ラスト・ナンバー 101人目のアタシ『最高に美味しいイチゴのケーキのプレゼント!』(2022年式波・アスカ・ラングレーの誕生日記念LAS短編) 作:朝陽晴空
若気の至りで書いてしまった物もあるので、現在の作風とは違う物もあるかもしれません。アンケートや感想などで面白かった部分を教えて頂けると幸いです。
No.1 後5cm!
僕は碇シンジ。
第三新東京市にすむ中学二年生だ。
昔から気になっている女の子が側に居るんだ・・・・・・。
その子の名前は惣流アスカラングレー、僕の家の隣に住んでいる幼馴染。
僕の両親とアスカの両親は、僕たちが生まれる前から親しい付き合いをしてきた。
だから赤ん坊の頃から僕とアスカは一緒に居ることが当たり前だったんだ。
アスカはドイツ人の父親と日本人の母親の間に生まれたハーフだったから、小さい頃は目の色や髪の色が違うっていじめられていた。
でも、僕はアスカの蒼い目やキラキラとした金色の髪もきれいだと思ったから、いつも学校から泣いて帰ってきたアスカにそういってあげたんだ。
そうしたら、アスカはいつもニコニコして僕の側を離れないようになったんだ。
僕の両親もアスカの両親も仕事で忙しくなることが多かったから、晩御飯はどちらかの家で食べたり、テレビやゲームも同じ部屋で、お、お風呂も小学校に上がるまで一緒だった。
学校でもベッタリだったから、よく友達にアスカはシンジの奥さんだってからかわれる。
幼馴染のアスカを女性として意識し始めたのは中学校に上がったころだったかな。
アスカも僕の事をいろいろ気にかけてくれて、いい感じ……なんだけど、僕には悩みがある。
もともとアスカは活発な子だから、男の子がやるような遊び、サッカーとかに参加するようになって、小学校高学年の頃にはグングンと背が伸びて行ったんだ。
中学二年生になった今でも、アスカの方が僕より身長が高い。
「ねえ、シンちゃん。お菓子が無くなったから新しいの出してよ」
アスカは僕の家のリビングで、ソファーに寝転がり、ポテチをかじりながらテレビを見て居た。
タンクトップにショートパンツと言う露出の多い服装は、目のやり場に困ってしまうよ。
「もう、夜も遅いし家に帰って宿題をした方がいいんじゃないの?」
「えー、今日泊めてよ。ウチも今夜両親いないし」
僕はアスカのこの言葉にあせって、体中から汗をたらしながら大声で言い返した。
「と、泊まるって、父さんも母さんも居ないんだから、絶対ダメだよ!」
「えー、何で?」
「僕たち、もう中学生なんだよ!付き合ってもいない男女が一緒に泊まったりしないのは当たり前じゃないか!」
僕がそう言うと、アスカは身を乗り出してその可愛い顔を僕に近づけてきた。
「じゃあ、付き合えばいいじゃない。この前も返事を先延ばしにしてなかったっけ?」
「そ、それは僕の身長がアスカに届いてから……」
僕はアスカに聞こえないような小さな声でボソボソと言い返すしかできなかった。
下を向いてうつむいていると、アスカは台所にある戸棚の側に立っていた。
お菓子の入っている引き出しは、踏み台がないと取れない位置にある。
アスカは椅子では無くて、古い木の踏み台を使おうとしているみたいだけど……。
いけない、確かあの台は相当古くなってもう捨てようと思って出していたものだ。
怪我でもしちゃ大変だ。僕は急いでアスカの下に駆け寄った。
「アスカ、その台は……」
「なあに、シンちゃん?」
台に乗ったアスカが僕の方を見ようと後ろに振り返る。
そしてバランスを崩してアスカは正面から僕に倒れこんできた。体が折り重なる。
アスカの体は意外と軽い。そして柔らかい。甘いにおいがする。
僕がアスカの倒れる衝撃にびっくりして閉じた目を開くと、至近距離にアスカの柔らかそうな唇があった。
アスカは僕と目が合うと、突然僕の顔を両手でつかんで、唇同士を遭遇させた……つまりキスをしてしまったんだ。
何秒くらいキスをしていたんだろう。僕らは夢のような体験から目を覚ますと、お互いの体を解き放した。
「えへへ。シンちゃんとキスしちゃった」
アスカは真っ赤な顔で上目遣いで僕の事を見ている。とてもかわいい。
こうなったら僕も覚悟を決めて言うしかない。
「アスカ、順番は前後しちゃったけど、ぼ、僕と付き合ってくれないかな?」
アスカはそのかわいい唇に指を当てて考え込むような仕草をして、こう答えた。
「あれ?アタシの身長を追い越すって話は?」
「え?わかってたの?」
「普段からシンちゃんの事見てたらわかっちゃうし」
はは、すっかりお見通しか。アスカにはかなわないよ。
アスカは僕の後ろにまわって、腕を僕の首に巻き付けて背中からギュッと抱きついてきた。
「シンちゃんはこれから背が伸びて行くんだから、こんなことができるのも今のうちね。」
今日、僕とアスカは幼馴染に別れを告げて、彼氏彼女と言う関係になった。
No.2 デートじゃなくて暇潰しなのよ!
「アスカ、ミサトさんが水族館の入場券を二枚くれたんだ」
「ふーん、それで?」
「あ、だから……その……」
「ま、来週の日曜は暇だから付き合ってあげてもいいわよ」
アタシがそういうとシンジのやつは玩具を買ってもらった子供のように喜んでいる。
バカね、あれじゃあ、はしゃいでいるのが丸わかりじゃない。
アタシはシンジの鼻先に人差し指を付きつけて言ってやった。
「勘違いしないでよ?これはデートじゃないの。暇つぶしよ、ひ・ま・つ・ぶ・し!」
「うん、分かってるよ」
アタシがそう言ってもシンジの顔は緩み切っている。全く、分かっているのかしら?
アタシは部屋に戻って今度の『暇つぶし』に備えて洋服の衣装合わせ。
鏡に映る自分の顔はまるでときめいている少女のような顔だった。
アタシが何度もほおを叩いても元に戻ってしまう。
もう!シンジのやつにこんな顔を見せたらなめられちゃうじゃないのよ!
「まあ、シンジにしては上出来よね。綺麗な魚も見えるし、デートスポットの定番じゃない」
シンジの顔がみるみるうちに赤くなっていくのに、アタシは自分の失言に気付いた。
「暇つぶしにもまあ、悪くは無いわ!」
アタシは慌ててそう言いなおした。シンジは相変わらずニヤニヤしている。全くもう!
休日の水族館はカップルの他に家族連れでも賑わって人混みで溢れ返っていた。
「シンジが迷子になったら困るから、仕方が無いから手を繋いであげるわ!」
「アスカ、真っ赤な顔をして怒っているの?」
「違うわよ!早く手を出しなさいよ!」
アタシはそう言いながら自分の顔が火照っているのを感じた。
シンジは腫れ物でも触るかのようにそっと手を握って来るんだけど……。
これじゃあ簡単に引き離されちゃうじゃない!
アタシはシンジの肩に自分の肩を寄せて強引に自分の腕を組み入れた。
「熱帯魚ってきれいねー」
「うん、いろいろな模様があって見ていて飽きないね。」
「うわあ、大っきい魚ね」
「こんな魚が居るなんて驚いちゃうよね。」
「うわあ気持ち悪い。何、この魚」
「深海魚だね。光の届かない所で暮らしているからこんな姿になるんだ。」
シンジは水族館の中を歩いている間、四半世紀前のロボットのようにぎこちない動きをしていた。
これじゃあ緊張した初々しいカップルだって丸わかりじゃない!恥ずかしいったらありゃしないわ。
お昼を食べてから最後にイルカショーを見た。やっぱりどこの水族館もイルカショーは目玉みたいね。
事前にチケットを買っていないとイルカに触れないみたいだからアタシは諦めていたんだけど、シンジのやつがチケットを買っていてくれたみたい。
あれ?この水族館のチケットってミサトがくれたって言ってなかったっけ?
その時は違和感の原因に気が付かなくて、イルカに触れたって単純に喜んでいたけど、帰る時にその事に気が付いて顔の表面温度がまた上昇してしまった。
「アタシ、来週の日曜日も偶然暇なんだよね」
「アスカは委員長と遊びに行ったり忙しいと思ったんだけど、日曜日は暇なの?」
「割とね」
「何か、ミサトさんがまた映画のペアチケットが2枚余ったって言ってたと思うよ」
ふーん、白々しい言い訳をしちゃって。アタシの方もそりゃおかしいとは思ってるけどさ。
「ミサトって加持さんとよりを戻したって聞いたけど、ドタキャンが多いのね」
「た、たぶん加持さんもミサトさんも仕事が忙しくて都合が合わないだけだと思うよ」
次の日曜日にシンジと見た映画は『豪華客船沈没』と言う映画だった。
たくさんの乗客が乗った豪華客船が沈没してしまう映画で、主人公の新聞記者の男性が離れた足場に飛び移ったり、天井にぶら下がったりとアクション性が高い。
特に結婚したばかりの奥さんを抱きかかえながら跳ぶシーンには見惚れてしまった。
「アスカ、映画館の中では迷子にならないけど、なんで僕の手を握るの?」
「冷房が利きすぎて寒いからよっ!」
その週の水曜日、アタシは学校でヒカリに週末の予定を聞かれた。
「ねえアスカ、今度の日曜日に一回でいいからデートしてくれない?」
「え?何でアタシが知らない男とデートしなくちゃいけないのよ」
「コダマお姉ちゃんが勝手に約束してきちゃったらしいのよ。アスカを紹介して欲しいって言われて」
ヒカリは必死に手を合わせて頼みこんでくるけど、アタシは首を縦には振らなかった。
「アタシは日曜はその……いろいろ予定があって忙しいのよ」
「アスカは先週も先々週もそんなこと言ってたね?もしかして、碇君と?」
「なんで、バカシンジが関係するのよ!ネルフの仕事よ、仕事!」
「ふーん、じゃあ碇君に聞いてみようかしら」
したり顔でそう言うヒカリにアタシは黙り込むしかなかった。
来週の日曜はどんな『暇つぶし』をしようか、アタシはドキドキしていた。
水族館、映画館と来たら次は遊園地かな?
お化け屋敷でシンジのやつに抱きついてやったり、一つのジュースを二人で飲もうとか言ったらシンジはどんな顔をするかしら、楽しみね。
でも、アタシがいくら待っていてもシンジは誘って来なかった。
シンジ、今日はもう土曜日の夜だよ?誘ってくれないと間に合わなくなっちゃうよ?
アタシは不安そうな表情でシンジの顔を眺めていたと思うけど、シンジはアタシの方を見ようともせずに一人で考え込んでいるみたいだった。
シンジがたいして喋らずに暗い表情で部屋に入って行く後ろ姿を見送ると、アタシはミサトに聞いてみる事にした。
「シンジってば、陰気な顔しちゃってどうしたの?」
「明日シンちゃんはお母さんの命日で司令と二人でお墓参りに行くのよ」
「アホくさ、会うのが嫌なら断ればいいじゃん」
「嫌でも無いみたいだからやっかいなのよ」
そう言って立ちあがったミサトはシンジの部屋のドアを少しだけ開けて何やらシンジと話している。お互い小さい声でリビングからじゃ聞こえない。
アタシは何と無しに自分の携帯電話をいじってヒカリに電話をかけた。
「ヒカリ、明日のデートの件だけど今から大丈夫?」
「ええっ、明日は碇君とデートじゃないの?」
「あいつ、用事があるんだってさ。だから暇になったのよ」
「そういうことなら、向こうは喜んでOKすると思うんだけど……」
次の日アタシがデートから戻って家に帰ると、シンジが椅子に腰かけてチェロを弾いていた。
聴き終わったアタシがリビングに姿を見せて拍手すると、シンジは驚いてアタシの方に振り向いた。
「結構うまいじゃない」
「小さい頃からやっていてこの程度だからね」
「シンジの事見直したわ」
本当はかなりシンジの事を見直したんだけどねと心の中で呟いた。
アタシは話ながら奥の部屋に入って寝っ転がった。
「夕飯を食べて来るんだと思ったよ、意外と早かったね」
「つまらないから逃げて来ちゃった」
「相手の方が驚いたんじゃない?」
嘘よ。本当は相手がキスしようとか下心丸出しで迫ってきたから怖くなって逃げて来たの。
あと……シンジの作る夕食を食べ逃したくないと思ったし。
アタシがお風呂からあがると、シンジはリビングで電話を受けていた。
アタシは下着にTシャツ一枚と言うスタイルで話しかけた。
「ミサトから?」
「うん、遅くなるから先に寝ててって」
「じゃあ今夜は二人っきりってわけね」
アタシがそう言ってVサインを作ってウインクしてやるとシンジは慌てた表情になった。
そして、アタシはそのままシンジににじり寄る。
「ねえシンジ、キスしよっか?」
「ええっ、なんで!?」
まだシンジに本当の気持ちを打ち明けるのが怖い。シンジはアタシに好意を持っていてくれる事は分かるけど、今の関係を壊したくない。
だからまたアタシはあの言葉の魔力に頼ってしまう。
「暇つぶしよ、暇つぶし」
No.3 ミスター第三新東京市大学コンテスト
「ミスター第三新東京市大学コンテスト?」
「そうだ、碇。この大学で行われている男子の人気投票だ。知らないのか?」
そう言ってケンスケは僕を見つめてため息をついた。
僕は碇シンジ。第三新東京大学に通う一年生だ。
第三新東京大学は学部の数も多くて門戸も広い。
中学校の頃からの友達のケンスケとトウジも学部が違うけど同じ大学に入学できている。
「碇も出てみないか?結構いい線行くと思うぜ?」
「そんな、僕なんか目立たないよ」
「かっこいいだけじゃなくて、母性本能をくすぐるような線の細い優しげなやつも人気があるんだぜ」
「センセも美人のおかんに似て可愛い顔しておるやないか」
ケンスケもトウジも、僕の顔が女性っぽいってしょっちゅうからかうんだ。
僕はもっと男らしくなりたいのに。そう、僕にはもっと男らしくなりたい理由があるんだ。
「惣流もきっと投票すると思うぜ」
「せやせや、大学中の女子のほとんどが投票するって話や」
惣流アスカラングレー、僕の小さい頃からの幼馴染で憧れの女性でもある。
僕は小さいころに隣に引っ越してきたアスカに一目惚れしてしまったんだ。
でも、僕より足が長くて、金髪蒼眼の彼女は僕を幼馴染としてしか見てくれていない。
「惣流は碇が出場すれば、きっと碇の名前を書くと思うけど、碇が出ないんじゃ他のやつの名前を書くしかないんだろうな」
そういってケンスケは意地悪そうに笑うけど、僕は挑発に乗るまいとこらえていた。
「そいや、惣流は最近渚のやつと仲が良かったんちゃうか?」
「渚も出場するって言ってたな。あいつのルックスならいい所まで行くんじゃないか?」
渚カヲル君は高校生になってから僕たちと知り合った友達だ。
楽器の演奏も僕よりうまいし、かっこよくて女の子にも、もてている。
アスカとカヲル君は周囲からお似合いのカップルだとクラスメイト達が言う事もある。
その度に僕の胸は痛むんだ。
「きっと、惣流は渚の名前を書くんじゃないか?」
そのケンスケの言葉を聞いたとき、僕の我慢も限界を迎えた。
「……じゃあ、僕も出るよ」
「よっしゃ、じゃあセンセの名前で登録しておくで!」
トウジが嬉しそうにそう言って駆けだして、その場に残ったケンスケは僕の前で含み笑いをしている。
「くっくっく……これで碇の写真の売り上げも倍増だ」
やっぱりそのつもりだったか。
僕はケンスケの口車に乗ったことがわかったけど、出場するからにはカヲル君に負けたくなかった。
『ミスター第三新東京市大学コンテスト』は報道部のサークルが仕切っていて、毎年大学の外からのお客さんやマスコミが取材に来るほどの大きな大会だったみたいだ。
「ミスター第三新東京市大学コンテストに出るだって?」
「うん、そうだよ」
「相田のやつに担がれたんでしょ、恥をかくだけだから止めておきなさい」
コンテストに僕が出る事を知ったアスカは嬉しそうな顔をしなかった。
予想していた事だけど、そこまで嫌がれるとは思わなくてショックだった。
でも、次の日からもっとショックな出来事が僕を待っていた。
アスカが、他の女子達との話で、渚君の事を褒めちぎっていたんだ。
「渚君ってば、カッコイイし、社交的だし、もう憧れちゃうわ!」
僕はアスカ以外の女の子と手を繋いだことも無いし、たくさん話したことも無い。
女の子からデートに誘われることもあったけど、自信のない僕は断っていた。
渚君みたいに女の子との交際に慣れているわけもない。
そして、いよいよミスター第三新東京市大学コンテストの日がやって来た。
ここまできたら負けたくないと思ってステージの上に堂々と上がる事が出来た。
アスカは……客席から僕の方を見ている。
僕にはアスカの表情があまり明るくないように見えた。僕がコンテストに出たことに失望しているのかな。
でも、コンテストでアピールできればきっとアスカが僕を見る目も変わってくれるはずだ。
ステージの上で一人ずつ紹介されて行く。僕も堂々と振る舞えて悪くないと思う。
……黄色い歓声を投げかけてくれる女の子たちも居たし。
でも、コンテストが終わった時、アスカの姿は見えなかった。
「あれ?アスカは先に帰っちゃったの?てっきり僕に投票してくれると思ったのに」
「碇君、ショックを受けないで聞いてくれる?」
そう言ってアスカの友達の洞木さんがアスカの投票用紙を見せる。そこには『渚 カヲル』と名前が書かれていたんだ。
「くそっ!」
僕は心臓の血が逆流するような感じにとらわれた。
僕は洞木さんの前から走り去った。
洞木さんから落ち付くように声を掛けられても、僕は振り返りもしなかった。
その時の僕はただただイライラしていたんだ。
家に帰ってもイライラは収まらなかった。
僕は怒りがおさまらなくて、家の庭に出されていたプラスチック製のゴミ箱を形が変形するほど蹴りつけていた。
隣の惣流家の二階の部屋の電気が消えて人が階段を降りて来る気配がする。
多分、アスカだ。僕は逃げなくてはいけないと思いながらも、足は鉛のように重く動かないように感じた。
そうこうしている間にアスカが僕の前に姿を現した。
「ヒカリから聞いたわ、アタシが渚に投票したから怒ってるみたいね」
アスカの言葉が自分の胸に突き刺さる。
僕は二の句も告げる事が出来なかった。
「アスカは渚君の事が好きだから投票したんだろう? 周りの子にもそう話していたし」
「あれはシンジが優勝したら、アタシがシンジの側に居る事が難しくなっちゃうじゃない、だから渚の名前を書いたのよ」
そう言って照れたアスカはとってもかわいかった。
「素直にシンジのことを好きって伝えられなかったアタシが悪かったのね。そんなアタシに罰を頂戴」
アスカは唇を僕に向かって突き出した。キスが罰だって?アスカの言い分に僕は苦笑しながら……唇を重ねた。
しょっぱい味がする……まさかアスカは泣いていたの?……荒れる僕を見て。
僕は、僕なんかのために涙を流してくれた幼馴染の恋人を一生守っていこうと固く心に誓った。
「アンタはアタシにとってのミスター第三新東京市大学よ」
アスカは僕に腕を絡めて、そう言ってくれた。
No.4 バレンタイン記念LAS短編 バレバレユカイ
ある晴れた日の事。
アスカとシンジは第三新東京市の商店街へ手作りチョコレートの材料を買いに来ていた。
「それにしても、アスカがチョコレートを作りたいだなんて驚きだよ」
「ま、まあちょっとした心境の変化よ」
「もしかして、加持さんにあげるの?」
「知らない」
アスカはプイっと横を向いた。
アスカとシンジは店で買った手作りチョコレートに必要な材料と金型などの器具を半分ずつ分けて手に持って専門店を出ようとすると、入ろうとしたヒカリとすれ違った。
マズイところを見られた、とアスカは急いで立ち去ろうとしたが、ヒカリに気付かれてしまう。
「あらぁ!アスカじゃないの!やっぱり今年は本命の手作りチョコをプレゼントするって話は本当だったのね!」
赤い顔をして何も答えられずに固まってしまったアスカ。
「へーえ、そうだったのか」
まるで他人事のように呟くシンジに、ヒカリは盛大な溜息をついてそれ以上何も言わずに店の中へと入っていった。
初めての手作りチョコレートに挑戦するというアスカは、絶対に失敗はしたくないからということで素直にシンジに頭を下げて頼みこんだ。
シンジは今までになく腰が低いアスカに驚きを禁じ得なかった。
それが自分以外の男性に渡されるチョコレートだとしても、真摯なアスカの態度に心を打たれたシンジは、チョコレート作りに喜んで協力する。
コンフォート17の葛城家のキッチンで、さっそくチョコ作りのために材料を広げたアスカは、その一つをつまみ上げて不満そうな顔でぼやく。
「『ラクラクテンパリングの素』って、何か手抜きをしているようでイヤなのよねー」
「でも、チョコレートを固める温度調節は僕たちのような初心者には難しいって店員さんにも言われたじゃないか。失敗したくないんだろう?」
「う、うん……やっぱり初めての手作りチョコが失敗作なんてイヤだし……」
顔を赤らめて恥じらうアスカを見て、シンジはアスカの手作りチョコレートをもらえる幸せな男、加持リョウジを羨ましく思った。
少し暗い表情になったシンジに違和感を感じながらも、アスカはシンジの助力を得てチョコレート作りを進めていく。
アスカにとってはタイミングの悪いことに、そこへ仕事が珍しく終わったミサトが上機嫌で帰って来た。
「たっだいまあ~! ……ってウソぉ!? アスカが台所に立っている! 驚天動地、晴天の霹靂だわ。明日の天気はきっと台風ね」
「何よっ!失礼ね」
「いやあ、昨日の夕食でアスカが手作りチョコを作りたいって言いだした時は冗談かと思ったし……」
ミサトのからかうような口調にアスカは腰に手を当てて言い返す。
「アタシはもともとしっかりとした性格なのよ!」
そしてミサトはチェシャ猫のような目になってアスカに言葉を投げかける。
「今年は加持のヤツにチョコレートあげるのやめたんだって?」
ミサトの発言にシンジは耳を疑った。
去年のバレンタインの本命チョコは加持さんだったとアスカは公言していたはず。
てっきりこのチョコレートも加持のためだと思っていたシンジはその相手を考え出す。
やっぱり学校に居る誰かか?
ケンスケとトウジの顔が真っ先に浮かんだが、シンジはそれはありえないだろうと否定した。
するとサッカー部のキャプテンで中学生探偵として有名な後輩のあの男の子かな?
顔はゴリラみたいにゴツイけど、意外に優しい所があると評判のバスケ部の主将?
僕たちがいつも食べに行っている定食屋を切り盛りするあの子かもしれない。
シンジがアレコレ考えていると、さらに悪いニュースが彼の耳に飛び込んできた。
「義理チョコも止めて本命一本に絞るなんて、アスカもついに本気になったのね」
去年、シンジは義理チョコと言ってアスカからチョコをもらえて嬉しかった。
義理でもチョコをもらって嬉しくない男子は居ない。
「よ、余計なお世話よっ!さあシンジ、次はどうすればいいのよっ?」
「う、うん、ココアパウダーを入れて後は冷やせば……」
冷静さを失って怒鳴り散らしているアスカには気がつかなかったが、ミサトにはシンジが落ち込んでいる様子が見て取れた。
「ま、明日までの辛抱よ、シンちゃん……」
ミサトは誰にも聞こえないような小さな声でそう呟くと、わめきたてるアスカを黙らせるためにそっと彼女に耳打ちをする。
「アスカ、落ち着かないとボロを出してシンちゃんにバレちゃうわよ」
アスカはそれっきり黙り込み、シンジの顔をチラチラと盗み見しながら火照った顔でチョコ作りを進めた。
次の日の朝。
シンジはやっぱりアスカの様子がおかしい事に気がついた。
風呂の温度が熱い温いと文句をさっぱり言わないし、何よりもシンジと同じシャンプーの香りをさせていた。
過去にアスカにこっぴどく叱られてから、けっしてアスカの専用シャンプーを切らすことは無かったのに。
朝食に出した納豆や小骨の多い魚も文句を言わずに食べ、いつも残しているホウレンソウのお浸しも完食している。
ミサトはそんなアスカの様子を見て、ニヤリと笑みを浮かべてアスカの耳元で囁く。
「アスカ、急にそんな態度じゃあシンちゃんにバ・レ・バ・レ」
「……意地を張らないって決めたのよ」
小声でぼそぼそと囁き合うミサトとアスカを見て、シンジは時計を気にしていた。
そろそろ家を出なければいけない時間だからだ。
「……アスカぁー、僕は先に行ってるよー」
「待って待ってシンジ、もうちょっとで用意できるから」
いつもは1人で勝手に先に行っていろと言ってるアスカが今日に限っては執拗にシンジを引き止めた。
「お待たせっ」
息を切らして玄関に姿を現したアスカに、シンジは習慣のように言葉を投げかける。
「忘れ物はない?」
「あ、いけない、チョコレート、チョコレート!」
アスカは慌てて自分の部屋に戻ってチョコレートの入った、キレイにラッピングした箱を持ってカバンに入れる。
「アスカ、すっかり舞い上がってるな……」
アスカとシンジが2人で外に出ると、アスカは顔を下に向けたまま、動かなくなった。
「どうしたの、アスカ?」
シンジが心配そうな様子でアスカに声をかけると、アスカは震える声でしゃべりだす。
「アタシ……今日学校に行くのが怖いの」
「怖い?」
「今日、チョコレートを渡そうとしている相手はね、アタシが好きだって言ったことのない相手なの。だから受け取ってくれるかどうか……」
シンジはいつも勝気なアスカがここまで怯えている事に驚愕した。
しかし、唾を飲み込んでシンジは勇気を出してアスカに笑いかける。
「じゃあ、僕がその人に受け取る様に頼んであげるよ。……多少無理をしても。アスカがその事で悲しい思いをしないようにさ」
「ありがと、シンジ。まだ、ちょっとだけ怖いから、学校に着くまでアタシの手を引いてくれる……?」
シンジは震えるアスカの手を包み込むように優しく握る。
「もっと、力を入れて、離れないようにギュッっと……」
「仕方ないなぁ、みんなに見られて誤解されると困るから、人目の無いところまでだよ?」
シンジはアスカの手を引いていつものペースで通学路を歩いていく。
アスカはすっかり明るい笑顔で、何かの曲をハミングしながら軽い足取りでスキップしていた。
シンジはアスカの豹変ぶりに苦笑いを浮かべたが、アスカが元気になってくれたなら気にしないことにした。
「なんやシンジ。ついに惣流とそんな関係になったんか」
「朝から夫婦ごっこか」
ケンスケとトウジに手を繋いでいるところを目撃されたシンジは、パッとアスカの手を放した。
「ふ、二人とも、この事はみんなに黙っていてくれないかな? この事が知られたら、アスカは好きな人にチョコレートを渡せなくなるんだ」
シンジの隣で真っ赤な顔をしてシンジの顔を見つめているアスカを見たケンスケとトウジは、やってられないといったリアクションを浮かべシンジに返事をする。
「ヘイヘイ」
「わかったわかった」
昇降口についたシンジは、自分より先にアスカが下駄箱を開けるのを見て目を丸くした。
「よーし、何も入っていないようね」
「アスカ、何で僕の下駄箱を調べるの?」
「そ、その、アンタはエヴァンゲリオンのパイロットだし、命を狙って爆発物とか入れられてたら危険だからアタシがチェックしたの!」
とっさのことながらひどい言い訳だ、とアスカは目を閉じる。
「あはは、ネルフの人達が居るから平気だよ」
シンジのノホホンと能天気な反応に、アスカはホッと胸をなでおろした。
教室についてからのアスカは、ピリピリとしたさっきを放っていた。
特に最近転校して来てシンジに近づいて来た霧島マナに対しては、一つの挙動も見逃さないようにずっとにらみつけている。
マナの方もアスカの刺すような視線を感じて生きた心地がしなかったという。
「霧島さん、何かアスカを怒らせるようなことしたのかな……」
シンジが見当はずれな理由でマナの背中を眺めていると、不機嫌な顔のアスカがシンジに話しかけてくる。
「アンタ、昼休み屋上で待っていなさい!」
「う、うん……」
アスカの鋭い目つきにシンジは委縮してしまい、心臓をつかまれるような思いだった。
アスカが立ち去った後、シンジは安堵と不安が入り混じった溜息を吐いた。
シンジの側から離れたアスカは青い顔をしてヒカリに相談している。
「やっぱりシンジは転校して来た霧島が気になっているんだわ……」
「アスカ、きっと大丈夫よ……」
ヒカリがそう言って励ましている時、さらに悲劇が起こった。
ケンスケとふざけていたトウジがアスカの机に激しく激突し、床に落ちたアスカのカバンを思いっきり踏みつけてしまった。
教室中に響き渡るアスカの悲鳴。
アスカが青い顔をして取り出すと、アスカの作ったチョコレートの入った箱は無残にもへこんでしまっていた。
「す・ず・は・らーーーー!!!!」
「か、堪忍してや委員長! ふ、不可抗力や!」
トウジがヒカリに土下座をして必死に謝った。
死人のような顔色をして、アスカはグッタリと倒れこんでしまった。
そしてチャイムが鳴り響き、昼休みの到来を告げる。
昼休みはトウジたちと中庭で昼食を食べる約束をしていたシンジだったが、アスカが暗い表情でゆっくりと重い足を引きずって屋上に行く後ろ姿が見えた。
気になったシンジはタイミングを見計らって屋上に行くことにする。
ヒカリにこってりと絞られてウンザリした顔のトウジと、あきれ顔のケンスケはシンジを教室から送り出した。
シンジが屋上に行くと、端っこに暗い顔をして黙り込んでいるアスカが潰れたチョコレートの箱を手にして立っていた。
「どうして誰も居ないの?」
もしかしてアスカはチョコレートを渡そうとした相手に告白してすでに振られてしまった後だと思ったシンジはアスカに慌てて声を掛ける。
「いいのよ、別に」
首を横に振ったアスカは赤い顔をしながらシンジにチョコレートを差し出す。
「こ、これ……つぶれちゃったけど、アンタに……」
「アスカ……もしかして、チョコレートを渡す僕の前で作ってたの?」
「えへへ……、とんだ間抜けよね、アタシも。……バレバレだった?」
アスカがペロッと舌を出してシンジに問いかけると、シンジは首を横に振って否定する。
「全然気がつかなかったよ。僕は鈍感だから。……ごめんね」
右手で箱を受け取ったシンジは満面の笑顔を浮かべて、箱を握りしめたままアスカを正面から抱きしめた。
その二人の様子を物陰からそっと眺めていたトウジとケンスケとヒカリとマナの4人は顔を見合わせてほくそ笑んだ。
「まったく、アスカと来たら、私たちにはバレバレだったわよね?」
「あーあ、碇君にバレンタインのチョコをあげるなんて言わなきゃよかった。私ったらすっかり踏み台じゃないの」
「まあまあ、ええやんか霧島。これでワイたちもあの2人を見てもどかしく思うことも無くなったんや」
マナをいさめるトウジから視線を外し、ケンスケは雲一つない空を見上げてポツリと呟く。
「今日も晴れ晴れとした天気だな……」
No.5 明日の方を向いて
前と変わらないように見えるコンフォート17の11階にある葛城邸。
ミサトさんと僕とアスカが家族として暮らしていた、コンフォート17で唯一埋まっていた部屋。
綾波の乗った零号機が自爆して第三新東京市の中心部が壊滅した時も、エヴァ量産機が攻めてきてネルフのジオフロントが崩壊した時も、この建物は運良く戦火を免れていた。
本当に全く変わっていないのは建物だけだった。
ベランダから見下ろせていた第三新東京市の美しい街並みも、今は巨大な湖の広がる廃墟になってしまっている。
僕らの通っていた第壱中学校も、ミサトさんと街を見下ろした展望台も、アスカが初めて僕に心を開いてくれたジオフロントの庭園も、全てガレキになってしまっている。
僕もアスカも、ここに戻ってきてから外の景色を眺めるのが嫌になって、もっぱらテレビやゲームをして過ごしていた。
学校もエヴァも使徒も無くなってしまったし、他には荒れ果てて人がすっかり居なくなった廃墟の街を歩くことぐらいしかできない。
体のいい軟禁状態だ。
もちろん、僕たちが狙われることがあるかもしれないから警備上の理由があるのかもしれない。
ミサトさんは僕らと違ってネルフの戦後処理とかいろいろやることがあるみたいだけど、夜には家に戻ってきてくれる。
残り少ない僕達と一緒に居られる時間を惜しんでいるかのようだ。
そう、僕達はこれから別れて人生を送ることになったんだ。
一番大きな理由はネルフが今月の末で解体することが決定した事。
僕達だけじゃ無くて、ネルフのみんなもバラバラに散って行くことになったんだ。
ミサトさんは使徒戦の功績が評価されて戦略自衛隊の女性指揮官になるんだって。
加持さんは日本政府も弱みを持っていたみたいで、スパイの罪には問われないことになって、自由の身となって戦場カメラマンを目指すことにしたみたいだ。
冬月さんは京都に住んでいる娘さんの家に帰って穏やかに老後を過ごすって話していた。
父さんは……人類補完計画に加担した者として、しばらく刑務所に入れられるみたい、でもしばらくしたら出てこれるようだけど……。
リツコさんはNPO団体の技師として発展途上国の人道支援をして行くって、リツコさんなりの償いだって話してた。
マヤさんは大手医療品メーカーに就職して、来月から日向さんと一緒に働くって話。
青葉さんは居酒屋でアルバイトをしながら今度こそはミュージシャンのメジャーデビューを目指すって息巻いてた。
綾波は看護士を目指して、看護資格の勉強をしているみたいだ。
そして、僕とアスカは……。
今日も夕方の決められた時間にインターホンが鳴る。
「今日もお届けにあがりました」
「ありがとうございます」
僕は配達してくれたネルフの元諜報員の人にお礼を言って食材を台所に運び込む。
アスカも運んでくれるのを手伝ってくれているのが、僕にとっては嬉しい。
前だったら僕のことを無視して、ソファに寝っ転がってファッション雑誌でも眺めていたんだろうけど。
「今日は何を作るの?」
「そうだね、今日は冷やし中華と豚肉サラダにしようか」
「うん、じゃあアタシは……茹でる方ね」
僕は毎日アスカとミサトさんの食事を自分で作りたいと思ったから、ネルフの人にお願いをした。
この近くのスーパーや商店街はとっくに人が居なくなっているから、わざわざ配達してもらっているんだ。
「じゃあ僕は、キャベツの千切りを……っと」
僕は手慣れた手つきでまな板の上でキャベツを素早く切り出した。
ミサトさんやアスカに料理を押し付けられて始めたけど、今となってはこんなの朝飯前だ。
アスカは感心した目つきで均等にキャベツを切りそろえた僕を見つめていた。
こんなこと、毎日やっていれば誰でも身に着くと思うんだけど……照れちゃうな。
やがてミサトさんが帰ってきて、僕達家族の夕食が始まる。
僕達が家族としての絆を取り戻したのは、つい最近のことだ。
弐号機に乗ったまま量産機にやられたアスカのダメージは相当のものだったし、ミサトさんも戦略自衛隊の隊員に受けた傷が元で何度も死線をさまよった。
僕はカヲル君を殺したショックから完全に立ち直れなくて塞ぎこんでいたんだけど、あの赤い世界にアスカと二人で取り残された時、綾波から母さんの伝言を聞いたんだ。
『人間、生きていれば幸せになる機会はいくらでもあるわ』
その言葉を綾波から聞いた僕は、心の中で何かが変わった気がした。そして赤い世界は崩れ去って、みんな元に戻ったんだ。
エヴァや量産機が消えてしまったこと以外は。
僕はみんなに生きていてもらいたくて、必死にそれだけを願っていた。
そうしたら、みんな生きていたんだ、加持さんも父さんも。
でも、アスカやミサトさんは瀕死の重傷を負って入院生活が続いた。
僕は二人に元気になって欲しくて、毎日お見舞いに行っていた。
やっと二人が退院して、ここに戻ってこれたのがつい最近のこと。
もう一度家族をやり直したいって言う僕の気持ちを二人とも分かってくれた。
夕食の片づけが終わって、僕とアスカがリビングでゲームをしようとしていると、ついに見かねたミサトさんが僕を呼び止めた。
「二人とも、いい加減に荷物の整理を済ませちゃいなさい。大した量じゃないんでしょう?」
僕とアスカはミサトさんの言葉に顔を辛そうに歪ませた。
もう少しで引っ越すのはわかっている。
ネルフが解体されたらアスカはドイツに帰国してしまうんだ。
荷作り何かしたら、その事をまざまざと実感させられてしまう。
自分の部屋ではいつもの日常を保つことでその事から目を反らしたかった。
意気地無しだと言われても。
ミサトさんに急かされた僕とアスカは部屋に戻って荷造りを行うことになった。
元々僕の持っていた荷物は少ないので、早く終わってしまった。
でも、アスカの荷物はもっと少なかったんだ。
意外だって?……それには理由があるんだ。
アスカは僕にシンクロ率を抜かされたころから、僕を憎んでしまったことがあるんだって。
それまでは、僕のことを、その……少しは好意を持っていてくれたみたいで……。
初めて会った時に着ていたワンピースとか、ユニゾンの時に来ていた服とか僕の分までこっそり取って置いたらしいんだけど……。
僕はミサトさんに褒められて有頂天になっているのを見て、その想いが逆方向に変化してしまったんだって……。
部屋の中をめちゃくちゃ荒らしたのはもちろんのこと、ワンピースや服とか、僕の写真とか全部切り裂いて捨ててしまったんだって。
「ごめんねアタシ、シンジとの思い出を全部捨てちゃった……」
「ううん、アスカの苦しみも知らずに大きな態度をとった僕が悪いんだよ」
お互い暗い顔をして謝りだす始末。
でも僕は今だからアスカに渡せるものがあるのを知っていた。
そして、ついに決断の時が来た。
「アスカ、これ……ヘッドセットが無くなって、頭が寂しいんじゃないかと思って……」
僕が差し出したのはピンクのリボン。
エヴァに執着していた頃のアスカにはとても渡せるものではないと思っていた。
だって、アスカはヘッドセットを肌身離さず着けていたんだから。学校でも、家でも。
「ありがとう……」
アスカは嬉しそうにリボンを頭に付けて僕に向かってウィンク。
「どう、変じゃないかな?」
「と、とっても可愛くなったよ」
数日後、いよいよネルフ解体が間近に迫った休日、ミサトさんは飛行機で北海道に行こうと言いだした。
僕とアスカは家でゆっくりしていたかったのに。
千歳空港に降り立つと、今度は電車に乗る。
一体ミサトさんは僕らをどこへ連れて行くんだろう?
