奇術師達のアルカディア   作:チャイマン

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螺旋の主要道①

 

「ふぅ……」

 

十階層、段数にしておよそ三百段程の階段を登り切る。

過ぎてきた階層は、相変わらずただ広いだけの空間と次の階段だけが存在していた。

 

ここまで来て、アノンは流石に疲れた様に大きく息を吐く。

我輩とレグルスはそもそも息などしてはいない故に、乱れるも何も無いが。

 

「少し休むぞ。」

 

「分かり……ました……っと。」

 

白磁の床に腰を下ろすアノン。

人の尺度から最も近いところにいるのは間違いなくこの男である。故に最初の頃は、奴に休憩のタイミングを決めさせていた時もあった。尤も、今となれば流石に分かるが。

 

『壮観ですね……』

 

外を見ながらそう呟くレグルスにつられ、視線が塔の外の空間へと逸れる。

 

視界に広がるのは、一切の穢れなき白。地平線の彼方まで雪が世界を覆い尽くし、空さえも白い雪雲が延々と広がっている。

そしてやはり、そこには生命の痕跡がない。我輩達が残した足跡さえも、何も無いこの世界では十二分に目立って見えるほどに。

 

「やはり……」

 

気色が悪い、という感想を抱かざるを得ん。

 

この世界は酷くミスマッチだ(・・・・・・・・・・・・・)

この塔は人工物ではあり得ない神秘性を持っているが、塔というのはあくまで建造物。

その不可思議極まる塔が、生命の気配を全く感じさせない世界にただ一つ建っている。

 

何かの目的の為に在るこれを、我輩達は正しく捉える事が出来てはいない。

何が待っているのか空想する事さえも、この世界は許しはしない。

それに繋がる痕跡を、ただの一つも残していないが故に。

 

「……珍しく、難しい顔をしていますね。」

 

「む。」

 

アノンが座り込んだままそんな事を言う。

我輩がこの男を理解する様に、この男もまた我輩を理解している。

当然の様だが、重要な事である。

 

「……確かに、この役割は我輩向きでは無い。

だが今回は存外、貴様が何かを思案する様子がない故にその役目を負っているだけに過ぎぬ。

貴様は不安ではないのか?」

 

「不安ですよ。そもそも、この世界旅行を始めてから不安でなかった事など一度もありません。」

 

予想外の答えであった。飄々と過ごしているこの男に不安という感情があるのか。

否、そんな素振りもあったのだろうが、それを不安と捉えさせない様に振る舞うのが得意なのか。

 

「そうなのか?」

 

アノンは落ち着いた様子を崩さず、レグルスを一瞥する。

 

「『曖昧』であるという事がどんな状態か、想像した事はありますか?」

 

『ございません!』

 

元気よくレグルスが答える。そこに元気は要らぬ。

 

「簡潔に(たと)えるなら、それは純粋な水です。

液体であるから攻撃を受けてもすぐに元の状態に戻りますし、未知の技術も文字通り吸収する事である程度は会得出来る訳です。」

 

流れる様にアノンは語る。

それはいつも通りの男の姿であり、不安を感じている気配は微塵も存在していない様に見える。

 

「一方で、それは極端に脆い。

水は私という個でもあります。何かが混ざれば混ざるほど、全体を占める(じが)は小さくなっていく。

そして混ざってしまう事を止める事は出来ません。それは性質ですから変えようも無いのです。」

 

「故に呪われた力、であるか。」

 

『呪われた力を後継したアノン殿。復讐心から蘇ったベルズ卿。そして殺戮の果てに心が芽生えた私ですか。

何と言いますか、幸の薄いメンバーですね!』

 

レグルスが言葉にしてはたと気が付く。

我輩達は、性質を変えられないという点でよく似ているのだ。

継承した力は、燃え続ける感情は、機械に芽生えた心は、決して棄てる事が出来ない。

 

故に、我等は道を共にしているのか?同じ理想を目指しているのか?

……と、浮かんだ疑問を投げ捨てる。

繰り返すが、これは我輩の役回りでは無い。

 

「この身体は不安定ですから、不安な気持ちを拭う事も出来ません。仕方のない事ですがね。」

 

『問題はありません!不安は斬り払えば良いのですから!』

 

……自嘲気味に呟かれたその言葉に返ってきたのは、素晴らしい程に前向きな言葉。あの底無しの前向きが、レグルスの持ち味である。

少し勇気づけられた様に、アノンは立ち上がった。

 

「休憩は十分取れました。行きましょうか。」

 

我輩はその背をレグルスと共に眺める。

 

『……あの方も、人並みに悩む事があるのですね。』

 

人らしくあろうとするが故に、思い悩む事もある。

不必要に殺さず、侵しもしない。

どんな建前があるにせよ、それは人ならざる存在に堕ちる事を拒んでいる様にも見える。

 

「きっと、奴は自分自身を見失いたくないのであろうな。」

 

『……何にせよ、終着点はご自身にしか決められないでしょう。

その答えを、私はただ尊重するだけです。』

 

そう言うと、レグルスも階段を登っていく。

 

この世界で始まったばかりの旅路は、まるでこの塔の階段の様に螺旋を描く。

純白の世界はそんな我等を嘲笑うかの様に、ただ清くあり続けていた。

 


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