100年戦争の革命浪漫譚   作:紅乃 晴@小説アカ

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第八話 檻の中のマフティー

 

 

基地内の窓はすべて鉄格子で覆われていた。

 

外の光も風も、まるで罪人を遠ざけるかのように遮断され、そこから見えるのは、わずかに切り取られた夜空だけだ。

 

月明かりは細い線となって床に落ち、冷たいコンクリートの上に、格子の影を刻んでいた。まるで檻の中にいる獣のようだと、ハサウェイは思う。

 

一人、部屋の隅に立ち、鉄格子の隙間から夜空を見上げる。

 

遠くで星が瞬いている。だがそれはあまりにも遠く、手を伸ばしても決して届かない場所にある光だった。

 

あの星の下で、いったい何人が死んだのだろう。

 

そんな考えが浮かび、すぐに頭を振る。

 

そのとき、軽く扉を叩く音がした。

 

振り向くまでもなく、気配で誰かはわかっていた。

 

「また空を見てるの?ハサ」

 

扉はもともと開いていた。

 

ケリア・デースはその縁に肩を預け、そう声をかけてから、しばらくハサウェイの背中を見つめていた。

 

ハサウェイは一瞥だけして、また夜空へ視線を戻す。

 

「外の状況は……ここからじゃ全くわからない」

 

遠くから、かすかな爆発音が聞こえた。

 

低く、鈍い振動が空気を震わせる。それは連続した戦闘音ではなく、散発的なものだった。数回の爆発音の後、また静寂が戻る。

 

昨日も、今日も同じだ。

だが回数は確実に増えている。

 

それでも、どこか現実味がなかった。

 

地球軍は、本気でここを攻めているのだろうか。むしろ、手をこまねいているようにすら思える。

 

「みんなは?」

 

外を見たまま、ぽつりと聞く。

 

ケリアは少し言葉を詰まらせ、指先を絡めながら答えた。

 

「抵抗を企ててる人もいるけど……」

 

言葉の続きを選ぶように、少し間を置く。

 

「抵抗しようにも敵はここを放置してるし……脱出できても行く宛がないから……大多数はもう諦めてるわ」

 

その言葉は、乾いた空気の中に沈んでいった。

 

ガウマン、イラム、エメラルダ。パイロットたちは脱出の手段を探し、戦力の再建を模索している。だが、この基地そのものが巨大な収容所と化していた。

 

出口はない。

脱出のための機材もない。

 

あるのは数ヶ月分の携帯食料とフリーズドライ食品。そして十分な水と、使用可能なトイレやシャワー。

 

生きるだけなら困らない。だが、外界との連絡手段も、情報も、すべて断ち切られている。

 

それはまるで、「生きることだけを許された檻」だった。

 

通信士や輸送艦のクルーたちは、すでに脱出を諦めた目をしている。マフティーの構成員全体で見ても、戦意は確実に削がれていた。

 

「……そうか」

 

静かな声だった。

 

事実、ハサウェイ自身も、折られていた。手に入るはずだったクスィーGは、もうない。かき集めた戦力も、志も、すべて霧散してしまった。

 

クワック・サルヴァーに支えられていた組織は、その当人の切り捨てによって、ほぼ瓦解したに等しい。

 

何も得られなかった。

なすべきことも。

贖うべきことも。

 

人類に対して背負うべき罪も。

 

すべてが、指の間からこぼれ落ちていく。

 

結局、自分は。

 

ただの「ハサウェイ・ノア」という、ちっぽけな個人にすぎないのだと、思い知らされる。

 

「ハサは……ここから抜け出したい?」

 

ふと、ケリアがそう聞いた。

 

当たり前だろう。そう言いかけて、言葉を飲み込む。ハサウェイは夜空から目を離し、ケリアを見据えた。

 

「僕たちが始めたことだ。始めたことをやり通さなくては、と思っている」

 

「その始めることを示した人が、ハサを切り捨てたというのに?」

 

その言葉が、胸の奥に突き刺さる。

 

「それでも!」

 

ハサウェイは壁を拳で叩いた。

乾いた音が室内に響く。

 

「この戦いで死んだ人々の怨念は、抱えなきゃならない!」

 

叫んだ瞬間、頭の奥で声が響いた。

 

……口ではなんとでも言えるさ。

 

幻聴のような、聞き覚えのある声。

 

……こんなところに閉じこもることしかできない男なのさ、お前は。

 

自分は無力なのだと。かつて否定した誰かに成り代わろうとした、その結果がこのザマだと。

 

……哀れすぎて、涙も出ない。

 

……与えられた役目を演じることで、自分は何から逃れようとしていた?

 

クェスを止められなかったことか?助けられなかったことか?

