娼女人形は罅割れない ~手も足も無いけど笑顔はあります!~   作:白臼

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マフィアの事務所にカチコミに行くエピソードとか書こうかと思いましたが、主題から外れるのでやめました。


9.回想・箇条書きにして纏めれば三行で終わる、ありふれた悲劇

 

 

 

「………………ぁ」

「おや?」

 

 虫の一息、と言えそうなほどの静かな吐息の音。

 唇が開いて空気が通るだけの一瞬のそれは呼吸と呼ぶには余りに儚い。

 都市部から離れた郊外の森の屋敷、午後の晴れやかな日差しを取り込む窓、白いカーテンを揺らす風音に紛れて消えてしまいそうな小さな空気の震え。

 ただベッドサイドの椅子に腰かけてずっとその容態を観察していた赤毛の魔術師――――アナベルにとっては何よりも明瞭な変化だった。

 園芸家が鉢植えの中身に一つ蕾が付いたのが解らないはずがないように。

 

「もしかして起きたっすか?」

「…………ぁ……」

 

 アナベルは読んでいた本を閉じてサイドテーブルに置き、ベッドの上に横たわる人物に声をかけた。

 空気と喉が擦れ合うだけの僅かな音だが口を開いて声が出ている。そして何より、うっすらとだが目を開けている。

 これはここ数日『先生』から容態の確認を申し付けられて以来の極めて重大な変化だった。

 

「おはようございいます、こんにちは。はじめまして。気分はどうっすか?」

「…………………………ぁ」

「……喋れないっすか。まぁ、それもしょうがないっすけどね」

 

 横たえられている患者の顔を覗き込みながら挨拶をしてみるが、反応は極めて薄い。

 ほんの僅かだけ開いている瞼の奥に辛うじて見える瞳は未だに微睡みの中にあるように茫漠とした色を湛えている。

 血の気の薄い唇は体の内と外で空気の交換をする際にだけ開いている程度のものか。

 であれば聞こえた声のような或いは吐息のようなそれも、外界からの刺激に対して反射的に出ただけの生理反応のような物なのかもしれない。

 

 しかしながらそれだけのことでも数日ほど()()の容態を横で診ていたアナベルには大きな進展である。

 何せここに彼女が担ぎ込まれたときには殆ど死体と言って差し支えのない状態だったからだ。

 『先生』が治療すると言い出した時は直弟子であるアナベルから見ても随分と酔狂なことをすると思ったものである。

 ただ、彼は気まぐれでことを起こすことが多々ある人物だ。人に迷惑をかけない気まぐれであればむしろ幸いだろうと黙認したものであった。

 

「っと、『先生』呼んでこないとっすね」

「もう来ているぞ」

「うううぅぅぉぉぁぁぁぁぁぁっっ!!?」

「叫ぶな喧しい」

 

 自身が看護師にあたるとするなら『先生』は主治医にあたる。

 早速患者が目を覚ましたことを伝えに行こう――――と腰を浮かした矢先、アナベルは唐突に背後から声をかけられた。

 びっくぅっ!!と山猫に吐息をかけられた野鼠めいてその場で飛び上がる。

 つい先ほどまで自分と患者以外に人の気配がなかったところで唐突にそんなことをされたら誰だってそうなるだろう。

 心臓がバクバクと痛いくらいに音を立てるのを感じながら振り返ると、そこにいるのは黒衣に身を包んだ男性だった。

 

 黒髪、黒目、黒色のローブ。そしてそんな色彩とはまた別に夜の闇が人型を取って立ち上ったような佇まい。

 そこにいるのは紛れもなく人間であるはずなのに、じっと見つめていると底なしの暗闇に呑まれていきそうになる――――そんな非人間的な、超自然的な雰囲気を纏う一人の男。

 『先生』と多くの人にそう呼ばれる彼の名は弟子であるアナベルさえも知らない。

 ただそれでも間違いなく、そこにいる男は彼女の師であることに間違いはなかった。

 

「い、いいいいきなり後ろから湧いて出てこないで下さいよどんな魔法使ったんすか!?」

「魔術師が軽々に『魔法』などと口にするものじゃないぞ。あとこっちに来たのは()()()が目を覚ますのを感じ取ったからだ。屋敷の中では俺にわからないことは無いからな」

「…………それなら私が横で何日も見張っとく必要なかったんじゃないっすかね?」

「そこはそれ、容態を観察してカルテを書くだけでも良い経験になっただろう」

「……まぁ、いいっすけど……。……とりあえず、患者さんが目を覚まされましたっすよ」

「ん、ご苦労」

 

