娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~ 作:白臼
リズの本名はエリザベート・ヨハンナ・ジョーフィールドという。
彼女の実家はジョーフィールド
ジョーフィールド家は末席とはいえハイヴェルド大公の一門に連なる家系であり、大公領の一角にて小さいながらも領地の運営を任されていた。
彼女はそこの長女として(貴族の基準ではあるが)慎ましやかながらも品位と誇りある淑女として育てられていた。
その運命が一変したのはやはり『黒魔術戦争』が切欠だったと言えるだろう。
他の領邦の話ではあったが、大貴族に対する小貴族たちの徒党を組んでの反抗に端を発する戦争だった。
その内乱の始まりは農地の不作とそれに反比例するように上げられた税率に対する反発だったと記録されているが、問題は原因ではなく戦争自体の過程にあった。
大貴族たちに対して兵力の規模で劣る下位貴族たちの連合は、戦力を補うべく多数の『黒魔術師』と言われる人員を雇いこれをもって大勝を修めたという。
だが、ここで
貴族とは面子と
結果としてある領邦内で起きた小さな反乱は泥沼化の一途をたどり、やがては野火のように広がって帝国の至る所を焼き払った。
ハイヴェルド大公領は
ジョーフィールド子爵家もそんな不幸なもの達の一人だ。
エリザベートの父、ジョーフィールド子爵は領地を守るために民兵を率いて出陣したがあえなく討ち死にした。
半ば暴徒と化した隣邦の反乱軍たちは瞬く間に当主不在となった小さな子爵領を引き裂いていった。
子爵夫人は夫の意志を継いで土地と領民を守るべく、高い依頼料を払って傭兵や他領からの援軍を雇って抵抗した。
吹き荒れる嵐を前にして一本の木を盾に耐え抜くような日々が続き、彼等は生き残ることには成功した。
ただ問題はその後の事だ。
数を減らした領民、ズタズタになった領地、失われた領主の命。
……今までのように子爵領の運営がうまくいくはずもない。
何よりもまずいのは、外部から雇った傭兵や他領の助っ人に対して支払える報酬すら危うかったことだろう。
あとはもう想像に容易い。
足りない金銭を賄うための借金。
返済しようにも復興の目途の立たない財政。
利息を払うために切り取られていく子爵家の財産。
――――戦火から辛うじて逃れた生家の風通しが随分と良くなってしまった頃、エリザベートは最後に売り払うべきものが自分の身柄しか残っていないことに気が付いた。
******
「……お初にお目にかかります。ジョーフィールド子爵家長女、エリザベート・ジョーフィールドと申します」
エリザベートはスカートの裾を摘まんで淑女らしい
来ている衣服は至って簡素なワンピースドレス。貴族令嬢が着るには些か垢ぬけない質素な代物だが、これが彼女の手元に残った数少ない真っ当な衣服だった。
それでも行儀と作法だけは滞りなく、美しいままに。
例え物がなくとも、体に身についた教養と礼儀は失われないものだった。
「結構。歓迎するよ、お嬢さん。そちらに掛けてくれ」
促されるままに彼女はソファに腰かけた。
ふわりと体重に合わせて深く沈むような柔らかな敷きものの手触り。
実家が健在だったころにあったものよりも上等な質感に心の中で嘆息する。
彼女が今いるのは都市部……おそらくはジョンズバーグの郊外にあるだろう邸宅の応接間だった。
だろう、という曖昧な表現なのは馬車で運ばれた道中、幾度も深い森を抜けるなどして時間間隔や距離感が麻痺してしまったからだ。
あまりに入り組んだ場所を通る道程は、むしろよくこんなところに馬車道があったものだと感心するほどだった。
「さてと、エリザベート嬢。君にこうしてご足労願ったのは他でもない……今後の君の身の振り方に関して決めるためだ」
「身の振り方……ですか」
「ああ」
よく磨かれた小卓を挟んで対面に座る男性に背筋を伸ばして向き合う。
エリザベートは男を正面から見据えた瞬間、「まるで夜が人の形になったようだ」というなんとも奇妙な感想を抱いた。
肌の色はこの辺りではあまり見ない色合いだ。白いとは言えないが南方系のように黒いとも言えない。
どちらかと言うと黄色に近い。だから肌の印象というわけではない。
黒い髪に黒い瞳、黒い縁の眼鏡に総身を覆う黒いローブ。黒づくめのそれらは「夜」を連想するに十分だろうか?
