娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~   作:白臼

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※ややグロめの描写があります


8.ブロークングラスシンドローム

 

 

 

「ごめんなさいお客様。ニーナは両手が不自由なので……お客様の手で脱がせていただいてもよろしいですか……?」

「うぅ、ごめんなさい……。手扱きはまだ練習中なんです。でも代わりと言ってはなんですけど、ニーナお口は得意なんですよ。だって腕がないときは口で物を咥えないといけないですからっ」

「ぁぅっ。お客様、怒ってらっしゃいますか?ごめんなさい、ニーナもっと頑張りますねっ。だから、だから顔はおやめくださいっ!」

「あ゛ぐっ、う゛っ。う゛っ、え゛ぅ……っ。お腹、お腹も駄目です……っ!痣、痣になっちゃいますからっ」

「ダメっ、やめてっ。もう、これ以上はダメ、です……っ!痛いっ!!痛いですっ!!痛い痛い痛いっ!!――――助けてっ!!!!」

 

 

******

 

 

「……でよォ、いい加減にコイツ外してくんねェかな」

 

 薄暗い地下室に不機嫌そうな男の声が木霊した。

 一本の蝋燭のぼんやりとした僅かな明かりだけがその一室の光源だった。

 ちろちろと蛇の舌先のように蠢く一片の灯は部屋の中に蟠る暗がりを照らしきるにはあまりにも小さい。

 空間を微かに切り取る灯りの外側の闇は、鉛のように重く、泥のような鈍さを纏っていた。

 

「そもそもよォ、俺にこんな真似してタダで済むと思ってんのか?まさか俺の後ろに誰が付いてんのか知らねェわけねェよな、姉ちゃんよォ」

 

 そしてそんな部屋の真ん中に設えられた椅子には一人の男が、四肢を鎖で結わえられる形で座らされていた。

 木製ながらもがっしりとした作りの椅子が軋みを見せそうな程に大柄な……というより正しくは肥満体の男だった。

 畜産場でぶくぶくと肥え太らされた養殖の豚を彷彿とさせる体格で、胴回りの肉の付き具合は初対面の人間でも思わず健康を心配してしまいそうなほどだ。

 

 そして男は先ほどからずっとこの調子で地下室に拘束された不満を当たり散らし続けている。

 手首と足首を椅子に繋いでいる鎖をガチャガチャと喧しく鳴らし、ドスを利かせた低い声で目の前に座る人物を恫喝する。

 

「あらあら、随分と怖いことを仰られるのですね」

「あァっ!?ヘラヘラ笑ってんじゃねェぞ、ぶっ殺されてェのかこのクソ売女(ビッチ)がっ!!」

 

 男の啖呵はそれ自体が一発の号砲のようだった。

 拘束されていてこちらに手は出せないだろうと理性ではわかっていても、堅気の人間であれば思わず身を竦めるくらいはしてしまうだろう。

 しかし、拘束椅子の体面に腰かけているその女性は口元に手を添えてくすくすと上品に笑うばかりで意に介した素振りも見せない。

 この状況も午後のお茶会のささやかな雑談の延長線上にしか捉えていない、そんな態度だった。

 

 その女性は地下の暗闇と微かな蝋燭灯りの元でもはっきりとわかるほどに艶めく長い黒髪と白磁の肌の持ち主だった。

 長い睫毛に縁取られた瞳は慈母のような温もりを湛え、赤い唇から零れる言葉は耳朶を天鵞絨(ビロード)で包まれるかのように艶めかしい。

 彼女こそは高級娼館『リーベ・エンゲル』の運営を取り仕切る、女将のライラその人だった。

 

「えぇ、えぇ、勿論でございます。お客様も当店はご友人様の紹介でいらしてくださっておりますものね」

「そうだよ。わかってんのかァ?俺と、俺の兄貴は泣く子も黙るドゥルバン組の構成員だぜ。俺に手ェ出して見ろ、娼館一件潰すくれェのことはワケ無ェんだからなっ!!」

「まぁ、そうなってしまったらとても大変でございますわ」

「だからいい加減にコイツを解けっつってんだろうがクソブスっ!!今日中にでも俺が事務所に戻らなきゃ、組織(ファミリー)の連中が殴り込んでくんだぞっ!!」

 