しばらくすると、車窓から見事なひまわり畑が見えてきた。
看板には『日本一のひまわり畑』『ひまわりまつり開催中』などと書かれている。
「さあ、ここで降りるわよ」
僕達はミサトさんに続いて駅を降り、入園料を払ってゆっくりとひまわりの咲き誇る畑のあぜ道を歩いて行く。
「……あなたたち、これからどうするか決まった?」
ミサトさんが振り返らずに前を向いたまま聞いた。
「アタシは、ドイツに戻ったら、何か乗り物を動かす仕事に就きたいと思ってる」
「じゃあ、パイロットとかドライバーとかね。シンちゃんは?」
「僕は……あんまり学校の成績もよくなかったし、働きながら料理専門学校に通おうと思っています」
僕達エヴァンゲリオンのパイロットの三人は、ネルフから給料と、多額の退職金がもらえるはずだった。
でも、ネルフが解体されることになって……僕達はやっと生活できるほどのお金しかもらえなかったし、普通の社会人として暮らして行くしかできなくなったんだ。
アスカが日本国内に引き続き住むと言う便宜を図る権限も、ネルフには残されていなかった。
「ねえ、シンちゃんにアスカ。あたしは上手く言えないんだけどさ、一緒に同じ方向を見つめ続けていれば、いつか叶うことがあるとは思わない?」
ミサトさんに言われて僕とアスカは意味をいまいち理解できずに首をかしげた。
「ひまわりってさ、ずっと太陽の方を向こうと頑張っているんじゃない、これってあたしたちに似ているんじゃないかな」
ミサトさんの言葉を聞いて僕はやっとミサトさんが僕らをここに連れて来た理由が分かった気がした。
「ミサトさん、僕はずっと前を見つめ続けて頑張ります」
「アタシも明日の方を向いて進んでいくわ」
僕達がそう答えると、ミサトさんはやっと僕達の方を振り返って、笑顔を見せた。
「……ねえ、そのリボン、しばらくは付けていてもらいたいけど、いつか外してもいいからね」
帰り道、僕がアスカにそう言うと、アスカは少し考え込んだ後、
「そうね、そうさせてもらうわ」
アスカは嬉しさと悲しさの入り混じった表情でそう答えたんだ。
それから一週間もたたないうちに、アスカはドイツへと帰国して行った……。
僕がアスカと別れてから十五年後。
ドイツの公園で僕は物陰に隠れながら、金髪に青い目をした小さな少女の姿を眺めていた。
そして、その子の頭には古びてくたびれたリボンが付けられている。
間違いなくアスカの娘だ。
彼女は誰かを探しているらしく、公園の中をキョロキョロと見回していた。
ああ、今すぐ物陰から出て、あの子を抱きしめたい。
でも、それは許されない事だった。
そうしたらきっとアスカは僕に対して怒りの感情を抱くに違いない。
なぜなら……。
それは……。
「ああ~!パパみっけ!」
「何やってるのよ、シンジ!もうちょっとうまく隠れなさいよ!」
「だって、やっぱりかわいそうになったし」
親子でかくれんぼ勝負の真っ最中だったからね♪
No.6 4月バカとシンジ
アタシがシンジに告白なんて事をしたきっかけは、友達との悪ふざけだった。
アタシはクラスメートのヨウコとアオイと一緒に、今年の4月1日はどんなウソをつこうか企んでいた。
小さいウソじゃ物足りない、もっとみんなで笑えるような事をしたい。
テレビでバラエティ番組を見たというヨウコは、アタシにその番組と同じような事をしてはどうかと提案してきた。
それは、初心な男性に突然女性の方から好きだと告白する事。
アタシもその番組を見て笑っていたから、罪悪感も薄れていたのかもしれない。
真面目なヒカリは、そんな誰かを傷つけるようなウソはいけないと怒っていた。
でも、アタシはヒカリの忠告を振り切って実行してしまった。
今でも反省はしている、でも後悔はしていない。
だって……。
アタシはヨウコとアオイと相談して、獲物となるターゲットを教室の中で物色し始めた。
いつも、騒がしくヒカリと大喧嘩している鈴原。
その友達で軍事マニアで女子の写真を撮りまくっている相田。
特にアタシ達の目を引いたのは、教室の隅の自分の席で暗い顔をしててうつ伏せに顔を伏せている碇だった。
転校してから陰気なオーラを常に漂わせ、二日目には誰も話しかけるクラスメイトは居なかった。
必要なこと以外はクラスの誰とも喋らず、もちろん友達も居ない、いつも厄介な仕事を押し付けられている存在。
群れから離れた草食動物は、肉食動物の格好の獲物となるのは自然の摂理。
いつもビクビクしている碇をからかったら、どんなに面白いかとアタシ達の間で意見が一致した。
「いってらっしゃい、アスカ」
「GO! GO! アスカ」
アタシは悪友2人の声援を背に受けて、碇の席へと向かった。
アタシが近づいても、碇のやつは顔を机に伏せたまま、ピクリとも動かない。
「起きなさいよ」
アタシは碇にそう声をかけたけど、碇のやつはじっと動こうとしない。
「ちょっと、何無視しているのよ!」
声を荒げてアタシがそう言うと、碇はやっと起き上がってアタシの顔をぼう然と見つめる。
「え? 僕を呼んだの?」
「そうよ、アンタに声をかけたのよ」
アタシが腰に手を当てて、そう言うと、碇のやつは驚いて目を丸くする。
「ええっ!? 惣流さんが僕に!?」
叫ぶ碇の表情は、これまで見た事が無かった。
コイツ、人並みに感情表現が出来るじゃないの。
でも、碇はすぐにいつもの陰気な表情に戻ってポツリと呟く。
「……何か用? 用が無ければ、僕に声をかけるはずないよね」
うわ、かなり自虐的なやつね。
でも、ここで話を止めたら何も面白くないと思ったアタシはもう少し積極的に碇と話す事にした。
「そんなこと無いわよ。アタシ……前からアンタと話したいと思っていたんだけど、なかなか声をかける事ができなかったのよ」
顔を赤らめて伏し目がちに恥ずかしそうにそう言うアタシの姿を、碇はじっと見つめている。
ふふ、アタシの演技にすっかり騙されている。
成功を確信したアタシは後ろ手で、ヨウコとアオイに向かってピースサインを送った。
もちろん、2人も声を押さえて笑っている。
しかし、次に碇の口から出た言葉にアタシは耳を疑った。
「僕も、ずっと惣流さんと話してみたかったんだ……」
「ええっ!?」
アタシが驚きの声を上げて、碇の顔を見つめると、碇は照れくさそうに笑ってボソボソと話し始める。
「引っ越した日から僕の隣の家に、とってもかわいい女の子が住んでいるって気が付いたんだけど……僕は自分の部屋の窓から、惣流さんをそっと眺めることしかできなかったんだ……」
アタシは碇に言われて、やっとお互いの家が隣同士だって事に気がついた。
「惣流さんは明るくて、学校でもたくさんの友達に囲まれていて、僕の憧れなんだ」
いきなりべた褒めされて、アタシも気恥かしさで顔が火照って行くのを感じた。
「僕も惣流さんみたいに明るくなりたいな」
そう言って上目遣いでアタシを見つめるシンジの表情に、アタシの胸はズキューンとなった。
碇のやつってば、男のクセに可愛い顔をするじゃない。
「アタシの事はアスカで良いわ、アタシもシンジって呼ぶから」
アタシがそう言うと、シンジだけではなく、ヨウコとアオイも驚いている様子だった。
そりゃそうだ、もしかして一番戸惑っているのはアタシ自身かもしれない。
なんで、あんな陰気な碇なんかにときめかなきゃならないのよ。
そして放課後、帰る時になってアタシはまた碇に声をかける。
「シンジ、一緒に帰らない?」
アタシのこの言葉に、シンジだけでなく、周りのクラスメイト達も驚いた様子になる。
これは、当初の計画通り。
エイプリルフールのウソの仕上げなのよ、後で盛大に嘘だと言って大笑いしてやるわけ。
でも、アタシはシンジを騙しているのか、自分の心をを騙しているのか分からなくなっていた。
今まで、アタシの事を美人だとか成績優秀だとかそう言う事で誉められたことはあるけど、アタシ自身の性格で褒められた事はあまりなかったからだ。
シンジは困惑気味にアタシを見上げて答える。
「……僕なんかと帰っても面白くないよ。たいしたこと喋れないし」
暗い顔をしたシンジは見たくない、シンジの笑顔を見てみたいと思ったアタシはシンジの背中を叩いてはっぱを掛ける。
「下を向いていないで顔を上げなさい!」
アタシに怒鳴られたシンジは怖がりながらも顔を上げた。
「うん……」
「ね、アタシの顔も良く見えるでしょ?」
アタシがそう言って微笑みかけると、シンジの表情は少しだけ明るくなった。
こうなったらもっとシンジの笑顔を見てみたい、二度と陰気な表情などさせるものか。
帰り道、アタシはシンジと並んで歩きながら話している。
「アンタさ、何か得意なこととかないの?」
「……そんな、僕は勉強もあまりできないし、人を喜ばせるような面白い話もできないし」
そう言って碇はまた自信をなくしたように俯いてしまった。
アタシはなんとか碇にその陰気な顔を止めさせようと話しかける。
「別に、好きな事で続けている事でもいいのよ」
「続けている事と言えば、チェロかな」
碇が呟いた言葉に、アタシは手を打って反応した。
「それよ! 今日これからアンタの家に行って、チェロを聞かせてもらうわ!」
「ええっ!?」
アタシは自分の家に戻ると、すぐに着替えて隣のシンジの家へ向かった。
呼び鈴を鳴らすと、シンジが慌てて玄関のドアを開ける。
シンジの家に入ったアタシは、リビングやダイニングキッチンの様子を見て違和感を感じた。
この家には二人しか住人が居ないように感じたからだ。
「アンタ、もしかして二人暮しなの?」
「うん、母さんが事故で死んじゃって、僕は父さんとこの家に引っ越す事になったんだ」
シンジの話を聞いたとき、アタシはシンジがなぜ転校してから暗い顔をしていたのか解った。
「アタシも、小さい頃、パパがアタシとママを捨てて家を出て行っちゃったんだ」
なぜシンジにこんな話をしてしまったのか分からない。
多分、アタシとシンジは似た存在で、たまたま逆の生き方を選んだだけなんだろうと思ったからなのか。
アタシはママを悲しませないように、空元気で明るく過ごしていた。
「じゃあ、惣流さんも知っているような曲を弾こうかな」
部屋からチェロを引っ張り出したシンジはリビングの椅子に腰かけると、チェロを弾き始めた。
シンジが弾いた曲は無伴奏チェロ組曲と言うアタシもどこかで聞いたような曲だった。
アタシが笑顔で拍手をすると、シンジは気を良くしたのか、さらに難しい曲もアタシの前で披露した。
「やるじゃない、立派なもんよ」
「父さんに言われて始めたんだけどね、誰も止めろって言わなかったから」
「継続は力なりよ! アンタのチェロは凄い、アタシ感動しちゃった!」
アタシがそう褒めると、碇は今までアタシが見た事の無いような明るい笑顔を浮かべた。
「今まで、誰も褒めてくれる人が居なかったから、嬉しいよ」
その後、アタシはシンジに夕食までご馳走になってしまった。
「このハンバーグ、ママが作ったのよりおいしい!」
「そんなあ、大げさだよ」
アタシに褒められたシンジは照れ臭そうな顔をしてたけど、とっても嬉しそうだった。
すっかりシンジの家に長居してしまったアタシはシンジのパパに会ったんだけど、とっても怖そうな人だった。
でも、ぎこちない表情で、「よかったな、シンジ」って声をかけていたところを見ると、怖いんじゃ無くて、ただ不器用な人なんだと思った。
でもこのパパじゃあ、上手くママを亡くしたシンジを慰めてあげる事は出来ないのかなと、思ったけどね。
「惣流さんのおかげで、僕も笑えるって気がついたよ……ありがとう」
そう言って穏やかに明るい笑顔を見せるようになったシンジに、アタシの心も舞い上がる。
アタシは嬉しさのあまりシンジに抱き付いて熱ーいキッスをしてしまい、この日から突然アタシとシンジは恋人同士になった。
そして次の日。
手を繋いで登校してきたアタシとシンジを見て、ヨウコやアオイ、ヒカリを始め、クラスメイト達は騒然となった。
「アスカ、4月1日はもう終わったのよ?」
そう言って困惑するヨウコ達にアタシは堂々とのろけ話を切り出した。
「アタシはね、シンジの魅力に気がついたのよ。シンジのチェロを弾く時の姿ってばかっこいいんだから! ハンバーグを作るのも上手いのよ」
そして、アタシはシンジとお揃いのお弁当箱を取り出して見せつけるように突き出す。
「今日も早起きして、一緒にお弁当を作って来たんだから!」
「「ええーっ!?」」
ヨウコとアオイが大声を上げた。
シンジは照れ臭そうに「アスカ、恥ずかしいよ」と頭をかいて苦笑している。
「碇君って、そんなカッコイイ子だったの?」
明るいシンジの姿を見たヨウコが物欲しそうにシンジの方を見ている。
アタシはシンジの肩に幸せそうに抱きついて宣言する。
「もう、シンジはアタシのものなんだからね! アンタ達には渡さないわよ!」
アタシはたまにシンジをバカシンジと呼ぶ事がある。
アタシのウソに騙されて自分から告白してしまうなんて、シンジは本当に大バカだ。
でも、アタシもバカなウソをついたのは認めるけどね!
シンジが本当の事を知ったらがっかりするだろうから、このウソはお墓まで持って行くつもりよ。
No.7 破られたシンジ宛てのラブレター
アタシは、出会った時からシンジの事を好きだったわけじゃなかった。
それどころか、さえない暗いやつだと思っていた。
でも、ユニゾンの特訓をした後から少しずつシンジに対するアタシの気持ちは変わって行った。
あの時のアタシは自分の事しか考えて居なくて、シンジに合わせるつもりなんて無かった。
だから、シンジとファーストにユニゾンの組み合わせを変更するとミサトに言われた時はショックだった。
またアタシは仲間外れ。
どうせ今までずっと一人でやって来たし、最初から上手くいかないものだったと、アタシも諦めていた。
でも、シンジはファーストよりアタシと組みたいと言ってきた。
ファーストよりアタシが良いって。
そしてシンジはアタシに無理をしないで欲しいとも。
アタシがエヴァンゲリオンのパイロットに選ばれた時から周りの大人達は常に結果を出せと言い続けて来た。
努力しても結果を出せなければ、役立たずとまで言われた。
シンジにそう言われた時、アタシは無駄な努力をするなと言われたような気がして、怒鳴り返してしまった。
でも、よく考えてみるとそれは誤解だと分かった。
シンジはアタシが苦しんでいる事を感じ取ってくれていたんだと。
だけどアタシはシンジに対して素直に謝る事もお礼を言う事も一言も言う事が出来ないでいた。
アタシはいつかシンジに素直な気持ちを伝えられるようにシンジとの同居をミサトに申し出た。
でも、シンジと一緒に暮らすようになってから、アタシはシンジに当たり散らすようになってしまった。
シンジってば内罰的で暗い顔をして謝まってばっかりだから。
そんなシンジの顔を見ているとイライラしてくるのよね。
だけど、シンジがアタシのために色々してくれている事は知っている。
ハンバーグもかなり上手くなったよね。
でも、アタシはいまだにシンジに一言も自分の気持ちを伝えていなかった。
このままじゃ、シンジはアタシに愛想を尽かしてしまうんじゃないか。
アタシは手紙でシンジに感謝の気持ちを伝える事にした。
シンジへ
毎日アタシを起こしてくれたり、ご飯を作ってくれたりしてくれてありがとう。
アタシは優しくしてくれるシンジが大好きだよ。
……
……
「大好き」って……これじゃラブレターじゃない!
ちょっと大胆すぎるかな……でも、素直な気持ちを書くって決めたんだし……。
「アスカー、ご飯できたよー」
シンジの呼ぶ声が聞こえる。
アタシは手紙を机の引出しにしまってリビングへと急いだ。
学校から帰ってきた僕は、さっそく部屋の掃除に取り掛かる。
ミサトさんもアスカも部屋の掃除を全くしてくれないから、自然と僕が掃除をしなければならなくなった。
同居人にアスカが増えた事で、僕は掃除をしなければいけない部屋が一つ増えた。
でも、僕は嫌だとは思っていない。
ミサトさんやアスカが僕と一緒に同居をして掃除をさせてくれるのは、少なからず僕に好意を持っていてくれるってことなんだと思うから。
アスカの部屋を掃除していた僕は、引き出しから紙切れがはみ出しているのに気がついた。
僕はその紙切れの事がとても気になって仕方がなかった。
アスカの秘密を勝手にのぞくのはいけない事だと解っているけれど……僕は興味を抑えきれなかった。
これは……僕宛てのラブレター……!?
アスカが僕の事、優しくって大好きだって……。
手紙を読んだ僕はとても幸せな気持ちでいっぱいになった。
僕もアスカに告白した方がいいのかな……。
でも、この手紙を見た事がアスカに知られるとまずいよね。
僕も手紙でアスカに自分の思いを伝える事にした。
「アンタ、今日はやけに機嫌が良さそうじゃない?」
僕は夕食に思いっきり大きなハンバーグを作った。
アスカもおいしそうに食べてくれたし、好感触だ。
僕はアスカがラブレターを渡してくれる日を楽しみに待っていた。
でも次の日、僕とアスカの仲が険悪になる出来事が起きてしまったんだ。
いつも定期的に行われているシンクロテスト。
僕はアスカにいい所を見せようと頑張った。
もうアスカの足手まといにはならないと。
「シンジ君、ユーアーナンバーワン!」
その時、僕はミサトさんの言葉に笑顔で答えんだけど……。
「シンジに負けるなんて!」
ネルフの廊下でそう言って壁を殴りつけるアスカの姿を僕は見てしまったんだ。
「何見てるのよ、バカシンジ!」
アスカに怒鳴られた僕は何も言えずに逃げるようにその場を立ち去った。
ミサトからシンジがアタシのシンクロ率を抜いたと聞いてアタシは腹が立った。
小さい頃からエヴァのパイロットとしての厳しい訓練を受けていたアタシより、何でシンジの方がシンクロ率が高いのよ!
ミサトのマンションに戻っても、アタシのシンジに対する怒りは収まらなかった。
「こんな手紙なんか、シンジなんて大嫌い!」
部屋に戻ったアタシはシンジに宛てて書いた手紙を細かく引きちぎってゴミ箱に捨てた。
怒りが収まらないアタシはベッドに掛け布団を被って丸まった。
「アスカ……」
『部屋に入って来るな』と言う掛札を無視して無神経なシンジがアタシの部屋に入って来る。
「何よ、アタシに勝ったからってそんなに嬉しいの!?」
「僕は別に、アスカに勝ったから嬉しいってわけじゃ……」
「じゃあ、何だってのよ!」
「僕はアスカが好きだから……守ってあげられる力が身に付いたと思ったからだよ」
まさかシンジから告白を受けると思っても見てなかったアタシは、驚いて掛け布団をめくり上げた。
そこにシンジの姿は無かった。シンジは部屋を出て行ってしまったようだ。
謝るタイミングを逃してしまったアタシはベッドの中で悶々と朝まで過ごした。
僕はいつものように朝食を作ってアスカを起こしに行くんだけど、気が進まなかった。
アスカはきっと僕の事を怒っているから。
こっそりとアスカの部屋に入った僕は、破られた紙くずが入っていたゴミ箱を見てしまった。
あれは確かアスカが僕宛てに書いたラブレター?
アスカは僕をそこまで嫌いになってしまったんだ……!
胸が痛んだ僕は、そのままアスカの部屋を出てリビングへと戻った。
そうしたら、怒った様子でアスカが部屋から飛び出してきた。
「シンジ、何でアタシを起こさずに部屋を出て行っちゃうのよ!」
「アスカは僕の事、嫌いになったんだろう? 僕を見ているとイライラするって! だから僕宛てのラブレターを破り捨てたんだろ!?」
勢い余って口にしてはいけないことまで話してしまった僕は慌てて口を押えるが、後の祭り。
「アタシの手紙を盗み読みしたわね!」
アスカの顔がゆでだこの様にかあっと赤くなる。
「ご、ごめん」
「そりゃあ、昨日はかっとなって手紙を破り捨てたけどさ」
腕組みをしながら照れたアスカが僕の方をチラチラと見る仕草は可愛いと思った。
「でもアタシ、シンジの事は嫌いじゃない……いえ、好きよ」
僕は突然アスカに顔をつかまれて唇にアスカの唇を押し付けられた。
これってキス……!?