だが、なんとなく違う、と彼女は改めて思う。
ただその佇まいが、纏う空気が、一寸先を見通せない夜の闇を覗き込んだ瞬間を連想させる――――。
目の前にいるのはそんな人間だった。
「あの……それよりも先に、貴方の事は何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「俺か?俺の事は……まぁ、『先生』とだけ呼んでくれればいいよ。周りの連中にはそれで大体通じる」
「『先生』……。何かを教えておられるので?」
「主に魔術を」
「……!」
魔術、とその言葉を聞いた瞬間にエリザベートの瞳に力が籠る。
彼女はその多くを『黒魔術戦争』を通して失った。ここにいる『先生』が例え戦争自体と無関係だったとして心中穏やかではいられない。
男の持つ異様な雰囲気に呑まれまいとだけしていた心が、また別の要因で奮い立つ。
令嬢のそんな様子を見て『先生』はうっすらとした笑みを浮かべた。夜空に浮かぶ三日月のような笑みだった。
「気骨がありそうで大変結構。――――君のように売り飛ばされて此処に来た娘は大抵この世の終わりのような顔をしているもんだが、元気があるようで何よりだよ」
「……なるほど。ご心配頂かなくても結構です。私は『売られた』のではなく自分から志願して『身を捧げた』のです。最初から覚悟の上です」
「ふむ」
「……っ」
『先生』はまだ少女と言って差し支えない年頃のその女性に目線を投げかけた。
自らの膝の上に頬杖を突きながらのだらしない姿勢だが、瞳だけは梟かはたまた鷹のそれ。
宵闇の向こうから獲物を品定めする猛禽の眼だ。
その
本当は恐ろしい。目の前にいる男も、これから待ち受けるだろう未来も。もう家族とは会えないだろうという事実も。
幼子の頃、嵐の夜にそうしていたように目と耳を塞いで毛布にくるまってしまえたならどれだけ楽だろうかとさえ思っている。
だが、ただじっと耐えていても好転する物は何もない。
ならばせめて、自分の意志で目の前にあるものと立ち向かいたかった。
……彼女の父が、そうしたように。
「まぁ、いいか。そう言うのならそれでいいだろう」
ふっ、と男の視線が緩む。
令嬢にとっては命の危険を感じるほどの
自分がジロジロと見るとみんなビビるんだよなぁ、と心の中で溜息を吐いてから彼は話の続きをすることにした。
「案内するところがある。歩きながら話をしよう」
「かしこまりました」
男がソファから音もなく立ち上がって応接室から移動する。
その姿に黒い雲か或いは霧のようなものを連想しながらエリザベートは彼の後に続いた。
二人連れだって応接室から出て屋敷のロビーを横断する。
物珍しいものが置いてあるとか、高級な調度品が置いてあるだとかそういうわけではない。
ただ、何となく……柱の影、天井の隅、床の角、階段の下。そんな些細な暗がりが
夜の森の木々の間から
「さて、俺は君の実家の債権主から君の身柄を預かることになった。君は『奉公に出た』という名目で借金のカタにされた。ここまではいいかな?」
「はい、問題ありません。……額は、どれだけになりましたか」
「大金貨500枚相当。心配しなくても良い。君の実家の借金はこれで
「そうですか。……良かった」
『先生』の言葉を聞いてエリザベートはそっと胸を撫で下ろした。
身売りした時に額の査定は聞いていたがどこまで信用したものかと疑ってはいた。
だがなんにせよこれで家の借金を返すことができたのであればそれに越したことは無い。
家にはまだ母と、幼い弟がいる。借金という問題が解決してからジョーフィールド子爵家が復興できるかどうか、後は二人に託すだけだ。
「あとの問題は君自身だよ。俺はアルブレヒトの伝手……あー……君の所の債権主の、親組織のお偉いさんの縁というのか、そういうのがあってな。
「加工……ですか?」
「素材を安く買い取って、職人の手で加工してもらって、高値で売る。どこでもある商売の基本だろう?」
「…………」