 

チェーンを、この手で殺してしまったことか。

 

それとも、ギギと出会ってしまったことか。

 

答えのない自問自答が、頭の中をぐるぐると巡る。

 

それはまるで、体の内側から破裂しそうな圧力となって、全身を締め付けていた。

 

「……すまない。けど、君もわかっているはずだ……」

 

だから、ハサウェイは「マフティー」に逃げる。

 

その役目を演じている間だけは、幻聴も、恐怖も、追い立てられる感覚も、すべて遠ざかるのだから。

 

そのとき、外からリンリンと、虫の鳴く声が聞こえた。それは夜の静寂を縫うような、小さな命の声だった。

 

「……私……ね……このままずっと、ずっとハサがここにいればいいと、思ってる」

 

ケリアの声は、こぼれ落ちるように静かだった。

 

「このまま前に進み続ければ……クェスや……死んだ人たちに引き摺られて……ハサが遠くに行っちゃうって思ってた。いいえ、そうなるってわかってた」

 

彼女は見てきた。

 

傷つき、心の奥に抱えきれないものを溜め込んだハサウェイを。

 

支えたいと思った。

愛し、共に立ち直れたらと願った。

 

だが、クワック・サルヴァーと出会い、彼がその苦しみを忘れるように戦いへ没頭していく姿を見て……。

 

「それで楽になるなら、それでいい」

 

そう、自分に言い聞かせてきた。

 

でも、それは幻想だった。とっくに気づいていたのに、見て見ぬふりをしていた自分に、今さら気づいた。

 

「ねぇ、ハサ。マフティー・ナビーユ・エリンって、今はどこにいるの?」

 

その言葉が、現実を抉り出す。

 

マフティーという逃げ場は、もう彼の中に存在していない。

 

「僕は……」

 

震える声。ケリアはそっと歩み寄り、ハサウェイを抱きしめた。

 

久しく感じていなかった温もり。

人の体温。

 

ケリアは、久しぶりに「ハサウェイ・ノア」を抱きしめられた気がした。

 

「きっと今は、立ち止まって考えるべきなんだよ」

 

彼女は優しく頭を撫でる。

 

「どう答えを出すかじゃなくて……どう答えを考えるかを……」

 

その言葉に、ハサウェイの張り詰めていた神経がほどけていく。

 

さっきまで耳に入っていた戦闘音も、

もう彼には届いていなかった。

 

夜は、ただ静かに更けていった。

 

 

 

 

 

 

「補給物資の輸送は行えているか?」

 

オエンベリ基地の指揮所は、ようやく使える程度まで復旧したばかりだった。

 

壁の一部は焼け焦げ、天井の配線は仮設のまま剥き出しになっている。空調も不完全で、油と焦げた金属の匂いがまだ薄く残っていた。

 

大型スクリーンには簡易的な戦況図が映し出されているが、ところどころ表示が乱れ、ノイズが走る。

 

本来なら整然と並ぶはずのコンソールも、臨時の機材が無理やり接続されているだけで、指揮所というよりは野戦司令部に近い様相だった。

 

そんな中で、ケネスは腕を組み、副官に声をかける。

 

「えぇ、連中がダーウィンを放棄してくれたおかげで、物資と増援の見込みはあります。ただ、かなり削られましたな」

 

副官は端末のデータを確認しながら答えた。

その声には、報告というよりも愚痴に近い響きが混じっている。

 

「だろうな。背広組は今頃、ダーウィン上陸までに出た戦死者と損害を見て、顔を青ざめさせているだろうさ」

 

ここに至るまでに、ペガサス級が三隻。

ラー・カイラム級が二隻。

それに空母、巡洋艦、護衛艦を加えれば、艦艇の損失だけでも戦後最大級だ。

 

そこに搭載されていたモビルスーツ、搭乗員、整備員、輸送員……人員まで含めれば、その総数はもはや把握しきれない。

 

軍縮傾向にあった地球軍にとって、この損失は致命的だった。

 

数字だけ見れば、上層部の椅子がいくつ吹き飛んでもおかしくない規模だ。

 

しかも、その損害を出しながら、決定的な打撃は相手に与えられていない。奪還した基地ですら、敵に譲られたに等しいのだから、なおさらだ。

 

すでに地球軍の士官たちは、手柄を挙げたケネスに対し、嫉妬や怒りを露わにし始めている。

 

だが、解決策が見つからない状況で、同士討ちや足の引っ張り合いをしている余裕などない。

 

そんな真似をした士官が、どんな末路を辿ったか……オーストリア南部の海底を覗けば、一目瞭然だ。沈没した艦の残骸と共に、政治的に消された人間の記録も、そこに眠っている。

 

「概算でも、先のネオ・ジオン抗争以来の被害だとか」

 

副官がぼそりと付け加える。

 

「もっとさ。あの時の被害は、ほとんどロンド・ベルがおっ被ってくれたが、今回はそうじゃない。全部の被害が、温存していた地球軍本隊に波及している」

 