女の子の唇ってこんなに柔らかいんだ……。
僕が初めてのキスの感触に酔いしれていると、アスカはゆっくりと僕から体を離した。
「……アスカ、本当に僕なんかでいいの?」
「何よ、アタシが好きでもない相手にキスすると思ってたの?」
僕の内罰的な性格は筋金入りだ。
でも、アスカが好きになってくれる自分も僕も好きになれると思う。
「もっと明るく笑っていればいいのよ。アタシ、シンジの笑顔が好きよ」
「そ、そうなの?」
アスカにストレートに褒められると、くすぐったい気分になる。
「お二人さん、ノロケはそのくらいにして朝ごはんを食べて準備しないと学校に遅刻するわよ!」
「ミサト?」
「うわっ、ミサトさん!」
いつの間にかニヤニヤと笑いを浮かべたミサトさんが僕達の後ろに立っていた。
「行ってきます!」
僕はアスカに手を引かれて通学路を走っている。
「アスカ、こんな所を見られて平気なの?」
「別に構わないわよ。堂々として付き合っていると言えばいいの!」
もう僕達にラブレターは必要ないのかもしれない。
こうして直接素直に気持ちを伝える事が出来るようになったのだから。
No.8 一番星に憧れて
第三新東京市、公園にて―――
「何よシンジ、こんな所まで連れて来て」
「アスカに話したい事があってさ」
学校から二人がコンフォート17にある葛城家に帰宅してしばらく経った後。
シンジはアスカを散歩と言う名目で誘って外に出た。
アスカは終始面白くなさそうな顔でシンジの後ろを付いて行き、二人は公園にたどりついた。
ここはシンジとアスカにとって特別な場所だった。
二人は出会った直後は距離を置いていたのだが、使徒を倒すために協力しなければならなくなった時に、シンジがアスカに歩み寄ったのがこの公園。
それから度々シンジがアスカに大事な話をする時にはこの公園が定番となっていた。
シンジはしばらくの間黙り込んだままだった。
アスカの方もじっとシンジが話すまで待っている事にした。
時刻はちょうど夕暮れ時。
「アスカって、一番星が好きなんだよね? 前にそう話してくれたじゃないか」
「そうね、夜空で一番最初に光る星―――たいていは金星の事だけど」
アスカが返事をしてくれた事に安心したシンジはゆっくりと本題を切り出した。
「昨日のシンクロテストでさ、僕が一番になったりしてゴメン」
「何を謝っているのよ」
シンジの言葉を聞いたアスカの顔が険しいものになって行く。
「今度のシンクロテストは、アスカが一番になるようにするから」
「アタシをバカにしてるの!? アタシはアンタのおこぼれで一番になったって、全然嬉しくないから! ―――殺したいほどムカつくわ」
アスカは怒って思いっきりシンジのほおを叩いた。
シンジのほおに赤い手形が刻まれる。
ほおの痛さに崩れ落ちそうになるシンジに背を向けてアスカは公園を出て行こうとする。
そのアスカの腕をシンジはつかんで必死に引き止めた。
「離しなさいよ!」
「離さない、だってこのままアスカに嫌われたらいやだから!」
アスカはシンジの肩を足蹴りにして腕をほどこうとするが、シンジの意志は固く、一筋縄ではいかなかった。
「痛い!」
「お願い、話を聞いてよ!」
いつもより強情なシンジの行動に、アスカの方が折れた。
「わかったわ、話を聞くから手を離しなさいよ……本当に痛いんだから」
「あ……ごめん」
アスカから手を離したシンジは意を決して目をつぶりながら大声で叫ぶ。
「僕がシンクロテストを頑張るようになったのは……アスカを守りたいと思ったからなんだ!」
「バカシンジが、エースパイロットのアタシを守る?」
「僕はアスカの事……好きになってしまったから……」
「ふん、アンタもどうせアタシを外見で判断してるんでしょ、言い寄る男はみんなそう。やっぱりアタシは加持さんみたいな……」
そこまで言ったアスカは、優しくシンジに手を撫でられて言葉を止めた。
「アスカが加持さんを好きでもいい。でも、僕は気がついたんだ。アスカがずいぶんと無理をしている事に」
「アタシは別に……」
「自分の弱い所を隠して見せないような……強がっている気がするんだよ」
アスカはシンジの言葉を聞いて下を向いて黙り込んでしまった。
「アスカは本当はもっとかわいい子じゃないのかなと思ったら、なんかこう……守りたい、好きだって気持ちが強くなって」
「……それじゃあいつものアタシがかわいくないみたいじゃないの」
アスカはそう言ってシンジの手の甲を思いっきりつねった。
「アタシの事、かわいいって言ってくれたのはシンジが初めてだから正直戸惑っているわ」
「突然、変な事を言ってゴメン」
「謝る事はないわ」
顔をあげてアスカは星空を眺めている。
シンジもアスカにならって同じように星空を眺めた。
すでに一番星以外の星もたくさん空に輝いている。
「やっぱり、たくさんの星が輝いているから星空って言うのよね」
「そうだね、一番星一個だけじゃ寂しいよね」
「アタシさ、ドイツではいつも他人に負けないようにしてた。だって、周りのみんなはアタシを見下すような態度を取っていたから」
「アスカは負けず嫌いだからね」
「好きで負けず嫌いになったんじゃない! アタシは一番になる事で対抗していたのよ。でもアタシが上に行けば行くほど、みんなの心は離れて行った」
そこまで話すと、アスカは自分をあざ笑うように天を仰いだ。
「当然よね、今度はアタシが見下す方になっていたんだもの。エヴァのパイロットとしても、シンジやファーストよりも自分が上だって思っていた。最低よね」
「アスカ、どっちがエースパイロットだなんて関係無いと思うよ。あの分裂する使徒だって、二人で力を合わせて倒したんだからさ」
シンジの言葉を聞いて、アスカはゆっくりと頷いた。
「うん、アタシは別にもうエースパイロットじゃ無くてもいいのよ。シンジとファーストと一緒に使徒を倒せれば」
アスカがシンジに向かって微笑むと、シンジも安心して嬉しさに充ちあふれた笑顔になる。
「アタシもね、弐号機がマグマの底に沈みそうになった時、シンジが助けてくれた事とか思いだしたの。あの時のお礼をあらためて言わせてもらうわ、ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
アスカに見つめられたシンジは顔が真っ赤になった。
そんなシンジの顔を見て、アスカはからかうような表情になる。
「ま、一番の座を奪われた時は初号機をプログナイフで刺してやろうと思ったりしたけどね」
「それは怖いよ」
「でも、アタシはまだ加持さんを一番の男性だと思っているけどね」
「それでも構わないよ、僕がアスカを好きだって事に変わりはないし」
アスカはシンジの手をつかんでコンフォート17への帰り道を歩いて行く。
「あーあ、お腹がすいちゃったわ。早く家に帰って夕ご飯作ってよ……って何泣いているのよシンジ?」
「アスカに嫌われないで本当によかった……」
「情けないわね、そんな事でメソメソして……」
口ではそう言ってもアスカは嬉しそうな表情を浮かべて持っていたハンカチでシンジの涙をそっと拭った。
その後コンフォート17に戻ったアスカとシンジは、一部始終をのぞいていたミサトにからかわれ続けた。
No.9 浮力 ~ウキアガルチカラ~
僕は泳ぐのが苦手だった。
小さい頃から見ていた不思議な夢も原因なんだ。
目の前で誰かがおぼれて沈んで行くという夢を何回も見た。
「人間は浮くようにはできていないんだ」
体育の水泳の授業の時間はとても嫌で逃げてばかりいた。
先生も諦めてサジを投げるくらいだった。
無気力な毎日を送っていた僕の元に、ある日父さんから手紙が来た。
父さんの元へ行った僕は、エヴァンゲリオンという巨大なロボットのパイロットにさせられてしまった。
僕が戦わないと人類が滅亡するって言われても良く分からなかった。
ただ、流されるように僕はエヴァンゲリオンに乗り込んで使徒という怪獣みたいなものと戦った。
いや、あれは戦いじゃなかった。
僕はただ痛い思いをしただけで、使徒は勝手に倒されていた。
こんな辛い思いをするなら逃げ出したいと思ったけど、おじさんのところへ戻るのも嫌だった。
でも、そんな沈んだ僕の心をつかみ上げてくれる、そんな人と会えた。
「シンちゃん、ちょっと散らかっているけど、我慢してね」
「これがちょっとですか……」
僕の上司の人で10歳以上年の離れたお姉さんみたいに接してくれる人。
ミサトさんは僕の本当のお姉さんになってくれたんだって思った……そう錯覚してしまった。
机の上に置かれた『サードチルドレン監督日誌』。
そこには僕のエヴァの操縦に関係するデータが細かく書かれていた。
ミサトさんは、僕をエヴァのパイロットとしか見ていない……。
こうなったらネルフの、いや、父さんの『駒』らしく散ってやろうと使徒と思いっきり戦った。
でも、いくら周りのみんなに褒められても僕の心は浮き上がって来なかった。
……そして、僕は重たい心と体を本物の水の中に沈めてしまおうと、ミサトさんの家を飛び出した。
僕が向かったのは第三新東京市で一番景色の綺麗な湖と観光パンフレットに書かれていた芦ノ湖だった。
時刻はちょうど夕暮れだった。
水面が茜色に染まる幻想的な景色を見れるなんて死ぬ前に来てよかったと思った。
「さあ、あと少しだね……」
僕は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、転落防止の柵を乗り越えて、湖の中に向かって思いっきり飛び込んだ。
体は肩まで沈み込んだけど、僕はもがいて水面に顔を出している。
……どうして?
僕はおぼれて湖の底に沈むはずじゃなかったの?
どうして僕は浮き上がろうともがくんだろう。
それでもだんだん手足の力が抜けて行く。
そんな僕の耳に届いたのはけたたましい車の音と、誰かが飛び込む水の音だった。
「ミサトさん……!」
ミサトさんは真っ直ぐ僕のところに向かって泳いでくる。
僕はミサトさんに抱きかかえられて浮いているんだ……。
僕はネルフ本部に連れ戻されたけど、不思議と小言の一つも無くミサトさんの家へ戻る事になった。
自分の部屋の隅で僕はずっと座り込んでいた。
すると、そんなに時間も経たないうちにミサトさんが家に戻って来た。
ミサトさんは紅茶色の髪をした、外国人みたいな青い目をした女の子を連れて来ていた。
「シンジ君、紹介するわ。惣流・アスカ・ラングレー、あなたと同じエヴァンゲリオンのパイロットよ。ドイツ支部から来てもらったの」
「よろしく」
「う、うん」
突然、同僚のパイロットを紹介されて僕は何だか分からなくなった。
「これから、シンジ君がバカな事をしないようにアスカに側にいてもらうから」
「ええっ、僕が、この子と一緒に?」
「そう、アスカの部屋はあっちだから」
「ダンケ、ミサト。アタシもホテル暮らしは嫌だったからさ」
僕の目の前で、ミサトさんとアスカの話はまとまって行く。
「あの惣流……さん?」
「何よ?」
「僕と同じ家でいいの?」
「外国ではルームシェアリングぐらい当たり前よ」
アスカの態度に僕は拍子抜けしてしまった。
「じゃ、私はネルフに戻るから二人とも仲良くね」
ミサトさんはそう言い残して家を出て行ってしまった。
「話は聞いたわ。アンタ、ミサトに甘えて迷惑を掛けるんじゃないわよ」
「僕がミサトさんに甘えてるって?」
「自分の部屋の机の上に置きっぱなしにした芦ノ湖のパンフレット、それがアンタからミサトへのSOSじゃないの?」
アスカに指摘されて僕は気がついた。
僕は死にたいと言いながらミサトさんに助けを求めていたんだって。
そしてミサトさんは差し伸べた僕の手を……引き上げてくれたんだ。
……沈んでいた僕の心が、浮き上がってくるのを僕は感じた。
またミサトさんとの、さらにアスカを加えた3人の家族としての生活が再開した。
アスカは僕に料理や掃除、家事全般をやることを強制した。
体を動かしていれば暗い事も考えなくなるって。
学校から帰ったら家事をしなくちゃいけなくなった僕は、確かに落ち込む暇が無くなった。
「アスカって、僕にキツく当たるけど、ひょっとして僕の事嫌いなの?」
「別にそんなこと無いけどさ、アンタがバカシンジだからよ」
「そっか、別に嫌われているわけじゃないんだ……」
それでもアスカはいつも僕に対して厳しいとは思った。
ハンバーグはもうちょっと火を通す焼き方をした方がいいとか、お風呂はぬるめにしろとか、下着はネットに入れて洗濯しろとか……。
さらに僕が下を向いて歩きすぎだとか、同じ上着を何日も着るなとか、もっと大きな声で話せとか、たくさんご飯を食べろとかお節介なぐらいだった。
数日後、零号機とアスカのシンクロテストの最中にネルフの発令所に警報が鳴り響いた。
新しい使徒が出現してこちらに向かってくるんだって。
アスカは零号機とまだシンクロできないから、僕が初号機に乗って出撃する事になった。
父さんは何も言わずに僕を戦場に送りだす。
でも、父さんの事が信じられなくても僕がここに居るためにはエヴァに乗るしかない。
あれ、何で僕はここ居たいって思うんだろう?
答えはわかっている。
ミサトさんとアスカと一緒に居たい気持ちが芽生えて来たから。
「エヴァンゲリオン初号機、発進!」
ミサトさんの号令で初号機が地上に向かって射出されて行くのがわかる。
地上に出た瞬間、ミサトさんから通信が入った。
「避けて!」
「えっ?」
僕はミサトさんの言葉の意味を考える間もないまま、視界一面が真っ白な光に包まれた。
熱い……LCLがまるで沸騰しているんじゃないかと思うぐらい体中がヒリヒリした。
そして、胸の辺りが苦しい……息が苦しい……まるでおぼれてしまったみたいだ……!
……僕の前で、また誰かがおぼれていると言う夢を見た。
いや、おぼれているんじゃない、人がLCLに溶けて行っているんだ。
エヴァに乗るようになった僕には解った。
じゃあ、僕の目の前で溶けているのは誰なんだろう?
夢が覚めて行く……。
「目が覚めた?」
「アスカ……」
目を開けると、そこにはアスカが立っていた。
部屋の中を見回すと、ここは病室。
ゆったりとした服を着て、ベッドに寝かされていたのが分かった。
「アンタ、泣いているみたいだけど、どうしたの?」
「えっ?」
僕はアスカに言われて、目じりに涙がたまっている事に気がついた。
「何でだろう……」
「まあいいわ、ほら、おむすびを持ってきたから食べなさい!」
アスカが僕の前に差し出したおむすびは形がガタガタになっていて、器用なアスカが作ったものとは思えないほどだった。
「これって、もしかしてミサトさんが作ったの?」
ミサトさんが作った料理を食べたら命にかかわるから、確認のために聞いてみると、アスカは顔を赤らめてボソボソと話す。
「う、うるさいわね、アタシは日本に来て初めておむすびを知ったんだから仕方が無いじゃない!」
「ありがとう、でも僕はあんまり食欲が無いから……」
「そんなこと言うと、今夜の作戦中にお腹が空いて倒れちゃうわよ!」
「えっ……エヴァは無事だったの?」
「数時間後に修理が終わるみたい。ミサトやリツコは大忙しよ」
「また、エヴァに乗らなくちゃいけないのか……」
僕は自分の体が震えてくるのを感じた。
本能的に死を悟ったあんな体験は二度としたくない。
「僕はもうエヴァには乗りたくない……」
「そんなこと言って、逃げちゃダメよ」
「アスカはあんな痛い目に合った事が無いからそんな事が言えるんだ!」
「バカシンジ、そんな甘い事言うな! ミサトやリツコもアンタを信じて頑張ってるのよ!」
「もういい、放って置いてよ!」
僕はアスカを追い出すように、手を振りまわした。
でも、アスカはそんな僕の手をグッとつかんで僕に向かって呼びかけた。
「逃げちゃダメよ逃げちゃダメよ逃げちゃダメよ逃げちゃダメよ逃げちゃダメよ!」
「どうして、アスカは僕を見捨てないんだよ! 父さんみたいに!」
僕がヤケクソ気味にそう叫ぶと、アスカは落ち着いた暗い声でポツリと呟いた。
「……それは、アンタがアタシにそっくりだから」
「えっ?」
「おむすび、食べなさいよ」
アスカはそう言って僕の病室を出て行った。
僕はアスカの作ってくれたおむすびを食べないわけにはいかなかった。
そのアスカの優しさに僕の目と鼻から水が止めどなくあふれて来た。
「はは、味が良く分からないや……」
僕はそう言いながらアスカの作ってくれたおむすびを食べ続けた。
作戦のため招集された時間になる前に、僕はプラグスーツを着てミサトさんとアスカが待つブリーフィングルームに顔を出した。
「シンジ君、やってくれるのね」
「アンタ、吹っ切れたの?」
ミサトさんとアスカに向かって僕は無言で強くうなずいた。
「アスカ、おむすびありがとう」
「ど、どういたしまして」
僕はこんなふうにお礼を言ったのは生まれて初めてかもしれない。
アスカは照れ臭そうに顔を少し赤くしてそっぽを向いていた。
「それではこれから『ヤシマ作戦』の内容を説明するわ」
ミサトさんがきりっとした顔になって、作戦の内容をを僕達に説明する。
長距離・大出量のライフルを使って強力なレーザーを撃って使徒を倒す事。
シンクロ率の高い僕が射手を担当して、アスカは零号機で使徒が攻撃してきた時のために盾を持って防ぐ事。
「もし僕が外したらどうなるんですか?」
「その時は急いで2発目を撃つしかないわね。でも、ライフルの再充填には20秒近くかかるのよ」
「さっき、盾は17秒しか使徒の攻撃に耐えられないって……! それじゃあ、アスカが!」
僕がそう言ってアスカの方を見つめると、アスカは落ち着いた様子だった。
「大丈夫、アタシはシンジを信頼しているから」
そして僕達は作戦開始時刻になるまで、二人きりでパイロット控室で待つことになった。
お互いに座り込んで黙ったままだった。
アスカも緊張しているんだって僕にも分かった。
部屋の空気が張り詰めている。
でも、僕はアスカに声を掛けずにはいられなかった。
「アスカは何でエヴァに乗るの?」
「負けたくないからよ」
「何に?」
「アタシがエヴァから降りたら、きっと何もすることが無くなっちゃう。そしていつもウジウジと悩んでいるんだわ」
「僕もここに来る前はそうだった、いや、最近までそうだったと思う」
アスカは強い子じゃなかったんだ。
必死に暗い思考の海に沈んでしまわないように、浮きあがろうと必死にもがいているだけなんだ。
僕はそう思った。
「時間ね、アタシ先に行くわ」
アスカは僕より早く出口のところに立って、そして振り向いた。
「アンタはアタシが守るから」
バイバイ、と軽く呟いてアスカの後ろ姿は消えて行った。
まるで最期の別れみたいで僕はとても嫌だった。
「シンジ君、私達のエネルギー、あなたに預けるわ」
ミサトさんは戦略自衛隊や日本中の企業・研究所、そして国連の軍隊が持っていた電気や電池を集めてライフルのエネルギー源にしたんだって。
でも、1発目を外したら、2発目は……日本中を停電させてでも電気を集めないといけない……いや、それもあるけど僕はアスカが心配だった。
「電圧上昇中!」
「冷却システム作動します!」
エヴァに乗っている僕の耳に発令所に居るネルフの大人達の慌ただしい声が聞こえる。
「最終安全装置解除!」
「撃って、シンジ君!」
ミサトさんの合図を聞いて、僕はライフルの引き金を絞った!
ライフルから撃たれたレーザーは使徒に向かって命中した!
だけど、信じられない事に使徒は倒せなかったんだ。
「ATフィールドを貫通して使徒にダメージを与える事はできましたが、倒すには至らなかったようです!」
「シンジ君、第2射急いで!」
通信の向こう側の発令所が動揺しているのが分かる。
僕達に気がついた使徒がこちらに近づいて来るのが見えた!
そして使徒からレーザー攻撃が打ち出され、僕は思わず目を瞑ってしまった!
でも、僕が覚悟していた熱線はやって来なかった。
僕を守るようにアスカの乗る零号機が盾を持って攻撃を防いでいる!
「アスカっ!」
僕の目の前でアスカの持つ盾が溶けて行く。
「早く、早く!」
「後5秒!」
発令所から聞こえる声に僕はショックを受けた。
このままじゃ、アスカが持たない!
「きゃあああああ!」
ついに盾が溶けてしまい、アスカの悲鳴が僕にも伝わってくる!
「アスカぁ!」
「今よ!」
僕が撃ったレーザーは使徒を撃ち抜き、使徒は今度こそ倒れたみたいだった。
そして崩れ落ちる零号機。
初号機で僕は零号機のエントリープラグを引き抜き、アスカを助けようと自分も初号機を降りて向かう。
でも、自分一人の力では零号機のエントリープラグのハッチは簡単には開けなかった。
「こんのおおお!」
それでも僕は普段では考えられない力を出して、何とかハッチを開く事が出来た。
「アスカ!」
「う……シンジ?」
僕が呼びかけると、エントリープラグの中に居たアスカはゆっくりと目を開いた。
「よかった、無事で」
僕は一人で立ち上がる事が出来ないアスカに肩を貸して抱え上げながら歩き出した。
「出発前にバイバイなんて悲しい事言わないでよ」
僕はそう言ってアスカの肩をつかむ手に力を入れる。
「今の僕達にはエヴァに乗る以外何も無いかもしれないけど……いつか自分のしたい何かが見つかると思うんだ」
アスカは黙ってうつむいたままだ。
「それに……アスカがエヴァのパイロットを辞めても、僕もミサトさんと一緒にアスカの側に居るよ。その僕達……家族だろう?」
「……ありがとう、シンジ」
それから僕とアスカは2人でいろいろな場所に出かけるようになった。
僕にとって嫌な場所だった芦ノ湖で遊覧船に乗ったり、ネルフのプールを貸し切りにしてもらったり……。
今まで僕はプールが嫌いで仕方無かったけど、アスカに泳ぎを教えてもらう事になった。
始めは基本のバタ足から、アスカに手を引いてもらって僕は泳ぐ事が出来た。
「シンジったら、アタシのおっぱいばかり見ていやらしい」
「だって……その、目の前にあるから……」
「シンジが泳げるようになったら、アタシのおっぱいを生で見せてもいいわよ」
そんな事を言われて、僕は気が動転してしまった。
慌てふためく僕を見て、アスカは大笑い。
僕はそれからも泳げるように一生懸命努力した。
……決して、アスカの胸を見たいわけじゃない。
なんで、僕は自分に言い訳しているんだろう。
「シンジ、見て見て! スーパージャイアントストロングエントリー!」
火山の火口付近に使徒の幼生が見つかった。
アスカの乗る弐号機が溶岩の中に潜って使徒を捕獲する事になった。
「あーあ、早く終わらせてシャワー浴びたい」
アスカは軽い調子だけど、僕は胸がざわめくのを感じていた。
そして、僕の嫌な予感は的中した。
「な、何よこれー!」
「使徒が羽化を始めたんだわ!」
「使徒捕獲作戦を中止、使徒殲滅作戦に切り替えるわよアスカ!」
「了解!」
アスカは溶岩の中で使徒と戦う事になってしまった。
使徒の外皮は相当堅いのか、プログナイフでは歯が立たないで居た。
そんな時、ミサトさんからの通信が聞こえた。
「アスカ、熱膨張を使って使徒を倒すわよ!」
「冷却水を全て1番のパイプに回して!」
「はい、先輩!」
アスカはミサトさんの指示通り使徒の口に冷却パイプを突っ込んで、装甲の柔らかくなった使徒をプログナイフで引き裂いた!
「パターン青、消滅しました!」
「ナイス、アスカ!」
ミサトさん達の歓声が僕の耳にも届いて来た。
でも、僕の目の前でとんでもない事が起こった。
弐号機を引き上げていたパイプが音を立てて一気に引きちぎれたんだ。
「アスカ!」
僕はそう叫んで、沈んで行く弐号機を助けようと、溶岩の中に顔をつけて飛び込んで行った。
そして奇跡的に弐号機の腕をつかんで引きあげる事が出来た。
アスカを助けられてホッとした僕は、急に目まいがしてそのまま気を失った。
「目が覚めた?」
気が付くと、僕は浴衣を着たアスカにひざ枕をしてもらっていた。
ここはどこかの旅館の部屋のようだった。
僕は畳の上で寝ていた。
「アンタが溶岩の中に飛び込んだ時、凄い力のATフィールドが発生して熱を防いだらしいわ。それでアンタは精神力を使い果たして気を失ったみたい」
「そうだったんだ……」
僕がそう呟くと、アスカは突然僕の頭を両手でグリグリとし始めた。
「このバカシンジ! 2人とも溶岩の底に沈んじゃうところだったのよ!」
「ごめん、体が勝手に動いちゃって……」
「ううん、謝る事無いわ。……アタシ、自分の体が沈んで行くのを感じて、死んじゃうのかと思った。でも、急に体が浮き上がるのを感じて……シンジが腕をつかみ上げてくれたのが分かって……嬉しかった」
アスカの声が涙混じりになるのを聞いて、僕は起き上がってアスカの顔を見つめた。
目を潤ませて僕を見上げるアスカの顔はとても可愛かったんだ。
「お礼にアタシのおっぱいを見せてあげるね。温泉で温まったから大きくなったと思うんだ……」
そう言ってアスカは浴衣を脱ごうとする。
僕は唾を飲んでのどを鳴らしてアスカを見つめていた。
「なんてね、嘘よ」
アスカはしっかりと浴衣の下にノースリーブの洋服を着ていた。
残念な事にブラも透けていない。
僕はホッとしたような、がっかりしたような気持ちになってため息をついた。
「アハハ、本気にした? 残念賞を上げるから元気出しなさいよ」
そう言うとアスカは僕に顔を近づけて、軽くほっぺたにキスをした。
……アスカが、僕にキス?
こんなかわいい子にキスをしてもらえるなんて!
この時僕の心は空へと舞い上がるような、そんな気持ちになった。
「シンジったら、浮かれすぎよ」
僕はよっぽどだらしのない顔をしていたんだろう、アスカにそう言われてしまった。
次の日から僕は学校でも前を向いて、クラスのみんなにも元気にあいさつをするようになった。
今まで僕は下ばかり向いて自分の人生をつまらないものだと思い込んでいたんだ。
それから僕はアスカと協力して次々と使徒を倒して行った。
そして、白黒の縞模様の球体が空に浮かんでいるような姿の使徒がやって来た。
この時の僕は自信に充ちあふれていた。
間違いの元はそれだったのかもしれない。
「僕が突撃して反応を見ます!」
すっかりナイト気取りになった僕は、アスカに危険な目に遭わせたくないと言う気持ちが強くなっていた。
「ちょっとシンジ君? アスカの弐号機が追いつくのを待ちなさい!」
僕はミサトさんの命令を無視して使徒に向かって突き進んだ。
すると、足元が沈み込んで行く感じがした。
空に浮かんでいる球体の影だと思ったのは、真っ暗な底なし沼のようなものだったんだ。
「シンジ!」
アスカの乗る弐号機が全力で僕の所に近づいて来る!
でも、黒い影はすでに僕の足元の周りの広い範囲に広がっていた。
とても引きあげられる距離じゃない。
「来ないで、アスカまで巻き込まれる!」
「でも……」
そう言っている間に初号機の機体はどんどん沈んで行く。
「シンジ、行かないで! ママのようにアタシを置いて行かないで! アタシを一人にしないで!」
最後にアスカの叫び声を聞いた気がした。
そして、僕の視界は黒く染まって行った……。
「……ねえ君、起きなよ」
気が付くと、僕は電車のような場所に居た。
座席に座っている僕の前に僕そっくりの人影が立って僕を見下ろしていた。
「君は誰?」
「君は僕さ、もう一人の碇シンジ」
僕は夢でも見ているような気分になった。
「人は何人もの人格を持っているんだよ、そのうちの一人が僕さ」
多重人格と言う話は聞いた事がある。
でも他の人格と話したなんて聞いた事が無い。
「僕は君の本当の気持ちを知っているんだよ」
僕の目の前に居るもう一人の僕はとても暗くて冷たい目をしていた。
「世の中に僕の居場所なんて無い、生きていても辛いだけ。交通事故なんかに巻き込まれて死んでしまっても構わないと思っている」
「違う、僕はもうそんな事を思っていない!」
僕の目の前に居るもう一人の僕にそう言い放った。
「それは君が辛いことから目を反らして、幸せな事を数珠のように紡いで生きているからだよ」
「生きていれば嫌なこともあるよ。……でも生きててよかったって思う時もきっとあるって信じているんだ」
僕がキッパリとそう言い返すと、目の前に居たもう一人の僕の目が赤く光り出した。
「僕を受け入れたら楽に死ねたのにね。残念だよ」
騙されるところだった。
こいつはもう一人の僕なんかじゃない!
得体のしれない怪物だ!
赤い目をした僕そっくりの人影は僕を床に押し倒すとのしかかって僕の首を絞めて来た!
「死にたくない……!」
僕はかすれた声でそう呟くと、突然僕の首を絞める腕の力が緩んだ。
起き上がった僕は思いっきり咳き込んだ。
「きもちわるい……」
気が付くと、僕はエントリープラグの中に居た。
まるで霧が晴れたかのように幻の風景が消えていた。
そして、エヴァが何かを握りつぶしているのが分かった。
……多分、使徒のコアだ。
僕は今までの使徒戦の経験からそう確信した。
でも、使徒を倒したのにこの真っ黒な世界は消えていなかった。
LCLが濁って来ていて息苦しい。
生命維持装置が危険域を指して、アラームを発していた。
「このまま、おぼれるみたいに死んじゃうのかな……」
僕はそう呟いて、絶対に嫌だと思った。
生きて帰って、またアスカに会いたい。
アスカも、一人は嫌だって泣いていた。
僕は浮きあがろうと必死に泳いだ。
アスカに習い始めたばかりだけど、一生懸命思い出した。
でも、僕はそのうち力が尽きて行くのが分かった。
「アスカ、もう疲れたよ……」
そう言って僕が諦めかけた時、僕は誰かに抱きしめられているのを感じた。
エヴァの中から出て来た誰か。
僕の目にはシルエットのようなものしか見えなかったけど、僕には母さんだと分かった。
……そして思い出した。
小さい頃の僕の目の前で溺れるようにLCLに溶けて消えてしまったのは母さんだって。
母さんが動かしているエヴァはどんどんと水面に向かって浮上していくのが分かる。
よかった、母さんまでカナヅチじゃなくて。
「ありがとう、母さん」
地上に戻ってまた気を失ってしまっていた僕は、アスカに抱きつかれているのが分かった。
「アスカ……?」
「シンジ……!」
アスカは泣き笑いのような顔で、さらに僕にきつく抱きついて、ほおを押し付けて来た。
ほっぺたと胸のあたりに柔らかくてくすぐったい感触。
抱きしめられるってこんなに気持ち良い事だったんだ……。
僕はしばらくアスカに抱きしめられるままで居た。
「アスカ、嬉しいのはわかるけど中学生に許されるのはキスまでだからね」
ミサトさんにそう言われたアスカは真っ赤な顔をして僕から体を離した。
抱きしめられて気持ちよかったのに、残念。
「シンちゃんも、アスカに手を出しちゃダメよ」
「はい、でももう一度アスカを抱きしめちゃダメですか?」
「いいけど、胸に顔をうずめたりしちゃうのはまだ早いわよ」
「そんなことしません!」
僕はニヤケ顔のミサトさんにそう言って、アスカを手招きして正面から抱き寄せた。
今度は抱きしめられるんじゃなくて、僕の方から抱きしめる側だった。
おそるおそるアスカの腰に手を回すと、アスカは嫌がらずに受けていてくれてホッとした。
「ねえシンジ、キスしよっか、ミサトの許可もあるし」
ミサトさんの家に戻って二人きりになった僕にアスカはそう言って来た。
「アスカ、どうしたの突然?」
「シンジはアタシとするのは嫌なの?」
「そうじゃないけど……慌てている感じがしてさ」
「そうね、ムードってものも必要よね」
僕はアスカが何かに追われいるかのようにキスをしようと言いだしたのが気になっていた。
まるで、別れの時が迫っているみたいだった。
そんなのは僕は嫌だった。
これからもずっとアスカと居るんだから。
「じゃあ、使徒を全て倒し終わったらキスしようか?」
僕の提案にアスカは頷いてくれた。
「アタシ、最後の使徒を倒したその日にシンジとキスするんだ……」
アスカは顔を赤らめて自分に言い聞かせるようにそう呟いていた。
僕はなぜキスを先延ばしにしてしまったのかと、ちょっと後悔していた。
でも、やっぱりムードって言うものも大切だし……。
幸せいっぱいだと思っている自分の心の隅に、黒いもやがかかっているような気がした。
「ミサトさん、もしかして初号機の中には母さんが居るんですか?」
僕がミサトさんにそう尋ねると、ミサトさんは驚いた顔をした。
「何でシンジ君がその事を……!」
ミサトさんの顔色は真っ青になった。
「僕は思い出したんです、小さい頃の記憶を。……僕は見ていたんです、実験で母さんがLCLに溶けてしまう瞬間を」
「……ごめんね、シンジ君」
「何でミサトさんが謝るんですか?」
「シンジ君とアスカのお母さんが居なくなる原因を作ったのは、私の父だから……」
ミサトさんは僕にミサトさんのお父さんが提唱した"E計画"と言うものを話し出した。
専門的な事を話されても僕にはよく分からなかった。
僕が印象に残ったのはアスカのお母さんが魂だけ弐号機に捕らわれてしまって、アスカのお母さんはおかしくなってしまったと言う話だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
僕の目の前で泣きじゃくるミサトさん。
前に僕はミサトさんに助けられた、今度は僕がミサトさんを助ける番だ。
「ミサトさんは悪くないですよ」
僕はミサトさんに元気を取り戻してもらえるように笑顔で話しかけた……。
ミサトさんの話によると、アスカは弐号機に自分のお母さんの魂が宿っていると言う事に気が付いていないようだった。
僕はアスカは一人じゃない、お母さんが見守っていると言う事を教えてあげたかった。
でもそれはアスカに昔の辛い思い出を思い出させる事になってしまう。
僕とミサトさんはアスカにいつか伝えるべきだとは思ったけど、どのように打ち明けたらいいか悩んでいた。
そんな日々を送りながら何体か使徒を倒した後、鳥のような使徒が襲来した。
今度は『ヤシマ作戦』とは逆に、アスカが射手で僕が防御を担当する事になった。
前に倒した使徒のようにレーザーで攻撃してくるものとばかり僕達は思っていた。
でも、そうじゃなかったんだ。
使徒の放ったレーザー光線は僕の初号機を飛び越えて、後ろにいるアスカの弐号機に突き刺さった。
「きゃああああ!」
「弐号機パイロットの精神グラフが大きく乱れています!」
アスカの悲鳴と発令所のみんなが慌てている様子が聞こえてくる。
僕は使徒の光線を受け止めようと使徒と弐号機の間に割って入るけど、光線は蛇のように曲がりくねって僕を交わして通り過ぎる。
「ママ、行かないで! アタシを置いて行かないで!」
混乱している様子のアスカの悲鳴を聞いて、僕はショックを受けた。
この前僕が戦った使徒みたいに、人の心に攻撃するタイプなのか!
