ほどと同じように少女の腕の断面から伸びた魔力が血管のように腕の輪郭を作り上げる。
「これは意図的に私が断面部分から
「つまり……どういうことなんだ?」
「…………」
ミカエラの疑問に、アナベルは少し神妙な顔をしてからニーナの方へと向き直った。
「ニーナちゃん、
「うん、
あっさりと彼女はそう言った。なんという事のない表情であった。
ニーナはアナベルの魔術で出現した、自分の魔力が象る腕の
彼女の魔力であるからには彼女の意志で動かせるはずなのだが、握り拳を作ろうとすれば指が掌を貫通し、指を開けば掌が萎れた花のように過剰に開いていく。
多少は訓練をしたはずなのだがこの様である。自分の手も指も、その本来の可動域を思い出すことすらできていないのは明らかであった。
「うーん……。やっぱり難しいね……」
「……まぁ、動かせるようになっただけまだマシっすよ。昔はピクリとも動かなかったっすからね」
幻肢の存在を感じられているのであれば、それと連動した魔力の流れ、ひいては義肢の動きを感じることも容易だったろう。
しかしながら本来あったはずの手足の感覚すら覚えていないのであればこれは困難極まる話だ。
ニーナ自身が魔術的な才能にまるっきり恵まれていないというのもそれに拍車をかける。
ここまで来ると彼女にとっての義肢とは、本来あるはずだった手足を再現する物ではなく、付け加えられた新しい器官にも等しいだろう。
常人からすれば脇や背中辺りから第三、第四の腕を新しく生やしているような感覚に近いかもしれない。
扱いづらいのも無理はない話だった。
……まぁ、それでも物は考え様というもので、ニーナの運用データは貴重な
実際にこれらは魔力を扱う素養がないもの向けの義肢や、健常な人間が使用する追加腕型魔道具の開発に役立てられている。
『先生』の直弟子にあたるアナベルがニーナの体を定期的に診にきているのも、そうした
「はい、付け直すっすよー。……違和感ないっすか?握ってー開いてー。ん、問題ないっすね。最近腕周りで変なことはないっすか?」
「絶好調だよ!ナイフとフォークも持てるし」
「さっき取り落としてたじゃない」
「リズ姉は言わないで!」
接続しなおした手の指で、開いては閉じてをくり返す。
先程の魔力の影と違って過剰に伸びたり、指が掌を貫通したりということはない。関節部分で動きに制限がかかっているからだ。
ただ、やはり物に触れる感覚もなく、実際に動かしている感覚も希薄とあっては精密な動きは難しい。
先程のように食事中にナイフとフォークを使うのも覚束ない以上、これから先も不断の努力が欠かせないだろう。
「自分で服脱ぐくらいはできるようになりたい……できればアイシス姉くらいに器用になりたい……」
「そいつは普通に手足のあるあたしらにもムズいわ」
はぁ、とニーナは肩を落として溜息を吐く。
彼女が挙げたアイシスというのは『リーベ・エンゲル』内で最も踊りが上手い娼婦である。
ストリップ一つとっても思わず女性でも目を奪われる艶かしさがあり、
ニーナにとっても憧れの女性の一人である。
「ま、そんなに落ち込むことないっすよ。ニーナちゃんにはニーナちゃんの良さがあるっすからね」
しゅんとしているニーナの頭をアナベルがあやすように撫でる。
魔術の実験に明け暮れて、硬くなった皮膚に細かな傷のついた手の先。
そんな指に触れる少女の髪はどこまでも優しく滑らかな手触りで、さながら涼やかな清流に浸るような心地よさだった。
「そうなのかな?」
「そうっすよ。『先生』もここの女将さんも言ってたっす。ニーナちゃんは愛される天才っすよって」
「えへへっ。『先生』が言うんならそっかなぁ……あたし天才かー……」
へにゃり、と屈託のないその笑みはどこまでも幼気であどけない。
アナベルの撫でる手のひらに自身の頭をそっと擦り付ける仕草はまるで子犬のよう。
どんなに心荒んだ者であっても思わず庇護欲を掻き立てられずにはいられない、無垢な野花の微笑みだった。
何も含むところもなく、相手に媚を売ろうとも思うことなく……天然で
春を
「……ふむ。ところでなんだけどさ、皆が話題にしてる『先生』ってどんな人なんだ?」
撫でられるニーナの表情を見ながら自分もそれをモノにできないかと考えつつ、ミカエラはそう口を開いた。
アナベルは直弟子であり、ニーナは義肢を作ってもらい、リズも一時期厄介になっていた頃がある。
この場にいる四人の中で『先生』と面識がないのはミカエラだけだった。
彼女が知っていることといえば、精々とても腕の立つ魔術師であり、『リーベ・エンゲル』の運営に一枚噛んでいる男性であるということくらいだ。
「『先生』はとっても良い人だよっ!」
「『先生』は最高の魔術師っすよ。人間としてはどうかと思うっすけど」」
「『先生」に関わるのはよしなさい。関わらないで済むのならそれに越したことはないわ」
「オーケー。深くは訊かないようにしよう」
「なんでっ!?」
嫌な予感がしたミカエラは聞かなかったことにした。
触らぬ神に祟り無し、とは裏社会とスレスレの
ニーナだけはミカエラの判断に驚愕しているが、彼女の危機判断は信用ならない。彼女は何事も
アナベルもリズの意見には同意し、ミカエラの判断を尊重した。
直弟子である彼女から見ても、『先生』は人間としてはこれ以上ない危険人物だった。
それにニーナが彼に懐いていること自体がおかしいのであり、憎まれてもあまり文句は言えない立場でもある。
――――頼まれたわけでもないのに勝手に治療した上で、治療費を稼がせるために彼女を調教して『リーベ・エンゲル』に放り込んだのは他ならぬ彼なのだから。
アナベル「っていうかなんですけど、本来は消費型と循環型みたいな感じで魔道具の種類を分けるのがナンセンスだっていう話でー。魔道具に込めて消費した魔力が何処に行くかっていうとそれは大気中に霧散するだけなんすよね。んで、人間の体内に巡ってる魔力も呼吸とか食事とかを介した代謝で自然界から取り込んでるっつーわけで最初からでっかい循環構造の中にあるわけっすよ。自然界の魔力、