ケネスの言葉に、副官は複雑な顔をした。

そして、さらに聞きにくいことを口にする。

 

「……政府高官の死亡者数は?」

 

ダーウィンやジャバルーのリゾート地区にいた連邦高官たちの末路は、凄惨そのものだった。

 

根切りという言葉が旧世紀の戦国時代にあったというが、まさにそれだ。手当たり次第という表現すら生ぬるい。

 

かつて彼らにとっての楽園だった場所は、今や恐怖と粛清の地に変わっている。生き残った者たちも、いつ自分の番が来るかと怯えながら暮らしているのが実情だった。

 

「ひどいものさ。一族郎党皆殺しってやつか? まだ生き残りはいるだろうが……アデレードは地獄になっているだろう」

 

解放したダーウィンにいた連邦関係者は、例外なく殺害されていた。

 

女子供も関係ない。

 

その報告を受けた政府関係者たちは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしているという。

 

「オルカを滅ぼせ!」

「マクシミリアン・テルミドールに死の鉄槌を!」

 

まるで、自分たちが被害者であるかのような言い分だ。特権階級の権化としか言いようがない。

 

「もっと怖いことをするって、ケネスもわかってたんでしょ?」

 

振り返ると、いつの間にかギギが指揮所に入ってきていた。動きやすい格好に着替えている。副官は空気を察したのか、別業務を口実に席を外した。

 

「あぁ……そう、とは言い切れんな」

 

ケネスは正直に答えた。

 

「どこかで、加減はするだろうと楽観視していたんだろうな」

 

まさか、ここまでやるとは。

そう思っていた自分がいるのも事実だった。

 

「……旧世紀、ヨーロッパで起こった革命は、王を断頭台に乗せて、その首を刎ねたという」

 

市民による革命。絶対者とされ、神と同一視されていた王は、王妃も、息子も、娘も、皆まとめて処刑された。

 

「マクシミリアン・テルミドールは、間違いなくやるよ」

 

ギギは断言した。

その声には、恐怖よりも確信があった。

 

ケネスも頷く。

 

「奴らに躊躇はない。世界を変えるため……なんて綺麗事も言わない」

 

スクリーンに映る戦況図を睨みつける。

 

「体制を真正面から否定して、壊す。それだけだ。アデレード会議を餌に反体制勢力の勢いを削ごうとした連邦は……竜の尾を踏んだってところか」

 

「これからどうなるの?」

 

「全くわからん」

 

ケネスは肩をすくめた。

 

「オエンベリは奪還しつつあるが、アデレードやトリントンは、まだオルカの庭状態だ。昨夜の奇襲も見事に見破られて、返り討ちにあったらしい」

 

ケネスはそう言いながら、戦況図の一角を指で叩いた。そこには赤い×印が三つ、無造作に並んでいる。

 

「ここに使った部隊はすべて全滅だ」

 

その言葉は、静かだったが重かった。

 

「功を焦った士官どもが、独断で突っ込んだ。功績を挙げて上に取り入ろうとでも思ったのか……結果はご覧の通りだ」

 

赤い印の一つを指でなぞる。

 

「ここは機動大隊。夜間強行突破を試みたが、進入直後に包囲されて殲滅」

 

次の印へ指が移る。

 

「こっちは航空支援隊。救援に向かったが、対空網に引っかかって壊滅」

 

そして最後の一つ。

 

「残りは混成のMS部隊。退路を断たれて、逃げ場もなく掃討された」

 

スクリーンの数字は、すでに全滅として処理された兵力を淡々と表示している。そこにいた人間の顔も、声も、もうどこにも残っていない。

 

「司令部の制止も聞かずに突撃した連中の末路だ。勇敢というより、ただの自殺志願者だな」

 

ケネスは皮肉めいた笑みを浮かべたが、その目には疲労の色があった。

 

しばし沈黙が落ちる。

 

空調の低い音だけが、指揮所の中で一定のリズムを刻んでいた。

 

「やっぱり、ケネスじゃないと、この戦いは動かないよ」

 

ギギがぽつりと呟く。

 

「なぜだ?なぜ相手は、俺やキルケー部隊に固執する?」

 

ケネスは振り向きもせずに言った。その問いは、半分は独り言のようなものだった。

 

ギギは少しだけ微笑んだ。だが、その目はどこか悲しげだった。

 

「わからない?」

 

彼女は戦況図に映る、三つの赤い×印を見つめる。

 

「彼らは罰して欲しいのよ」

 

「……」

 

「革命者の末路は、いつも悲しいものなのだから」

 

その言葉の意味を、ケネスはすぐには返さなかった。ただ、スクリーンに並ぶ損失報告を見つめ続ける。まるで、そこに書かれた数字の向こう側に、何かを見ようとするかのように。

 

指揮所の空調が、低い音を立てて回り続けていて、その音だけが、しばらく二人の間に流れていた。

 

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