語るべき事はありません。
それを理解する必要はありませんし、それを理解する意味もありません。
前に進む為に足を動かすのではなく、地面の方を動かしてしまおうとする存在。
星空を見るために夜を待つのではなく、空の色を塗り替えて星を散らしてしまう存在。
自らの在り方が絶対である事を疑わず、背くものは如何なる運命であろうと捻じ曲げる存在。
そんな理外の存在。
果たしてそんな存在を誰が理解出来るでしょうか。
語るべき事があるとでも思いますか?
純白の世界と相反する、漆黒の世界。
その中でたった一人で立ち尽くす。
「魔女には挑まない事にした、と。」
声が聞こえる。
奇術師でも亡国の王でも自律鎧でも無い、落ち着き払ったその男の声音。
それは漆黒の世界に微かに輪郭を残す者達、それらの内の一人の呟きだろうか。
「……ええ。」
力なく、答えが返される。
他の者とは違うはっきりとした輪郭とは裏腹に、その者の声に活力は無い。
「でも、貴方は納得してないのね。
こんな所で私達と話しているんだから。」
明瞭な声。
人型の輪郭を持ち、暗闇の中からそう投げかける。優しさは全くない。
〈此れが己が裡での反芻に過ぎぬ事を知らぬ筈も無し。無意、然れど我等に問うか。〉
地鳴りのように低い声。
他より遥かに大きな輪郭を持つそれの声に、奇術師はどこか覚えがある。
「私は私に問うのです。何ら問題は無い。」
〈其れも又、然り。〉
「あんた、喋れるんだ……」
あっさりと会話が区切られると、すかさず誰かの驚嘆の声が漏れた。
そうして暫く、沈黙が続く。
鼓動も、脈拍も、人が生きている限り鳴るべき音でさえ、この場所ではほんの少しも聞こえない。
果たして時は流れているのだろうか。暗闇は何処まで広がっているのだろうか。何にせよこの場における誰もが、そんな疑問を持つ意味は無い。
微かな輪郭は微動だにしない。ただその闇の中でいくつかの輪郭が消え、また現れる事を繰り返す。
まるで霧の中で幻覚を見ているかのようだ。
ぼやけたそれが何度明滅しただろうか。
「私は何処へ向かい、何処へ辿り着くのでしょう。」
唐突に、奇術師が口を開いた。
反応はない。どの輪郭も口を開く前と変わらず、返答もせずただじっとしている。
奇術師は続ける。
「私は彼らの手を引いて、一体どのようにして目的地を目指せば良いのでしょうか。
私は何を正解として、選択していけば良いのでしょうか。
私は……」
一呼吸おいて、最後の言葉を吐き出す。
「この旅路に、果たして意味はあるのでしょうか。」
「さぁ?」
少しの沈黙の後、返答があった。
「形もない理想郷を目指すために、世界を旅する人なんて聞いた事ない。私には分からないし……まぁそもそも私、貴方の事嫌いだし。」
微動だにしなかった輪郭は、少し蠢いて見える。紡ぐ言葉にその輪郭が共鳴しているかのように、闇の中の幻影はゆらゆらと揺れる。
「貴方が目指す理想郷は、貴方だけのものなんですか?」
「違います。」
「……では貴方だけの道でも無いでしょう?それなら彼らと共に道を作っていくべきだと思いますが。」
別の誰かが呟きに答えた。
そうしてまた、少しばかり沈黙が訪れる。
迷い。それが意味するのはただこれだけ。
「……やっぱりむかつく。」
輪郭の一つが大きくブレる。
今まで闇の中に溶け込んでいたそれが、アノンの眼前に現れる。
「ここではそんな風に淀みなく答えられるのに、どうせ貴方は心の内を彼らに明かしはしないでしょう?
あの館での言葉は偽りだったって事?」
「……」
忌まわしい。
知ったような口を聞くな。
そんな事は最初から分かりきっている。
「あんまり虐めてやるなよ、勇者。」
また別の声が響く。沢山の輪郭のどれにも該当しない。
ただ残滓となったそれの声は、しかし奇術師には随分と明瞭に、そして楽しそうに聞こえた。
「こいつはとびきり臆病で、お前達みたいに強くは無いんだ。
あぁ、強さと言っても在り方の話だがね。誰にでもある得手不得手の問題さ。」
「それとこれとは話が……」
〈喚くな。〉
その一言で、再び静寂が訪れる。
今までの無数の輪郭の揺らぎも、まるで何事もなかったかのようにピタリと止んだ。
輪郭の中の赤い瞳が奇術師を覗く。
〈我等は汝であり汝に非ず。又、言を交わし諍うは思考に非ず。ならば、得られる我等の答に価値は無い。〉
奇術師も、静かにその瞳を見つめ返す。
〈例え目を閉ざせど同じ事。答え返さざる者が其を得る理は何処にある?
汝が鏡は、己が裡には在らぬが故に。〉
その言葉と同時に、一際大きな輪郭はその痕跡を消す。
奇術師が周りを見渡すと、今まで暗闇の中にあった輪郭は一つ残らず消えていた。
そうして、何度目かの静寂が訪れる。
白磁の世界。
既に開いて久しい幕は、再び開くことはない。
では果たして幕は閉じたのだろうか。
彼らの道は続く。
得るものが無くとも、失うものだけが有っても。
そして例え、誰かが道に迷う事が有ったとしても。
そう。理解出来る事などありはしないのだ。
そも一体、誰に何が分かるというのだろうか。
私にも何も分かりはしないというのに。