エリザベートは眉を顰めた。
材料を買って、加工して、品物として売るという工程は彼の言う通り世の中にありふれたものだ。
肉屋が豚を捌いて肉を売るように、金物屋が金属を鋳って鍋でも売るみたいに。
しかし今、男が話している材料とは他ならぬ彼女自身だった。
この時代の文化では女性はあくまでも家の財産という扱いであることが常であり、エリザベート自身もそういう価値観の元で育ってきてはいる。
だが、肉屋の肉、金物屋の鍋と同列に扱われるような物言いは衝撃という他になかった。
「身を売るっていうのは、そういうことだよ。体を売るっていう風に言い換えてもいいがね」
「体を、売る……」
「そういう目的での加工だよ。……
曰く、大金貨500という値は貴族令嬢という付加価値に加えてエリザベート自身の器量も評価してのものだ。
それなりに高い値段で買ったのだから、売るときにはもっと高額で売りたいのが商人の性質《サガ》。
故に加工業者……或いは調教師も相応に質の高い所に任せられた。
それが『先生』だ。
「俺は生業こそ魔術師ではあるが、実際のところは何でも屋みたいなものでね。よくこういう依頼も受ける。言っておくが最終的な質には自信がある。お前も立派な性奴隷に仕立て上げてやるとも」
「性、奴隷……」
令嬢は男の言葉を反芻した。口の中で転がしても頭が意味を理解してくれない。味のしない飴のような舌触り。
ロビーを抜けて二人が歩いている廊下は窓から注ぐ銀色の日光が床の上に注いでいる。
その眩さも目に入らない。目の前に黒々とした靄がかかっているような錯覚。
瞼の裏にだけ夜が下りてくるような、酩酊感。
「そう、精奴隷だ。売却額の目標は……まぁ、大金貨750枚くらいかな。そこまでいくと大貴族、高位聖職者クラスが客になるだろうな。そういう連中のお眼鏡にかなうレベルにまで調教するとなると、
「……何を安心しろ、っていうのよ……」
「少なくとも
先導する男が振り向く。
黒々としたシルエットはただ日向にいるだけで逆光の中に浮かび上がる影絵のよう。
肩越しに投げかけられた『先生』の瞳は、夜闇のような黒色の中に慈悲と憐憫の色を湛えていた。
「例え全身から血が出るまで鞭うたれようとも、例え犬との交尾を強要されても、例え腹の中の糞をブチ撒ける姿を見世物にされても、それを全部『気持ち良いこと』として受け入れられるように躾けてやる。俺のところで性奴隷に調教するっていうのはそういうことだ」
「……狂ってる。狂っているわよ、それ」
「あぁ、そうだ。
狂ってる、とその言葉はどちらに向けたものだったか。加工されてしまった人間の成れの果てか、その様を優しささえ感じる声音で語る『先生』か。
だが、同時にエリザベートは頭の隅の冷静な部分で彼の言葉の意味もまた理解していた。
この世には彼女が想像することもできないような地獄が存在していて、その深みは常人では測れない。
――――たとえ、そんな地獄の底でも……それに順応して笑って生きていけるのであれば、それは
「着いた」
「っ!」
先導していた男の声ではっと現実に立ち戻る。
廊下の一角、何の変哲もないドアに『先生』が手を掛けて開いていく。
そこにあったのは……地下室への下り階段。ただそれだけだった。
「さぁ、降りようか。君の為の部屋を用意してある」
「…………っ」
『先生』が手招きしている。
その奥には何でもないただの階段。
ただの階段――――その筈だ。
しかし、エリザベートはそこから一歩たりとも踏み出すことができなかった。
地下へと下る道のその奥の闇に目を凝らす。廊下から光が差し込んでいるはずなのにその暗がりは、千本の煙草の煙を詰めたように濃く、重たく、見通せない。
「エリザベート嬢?」
「……いやよ。
ただの恐怖からではない。確固たる意志を持って、彼女はそこから一歩下がった。
地の底への落とし穴のような階段と、それを背に立つ男を睨み据える。
ここで不興を買って後でどうなる?身柄の売買も帳消しにされるのでは?
