基地内の窓はすべて鉄格子で覆われていた。
外の光も風も、まるで罪人を遠ざけるかのように遮断され、そこから見えるのは、わずかに切り取られた夜空だけだ。
月明かりは細い線となって床に落ち、冷たいコンクリートの上に、格子の影を刻んでいた。まるで檻の中にいる獣のようだと、ハサウェイは思う。
一人、部屋の隅に立ち、鉄格子の隙間から夜空を見上げる。
遠くで星が瞬いている。だがそれはあまりにも遠く、手を伸ばしても決して届かない場所にある光だった。
あの星の下で、いったい何人が死んだのだろう。
そんな考えが浮かび、すぐに頭を振る。
そのとき、軽く扉を叩く音がした。
振り向くまでもなく、気配で誰かはわかっていた。
「また空を見てるの?ハサ」
扉はもともと開いていた。
ケリア・デースはその縁に肩を預け、そう声をかけてから、しばらくハサウェイの背中を見つめていた。
ハサウェイは一瞥だけして、また夜空へ視線を戻す。
「外の状況は……ここからじゃ全くわからない」
遠くから、かすかな爆発音が聞こえた。
低く、鈍い振動が空気を震わせる。それは連続した戦闘音ではなく、散発的なものだった。数回の爆発音の後、また静寂が戻る。
昨日も、今日も同じだ。
だが回数は確実に増えている。
それでも、どこか現実味がなかった。
地球軍は、本気でここを攻めているのだろうか。むしろ、手をこまねいているようにすら思える。
「みんなは?」
外を見たまま、ぽつりと聞く。
ケリアは少し言葉を詰まらせ、指先を絡めながら答えた。
「抵抗を企ててる人もいるけど……」
言葉の続きを選ぶように、少し間を置く。
「抵抗しようにも敵はここを放置してるし……脱出できても行く宛がないから……大多数はもう諦めてるわ」
その言葉は、乾いた空気の中に沈んでいった。
ガウマン、イラム、エメラルダ。パイロットたちは脱出の手段を探し、戦力の再建を模索している。だが、この基地そのものが巨大な収容所と化していた。
出口はない。
脱出のための機材もない。
あるのは数ヶ月分の携帯食料とフリーズドライ食品。そして十分な水と、使用可能なトイレやシャワー。
生きるだけなら困らない。だが、外界との連絡手段も、情報も、すべて断ち切られている。
それはまるで、「生きることだけを許された檻」だった。
通信士や輸送艦のクルーたちは、すでに脱出を諦めた目をしている。マフティーの構成員全体で見ても、戦意は確実に削がれていた。
「……そうか」
静かな声だった。
事実、ハサウェイ自身も、折られていた。手に入るはずだったクスィーGは、もうない。かき集めた戦力も、志も、すべて霧散してしまった。
クワック・サルヴァーに支えられていた組織は、その当人の切り捨てによって、ほぼ瓦解したに等しい。
何も得られなかった。
なすべきことも。
贖うべきことも。
人類に対して背負うべき罪も。
すべてが、指の間からこぼれ落ちていく。
結局、自分は。
ただの「ハサウェイ・ノア」という、ちっぽけな個人にすぎないのだと、思い知らされる。
「ハサは……ここから抜け出したい?」
ふと、ケリアがそう聞いた。
当たり前だろう。そう言いかけて、言葉を飲み込む。ハサウェイは夜空から目を離し、ケリアを見据えた。
「僕たちが始めたことだ。始めたことをやり通さなくては、と思っている」
「その始めることを示した人が、ハサを切り捨てたというのに?」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。
「それでも!」
ハサウェイは壁を拳で叩いた。
乾いた音が室内に響く。
「この戦いで死んだ人々の怨念は、抱えなきゃならない!」
叫んだ瞬間、頭の奥で声が響いた。
……口ではなんとでも言えるさ。
幻聴のような、聞き覚えのある声。
……こんなところに閉じこもることしかできない男なのさ、お前は。
自分は無力なのだと。かつて否定した誰かに成り代わろうとした、その結果がこのザマだと。
……哀れすぎて、涙も出ない。
……与えられた役目を演じることで、自分は何から逃れようとしていた?
クェスを止められなかったことか?助けられなかったことか?