「アスカ、落ち着いて!」
いくら呼びかけてもアスカに僕の声は届いていない。
僕は早く使徒を倒さないといけないと思って焦っていた。
「シンジ君、まだポジトロンライフルのエネルギーは貯まっていないわ、あと10秒待ちなさい!」
僕はそんなミサトさんの言葉を全然聞いていなかった。
持っていた盾を投げ出して、弐号機の代わりにライフルの引き金を絞る。
エネルギー不十分で発射されたこちらの攻撃は、使徒のATフィールドに阻まれてしまった。
「だめです、効いていません!」
「うわあああ!」
僕はヤケになって何回も引き金を引いてしまった。
「シンジ君が落ち着かなくてどうするの!」
ミサトさんの制止を振り切ってさらに何回も引き金を引いたけど、こちらのライフルからは何も出なかった。
「はあ、はあ……」
辺りが静かになって、僕はやっと自分が何をしたのか気がついた。
「ミサトさん、アスカは?」
「何の反応も無いの」
「そんな!」
弐号機の映像確認すると、アスカはぐったりとした様子でうなだれていた。
「ライフル、エネルギー再充填開始!」
「発射準備完了まで後30秒!」
それからの30秒は僕にとってとても長くきついものに感じられた。
「撃って、シンジ君!」
ミサトさんの号令と共に僕はライフルの引き金を絞ると、フルパワーのレーザーが使徒に向かって飛んでいく。
それは前と同じようにATフィールドごと使徒のコアを貫いて、使徒は殲滅された。
使徒から弐号機に向かって発せされていた光線も止む。
使徒との戦いが終わった後、アスカは303号室に運び込まれた。
アスカの体には全く怪我は無かった。
それでもアスカは眠ったままだった。
アスカの目は開いている、でもその青い目は何も見ていない。
アスカの心は、暗い海の底に沈んだまま、浮き上がって来ないんだ。
完全な精神崩壊を起こしていると、ネルフのお医者さん達はサジを投げた。
最後の使徒を倒したから、問題は無いと言っていたけど……。
僕はアスカを助ける事を諦めることなんてできなかった。
今度は僕がアスカの手を引いてあげるよ。
だって、僕は一人で泳げるようになったんだから。
僕はアスカの手を思いっきり握りしめた。
それでも、アスカからの反応は無かった。
「どうしたら、アスカの目を覚ます事が出来るんだろう」
僕は必死にその方法を考えた。
アスカは、きっとおぼれてしまっている状態なんだ……。
そんな相手に対してする事と言えば……!
僕は寝ているアスカの口に向かって思いっきりキスをした。
……そして、アスカの青い瞳が動いて、僕の事を見つめた。
「使徒を倒すたらキスをするって約束、叶える事が出来たのね」
「うん」
僕はアスカの言葉に短くそう返事をして、アスカを抱き上げた。
No.10 レイとアスカ ~恋の形~
「レイ、学校生活はどう?」
「特に問題はありません」
これが、少し前までのリツコとレイの会話だった。
しかし、最近はレイの返答が違っている。
「碇君が居るから、学校は楽しいです」
リツコはこのレイの言葉の変化を素直に喜んだ。
人形のようだったレイにも感情が芽生えた事。
そして、一人の女の子としてシンジに好意を抱いている。
リツコはいつレイがシンジと恋人同士になれた報告をしてくれるのか、心待ちにしていた。
しかしアスカが日本に来た事で、状況は変わってしまった。
「何よ、シンジのわからずや!」
「アスカが悪いんじゃないか!」
「ほらほら、二人とも止めなさい」
葛城家の食卓で、アスカとシンジは今夜も言い争っていた。
ケンカするほど仲が良いとの言葉通り、ユニゾン特訓のため同居を始めた二人の心の距離は近くなっていた。
年相応の反応を示すアスカとシンジを、ミサトは温かく見守っていたのだが……。
「ふんだ、シンジなんか大っ嫌い!」
「僕も、アスカなんか居ない方が楽が出来ていいよ!」
今夜のケンカはいつもより大規模な物のようだ。
アスカは自分の部屋に籠ってしまい、夕食の片付けをするシンジは不機嫌だった。
ミサトは呑気にビールを飲んでいる場合ではないと、二人のフォローに回った。
「シンちゃん、アスカを許してあげて、ね?」
「アスカがワガママ言うからいけないんですよ」
まだ女性経験の浅いシンジにはアスカの気持ちが分るはずも無く。
ミサトはひと晩寝て、二人の怒りが静まるのを祈るしかなかった。
「うーん、ビールを飲みすぎるとトイレが近くなるのかしら、利尿作用ってやつ?」
夜遅くにミサトはそう一人言を言って起き上がって、自分の部屋からトイレに行くために廊下に出る。
すると、アスカの部屋から泣き声のようなものが聞こえてくるのが分かった。
「まさか、あのアスカが泣いているわけないわよね~」
ミサトは気のせいだと思い、アスカの部屋の前を通り過ぎてトイレへと向かった。
しかし、ミサトが用を足して戻って来てもアスカの部屋から泣き声が聞こえ続けていた。
「アスカ、どうしたの!?」
ミサトがアスカの部屋のドアを開けると、アスカはベッドの上でサルのぬいぐるみを抱いて涙を流していた。
「アタシ、明日の朝、シンジと顔を合わせるのが怖いの。だってシンジはアタシに怒っていると思うし」
「それなら何で、シンジ君に対してきつく当たるの?」
「シンジにかまって欲しかった。アタシはシンジの事が好きになっちゃったみたいなのよ」
「じゃあ、正直にシンジ君に告白すればいいじゃないの。何なら私が伝えてあげようか?」
ミサトがそう言うと、アスカは上目遣いで瞳に涙をためてミサトを見上げながら、首を激しく横に振りミサトのパジャマの袖をギュッとつかんで否定した。
「止めて、それだけはダメ。シンジがアタシの事を嫌いだってわかったら、アタシはこの家に居られなくなる!」
「でも、シンジ君に聞かないとわからないじゃないの」
「シンジは学校ではファーストと楽しそうに話すし、シンジはファーストの事が好きなのかもしれない!」
ミサトは泣きじゃくるアスカを自分の胸に抱きしめる事しかできなかった。
「そう、アスカはそんな事で悩んでいるのね」
自分の研究室で、ミサトから電話でその話を聞いたリツコはそうため息をついた。
電話をしている間に、用事で訪れたレイが部屋に入ってくる。
リツコは電話を切って、レイを迎え入れる。
「レイ、学校ではシンジ君と居れて楽しい?」
「はい、碇君はアスカの事が好きだっては分かっています」
軽い笑顔で答えたレイの言葉に、リツコは顔面蒼白になって固まった。
「私は碇君に振りむいてもらう必要は無いんです。私が碇君を好きでいるだけで良い。だから楽しいんです」
さらにそう言ったレイの言葉に、リツコは心を打たれた。
リツコがまだ高校生だった頃から、リツコはゲンドウに憧れと恋心を抱いている。
でも、リツコがゲンドウに会うのは遅すぎた。
ゲンドウの隣には、妻であるユイが居た。
ユイが目の前から居なくなった後も、ゲンドウの心の中にはユイが残っている。
ネルフの幹部と言う立場でゲンドウに近づいても、振り向いてはもらえない。
「レイ、シンジ君と会った事、後悔はしていない?」
「いいえ、私は碇君が好きですから」
どんな形でも、恋はこの心の中にある。
穏やかな微笑みを浮かべてそう言うレイを、リツコは強く抱き締めた。
No.11 アスカのツンデレーション
「あーっ、退屈! せっかくの休みなのに、ちっとも面白くないわ!」
アスカはリビングに寝っ転がって、そんな事を言っている。
「じゃあ、外に遊びに行けばいいじゃないか、委員長の家とか」
「そんな気分になれないのよね」
僕は外で気晴らしをする事を勧めたんだけど、アスカはヘリクツをこねるんだ。
じゃあ、どうしろって言うのさ。
今までアタシは、誰も信じる事が出来なかった。
ネルフの大人達は、アタシを使徒と戦うための駒としてしか見てくれないと思っているから。
そう、もしかして加持さんもそうかもしれないって心の底で疑ってしまっていた。
でも、今のアタシはシンジを絶対的に信頼している。
だって、アタシを命懸けで助けてくれたから。
初号機だって、一緒にマグマの海に沈んじゃうかもしれなかったのよ?
アタシだって、自分が死んでしまうって覚悟して居たのに。
シンジのおかげで、アタシはこうして生きている。
アタシはシンジの事が好きになってしまったかもしれないけど、それを認めたくないプライドが邪魔をしてシンジに辛く当たっちゃうのよね……。
シンジに構って欲しくて、振り向いて欲しくてちょっかいをだしているんだけど、シンジにはきっと伝わっていないわね……。
「面白いテレビ番組もやってないから、映画でも見に行きましょうよ」
アスカにそう言われて、僕は胸がドキリとした。
これって、アスカが僕をデートに誘っているんだよね。
「勘違いしないのよ、これは暇つぶしなんだからね」
アスカは無理やり怒っているような顔を作っているけど、その蒼い瞳は不安そうに泳いでいる。
そんな素直になれないアスカの不器用な表情も、僕は好きになれた。
「じゃあ、着替えてくるよ」
「当ったり前じゃない、そんな『平常心』なんてTシャツ、アタシが恥をかくじゃないの!」
そんな事を言ったアスカの方が服を選ぶのに時間がかかっていて、僕より部屋から出てくるのがずいぶん遅かった。
僕はテーブルの上にミサトさん宛てにアスカと映画を一緒に見に行く事と、夕食は自分で温めて食べるようにとメモを残して、コンフォート17を出た。
「あれ、碇君とアスカ、もしかしてデート?」
夕方になりはじめた街の中を映画館に向かってアスカと二人で歩いていると、夕飯の買い物をしていた委員長に声をかけられた。
「アタシがバカシンジとデート? そんなわけないじゃない。アタシが映画を見に行くって言ったら、ついて来たのよ。まったく邪魔で仕方が無いわ」
アスカはそう言いながら大げさに困ったと言った感じのジェスチャーをした。
「アスカってば、そんな意地を張っちゃって」
委員長はそんなアスカを見てクスクスと笑う。
「こんなやつをアタシが好きになるわけがないじゃない、やっぱり加持さんみたいに素敵な男性じゃないとね」
デートをしている事を疑いもしない委員長に、アスカは僕を指差してそんな事を言った。
アスカの照れ隠しだって僕にも分かっていたけど、加持さんと比べられて僕はいい気分はしなかった。
買い物の途中だと言う委員長と別れて、僕とアスカは映画館に入った。
映画館の入口から席に着くまでの間、気分が悪くなった僕はアスカとなるべく口もきかないで目も合わせようとしなかった。
でも、映画の上映が始まって辺りが暗くなって静かになった時、アスカは座席の手すりの下で僕の手を繋いできたんだ。
もう委員長が見ているわけでもないのに、他のお客さんにも見えないようにこっそりと。
アタシはまた大好きなシンジを傷つける事をしてしまった。
映画の上映が始まってしまって、アタシはシンジを見つめる事も、声を出して謝る事も出来ない。
今、アタシがシンジに謝る事の出来る唯一の方法はシンジの手を握る事だけなの。
アタシが恐る恐る隣に座るシンジの手に向かって自分の手を伸ばすと、シンジも手を握り返してくれた。
「ごめんね」って気持ちを込めて、シンジを握る手に力を入れたり緩めたりしていると、シンジの方も優しく手を握ってくれた。
良かった、シンジはアタシの事を許してくれたみたい。
でも、アタシがシンジの事が好きだってことはシンジにしっかりと伝わっているのかしら。
アタシも不器用だし、シンジも鈍感なところもあるから……。
シンジとデートをしたいと思って、適当に選んだ映画は地球の人類が宇宙生命体と戦うホラーアクションだった。
途中で、主人公の男性がヒロインを守り切れずに殺されてしまうシーンが映し出されてアタシはショックを受けた。
アタシとシンジもエヴァのパイロットとして得体の知らない使徒と言う生物と戦っている。
いつ命を落としてもおかしくない絶望的な運命の中に居るのよ。
決めた、家に帰ったらアタシはシンジに好きって気持ちを告白しよう。
言わなくて後悔してしまうよりは絶対にマシだから。
アタシはそう決意してもう一度シンジと繋いだ手に少しだけ力を込めた。
No.12 シンジが死んじゃったのよ!
第三新東京市第壱中学校二年A組の女子、惣流アスカ。
アスカはとても元気な声で朝のあいさつをする少女だった。
しかし、今朝登校して来たアスカは暗い顔で教室に居る誰ともあいさつを交わさずに自分の席に着くと塞ぎこんだ。
アスカの親友である洞木ヒカリでさえ、アスカが登校して来た事にしばらく気が付かなかった。
「アスカ、来ていたの!?」
「あ、ヒカリ……」
ヒカリに声を掛けられて机から顔を上げたアスカは目の下に大きなくまを作っていた。
「アスカ!?」
「惣流、なんちゅう不細工な顔しとるんや」
「せっかくの顔が台無しだな……いや、これは珍しい写真が撮れるかも」
そう言ってカメラに手を伸ばそうとしたケンスケの手をヒカリが押し止める。
「まったく相田ってば不謹慎なんだから。アスカ、いったい何があったの?」
「今朝起きたら、シンジが……冷たくなっていたのよ、ベッドの中で」
アスカが悲しさに満ちあふれた口調でそう言うと、ヒカリ、トウジ、ケンスケの3人も重苦しくため息を吐いた。
「そうか、シンジのやつ調子が悪そうやったしな……」
「やっぱり、病気だったのかしら」
トウジ達が話す横でアスカは切なそうにため息を吐き出した。
「入院して病気を治療すればよかったのよ」
「無理な延命処置は止めようって話になったって、ママが言ってたわ」
ヒカリの言葉にアスカは目に涙を浮かべて答えた。
「最近は歩くことも出来なくなって、ご飯も食べられなくなっていたんでしょう?」
「そりゃあ内臓も悪くなって居たんだろうな」
ここ最近でシンジの体重は3キロも落ちていた。
シンジの異変に気が付いた時には手遅れだったのだ。
「昨日の夜もシンジの苦しそうな声がアタシの部屋まで聞こえて来て……静かになった明け方までアタシも心配で眠れなかったの」
アスカは感極まって涙を流し始める。
「きっと最後は声も出せないほど力が無くなってしまったのよ、あの時シンジの側に行けば死に目に会えたかもしれないのに……」
泣き出してしまったアスカを前にして、ヒカリ達は何も声を掛ける事が出来ずに顔を見合わせるだけだった。
そして、泣きつかれて涙を止めたアスカにヒカリが恐る恐る声を掛ける。
「それで、お葬式はいつやるの?」
「明日にでも、シンジは火葬にされちゃうってママが……」
「そうか、俺も放課後、会いに行ってもええか」
「うん、シンジってば鈴原と仲が良かったもんね」
「私もお菓子を作って持って行ってもいい?」
「シンジってばヒカリのクッキーが大好物だったわね」
アスカは昔を懐かしむように視線を遠く窓の外へと移した。
「シンジと初めて会った時は、アタシも赤ん坊だったから良く覚えていないけど……」
「シンジのやつは周りから好かれていて友達も多かったよな」
「うん、友達からもお見舞いのお花が届いていたわ。また元気に外で遊ぼうって」
アスカがそこまで話した時、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
ヒカリ達はカバンの置かれていないとある男子生徒の机に視線を送ると、困った顔でため息をつく。
「全く碇のやつ、惣流を泣かせたままにして置いてからに……」
「小さい頃からずっと一緒に居た幼馴染なんだろう?」
「私達が励ますより碇君が側に居る方がずっとアスカは元気になるって言うのに」
ヒカリ達は口々に責めるような言葉を言いながら自分達の席へと着席した。
その時教室に息を切らせて掛け込んで来た一人の男子生徒を見て、ヒカリは声を荒げる。
「碇君! 今頃になって登校してくるなんて!」
「ごめん委員長、アスカは?」
「惣流のやつ、シンジが死んだって朝からグッタリしてたから自分らが必死に励ましていた所や!」
トウジの言葉を聞いて、シンジは慌ててアスカの所へ駆け寄る。
「ごめん……いつも元気で笑顔を絶やさないアスカが、大声を上げて泣いているところを初めてみたから、どうしたらいいのか分からなくて……朝から顔を合わせられずにいたんだ」
「アタシもシンジは近いうちに死んじゃうって覚悟はしていたんだけど……空っぽになったシンジのベッドを見たら急にシンジが居なくなっちゃったって実感がわいちゃって、とても悲しくなってしまったのよ」
「碇、こういう時は胸を貸してやるんだよ」
ケンスケに言われたシンジはアスカの顔をそっと自分の胸に抱き寄せた。
アスカはまたせきを切ったように泣きはじめた。
廊下で教室の前のドアの入口から中をのぞきこんだ2-A担任教師の葛城ミサトは、出席番号1番の綾波レイを手招きして事情を聞く。
「いったい何が起こったの?」
「惣流さんの家で飼っていた犬が死んじゃって惣流さんが泣いているので、碇君が慰めているんです」
「そっか、もうしばらくそっとしてあげるか」
ミサトはそうつぶやくと、忘れ物をした振りをして職員室に引き返すのだった。
No.13 同棲同名 ~アスカとあすか~(使徒襲来世界編)
朝の葛城家のキッチンで、シンジは自分とアスカとミサトの分のお弁当、そして朝食を作っている。
そこまでは普通の朝だった。
「うぇぇぇっ!?」
静かな葛城家にアスカの悲鳴が響き渡った。
「どうしたの、アスカ!?」
シンジがアスカの部屋に駆けつけると、そこには何とアスカが2人居た。
片方のアスカはシンジがいつも見慣れたタンクトップにショートパンツ姿のアスカ。
もう片方のアスカは、熊さんのキャラクターが入った子供っぽいパジャマを着たアスカだった。
「アンタ、何者よ? どうして、アタシそっくりなのよ?」
「それはこっちこそ聞きたいわよ」
両方のアスカはお互い相手を怪しんでそんな事を言い合っていた。
「もしかして、新手の使徒!?」
タンクトップ姿のアスカがそう言うと、シンジの顔にも緊張が走った。
「何よ使徒って?」
そう言って身を乗り出して来たパジャマ姿のアスカが身を乗り出すと、タンクトップ姿のアスカはパジャマ姿のアスカを突き飛ばす。
「離れなさいよ!」
「痛っ、何するのよ!」
突き飛ばされたパジャマ姿のアスカはしりもちを着いて顔をゆがめた。
「大丈夫?」
その姿を見たシンジは警戒を一気に解いてパジャマ姿のアスカに駆け寄って助け起こした。
「シンジ、そいつは使徒かもしれないのよ? 早く離れなさい!」
「いきなり突き飛ばすなんてやりすぎだよ」
「シンジ……」
タンクトップ姿のアスカにシンジが言い返すと、パジャマ姿のアスカの表情が華やいだ。
「ちっ、じゃあミサトに言ってその使徒をきっちり殲滅してもらうから!」
タンクトップ姿のアスカはそう言って部屋を飛び出して行った。
シンジは追いかけて引き止めようとしたが、不安そうなパジャマ姿のアスカに腕を引かれて、その場に止まった。
「シンジも、あたしの事は知らないの?」
「うん、残念だけど、さっき話していたアスカしか知らないんだよ」
「そっか……目が覚めたら、あたしの部屋と違う場所に居るし、どうなっちゃうのかしら……」
パジャマ姿のアスカは自然にシンジに体を預けるような形で抱きついてしまっていた。
シンジはそんなアスカを振り払う事は出来なかった。
「あーっ、何でシンジに抱きついているのよ!」
ミサトを連れて部屋に戻って来たタンクトップ姿のアスカは怒った顔で人差し指を突き付けた。
シンジはパジャマ姿のアスカをかばうような発言をする。
「アスカはいきなり知らない場所に来て心細いんだよ」
「ミサト、使徒は色仕掛けを使ってシンジを陥落させるつもりよ」
「だから、使徒って何なのよっ!」
言い争う2人のアスカを前にして、腕組みをしたミサトはため息を吐き出す。
「こうなったら、ネルフ本部に来てもらって使徒かどうか検査するのが一番ね」
ミサトの提案に従い、シンジ達は葛城家を出て行こうとしたが、玄関でパジャマ姿のアスカは大声を発する。
「ちょっと、パジャマで外に出て行けって言うの!?」
「そうよ、着替えている暇なんて無いわ」
「……じゃあ、僕のジャンパーを羽織ると良いよ」
シンジは急いで自分の部屋に戻ってジャンパーを持って来ると、アスカに渡した。
「ありがとうシンジ、優しいのね」
「そ、そんな事無いよ」
「ウオッホン!」
いい雰囲気になりかけた2人を邪魔するかのように、タンクトップ姿のアスカはわざとらしく咳払いをした。
ネルフ本部に向かう車の中はミサトが運転席、タンクトップ姿のアスカが助手席、後ろの席にシンジとパジャマ姿のアスカが並んで座った。
運転しながらミサトはパジャマ姿のアスカに緊張をほぐすような感じでそれとなく質問をする。
「ねえ、アスカちゃんの着ているパジャマって可愛いわね」
「これは、ママに買ってもらったから仕方無く……」
「ママって?」
「惣流キョウコ、ミサトも知らないの?」
パジャマ姿のアスカの言葉を聞いて、ミサトとタンクトップ姿のアスカは息を飲んだ。
ミサトは心の中で思考を巡らせる。
(……もし使徒がアスカに擬態するとしたら、隣に居るアスカの真似をしようとするはずだわ。となると、後ろに居るアスカは別の可能性が……)
推論を確信に変えるために、ミサトはパジャマ姿のアスカにさらに質問を続ける。
「シンジ君のご両親について教えてくれるかしら?」
「ユイおばさんとゲンドウおじさんの事?」
今度はシンジが驚いて息を飲む。
これにはミサトも大きなショックを受けてハンドル操作を誤りそうになった。
「ゲンドウおじさんったら、この前なんか町内会を巻き込んで運動会なんか開催しちゃってさ。ユイおばさんをお姫様だっこしたら腰を悪くしちゃったのよ」
「アスカ、その辺で良いから止めて!」
楽しそうに話し出したパジャマ姿のアスカをミサトは慌てて制止した。
いくらなんでも受ける衝撃が大きすぎる。
タンクトップ姿のアスカもシンジも冷汗を流して黙って座りこんでいた。
ネルフ本部に到着すると、リツコ達も実際にアスカが二人居る事に驚いていた。
「さあ、とっとと検査とやらをしちゃってよ」
パジャマ姿のアスカがぶっきらぼうにそう言い放って怒った顔でリツコ達をにらみつけた。
「ごめんねアスカちゃん」
「あ、いえ、別に伊吹先生に怒っているわけじゃないから」
謝るマヤに向かって、アスカは優しい口調でそう答えた。
そして、不安そうな顔でシンジの方をチラッと見つめる。
「ねえ、もしあたしが使徒って事になったら、殺されちゃうの?」
「そんな事無いよ、大丈夫だよ」
パジャマ姿のアスカに優しく微笑みかけるシンジを、タンクトップ姿のアスカは面白く無さそうににらみつけた。
そして、リツコ達に従って医務室に入って行ったアスカをシンジ達は息を飲んで見守った。
「検査の結果、使徒の反応は全く見られなかったわ。まったく普通の人間よ」
リツコがそう言うと、パジャマ姿のアスカは堂々と腰に手を当てて言い放った。
「ほら、あたしを化け物呼ばわりして突き飛ばすなんてひどかったじゃない」
「悪かったわね」
タンクトップ姿のアスカは口をとがらせながらも頭を下げて謝った。
「でも、それならいったいどういう事かしら?」
ミサトのつぶやきを聞いて、リツコは自分の推論を話した。
パジャマ姿のアスカは、こことは異なる世界パラレルワールドからやって来た存在なのではないかと。
話を聞いたミサト達もそのリツコの仮説に同意した。
「でも、アスカが二人じゃ区別がしにくいわね」
「それじゃあ、アスカA、アスカBにすればいいじゃない?」
「「それは嫌!」」
難しい顔をしてつぶやくリツコにミサトがそう提案すると、二人のアスカは声をそろえて反論した。
「そうね、もとからこの世界に居たアスカを『アスカ』、この世界にやって来たパジャマ姿のアスカを『あすか』って呼ぶ事にしない?」
「AとかBよりはだいぶマシね」
「まあ、それなら……」
アスカとあすかは納得したようにうなずいた。
「あすか、ちょっと実験に付き合ってくれないかしら」
「何ですか、赤木先生?」
リツコの目が怪しく光るのを見逃さなかったアスカは、あすかの前に立ちはだかった。
「もしかして、あすかをエヴァに乗せるつもり?」
「良く分かったわね」
アスカの質問に、リツコはそう答えた。
「あすかは今までエヴァなんかに関係無い世界で生きていたのよ? 興味本位で巻き込むなんて絶対許さないんだからね!」
「わ、わかったわよ」
アスカの剣幕に驚いたリツコはやむなく引き下がった。
「さ、早く帰りましょう。こんな所に長く居ると、あすかが実験材料にされちゃうわ!」
怒った顔でそう言ったアスカは、あすかの手を引いて部屋を出て行こうとした。
苦笑しながらミサトとシンジが後を着いて行く。
アスカとあすかは次第に打ち解け、双子のように仲良くなっていた。
帰りの車の中ではシンジも入りこめないぐらい話していた。
葛城家に戻ると、アスカとあすかはアスカの部屋で着替える事になった。
「絶対のぞくんじゃないわよ!」
「分かってるよ、命は惜しいしね」
アスカの言葉にシンジはそうため息をついたが、アスカの部屋から聴こえてくる楽しそうな声にはドキドキしていた。
「じゃあ、私はネルフに戻って仕事にかかるから。今夜の夕飯、私の分はあすかにあげて」
「あすかはこれからどうなるんでしょうか?」
シンジは不安そうに顔を曇らせると、ミサトは安心させるように声を掛ける。
「とりあえず、しばらくここに居てもらう事になるわね。アスカもあすかとすっかり打ち解けたみたいだし、同じ部屋でも構わないと思うわ」
「そうですね」
ミサトの言葉を聞いて、シンジはほっと息を吐き出した。
「シンちゃん、今日から文字通り両手に花生活じゃない、羨ましいわ」
「からかわないでください」
ため息をついたシンジに見送られて、ミサトは葛城家を出て行った。
しばらく考え込んだシンジは、商店街に買い物に出かける事にした。
あすかが来たのでハンバーグを作ろうと思ったのだ。
きっと喜んでくれると思ったシンジは鼻歌交じりに葛城家を後にした。
「これなら鏡が要らないわね」
アスカはあすかに次々と服を着せて、満足気に眺めていた。
「その頭に付けているのは何よ?」
「ああ、これはエヴァのインターフェイス・ヘッドセットよ。エヴァとシンクロし易いように付けているの」
「何かダサいわね。ほら、リボンの方が可愛いわよ」
あすかはそう言うと、アスカの頭からインターフェイス・ヘッドセットを取り外して自分の付けていたリボンを結びつけた。
「そうだ、入れ替わってシンジをからかっちゃおうか?」
「面白そうね、それって」
アスカの提案に、あすかは笑って答えた。
あすかはインターフェイス・ヘッドセットを自分の頭に付けた。
「あ、あの服なんか着てみたいわね」
あすかはそう言うと、部屋にかけられていたレモン色のワンピースを指差した。
「アンタ、持ってないの?」
「ママはあたしに可愛らしい服を着せるのが好きなのよ。だから、持っている服もフリフリのフリルが付いたものとか、そんなのを勧められちゃう」
「……アンタのママって、アンタを愛してくれている?」
「うん、もう面倒になるぐらい抱きしめてくるのよ……あっ」
暗そうな表情になったアスカを見て、あすかは気まずい表情になる。
「ごめん、あんたの気持を考えずにこんな事言って」
「謝らなければいけないのはアタシの方よ、勝手に落ち込んだりして」
アスカは軽く首を振ってそう言うと、あすかの脱いだパジャマを拾い上げて顔を赤らめながら尋ねる。
「このパジャマ、アタシも着てみていい?」
「良いわよ、少しきつくなって来た所だし、アスカにあげる」
あすかの言葉にアスカは喜んだが、あすかの胸やお尻を見ると少しむくれた表情になる。
(……あすかってアタシより女の子らしいのね。出ている所は出ていると言うか……)
アスカは心の中でそうつぶやいた。
夕食の席で、アスカはシンジがあすかがアスカだと騙されるいたずらを楽しみにしていた。
頭のインターフェイス・ヘッドセットとリボンが入れ替わっているのに気が付かないはずだ。
「あすかの口に合うと良いけど……」
「あ、ありがと」
あすかは戸惑ったようにシンジに答えた。
「どーして分かったのよ!?」
「そ、それは……」
シンジは気まずそうにレモン色のワンピースを着るあすかの開いた胸元に視線を送った。
「この、スケベっ!」
顔を真っ赤にしたアスカは思いっきりシンジの足を踏みつけた。
そんなハプニングもあったが、3人は夕食を食べ始めた。
アスカは少しむくれた表情になっていた。
シンジは今夜のおかずはアジの開きと肉じゃがだと言っていたのに、あすかが来てハンバーグを張り切って作ったのに腹が立ったのだ。
あすかとシンジが楽しそうに話しているのにもさらに腹が立った。
しかし、アスカは怒って自分の部屋に戻ると言う事はせず、不機嫌ながらもシンジとあすかの会話に参加していた。
せっかく姉妹のような存在ができたのに1人になるのは寂しかったのだ。
「でも、学校ではあすかの事をどう説明したらいいんだろう?」
「ええっ、あすかを学校に行かせるの?」
「だって、ずっとあすかを家に閉じ込めておくわけにも行かないじゃないか」
「生き別れの姉が居たって言うのが一番無難かもね」
「何でアタシが妹になるのよ?」
「だって、あたしの方が背もスタイルも良いし」
あすかが自慢気に胸を張ると、アスカは渋い顔になった。
外見が似ている2人だが、夕食の後に見るテレビの好みは違った。
「こんなトーク番組、面白くないじゃないの」
アスカがチャンネルを変えた。
「ハプニング映像番組なんて、つまんない」
あすかがチャンネルをトーク番組に戻した。
そのうちアスカとあすかはリモコンを奪い合い取っ組み合いのケンカになってしまった。
「仲が良かったと思ったら、急にケンカするんだから」
シンジは疲れた顔でため息をついた。
アスカがお風呂に入って居る時、あすかとシンジはリビングで2人きりになった。
「今日は助けてくれてありがとうね」
「そんな、あすかの事を放っておけなかったから……」
シンジは照れたように頭をかいてそう答えた。
「でも、シンジってばレイにも優しくしてあげるんでしょう?」
「うん、綾波も放って置けないところがあって」
「それは結構な事だけどさ、自分を放って置かれてレイと仲良くしているシンジを見ているとイラつく事があるのよね」
あすかがそう言ってため息をつくと、シンジは驚いて目を丸くする。
「えっ、それってあすかが僕の事を気にかけているって事?」
「ま、まあ、そんな所ね」
あすかは少し顔を赤らめながらもシンジの言葉を否定しなかった。
「アスカってば、いつも僕に辛く当たるから、ストレートに甘える加持さんの事が好きだとばかり思っていたよ」
「あんたの事だから、そうだろうと思ってたわよ」
あすかは再びあきれたようにため息をついた。
「じゃあアスカも僕の事を気にかけているのかな?」
「調子に乗るんじゃないわよ、あんたは加持さんに比べたらまだまだガキよ」
少し嬉しそうに笑顔を浮かべたシンジに、あすかはそう言い放った。
「そっか……でも、どうしてあすかは僕に話してくれたの?」
