『……』
低い電子音が鳴る。辺りは先程までの暗い世界とは打って変わり、照明が部屋を隅々まで照らしている。定期的に響くのは機械の駆動音、そして主人を失った都市の鼓動。
レグルスの視覚機能が程なくして復活すると、そこは研究室。この世界の最先端であり人の叡智の終着点。そして彼にとっての始まりの場所であり忌避の象徴。
「おはようございます。寝覚めは如何ですか?」
声をかけられ、レグルスは驚いて背後を振り返る。声の主、来訪者アノンは白い椅子に座りながらレグルスを見据えていた。そして机を挟んで座っていたのは来訪者ベルズ。忙しなく辺りを見渡す様は滑稽に見える。
『悪くはありませんが……確かベルズ殿でしたか。あれは隠し球でしょうか。』
それは彼を屠った拳、しかし初めに受けた拳とは明確に違う。端的に言えばベルズをしっかりと捉えていた彼でも反応出来ない、残像を伴うような加速。そして合金の鎧を軽々と砕き割る剛力。それらを伴った一撃。
「そう大それた物ではなく、緩急をつけていたに過ぎん。全力を以って勝つ為ならば、策の一つも弄さねば無謀であろう?」
そう言いながら、ベルズは機械の駆動音にリズムを合わせて関節を鳴らす。リズムは合っていない。それに反応してアノンはベルズの方を向き直った。
「何にせよやり過ぎです。レグルスは完全に破壊されていましたし、実際にそのつもりで拳を振るったでしょう?」
「生憎だが我輩は手加減が苦手でな。それに貴様が止めなかったという事は、結局こうなる事が分かっていたという事であろう?」
アノンの背後から金属音が鳴った。ふらつく脚でレグルスは立ち上がり、アノンの肩を機械腕で掴む。
『分かっていたのですか?私がこの様に破壊されても直されるという事が。』
その言葉に凄みは無い。衝撃に突き動かされた機械は冷静さを失っていた。
「……まぁそうですね。種明かしは出来かねますし、予知では無いので確信にも至れませんが。」
肩を掴む腕から力が抜ける。ゆっくりとアノンの肩から腕を離し、レグルスはベルズとアノンから等距離の場所へと移動した。
『……ですが、いっそ完全に壊れて仕舞えば良かったのかもしれません。』
そして、深刻そうに呟く。
『私はこの地にいる限り、壊れれば直されるのです。エネルギーは半永久的に生産され、眠る事すら許されません。孤独には慣れましたが虚無には慣れません。役目を終えた機械に、一体どんな価値があるでしょうか?』
それは絶望の叫び。滅亡した世界で不滅であり続けなければならない機械。来訪者に心を与えられ、凡そ人の一生に当たる時を過ごしたそれは、最早永遠を望まなくなった。或いは初めからそんな物は望んでいなかったのかもしれない。気づきを得た機械には、それは残酷過ぎた。
「では、貴様は価値が欲しいのか?」
ベルズははっきりと問う。
『……』
レグルスは答えられない。根本的に機械であり、人の為にある故に価値を求めるのか。或いは心を持った自身は、既に誰かの為の価値になる必要はないのか。
「我輩に言わせれば、等しく価値があるのは命である。生にあるのは価値ではなく意味であろうな。人の生には価値などない故に。」
『……何を仰りたいのか分かりかねます。』
「生きる為には意味を見つけねばならん。それはしたい事や欲しい物、つまりは目標とも呼べる。いずれにせよその価値は自分自身が決める事。他者に評されるべきではなく、見つける事を諦めるべきでもなかろう。
故に、
それは永年を生きる王の心からの言葉。復讐心は、ついに死者たるベルズを甦らせた。それは生きる為に強い心が必要であるという証左に他ならない。
そして、ベルズはびしりとアノンを指し示す。はっきりと白い指の骨が動いている所は、やはり誰の目にも奇妙に見えていた。
「故に、貴様にはこの男が役に立つ。」
「簡潔に言いましょう。私達は他の世界からやって来ましたが、また別の世界へと移って行きます。」
指し示されたアノンは言葉を述べる。求められれば、それを拒みはしない。
「移って行くというよりは移らねばならないというのが正しい所ですが……どうでしょう。貴方が生きる意味を見出せないのであれば、それを探しに行くというのは。」
少しの沈黙、レグルスの理解が及ぶ範囲は既に超えていた。しかし彼の思考回路は動き続ける。大きな決断をする為に。
『私は──』
彼の出した結論は、書き記すまでもない。
ただ最後に、アノンはこう語る。
「私達は
残像の様に、記憶は巡る。
果たして次はどんな世界が待っているのだろうか。