異世界、それは無尽の世界。
私達の世界は悠久の時を経て、いずれ内包する全てと共に終わりを迎えるだろう。
しかし異世界はこの瞬間にも滅び、そして生まれ続けている。
私達の世界と平行に、垂直に、或いはねじれた位置に無数の世界は存在し続ける。
……だが、その殆どは無関係。私達やお前達が生きるのに、そんな物を思考する必要はない。
そんな事を想うのは、むしろ娯楽とすら呼べるだろうね。
だからまぁ、他の世界なんて御伽噺の事を考えている間は、お前達は容易く生きていけるだろう。
希望が無いなんて不都合は、都合よく忘れてしまうに限るんだから。
「……正直さ、最初は驚いたんだよ。」
「何がです?」
幻想協奏館、館外の庭。
一人立つアノンと、ポケットの中から聞こえるオスカーの話し声。
徐々に透けつつあるアノンに、オスカーはゆっくりと語り始める。
「噂には聞いていた。『魔女から逃げ、世界を旅する半端者の後継者』がいると。
だけどそれでも、何処か壊れてて何かが足りなくて、要はそれでもお前は魔女の後継者だと私は思っていたんだよ。」
「そうしたら、想像以上だ。私を殺さず、メリーを殺さず、そして仲間割れしても奴らを殺さず。しかも人並みに苦悩してるときた。
お前、一体何がしたいんだい?」
「理想郷を目指す。私の行動理念はそれだけですよ。」
さらりと、流す様にアノンは言う。それが当然であり、それ以外の回答はないというように。
「……ま、とやかくは言わんさ。どうせ、結局、やっぱり。お前が出す様な結果はそんなものだろう。」
熱を失った言葉を発すオスカー。
「……では私からも一つ。どうして貴女は、私に着いてくる事を決めたのですか?」
しかしそんなオスカーに、アノンは一つの質問を投げかける。
私はもう居なくてもいい。
オスカーはそんな言葉を全員の前で口にした後に、続けてこう言っていた。
「だから、勝手だが私は奇術師達に着いて行くことにするよ。幻想協奏館はお前に任せる事にする。頑張りなさい、メリー。」
わんわんと泣き出すメリー、慰める事も出来ずおたつくレグルス、静かに成り行きを見守るベルズとオスカー。
アノンにはそんな先程の出来事が想起される。
「そうだねぇ……ま、理由は色々あるとも。
お前が面白そうだから。私はもう幻想協奏館には不要だから。この石の中は暇だから。」
そして、一息ついて付け加える。
「だがまぁ、一番は成り行きだろうさ。運命とも言える。私はロマンチストだからね。」
「……左様ですか。」
そして言葉は続かない。
アノンは静かに幻想協奏館を眺める。その中で話す三人を待ちながら、ゆっくりと稀薄されていくアノンの姿を、幻想協奏館もまた眺めていた。
「ありがとう、ございました……」
目を赤く腫らしたメリーは、絞り出す様にレグルスとベルズにそう伝える。
ベルズもレグルスも、返答はしない。
この少女が礼を言っているのは、オスカーがこの館から出て行くだけの理由づけに自分達がなったから。それを二人とも理解していた。
そしてその上で、言うべきことは何もない。
謝る事も感謝する事も慰める事も、ことこの場においては意味がない。
そんな軽薄な言葉は、何処の誰にも響かない。
「……預け物である、メリー。」
そう言いながら、ベルズはひょいと小さな石の様なものを投げた。
放物線を描きながらゆっくりと飛んでくるそれを、メリーは両手でしっかりと受け止める。
「……?」
「オスカーとの連絡装置、だそうだ。どういう原理でそう出来るのかは我輩にも分からぬが。渡しておけと、アノンから聞いている。」
静かにそう呟くベルズ。そして透けた右手を握りしめ、もう既に興味がない事の様に佇む。
『アノン殿らしいですね!』
「……」
メリーはその小さな石を見つめ、しっかりと握りしめる。
そして感謝を述べようと、顔を上げた。
しかし、そこには誰もいない。
まるで最初から何も居なかったかのように静かなその場所。
それでも幻想協奏館からは確かにオスカーが失われた事を、少女は認識する。
『さて、そろそろ出発ですが……』
薄くなりつつある身体を気にも留めず、アノンのポケットを凝視するレグルス。
「本当に着いてくるのだな……」
「冗談であんな事を言うわけがないだろう?これから宜しく頼むよ。」
オスカーはあっさりとそう言った。そしてそれを聞くのは、何とも言えない雰囲気の三人。
「……」
次の瞬間、幻想協奏館の庭から三人分の人影が消失する。それは彼らが次なる世界へと旅立った事の証。
そして同刻、幻想協奏館館長室。
まるで最初からそうであったかのように、その手にあったのは紫色の水晶体。
「……やってくれたね、奇術師。」
「オスカー様!」
悪態をつくオスカーと、喜びを体全体で表現するメリー。
結局、幻想協奏館は何も変わらない。館長は石となったが、それを継ぐ者がその館を運営し続ける。
そうしてこれからも存続し続ける。
「結局、我輩はあの世界をしっかりと見ることは出来なかった訳だが。」
「安心して下さい、それは私も同じです。」
『しっかりと見てきたのは私だけですね!それもアノン殿の秘密のお陰でインパクトは薄いですが!』
そんな風に雑談をしながら、アノン達は進む。いつもと変わらない彼ら、しかしそれでも確実に何かが変わっている。
幻想協奏館。
魔女の後継者オスカーが支配し、アノンも後継者である事が判明した世界。
秘密と対立。彼らはそれと同時に、彼女達の行く末を思考する。幻想は未だ終わらず、後継者の後継者は完全には至らず。
それでも、彼らの旅路は続く。
そして、魔女は笑う。
何処か彼方の世界で、アノン達をしっかりと見据えている。
何か言葉を発した彼女は、笑う。
くすくすと、くすくすと。無邪気に。