「あたしが敵かもしれないってアスカに言われても、かばってくれたのが嬉しかったからかな」
「ふーん、ずいぶんと仲良くなっているじゃない?」
あすかとシンジが見つめ合って話していると、お風呂からあがったアスカが鋭い目つきでにらんでいた。
そして、アスカはシンジ達に言い訳する時間を与えずに怒った様子で部屋の中へと入って行った。
「さすが、あたし。我ながら分かりやすい怒り方ね」
「僕が他の女の子と話していると、アスカを怒らせてしまうのか」
「ま、あたしの顔色ばかりうかがうようになっても困るけど。少しは鈍感を直してアスカを気にかけてやってね」
「うん、何かあすかってアスカのお姉さんみたいだ」
「な、何を言ってんのよ!」
あすかは照れ臭そうに逃げるようにお風呂へと入って行った。
「アスカ、またあすかと仲が悪くならなければいいけど……」
アスカと仲直りしたくても、良い言葉が思い付かないシンジはリビングでそう祈るしか無かった。
あすかがお風呂から出て来て、アスカの部屋に入る。
部屋の中から2人の話声が聞こえるが、すぐにあすかが追い出されない所を見ると、アスカもそんなには怒っていないらしい。
安心したシンジはお風呂に入る事にした。
「そうだ、アスカのシャンプーの減りが2倍速くなるんだっけ、気を付けないと……」
シンジはそんな事を心配していた。
「何よ、シンジとの仲良し話は終わったの?」
アスカの部屋にあすかが入ると、アスカは背中を向けたままそう嫌味を言った。
「あたしにシンジを取られそうだって、嫉妬しているの?」
「別に、嫉妬なんかしてないわよ!」
あすかに言われたアスカは勢い良くあすかの方に振り返った。
「隠さなくても分かるわよ、同じあたしなんだから。まあ、加持さんに比べると情けなくて頼りないけどね」
「そうね、加持さんよりは落ちるけど……ね」
渋々ながらアスカもあすかの意見に同意した。
「でも、シンジの方もアスカに気があるみたいじゃない。あたしとあんたが入れ替わってもすぐに見抜いたし」
「あいつ、アタシの事をやらしい目で見てただけよ」
「仕方無いじゃん、男なんだから。あたしもしんじからそう言う視線を感じた事があるし」
「ずいぶん余裕じゃない。もしかして、しんじとキスは済ませたの?」
「ええ」
「ふーん」
「5歳ぐらいの頃したらしいわ。あたしもしんじも良く覚えて無いけど」
「それって、してないのも同然じゃない」
「じゃあ、シンジとキスしちゃおうかな?」
「何ですって!?」
アスカが血相を変えて叫ぶと、あすかは大きな声で笑い出した。
「ほら、やっぱりシンジが気になるんじゃない」
「くーっ、騙したわね!」
「素直になれないのは分かるけどさ、少しは優しくしてあげないとレイにシンジを取られちゃうわよ」
「そんな恥ずかしい事できるわけ無いじゃない!」
「嫉妬してもシンジが気付かなくちゃ意味が無いわよ」
「解ったわ、ほんの少しだけ優しくしてやってもいいわよ」
ふくれた顔でアスカがそう言うと、あすかは満足そうにうなずいた。
「でも、あすかがこのままずっと元居た世界に帰れなかったら、シンジの事を好きになったりするの……?」
「それは……」
アスカとあすかは気まずそうに見つめていた。
しばらくの間、沈黙が流れた後、その雰囲気を壊そうとあすかが声を掛ける。
「もう寝よっか」
「そうね」
アスカはあすかからもらったパジャマに着替えた。
そして、毛布を持ってきて床で寝ようとした。
あすかはそんなアスカに声を掛ける。
「あたしが床で寝るわよ、ここはあんたの部屋なんだからさ」
「アンタこそ、朝から色々あって疲れたでしょう? ベッドはアンタに譲るわよ」
アスカの言葉を聞いたあすかはため息をつくと、後ろからアスカを抱きあげて、ベッドへと運ぶ。
「こうして2人ともベッドで寝ればいいじゃない」
「でも、それじゃあ狭いでしょ?」
「別にあたしは構わないけど」
「じゃあ、アタシが壁際に代わってあげるわ」
アスカが顔を真っ赤にして言うと、あすかは苦笑を浮かべた。
これはアスカが壁際に代わりたいと言う強い意思表示だ。
「ありがと」
あすかはそう言ってアスカと位置を変わった。
(……ありがとうを言うのはアタシの方よ)
アスカは心の中であすかに感謝した。
ベッドで誰かと2人で寝る事はアスカにとって初めての事だった。
その事がこんなにも心地が良い事だとはアスカは思ってもみなかった。
今日は悪い夢を見なくて済むと思ったアスカはすぐに眠りについてしまった。
「ママ……どうして死んじゃったの……?」
眠りかけていたあすかはアスカのつぶやきを聞いて目を覚ました。
そして涙を流すアスカを慰めるようにギュッと抱きしめる。
「あたしは、ママの代わりにはなれないけど、アスカのお姉さんになるから。寂しい時ずっと側に居てあげるから……」
「ごめん、ありがとうあすか」
アスカもあすかの胸に抱かれ、安心したように眠りについた。
そしてその翌日。
なかなか起きて来ないアスカとあすかを心配してシンジがアスカの部屋に足を踏み入れると、シンジは驚いた。
ベッドにはアスカとあすかの姿が無かったのだ。
「ミサトさん、大変です! アスカとあすかが居ないんです!」
「アスカとあすかが居ないですって!?」
たちまち葛城家はパニックになった。
そんな葛城家の様子を遥か遠く、赤い空が広がる世界から眺めている2人の男女の姿があった。
「上手く行きそうで良かったわね」
「うん、アスカがあすかを使徒だと言って突き飛ばした時はどうなるかと思ったよ」
「今度はこっちの世界の番ね」
「もう、アスカはあすかをすっかり信頼しているから大丈夫だと思うよ」
「神様って言うのも、意外と大変ね。使徒を倒しちゃったり、ママを復活させるとか、奇跡を起こしちゃえば良いんじゃないの?」
「ダメだよ、人間はなるべく人間の力で物事を乗り越えさせなくちゃ」
「人の可能性か。アタシも早くシンジの事を信じて居ればアタシ達の居るこの世界はこんな結末にはならなかったのに」
「悔やんでも仕方無いよ、僕達は世界を創造する力は持っていてもやり直す事は出来ないんだからさ」
「はいはい、これからもアンタの暇潰しに付き合ってあげるわよ」
「暇潰しとは酷い言い方だなあ。でも自己満足に過ぎないかもしれないけどね」
シンジは少し寂しそうな顔で微笑んだ。
「そうだ、お腹が空いたからハンバーグ作ってよ。シンジが作っているのを見たら食べたくなっちゃった」
「神様になってもお腹が空くんだ?」
「気持ちの問題よ!」
アスカの言葉にシンジは苦笑して、何も無い空間に1軒の小さな家を出現させた。
そしてアスカとシンジの2人は楽しそうにその家の中に入って行くのだった。
No.14 2011年 バレンタイン記念LAS小説短編 バレンタイン・キッス
寒さも依然として厳しい2月の冬、教室でシンジとトウジとケンスケは声をひそめて話していた。
もちろん話題は翌日に迫ったバレンタインの事である。
「今年もセンセはぎょうさんチョコレートをもらうんやろうなあ」
「そんなあ、みんながくれるのは義理チョコばかりだよ」
トウジが冷やかすと、シンジはため息をついて否定した。
「だって僕はそんなにハンサムでもないし、頭だって良くないし、スポーツマンでも無いし……」
「いやいや、碇の演奏するチェロはかなりのもんだぞ、いつもファンの子が音楽室に聴きに来ているじゃないか」
「チェロだって下手の横好きだよ」
「お前って本当に自覚ないんだな。義理チョコの中に本命が混じっているかもって考えた事も無いのかよ」
シンジの言葉を聞いて、ケンスケとトウジが大げさにため息をついた。
「だってさ、僕は小さい頃からずっとアスカから、義理チョコしかもらった事が無いんだよ!」
「碇、声が大きい!」
うわずった声で反論したシンジの口を、ケンスケが慌てて押さえた。
同じ教室に居るアスカ達の方を見ると、シンジの発言に気が付かないようにおしゃべりを続けていた。
「ふーっ、聞こえなかったみたいやな」
トウジとケンスケとシンジは大きく息を吐き出した。
しかし、アスカ達の耳にはしっかりと聞こえていたのだ。
(……チャーンス! シンジ君はアスカの照れ隠しに気が付いて居ないわ。今年は思い切って本命をあげちゃおうかな)
マナはそんな事を思ってほくそ笑んだ。
(は、恥ずかしいけど、碇君に本命と言って渡しちゃおうかな……)
レイはそんな事を思ってモジモジしていた。
(義理も渡した事が無いけど、勇気を出して碇君にチョコレートを渡してみよう。初めて渡すチョコレートが本命なんて、碇君は驚いてしまうかしら)
シンジと図書室で話した事のある転校生山岸マユミもそんな事を考えて顔を赤くした。
(うーん、シンちゃんは義理しかもらった事が無いと思い込んでいるなら、今年は本命だと言って渡してからかっちゃおうかしら♪)
シンジの近所のお姉さん兼担任教師のミサトもそんな事を考えてニヤニヤ笑いを浮かべていた。
しかし、アスカだけは浮かない顔をしていた。
アスカは5歳から毎年シンジにバレンタインにはチョコを欠かさずあげていた。
シンジの周りの女子はシンジとアスカが付き合っているのかと思う事もあったが、アスカがあまりに義理チョコだと言う事を強調するため、それならば自分達もとシンジにチョコをあげていた。
アスカは嫉妬心からシンジが他の女子から受け取ったチョコは全て義理なんだからと言い聞かせ、シンジもそうだと思い込んでいた。
「惣流さんは今年も碇君にチョコをあげるの?」
「まあ隣に住んでいる付き合いで義理だけどね」
「やっぱり、義理なんだ」
「当たり前じゃない、アタシの本命は加持先生に決まっているじゃないの!」
突然マナに尋ねられたアスカはその場の勢いでそう答えてしまった。
「そうよね、加持先生ってスポーツマンで紳士的だもんね」
「葛城先生と付き合っているのに、アスカも大変ね」
マナとヒカリに励まされて、アスカは憂鬱な気持ちになった。
アスカが体育教師の加持に熱を上げているのはクラスの生徒が誰もが知る事だった。
しかし、アスカがそう見せているのは自分のプライドがそうさせていた見栄張りだったのだ。
本当は加持にあげているチョコが義理で、シンジにあげているチョコが本命なんて恥ずかしくて言う事が出来るわけがない。
そんな自分の態度がシンジに自信を失わせていると感じたアスカは一大決心をした。
「よしっ、今年こそシンジに本命チョコをあげて素直になるわよ!」
アスカは気合を入れて、力強い眼差しでシンジを見つめた。
「セ、センセ、惣流のやつごっつい怖い顔でこっちをにらんどるで」
そのアスカの姿を見たトウジがシンジにそう話しかけた。
「やっぱりさっきの話が聞こえちゃったのかな?」
「後で謝っていた方が良いんじゃないか」
「う、うん」
シンジはケンスケの言葉にうなずき、放課後真っ先にアスカの席へ行って謝る事にした。
「あ、あのさ……」
「ア、アタシ用事があるからっ!」
シンジが話し掛けようとすると、アスカは顔を赤くして教室から走り去ってしまった。
アスカは照れ臭くなってシンジと顔を合わせられなかったのだが、シンジとトウジは違うふうに受け止めた。
「惣流のやつ、顔を赤くしてまで怒っとるんか」
「俺にはそう見えなかったけどな」
ケンスケはトウジの言葉に異議を唱えた。
「アスカをそんなに怒らせる事をしたかな?」
シンジは首をひねって考え込んでいた。
「あんな女の事なんてパーッとゲーセンで遊んで忘れてしもうたらええやん」
「うん……」
シンジはトウジの誘いに乗って、ケンスケと3人でゲームセンターに寄り道する事にした。
しかし、しばらくゲームセンターで遊んでもシンジの心は晴れず、ため息ばかり付いていた。
「何やセンセ、そんなに惣流の事が気になるんかいな」
「それなら、会って話して気持ちをスッキリさせた方がいいかもな」
「うん、アスカと話して来るよ」
シンジはトウジとケンスケに別れを告げて、大急ぎで家に戻った。
碇家と惣流家は、コンフォート17と言う分譲マンションの隣り合った部屋同士だった。
家に帰ったシンジは玄関にカバンを投げ捨て、隣の惣流家のチャイムを鳴らした。
「ごめんね、アスカってばシンジ君に会いたくないらしいの」
「そんな!」
惣流家の玄関でアスカの母親であるキョウコに止められたシンジは青い顔になった。
「少しで良いから、アスカに話をさせてください」
「それが、アスカは絶対にシンジ君を通さないでって」
「そうですか……」
キョウコにそう言われてしまっては、シンジは引き下がるしか無かった。
自分の部屋に戻ったシンジは、ベランダに出てアスカの部屋をのぞこうとしたが窓に厚いカーテンが下ろされているのを見てため息をついた。
何度アスカの携帯に掛けても、携帯電話の電源は切られてしまっていた。
いつでも会えると思っていたアスカに会えなくなった事に、シンジは寂しさを感じるのだった。
アスカがかたくなにシンジと会うのを拒んでいたのは、放課後に買い物をして家に帰って来てからシンジのためのチョコレートを作っていたからだった。
「ふふ、アスカってばこんなにチョコレートを作っちゃって。シンジ君が見たら、これだけで涙を流して喜んでくれるわよ?」
たくさんチョコレートが並べられたテーブルを見て、キョウコは微笑んだ。
アスカはシンジに送るチョコレートに試作品を何個も作っていたのだ。
「ママ、お台所を占領しちゃってごめんね」
「いいのよ、今日はデリバリーにするから」
キョウコの協力も得たアスカは気合を入れてチョコレートを作り続けた。
「”I Love Shinji from Asuka"なんて、やっぱり恥ずかしい……」
「でも、ストレートに伝わって良いじゃない、もうシンジ君に誤解されたくないんでしょう?」
「うん……」
アスカはキョウコの言葉にうなずき、ホワイトチョコで”I Love Shinji from Asuka"と書いたハート形のチョコレートをシンジに贈る事に決めた。
「やっと……シンジにあげるチョコが出来た……」
アスカはかなり緊張していたのか、どっと疲れて座り込んだ。
「そうだ、箱にリボンを掛けてあげればもっと可愛らしくなるわよ」
「それは良いアイディアね……」
そう言ってリボンを買いに行こうとするアスカは、よろけて床に座り込んでしまった。
「パパに言って帰りにリボンを買ってきてもらうから、今はゆっくり休みなさい」
「ありがとう、ママ」
後をキョウコに任せてアスカは自分の部屋で休む事になった。
「ふふ、これで二人の子供が見れるかしら」
それは考えが飛躍しすぎている。
キョウコはちょっと天然な所が入っている母親だった。
次の日、バレンタイン当日は日曜日だった。
学校でならばさりげなくシンジにチョコレートを渡せるのだが、このままではアスカに先を越されて渡されてしまう。
そう考えたシンジに思いを寄せている恋する乙女達は立ち上がった。
「霧島さん……」
「綾波さんも、もしかしてシンジ君の家に?」
コンフォート17の近くで、レイとマナはバッタリ出会ってしまった。
「やっぱり、考える事は同じみたいね」
そう言ったマナとレイは顔を見合わせて苦笑した。
「おんやあ、マナちゃんとレイちゃんじゃないの」
コンフォート17に向かって歩き出そうとしたマナとレイは後ろから担任教師のミサトに声を掛けられた。
ミサトは恥ずかしそうにうつむいているマユミを連れていた。
「山岸さん?」
「マユミちゃんたらね、シンちゃんにチョコレートを渡したいってあたしに住所を聞いて来たのよ、健気じゃない?」
((葛城先生は、面白がっているだけだと思うわ……))
レイの驚きの声にミサトは笑みを浮かべながら説明したが、マナとレイは心の中でそうツッコミを入れた。
四人は足並みをそろえてシンジの家を訪問する事になった。
「どうもユイさん、教え子達と一緒にシンジ君にチョコレートをお届に上がりました♪」
明るくおどけながらやって来たミサトをユイは相変わらずだと苦笑しながら出迎えた。
ミサトは良くゲンドウとユイの酒の相手をするので、碇家とは顔なじみだったのだ。
そして、アスカ達と一緒にシンジの家に遊びに来ているレイとマナの姿を見ると、ユイは部屋に居るシンジに声を大声で呼んだ。
「あれ、みんな遊びに来てくれたの? アスカは?」
シンジはアスカの姿が見えない事に真っ先に違和感を覚え口にした。
毎年バレンタインにチョコを渡す筆頭はアスカなのだ。
「さあ、私達は知らないけど? いつも一緒に居るわけじゃないし」
自分達はアスカのお供ではないと、マナが不満そうに答えた。
「とりあえず、上がってよ」
「「「お邪魔します」」」
シンジに言われて、マナ達は碇家のリビングへとあがりこんだ。
ゲンドウは追いやられるように自分の部屋へと移動した。
そして、シンジがマナ達にチョコレートを渡される姿を少しうらやましそうに見ていた。
同時にチョコレートを渡す事になってしまったマナ達3人は、冗談でも本命だと話す事が出来ず、何となく言葉を濁すような微妙な雰囲気となってしまった。
そして碇家のリビングではシンジを交えてのチョコレートの品評会となっていた。
「マナちゃんのチョコ、アルコールが入ってるでしょう」
ミサトに指摘されたマナは舌をペロッと出した。
(……碇君を酔わせてどうするつもりだったの、霧島さん)
レイはマナに厳しい視線を向けた。
マナとレイとマユミはしばらくシンジと話した後、チョコレートを置いて帰って行った。
ミサトは担任教師として、マユミを家まで送って行った。
マナ達を見送ったシンジは無表情でリビングの椅子に腰かけていた。
「どうしたのシンジ、三個もチョコレートをもらえて嬉しくないの?」
「そうだ、もっと喜べ」
ゲンドウがそう言うと、ユイは少し険しい表情をしてゲンドウをにらみつけた。
「うん……」
ユイとゲンドウに言われても、シンジは生返事をするばかり。
部屋に戻ったシンジは憂鬱そうにカーテンが下がったままのアスカの部屋を眺めていた。
朝からずっとアスカの部屋のカーテンは閉ざされたままだった。
シンジはマナ達からもらった三個のチョコレートを食べたが、少しも甘く感じなかった。
重苦しさがシンジの胸を支配し、シンジはずっとベッドに横になっていた。
夕方になって日が沈み始めた頃、シンジの携帯電話にアスカからのコールが来る。
「今すぐ、近くの公園に来なさいっ!」
シンジが出るとアスカは有無を言わさずにそう言って電話を切ってしまった。
乱暴な言い方だったが、シンジはアスカに会える事を喜んで、急いで部屋を飛び出した。
コンフォート17の廊下から公園を見下ろすと、アスカが立って待っている姿が見えた。
一刻も早くアスカに会いたいシンジは息を切らせて階段を駆け下りてアスカの所へ向かった。
空が真っ赤に染まる公園で、シンジはアスカと二日振りの対面を果たした。
「ちょっと、何でアタシの顔を見て泣きそうになっているのよ!」
アスカはシンジの顔を見てそう言い放った。
「だって、毎日会っていたアスカにいきなり会えなくなるなんて思わなかったから……」
「そ、そりゃあ、悪かったわね。はい、バレンタインのチョコレート」
「あ、ありがとう」
いきなりラッピングされた箱を突き出されたシンジは戸惑いながらも受け取った。
「で、今すぐここで開けてくれない?」
「チョコレートの箱を?」
「いいから、開けなさいよ!」
アスカに迫られたシンジはチョコレートの入った箱を開封した。
中からは”I Love Shinji from Asuka"と書かれたハート形のチョコレートが出てくるはずだ。
その勢いでアスカはシンジに告白するつもりだった。
「いつもの義理のチョコレートでも貰えて嬉しいよ」
「な、何ですって!?」
シンジの言葉を聞くと、アスカは声が裏返るほど驚いた。
確認すると、シンジが持っているのは店で買った市販のチョコレートだった。
アスカはシンジにあげる本命チョコレートの箱と加持にあげる義理チョコレートの箱を間違えてしまったのだ。
「ア、アタシ、渡すチョコレートを間違えたわ。本当は本命の手作りチョコなの! 家に戻って取って来るから待ってなさい!」
「そんな嘘付かなくて良いよ。アスカは加持先生が好きなんでしょう?」
アスカは慌てて言い訳をするが、シンジは諦め切った悲しそうな顔でそうつぶやいた。
仕方無くアスカは最後の手段を取る事にした。
アスカはシンジの腕を取ると、正面からシンジを抱き寄せ、強引に唇を奪った。
「アタシのチョコレート、とっても甘かったでしょう?」
アスカはシンジから唇を離すと、シンジにそう尋ねた。
「えっ、まだ食べて無いけど?」
シンジは不思議そうに自分の手に持ったチョコレートを見て答えた。
アスカが黙って自分の唇を指差すと、シンジは顔を真っ赤に染める。
「うん、大人の味もしたよ」
シンジが答えると、アスカは耳まで顔を真っ赤に染める。
「こ、これは夕陽のせいなんだからね!」
「う、うん……わかったよ」
「さあ、暗くなって来たから帰りましょ」
シンジはアスカに差し出された手を握った。
バレンタインのプレゼントを受け取ったからにはお返しをしなければならない。
アスカの方から僕にキス……したんだから今度は僕の番だよね。
多少の下心を持ちながら、決意を固めるシンジなのだった。
No.15 ホワイトデー記念LAS小説短編 キスの3倍返し!?
寒さも和らぐ日々が訪れ始めた3月の中頃、自然とホワイトデーの話が教室のそこかしこでされるようになった。
バレンタインデーのお返しを考えていたシンジはクラスの女子が話をしているのを聞いて驚いてしまった。
「まさか、バレンタインデーのお返しにそんな決まりがあるなんて……」
シンジは困惑した顔でそうつぶやいた。
先日のバレンタインデーにシンジはアスカから『大人の味がするとても甘いチョコレート』を受け取ってしまっていたのだ。
それは値段の付けようの無い物で、しかも形の無い物だったので、3倍高価な物にするとか、3倍の量を返す事など不可能だった。
「やっぱり、1度に3回連続は無理だろうから、朝と昼と夜に分けた方が良いかな」
「何を難しい顔をして考えているのよ」
「ひゃあっ!」
突然アスカに声をかけられて、シンジは驚いて飛び上がってしまう。
「アスカ、ビックリさせないでよ」
「驚いたのはこっちよ。さっきから暗い顔してブツブツ言ってるけど、深刻な悩み? アタシが相談に乗ろうか?」
「だ、大丈夫、たいした事じゃないから……」
「そう、でも1人で抱え込まない方が良いわよ」
アスカが立ち去ると、シンジはホッとしたように胸をなで下ろして息を吐き出す。
「こんな事アスカに相談できるわけが無いじゃないか……でも、アスカの都合も考えてあげた方が良いのかな……」
シンジは忘れないようにホワイトデーの予定を紙に書いて置いた。
そして、放課後にシンジは義理チョコ(本人達にとっては本命チョコなのだが)をくれたレイ、マナ、マユミへのお返しを買いに商店街へと出掛けた。
そのシンジの姿を目ざとく見つけたアスカはこっそりと後を追いかけて行く。
「シンジのやつ、アタシがせっかく本命チョコを渡してやったんだから、他の子達と同じ物じゃ承知しないわよ」
アスカはシンジはお返しに高級なスイーツを贈ろうと考えているのが分かった。
おいしいスイーツが食べられるのは嬉しかったが、特別なプレゼントを期待していただけにアスカは少し寂しさを覚えた。
帰り道にシンジがアスカへの特別なプレゼントを買い求めるのかと期待していたが、アスカの見ている前でシンジは真っ直ぐに家へと帰ってしまった。
「シンジったら甲斐性の無い男ね、つまんないの」
アスカは気落ちした様子で自分の家へと戻るのだった。
今ごろシンジは部屋でバレンタインのお返しのスイーツを準備しているのだろう。
それを邪魔するわけにもいかないと思ったアスカはシンジにちょっかいを出さずに退屈な時を過ごした。
その日の夜、アスカの携帯電話にシンジからの電話が入った。
シンジは明日の朝、登校前にバレンタインデーのお返しをしたいから部屋に来て欲しいとアスカに告げた。
「おはようございます、おばさま」
「いらっしゃい、アスカちゃん。今日シンジは珍しく早起きしているのよ」
「あはは、そうですか」
アスカはユイにあいさつをして、シンジの部屋へ入る。
すると、しっかりと服装と髪型を整えたシンジがアスカを待っていた。
「シンジ、バレンタインのお返しなら学校で渡せば良いじゃない」
「だって、みんなの見ている前じゃ恥ずかしかったんだ」
「ただ渡すだけで何をそんなもったいぶっているのよ」
「ごめん」
アスカに言われて、シンジは苦笑しながら謝った。
「それで、プレゼントのスイーツはどこにあるの?」
「うん、もう用意しているよ」
アスカは口に出してしまってから、しまったと思った。
これでは昨日シンジの買い物の後をつけた事がばれてしまう。
しかし、シンジは気にしない様子でそう答えた。
「じゃあ、目を閉じて」
「……えっ?」
シンジに突然言われたアスカは驚いて聞き返した。
「だって、キスのお返しは、キスでするしか無いじゃないか」
「ちょっと……!」
赤い顔をして戸惑うアスカに、シンジは必死に頭を下げて頼み込む。
「お願いアスカ、僕にもお返しをさせてよ!」
「わ、分かったわよ……」
数分後、顔を赤くしたアスカとシンジが部屋から顔を出すのだった。
通学路を歩く頃になっても、アスカの顔は熱を帯びている。
「シンジったら、鈍いくせに大胆なんだから」
学校に登校したシンジは、レイとマナとマユミにバレンタインのお返しを渡した。
「碇君、ありがとう」
「このスイーツ、結構高いんじゃない?」
「あの……惣流さんの分は……?」
「アスカには、学校に来る前に渡したんだよ」
心配したマユミが尋ねると、シンジはそう答えた。
「えーっ、抜け駆けなんてズルイよ、惣流さん!」
「惣流さんは、もう食べたの?」
「そ、そうね、とっても甘くて大人の味がしたわ」
レイに聞かれてアスカは少ししどろもどろになりながらそう答えた。
「それは頂くのが楽しみですね」
マユミはシンジに渡されたスイーツの入った小箱を軽く抱きしめながらそう答えた。
そのアスカの言葉を聞いてシンジは慌てた様子でアスカにそっと耳打ちする。
「アスカ、適当な事言わないでよ」
「アタシは正直に感想を言っただけよ」
とりあえず、バレンタインのお返しは特別な物を貰ったと満足したアスカ。
しかし、シンジがまだ落ち着かない様子でいるのは気になった。
アスカと視線が合うと、シンジは赤くなって目を反らした。
「あいつ、まだキスした動揺から立ち直っていないのかしら、相変わらず気が小さいわね」
アスカはあきれた顔でため息をついた。
そしてその日の放課後、女子ゴルフ部の部活を終えたアスカは校門でシンジが待っていた事に驚いた。
管弦楽部のシンジとは時間が合わずに、シンジが先に帰っている事が多かったのだ。
「何か用事があるならこんなに遅くまで待っていないで電話で呼んでくれれば良かったのに」
「ううん、今頃の方が都合が良いから」
シンジはそう言って、茜色に染まり始めた空を指差した。
ソワソワするシンジの様子にアスカは首をかしげながらも、一緒の通学路を歩いた。
そして、コンフォート17が近づくと、アスカの肩を叩いたシンジは黙って公園を指差した。
そこはバレンタインの日にアスカとシンジがキスをした場所だった。
シンジの真意を悟ったアスカは顔を赤くして叫ぶ。
「まさか、またキスしようって言うんじゃないでしょうね!」
アスカの言葉に、シンジはぎこちない動きでうなずいた。
「アンタ、いつからそんなキス魔になったのよ」
「こ、これはバレンタインのお返しだから……」
アスカに強く追及されたシンジはしどろもどろになって答えた。
その時強い風が吹いて、シンジのポケットから白い紙が舞い落ちた。
紙を拾い上げたアスカは驚いた。
そこにはシンジが1日で3回キスをするためのプランが書かれていた。
夕方で公園でキスをした後、夜の予定は星空の下、ベランダでキスをすると書かれていた。
「シンジ、これって……」
「だって、ホワイトデーにするお返しは3倍返しってクラスの子達が話しているのを聞いたから!」
「だからって、1日にキスを3回なんてハードよ」
「……ごめん、強引に押し付けられたら迷惑だよね」
シンジはすっかり元気を失ってうなだれてしまった。
すると、アスカは夕陽に負けないぐらいに顔を真っ赤にしながら話し出す。
「仕方無いわね、今日だけシンジに付き合ってあげるわよ」
アスカはそう言って目を閉じてシンジに唇を突き出した。
そして夕陽に照らされた2人のシルエットが重なった……。
No.16 Air/まごころを、君に Shinji&Asuka 16 years old Ver. ~世界の中心でアイを示した二人~
<ネルフ本部 第一発令所>
最後の使徒である渚カヲルはシンジの乗る初号機によりせん滅された。
発令所に戻ってきた暗い表情のシンジを出迎えたのはミサトだった。
「シンジ君、使徒せん滅お疲れ様」
ミサトはそう言ってシンジの肩に手を置いたが、シンジはそのミサトの手をはねのけた。
そして、怒りを込めた視線を真っ直ぐにミサトにぶつける。
「何で、渚君が死ななければならないんですか」
「それは……彼が使徒だからよ」
「解ってます……だけど、渚君は僕達人間とほとんど変わらなかったじゃないですか」
冷酷に言い放ったミサトの言葉に、シンジは唇をかみしめて悔しがった。
発令所に居る人間は、誰もがシンジがカヲルと接触していた事を把握していた。
シンジの悲痛な姿を見ていたオペレータの三人も、慰めの言葉は思い付かず、黙り込んでいた。
その静寂を破ったのはミサトの発言だった。
「それでは司令、第一種戦闘配備を解除して構いませんね?」
「いや、このまま継続だ」
ゲンドウがミサトの質問にそう答えると、発令所は騒然となった。
オペレータの三人も戸惑った顔をして見合わせた。
「使徒は全て居なくなったんじゃないの!?」
「ああ、これで俺達の仕事も終わったと思ったんだがな」
マヤとシゲルに聞こえない小さな声で、難しい顔をしたマコトはポツリとつぶやく。
「まさか、補完計画が発動されるのか……?」
ネルフ周辺の状況を映し出していたモニターから次々と大きな爆音が聞こえて来た。
戦略自衛隊の部隊がネルフの軍事施設を破壊し、ネルフの軍や職員を急襲したのだ。
爆音と悲鳴が混じる地獄絵図のような風景を、発令所に居るミサトやシンジ、オペレータ達はぼう然と見ていた。
すると、副司令の冬月の前にある電話が突然鳴り始めた。
冬月はすぐに受話器を取り耳に当てると、ゲンドウに告げる。
「碇、先程第二新東京市の日本政府がA-801を発令したぞ」
「何が起こっているんですか、副司令!?」
「戦略自衛隊が攻めて来たのだよ、ゼーレがネルフを我が物とするために」
ミサトの言葉に冬月がそう答えると、発令所の空気の温度が下がった。
「最後の敵は人間か」
ゲンドウが落ち着いた低い声でそうつぶやいた。
厳しい表情になったミサトは発令所に居るメンバーに言い聞かせるように大声を発する。