 額に青筋を浮かべながら男は凄んで見せた。

 彼が所属しているドゥルバン組は名目上は南西部の港湾都市から進出してきた、物流を主とした商会であることになっているが……その実態は暴力団と言っても過言ではない。

 近年になってジョンズバーグ内に事務所を構えてビジネス(シノギ)の拡大を狙っており、この男もそこの構成員の一人だ。

 

 そうした情報を予め知っていながらライラはくすり、と笑みを零した。

 ぶよぶよの腹の脂肪に気を取られて見逃しがちな腕周りの筋肉の太さ、拳の擦り剥けと硬くなった掌の皮膚を見るに、男がドゥルバン組のジョンズバーグ事務所内でも暴力を生業としているチンピラなのは見ればわかる。

 実際に彼を取り押さえる際に自身の店の警備員が三人でかかる必要があり、負傷者も出た。

 

 ()()()()()()だった。

 こうやって椅子に縛り付けられて文字通り手も足も出せない状況で、出せるのは口だけ。

 その脅しの内容も聞けば組織と仲間頼り。自分が所属している集団の力を自分自身の力と誤認している人間ほど滑稽なものもそうは無い。

 

 それによしんば拘束されていなかったと仮定したところでライラにとっては同じく恐ろしいとは思えなかった。

 相手が()()()()()時点で彼女にとっては俎板(まないた)の上の肉も同じであったし。単純な暴力という点でももっと恐ろしい存在を知っている。

 たった一人で国を滅ぼすことができる黒魔術師に比べればたかだか警備員三人に取り押さえられる男など怖くもなんともないのだった。

 

「まぁ、それはそれといたしまして――――当店の規約についてのお話をさせていただきたく存じますわ」

「あァん、規約ゥ?」

「えぇ、規約にございます。当店を初めてご利用になられた際に署名(サイン)いただいた規約書には『従業員に対して危害を加えることのないようお願いいたします』という文言がございます。目を通していただけましたでしょうか?」

「――――はァ、バッカじゃねェの?()()ァ、そっちの方が悪ィよ」

 

 ライラの言葉を聞くと男はふん、と鼻を鳴らしてふんぞり返った。

 完全に開き直っている姿勢だ。

 

「ニーナちゃん、っつったっけ?あの手足の無ェガキ。ありゃダメだよ、興味本位で買ってみたけど想像以上のポンコツだったな」

「……ニーナは両手足が義肢になっている都合上、他の娼婦と違って行えない業務が幾つかございますと、事前にご説明させていただいているかと思いますが」

「だーかーらーよーっ。テメェでテメェの服も脱げねえ役立たずとまでは想像できるわけねェっつってんだよコッチはよォー。手扱きもへったくそでチン〇痛ェし、あんなんに大金貨1枚とかぼったくりもいい所だろうが、あァ!?」

 

 話をしながら昨晩の怒りが戻ってきたのか、男は肉で弛んだ顔を赤らめながら眉間に皺を寄せた。

 話を聞いているライラだけが最初から全く変わらぬ妖しげな微笑のままだ。

 

「頭キたから一発ぶん殴ったのに、変わらずヘラヘラ笑ってやがって全く不気味なガキだったぜ。始めからもっと申し訳なさそうなツラをしてりゃ、俺だって鼻血と痣出る前に許してやったのによォ。

 あァ、そうだ。()()()()()だけはそこそこ上手かったぜ。どうせなら前歯全部折ってやった方が良かったかもな。そうすりゃもう少し上手になれたろうによ!」

 

 男は立て板に水、という調子でべらべらと喋り倒した。

 実のところ彼が喋っている内容は幾らか露悪的に誇張されているところが多い。

 ニーナの接客が気に入らなくて殴ったのは事実だったが、逸物をしゃぶらせる以外にも彼女の中にモノを突っ込んで腰を振るのも存外心地よかった。

 衣服を乱雑に剥ぎ取って、両手足の義肢を捥ぎ取って達磨の少女を欲望のままに犯すのは男の嗜虐心を大いに奮い立たせた。

 一発殴ったのにこちらに媚びへつらう様子も見せなったのが気に食わず、犯しながら顔や腹を殴り髪の毛を引っ張ったりもしたが、それも含めて彼がニーナを楽しんだのもまた事実。

