某日、寂れた酒場。
いつも客の入りが多いとはいえないその酒場は、昼間という事もあって客は片手で数える程しかいない。しかしそこに広がるのは、大仰に言えば異端と呼ばれる様な者達が静かに酒を楽しんでいるという、不思議な光景。
例えばカウンターの席に座る男性。彼は神に祈る願いを持たず、自らの手でそれを得ようとする不信者達の頭目。特に理由も無く、彼はいつもの様に静かに酒を飲む。
例えばテーブルを一人で占拠する男性。恰幅の良さから窺える様に、その男はこの国でも随一の富豪。ここの食事と酒が一番美味いからと、彼はこんな場末に足を運ぶ。
例えば……
「貴様が此処にやって来るとは、どういう風の吹き回しだ?」
『おや、そんなに意外でしたか?』
酒場の一番奥の席で目立たない様に酒を嗜む、黒いローブのベルズ。
そして遅れて入店するや否や、何の躊躇いもなくその隣に座った、機械鎧のレグルス。
そう、例外なく異端である。世界を旅する彼らもまた、尋常な存在では無いのだから。
「
『ふふっ……』
明後日の方向を向き、レグルスは小さく笑った。認識阻害に合わせた口調の変化、そうせざるを得ないとはいえ、彼にとって面白いものはやはり面白いらしい。
わざとらしく咳払いをして、レグルスはベルズの方を向き直った。
『失礼しました!』
「後で覚えておけ……しかし、本当に何の用だ。貴様は用事も無いのにこんな所まで来はしないだろう?」
『仰る通りですね、ですから今日は用事があって参ったのですよ。
実は興味深い噂話を小耳に挟みまして。早くお伝えしなくてはと思い、急いで此方へとやってきた次第です。』
そう聞いて、ベルズは怪訝そうな表情をする。
「噂話?」
『ええ、やはりご存じありませんか?町外れの幽霊屋敷の噂を。』
「……」
幽霊屋敷という言葉を聞き、ベルズの表情は心なしか険しくなった。
そしてまるで興味を失ったかの様に虚空を見つめる彼の王を、レグルスは不思議そうに眺める。
『……聞いておられますか、ベルズ卿?』
「しっかり聞いている、故に卿と呼ぶな。
ともかくその題名だけでは推測も出来ん。内容を聞かせるが良い、そこから判断する。
……正直、聞く意味はないと思うが。」
『内容ですか?無人のはずなのに人気がするだとか、夜に明かりが灯っていただとか、何かの唸り声が聞こえただとか……幽霊屋敷という名に相応しいものばかりでしたね。その他にも色々ございますが、お聞きになりますか?』
首を傾げながらも詳細を説明し終えるレグルスを、ベルズは終始覇気無さげに見つめていた。
「いや、もう構わん……少なくとも今のところ、その噂話に興味は全く湧かん。何が興味深いというのだ?」
その瞬間、曲がっていたレグルスの首が真っ直ぐになる。
『何を仰るのですか!?幽霊ですよ!?』
そしてカウンターに身を乗り出し、機械音声を若干上擦らせながらそう断言する。
対照的に周囲の人々が突き刺す目線は、奇妙な物でも見たかの様に冷ややかだった。
「喧しい。興奮するな、声量を抑えろ。」
ベルズはそんな機械鎧を片手でそう静止しながら、酒を一息で飲み干した。
静止されたレグルスは周囲を静かに見回しながら、ゆっくりと滑らかな動作で前傾姿勢を戻して行く。
「そもそも、だ。前にも言ったがこの世界に魂は存在しない。
故に当然、幽霊など存在し得ぬのが道理。噂は確かめるまでもなく虚言であろうよ……」
相変わらず覇気無さげに呟くベルズ。無気力、失望、無感情。まるで黄昏ているかの様なそんな様子は、彼にしては珍しい。
『無論、そんな事は承知の上です!
重要なのは、
「……ほう?」
ところがいつもの調子で力説するレグルスに少し興味を惹かれたのか、ベルズの瞳の奥に光が灯る。
少し考える様に顎に手を当て、暫くして口を開いた。
「つまり何か。噂話はどうでも良いが、幽霊という言葉そのものに引っかかると?」
『仰る通りです!』
そして大正解!と言わんばかりにレグルスの目がチカチカと発光した。
ベルズがやんわりとそれを手で抑えるも、レグルスの勢いは止まらない。
『実在しないモノが、言葉として通じると言うのは些かおかしな話です!
素晴らしい!非日常!退屈からの解放です!
どうでしょう、先ほどよりは関心を持たれましたか?』
ニヤリと微笑むベルズ。その心には既にいつもの様に精力的な炎が燃える。
「……そうだな、そういう話なら面白そうだ。して、それをどう解明するつもりだ?」
『では手始めに……』
「……という訳で、我輩達は幽霊屋敷に行っていた訳だ。」
「なるほど。それで顛末はどうなったのですか?」
そんな会話があったその日の夜。
エンテイル国内、いつもの宿屋の一室。そこには二人から事後報告を受けるアノンの姿。
「やはりというべきか、屋敷の中にいたのは盗人であったそうだ。」
淡々と話すベルズ。そして適度に相槌を打ちながら聞いていたアノンは、ふと顔を上げる。
「あったそうだ、とはまるで伝聞情報の様な言い方をしますね?」
「何の事はない、その盗人が捕まったという話を聞いた故に。とはいえ所詮は余談、どうでも良い事である。」
どうでも良いと聞くや否や、アノンは「へぇ」と言った風に顔を下ろした。
「アノン、貴様はどう思う?」
「へ、何がですか?」
が、名前を呼ばれたアノンはすぐにまた顔を上げた。抑揚の無い声でベルズは続ける。
「幽霊が偽物だったというのは主題ではない。問題はレグルスが言った様に幽霊という単語が存在している点だ。
魂も無ければ墓も無い、故にあり得ざるその概念が言葉として通じるのはおかしいと思わぬか?」
そう言われ、少し考える様子を見せるアノン。そして幾許かの静寂の後。
「……そうですか?別にそこまで不思議な話でも無いと思いますが。」
さらりとそう言ったアノンに注目が集まる。
ベルズは目を丸くして、レグルスは瞬きながら。アノンは少し居心地が悪そうに視線を逸らす。
『何故です?』
しかしそんな行為を許すつもりはないと言わんばかりに、レグルスはアノンの視線の先に立ち塞がる。軽く溜め息を吐き、アノンは口を開いた。
「……言葉というのは多義ですからね。
一言に幽霊と言っても霊魂から成る存在、解明不能な未知の現象、虚構の象徴と意味は様々ある訳です。
その中で魂に関連した意味だけが存在しなければ、言葉として広まっていても矛盾はしないでしょう?」
そして訪れる静寂。各々がその意味を噛み砕き、理解する為のわずかな時間。
『……さらりと仰いますが、その仮説は少し厳しくはありませんか?』
数秒と経たないうちにレグルスは問いかける。アノンは大袈裟に肩を竦めた。
「まぁ何の証拠もありませんし、想像の域を出ない推理ですからね。間違いないだなんて決して言い切れませんよ。
ですから、この国の神に色々と聞ける機会を狙っているのですが……」
「出立は近いが、間に合うのであろうな?」
「それこそ『神のみぞ知る』と言ったところでしょうが……上手く行けば会えると思いますよ。」
そう言いながらアノンはベッドに横になる。
ベルズとレグルスも、それ以上の追求は諦めた様に各々の時間を過ごし始める。
その日が来るまであと七日。忘憂の日々は続く。