 なんだか釈然としないものを感じつつ、憮然とした表情でアナベルは『先生』にベッドの方を指し示す。

 鷹揚に頷いた『先生』は弟子と立ち位置を入れ替わるようにしてベッドの上の患者を確認した。

 

「………………」

「ふむ。アナベルの大声にも反応なしか」

「叫んだのは『先生』のせいっす。当てつけっすか?」

「いや、すぐ近くで大きな音がして、それにどれだけ反応するのか見ておきたかったのさ」

「そうなんすか?流石『先生』……」

「いや、嘘だ。今言ったのはでまかせで本当はお前をビックリさせたかっただけだ」

「流石『先生』。頭はいいのに実際は何も考えてないっすね」

「褒めるな、照れる」

「褒めてないっす」

「………………」

 

 一連の二人の漫才めいた会話にもそこに横たわる患者は――少女は、微動だにさえしていなかった。

 強いて言うならば先ほどより少しだけ瞼が開いているだろうか?しかしそこから覗く目は茫洋としたまま虚空を彷徨っており、夢と現の境目にとどまっているかのように見えた。

 

 起きているのか眠っているのか、或いはそもそも生きているのか死んでいるのか。

曖昧なままの少女の状態に慌てるようなことは無く『先生』は彼女の顔の前で()()()()()()、と幾度か指を鳴らす。

 ごく僅かながらそれを追うように少女の瞳が左右に振れたのを確認して彼は満足げに頷いた。

 他にも口元に指を添えて呼吸の具合を確かめたり、首元に手を当てて脈拍を確認する。

 普通は脈を確認するなら手首でも取るものだが、今回に関してはそれをできない事情があった。

 それは布団の下を見ればわかる。

 

「捲るぞ」

「………………」

 

 特に反応には期待しないまま『先生』はベッドの上のシーツを捲りあげた。

 少女は衣服を着ておらず、生まれたままの姿が明かりの下に晒される。

 それに対する恥じらいの反応すら見えないのはもう見え透いたこと。

 しかし、露になった()()は少女の裸身であるという事実を脇に置いて、見るものに痛ましさを感じさせずにはいられないものだった。

 

「………………」

 

 その少女には両の手足が存在しなかった。

 肘と膝の辺りで()()()()と腕と脚が切り落とされており、その先が欠落している。

 残った二の腕と太腿は棒切れのように細く、胴体部分の肋骨を始めとして体表に浮き上がった骨を見れば()()細っているという表現が適切だろう。

 ただ病的な細さと白さの割には肌自体の艶は良く、手足がないという重大なものを除けば体には傷の類は見当たらない。

 

 滑らかに処理された断端、傷のない肌、細すぎるほどに細い体。

 よくよく見なければ呼吸している事さえもわからない胸の上下。

 意識や意志といったモノを見いだせないぼんやりとした眼差し。

 その全てが相まってそこにいる少女は人間というよりは人形じみた雰囲気を醸し出していた。

 まるでそこにない手足はどこかに()()()()()()()()()()だけのことで、拾って嵌めればまた元通りになってしまうのではないかと思ってしまうほどに。

 

「ふむ――――異常なし」

本気(マジ)っすか」

本当(マジ)だよ」

真剣(マジ)に?」

冗談なわけない()だろうもう少し()師匠を敬え()よ」

 

 そんな少女の肢体を幾度か触診してから『先生』はそう結論付けた。

 彼の手はただ表面から触るだけでなく、僅かな時間で体内を流れる微弱な魔力の流れを通して全身を診察している。

 その上で出た結論は両手足欠損、栄養失調による低体重以外は問題なし――――である。

 シーツをかけて元に戻すと、彼の弟子は訝し気な視線を向けてきた。

 

 しかし彼女の気持ちもわかろうというものだ。

 患者の少女は未だに天井を仰いだまま身じろぎ一つなく、言葉の一つもない。

 ただ目を見開いているというだけで覚醒しているのかしていないのかわかったものではなかった。

 この状態は普通に考えれば異常というのではないのだろうか。

 

「まぁ、心に関してはぶっ壊れてたからな」

「それも治したんじゃなかったっすか?」

「機能自体は()()()()()程度にな。ただ、一度壊れてたものを元に戻したというよりは、残骸を使って新しく作り直したようなもんだからな。中身自体は初期化されてるのに近い」

「んー……つまり、赤ちゃんみたいなもんっすか?」

「そんなところだ」

 

 『先生』は人形のように微動だにしない少女の頭をポンポンと撫でる。

 少年めいて短く切りそろえられた薄茶色の髪は荒く、どことなく藁束を彷彿とさせる。

 これでも整えられた方である。最初に見つけたときは伸び放題の上に汚れに塗れていて、丸ごと洗うのが面倒だったので短めに切り詰めたものだった。

 