 

 ではなぜ敢えてこういった罵倒を吐いているのかというと、端的に言うと『舐められないため』である。

 少なくともヤクザ者の渡世では下手に見られたらその時点で敗色が見える。

 己の弱みは見せずに屁理屈だろうが自分の方に(スジ)があると強弁し、相手の弱みを僅かでも見つけたならそこから一気呵成に畳みかけねばならない。

 

 実は男も昨晩は興奮に任せて「少しやりすぎたかもしれない」と心の隅では思っているが、それを口に出したが最後自分の非を認めることになる。その時点で負けだ、

 なので彼は徹頭徹尾、「そちらのサービスの質が低かったのが悪い」という論法でゴリ押ししようとしているのである。

 もしこれで向こうが激昂して手出しでもしてきたら万々歳である。

そこから因縁をつけて武力闘争にでも発展すれば、組織力の差でドゥルバン組(こっち)の方が圧倒的に有利だ――――と、男はそのように考えている。

 

「んんー……なるほど、これはこれは……。となると致し方ない所もございますわね……」

「おっ?なんだなんだ随分あっさり認めるじゃねェか」

「認め……?あぁ、申し訳ございません、こちらの話でございます。何か誤解させるようなことがございましたら平にご容赦を」

「……ちッ」

 

 しかしながら男の内心に反して、目の前に座る女はどんな言葉を投げかけてもまるで堪えた様子が見えない。

 暖簾に腕押し、糠に釘。艶やかな細面は初めから何も変わらぬ笑みのままで、男は自分が一人で空回っているような苛立ちを抱えていた。

 

 こうやって縛り付けられていなければぶん殴って言うことをきかせているのに、と頭の中で女将の端正な顔を滅茶苦茶にしている妄想を回し始めたところで、彼の耳はコンコン、という硬質な音を捉えた。

 扉がノックされた音である。

 

「どうぞお入りくださいませ」

「はーい、失礼するっすよー」

 

 ぎいぃ、と重たく蝶番が軋む音と共に扉が開いて二人の人間が入ってくる。

 一人はいかにも魔術師然とした黒づくめの服を着た赤毛の女。

 もう一人はきっちりとした仕立ての風苦を着込んだ痩せぎす長身の男性であった。

 

「兄貴ィ!」

 

 椅子に縛られた男は顔に喜びを浮かべて声を上げた。

 入ってきた男性はドゥルバン組において彼の兄貴分に当たる人物だった。この娼館の紹介状を渡してくれたのも彼である。

 自分を助けに来てくれたのだ、と男が思ったのも束の間、勢いよく頬を張る音が暗闇に響いた。

 

「この……っ、大馬鹿野郎がっ!オレに恥をかかせやがって!」

「ぁ、兄貴ぃ……っ!」

「堅気の女をぶん殴ったな。テメエはテメエを紹介したオレと、ひいては組の名前にも泥を塗ったんだぞ!!わかってんのかこの能無しっ!!」

「ひぃっ、す、すいやせんでした……っ!!」

 

 悦びから一転、叱責で引きつった弟分の顔を見下ろしながら痩せぎすの男は心の中で盛大な溜息を吐いていた。

 この男は図体と態度ばかりがでかくて実に困る。拳だけでなくもう少し頭を使うということを学習してもらいたいものだった。

 

 『リーベ・エンゲル』は完全紹介制だ。紹介された客の来店は、紹介した客の信用に基づいて行われる。

 そこで自分の紹介した人間が問題を起こしたということは重大な信用の失墜につながる。もうドゥルバン組関係の者の来店は拒否されるだろう。

 ましてや娼館は場所自体があらゆる情報の中継点だ。娼婦と客の雑談の中でどれだけの秘匿度の高い情報が飛び交っていることだろうか。

 今回の一件が店の中で噂になれば、そこから夜の界隈に「ドゥルバン組は気に入らないことがあるとすぐに暴力に訴える狼藉物たちの集まりだ」という話が広まるだろう。

 実際いざとなればいつでも暴力でことを治める用意をしている彼等だが、そうした解決手段を持っていることはあくまでもチラつかせる程度であるのが最善である。

 比較的最近になってハイヴェルド大公領に進出してきた彼らはここではまだ余所者という扱いだ。

 販路の開拓をしている途中で悪評が立ち、公都の他の権力者から睨まれるのはマズい。

 

