オーストラリア、アデレード。
かつての動乱があった地はオエンベリから3000キロ近くも離れていて、あの基地で過ごした日々がどこか遠く、懐かしく思えた。
マフティー動乱から10年。
破綻した地球連邦政府は新たなる血を注がれ、その身をなんとか立ち直らせようと必死にもがいているように思える。だが、それは一般的な民衆による客観視の結果であり、政府の中核を担う者たちからすれば、血族や権威、汚職にまみれた政府が腐り落ち、折れた大木から新たなる芽が芽吹いている最中だと感じられる。
マフティー・ナビーユ・エリンは確かに成し遂げた。脆弱たる地球連邦政府の高官を殺戮し尽くして、新たなる命を地球政府に委ねた予言の王として……。
アデレード、現大統領政府官邸。
SPや政府関係者の目に晒されないこの部屋は、自身のプライベートが確約されている唯一の部屋だと思える。もちろん、外には厳重な警備と、24時間体制の警備兵が警護を続けてくれているが、それでもまだこの部屋はマシなように思えた。
「またコロニー公社からの予算請求か……軌道エレベーターの建設もある。ままならないものだな」
電子データ化された書面を見て小さく唸ってしまう。書類の山に悩まされることは無くなったが、それは紙媒体から電子媒体に変わっているだけで、仮想空間内に自分の処理を待つ書類が山積みされていると思うと気が滅入ってくる。データ容量の圧迫指数は変わらないし、処理しても処理しても新しい案件の書類が倍になって押し寄せてくるのだ。
おかげでMSなんかに乗る暇もなく、すっかり今の技術トレンドに置いて行かれている。技術スタンダード化がされているとはいえ、今の最新鋭機に乗ったところで過去の自分のような操縦センスを発揮することはできないだろう。
アムロやシャアも、こんなことになるのが嫌だから上に立つ人間になりたがらなかったのではないか?そんなくだらない事を考えてしまうが、当たらずも遠からずという確信めいた何かを感じられてならなかった。
「お疲れ様の様子だな、ノア大統領?」
木製のドアをノックする音にだらしなく執務用の椅子に預けていた顔をあげる。今では見慣れた小洒落たスーツ姿のケネス・スレッグが手土産の酒を片手に部屋の入り口に立っていた。
そう。
僕は……ハサウェイ・ノアは、もうマフティーではない。マフティー・ナビーユ・エリンを名乗る資格もない。
その道を降りて、今は地球連邦政府の大統領なんてものをやっていた。
この地位に腰を下ろすことになるまで、様々な話や経緯はあるが、1番僕を手助けしてくれたのは、かの初代大統領を務めたリカルド・マーセナスの直系子孫でいるリディ・マーセナスの政治的な助力があったからこそだと思う。軍歴もある彼は政府関係者や連邦軍内にも精通する幅広い人脈を持っている上に、マーセナスというとびきりの看板を持っている。
僕は一度、彼に聞いたことがある。
なぜ貴方自身が地球連邦の大統領の席に座らないのですか?、と。
すると彼は少し遠くを見るような目をしてから苦笑いを浮かべて答えた。私のように自己に固執してしまうような男に人を導くほどの器量はないのさ、と。
「ケネス。また秘書官に怒られるぞ?」
「いいじゃないか、ここには誰も来ないのだからさ。大統領官邸に帰っても仕事かい?たまには休まんと、また過労で倒れるぞ」
そう言われるとぐうの音もでない。つい数ヶ月前に寝不足が祟って会議中に倒れたばかりなのだ。医者からも静養するべきだと言われているのだが、地球圏の混乱は未だに続いており、マフティー動乱で空いた特権階級高官らの穴埋めをするのに政府は必死だ。そんな中、大統領が静養なんてすれば戻ってきたら別の誰かが大統領になっていたなんてこともありうる。
「肝に銘じておくさ」
そうは言ってみるが、ケネスは信じてないと言った顔だ。その顔に出る癖を直せよ、というがあいにく生まれつきだとはぐらかされてしまった。そんなことだから、彼は政府関係に身を置かず地球連邦の軍籍のままだったりする。
「軌道エレベーターの建設も進んでいる。と言っても、地方からの反対姿勢は変わってはいないが。なんとか戦争になる前には食い止めてみせるさ」
「助かるよ、国家防衛局長官殿」
「そう言われると未だに歯痒いのでどうにかしてくれないものかね?」
「ケネスもそろそろ諦めて権力の椅子に腰を下ろしておけよ」
「お偉いさん方の腹の探り合いより、手が出るのが先なのでごめん被るね」
そう言ってケネスは無遠慮に持ってきた手土産の酒を開けて、戸棚からグラスを取り出す。勝手知ったるなんとやらで、ここに訪れるのは側近を買って出てくれたリディの次にケネスが多いように思えた。
次いで来訪が多いのはアナハイムの最高責任者となっているアルベルト・ビストである。彼とは件の軌道エレベーター建設計画をアナハイムとコロニー公社共同で進めているため、色々と厄介な案件の話をするためだったりする。来るたびに彼が痩せていってるのは気の毒に思うが、これも地球圏の平和のためなのだから何とか踏ん張ってほしいところだ。
