「……暑ぃ……」
夏。梅雨でも雨の少ないこの地域に雨が降った翌日の日曜日。俺はバイト帰りの道をだらだらと歩いていた。
行き先は寮ではなく明久の家だ。『今日大丈夫なら遊ばない? 昨日雄二に負けたゲームを練習したいんだ』というメールがあったのをさっき見つけて、特に用事もないのでそのまま向かっていた。
やることもないので寮で寝るつもりだったが、たまにはゲームも悪くない。精々明久をボコボコに負かして泣かせて遊ぶとしよう。寮に帰ったところでどうせ
「やめてっ! バスローブ姿でご近所様にメイド服なんかを借りに行かないでっ!?」
「…………」
そんなことを考えていると、なんかとてつもなく不穏な台詞が聞こえた。
気付けば、目の前には明久の住むマンションが。どうやら暑い暑いとぼやいている内に俺の足はしっかりと役割を果たしていたようだ。
……しかし、メイド服? 借りにいく? 康太あたりが来ていて暴走したか? いや、あいつなら自前の服を用意しているはずだ。手抜きはまずない。
嫌な予感はするものの、気のせいだと信じてマンションの中に入り、明久の部屋の前までたどり着く。いざインターホンを押そうと手を伸ばすと、メールが来た。
ひとまずインターホンを鳴らしてから中身を確認する。
from:明久
title:無題
本文
今すぐ寮に逃げて! キミは今日は絶対にウチに来ちゃだめだ!
全く訳がわからない。
というより、インターホンを押してしまった今、帰ることなんて不可能だ。別にあの人がいる訳でもないし、明久の家に行ってはいけない理由なんてない。
「ーーはい、どちら様ですか?」
「すみません。住所間違えました」
全力で回れ右をして帰路につく。あー、真っ昼間から悪夢を見るとかないわー。優子に喰われた夢を見た時レベルでないわー。早く帰った害虫駆除してゆっくり寝ようそうしよう。
そう考えて一歩を踏み出すと同時に、手を誰かにがっしりと捕まれてしまった。
「まぁまぁ、久しぶりに再開したのですからゆっくりしていってください」
「見ず知らずの人に着いて行っちゃいけないらしいんで遠慮します」
「見ず知らずなんて酷いですね。昔はあんなにアキくんと三人で遊んだというのに」
「人違いです」
「姉さんは悲しいです。久しぶりに再開したというのに、ケイくんは全くデレてくれません……」
「過去に一度も、そして未来永劫俺がアンタにデレることなんざない……!」
「そんな!? あの時私の夢の中で誓いあった永遠の愛を忘れたのですか!?」
「ありえないって顔してるけど、全部アンタの妄想だからな!?」
「それは残念です」
初っぱなから絶好調にぶっ飛ばしているこの黒髪ショートの女性は吉井玲。ハーバード卒のとてつもなく頭のいい人で、俺の昔馴染み。そしてなんと、あの明久の姉である。
今までの会話で理解できるとは思うが、この女は頭いいくせに一般常識が激しく欠落しているのだ。……小学生の頃に明久の家に初めて行った時、『いらっしゃい。では、歓迎のチューを……』と初対面で言われたのは悪い思い出だ。
明久と足して2で割ったらちょうどよくなるだろうに。吉井家には何か極端になる呪いでもかかっているのだろうか。
「……はぁ。玲さん。俺は今日は明久と遊びにきただけーー」
「では、今から夢を現実にするとしましょう」
「人の話を聞け!? このペースでボケられたらツッコミに息切れするわ!」
「あらあら、ケイくんも男の子ですね。突っ込みで息切れなんて……。姉さんはドキドキです」
「明久ー! ヘルプ! ヘループ!! 俺の貞操が大ピンチ!!」
ーーーーーーーー
「ふぅ……」
「ケイくん。簀巻きはちょっと酷すぎると姉さんは思うのですが」
「ナイスだよ佳史。これで一先ずは安心だね」
「アキくん、減点50です」
「なして!?」
貞操の危機は一先ず去り、明久の家に上がって玲さんのかばんから出てきた缶コーヒーを飲む。
「……で、玲さん。何しに日本に帰って来たんだ?」
「しごとと、アキくんの生活チェックのためですよ」
「なるほど、仕事ねぇ」
「はい、私事です」
*『私事』は正確には『しじ』、『わたくしごと』と読みます。玲は確信犯だから、よいこは間違えないようにね!
……何か妙なテロップが入ったような気がするが、あまり気にしないようにする。
とにかく、仕事を探しに来たのなら仕方がないか。わざわざ就職氷河期の日本に来る意味もわからないが、ハーバード卒なら引く手あまただろう。
……明久、ドンマイ。
明久の家から帰るとき、やたらとニコニコ顔の玲さんと、目が死んでいる明久がやたらと印象的だった。