「今回の一件はオレからも頭を下げさせていただきます。コイツの処遇については一旦組の方に持ち帰らせていただきますが、指詰めるなり、破門なり相応のケジメを付けましょう」

「あっ、兄貴ィっ!?」

「テメエは黙ってろ!!……被害に遭われたお嬢さんに関してはこちらから見舞金もお出しします。如何でしょう?」

 

 手打ちとしてはこちら側の非を全面的に認める破格の条件である。

 確かにヤクザ者の交渉事とは相手に弱みを見せればそこから食いつかれるのが常だが、だからといって開き直って頑なになるのが正解というわけでもない。

 自らの側に問題があるとすればそこを堂々と認め、腹を切って詫びるくらいの潔さも時として交渉の武器となる。

 ここまでの好条件での提案を出した上で呑まないというのであれば、今度は逆に断った側の度量が問題になるからである。

 

 実際、こうして話を切り出した兄貴分も此処まで言えば一件落着だろうという気でいた。

 弟分に関してはその腕っぷしを逃すのは少々惜しいが、前々から品性の無さを憂慮していたところではあった。

 今回が切り捨てるのに良い機会であったと思おう……と口を動かしながら彼はそんなことを考えていたのだが。

 

「うふふ……っ、あっはははは……っ」

「……どうなされましたか」

「あら、ごめんなさい。私ったらお客様の前ではしたない……。けれど、ふふっ、少し可笑しかったものでして。――――申し訳ございません、こちらの椅子にお座りいただいてよろしいですか?」

「……?」

 

 くすくすくす、と地下室の暗闇に女将の笑い声が反響した。

 鈴を転がすような品の有る笑い声はこの重苦しい闇の中にあっても、男であれば思わずもっと聞いていたいと思わせるような心地よい声音だった。

 だが、この状況でいきなり笑い始める理由がよくわからない。

 訝しいものを覚えながらも兄貴分は促されるままに、ライラと入れ替わるようにして彼女が座っていた椅子に腰かけた。

 

 ――――その瞬間、椅子の手摺と脚から鎖が伸び上がって彼の両手足を縛りあげた。

 

「なっ!!?」

「アナベルさん」

「はーい」

 

 じゃらり、と蛇のように絡んだ鉄鎖に突然囚われた彼は驚愕の声を上げる。

 だがライラはそちらを一瞥することなく蝋燭の外の暗がりへと声をかけた。

 返事をしたのは先ほど入室してきた赤毛の魔術師……アナベルだった。

 既に彼女らは()()()()()()()である。

 なのでアナベルは軽い返事をして、鈍く光る一本の短刀(ナイフ)を懐から取り出した。

 

「お゛っ、っ゛こ゛……っ!!??」

 

 そして彼女はそのまま刃を――――先んじて椅子に縛り付けられていたままの肥満体の男の腹に突き刺した。

 

 一瞬の鋼の冷たさ。続いて灼熱感。そして激痛。

 弟分の男は眼を見開いて絶叫した。

 

「っっ゛、き゛ぃいやぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!い゛て゛っ、痛ェっ!!!!痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇ痛ぇやめろやめろやめ゛っ、き゛ゃあ゛あ゛ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!!」

「あー、はいはい。大人しくしといてくださいっすねー。手元狂ったら大変っすからねー」

 

 突き立てられた刃はそのまま()()()()、と快調な手応えのまま男の皮と肉を切り裂いていく。

 鉄錆めいた匂いを暗室に漂わせながら、赤黒い血がぼたぼたと零れ落ちて椅子に滴り、瞬く間に床の上に染みを作る。

 屠殺される豚のような泣き声を耳にしながらも、男を解体しているアナベルはいつもと変わらない表情だった。

 

「な、なにをして……っ!?」

「んーと、ちょっと()()でも貰っていこうかな、と」

 