「ふーん、赤ちゃんの割には泣かないっすね」

「赤ん坊が生まれたときに泣くのはな、生まれ出たこと自体が辛くて仕方がないからさ」

「それは言えてるっすね」

 

 『先生』の皮肉とも本気とも取れない言葉にアナベルの方はかなり本気でそう答えた。

 地獄というのは死後の世界にではなく現世に存在するのもだと彼女は思っているし、そんな世界に生まれてくるのなら泣きたくもなるだろう。

 アナベルは同情も憐れみも持たないが、患者の少女の境遇には共感しないでもなかった。

 

「まぁ、そういうわけでこの女の子……名前なんだっけ?」

「ニーナちゃん、っすよ。()()()にいた連中から聞いたっすよね」

「そう、ニーナちゃん。この子が人間らしい情緒を育めるかどうかはこれからの話だよ」

「ふぅん……」

 

 このニーナという少女を見つけたのはとある都市の、貧民街(スラム)の一角にある場末の違法娼館だった。

『先生』が仕事でとある暴力団組織の殲滅を依頼され、その為の工程の一環としてその娼館を潰したのである。

 平たく言うとその娼館は各地から攫ってきた少年少女を強制的に身売りさせる形態を取っており、業務形態も衛生管理も真っ黒だった。

 禁止事項一切なしの()()が外れたお遊び(プレイ)で客に嬲り殺されるもの、性病にかかって命を落とすもの、折檻という名の虐待と不衛生な居住環境で体を壊して亡くなるもの。

 そうやって数が減ったらまたどこかから調()()して働かせれば良い……そんな世界の底辺の掃きだめのような場所。

 構成員から吐かせたニーナの境遇もそうやって搾取された子供の中の一人だった。

 

 

人一人消えたところで騒ぎになりにくそうな田舎でそこそこ器量よしの娘を見つけたので攫ってきた。

 娼館に放り込んでからも態度は終始反抗的な上に客に逆らって怪我をさせたとして、罰と見せしめを兼ねて手足を捥いだ。

 その時のショックでほとんど廃人になったので一回あたり銀貨一枚の肉便器として娼館に設置した。

 

 

 箇条書きにして纏めれば三行で終わる、ありふれた悲劇。

 それがニーナという少女の経歴だった。

 

「――――で、この子これからどうしようかな」

「はぁ?」

「いやぁ、治すことしか考えてなかったからその後どう扱ったものかと」

「……何も考えてなかったんすか」

「そうだな」

 

 何でもない風な顔でそう語る『先生』。

 アナベルは酷くげんなりとした表情で呆れる他なかった。

 彼女の師は間違いなく世界最高峰の魔術師と言っても過言ではないのだが、あまり先の予定を考えたりだとか費用対効果だとかを考えたりするタイプではないのだ。

 行動力も影響力も才能も能力も高いのに、計画性が殆どなく基本的に行き当たりばったりという……言ってしまえば人格を持った災害のような人物である。

 

 思い返せばそこにいるニーナを保護した時もそうだった。

 踏み込んだ娼館の一角に備え付けられていた達磨めいた少女。

 切り落とされた手足の断面は雑な処理の結果として壊死が始まり、顔も体も手酷く扱われたのか痣だらけ。

 前後の穴はぽっかりと開き切って肉が捲れ上がり、性病で赤く腫れあがって膿んでいた。

 使()()()()を書いた壁の張り紙は一回銀貨一枚から何度か値引きが行われた形跡があり、最新のものは銅貨三枚になっていた。

 廃棄された()()()と見違える、死んでいないのが不思議とさえ言える有り様。

 

 そんな少女を発見した『先生』は開口一番こう言った――――「もったいない」と。

 

「顔が腫れ上がってたりとか歯が欠けて顔の(ライン)が崩れてたりとかでわかりにくかったけど、整えれば結構な美人だとはわかったしな。

――――それをあんな雑な処理、雑な扱いして使い潰すような真似はどうにも許しがたくてなぁ」

 

 手足の捥ぎ方ってのがわかってない、これだから素人のやっつけ仕事は嫌だねぇ、と彼はそう嘆息した。

 その手は先ほどからずっと身じろぎしないニーナの頭を優しく撫でている。

 表情と感情の死に絶えたような顔はあの娼館で見つけたときと同じだが、こうして()()した後だと確かに可愛らしい顔立ちをしているとアナベルはそう思った。

 今はまだ痩せすぎて頬がこけ気味なのがマイナスだが、栄養を取らせて血色も良くなれば相応に良い外見になるのではないんだろうか。

 ……ただ、それだけの資質があったから人攫いに目を付けられたというのもあるのだろうが。

 