「多分、やつらの目的はエヴァとパイロットよ!」
ミサトの言葉を聞いたマコトは端末を操作して、アスカの所在を確認する。
「セカンドチルドレンは303号病室です、第4グループが護衛中」
アスカは使徒アラエルとの戦いで精神に異常をきたし、意識を失って寝たきりの状態が続いていたのだ。
「わかった、私がアスカを連れて行くわ」
マコトの報告を聞いたミサトはマコトにそう告げた。
「ミサトさん、僕もアスカの所へ行かせてください!」
シンジは頭を下げてミサトに頼み込んだ。
「だめよ、あなたは直ちに初号機へ乗ってもらわないと」
「最後に一目で良いからアスカに会いたいんです!」
ミサトはシンジの気持ちが痛い程解った。
この戦いは生きて帰れる保証は限りなく低い。
これが今生の別れになるかもしれない。
「わかったわシンジ君、早くアスカの所へ行きましょう」
うなずいたミサトはシンジの手を取って駆け出した。
「葛城三佐!」
ゲンドウの制止する声にも振り返らず、ミサトとシンジは発令所を出て行った。
<ネルフ本部 303号室>
非常用連絡通路を使って、ミサトとシンジは早くにアスカの病室にたどり着いた。
しかしここもいつまでも安全と言うわけにはいかない。
敵はネルフ本部の深部に向かって攻め込んで来て居るのだ。
シンジはベッドで眠るアスカに優しい口調で話し掛ける。
「ねえアスカ、君が眠っている間に大変な事が起こったんだよ」
シンジが話し掛けても、アスカは何の反応も示さない。
「渚君も助けられなかったんだ、僕の守りたいものは次々と失われてしまったんだよ、トウジも、加持さんも、綾波も」
そこまで話したシンジは感極まり、目から涙を溢れさせた。
そしてそっとアスカの手を取る。
「……アスカの手は、まだ暖かいね」
「シンジ君、そろそろ行かないとマズイわ」
タイミングをギリギリまで引き延ばしたミサトが辛そうな顔で声を掛けた。
ミサトの言葉にシンジはうなずいて、身を屈めてアスカの顔に自分の顔を近づける。
そして、シンジはアスカの唇に自分の唇をそっと重ねた。
触れるか触れないかスレスレの優しい物だった。
「でも、僕にはまだ守りたいものがまだ残っているんだ。だから、僕は行ってくるよ」
顔を離したシンジはアスカに向かってそう言って微笑むと、他のネルフの職員に付き添われて病室を出て、初号機の所へ向かった。
シンジを見送ったミサトは、ベッドで寝ているアスカに向かって話し掛ける。
「アスカ、いい加減に起きなさいよ。童話なら王子様のキスで眠り姫は目を覚ますはずじゃないの」
ミサトがそう言っても、アスカは何の反応も示さない。
そんなアスカを見て、ミサトは段々と腹を立て始める。
「起きろって言っているのが聞こえないの!?」
ミサトはアスカの胸倉をつかんでアスカの顔を思いっきり平手打ちにした。
何度も何度もアスカの顔を叩く。
たちまちアスカの顔は真っ赤になった。
「起きなさい!」
周りの護衛が止めてもミサトは振り払ってアスカを叩き続けた。
すると、アスカは目を開けて身体を震えさせて小さな声でつぶやく。
「怖い……」
「アスカっ!」
アスカが目を覚ましたのに気がついたミサトはアスカの腕をつかみ上げる。
「さあ、行くわよ」
「行くって……どこへ?」
アスカが怯えた瞳でミサトに尋ねた。
「決まっているじゃない、エヴァのところよ」
「嫌よっ、もうエヴァには乗りたくない!」
「しっかりしなさい、シンジ君一人に戦わせる気?」
ミサトは厳しい表情でそう言うと、アスカの顔を強引につかんで自分に向けさせた。
しかし、やはりアスカはミサトから目を反らしてしまう。
そのアスカの態度を見たミサトは強い失望感と激しい憤りを感じる。
「あの自信に満ちあふれたアスカはどこへ行ってしまったのよ!」
「アタシは弐号機に拒絶されたのよ……」
目を合わせようとしないアスカが弱々しくそう答えると、ミサトは首を横に振って否定する。
「弐号機がアスカを拒絶するはずが無いわ、心を閉ざしてしまったのはアスカ、あなたの方なのよ」
「そんなのどっちでも弐号機に乗れない事には変わらないじゃない」
「全然違うわ」
ミサトとアスカが言い争いをしていると、護衛をしていたネルフの職員達の悲鳴が聞こえて来た。
ついにここにまで戦略自衛隊の侵攻部隊がやって来たのだ。
「セカンドチルドレンを発見した、こっちだ!」
「直ちに確保しろ、抵抗するなら殺しても構わん!」
戦略自衛隊の兵士達は容赦無くネルフの職員達に向かって発砲をする。
戦う意思の無い職員に向けてもだ。
ミサトの反撃により兵士達は倒されたが、側にいた護衛達は大怪我を負うか絶命していた。
目の前で人が死んで行く姿に、アスカは少なからずショックを受けた。
「弐号機の所へ行くわよ、急いで!」
「嫌っ、どうせ死ぬのならここで死んでも同じよ!」
「まだそんな事を言っているの!?」
アスカがそう言うと、ミサトはアスカのほおを思いっきり叩いた。
ミサトに叩かれたアスカは怯えた表情でミサトを見上げる。
アスカにこのような表情をさせてしまったミサトは後悔し、優しくアスカに微笑みかける。
「私はね、アスカに生きる希望を持って欲しいのよ」
そう言ってミサトは、アスカをしっかりと抱きしめた。
突然抱きしめられたアスカはミサトを振り払おうとはしなかった。
「だからアスカには何としてでも弐号機に乗ってもらいたいの。そうすれば、きっと道が拓けるから」
ミサトの言葉を聞いたアスカは、無言だったが大人しくミサトに従う様子を示した。
そんなアスカの手を取ってミサトは迫りくる戦略自衛隊の兵士から走って逃げるのだった……。
<ネルフ本部 地下駐車場>
アスカを連れたミサトは地下駐車場までやって来た。
そして自分の愛車が無事だと確認すると、アスカを助手席に乗り込ませる。
「アスカ、これから私が知り得た全ての情報をあなたに話すわ」
ミサトはそう言って、車のエンジンを掛けた。
そしてミサトは助手席に座るアスカに、ネルフが秘密裏に行っていた人類補完計画の内容を話した。
ミサトの話を、アスカは青い顔をして聞いていた。
「にわかに信じ難いとは思うけど、全て本当の話よ」
「ママがエヴァに取り込まれたって、そんな……」
アスカは頭を抱え込んでそうつぶやいた。
そんな時、今まで雑音が流れていたスピーカーから発令所に居るマコトの声が聞こえて来る。
「聞こえますか、葛城三佐」
「聞こえるわ、シンジ君の状況は?」
「現在、人造湖で戦自と戦闘中!」
「シンジ君、反撃して!」
マコトの背後で、マヤが初号機のシンジに指示している声が聞こえた。
どうやらシンジは戦略自衛隊に対して攻撃するのを戸惑っている様子だった。
シンジが戦っている事を知ったアスカは驚いて顔を上げる。
「シンジ君に伝えて、アスカが行くまで頑張れって」
ミサトは発令所のマコトにそう言うと、運転していた車のスピードを上げた。
そしてミサト達の行く手にも戦略自衛隊の部隊が現れるようになった。
どうやらネルフ本部のかなり深部にまで侵攻部隊がやって来ているようだった。
発令所との連絡も再び途絶え、爆音が周囲に鳴り響く。
どれほどの被害が出ているのか、誰が無事であるのか全く把握できない。
戦略自衛隊の攻撃を受けてもミサトはただひたすら目的地へと向かって車を走らせた。
<ネルフ本部 ジオフロント>
その頃、戦略自衛隊の部隊と戦っていた初号機に乗るシンジは、ミサトから弐号機を出撃させると聞いて狂ったように攻撃を始めた。
病み上がりのアスカが乗った弐号機を戦わせるわけにはいかない、こうなったら自分の手で敵を全滅させると決意を固めたのだ。
「うおおっ!」
S2機関を取り込んだ初号機は、暴走したように戦略自衛隊の戦闘機、戦車、戦艦を次々となぎ倒して行った。
しかし、戦略自衛隊はネルフ本部や初号機への攻撃を止める事は無い。
ついにはN2爆雷まで投下し、ネルフ本部のジオフロントを地上へと露出させた。
ATフィールドを張っている初号機はその強烈な衝撃にも耐えた。
「エヴァには一万二千枚の特殊装甲と、ATフィールドがあるんだから、いくら攻撃をしても無駄なんだよ!」
初号機のエントリープラグの中でシンジはそう叫んだ。
シンジの言葉通り、初号機の装甲に致命的なダメージを与えられることなく戦略自衛隊の部隊はやられて行った。
そして、戦略自衛隊の部隊の大部分がやられ、壊滅すると思われたその時、シンジの目の前の上空に輸送機にぶら下げられた九機の白いエヴァの姿が見えた。
「まさか、あれがミサトさんの言っていたエヴァシリーズ?」
ぼう然とつぶやいたシンジの目の前で、九機の白いエヴァは輸送機から放出され、初号機を取り囲むように降り立った。
状況の厳しさを悟ったシンジは冷汗を垂らす。
「一対九か……圧倒的にこっちが不利だね」
しかし、自分が戦うしかないと知っているシンジは、目に力を入れてエヴァ量産機をにらみつける。
「逃げちゃダメだ」
シンジはそうつぶやいて初号機で目の前のエヴァ量産機に向かって突進して行った。
<ネルフ本部 R20エレベータ>
ミサトとアスカはついにR20エレベータがある場所へとたどり着いた。
このエレベータに乗れば、弐号機が収められているケージに三十秒で行ける。
しかし、ミサト達のすぐ背後まで戦略自衛隊の兵士達は迫っていた。
そして、アスカを銃弾からかばったミサトは背中にかなりの銃弾を受けてしまう。
アスカと共に何とかR20エレベータに乗り込んだミサトだったが、かなりの出血をしており、このままでは助からない事は明白だった。
「ミサト、死なないでよ、アタシを置いて行かないでよ!」
下降するエレベータの中で、目に涙を浮かべたアスカはミサトに声を掛けた。
「ごめんなさいアスカ、あなたを一人で行かせる事になって……」
ミサトは苦しげに息をしながらアスカに答えた。
「ダメよ、無理をして喋っちゃ!」
「私はもう助からないって、私自身が一番良く分かっているわ……アスカ、もっとこっちへ来て」
アスカは無言でミサトの言葉にうなずき、ミサトに身体を近づけた。
すると、ミサトは残された力を振り絞ってアスカを抱きしめる。
「今までいろいろ厳しい事を言ってごめんなさい。私はアスカを本当の妹のように思っていたのよ」
「うん、アタシもミサトを……」
「シンジ君を助けてあげて。きっとアスカの助けが必要だから。私からの最後のお……ね……が……い」
ミサトはそこまで話すと、急に身体から力を抜いた。
アスカの背中にまわした腕もダラリと垂れた。
ミサトが事切れた事を知ったアスカは涙を流した。
それからしばらくしてエレベータが停止する。
どうやら弐号機の居るケージへと到着したようだ。
アスカは腕で涙をふいてエレベータの外へと出た。
しかし、ケージへと到着すると弐号機の姿はそこには無い。
アスカの目に映ったのは緊急避難措置プログラムが発令されたと表示するモニター。
弐号機が戦略自衛隊の部隊の手に落ちる事を恐れたネルフは、弐号機を地底湖の湖底へと沈めてしまっていたのだ。
「そんな……これじゃあ弐号機に乗れないじゃないの。ミサトと……シンジを助けに行くって約束したのに……」
アスカの顔に絶望の色が広がった。
しかし、アスカは祈るような姿勢を取って、念じながら湖底に居る弐号機に向かってつぶやいた。
「……お願い、ママっ!」
するとアスカの呼び声に応じるかのように、弐号機が浮上し、水面に姿を現した。
「ママっ、ミサトの言う通り弐号機の中に居たのね!」
弐号機の姿を見たアスカは、満面の笑みを浮かべた。
そして弐号機のエントリープラグがエヴァの側から開かれる。
弐号機に乗り込んだアスカは、自分の母親の気持ちを感じる事が出来た。
これなら弐号機とシンクロ出来ると、アスカは安心した。
ジオフロントへの射出カタパルトまで弐号機を移動させたアスカは、エントリープラグの中からそっと笑顔で弐号機に話し掛ける。
「今までアタシを守ってくれてありがとう。……またアタシに力を貸して、ママ」
幸いにもカタパルトの電源は破壊を免れていて、弐号機はジオフロントへと発進することが出来た。
<ネルフ本部 ジオフロント>
人造湖で量産型エヴァ九機と戦っていたシンジは、苦戦を強いられていた。
量産型エヴァの持つ武器は、ATフィールドを紙のようにあっさりと貫通し初号機に傷を負わせる。
シンジは必死に交わして致命傷は避けていたが、ダメージは着実に蓄積して行った。
初号機の痛みが伝わり、意識が朦朧しかけていたシンジに、弐号機からの通信が入る。
「お待たせ、シンジ……」
「アスカ、大丈夫なの!?」
モニターに映し出されたアスカの穏やかな笑顔を見たシンジは驚きの声を上げた。
何があったのかシンジには理解できなかったが、アスカはすっかりと立ち直ったように見えた。
「アスカ……よかった……」
感激したシンジはアスカに聞こえないような小さな声でそっとつぶやく。
「シンジ、アタシも協力するから、こいつらを倒しちゃいましょう!」
「ダメだアスカ、こっちへ来ちゃ!」
「えっ、どうして!?」
厳しい表情でそう言い放ったシンジに、アスカは驚いて聞き返した。
「……僕は初号機を自爆させてやつらを倒す。出来るだけ引きつけてたくさんの相手を道連れにするつもりだよ。やつらの数が減ったら、きっとアスカも戦いやすくなるよ」
「バカシンジ、何を言ってるのよ!」
「最後にアスカと話せて良かった」
シンジはそう言って、弐号機との通信を切った。
「シンジ!」
弐号機のアスカが真っ暗になったモニターにいくら呼びかけても、返答は全く無い。
「あのバカっ、一人で格好つけちゃって!」
アスカはそう言って初号機の元へ向かって全力で走った。
走りながらアスカは浮かび上がった疑惑について考える。
「おかしいわ、ネルフを壊滅させるだけならエヴァは九体も必要無いはず……」
アスカの頭の中で、ミサトに聞かされた人類補完計画の内容と、九体の量産型エヴァ達が繋がる。
「まさか、ゼーレはサードインパクトをここで起こすつもりなの!?」
胸騒ぎを覚えたアスカは、必死に初号機の元へと急ごうとした。
シンジの乗る初号機が利用される予感がしたのだ。
今までバラバラの動きをしていた量産型エヴァ達が初号機を中心に陣形を整えているのを見て、アスカの予感は確信へと変わった。
量産型エヴァ達は一斉に初号機向かって突進した。
それを目の前で見たアスカは初号機の自爆を止めようと叫び声を上げる。
「シンジ、ダメっ!」
アスカの制止も通じず、初号機からまぶしい光が広まった。
「シンジーーっ!」
真っ白になった視界に向かって、アスカは涙を流しながら叫んだ。
そして次の瞬間、アスカの意識と視界はブラックアウトした……。
<????>
「アスカ、アスカっ!」
「シンジ?」
「良かった……」
横たわっていたアスカがうっすらと目を開けてそう答えると、シンジは嬉しそうに息をもらした。
「ちっとも良くないわよ、この大バカシンジ!」
怒ったアスカはシンジの胸倉をつかみ上げた。
そして、シンジを思いっきりにらみつけて言い放つ。
「アタシを勝手に置き去りにするなんて、許さないんだからね!」
「ごめん……」
「でも、こうしてまた会えたんだから、シンジを責めるのはもう止めるわ」
アスカが優しい口調でそう言ってシンジをつかみ上げていた手を離すと、シンジは安心したように顔を上げて周りを見回した。
二人の周囲に広がるのは紅い空と白い砂浜、紅い海が広がる世界。
音は打ち寄せる波の音以外、何も聞こえなかった。
「いったい何が起こってしまったんだろう? 僕は初号機で自爆したはずなのに」
「きっと、サードインパクトが起きてしまったのよ。それで人類補完計画の通りになってしまった……」
「僕とアスカがこうして居られるのは?」
「多分、エヴァの中に居たから無事だったのよ。アタシ達のママ達が守ってくれたんだわ」
「そうか……でも、僕が原因なんだろうね」
シンジもある程度察しはついていたのか、暗い顔でそうつぶやいた。
「そんな事は無いわ、これは仕組まれていた事なのよ」
アスカはシンジの手を優しく握って、シンジを励ました。
「どっちだって同じだよ、僕が世界を滅ぼした元凶だって事には代わりは無いよ」
「いえ、アタシとシンジがこうしてここにいると言う事は、人類の補完は完全に行われていないって事になるわ」
「えっ?」
アスカの言葉を聞いたシンジは驚いてアスカを見つめた。
「もしかして、世界の姿が元に戻る可能性が残されているかもしれないって事よ」
アスカが希望を持ってシンジを励まそうとするが、シンジの表情はさえない。
「元に戻ったとしても、僕は嬉しくないよ」
「どうしてよ?」
「だって、サードインパクトが僕のせいで起こったと知ったら、きっとみんなは僕を許してはくれないよ」
そう言って身体を震えさせるシンジの前で、アスカは太陽のような微笑みをたたえてシンジを見つめる。
「みんなシンジが悪いんだって言っても、アタシはシンジを責めたりなんかしないわ」
「アスカ……」
シンジの視線と、アスカの視線がぶつかった。
「世界の全てを敵に回しても、アタシはシンジの側に居るから……」
アスカはそう言ってシンジを抱きしめると、シンジにそっと優しく口づけをした……。
その二人の姿を紅いLCLの海に溶け込んだ全人類が目撃していた。
彼らは何を思ったのだろうか、それを知る術は無い……。
No.17 麦わら帽子と向日葵の種
夏休みのある日、街並みを一望できる公園でシンジはレイと待ち合わせをしていた。
じりじりと照りつける太陽の日差しを見つめながら、シンジは集合時間の10分前に来てしまう自分の真面目な性格を自嘲した。
「まあ綾波はトウジ達みたいに遅刻しないから、まだ良いんだけどね」
シンジは自分を激励するようにそうつぶやいた。
「ねえ、第壱中学校はどこか知らない?」
麦わら帽子をかぶった黄色いワンピースの少女がシンジに声を掛けた。
「うん、僕の通っている学校だけど」
シンジが答えると、少女は嬉しそうな顔になる。
「今日、この街に引っ越して来たんだけど、通う学校がどんな所なのか見てみたいのよ」
「へえ、そうなんだ」
「じゃあ、案内して?」
「えっ?」
少女にそう言われたてシンジは困ってしまった。
シンジはレイとの待ち合わせをしているのだ。
「でも、僕は……」
「碇君、その子は誰?」
少女がシンジの言葉に答えようとした時、待ち合わせをしていたレイが姿を現して声を掛けた。
するとその少女は、
「あっ、デートの待ち合わせだったのね、ごめん、アタシは自分で探すから!」
と言って慌てて逃げるように立ち去ろうとした。
「待ってよ!」
シンジは大声で少女を呼び止めた。
少女は驚いて振り返る。
「せっかくだから僕達が案内するよ、いいよね、綾波?」
「う、うん……」
シンジに同意を求められたレイはうなずいた。
「ありがとう、でもデートだったんじゃないの?」
「いや、僕と綾波は幼馴染なんだ」
少女にシンジがはっきりそう答えると、レイはため息をつく。
「碇君は本当に鈍いんだから……」
シンジに聞こえない小さな声でレイはそうつぶやいた。
その少女はアスカと名乗り、シンジとレイはアスカと話をしながら学校まで案内した。
学校は夏休みだったので、部活動の生徒が居る場所以外は閑散としている。
「ありがとう、助かったわ」
「でも、夏休みだからほとんど人がいないけど、いいの?」
「アタシは別に構わないわ。そうだ、シンジとレイも2年生?」
「うん」
アスカに尋ねられたシンジがうなずくと、アスカは嬉しそうな笑顔になる。
「じゃあ一緒のクラスになれると良いわね」
「そうだね、綾波もそう思うよね?」
「ええ、そうね」
レイは少し引きつった笑顔でそう答えた。
「そうだ、学校の中も案内してあげようか」
「碇君……!」
シンジの言葉を聞いて驚いたレイはシンジの腕をつかんだ。
「いいじゃないか、少しぐらい」
「でも……」
誰にでも優しいシンジの事がレイは好きだった。
だけど最近はその優しさを自分にだけ向けて欲しいと思ってしまうのだ。
「悪かったわね、予定があるんでしょ?」
「うん、綾波と新しくできた水族館に行くところだったんだ」
「えっ!?」
シンジの返事を聞いたアスカは目を丸くして驚いた。
そしてアスカはレイと目を合わせた後、慌ててシンジに告げる。
「案内はもういいわよ」
「いいの?」
「うん、後はアタシだけで大丈夫だから、シンジ達は水族館に行きなさい!」
「わかったよ、じゃあね」
アスカに押し切られる形でシンジとレイは街の方へと立ち去った。
シンジ達が居なくなった後、アスカはため息をつく。
「まったく、何て鈍いヤツなのよ」
シンジはレイの気持ちが全く分かっていないと、あきれてしまった。
あの調子じゃレイも大変ねとアスカはレイに同情する。
「……でも、いいヤツよね」
アスカはそうつぶやくと、嬉しそうに微笑むのだった。
次の日シンジは、トウジ達と一緒にプールに行った。
シンジと顔を合わせるなりトウジ達は、興奮した様子でシンジに話し掛ける。
「昨日、街でえらい可愛い子とすれ違ったで!」
「スタイル抜群で、まるでアイドルみたいだったよ」
「あなた達、さっきからその話ばっかりね」
ヒカリはウンザリとした顔でため息をついた。
「街が混んでなければ見失わずに追いかけられたのになあ」
「そうやなあ」
「鈴原っ!」
ケンスケのぼやきにうなずいたトウジをヒカリが怒鳴りつけた。
レイはシンジがヒマワリ畑が描かれた観光用のポスターの前で足を止めた事に気がついて声を掛ける。
「碇君、あの子の事をまた考えていたの?」
「あっ、ごめん……」
レイに言われたシンジは照れ臭そうな顔をして謝った。
「本当に素敵な話よね、ヒマワリ畑で会った女の子って」
そう言いながらヒカリは両手を胸の前で握り目を閉じて陶酔に浸った。
「名前も分からん女の事をまだ引きずっておるんか」
「それよりも、碇が好きだって女の子の気持ちに答えた方がいいんじゃないか?」
「えっ、そんな子居るの?」
シンジがそう答えると、トウジとケンスケはあきれ顔でため息をついた。
「碇君はその子に貰った種を植えて、ずっとヒマワリを育てているんだっけ」
「うん、そのままヒマワリの種を大事に持っていても枯れちゃうからね」
ヒカリの言葉にシンジはうなずいた。
「でもさ、碇の親父の研究所でもいろいろな植物を育てているんだろう? そこに植えれば世話する必要もないじゃないか」
「相田、それじゃあその子もガッカリするわよ」
ケンスケの言葉に、ヒカリはため息をついた。
「まあ、ずっと続けられるとは限らないよ。ヒマワリって受粉が上手くいかないと発芽する種が出来ないらしいから」
シンジは寂しそうな顔をして、ため息を吐き出した。
レイはシンジの横顔を複雑な思いで見つめていた。
シンジの部屋の植木鉢にあるヒマワリが無くなれば、シンジはその少女を想い返すのは止めるかもしれない。
そして自分に目を向けてくれるとレイは思って待ち続けているのだった。
今までもシンジはヒマワリを見ると物想いにふけってしまう時がある。
しかしシンジが今日、ヒマワリ畑で会った少女の事を強烈に思い出したのは、昨日出会ったアスカがその少女に似ていたからだった。
シンジは誰にも話していなかったが、シンジが出会ったその少女も麦わら帽子をかぶっていたのだ。
そして2学期が始まった日、シンジの教室に新しい机が1つ増えているのに気が付いたクラスメイト達は騒いでいた。
「転校生は男と女どっちやろか?」
「男だったら面白い性格のやつ、女だったら美少女に限るな」
トウジとケンスケも転校生の事で話題一色だ。
「碇君、もしかして転校生って……」
「うん、そうかもしれない」
レイとシンジは顔を見合わせてうなずいた。
予鈴のチャイムが鳴っても教室のざわめきは収まらない。
学級委員のヒカリが鎮めようとしても、興奮したクラスメイト達は抑えられなかった。
そして、クラス担任のミサトが教室に姿を現した。
浴びせられる質問の嵐の中、ミサトは笑顔を浮かべながら教壇までハイヒールの靴音を響かせて歩いた。
「みんな、充実した夏休みを過ごせた? じゃあ、さっそくだけど待望の転校生を紹介するわ。……心の準備は出来たかな?」
「はーい!」
ミサトがそう言うとクラスの盛り上がりは最高潮に達する。
「じゃあ、入っていらっしゃい」
廊下に向かってミサトが呼び掛けると、真新しい制服を着た少女が姿を現した。
少女の姿を見たクラスメイト達は歓声を上げる。
その少女がいわゆる美少女に分類される風貌だったからだ。
「惣流・アスカ・ラングレーです、よろしくお願いします」
アスカがそう言って頭を下げると、クラスの男子達からは彼氏が居るのか質問が飛ぶ。
「えっと、彼氏は居ません」
「嘘ぉ!?」
「よっしゃー!」
そうアスカが答えると女子からは驚きの声が、男子からは喜びの声が上がった。
「はいはい、みんな落ち着いて。惣流さんへの質問攻めは程々にね」
ミサトはそう言って、学級委員のヒカリの席の隣に追加した新しい席に座るように指示した。
「私は学級委員の洞木ヒカリ。学校の事で解らない事があったら、何でも聞いてね」
「ありがとう、洞木さん」
ヒカリにアスカはニッコリと微笑んで答えた。
「ねえ惣流さん、彼氏が居ないなんて嘘だよね? 本当はキスとか経験済みじゃないの?」
前の席に座っているケンスケに聞かれたアスカは言葉に詰まってしまった。
「こら相田、何よその不潔な質問は!」
「ちぇっ、委員長ってば固いんだから」
ヒカリに助けられたアスカはホッとした表情を浮かべた。
これからはヒカリがアスカを守ってくれるとミサトは安心して教室を出た。
そして休み時間ごとに、アスカは囲まれて質問攻めにあってしまう。
クラスの外からも生徒が来ているようだった。
そんなアスカを守ろうと必死になっているのはヒカリだった。
「なんやあいつ、アイドルみたいやな」
「差し詰め委員長はマネージャって所だな」
近寄れずに遠巻きにアスカを眺めていたケンスケとトウジはそうぼやいているだけで、ヒカリを助けようとはしなかった。
しかしシンジは勇気を出してアスカを取り囲む生徒達に声を掛ける。
「いい加減にしなよ、惣流さんが困っているだろう?」
「うるさいな、君は惣流さんの何なんだよ?」
生徒達の視線がシンジに突き刺さるが、シンジは逃げずに踏ん張り続ける。
「僕は惣流さんの……友達だよ」
「お、俺もそうだ!」
「ワイだって!」
「……私も」
シンジの後ろに立っていたケンスケとトウジ、そしてレイまでもが名乗りを上げると、アスカを取り囲んでいた生徒達は散って行った。
「ありがとう、碇君」
「うん、どういたしまして」
アスカにお礼を言われたシンジだが、違和感のようなものを覚えて、戸惑った様子で返事をした。
「夏休みに会った時、惣流さんは碇君の事を名前で呼んでいたからじゃないかしら」
「なるほど……でもどうしたんだろう? 僕が惣流さんに嫌われる事をしちゃったのかな」
「そんな事は無いと思うわ」
少しアスカの態度がよそよそしくなった理由を尋ねられたレイは、解らないと首を横に振るのだった。
それから放課後まで、アスカはシンジ達と一緒に過ごしたが、アスカはシンジの名前を呼ぶ事はなかった。
自分の名前を呼ばれるのは照れくさいと思っていたシンジだが、寂しく感じるのだった。
その日の夕方、母親の知り合いの家に届け物を頼まれたシンジは、その帰り道、街の中にある公園を通りがかった。
するとその公園のベンチに、悲しそうな顔で座っているアスカの姿を見つけた。
シンジは少し迷ったが、アスカに声を掛ける。
「惣流さん」
シンジに声を掛けられたアスカは、驚いて目を丸くする。
「あっ、碇君じゃないの」
「悲しそうな顔をしていたけど、どうしたの? 学校で僕達が惣流さんに嫌な思いをさせちゃったかな」
「そんな事無いわ、碇君が友達だって言ってくれた時、とても嬉しかった」
「じゃあどうして?」
「……その方が逆に辛いから」
そう言ってアスカは、シンジに背を向けて逃げようとした。
「待ってよ!」
シンジがアスカの腕を強く引っ張ると、アスカは転んでしまった。
「あっ、ごめん!」
「痛っ!」
アスカは立ち上がったが、苦痛に顔を歪ませた。
どうやら運悪く足をくじいてしまったようだ。
シンジは急いで公園の水道でハンカチを濡らしてアスカの足首に巻く。
「このくらい平気よ」
「僕のせいなんだから放っては置けない、家まで送るよ」
シンジはそう言ってアスカに肩を貸して歩き出した。
「ありがとう、でもこれ以上アタシに優しくしないで」
「理由を教えてよ」
シンジに根負けしたアスカは、自分が小さい頃から父親の仕事の都合で転校を繰り返している事を話した。
せっかく仲良くなれても、すぐに離れ離れになってしまう。
別れる度に辛い思いをするならば、最初から誰とも親しくならなければいいと考えるようになったのだ。
「でもアタシには、独りで居続けるのは無理みたい」
「僕もそう思うよ。洞木さんや綾波と話している時、とても楽しそうだった」
シンジはアスカと話をしながら歩いているうちに、自分の家の方角に向かっている事に気が付いた。
「ねえ、惣流さんのお父さんってネルフで働いているの?」
「もしかして、碇君のパパも?」
「うん、ネルフで働いているんだ」
シンジの家族はネルフの社宅であるコンフォート17に住んでいる。
「まさか、同じ団地に住んでいるなんてね」
「夏休みの間に会わなかったのが不思議だわ」
シンジとアスカは顔を見合わせて笑った。
そしてアスカの家の前で別れようとした所で、シンジ達は女性に声を掛けられた。
「あら、アスカちゃんがお友達を家に連れて来るなんて久しぶりね。しかも男の子だなんて初めてだわ」
「ママっ、碇君は足をくじいたアタシを送ってくれただけなのよ!」
アスカは顔を真っ赤にしてアスカの母親に言い返した。
しかしアスカの母親は別の事が気になったようで、シンジに尋ねる。
「もしかして、碇所長の?」
「はい」
「ええっ、アンタのパパってネルフの所長だったの!?」
シンジがアスカの母親の質問にうなずくと、アスカは驚いた顔になった。
「うん、まあ……でも僕はちっとも偉くないんだけどね」
その後シンジはアスカを連れて来たお礼としてアスカの母親にお茶をご馳走になり、家へと帰った。
そしてその日の夕食に、シンジ達の家族はアスカ達の家族を招いた。
母親のユイに帰りが遅かった理由を聞かれたシンジが、アスカと会った事を話したのだ。
するとたまたま帰りが早く家に居て話を聞いた父親のゲンドウが、アスカの父親に直接会いたいとの事だった。
夕食の席でゲンドウは、新たに日本で立ち上げるプロジェクトチームに、ヒマワリの研究を続けてきた博士であるアスカの父親を一員として招きたいと言った。
アスカの父親はネルフの一員であるが、別のプロジェクトチームに所属していたため、世界各地の支部を回っていたのだ。
所長直々のスカウトでも、アスカの父親は研究者として悩む所があるようで、すぐに応じる返事はしなかった。
