異世界、それは架空の世界。
私達は架空の世界を考え、それに想いを馳せる事でその世界を観測しています。
しかし架空の世界に生きる彼らが、観測されている事を知覚しているかどうかを証明する術はありません。
また、私達が観測されているかどうかについても証明する術はありません。
ですが、これは単なる詭弁。その前提には「世界を渡る者の不在」という仮定が存在するのです。
ただし前提の否定、「世界を渡る存在の証明」が困難な課題である事は確かでしょう。何せ世界を渡る存在が稀有、仮にいたとしても一方通行の者が多いのですから。偶発性に依るのであれば、証明に使えぬのは道理です。
私達の立ち位置は単純、世界に属する者でしょう。如何に要素が変わろうとも、秩序に、法則に、世界は縛られているのです。そして縛られた世界でしか、私達は生きていく事が出来ないのですから。
「……長々と何が言いたい?」
「詩の様な物です、どう受け止めるかは各々次第でしょうがね。ともかく総括と参りましょう。」
三人の来訪者は廃城にて語り合う。その地は幾多の魔物の総本山、今は亡き魔王の治めた地、名を魔王城。
その荘厳にして邪悪な佇まいは、しかし残骸と成り果てた城には残ってはいない。尤もベルズの城のように風化し、城があった事だけを想起させる様な瓦礫だけが並ぶ地では無い。魔王と勇者が衝突した時に壊れた故に、城はまだその有り様を辛うじて残していた。
『アノン殿、勇者一行は王国に送り返したのですか?』
「ええ、彼らには彼らの旅路がまだあるでしょう。旅路は一時交わったに過ぎませんので。」
アノンの服や杖には損傷がなく、先程の戦いの爪痕は残っていない。しかしベルズに無言で軽く叩かれた痕はシルクハットの歪みとして現れている。
「総括というのなら、貴様らは奴らと相対して何を感じた?」
『ハロルド殿ですか?頑固であった事は間違いありません!しかし戦士であるのですから頑なで、固まったその在り方は相応しいと言っても過言はないでしょう!そういう意味でも強敵でしたね!』
興奮するようにそう捲し立てるレグルス。鎧の中の配線に光が駆け巡り、周りが少し明るくなる。
「我輩の相手はニコラとフィネ……だが戦ってはおらん。」
「そうなのですか?」
「魔法使いと僧侶を相手に、近接戦で戦うのは無粋であろう。命を賭けた試合であればまだしも、単なる手合わせでそれは公平ではあるまいよ。」
対してベルズは落ち着きながらそう話す。片手に持っていた壊れた王冠を眺め、それを瓦礫の上にゆっくりと置いた。
『律儀ですね!』
「少なくとも、未熟者では無かった。芯に殺意さえ持っていれば、我輩といえども屠られていたかもしれぬな。それ以上言う事はないが……ところでアノン、貴様よりにもよって認識阻害を解除しておらんかったな?」
少し空気が震える。但し含まれていたのは怒りというより呆れが大半。威圧というよりは疑問の延長線上の様な気配。
「まぁその話は追々。シンシアさんはそうですね……勇者であったのならば勝ちの目は無し、あの状況でも試合が続けばいずれ負けていたでしょうね。」
レグルスが首をかくん、と横に傾ける。
『……私は瀕死で抑えたので、ほぼ勝ちでしたよ?』
意訳すると、貴方ともあろう方が勇者シンシアに負けかけたのですか?となる。その様子を見て、ベルズも思い出し同調するかの様に尋ねる。
「忘れていたぞ、何故勇者の旅路に積極的に介入しなかったのかが疑問だったのだ。道中でも、敵としてなら立ちはだかれたであろう?あのタイミングで挑んだ理由は何だ?貴様は役目が如何とか言っておったが……」
「物語が終わっていたから、ですよ。」
『物語?』
アノンが片手に持った杖をくるりと回す。こつん、と杖が地面にぶつかり軽く音を立てると、彼の言葉を捕捉するかの様に絵が現れる。
「この世界における物語は、『勇者が魔王を打ち倒す』です。ですから魔王を倒した時点で、勇者シンシアは勇者ではなくただのシンシアという一人の女性になっていた訳です。」
「……それは唯の言葉遊びであろう。」
ベルズは即座に否定した。彼の言う通り、称号というのは言葉遊び。在り方から規定されるものであり、在り方を規定するものではない、と。
「ですが真に恐ろしいのはそこです、良いですか?『
『冗談ですか?』
「であればあそこまで面倒な手順は取りません。勇者が道中で敗れる事は無い、何故なら魔王を倒すのは勇者だから。まるでゲームの中の世界ですね。」
レグルスは首を振る。″理解不能″というより、″理解拒否″。訳が分からないではなく、訳が分かりたくないという事だろう。
「ではその『物語』はどう判別した?勇者の『物語』が終わったという保証は何処にあったというのだ?」
「状況証拠です。勇者が魔王を倒すのはまぁそういうものだ、と受け入れられます。ですがそれが数百回と続けられてきたとしたら?」
アノンはこの世界の歴史を紐解いて行く内に、一つの答えを見つけた。魔王を倒す勇者の物語が継続してきたのだとしたら、勇者が敗北した事はなかったのか?
『……あり得ませんね。』
そう、あり得ない。しかし結論から言えば。
「あり得たのですよ、この世界では。そしてその後、英雄達は気ままに生き死んで行く。だからこそあのタイミングの手合わせとなった訳です。しかしそれでもシンシアは強かった。……物語だったからではなく、彼女は本当に強かったのでしょうね。」
アノンはしみじみとそう呟く。勇者シンシア。快活、純真、猪突猛進な英雄。運命に規定され、それでも運命に従うのではなく運命を選び取った少女。
「……そう、か。」
「質問は終わりましたか?問題が無ければ軽く休憩を済ませ、次なる世界へと参りましょう。」
立ち上がったアノンにベルズが人差し指を指す。
「最後に一つ。」
「何でしょう?」
少し間を開け、ベルズは尋ねた。
「魔王は……魔王の敗北は、役割に沿ったものだ。ならば、お前は魔王が行なってきた全てが無駄だったと思うか?どうせ負けるのなら努力は無意味だったと、そう思うか?」
一瞬の沈黙。
「──思いません、決して。物語も、役割もこの世界にはある。或いは魔王という存在は引き立て役で、全ては無意味だったのかもしれません。」
「しかしそれでも、彼の王は存在しました。忌み嫌われ役割に囚われた王の物語は、私達が引き継ぎます。決して忘れる事のないように、
「ベルズ。もう出発しますが、よろしいのですか?」
「何がだ?」
「彼の王への手向けの言葉です。あそこに居たのでしょう?」
「さてな、だがどちらでも変わるまい。我輩達が忘れなければ良い、それだけだろう。」
「……野暮な質問でしたね、では行きましょうか。」
勇者の旅路。
シンシアが、ハロルドが、ニコラが、フィネが歩み、紡ぎ、踏み進めてきた
三人の来訪者はその旅路を追憶する。彼らの結末は未だ訪れず、未来はどう広がるか分からない。
だが、一つ言える。
世界は平和になったのだ。
ハッピーエンドであったのだろう。
そして、三人の旅路は続く。