チェーンを、この手で殺してしまったことか。
それとも、ギギと出会ってしまったことか。
答えのない自問自答が、頭の中をぐるぐると巡る。
それはまるで、体の内側から破裂しそうな圧力となって、全身を締め付けていた。
「……すまない。けど、君もわかっているはずだ……」
だから、ハサウェイは「マフティー」に逃げる。
その役目を演じている間だけは、幻聴も、恐怖も、追い立てられる感覚も、すべて遠ざかるのだから。
そのとき、外からリンリンと、虫の鳴く声が聞こえた。それは夜の静寂を縫うような、小さな命の声だった。
「……私……ね……このままずっと、ずっとハサがここにいればいいと、思ってる」
ケリアの声は、こぼれ落ちるように静かだった。
「このまま前に進み続ければ……クェスや……死んだ人たちに引き摺られて……ハサが遠くに行っちゃうって思ってた。いいえ、そうなるってわかってた」
彼女は見てきた。
傷つき、心の奥に抱えきれないものを溜め込んだハサウェイを。
支えたいと思った。
愛し、共に立ち直れたらと願った。
だが、クワック・サルヴァーと出会い、彼がその苦しみを忘れるように戦いへ没頭していく姿を見て……。
「それで楽になるなら、それでいい」
そう、自分に言い聞かせてきた。
でも、それは幻想だった。とっくに気づいていたのに、見て見ぬふりをしていた自分に、今さら気づいた。
「ねぇ、ハサ。マフティー・ナビーユ・エリンって、今はどこにいるの?」
その言葉が、現実を抉り出す。
マフティーという逃げ場は、もう彼の中に存在していない。
「僕は……」
震える声。ケリアはそっと歩み寄り、ハサウェイを抱きしめた。
久しく感じていなかった温もり。
人の体温。
ケリアは、久しぶりに「ハサウェイ・ノア」を抱きしめられた気がした。
「きっと今は、立ち止まって考えるべきなんだよ」
彼女は優しく頭を撫でる。
「どう答えを出すかじゃなくて……どう答えを考えるかを……」
その言葉に、ハサウェイの張り詰めていた神経がほどけていく。
さっきまで耳に入っていた戦闘音も、
もう彼には届いていなかった。
夜は、ただ静かに更けていった。
▼
「補給物資の輸送は行えているか?」
オエンベリ基地の指揮所は、ようやく使える程度まで復旧したばかりだった。
壁の一部は焼け焦げ、天井の配線は仮設のまま剥き出しになっている。空調も不完全で、油と焦げた金属の匂いがまだ薄く残っていた。
大型スクリーンには簡易的な戦況図が映し出されているが、ところどころ表示が乱れ、ノイズが走る。
本来なら整然と並ぶはずのコンソールも、臨時の機材が無理やり接続されているだけで、指揮所というよりは野戦司令部に近い様相だった。
そんな中で、ケネスは腕を組み、副官に声をかける。
「えぇ、連中がダーウィンを放棄してくれたおかげで、物資と増援の見込みはあります。ただ、かなり削られましたな」
副官は端末のデータを確認しながら答えた。
その声には、報告というよりも愚痴に近い響きが混じっている。
「だろうな。背広組は今頃、ダーウィン上陸までに出た戦死者と損害を見て、顔を青ざめさせているだろうさ」
ここに至るまでに、ペガサス級が三隻。
ラー・カイラム級が二隻。
それに空母、巡洋艦、護衛艦を加えれば、艦艇の損失だけでも戦後最大級だ。
そこに搭載されていたモビルスーツ、搭乗員、整備員、輸送員……人員まで含めれば、その総数はもはや把握しきれない。
軍縮傾向にあった地球軍にとって、この損失は致命的だった。
数字だけ見れば、上層部の椅子がいくつ吹き飛んでもおかしくない規模だ。
しかも、その損害を出しながら、決定的な打撃は相手に与えられていない。奪還した基地ですら、敵に譲られたに等しいのだから、なおさらだ。
すでに地球軍の士官たちは、手柄を挙げたケネスに対し、嫉妬や怒りを露わにし始めている。
だが、解決策が見つからない状況で、同士討ちや足の引っ張り合いをしている余裕などない。
そんな真似をした士官が、どんな末路を辿ったか……オーストリア南部の海底を覗けば、一目瞭然だ。沈没した艦の残骸と共に、政治的に消された人間の記録も、そこに眠っている。
「概算でも、先のネオ・ジオン抗争以来の被害だとか」
副官がぼそりと付け加える。
「もっとさ。あの時の被害は、ほとんどロンド・ベルがおっ被ってくれたが、今回はそうじゃない。全部の被害が、温存していた地球軍本隊に波及している」