しかし諦めなかったゲンドウは粘り強く新しいプロジェクトの魅力を語り、ついにアスカの父親の方が折れてプロジェクト参加を受け入れた。
「良かったわねアスカちゃん、これからはずっと長くここに居られるわよ」
「えっ、本当?」
アスカの母親の言葉を聞いたアスカは目を丸くして驚いた。
「成果が出るまで何年もかかる研究になりそうだ」
「やったわ!」
飛び上がって喜んだアスカは、両親に注意されると顔を赤くして謝るのだった。
夕食が終わると、アスカの両親はゲンドウとユイにお礼を言って帰って行った。
アスカはシンジに勉強を教えてもらいたいと言って残ったのだ。
「でも僕が惣流さんに教えられる事なんて、無いと思うけどな」
シンジは英語と数学の時間、スラスラと問題を解くアスカを見ていた。
「シンジ、これからアタシの事は惣流さんじゃなくて、アスカって呼んで」
「うん……」
突然名前で呼ばれたシンジは、照れくさそうに笑いながらうなずいた。
アスカは海外での生活も長かったので、読み書きができない漢字があるのだと話した。
だから国語の時間、アスカは手を挙げなかったのだとシンジは納得した。
「ずっと日本に居られるようになったんだから、損はしないでしょう?」
「そうだね」
シンジとアスカは顔を見合わせて微笑んだ。
「アタシは今まで何度もパパに転校したくないってお願いしたけど無理だったから、もう諦めかけていたわ。だからシンジのパパにはとっても感謝している、お喋りなシンジにもね」
「それはたまたま母さんに帰りが遅かった理由を話しただけだよ」
「偶然でも構わないわ、アタシにとっては変わりがないもの」
そう言ったアスカはとても嬉しそうな顔をしたが、突然打って変ったように憂鬱な顔でため息をつく。
アスカの表情に気が付いたシンジが不思議そうに尋ねる。
「どうしたの?」
「アタシ、学校で洞木さんや綾波さんと距離を置くような態度を取っちゃったけど、友達になってくれるかしら」
「平気だよ、事情を話せば解ってくれると思うよ」
シンジは優しくそう言って慰めた。
「ありがとう、シンジがそう言ってくれたら、明日学校に行く勇気が出て来たわ」
「良かったね」
「シンジって本当に優しいのね、夏休みに会った時もアタシを案内してくれたし」
「別にそんな、僕が特別ってわけじゃないよ」
アスカがシンジにお礼を言うと、シンジは照れ臭そうに顔を赤くした。
そしてアスカの方も、モジモジとしながらシンジに尋ねる。
「ねえシンジって、好きな子はいるの?」
アスカに見つめられて、シンジは胸がときめいた。
しかしシンジは自分の気持ちを裏切る事は出来ず、アスカに正直に話そうと決意する。
「僕にはずっと好きな子が居るんだ」
「そっか……」
シンジの返事を聞いたアスカの顔は沈み込んだ。
「やっぱりが綾波さん? 幼馴染だし、あの時もデートしてたもんね」
「違うよ、名前も知らない女の子なんだ」
アスカの言葉にシンジは首を横に振って否定した。
「それってどういう事なの?」
「アスカには話してもいいかもしれない、聞いてくれるかな?」
「うん、いいわよ。でも、アタシに話しちゃっていいの? 大事な思い出なんでしょう?」
「いや、綾波達も知っているし、アスカにも話しておきたいんだ」
それからシンジは、ヒマワリ畑で出会った麦わら帽子の少女の事をアスカに話し始めるのだった……。
シンジがその麦わら帽子の少女と出会ったのは、日本各地にあるネルフの所有するヒマワリ畑の1つだった。
ゲンドウが仕事で訪れたついでに、シンジも連れて来ていたのだ。
シンジはゲンドウの言い付けを守って展望台から眼下に広がるヒマワリ畑を眺めていたが、強い風がシンジのかぶっていた麦わら帽子を吹き飛ばしてしまった。
ゲンドウは首にかける紐を結んでいなかったシンジを注意し、飛んで行ってしまった麦わら帽子は諦めろとシンジに言ったが、シンジは首を横に振って嫌がる。
その麦わら帽子は母親のユイから貰ったものだからだ。
ヒマワリ畑に降りて麦わら帽子を探すと意地を張るシンジに対して、ゲンドウは怒って「勝手にしろ」と言い放った。
シンジは目に涙を浮かべながらヒマワリ畑へ駆け下りる。
しかしシンジの目の前には自分の背より高いヒマワリが壁のように立ちはだかっていた。
シンジはヒマワリの隙間を縫って麦わら帽子を探したが、なかなか見つからない。
「こんなにたくさんヒマワリがあるから探しにくいんだ、このっ!」
痺れを切らしたシンジは、辺りのヒマワリを荒らし始めた。
乱暴に茎を折られたヒマワリの花が空に舞い散る。
その時、後ろから自分の手を誰かにつかまれたシンジは驚いて振り返った。
「こらっ、ヒマワリを折っちゃダメじゃない!」
怒った顔でシンジをにらみつけているのは麦わら帽子をかぶった少女だった。
年は自分と同じか、1~2歳ぐらい上かもしれないとシンジは思った。
「ごめん、でも僕は探さなくちゃいけないものがあるから」
少女に謝ったシンジは、少女につかまれた手を振り切ってその場を立ち去ろうとした。
しかしシンジは少女に呼び止められた。
「待って、アタシも一緒に探してあげる」
「でも……」
シンジは遠慮したが、少女は引き下がらない。
「だって、そんなにあわてて探しているなんて、とっても大切な物なんでしょう?」
「うん、お母さんから麦わら帽子なんだ」
その後シンジとその少女は手分けしてヒマワリ畑の中を探した。
そして運が良い事に、少女が飛ばされた麦わら帽子を見つけたのだ。
「ありがとう」
「見つかって良かったわね」
シンジと少女は顔を見合わせて微笑んだ。
「ねえ、アンタはどこから来たの?」
「第三新東京市って所から、お父さんと一緒に来たんだ」
少女の質問にシンジが答えた時、シンジ達の耳にゲンドウがシンジを探して呼びかける声が届いた。
「あっ、お父さんが呼んでる」
シンジはそう言って声のする方角を向いたが、足を動かそうとしなかった。
そんなシンジの様子を不思議に思ったアスカが声を掛ける。
「どうしたの?」
「僕、さっきお父さんを怒らせちゃったんだ」
少女に向かってシンジは、ゲンドウの前で泣いてしまった事を話した。
シンジは父のゲンドウに「男なんだから泣くんじゃない」としょっちゅう言われているとぼやいた。
「そうだ、これをあげる!」
少女はそう言って、ポケットからヒマワリの種を取り出した。
突然差し出されたシンジはポカンとした顔になる。
「アタシ、辛い事があってもヒマワリを見てるとすぐに泣きやんじゃうんだ。だって、ヒマワリって綺麗でしょう?」
「そうかもしれないけど……もしかして、ヒマワリが好きなの?」
少女に押し切られる形で同意しながら、シンジはそう尋ねた。
「うん、アタシの家のお庭にもたくさんヒマワリがあるのよ」
そう言って少女はシンジの手にヒマワリの種を押し付けた。
どうやらシンジもヒマワリを育てろと言っているようだ。
少女から笑顔で渡されたヒマワリの種を突き返す事も出来ず、シンジはヒマワリの種を握りしめた。
「泣きたくなったら、ヒマワリを見て元気出してね。そして、もう二度とヒマワリは折っちゃだめよ、約束してね」
「分かったよ、じゃあバイバイ」
少女に向かってシンジは力強くうなずき、手を振ってゲンドウの所へと帰って行った。
そしてシンジはその後何回も麦わら帽子の少女に会うためにヒマワリ畑へ向かったが、少女と会う事は出来なかった。
シンジは少女の名前を聞いていなかった事を後悔したが後の祭り。
ヒマワリ畑で少女と再会する事は諦めたシンジだったが、少女から貰ったヒマワリの種を植えて育てる事は止めなかった。
それは自分と少女を結んでいる小さな約束であり、シンジはヒマワリを見る事で少女の事を思い返していたのだ。
「……夏休みにアスカに会った時、その子に似ているって思ってビックリしたんだ。アスカがその子だったらよかったのに、なんてね」
シンジは冗談めかした口調で言って笑ったが、話を聞いていたアスカが涙を流し始めたのを見て、顔色を変える。
「ごめん、僕の勝手な想像を押し付けちゃって。アスカにとっては迷惑な話だよね」
「嬉しいわ、そんな昔の約束を覚えていてくれたなんて!」
「えっ!?」
感激したアスカに抱き付かれたシンジは、驚いてアスカを見つめていた。
アスカはシンジから体を離すと、シンジの手を握って話す。
「シンジの話を聞くまで、アタシも約束の事をすっかり忘れていたわ、ごめんね」
「じゃあ、アスカがあの時僕が会った麦わら帽子の女の子なの?」
「ええ、アタシとヒマワリ畑で会って、第三新東京市に住んでいて、女の子との約束を守ってヒマワリを育ててくれているシンジって男の子が二人以上存在していない限りね」
そんなたくさんの偶然の一致があり得るわけがない。
シンジは目の前に居るアスカがあの時のヒマワリ畑の少女だと確信すると、激しい感動が起こるのを感じた。
長い間会いたかった、そして恋焦がれていた相手に、会う事が出来たからだ。
「アスカっ!」
今度はシンジがアスカを抱き締めようとすると、アスカはしっかりとシンジの抱擁を受け入れた。
しばらくしてお互いの気持ちが落ち着いたシンジとアスカは体を離して、ゆっくりと話を再開する。
「ねえシンジ、麦わら帽子の子とアタシが別人だったら、シンジはどっちを選んでた?」
「アスカ、そんな意地悪な質問をしないでよ」
シンジが困り果てた顔で懇願すると、アスカは楽しそうに笑う。
「ふふっ、そんな優しいシンジが好きよ」
アスカはそう言うと、シンジのほおに軽くキスをした。
シンジは顔を赤くしてほおに手を当てる。
「じゃあアタシ、そろそろ帰るわね」
「で、でも、宿題がまだ終わってないよ」
「大丈夫、もう一人で出来るから!」
アスカの方も相当照れくさかったのだろう、ゲンドウとユイにぎこちない挨拶をして慌てて帰って行った。
ゲンドウとユイはアスカの態度を不思議に思ってシンジに尋ねたが、シンジは何でもないとごまかした。
そして次の日の朝、家にアスカが迎えに来た事にシンジは驚いた。
「シンジ、一緒に学校に行きましょう」
「えっと……」
恥ずかしがるシンジを見て、ユイが笑って声を掛ける。
「あら、レイちゃんとはいつも一緒に学校に行っているじゃない」
「もしかして、綾波さんと待ち合わせしてるの?」
「ううん、通学路の途中でよく一緒になるだけだよ」
「多分綾波さんが待っているのよ」
鈍感なシンジに少しあきれたアスカはそう言ってため息を吐き出した。
アスカと話しながら朝の準備を終えたシンジは、アスカと連れ立ってコンフォート17を出て登校したが、レイと会う事は無かった。
シンジは少し不思議に思いながら通学路を歩いて行くと、校門の所でトウジとケンスケ、ヒカリの3人に会った。
「おいおい、2人とも急に仲が良うなって何があったんか?」
「実はアスカが、僕がずっと会いたかった麦わら帽子の女の子だったんだ」
「ホンマか!?」
「マジかよ!?」
「本当!?」
トウジに尋ねられたシンジがそう答えると、トウジ達は驚きの声を上げた。
そしてシンジはどうしてアスカが麦わら帽子の女の子だと分かったのかトウジ達に説明した。
話を聞いたトウジ達は感心して大きく息を吐き出す。
「何や、惣流は碇の名前を知っていたんか」
「親父さんに聞けば、名前と連絡先とか分かったかもしれないぜ」
「アタシ達、小さかったからそこまで考え付かなかったのよ」
「それだけ碇君が惣流さんを思う気持ちが強かったのよ」
シンジとアスカの恋物語に、ヒカリは強く感動を覚えた様子だった。
「ヒマワリ畑の女の子は、本当に居たのね……」
いつの間にか教室に来ていたレイがそうつぶやくと、話に夢中になっていたシンジ達は驚いて顔を上げた。
「綾波、僕達の話を聞いていたの?」
「ええ、碇君達が教室に入った後ぐらいから」
レイは少し悲しげな表情で、シンジに答えた。
幼馴染で何度も麦わら帽子の少女の話をシンジから聞かされていたレイは心の底で、2人は再会して欲しくないと願っていた。
せめてシンジが諦めて、自分の気持ちに気が付いて、好きになってくれるまではと。
「ごめんね、綾波さん」
「いいえ、私と碇君はただの幼馴染だから」
アスカが謝ると、レイは悲しみをこらえて微笑んだ。
予鈴のチャイムが鳴ると、弾かれたようにレイはトイレに行くと言って教室を出て行った。
慌ててヒカリがレイを追いかけて声を掛ける。
「綾波さん、碇君に告白しないで、諦めちゃうの?」
「碇君の心の中には惣流さんが、私と会う前からずっと居たんだもの、私に勝ち目はないわ」
「そう……」
敗北宣言をしたレイに、ヒカリはそれ以上励ましの言葉を掛ける事は出来なかった。
そして休み時間、アスカは昨日学校でヒカリとレイに対して少し距離を置いた態度を取ってしまった事を謝った。
「別に気にしてないわ、私も惣流さん……いえ、アスカの立場だったら同じだったかもしれないし」
「ありがとう、ヒカリ!」
ヒカリに名前で呼ばれたアスカはパッと明るい笑顔になり、ヒカリの手を握った。
「綾波さん……はいきなりアタシと親しくなるって言うのは、まだ無理よね……?」
「ええ、そうね」
アスカとレイは少し困った顔で顔を見合わせた。
レイが心の整理を終えるのにはしばらくの時間が必要だ。
でもいつか友達になれるとアスカは信じて待とうと決意したのだった。
それからしばらくして、シンジとアスカは自分達が運命の出会いをしたヒマワリ畑へと出掛けた。
「あの時は僕の背よりとても高かったヒマワリが、今は少し小さく見えるね」
「うん、アタシ達も大きくなったって事よね」
自分達の視点が高くなり、思い出の景色とは違うものになってしまった事を、シンジ達は少し寂しく思った。
さらにこのヒマワリ畑は周囲の宅地開発が進み、規模が年々縮小されているらしいのだ。
「このヒマワリ畑も、いつか無くなっちゃうのかな」
「これからは新しいヒマワリ畑を作りましょうよ、アタシとシンジだけのヒマワリ畑を」
シンジのつぶやきを聞いたアスカはそう提案した。
「でも、僕達の家はマンションだよ」
「とりあえず、植木鉢から始めるわ」
不思議そうな顔で尋ねたシンジにアスカはしっかりとした口調で答えた。
「じゃあ今度は僕がアスカにヒマワリの種をあげる番だね」
「そうね、楽しみにしているわ」
シンジとアスカは顔を見合わせて微笑んだ。
思い出の場所が消えてしまっても、これからは新しい場所を創って行ける。
決意を固めたシンジとアスカは手を取り合ってヒマワリ畑に背を向けて歩き出したのだった。
No.18 僕らは幸せになれない ~鈴原トウジの遺言~
長かった使徒と人類の戦いもついに最終局面。
使徒の精神攻撃を受け、伏せっていた状態から復活を遂げたアスカの乗る弐号機は、エヴァ量産機相手に善戦をしていたが、直前の戦略自衛隊との戦いでアンビリカルケーブルを切断された弐号機の内部電源は無情にも切れてしまった。
しかし、遅れてやってきたシンジの初号機がアスカの窮地を救った。
弐号機を取り囲んでいたエヴァ量産機は圧倒的な強さを見せる初号機によって倒されて行った。
作戦の失敗を知った戦略自衛隊もネルフから撤退し、後に日本政府もネルフへの侵攻命令を撤回した。
信頼を失ったキール議長率いる組織ゼーレは資金を提供していたスポンサーから見放されたのだ。
ゼーレがネルフからMAGIを奪う事すらできなかった事を知ると、手のひらを返したかのように日本政府はネルフを味方に引き入れる事を考えたのだった。
これによりネルフの危機も去り、死んでしまったネルフの職員達の事を考えると素直に喜べないのは確かであったが、生き残ったネルフの職員達は歓声を上げ、発令所に居た冬月達も安心してため息をついた。
戦いを終えた初号機と弐号機は茫然自失の状態でそのまま戦場に立ち尽くしていた……。
エントリープラグから出たシンジとアスカは車に乗せられ、並んで後部座席へと座った。
緊張の糸が切れたシンジとアスカに、どっと疲れが押し寄せる。
車の中でシンジは、アスカがそっと自分の手を握って来た事に驚いた。
シンジは目を丸くして隣に座るアスカの方に顔を向けると、アスカは満ち足りたような穏やかな笑顔でシンジを見つめ返した。
そしてシンジも微笑んでアスカの手をしっかりと握り返した。
シンジはアスカに謝りたい事はたくさんあったが、アスカの表情を見てシンジは自分は許されたのかもしれないと思った。
アスカもシンジに対して感謝したい事がたくさんあったが、シンジの表情を見て自分の思いは伝わったのだと思った。
もう二人の間に言葉は不要だった。
アスカとシンジは互いの手の感触の温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じて眠りに着いた……。
車で政府関係の建物に案内されたアスカとシンジは、そこで冬月から話を聞かされた。
これから病院で精密検査を受けた後、アスカとシンジはエヴァンゲリオンパイロットの任務から解放され自由の身となれると。
話を聞いたアスカとシンジはとても喜んだ。
これからはエヴァに縛られる事の無い平穏な生活を送れるのだ。
それは、使徒との長い戦いに疲れた二人にとって願いそのものだった。
第三新東京市を襲った使徒の戦禍により、今まで暮らしていたコンフォート17での生活が困難になったアスカとシンジは、第二新東京市のマンションの部屋で新しい生活を始める事になった。
夏休みが終わった後、アスカとシンジは第二新東京市の中学校に転入する段取りになっている。
アスカはこれから新しく始まる平凡な中学生としての生活に胸をときめかせていた。
シンジに素直に気持ちを伝えられたのだから、これからは”少し”シンジに優しくしてあげよう。
もちろん、自分の優位性は譲るつもりはないけれど。
アスカはすっかり普通の少女、恋に夢見る乙女となっていた。
アスカが自分の部屋の時計を見ると、時間は夕方。
そうだ、今日はシンジと一緒に夕食を作ってみようと言ってみよう。
自分が料理を始めると言ったらシンジは驚くけど、喜んでくれると思う。
そして二人で買い物に行って、包丁を初めて握る自分の手をシンジが持って教えてくれたり……。
アスカは自分とシンジがおそろいのエプロンを付けている所まで妄想を膨らませていた。
エヴァンゲリオンのパイロットだった時は、そんな事は考えても見なかったのに。
しかし、アスカはこんな平和ボケしている自分も悪くは無いなと思っていた。
そんな妄想を抱えながらアスカはシンジの部屋へたどり着いた。
アスカがシンジの部屋のインターホンを押しても返事が無い。
おかしいと思ったアスカがシンジの部屋のドアノブに手を掛けると、ドアには鍵が掛かっていなかった。
シンジが鍵を掛けないで外出するなんて珍しい事だ。
きっと近所に行っているのだろうと、アスカはシンジの部屋の中で待つ事にした。
部屋の中で自分が待っていれば、シンジは驚くに違いない。
アスカはその時のシンジの驚いた顔を想像してほくそ笑んだ。
だがしばらく待ってもシンジが帰って来ない。
おかしいと思ったアスカはテーブルの上に置かれたシンジの書き置きを見つけた。
それを見たアスカは血の気が引いたように真っ青になる。
******
僕はトウジを殺して生き延びたんだ。
だから、僕らは幸せになれない、いや、幸せになってはいけないんだ。
さようなら、アスカ。
******
「どうして!? やっとアタシはシンジと普通の生活が出来ると思ったのに!」
一転して頭に血が上ったアスカはそう言ってシンジの書き置きを丸めた。
「アタシを置いてどこに行っちゃったのよ……バカシンジ!」
アスカの目から滝のような涙が流れた。
そしてアスカは自分の携帯電話を取り出すと、冬月やマヤよりも先にヒカリへと電話を掛けた。
書置きからシンジの失踪にはトウジが関係していると思ったからだ。
エヴァ参号機が使徒に乗っ取られ、トウジが命を落とした事件の後からアスカもヒカリと連絡を取る事はしていなかった。
トウジの死によってアスカもヒカリと顔を合わせ辛かったのだ。
だが今のアスカにはそのような事は関係無い、それほどシンジを取り戻そうと必死だったのだ。
「アスカ?」
相手がアスカだと知ったヒカリは、電話を切って逃げてしまいたい衝動に駆られた。
しかし次に聞こえて来たアスカの叫びがヒカリを思い止まらせた。
「鈴原が、シンジを連れて行っちゃったのよ! お願いヒカリ、鈴原にシンジを返してって頼んでよ!」
「えっ、それってどう言う意味なの?」
アスカの支離滅裂な言葉、涙声、そして何よりもトウジの名前が出て来た事にヒカリは驚いた。
そして、アスカからシンジの書き置きの内容を聞いたヒカリはアスカに謝る。
「ごめんなさい、私がもっと早く勇気を出して会っていれば、碇君もアスカも苦しませずに済んだのに……」
「それってどういう事よ!?」
電話の向こうのアスカはかなり興奮してしまっているようだ。
ヒカリはアスカに落ち着くように説得した後、保護者であるマヤ立ち会いの元、アスカの部屋で会って話す約束をした。
「それでヒカリ、シンジとアタシに伝えるべきだった事って何?」
アスカの部屋を訪れたヒカリは、久しぶりの再会を喜ぶ間もなく、暗い顔をしたアスカに質問をされた。
落ち込み果てたアスカの表情は、シンジの失踪に大きなショックを受けているのだとヒカリに感じさせた。
「伊吹さん、これをアスカに見せて構わないですよね?」
「ええ」
マヤに確認を取ってから、ヒカリは数通の手紙をアスカに見せた。
「これは……鈴原の遺書なのよ」
「えっ……」
ヒカリの言葉を聞いたアスカは伏せていた顔を上げて驚いた。
エヴァンゲリオンのパイロットは遺書を書くことを勧められる。
シンジ達は使徒との戦いの前に書く事を拒否していたのだが、トウジは起動実験前に書いていたのだ。
アスカは食い入るようにトウジの書いた遺書を読む。
マヤとヒカリはそんなアスカの姿を読み終わるまでじっと見守っていた。
「まさか、鈴原がこんな事を思っていたなんて……」
トウジの手紙を一気に読み終えたアスカは深いため息をついた。
「ごめんなさい、私がもっと早くに鈴原からの手紙を碇君に見せていれば碇君が思い詰める事も無かったのよ!」
ヒカリはアスカに向かって泣きながら謝った。
しかし、アスカはそんなヒカリの体を持ち上げると抱きしめて、耳元で優しく囁く。
「もう謝らないで、アタシはヒカリを責めてなんかいないわ。だってヒカリはアタシの親友だから」
「本当にごめんなさいアスカ」
「言うべき言葉が違うでしょ?」
「ありがとう……」
二人の少女が抱き合う姿を、マヤはまぶしそうに見つめていた。
「でも鈴原の手紙の内容をどうやってシンジに伝えればいいの……?」
アスカは困った顔でそうつぶやいた。
シンジは自分の意思で姿を消したのだ。
だからと言って、ネルフで指名手配をするのは乱暴な手段のように思えた。
「そうだ、私に良い考えがあるわ!」
何かを思い付いたのか、マヤはそう言って指を鳴らした。
マヤのアイディアは、テレビやラジオ、新聞やインターネットなどのマスメディアを通じてトウジの遺書の内容を公開する方法だった。
シンジがどんな場所に身を隠しているのかはわからないが、きっとシンジの目に触れるはず。
アスカとヒカリもマヤのアイディアに賛成し、マスコミもマヤの要請に協力した。
そして、トウジの書いた遺書はTVのアナウンサーやラジオのパーソナリティによって読まれたのだった。
新聞や雑誌の紙面にもトウジの遺書の全文が載せられた。
******
何を書いたらいいんだろう、いきなりネルフの人に遺書を書くように勧められて驚いている。
話している時は関西弁だけど、書く時は標準語の方がいいと言われて書いてるんだけど照れくさくてかなわんな。
碇や惣流達は拒否したみたいだけど、死んでから勝手にいろいろ憶測されるのは嫌だからな。
それに、遺書を書いたのはまだ碇や委員長……いや、ヒカリに伝えていない事があるからだ。
直接言うのは凄く恥ずかしいから、こうして手紙にしてしか伝えられないけどな。
碇、もしワイが使徒と戦って命を落とす事があっても、自分を責める事は止めろよな。
自分の幸福を捨てれば、ワイへの償いになるなんて勘違いするな。
ワイは碇の不景気な顔なんて見たってちっとも楽しくない、それよりもワイの分まで一生懸命生きろ。
そして惣流と幸せにな。
隠さなくてもいい、ワイから見ればお前と惣流がお互い気になっているのは解ってる。
ヒカリ、あの日の帰り道にワイ達はお互い素直になろうって約束したよな。
ワイは小さい頃は名前で呼び合っていたのに、いつからヒカリを委員長と呼ぶようになったんだろうな。
ヒカリにちょっかいを出してたのは、やっぱりヒカリの事が気になっていたんだと思う、許してくれや。
今度学校に登校した時、ヒカリの弁当を食べられるのが楽しみにしている。
もしワイが居なくなってもずっと湿っぽい顔してんな、ワイはヒカリが笑っている顔が好きなんだからな。
碇だけでなくヒカリにも言うけどな、好きな相手が不幸な面をしててもワイはぜんぜん嬉しくない。
たまにワイの事を思い出してくれるだけでいいんだ。
******
この放送の効果があったのか、シンジは翌日の夕方、アスカが待っているシンジの部屋へ姿を現した。
インターホンのカメラで、シンジの姿を見たアスカは嬉しさに飛び上がってドアを開けてシンジを迎え入れる。
「……ただいま」
「おかえり!」
照れ臭そうに顔を赤くして立っているシンジに笑顔のアスカが飛び付いた。
そしてシンジとアスカは夕陽の差す玄関で固く抱き合ったのだった……。
トウジの手紙の内容が公共の電波や新聞などを使って発表された事は、シンジ以外の人々にも影響を与えたのだった。
戦略自衛隊の侵攻の際に生き残ったネルフの職員。
そのネルフの職員を殺めてしまった戦略自衛隊の隊員。
そして、セカンドインパクトの惨劇を体験した多くの人々。
彼らの中にはシンジのように、そして加持のように、自分に不幸を強いて人生を送っていた者も多数居たのだ。
放送を聞いた彼らは再び希望を持つ事になり、その事はまた美談としてメディアを通じて報じられた。
「僕は勘違いをして、アスカも不幸に巻き込んでしまう所だったんだね、本当にごめん」
シンジがアスカに謝ると、アスカは首を横に振って否定した。
「シンジ、それを言うならアタシも同じ立場よ、だってアタシがエヴァに乗って戦えていれば、ファーストを助ける事が出来たのかもしれないしさ……」
「でもあの時アスカは使徒の攻撃を受けて倒れていたんだから、仕方の無い事だよ」
「それは違うわ、アタシがあそこまで深刻なダメージを受けてしまったのは、くだらない意地でアタシが撤退を渋ったせい。アタシがもっと強い心を持っていれば、あの使徒にも適切に対処する事が出来たのよ」
「そんな事を言ったら僕はもっと謝る事がたくさんあるよ」
「だけど鈴原が言ってくれた通り、悔いて塞ぎこんでしまうのはもう止めましょうよ」
アスカはそう言って精一杯の笑顔を作ってシンジに笑いかけた。
「そうだね、前向きに生きないと」
シンジもアスカに笑顔を返して見つめるのだった。
そしてアスカとシンジは、ミサトが葬られた墓地へに墓参りに行く事にした。
戦略自衛隊の侵攻により多くのネルフの職員が亡くなり、遺体を区別する事は難しいので合同墓地に埋葬されている。
だから墓石は形式的な物であるが、アスカとシンジはそこにミサトの魂が眠っていると考えた。
アスカとシンジは花束をそれぞれ一つずつ持っていた。
一つはミサトの分、もう一つは加持の分だった。
加持の魂はきっとミサトの近くへと帰っている、そう信じたかったのだ。
「僕はトウジの言葉を聞く事が出来て良かったけど、加持さんは弟さんの事でずっと悩んでいたんだね」
シンジは悲しそうな目をして、最後に会った時の加持の言葉を思い出した。
「謝ろうと思っても、相手が居ないって言うのは辛い事よね」
「うん、許してもらえているのか判らないのは不安だよ」
アスカがつぶやいた言葉に、シンジもうなずいた。
シンジは今のアスカなら受け止められると思って加持の子供の頃の辛い体験を明かしたのだ。
セカンドインパクトの混乱の後、孤児となった加持と加持の弟は、施設へと送られたが、世界の混乱は大きく施設もパンク状態だった。
そこで加持達の少年グループは自由を求めて施設を脱走、廃ビルをアジトにして戦略自衛隊の食糧庫から食料を盗んで生き延びていた。
しかしある時、食糧庫に忍び込んだ加持は軍の兵士に捕まってしまう。
食料を度々盗まれて苛立っていた兵士は、銃を突き付けて加持を脅した。
怯えた加持は、仲間の少年グループのアジトである廃ビルの場所を白状してしまったのだ。
その後兵士の隙を突いて脱走した加持が、アジトに戻って見たのは……兵士達に暴行を受けて息絶えた弟達の姿だった……。
「本当、加持さんもミサトも大馬鹿よ! 自分が幸せにならないのが償いだなんて。アタシはそんな馬鹿な大人になんか……なりたくないんだから」
アスカはそう言うと、ミサトの墓石に水を乱暴に掛けた。
礼儀に反する行為だが、それがアスカなりの加持とミサトへの供養なのだろう。
そしてアスカとシンジは墓に向かって手を合わせてしばらくの間黙とうをした。
「また来年会いに来ます、ミサトさん、加持さん」
「じゃあね」
シンジとアスカは生きているミサトと加持に話し掛けるように笑顔であいさつをして墓地を立ち去って行った。
そして新学期が始まってアスカとシンジは新しい中学校のクラスで元気に自己紹介をする。
その姿は過去の罪に悩むエヴァンゲリオンパイロットの顔では無い、どこにでもいる普通の笑顔の中年生の少年少女だった。
No.19 アスカ・スマイル! ~消えたシンジの願い~
来日したアスカが葛城家でミサトとシンジとの同居生活を始めて一ヶ月が経ち、アスカも生活に馴染んで来たと思われた頃。
シンジは最近アスカが学校の帰りに特殊な場所に寄り道をしているのでは無いかと不思議に思っていた。
たまにアスカの携帯電話にかけても繋がらない事があるからだ。
シンジがアスカに尋ねると、アスカは街のカフェに寄る事があり、そこでは一人の時間を邪魔されたくないから携帯電話の電源を切っているのだと答えた。
アスカの答えを聞いたシンジは、アスカはまだ葛城家の自分の部屋でくつろぐ事ができないのかと残念に思った。
またしばらく経ったある日、街でいつもとは違う店まで足を伸ばしたシンジはその帰り道、街のカフェでコーヒーを飲んでいるアスカの姿を見かけた。
シンジはアスカに声を掛けようかと思ったが、そのカフェは本格的なコーヒーショップ風の雰囲気でシンジを圧倒し、またアスカに怒られるのではないかと思い店の前から早々に立ち去ろうとした。
しかし、そのタイミングでアスカと同じテーブルの席に男性が座ったのだ。
シンジは一瞬加持かと思ったが違う男性だった。
「アスカが加持さん以外の男の人と会うなんてどういう事だろう?」
シンジはアスカに見つからないように少し離れた場所にある物陰からアスカと男性の話す様子を盗み見た。
もしアスカがこの男性に何らかの脅迫を受けているとしたら、ミサトや加持に報告して助けなければならない。