「大統領になって5年。僕の意思を継いでくれる者も育てられたけど、まだまだ難しいことだらけだ」
「そりゃあ、そうだろう?全人類を宇宙にあげようってんだ。早くても50年、なだらかな移民を進めても1世紀は掛かるって専門家も言っているしな」
ケネスから渡されたグラスを受け取って電子書類を閉じる。コロニーが落下したシドニーには、今まさに第一軌道エレベーターが建設されようとしていた。
これは、地球の衛星軌道上に建設されるリング状コロニーである「オービタル・リング」計画の足がかりに過ぎない。シドニー、サンフランシスコ、北京、モスクワ、イスラエル、アフリカ、ヨーロッパ。各主要都市から登るエレベーターを柱に、軌道上に展開される大規模な生活圏は、地球を巣立つ人類の新たなるゆりかごとなる。
既存の宇宙コロニーは建設からもう30年が経過しており、あちこちにガタが来ている。コロニー公社筆頭に、各企業がコロニー再生計画を進めているが、それを続けても大規模な宇宙移民に耐えれるコロニーは圧倒的に不足している。ならば、新しく作ってしまえばいいというのが地球連邦政府の採決の結果だった。
「宇宙世紀前半に行われた大規模な宇宙移民を真似れば済む話だと誰もが楽観視していたが、あれは口減らし……いわゆる棄民政策みたいなものだ。特権階級の奴らも宇宙にってなれば、そりゃあ話が違ってもくるさ」
「わかってるさ。こういうのは焦ってやれば綻びも出る。しかし、のんびりしていたから法の穴を抜けて地球に縋り付く輩も出てくるんだ」
現に法改正の穴を狙って地球への永住権を迫った特権階級の親族もいた。もちろん、そんな利己的な言い分が通らないように補助的な法案は前もって可決されていたので、彼らの地球永住の夢はあっけなく崩れ去ったわけであるが。
特権階級の親族らや、地球政府の高官との折り合いもかなり手こずっている。彼らは何故そこまでして地球に住むことをこだわっているのか、と疑問を持ちたくなるのだが理由はおそらく単純なのだ。彼らは地球という星を見下ろせる場所から宇宙に住む人々を見下したい、そんな稚拙な思惑から地球に住むという強迫観念に追われ続けているのだろう。
全く、呆れた理由だ。
すでに地球にあるのは豊かな自然と空気、水くらいで政治的な利用価値などほとんど残っていないというのに。
「旧世紀の地球と宇宙の立ち位置をひっくり返そうって言うんだ。軌道エレベーターもそう言った理由なんだろう?」
ケネスの言う通り、軌道エレベーターは衛星軌道上のコロニーの柱以外にも役目がある。それは人類が巣立ったあとの地球という星の管理や調査のためだ。
「地球から全人類を追い出す。しかし、地球を人類の管理下に置かなければならない。軌道エレベーターは、宇宙から地球を監視するためのシステムにしたいんだ」
「……強欲だな、人類っていうのは」
グラスの中のシャンパンを一回りさせながらケネスは呆れたように言う。すると、この部屋から寝室につながる扉が静かに開いた。
「そんなこと最初からわかっていたことだよ、ケネス。じゃなかったから、人類は地球から巣立たなきゃならない、なんて言い出さないよ。人って生き物は」
出てきたのは、バスローブ姿のギギ・アンダルシアだった。まさか寝巻きのまま出てくるとは思ってたなかったのか、思わず顔をしかめると、彼女は「嫉妬してるんだ」と楽しげに目を細めた。ちがう、そうじゃない。
ちなみにケネスは結婚している。
相手は何と自分の妹だ。
マフティー動乱後にノア家と会う機会があったらしく、その時に妹であるチェーミン・ノアと恋仲になり結婚。今では母と同じくしっかり者の妹に手綱を握られているのだ。
「ギギ、寝たんじゃないのかい?」
「ケネスが来ると騒がしいもの」
「ひどい言われようだな」
そう言ってケネスはもう一つのグラスを取り出してギギに手渡した。
あれから10年。
まさか、こうやって3人で話ができるなんて……考えもしなかった。マフティーに加わっていた他のメンバーも今や政府関係者となって地球を忙しなく飛び回っている。マフティーという組織は解体され、新たに地球政府をリボーンするためのドクトリンとして機能するように導入された一種のワクチンのように思えた。
きっとあのまま進んでいれば、自分は地球連邦に捕らえられ死刑。マフティーの生み出した思想や願いも、何の意味もなさないまま潰えて行くことになっただろう……。
マフティー動乱。
かのマフティー・ナビーユ・エリンを語る革命家、マクシミリアン・テルミドールが起こした地球政府に対する反乱行為。
このアデレードの地を地球連邦高官や、特権階級をもつ血族の血で染め上げた地獄を生み出した彼は、動乱以降は驚くほど早く、そして何の痕跡も残さずに消え去った。
地球政府に政治的な混乱のみを残して。
マクシミリアン・テルミドールが率いたオルカなる組織は、また地球圏が混迷や私利私欲に溺れた人間によって汚されれば蘇るのだろうか。
彼らはいまどこで何をしているのか。
マフティー・ナビーユ・エリンという名と引き換えに、この未来を手にした自分に、それがわかることは無かった。