ケネスの言葉に、副官は複雑な顔をした。
そして、さらに聞きにくいことを口にする。
「……政府高官の死亡者数は?」
ダーウィンやジャバルーのリゾート地区にいた連邦高官たちの末路は、凄惨そのものだった。
根切りという言葉が旧世紀の戦国時代にあったというが、まさにそれだ。手当たり次第という表現すら生ぬるい。
かつて彼らにとっての楽園だった場所は、今や恐怖と粛清の地に変わっている。生き残った者たちも、いつ自分の番が来るかと怯えながら暮らしているのが実情だった。
「ひどいものさ。一族郎党皆殺しってやつか? まだ生き残りはいるだろうが……アデレードは地獄になっているだろう」
解放したダーウィンにいた連邦関係者は、例外なく殺害されていた。
女子供も関係ない。
その報告を受けた政府関係者たちは、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしているという。
「オルカを滅ぼせ!」
「マクシミリアン・テルミドールに死の鉄槌を!」
まるで、自分たちが被害者であるかのような言い分だ。特権階級の権化としか言いようがない。
「もっと怖いことをするって、ケネスもわかってたんでしょ?」
振り返ると、いつの間にかギギが指揮所に入ってきていた。動きやすい格好に着替えている。副官は空気を察したのか、別業務を口実に席を外した。
「あぁ……そう、とは言い切れんな」
ケネスは正直に答えた。
「どこかで、加減はするだろうと楽観視していたんだろうな」
まさか、ここまでやるとは。
そう思っていた自分がいるのも事実だった。
「……旧世紀、ヨーロッパで起こった革命は、王を断頭台に乗せて、その首を刎ねたという」
市民による革命。絶対者とされ、神と同一視されていた王は、王妃も、息子も、娘も、皆まとめて処刑された。
「マクシミリアン・テルミドールは、間違いなくやるよ」
ギギは断言した。
その声には、恐怖よりも確信があった。
ケネスも頷く。
「奴らに躊躇はない。世界を変えるため……なんて綺麗事も言わない」
スクリーンに映る戦況図を睨みつける。
「体制を真正面から否定して、壊す。それだけだ。アデレード会議を餌に反体制勢力の勢いを削ごうとした連邦は……竜の尾を踏んだってところか」
「これからどうなるの?」
「全くわからん」
ケネスは肩をすくめた。
「オエンベリは奪還しつつあるが、アデレードやトリントンは、まだオルカの庭状態だ。昨夜の奇襲も見事に見破られて、返り討ちにあったらしい」
ケネスはそう言いながら、戦況図の一角を指で叩いた。そこには赤い×印が三つ、無造作に並んでいる。
「ここに使った部隊はすべて全滅だ」
その言葉は、静かだったが重かった。
「功を焦った士官どもが、独断で突っ込んだ。功績を挙げて上に取り入ろうとでも思ったのか……結果はご覧の通りだ」
赤い印の一つを指でなぞる。
「ここは機動大隊。夜間強行突破を試みたが、進入直後に包囲されて殲滅」
次の印へ指が移る。
「こっちは航空支援隊。救援に向かったが、対空網に引っかかって壊滅」
そして最後の一つ。
「残りは混成のMS部隊。退路を断たれて、逃げ場もなく掃討された」
スクリーンの数字は、すでに全滅として処理された兵力を淡々と表示している。そこにいた人間の顔も、声も、もうどこにも残っていない。
「司令部の制止も聞かずに突撃した連中の末路だ。勇敢というより、ただの自殺志願者だな」
ケネスは皮肉めいた笑みを浮かべたが、その目には疲労の色があった。
しばし沈黙が落ちる。
空調の低い音だけが、指揮所の中で一定のリズムを刻んでいた。
「やっぱり、ケネスじゃないと、この戦いは動かないよ」
ギギがぽつりと呟く。
「なぜだ?なぜ相手は、俺やキルケー部隊に固執する?」
ケネスは振り向きもせずに言った。その問いは、半分は独り言のようなものだった。
ギギは少しだけ微笑んだ。だが、その目はどこか悲しげだった。
「わからない?」
彼女は戦況図に映る、三つの赤い×印を見つめる。
「彼らは罰して欲しいのよ」
「……」
「革命者の末路は、いつも悲しいものなのだから」
その言葉の意味を、ケネスはすぐには返さなかった。ただ、スクリーンに並ぶ損失報告を見つめ続ける。まるで、そこに書かれた数字の向こう側に、何かを見ようとするかのように。
指揮所の空調が、低い音を立てて回り続けていて、その音だけが、しばらく二人の間に流れていた。