そんな思考が脳裏を過ぎるが、エリザベートは『先生』の言葉よりも自分の判断に従うことを選んだ。
――――あの階段を降りたらそこで終わり。
――――死ぬよりも悲惨な結末が待っている。
――――それこそ何をされても
そう彼女は看破した。
「……なるほどな。見てくれは上々。教養もあって、地頭もよさそう。そして気骨があって、勘が良いと来た。ロビーでも違和感があったみたいだしなぁ。ふむ、なるほど」
「…………」
そして今から自分が加工すべき
予想通りでもあり、また予想以上でもある、と。それは素材の活きの良さ、質の良さを称賛するような感情ではあったが、上機嫌であることに違いは無かった。
「少し聞いてみるけれど……この館に入ったときから、
「……あまり他所様の住まいについてこういうことを言うものではないのですが、ええ、有体に言って
「うむ、結構。それで正しい。いい感性だ。見込みがあるな、場合によっては弟子に取りたいくらいだ」
「……ありがとうございます」
エリザベートは複雑そうな表情を浮かべながらも、褒められたことは分かったので礼を返した。
そして彼女の感想は正しい。『先生』の工房でもあるこの屋敷には不吉の気配が染みついている。
それは彼があまりに多くの邪悪な魔術的実験を行った結果こびりついてしまった
客間や玄関のように他人が出入りするところは念入りに除染しているが、彼女は僅かに残ったそれを鋭敏に感じ取っていた。
厳重に封印を行っている地下にしても扉一枚開けて階段を覗いただけで拒絶反応が出た。
なまじ感性が鋭いだけの人間ならその段階で眩暈を起こすか、恐慌状態に陥るのだが、彼女は確りと自分の意志を保ったまま足を引いた、というのも高得点である。
魔力の質に対する感性とそれに情緒を引っ張られすぎない意志の強さは魔術師に必須の才能であると言えた。
弟子に取りたい、と言った『先生』の言葉は本心からのものだった。
「オーケー。今の俺は特に機嫌が良い。君のことを大いに気に入った。――――なので、君に選択肢を上げようと思う。」
「選択肢、ですか?」
「
それ本気で言っておられる?と呆れそうになったエリザベートは言葉をグッと呑み込んで続きを促した。
「債権主の方からは君を大金貨750以上で売りたいという風に依頼を受けている。これに関しては譲れない。最初は性奴隷として一括でどこかに買い取ってもらう予定だったが……この額を君自身が
「……つまり、奴隷以外の道を提示していただけると?」
「そうだね。性奴隷以外であるなら娼婦の道をオススメしよう」
「どちらにせよ体を売る仕事ではないですか!」
「あぁ、そうだね。――――しかし、現実的な手段としてそれ以外の道は無いよ」
『先生』の言葉に歯噛みする。
大金貨750枚相当となると凄まじい大金だ。ジョーフィールド子爵領に例えるなら領民の全財産を麦一本残らず徴収してもなお足りないだろう。
勿論そんな手段を取ることはできないし、その前に大金貨500枚相当の工面もできずに身を売る羽目になったのが彼女の現状だ。
どうやってお金を稼ぐのか?えエリザベートが身一つでそれだけの財を成そうというのであれば、もう文字通りに体を売る以外の選択肢は存在しないのだ。
……あとはその次の選択が酷いものか、もっと酷いものかのどちらかだけ。
「俺なら高級娼館にも伝手があるからお前さんをそこに紹介してやれるし、そこでも通じるようにイロハを教えてやっても良い。――――だが、
そりゃまぁ、仕事の内容自体は精奴隷よりはマシだろうとも。そこは保障する。ただ、最終的にお前の目標額分を稼ぎたければ何年も何年も、高級娼館でも上位層に入るだけの売り上げを続けなければならない。嫌々接客してれば客にもそれが伝わって結果として売り上げが伸びないし、何より生半可な気持ちでは
「…………」
彼女は彼の言葉を黙って聞いていた。
夜の闇が人型になって立ち上ったようなその男は真摯な、まだ年若い令嬢の未来を案じるような面持ちで続ける。
「だから、最初から壊れておくというのも俺は
金を払うだけの男に媚びを売って、好きでもない奴にキスをして、夫でもない輩の精を受け止める。自分の意志と選択で、売り上げと借金とノルマに意識を割かれながら何年もそんな苦しい仕事に身を置き続けるというのは――――客観的に言わせてもらうと生き地獄じゃあないかね」
「…………」
『先生』にとって、それは慈悲の言葉なのだろう。
世間知らずの田舎貴族のご令嬢には想像もつかないような苦しみが世の中には存在する。
彼女は今からどうあがいてもその只中に落とされるのだろう。
だから、彼は個人的に気に入ったからという理由はあれど、選ばせてくれているのだ。