 兄貴分の男が問いただす。その声は震えていた。

 突然、なんの脈絡もなく目の前で始まった拷問に彼は混乱の極みにあった。

 それに対してのアナベルの返事は実にあっけらかんとしたものだった。

まるで、料理に際して肉の塊を切り分けているだけと言わんばかりの平差の態度である。

 

「一応でかい血管と内臓は避けて切ってるんで命に別状はないっすよ。出血多量で朦朧とするかもしれないっすけど何なら後で造血剤でも進呈します。まぁ、麻酔はかけてあげないっすけどね。こんだけ体デカいと多分内臓脂肪がめっちゃついてると思うんすよねー。見たことあるっすか?太ってる人の腸とかの周りって脂肪の塊が房みたいになっていっぱいついてるんすよ。それをちょいちょいと切り取って回収させてもらうだけっす。終わったらお腹周りもスッキリするんで健康にはむしろいいはずっすよ。感謝して欲しいくらいっす。まぁ、それはそれとしてアタシって太ってる人間嫌いなんすよねー。ぶくぶくぶくぶく太りやがってまぁ、さぞかし食うものに困らない裕福な生活してきたんだろうなーって感じで。マジで頭くるっす。あぁ、個人的な恨みで手元はブラさないんで安心して欲しいっす。昔はこういう作業の時についつい頭に血が上ってやりすぎちゃって、『先生』にはよく窘められたもんっすよ。今は黒歴史っすね。

 んで、取った脂身の使い道なんすけどこれは色々っすねー。やっぱ人体由来の素材なら簡易人身御供っすかね。人間の体の一部を使った素材を消費することで疑似的に人間を生贄に捧げた、っていう状況を再現する儀式魔術っすね。脂は燃えるんで蝋燭を作るのもいいっすね。乾燥させた筋肉とか神経の繊維を紐に使った人体脂の蝋燭に火を付けると簡易式の火焙りの儀式になるんすよね。あとは同じように素材を使って人形を作るとかっすね。人形は色々と使い道があるんすよー。呪いをおっかぶってもらうためのスケープゴートとかー……」

 

 相手が聞いているのかいないのか、それを全く考慮の外に置いている長広舌。

 その間も彼女の手は一切止まることなく男の太鼓腹を切開していく。

 魔術師が留まることなく喋る声、既に声を上げる余裕もなく口の端から泡を吹いて痙攣している弟分、()()()()()()と耳を塞ぎたくなるような血肉の音。

 対面の椅子に座らされたまま弟分が()()されていく様子を見させられながら男は痩せた顔にじっとりと嫌な汗をかいていた。

 

「――――ごめんなさいね」

 

 そしてそんな男に背後からかけられる声が一つ。

 今や凄惨な拷問室と化した――いや、最初からその用途で使われる部屋だったと知らないのは彼等だけだった――部屋の中にあって、その声だけは今も暖かい布に身を包まれるような心地よさを湛えていた。

 女の、ライラの白くほっそりとした腕が椅子の上の男を搔き抱くように回され、後ろからしなだれかかる。

 肺の奥まで澄み渡るような芳しい香水の香り、冷たさと温かさが同居した女の体温に、彼はこんな状況であるにも関わらず安堵の心地を覚えてしまった。

 ()()()()()()()

 

「先ほど思わず笑ってしまったのはですね。――――まだ、貴方様方が交渉の余地がある段階だと思っていらしたことが、つい滑稽でして」

 

 男の耳朶を女の囁き声が擽る。

 吐息交じりに言葉を吹き込まれるのはそれ自体が脳を擽る愛撫のよう。

 こんな状況でなければもっと堪能したいと、そう思わせる情婦(おんな)の手管。

 

「あいつの、したことは、あやまる。土下座でもする、金も払う。だから、」

「いけませんよ。……だってこの店は()()()()女たちの砦ですもの。()()()をしたお客様には私共の責任の下で、管轄の下で、きちんと反省していただきませんと……」

 

 何事も()()()()は良くありませんからね、と女将が微笑む。

 その笑みは聖女染みた慈悲さえ込められていた。()()()()ことに。

 ここに来てようやく男は気付いた。ケジメだの手打ちだの、(スジ)だの交渉だの、彼等の常識(ルール)は此処では何の意味も持たないのだと。

 