「せっかく()()()から潰して素材とかにするのも気が引けるしぁ」

「なんなら弟子に取るとか」

「この子がどれだけの才能があるかわからんが、触った感じ見込みは薄いぞ。それに今はお前以外に弟子を取る気はない」

「あー……そうっすか?」

「あんまり増やしすぎても面倒見るのが難しいからな」

「教えるのは上手いっすけど監督するのは不得意っすもんね……」

 

 『先生』の有する技術と知識は最早異常と言って良い領域だ。

 世界最高峰というのは弟子の贔屓目でもなんでもない。

 アナベルは基本的に屋敷に籠って研鑽に勤しんでいる身だが、外部の魔術師や彼らの作った魔術道具に接するたびに『先生』が如何に彼等と隔絶した技量を持っているのか理解させられている。

 

 ニーナの体を治した件にしてもそうだ。

 どんな魔術師であっても安楽死を即座に提案するほどの容態を、その場の思い付きで治療を初めて傷跡一つ残さずに回復させられるのは彼の他に存在しない。

 特に人間の精神を修復する魔術は正真正銘彼一人のみが可能としている技術だ

 昔は、その能力を頼みにした人々に教えを授けたり弟子に取っていたりしていたことがあるらしいが今はアナベル一人だけだ。

 かつての教え子たちがどうしているのか彼女は特に何も聞いていない。そも、『先生』の過去自体を良く知らない。

 

 ただ、これらの技術は夥しい数行われた悍ましい魔術実験の副産物であることだけは良く知っている。

 『先生』に言わせると、()()()を極めた結果として()()()にも精通するようになったということらしい。

 人倫を完全に無視した黒魔術の研鑽、屍の山の上に気付かれた技術体系の真っ当(マシ)な部分のほんの上澄み部分。

 その土台がどれだけ呪われた代物なのか、アナベルも既によく知っている。

 

 例えば、ニーナを拾った娼館の従業員を全員生贄に捧げることで母体の暴力団を連鎖的に殲滅した大規模呪殺儀式など。

 

「まぁ、今後についてはまたいずれ考えるとしようか……とりあえず、このままだと不自由そうだし義肢でも作るか」

「あんまりロハで仕事するのもどうかと思うっすよ。で、義肢作るとして、設計図とかあるんすか?」

「体格の計測と魔力経絡の走行はもう治療の時に測ったから書き起こすだけだな。素材は問題ないだろ、三番倉庫の棚が潤ったしな。製作はお前も手伝えよ」

「はいっす。()()()()()()()()()()()()()()でいいっすよね?」

「あってる。よくわかってるじゃないか。……あぁ、その前にこの子に飯な。消化に良いものを作ってやろう」

「じゃあ、お粥でも作りますかね」

 

 ベッドサイドで魔術師二人が今後の予定について話し合う。

 ニーナについては何か食事を用意するのは急務だろう。眠っている間は魔力を外部から代謝させることで保たせていたが、起きたからには物を食べさせて内臓を動かせるようにした方がずっと健康に良い。

 

 ……ニーナという少女が救われたのは真に呆れるほどの幸運と気紛れの賜物だった。

 『先生』がたまたま彼女を見初めて「もったいない」という感想を抱かなければ命は無かった。

 これまでの彼の人生の中で彼女ほど悲惨な容態でないにも関わらず彼が見捨てた人間は星の数ほどいる。

 同じ娼館で発見され、これ以上は患者を受け入れるのは手間だからという理由で安楽死の処置が取られ、今は『先生』の倉庫の棚に並んでいる彼女のかつての同胞たちのように。

 

「………………ぁー………」

 

 魔術師の屋敷に設けられた病室に風が吹き込む。窓の外の木々のさざめく音。はたはたと揺れるカーテン。

 色褪せた麻の色をした前髪が風に煽られ、少女は寝ぼけたような瞳でそれが靡く様を見ていた。

 

 手も足も無く、起き上がることもできない……起き上がるという意識さえもてない、出来損ないの人形(ヒトガタ)の少女。

 彼女がこれから真っ当な社会生活を送ることができるレベルになるまで回復するのに、これからおおよそ一年の時を要することになる。

 それと同時に娼館『リーベ・エンゲル』に娼婦として預けられ、自身の治療費を払うために働くことにもなるのだが――――それは今はまだ、誰も預かり知らぬ未来の話であった。

 

 

 

 




大規模呪殺儀式:生贄に捧げた対象と同じ属性を持った対象を連鎖的に呪い殺す儀式魔術。今回は「ある組織の構成員」という属性を起点にして発動することで一つの組織を丸ごと殲滅した。平たく言うとチェーンデストラクション。
『先生』は他にも山ほど虐殺用魔術の手札を持っている。
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