しかし男性と話している間に時おり笑みを浮かべるアスカを見たシンジはその考えを捨てた。
アスカは加持さん以外に新しい恋の相手が出来てしまったのかもしれないと思うと、シンジは深いため息を付いた。
この事をミサトや加持に告げ口するのも気が引けたシンジは、この日アスカを見た事は誰にも告げなかった。
それからシンジは時間を見計らってアスカに電話をして通じないのを確かめると、シンジはまたアスカはカフェであの男性と会っているのかとため息を付いた。
だがシンジはアスカの事ばかり気にしてはいられなかった、なぜなら自分にも悩み事が出来てしまったからだ。
次第に近づいて来る母親ユイの命日。
数年前、母親ユイの墓参りで父ゲンドウから逃げ出してしまって以来、サードチルドレンとして第三新東京市のネルフに呼び寄せられるまでシンジはゲンドウと顔を合わせる事はなかったのだ。
ネルフに来てからゲンドウと少しは話す事は出来たものの、二人きりで父親のゲンドウと母親の墓参りに行くのは久しぶりだ。
周囲の人間の邪魔が入らないが、助けを求める事も出来ないわけで、何を話せばいいのかシンジは思い悩んだ。
一番聞きたかったのは自分の母親の事。
実験の失敗によって母親が亡くなってしまったのはシンジが小さい頃に聞いたウワサ通り事故では無く故意に因るものだったのか。
シンジは母親が死んだ時、涙を流して激しく嗚咽するゲンドウの姿を見ている。
だからシンジはゲンドウが愛する自分の妻を殺したのだとは思えない。
そしてしばらくシンジ達の前から姿を消したあの時からゲンドウは変わってしまった。
自分に向けてくれた不器用な優しさがこもった微笑みは無くなり、サングラスで目を隠し石像のように冷たい表情をするようになってしまった。
その一方で、シンジの母親の命日が近づくにつれて緊張感を増しているのはアスカだった。
アスカはその日を自分の復讐を実行する絶好のチャンスだと少し前から計画を練っていた。
アスカの計画……それは自分の母親を奪う原因になったゲンドウを殺す事。
自分の母親が死んだのが事故では無く故意によるものだとアスカが知ったのは少し前の事だった。
シンジの母親であるユイ博士が実験の結果エヴァンゲリオンに飲み込まれてしまったのはネルフの幹部の間では知られていた。
皮肉なのはその実験の失敗の結果、未完成だったエヴァンゲリオンのコアが完成してしまった事だった。
そしてドイツ支部でも建造中のエヴァンゲリオンのコアを仕上げようと、アスカの母親であるキョウコ博士に同じ実験を行ったのだ。
ドイツ支部でも実験は失敗したと言われていたが、それはキョウコ博士の精神だけしか飲み込まれなかったという意味での失敗だった。
アスカがこれらの情報を知っていたのはカフェで接触していた男性から話を聞いたからだ。
彼はアスカが知っているドイツ支部の職員で、最初はアスカにエヴァンゲリオンに隠された秘密があるので真実を話したいと持ちかけた。
しかし巧妙な手を使った彼はある意図を持ってアスカに近づいていた。
彼はドイツ支部での実験はネルフ本部の実験データに基づいて行われ、ドイツ支部は騙される形になったとアスカに吹き込んだ。
冷静になって考えてみればそれが策略だと感づいたのかもしれないが、衝撃の事実を聞かされたアスカは平常心を失いゲンドウに殺意を持つように誘導されてしまった。
すなわち、アスカの母親が命を落としたのは全てゲンドウのせいだとアスカは思い込んでしまったのだ。
そしてカフェでの密談を重ねていくうちに、ゲンドウ殺害に向けた具体的な計画は練られて行った。
ネルフの司令であるゲンドウは普段からガードが堅く、急襲しても返り討ちにあってしまう。
しかしゲンドウがガードを自分から遠ざけ、一人きりになる時がある。
それは自分の妻であるユイの命日に墓参り行く時だ。
でも怪しい人物が墓地へと侵入すれば、周囲のガードは警戒してゲンドウの護衛へと向かうだろう。
だが鋼鉄のセキュリティの盲点となる人物は二人居る。
それは一緒に墓参りに行く事になるシンジ、そしてアスカだ。
実はアスカの母親である惣流家の墓も碇家と同じ霊園にあった。
計画ではアスカは偶然その日に自分の母親の墓参りに行く事を思い立ち、墓参りの品に紛れて小型の拳銃を持ち込んで霊園に潜入する。
そしてゲンドウをその拳銃で撃つ段取りになっていた。
エヴァンゲリオンのパレットガンを使いこなすために拳銃の取り扱いの訓練を受けていたアスカだが、実際に人を撃つのは初めてだ。
恐怖は燃え上がる復讐心がかき消してくれた、むしろ興奮するような喜びが湧きあがって来る。
だがアスカにとって気がかりなのはシンジの事だった。
憎むべき仇の息子とは言え、シンジの目の前でゲンドウを撃ってしまうのは心が痛んだ。
そこでアスカは挑発してさりげなくシンジを墓参りに行かせないように仕向けようと画策する。
「シンジ、今度の日曜日に司令と一緒にお墓参りに行くんでしょう?」
「え、何で知っているの? ミサトさんだな、相変わらず口が軽いんだから」
不思議そうにつぶやくシンジに、アスカはホッとしながらも慎重に言葉を選ぶ。
「司令が苦手ならさ、無理して一緒に行かなくても良いと思うけど」
「うん、だけど僕もこの機会に父さんと向き合ってみようと決めたんだ」
前向きなシンジの言葉に、アスカは面喰ってしまうと同時に困ってしまった。
それでもアスカは何とかシンジに墓参り行きを思い止まらせようと考えを巡らせる。
「と、とにかく、あんな司令みたいな人間と話し合おうなんて無駄よ!」
「おかしいよアスカ、父さんから逃げずに向き合うように励ましてくれたのはアスカじゃないか」
「そ、そうだったかしら?」
アスカが行くのをやめるように勧めてもシンジは折れなかった。
これ以上強引に説得しようとすると、シンジに感づかれてしまうかもしれない。
シンジの墓参り行きを止められなかったアスカは自分の部屋に戻ると深いため息をついた。
しかし計画を中止するわけには行かない、ゲンドウがガードを遠ざけるめったにない襲撃のチャンスなのだから。
そしていよいよシンジがゲンドウと墓参りに行く運命の日がやって来た。
ここ最近シンジは元気の無い様子で今朝も暗い表情をしていたが、アスカはゲンドウと一緒に墓参りに行く事で緊張しているからなのだと思った。
ミサトは加持とリツコと共に友人の結婚式に招かれているようで、やっかいな障害がまた一つ消えた。
葛城家の玄関を出て行くシンジとミサトを見送ったアスカはゲンドウ襲撃の準備をするために自分の部屋へと戻った。
まずは机の引き出しの箱の中に入れていた拳銃を取り出して確認する。
この拳銃は少し前にドイツ支部の男性から渡されたものだ。
忘れないように手荷物のバッグの中に入れた。
墓参り用の花などは行きに買って行く事にした。
着替え終わったアスカは自分の姿を鏡に映してみる。
この前親友のヒカリと一緒に選んで買った新しい服のはずなのに、色あせて見えた。
理由は分かっている、着ている自分自身がすさんだ雰囲気に包まれているからだ。
アスカは自分の部屋をぐるりと見回す。
母親からもらったサルのぬいぐるみ、お気に入りの黄色いワンピース、壱中の文化祭でシンジ達の『地球防衛バンド』と一緒に撮った記念写真が目に入る。
ゲンドウの殺害が成功しても失敗してもアスカは二度とここには戻って来れない。
しかし、アスカには迷っている時間は残されていなかった、すぐにシンジの後を追いかけなければゲンドウがガードから離れるタイミングを逃してしまう。
「さよなら」
アスカは別れの言葉をつぶやいて自分の部屋を出たが、驚きのあまり目を丸くして息を飲んだ。
葛城家の居間には外に出掛けたはずのシンジとミサトが立っていたのだ。
「シ、シンジもミサトも忘れ物でもしちゃったの?」
平静を取り繕ってアスカが尋ねると、シンジは真剣な表情をして首を横に振った。
そしてアスカの瞳をじっと見つめアスカの持っているバッグを指差して言い放つ。
「アスカ、お願いだからそこに入っている拳銃を渡してくれないかな?」
「な、何を言っているの、それよりも早く行かないとシンジもミサトも遅刻しちゃうわよ」
とぼけてシンジ達を送り出そうとするアスカに向かって、ミサトも声を掛ける。
「信じにくい話だろうけど、ここに居るシンジ君はさっき家を出てお墓参りに行ったシンジ君じゃないの。彼は未来の時間からやって来たシンジ君らしいのよ」
「はあっ!?」
「まあ、私も家を出た所でこのシンジ君から聞いた時は与太話だと思ったわよ。だけど、確認してみるとシンジ君は司令の所へ向かっている途中みたいなのよ」
驚きの声を上げるアスカにミサトはそう答えた。
早く墓参りに向かったシンジの後を追いかけないとゲンドウを撃つチャンスが無くなってしまうとアスカは気が付いた。
しかし、目の前には未来の世界から来たと言うシンジと、呼び止められて帰って来たミサトが立ち塞がっている。
追いつめられたアスカはバッグから拳銃を取り出してシンジ達に向かって狙いを定める。
「撃たれたくなかったら退いて、アタシはママの仇を討たなければならないのよ!」
「まだそんな馬鹿な事を言っているの!?」
「だって、ゲオルグさんはママがおかしくなって死んじゃったのは司令のせいだって……」
ミサトに言い返されたアスカは、目に涙を浮かべてそう訴えた。
「アスカのお母さんがエヴァに取り込まれてしまったのは確かに事故じゃないわ。でもその罪は危険な実験を見過ごしたネルフに関わる私達大人全員が背負うべきものよ」
ミサトに正論を指摘されたアスカに迷いが生じた。
ゲオルグに言われた時は全てゲンドウが悪いのだと思い込み、その他の可能性を疑いもしなかった事に気が付いたのだ。
「だから復讐をするのなら、まず私を撃ち殺してから行きなさい」
「そんな……やっぱりミサトを撃つ事なんてできないわよ……」
アスカは苦しそうな顔をして構えていた拳銃を下げた。
「アスカが司令を撃ったら、アスカはシンジ君からお父さんを奪ってしまう事になる、それはアスカが憎んだ司令と同じになってしまうって事なのよ」
ミサトの言葉にアスカは目を見開いた。
そして、ゆっくりとした声でシンジに尋ねる。
「ねえ、シンジの居た未来ではアタシは司令を撃ってしまったの?」
「うん」
シンジは辛そうな顔をしてうなずいた。
「それで……アタシはどうなったの?」
「父さんの命は助かったけど、人を撃ってしまったアスカは表情を全く無くした人形のようになってしまった。そして、僕がいくら願っても決して笑ってくれないんだ」
そこまで話したシンジは耐えきれずに涙を流し始めた。
「……アスカの復讐は今までの生活、そして『笑顔』を捨ててまでやる価値のある事なの?」
「ううん、そんなはずは無いわ」
アスカはミサトの質問にそう答えて、ミサトに拳銃を渡した。
すると、シンジの姿は淡い光に包まれる。
「どうしたのよ、シンジ!?」
「未来に存在する可能性の無くなった僕は消えるんだ……さよなら、アスカ」
「ありがとうシンジ、アタシはアンタが消えても忘れないから……」
その言葉は届いたのだろうか、アスカの目の前に立っていたシンジは笑みを浮かべながら跡形も無く消えた。
「……ゲオルグさんは?」
「加持が追跡中よ」
「そっか」
「私は結婚式に行くけど、アスカのやるべき事は分かっているわよね?」
「うん」
ミサトに言われて、アスカはうなずいた。
その日のお昼過ぎ、墓参りを終えて家に帰って来たシンジをアスカは玄関で出迎える。
「シンジ、おかえり。司令とのお墓参りはどうだったの?」
「うん、少しだけど父さんと話す事が出来たんだよ」
「そう、良かったじゃない」
シンジの答えを聞いたアスカは笑顔を浮かべた。
それは久しぶりに見る明るい笑顔だとシンジは感じた。
最近のアスカは思い詰めた顔をしていてシンジは心配していたのだ。
悩み事が解決したのだろうか、それにしてはアスカの笑顔がまぶしすぎる。
そうか、アスカは委員長と出かけて新しい服を買ったのだから上機嫌なのか。
シンジはそう考えて納得した。
アスカが笑顔を取り戻した理由をシンジは何も知らない。
だけど、アスカはそれでも構わないと思った。
もう未来から来たシンジが居ない今、シンジに話しても混乱させるだけだ。
アスカは心の中で未来のシンジにもう一度お礼を言って、元気いっぱいの笑顔でシンジに昼食のおねだりをするのだった。
No.20 LAS短編ごった煮ダイジェスト
1 不器用な告白
「ミサトどうしたのよ、そんなに頭を抱えて?」
ミサトの執務室を訪れたアスカは、困った顔をして頭を抱えてしまっているミサトを見て声を掛けた。
「手帳に書いたスケジュールや報告用のレポートがね、消えてしまったのよ」
そう言ってミサトはアスカに真っ白になった手帳のページを見せた。
「どうしてこんな事になったの?」
「それがね、リツコに擦ると消えるボールペンって言うのを貰ったんだけどさ」
ミサトはアスカの目の前でメモ帳の切れ端にボールペンで文字を書くと、文字を擦った。
すると、文字は綺麗に消えて無くなった。
「ふーん、面白い仕組みじゃない」
「摩擦の熱で消えるらしいわ。でも耐熱装備の実験棟から戻って手帳を開けたらこの有り様よ」
ミサトの答えを聞いたアスカはポンと手を叩く。
「それなら、冷やせば文字が出て来るんじゃない?」
「ナイスアイディア、アスカ!」
ミサトは指を鳴らして、手帳をビニールに包んでビール用の冷蔵庫の冷凍庫の中に入れた。
そしてしばらく待って取り出すと、見事に手帳に書かれた文字は復活したのだった。
「やったわアスカ、ありがとう!」
ミサトはアスカを抱き締めて大喜びした。
「苦しいってば」
「あ、ごめんごめん」
ミサトは軽く謝ってアスカの体を解放した。
ボールペンに興味を持ったアスカは、ボールペンを手にとってミサトに尋ねる。
「ねえ、このボールペン、貸してくれない?」
「いいわ、どうせならそのボールペンはあげるわよ。仕事の邪魔になりそうだし」
「へへっ、何に使おうかしら」
ボールペンを入手したアスカは嬉しそうにつぶやいた。
家に戻ったアスカはボールペンの使い道を考えていた。
「驚かせる相手と言えば……シンジよね」
そうつぶやいてアスカはどうしてシンジが相手なのだろうと考えた。
ミサトの家でシンジと同居するようになってから、何かと言えばシンジの事が思い浮かぶ。
どうして最近はシンジがこんなにも気になるんだろう、とアスカは思った。
あんなに好きだった加持さんよりも、と。
アスカは、シンジの居ない生活を考えてみる。
そうすると、アスカは世界が色を失ったような感覚になった。
「アタシ、シンジの事が好きになってしまったのかもしれないわ……」
胸に手を当てたアスカはそうつぶやいた。
そして、勇気を出してシンジに手紙を書き始めた。
顔を合わせると照れ臭くて言えないシンジへのたくさんの「ありがとう」の感謝の言葉。
しかし、最後に「シンジが好き」と書いてしまったアスカはやはり照れ臭くなってしまった。
部屋を出て台所に行くと、レンジの中に手紙を入れて加熱する。
「アスカ、何をしているの?」
背後からシンジに声を掛けられたアスカは驚いて跳び上がった。
何と間の悪い事にミサトも一緒に家に帰って来たのだ。
「ダメじゃない、レンジにこんな物入れてイタズラしちゃあ」
そしてアスカの手紙はニヤケ顔のミサトに取り上げられてしまった。
「あらあら、こんなに熱くなっちゃって。これは冷やさないとね!」
「やめてっ、ミサト!」
シンジはアスカとミサトのやり取りの意味が分からずボーっとしている。
「あ、アタシ、ちょっと外の空気を吸ってくる!」
「アスカ?」
顔を真っ赤にしたアスカは慌てて葛城家を飛び出した。
そして、しばらくした後。
家に帰り辛くて公園のベンチに座っていたアスカの前に、迎えに来たシンジが訪れたのだった。
2 アスカとシンジがPSPソフト『空の軌跡FC』をプレイしました
ある日の夕方、葛城家の台所で料理をしているシンジの所へ、アスカが笑顔で帰宅する。
「シンジ、ゲーム買って来たわよ!」
「そう、良かったね」
シンジは大した関心が無いようにアスカに答えた。
アスカがゲームを買ってくる事は今に始まった事ではない。
新しい対戦ゲームを買って来てはアスカはシンジを叩きのめすのだ。
「シンジ、負けてばかりだからってそんなに嫌がる事は無いじゃない」
「だって、アスカは学校でも携帯ゲーム機で練習をしてずるいじゃないか」
「今日はその心配は無いわよ」
そう言ってアスカはシンジに買って来たゲームを見せる。
PSPソフト『空の軌跡FC』、日本ファルコムから発売されたRPGゲームだ。
PC版は高価だったが、PSP版はThe Best版も出ていて税抜き2,800円と発売当初よりかなり安くなっている。
「珍しいね、アスカがRPGを買うなんて」
「表紙に書かれているキャラクターがシンジそっくりに見えたから何となく放っておけなくてね」
それはすなわちシンジの事も放っておけないと言う意味になってしまうのだが発言したアスカも鈍感なシンジもスルーした。
アスカに言われてシンジは空の軌跡FCのパッケージの表紙を見た。
真ん中に描かれている元気いっぱいの主役の少女を見守るように、右の方に黒髪で琥珀色の瞳をした少年が描かれている。
確かに言われてみれば自分に容姿が似ているような気がした。
「そうだね。でもアスカ、RPGはクリアーするのに長い時間がかかるよ?」
「うん、だからシンジがクリアーしてよ」
「ええっ!?」
「アタシはこのシンジに似たヨシュアってキャラが、このエステルって女の子とどうなるか知りたいのよ。まあどうせエンディングではくっついているんだろうけどね」
「冗談じゃないよ、僕はそんなにゲームをやる時間は無いよ」
家に帰ってもシンジには葛城家の家事と言う仕事があるのだ。
しかし、アスカはシンジにプレイを強要する。
「家事の合間にやれば良いじゃない、アタシも手伝うからさ」
こうしてシンジはアスカに巻き込まれる形で『空の軌跡FC』のプレイをする事になってしまった。
ゲームを開始すると、家で父親の帰りを待つ11歳のエステルの所へ父親のカシウスがヨシュアを連れて帰ってくるシーンがオープニングとして始まる。
「ふーん、同じ家で同居する事になるのか、アタシとシンジみたいね」
「僕達の場合はアスカが押しかけて来たんじゃないか」
「うるさいわね」
連れて来られたヨシュアは怪我をしていたのでベッドに寝かされたのだが、目を覚ましたヨシュアに対してエステルはヨシュアが口答えする度に叩いたりする。
「ヨシュアの気持ち、僕にも解る気がするよ」
「アタシが暴力的だって言いたいの!?」
「痛っ、今だって僕を叩いたじゃないか」
ヨシュアがエステルに名前を言った所でエステルとヨシュアが出会った10歳の頃の回想が終わった。
場面が切り替わり、16歳になったエステルが自分の部屋で目を覚ますシーンになる。
着替えたエステルが2階のベランダに出ると、ヨシュアがハーモニカを吹いていた。
しばらく聞いていたエステルは演奏が途切れた所で拍手をする。
「シンジも毎朝、チェロを弾いてみない? そうすれば、アタシも気持ち良く目が覚めると思うのよね」
「徹夜明けで寝ているミサトさんまで起こしちゃうよ。それにアスカは体を思いっきり揺さぶらないと起きないじゃないか、夜中までゲームのやりすぎだよ」
シンジの指摘にアスカはほおをふくれさせた。
場面は父親のカシウスの作った朝食を食べるシーンへと移行する。
どうやらエステル達は3人の当番制で料理を作っているようだった。
「アスカが料理を作ってくれれば、僕も朝にチェロを弾く時間ぐらいは持てるかもしれないんだけどね」
「解ったわよ、でも当番制って事はミサトも料理をするってわけね」
アスカの言葉を聞いたシンジは青い顔になる。
「や、やっぱり僕が料理を引き受けるよ」
「え?」
シンジの態度にアスカは不思議そうに首をひねった。
エステル達の朝食を食べながらの会話によると、エステルとヨシュアは今日これから『準遊撃士』になるための試験を受けるのだと言う。
『遊撃士』とはトラブルの解決屋のような職業で、治安維持活動が中心の兵士達よりも街の住民に密着した活動をしているので、街の少年少女の憧れの的になっている。
16歳になったエステルとヨシュアは法律により遊撃士の見習いに当たる準遊撃士になるための試験の受験資格を得たのだった。
今日の試験に受かれば父親のカシウスと同じ遊撃士になれると言うエステルに、カシウスは茶化しながらまだ自分に並ぶのには遠いと語った。
カシウスはエステル達が住んでいる大陸に数人しか居ないSスペシャルクラスの遊撃士なのだ。
「街の少年少女の憧れの職業だなんて、アタシ達チルドレンみたいじゃないの」
「だけど、凄い父さんが居るなんて大変そうだね」
シンジは自分が父ゲンドウのコネクションでチルドレンになれたのだとウワサされているのを知っていた。
また自分が頑張って使徒を倒しても、司令の息子だから当然だと言われる事を悲しく思っている。
偉大な父親のプレッシャーに押しつぶされずに前向きに振る舞うエステルをシンジはうらやましく思った。
朝食を食べ終えたエステルとヨシュアは父親のカシウスに見送られて、遊撃士のギルドがあるロレントの街へと向かった。
ギルドの顔を出したエステルとヨシュアは、『準遊撃士』になるための試験を仕切る試験官である遊撃士シェラザードに朝のあいさつをする。
シェラザードはカシウスに指導を受けた若い女性遊撃士で、エステルとヨシュアに対して姉のように遊撃士になるための指導を行って来ていた。
「なんか、シェラザードってミサトみたいね」
「僕もそう思ったよ」
アスカの意見にシンジも同意した。
そしてエステルとヨシュアは怪物を蹴散らしながら街の地下水道の奥に置かれた箱の中身を取って来ると言うシェラザードの課題をクリアーし、晴れて試験に合格して準遊撃士のバッジと資格を手に入れた。
エステルとヨシュアが試験を終え帰宅しようとすると、街の子供達が迷子になってしまったという事件が起きたが、カシウスの救援もあり事件は無事解決した。
そして帰宅して夕食を食べている時に父親のカシウスから遊撃士の大仕事の要請が入り、しばらく地元のロレント街を離れる事になったと聞かされる。
カシウスは自分が引き受けていた地元ロレントでの仕事の内、難しい仕事はシェラザードに任せるが、簡単な仕事はエステルとヨシュアに任せたいと提案した。
エステルとヨシュアはこのカシウスの提案を喜んで受け入れ、次の日から準遊撃士としての活動を始めた。
「何か、ありきたりな展開になって来たわね」
「最初の方なんだから仕方が無いよ」
アスカが退屈そうにため息をつくと、シンジがたしなめた。
「アタシ眠くなっちゃった、後はシンジが進めておいて」
「そんなあ」
シンジの抗議の声も空しく、アスカは居間を出て行って自分の部屋へと入って行ってしまった。
ブツブツ言いながらシンジはしばらくゲームを続行した。
『空の軌跡』はサブクエストと言う本筋とは関係の無い話をこなして行くうちにレベルが上がるので経験値稼ぎ作業をさせられている感じは薄かった。
次の日アスカとシンジは夕食後、居間で再び空の軌跡のプレイを再開した。
昨夜シンジがプレイを進めただけあって、エステルとヨシュアは父親のカシウスから任された依頼を全てこなした場面になっていた。
ギルドで新たな仕事を受けようとしたエステルとヨシュアの元に、息を切らしたロレントの市長が飛び込んで来る。
市長邸に強盗が押し入り、金庫に入っていた宝石が奪われる事件が発生したのだ。
シェラザードはエステルとヨシュアに市長邸の調査をするように命じ、プレイヤーであるアスカ達にも犯行の状況を推理させる場面が三択形式で出題された。
アスカは見事に四問の問題全てに正解し、シンジは感心して賞賛の拍手をする。
「凄いアスカ、一発で正解するなんて」
「ふふん、アタシにかかれば余裕だわ」
空の軌跡ではBPブレイサーポイントと呼ばれるものがあって、これが溜まるとエステルとヨシュアの遊撃士のランクが上昇する。
プレイヤーの行動によってはBPに加算ボーナスが付いてエステルとヨシュアの遊撃士ランクが早く高くなる。
完璧主義のアスカはこのBPに関してもこだわりを持っていた。
市長邸での調査を終えたエステルとヨシュアはシェラザートと共に犯人の追跡に移る。
そしてついにロレントの街の南にあるミストヴァルトの森の奥で犯人である女盗賊ジョゼットと空賊の一味を発見した。
ジョゼットは仲間である空賊の一味と、エステルの悪口を話している。
物影に隠れていたエステルだが、ヨシュアに止められたにもかかわらず飛び出してしまった!
「アスカ、エステルが飛び出しちゃう選択肢を選んだらボーナスBPがもらえないじゃないか」
「ジョゼットに馬鹿にされて腹が立ったんだもん……」
アスカはあわててPSPを再起動してゲームをやり直した。
どうやらアスカもエステルは自分の分身のように感情移入し始めてしまったようだ。
シンジもヨシュアになりきってエステルにツッコミを入れているように息が合って来た。
「でも、アスカはどっちかと言うとエステルよりジョゼットの方に似ている気がするけど」
「あ、あんですってー!? アタシのどこがあの生意気そうなやつに似てるって言うのよ!」
「分かったよ、言い過ぎたよ、ごめん!」
アスカとシンジの間で内輪もめが起こり、ゲームはしばらく中断した。
そしてジョゼットと空賊一味を戦闘で倒し盗まれた宝石を取り戻したエステル達だったが、突然空賊の小型飛行艇がや飛んで来てジョゼット達に逃げられてしまう。
犯人は逃してしまったが、強盗事件はこれで解決した。
エステル達が遊撃士協会で事件の報告をしているとさらなる事件を知らせる通信が入る。
何と出張していたエステルの父親カシウスが飛行船ハイジャック事件に巻き込まれて音信不通になってしまったのだ。
だが前向きなエステルは自分の手で事件を調べると決意し、事件の起こった街、ボース市へ行く事にした。
ロレントの街を旅立つ前、エステルはヨシュアに街の中心にある時計台に登りたいと提案した。
ヨシュアはいつも時計台に登りたくないのにどうして、と尋ねるとエステルは自分の母親がこの時計台で命を落とした事件について語った。
エステルの母親は崩壊した時計台のガレキから幼いエステルを守り、幼いエステルの目の前で息絶えたのだ。
その回想シーンを見たアスカは目の端に涙を浮かばせた。
ゲームの中でヨシュアがエステルを励ますと、アスカは自分の涙をごまかすかのように、おどけてシンジに声を掛ける。
「シンジもヨシュアみたいに懐の広い男になりなさい」
「どうして?」
「そりゃあ……エステルみたいにママを失った女の子に会った時に優しく包み込んであげるためよ」
アスカは少し顔を赤らめてシンジの質問に答えた。
シェラザードの助力もあって、エステルとヨシュアはボース市で起きた飛行船ハイジャック事件を解決し、父カシウスの無事も確認できた。
受け取った手紙によるとカシウスはハイジャック事件に巻き込まれる前に飛行船を降り、今は外国に居るらしい。
カシウスが家に帰るまで数ヵ月はかかりそうだと言うと、エステルとヨシュアはシェラザードと別れ遊撃士として経験を積むために国内の都市を巡る旅を続ける事にした。
エステルは旅を続けるうちにヨシュアを異性として意識し始め、きっとエステルとヨシュアはカップルとして結ばれるのだとアスカとシンジも思っていた。
アスカもエステルの真似をしてシンジに「あーん」をして食べさせてもらうなど、空の軌跡のプレイを明るく楽しんでいた。
しかし旅の果てに仲間達と力を合わせて大きな事件を解決した後。
夜中の大きな城の庭園で、ヨシュアがエステルに自分の過去を含めて全てを告白した場面を見終わったアスカとシンジは衝撃を受けた!
「何でヨシュアはこんな自分勝手な事が出来るのよ、これじゃあエステルがかわいそうじゃないの!」
「僕に言われたって困るよ!」
アスカはまるで自分が辛い目にあってしまったかのようにシンジの胸倉をつかみ上げ、感情が高ぶり涙を流し始めた。
「ほらアスカ、『空の軌跡SC』って続編があるみたいだしこれで終わりじゃないみたいだよ」
「それなら、すぐに『空の軌跡SC』を買って来なさい!」
「えっ、でももう外は暗くなっているし、明日の放課後に買いに行けばいいじゃないか」
「こんな憂鬱なエンディングを見せられたのよ!」
涙を流すアスカの姿にシンジも逆らい切れず、すぐに『空の軌跡SC』を買いに家を飛び出した。
それからアスカとシンジは続きが気になって睡眠時間を削って『空の軌跡SC』のプレイをする事になる。
慢性的な寝不足になってしまったアスカとシンジは集中力が低下し、学校のテストの成績がさらに悪くなったことでミサトに叱られ、シンクロテストの成績が悪くなった事でリツコに怒られるのだった。
3 アスカがドイツに帰るって!?
使徒との戦いが終わっても、アスカが日本に残ってくれると聞いた時は、僕はとても嬉しかった。
きっと日本に居れば委員長やミサトさんと一緒に居られるからだろう、でも理由はそうだとしても構わない。
僕がアスカの傍に居られる事には変わりが無いんだから。
小さい頃から独りに慣れてしまっていると思っていた僕だったけど、アスカと一緒に居ると心が満たされる気がするんだ。
「あのね、シンジ。アタシ、ドイツに居るママの所へ帰ろうと思うのよ」
アスカに打ち明けられた僕は、耳を疑った。
「いつ……?」
「今度の連休よ」
「そんな急に!?」
アスカの返事を聞いた僕は、胸をえぐられる思いがした。
でも、アスカがお母さんと一緒に暮らしたいと思うのは当然の事だ。
僕には引き止める権利なんて無い。
「そう……良かったね」
僕は気力を振り絞ってアスカに微笑むと、逃げる様に自分の部屋へ入った。
明りの点いていない部屋は、まるで今の僕の心の中を表して居るかのようだった。
深い悲しみに捕らわれた僕の目から涙があふれだして止まらない。
ダメだ、こんな顔をアスカに見られたら……!
でも、今夜一晩ぐらいは泣いても構わないよね。
「シンジ、明りも点けないでどうしたのよ?」
突然、部屋のドアをアスカに開けられて僕は驚いて叫んでしまう。
「アスカ!?」
「アタシがドイツに帰るのは、連休中の数日だけよ」
「そうなんだ、良かった」
アスカの言葉を聞いて誤解が解けた僕は、心の底からホッとしてため息を吐き出した。
「怒ってないの?」
「僕が勝手に落ち込んだだけだよ」
「紛らわしい言い方をして、シンジを試したアタシが悪かったわ!」
アスカがそう言った後、僕の頬に柔らかい感触があった。
暗くて見えなかったけど、これって……キスされたんだよね。
「おやすみ」
アスカがそう呟いて立ち去った後、舞い上がってしまった僕は、興奮してその夜はなかなか眠れなかった。
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