「た゛すっ、けっ。たすけてっ゛、っ。こ゛め゛んなさいこ゛めんな゛さ゛いこ゛めん゛なさ゛い゛こ゛めんなさいもうゆるし゛ぃああぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ゛ああっ」

「おっとデカいの取れたっすねー。ダメっすよー、こんなに脂肪溜め込んでちゃー」

 

 めりめり。

 ぐちゅぐちゅ。

 ぶちぶち。

 ぼとん、びちゃん。

 

 目の前で人が解体(バラ)されている。

 皮膚が裂けて、肉が切られ、臓物に手を突っ込まれ、黄色がかったぶよぶよの脂肪が引きずり出されて、桶の中に溜められていく。

 ()()()()に遭って、まだ生かされているというのが信じられない。

 

 男は目を逸らせない。

 女が横顔を覗き込んでくる。

 白い頬、黒い髪。優しい声、甘やかな香り。

 その全てが恐ろしい。

 

「私たちは私たちで楽しみましょう?――――そうですね、身内の方が目の前で解体されている様でしか絶頂できない、という体になってみるのは如何でしょうか?

ご安心ください。私、これでも殿方のお身体の扱いには自信がございますので、きちんと躾けながら、極楽へご案内して差し上げますわ……」

 

 男は絶叫した。

 その声は地下室の闇に呑まれて消えた。

 後の事は、誰が語るまでも無いことだった。

 

 

******

 

 

 一仕事終えたアナベルはきちんと片付けと手洗いを済ませてから外に出た。

 娼館『リーベ・エンゲル』の裏手には住み込みで働いている従業員用のアパートが建てられている。

 そのうちの一室のドアをノックし、中の人の返事を待ってから戸を開く。

 

「アナちゃん!待ってたよっ」

「ちわっす。ニーナちゃん、様子見に着たっすよ。具合はどうっすか?」

「平気へーき。みんな心配しすぎだよー」

 

 アナベルが入室したのはニーナの部屋だ。

 訪ねてきた馴染みの魔術師に義肢の少女が振り向いて朗らかな笑みを向ける。

 窓から差してくる陽の光が亜麻色の長い髪を透かして、実り豊かな稲穂を思わせる。

 

 少女の頬には白いガーゼが貼られている。客に顔を殴られた痕だ。今は服に隠されて見えないが体にも幾つか青痣ができていた。

 一仕事する前、こちらに到着した直後にアナベル自身の手で治療を施したから痕が残るようなことは無いだろうが、それでも心配なものは心配だった。

 

「今は痛くないっすか?」

「うん、大丈夫だよ。()()()()痛くなかったもんっ」

「……そうっすね。ニーナちゃんは痛みに強い子っすからね」

「えっへん」

 

 目細めて笑うニーナの頭を撫でる。

 驚くほど指どおりの良いサラサラの髪の感触を確かめながらアナベルは苦笑した。

 

「ねえ、アナちゃん。聞いていいかな?」

「ん?何っすか?」

「昨日あたしが相手したお客様、どうだった?あたし、うまく接客できなかったから怒らせちゃって。途中で警備員さんに連れ出されちゃったから最後まで出来なかったし、満足させてあげられなかったから悪いなぁって思ってるの」

「――――……そうっすねぇ……」

 

 頭を撫でられながらニーナは少し肩を落としてそう言った。

 僅かに潤んだ瞳を上目遣いにして見つめてくるその仕草はどこかいじらしくて、見るものの庇護欲をそそる。

 だが、彼女の語る言葉はどこか()()()()

 無理をしているわけでもなく、ただただ当たり前の真心と善性からそういうことを言えてしまうのが何よりの異常だった。

 

「あのお客さんは、アタシと女将さんとで()()()話し合いをして納得してもらったっす。向こうもニーナちゃんに手を挙げて悪かったって言ってたっすから」

「そうなの?じゃあ、あたしからもちゃんと気持ちよく出来なくてごめんなさい、って言って貰っていいかな?

