色々な物を見た。
安息を得て、静かに佇む竜の終わりを見た。
絶望から目を背け、夢の中に沈む人々を見た。
終わりゆく世界の中で、別世界に期待する瞳を見た。
目的は果たされたが、残酷な終わりを迎えた路を見た。
神という代役を以て、統治される国を見た。
至り得ぬ姿の為に、無意味な真似事を始めた者を見た。
持たざる事を羨み、自由に生きるあの人を見た。
続く定めに身を任せ、繰り返し続ける愚者の言葉を見た。
そして滅びを受け入れられず永き時を過ごした孤独を、二度見た。
様々な世界を、様々な人々を、それらが織りなす様々な奇跡を見た。
絶望の中に沈み、現実という足枷に囚われた幾つもの世界を見た。
薄く透明で、目を凝らさないと見つけられない無数の秘密を見た。
それでも、理想に足る事はない。
そしていずれ、私は見た物への対価を払わなければならない時が来る。
正直に言えば、恐ろしい。どう代償を払わされるのかは明確だ。
そしてその上で、失う事が怖い。壊れてしまう事が恐ろしい。
だが、向き合わなければならない。
その上で、何かが決定的に欠けてしまうとしても。
「随分とかかりましたね、待ちくたびれましたよ。」
幻想協奏館、館長室。
館長の椅子に座るアノンは、音もなく現れた三人を横目に本を読んでいる。
だがまるで虚を突かれた様に、一人としてその場で声を上げる者はいない。
館長の椅子に腰掛けるアノン、そして血飛沫の中に転がる人の右腕と劣悪な香り。殺人現場の様なその場所。
ベルズとレグルスにさえも、この状況を正しく認識する事は出来なかった。
『惨状……ですね。アノン殿、これは貴方がなさったと認識して宜しいでしょうか?』
最も早く声を発したのはレグルス。
彼は顔をゆっくりと上げ、それと同時に手に持っていた本が虚空へと消え去ってゆく。
「幻想協奏館館長、オスカー。」
びくり、とメリーが肩を震わせる。
状況と言葉から連想される想定。それを必死に打ち消す様に言葉が巡る。
そんな考えは思い違いで、この惨状は……そう、何かの間違いに違いないと。
「私が倒した人物の名です。そこの少女の案内で来ているのですから、当然貴方達も名前くらいは聞いていますよね?」
そんな微かな希望を易々と踏み躙る無慈悲な宣告。メリーはまるで気を失ったかの様にゆっくりと膝から崩れ落ちる。
即座に支え、声をかけ続けるベルズ。その様子を淡々と見つめていたアノンに、痺れを切らした様にベルズが呟く。
「……そうか、貴様が。貴様は人を殺めぬと思っていたのだが。」
ベルズの言葉に、アノンは肩を竦める。
「……それは買い被り、というか勘違いですね。確かにそうする必要が無ければしません。
逆にしなければならない事ならば、
「それは……」
『違います、アノン殿。』
ベルズを遮る様に、レグルスは声を上げる。
『貴方は殺す事を″
ですから、ご自身の責任から逃げないで下さい。そして、目を背けないで下さい。』
「レグルス……」
機械音声、しかし感情の乗ったその言葉。
「そうですね、では今一度選択しましょう。
ベルズ、レグルス。メリーを殺して下さい。
貴方方が拒むのであれば、私がやります。」
そんな言葉もアノンには届かない。
すっくと立ち上がった彼の右手に持つ剣が、明らかな殺意を物語る。
幸いな事といえば、気絶したメリーがこうした言葉を聞かずに済んだ事だろうか。
「……理由を聞いても答えはしないだろうが、貴様は本当に正気なのか?」
『間違いなく正気ですよ、ベルズ卿。
体温も脈拍も、何も変わりありません。アノン殿はいつも通りの調子で、ただ為すべき事をなさろうとしています。』
肩の駆動音、それは抜刀音。
両碗に装填される、金と銀の刃。レグルスはただ悠然とアノンを見据え、タラクシカムを構える。
『──だからこそ!だからこそ、私は貴方を止めさせて頂きます!
何故ならそれが、貴方と共に旅路を行く者としての責任ですから!』
「そうですか。ベルズはどうしますか?」
その場から動かず、首だけを軽く向き直してアノンは尋ねる。
瞬間、空間を満たす黒々しい波動。迸る感情が具現化し、大気を震わせる。
「聞くまでもなかろう。
説明も無く、命を奪う。それは、我輩が最も嫌う所の理不尽である。
そんな事まで忘れたのならば、貴様の頭蓋を砕いて思い出させてくれようか?」
軽く溜め息を吐くアノン。
そして、彼らを眺め告げる。
「……誰も彼も言葉遊びですか。
まぁ良いでしょう。正直貴方達は説得するより、力を以て示す方が億倍楽ですからね。
但し──」
轟音が響く。
落雷、歪み、そして暴風。降り注ぐその天災から現れたのは
右手側には飛来する雷と共に現れた、剣と軽鎧に身を包む女性。青き雷を剣に纏い、その剣をレグルスに構える。
左手側には空間の歪みより現れた、青いゴシックスーツの女性。口許に右手を当て、左手で近くの空間を絶えず砕き、破裂音を鳴らしながらベルズを見つめる。
そして背後に現れたのは、分厚い鱗と鋭い牙を持つ巨竜。大木の様に太い尾と脚を地面に付け、目の前の矮小な存在を見下す様に鎮座する。
「理想郷に至る道のりを妨げるのです。
無事で済ませるつもりも、手加減するつもりもありません。
覚悟するように。」
『そんな事!』
「言われるまでも無いッ!」
幻想協奏館にて、三つの存在が対峙する。
そして次の瞬間、巨竜の咆哮と共に戦いの火蓋が切って落とされるのだった。