「そういうわけで、じっくりと考えてから選んで欲しい――――何もわからない白痴になってから地獄に落ちるのと、自分の意志で正気を保ったまま地獄に落ちるのと、どちらが良い?」
「………呆れました」
「?」
エリザベートが嘆息すると、『先生』は何を言われたのかわからないように小首をかしげた。
印象だけはどこまでも非人間的なのにそんな咄嗟の仕草だけ妙な愛嬌があるのはどうなんだろうか、と彼女は心の中で呟いた。
なんにせよ、取るべき道は決まっている。
エリザベート・ジョーフィールドは淑女らしく、背筋をまっすぐ伸ばして返事をした。
******
「後ろ、ちゃんと留まってる?」
「おう、大丈夫。ちょっとキツかったけどな」
「キツ……!?」
「冗談だって、そう睨むなよ」
――――公都ジョンズバーグ繁華街、娼館『リーベ・エンゲル』。
既に日も落ちた夕方の時間帯。
更衣室には姦しい女性たちの声がガヤガヤと響いていた。
衣装の着替え、化粧に髪型の確認。娼婦が女を売り物にする仕事である以上、容姿を整えるのは戦士にとっての武器の手入れに等しい。
そろそろ夜になって来客の受付が始まる時間だ。
リズはドレスの背中の編み上げ部分を留めてくれたミカエラにお礼を言ってから鏡で自身の姿を確認した。
「……よし」
衣装は黒を基調にしたドレス。肩紐のないデザインであり、彼女の白い肌と豊かな胸元と
裾はやや短めで昔よりも肉付きを増した足元を晒している。少しはしたないという自覚もあるが今の自分にはそれがお似合いだろうと感想を呑み込む。
元から少し癖のある
「えっと……そっちの方にネックレス置いてなかったかしら」
「あっ、これだよねリズ姉っ!はい、どーぞっ」
「ありがとう、ニーナ」
「どういたしましてっ!」
義肢の少女――――みんなの妹分であるニーナがパッと探し物を差し出してくれた。
ちなみに彼女は今日は非番だ。他の
純粋に、ただの賑やかしである。
しかしながらニーナがちょこちょこと更衣室を歩き回って誰かに話しかけるだけで、張りつめた空気が少し優しくなるものだから誰も特に文句は言わないのだ。
リズも、彼女の飾らない純粋さに救われている一人だ。
「そのネックレス、リズの趣味じゃねぇよな、貰いもの?」
「そうね。今日来るお客さんからの貰いものよ。確かにちょっとごついし、趣味じゃないのはそうなんだけど、付けていった方が喜ぶと思うし」
ミカエラ――今日は彼女も仕事なので衣装を着ている、メイド服だ――からの指摘にリズは頷いた。
金色の太めの鎖をじゃらじゃらと束ねたようなデザインは正直リズの好みではない。
だがこれはジョンズバーグでも特に老舗とされる金細工房のものだ。
決して安くない品を彼女の関心を惹くために贈ったということは、客の側の入れ込み具合が伺える。
ここまでしてくれる上客であるなら、好感度を保つために好みでもない装飾品を身に着けるくらいはやるべきだろう。
「でも、きんきらしてて綺麗だね。リズ姉の髪みたいであたしは好きかなっ」
「ふふっ、ありがとうニーナ。そう言って貰えると助かるわ」
そういうリズ自身の内心など露とも知らないのだろう、ニーナはにっこりと笑顔でそう言った。
彼女のそんな邪気の欠片も無い笑みが可愛らしくてリズはついつい頭を撫でてしまった。亜麻色のサラサラとした絹糸の髪が掌に心地よい。
「……」
「ん?どうしたのリズ姉」
リズ――――エリザベート・ジョーフィールドはこのニーナという少女を見るたびに思い出すことがある。
自分がかつて、狂うか正気のままでいるかと『先生』に選択肢を与えられた時の事だ。
腕も脚も無く、善も悪も知らず、幸福も不幸もわからないこの少女は、いつぞやの選択肢で違う道を選んだ自分の可能性なのかもしれない、と。
壊れたままでいれば、何もわからないままでいれば、そこがどんな世界だったとしても幸福で生きていける――――そんな彼の主張の一つの明確な形。
「……なんでもないわ。私はそろそろ行ってくるわね」
「うんっ、わかった。いってらっしゃい!」
けれどそんな思いはリズ一人だけの感傷でしかない。
名前を捨てて、操を捨てて、それでも自分は自分の意志で、目を逸らさずに生きていくことを決めたのだ。
辛いこともあり、不愉快なこともあり、思い通りにならないことの方が多い日々だが、それでもリズは背筋を伸ばすことを忘れない。
最後まで逃げなかった、自分の父の事を今も覚えているから。
今はまだ名乗れないけれど、ジョーフィールドの名に恥じることはしたくないから。
「――――さぁ、今日もお仕事の時間ね」
「がんばってね、リズ姉っ」
名残惜しく少女の髪から手をどける。
一瞬、鏡に向いて笑顔を作れていることを確認して、リズは夜へと繰り出していった。
先生「まぁ、後で後悔して発狂したくなったらいつでも言ってくれ。最短5秒で壊してあげるから」