 それと――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って!」

「……うん、わかったっす。今度会う時はそう伝えておくっす」

「ありがとう、アナちゃんっ!謝る機会がなくて昨日の夜からずっと心残りだったのっ!」

 

 少女はパッと花咲くような笑みを浮かべた。

 そこには昨夜の客に関する悪感情など一切見当たらない。

 例え顔や腹を、鼻血を噴いて痣ができるまで殴られようと、彼女には相手に対する恐怖も嫌悪も憎悪もない。

 そう言った類の感情は()()()()()

 

 ニーナは壊れた少女だ。体が、という意味ではなく心が。

 最も深刻に破損しているのは『負の感情を受け止める器』である。

 怒り、悲しみ、痛み、苦しみ、憎しみ、妬み、嫉み、悔しさ、辛さ。

 そういった負の側面を持つ感情を彼女の心は受け入れて溜めておくことができない。

 ()()で水を掬うように、端から全て零れ落ちて行ってしまう。

 結果として彼女は他人からそれを向けられても理解できない。共感することもできない。

 人間の最も単純な感情は快・不快の二つとされているが、彼女はそのうちの後者から派生する全てを理解できないのである。

 

 『先生』の言によればこれは彼女が両手足を切り落とされたときの防御反応らしい。

 苦しみのあまり、苦しみを受け止める心の部分それ自体を壊すことで、これ以上の苦痛を味わうことを回避した――――そういうことらしい。

 結果として、()()()()以前の彼女と、以降の彼女には深い断絶が発生している。

 今の彼女はもう両手足を失う以前の自分の事を、自分の事と結びつけて考えることが難しい。

心の在り様があまりにも違っているせいで、他人から聞いた話を反芻しているのに近い状態なのだという。

 記憶の喪失ともまた違う、()()()()()()()()()()()の欠如。

 

 翻って彼女は痛みに対しても極めて鈍感だ。

 彼女が傷の治療を願い出ることがあるのは、自分の体そのものが娼婦としての商売道具である以上は傷を付けないようにしなければならない、という知識に基づいているに過ぎない。

 彼女にとって「痛い」と他人に訴える行為は、あくまで「怪我をしたら周りの人に痛いと言いなさい」と言い含められているだけの事。

 痛みを痛みとして受け取れず、苦しみを苦しみとして受け取れない。

 ニーナの心はそんな風にして壊れていた。

 

「わぷっ、どうしたのアナちゃん?」

「んー……。いや、なんか急にハグしたくなって」

「えへへっ。甘えん坊さんだねー……よしよし」

 

 よしよし、などと言いつつ背中を撫でられてふにゃふにゃした締まりのない笑みを浮かべているのはニーナの方だった。

 アナベルは彼女の細い体を優しく抱きしめながら、この哀れなお人形(女の子)を憐れまないように自制する。

 

 ニーナの心は一旦治療を施した上で、()()()この状態で留め置かれている。

『先生』の技術であればその精神をより健常な形で再生させることもできたが、どうせ娼婦として金を稼がせるならこのくらいの方が()()()()()だろう、と判断されたのだ。

 アナベルはそれに異を唱えなかった。今でも別に後悔はない。ただ非道な判断をしているな、という自覚だけがある。

 合理さえあれば情には流されずにどこまでも人倫にもとる選択肢を取れる。

 黒魔術師に求められる資質とは概ねそういうものであり、彼女はそう意味では才能ある女性だった。

 

「ふんふん……っ。アナちゃん、何だか生臭くない?お料理でもしてきた?」

「あぁ、わかるっすか?ちょっと()()を捌いてからこっちきたもんで。ちゃんと手を洗ったんすけど、悪かったっす」

「別にいいよー。アナちゃんって料理得意だもんね。また今度何か作ってよー」

「それならそろそろお昼っすからね、厨房でも借りてみるっすか」

「わーい、やったーっ!楽しみっ」

 

 そう言ってニーナはぱぁっ、と明るく笑った。

 この世の不条理など何一つ理解できない、ただただ幸福のみを詰めた赤子のように無垢な笑み。

 そんな表情(かお)を正面から向けられて相好を崩しながら、アナベルは彼女を昼食へと連れ出すことにした。

 

 どこまでも明るい、からりと晴れた正午の風が窓から吹き込んで部屋のカーテンを揺らしていた。

 

 

 

 

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