休憩を挟みながら雑談と共に階段を登る事、実に数時間。
世界には夜の
階層を数えると言う努力は途中でやめた。
我輩が数えずとも、レグルスが勝手に記録しているであろう事が理由の一つ。もう一つの理由は、何階層であるかを知る必要性が無い為。
どちらにせよ、頂上まで登らねばならぬ道のり。終着点の階層が分からぬのであれば、今が何階であるかという事実は気休めの効力すらも持たぬ。
「ここまでにしましょう……」
虫の息程に弱ったアノンは、絞り出す様に先導するレグルスにそう言うと、壁に寄り掛かるようにして床に座り込んだ。
ふと外を眺めるが、その光景は何時ぞやに見た外の光景とあまり変わってはいない。
正確には変わってはいるのであろうが、何せ何もない雪原。我輩達が違いを捉えるには、その光景は余りにも刺激が少ない。
「それにしても本当に高い塔ですね。終点に着くのは何時になるやら……」
『アノン殿はこれまでの世界で、こうした高い建造物をご覧になった事は無いのですか?』
小さく呟かれたアノンの言葉。それはおそらく独り言のつもりであったのだろう。
レグルスに問われるとアノンは軽く顔を上げ、そしてすぐに元に戻す。
「無論ありますが、ここまで高い物は流石にありませんね。ましてや登る事など……」
語るべくもありません、と言わんばかりに肩を竦めるアノン。
我輩達が旅路を共にする前まで、アノンは一人旅をしていた。その旅路について、我輩達は詳細を知りはしない。
何せ今まで、それを知る必要は無かった。だがこれからは知っていく必要があると、あの館で我輩達は学んだ訳だが……
ところで。
「アノン、例のものを寄越せ。」
我輩は手招きする様に右手を差し出す。
無言でアノンが指を鳴らすと、虚空から現れたのは一つの瓶。何の躊躇いもなく、奴はそれを此方に投げて寄越した。
掴み取る、落とす事などあり得ぬ。命より重い物……とまでは言わぬが、落とせば無駄になる物ではある故に。
無言でネックを切り落とし、中身を軽く味わう。
『本当に好きですねぇ……』
呆れた様なレグルスの声。構わぬ、言い返す気は無い。
寧ろこれを味わえぬ事に少しの憐れみすら感じる程である。
この世界の月は未だ見えない。全く、風情の無い世界であるな。
程なくしてそれを飲み終え、瓶を粉砕する。塵になるまで粉々に、この世界にその断片すら残しはしない。
「レグルス、この塔の材質は分かりますか?」
『いえ……少なくとも、私のデータベースに存在する素材はございません。』
少し控えめな駆動音と共に、レグルスの手に装填される二対の剣。その片方で軽く床を叩くと、金属質では無いものの硬い音がする。
滑らかで、少しの汚れも許さない様な白い物質。塔を登っている途中に一度強く力を込めて叩いたが、『世界の果て』と同じ様にそれは絶対的な強度を持っていた。
「……まぁ、今気にしても仕方ありませんか。
眠ります、お休みなさい。」
アノンはそのまま顔を伏せる……と思いきや、一度顔を上げて思い出した様に指を鳴らした。
そして今度こそ、現れた掛け布団を体に被せて眠りにつく。
我輩とレグルスは寝ることが無い、というより出来はしない。周りを見ないように目を瞑るといった芸当は出来るが、意識は覚醒したままである。
眠るのはアノンだけで、我輩達は夜の中を起きていなければならぬ。
尤も、そんなものにはとっくの昔に慣れた。
そも我輩は一人の時から夜には起きていた。下賤な輩は寧ろ夜にやってくることの方が多い故に、この身体の機能は良く役に立ったとすら言える程である。
「それにしても、だ。」
『はい?』
「つくづく気が遠くなるような高さであるな。我輩達は、いつまでお行儀良くこの塔を登って行かねばならんのだ?」
レグルスが困った様に『と仰られましても……』と返した辺りで、我輩も馬鹿らしくなる。
この世界で外敵を警戒する我輩達の状態も、登り始めて一日目にして不満を言う我輩も、登れど登れど一切変わらない塔の内装も、その全てが我輩達に酷く時間を浪費させている様に感じる。
「……まぁ良い、我輩も少し休ませて貰うぞ。」
『え、えぇ。分かりました。』
少し困惑気味にレグルスは頷く。気が立っていた訳では無いのだが、少し言動が不安定ではあった。朝には詫びを入れねばならぬな。
ああ、それにしても本当に馬鹿らしい。
我輩達は理想郷を目指さねばならぬ。この旅路はその為の道のりである。
少なくともこの潔癖なだけの世界は理想的ではない。終着点に着かねば、我輩達が見たいものは見ることが出来ない。
要は時間の無駄である。脇道ですら無い、単なる足踏みとも言える。
我輩達は何処に進み、何を目指す?そして何を得ようとして歩き続ける?
我輩達の本質は、一体何であるのか?
……うむ、今日は少し調子が悪い様であるな。
少し経って、改善されると良いのだが。