七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~ 作:HAL1993
「いやあ、濃い。思ったよりも、何倍も濃い」
呪文学の授業が終わり、昼食の時間となった。ルネ達はガイの提案で外で昼食をとることとなり、それぞれ食堂で購入した食べ物を片手に庭の緑を眺める。そんな中ふとガイが口にした感想。
「魔法剣の授業の後に、そんなものいらないから捨てちまえって。そんなんアリか?」
ルネは自家製の食料を齧りながら言う。
「でもとても楽しかったですよ。これからの七年間が期待に満ち溢れます」
じーっと彼にガイ達の視線が集まる。
「そりゃ、まず最初の授業で大演説をかまし」
「同級生を脅迫して」
「その後、教師の
ガイ、ピート、カティの言だ。
「流石はギルクリスト先生の
ルネはにこにこ笑いながら硬めの保存食を口にし、こりこりと音を鳴らす。リスのような愛らしさがあるが、先ほどの授業を思い出すとそれは擬態にしか見えなくなる。
ギルクリストの
ルネの刃はギルクリストに届かなかったし、呪文学教授の
つまり十対一の戦いをルネは杖剣一本でやり過ごしたのだ。
素早い
硬い腕の打撃や足の蹴り上げ、捕縛に突進と十体の
ルネは純粋な体捌きや領域魔法、重心制御を用いた常識外れの運動能力などを駆使し、漲る魔力を味方につけ杖剣を振っていた。その小柄な姿を捕らえることはついぞできなかったのである。
その中で飛んだ
ギルクリストはその結果にため息交じりに「約束通り多少は持論を修正しましょう」と言い、授業を再開したのであった。その後の授業は基礎的な呪文の訓練だ。
こうしてルネは実に楽しく初日の午前の授業を終えたのだが。
「あんなの見せつけられたら自信なくすってーの!」
ガイはそう言いながら昼食のオープンサンドを大きな口に放り込んだ。
もぐもぐと口を動かし、飲み込むと言葉を続ける。
「どうやったらあんなに杖剣が使えるようになるんだ?」
「ん……練習あるのみですよ」
コリコリと自作の保存食を齧りながらの答えにがっくしとガイは肩を落とした。
その様子に小さく笑みを浮かべるルネ。
「しかし莫大な魔力頼りに動いていることは告白しておきましょう。ギルクリスト先生と同じく、私の魔力はそれはそれは尋常ではないのです」
空いている左手を見せ、その指先に魔力を凝縮する。一般的な魔法使いが絞り出せば失神どころか失命が危ういほどの魔力量の球体がそこにできた。
まるで小さな太陽のような圧縮された輝きである。その球体を指先でルネはくるくると回した。
ごくりとガイ達が喉を鳴らすのを感じるとルネはさっさと球体を霧散させる。さしたる消費ではないとはいえ魔力を無駄にすることは好きではないからだ。
「だから先生の仰ることは正しいことは正しいのですが、高い魔力量に比例した選択肢の多さのある先生だからこそ言えるのでしょう。『魔法使いなら魔法で何とかしなさい』とね」
再度保存食を口に運ぶ。硬いものを噛み砕く音が鳴った。
「確かに。あの先生のことは頷ける点はあるけど、そこだけは気になっていた。どう考えても僕らじゃあの人形の腕一本斬れないし、作れもしないだろう。できるのはあの人の魔力量が、それに魔法の才能がとんでもないからだ」
ピートの発言にミシェーラが補足する。
「そこを含めての発言だったのでしょう。あくまで先ほどのは先生の示した例、理想に過ぎません。魔法使いなら武器に頼るのではなく、己の魔力に頼れ。大きい魔力の活用だけでなく、小さい魔力の工夫もしろということなのでしょう。それが『魔法使いなら魔法で何とかしなさい』ということの真意かと思いますわ」
「あの先生はそういった根本的なことを重視する方です。呪文は慌てず丁寧に唱え、
ルネは杖をすらりと抜くとそう呪文を唱えた。丁寧な詠唱と
ルネが杖を収めるとふわりとそよ風は消え去る。見事な詠唱だった。感心したようにカティは拍手した。それに応えながらルネは言った。
「口を早く動かしても魔法は早くなりません。かといってゆったり唱えてもそれは丁寧さに繋がりません。呪文と
重要なのはこの行程であって口や脳みそを動かす速さや丁寧さでは決してありません。この行程の理解を無視した速度も丁寧さも何ら意味がないのです。
呪文学に落第しないためには魔法に至るまでの行程への深い理解が必要になります。まだ初日の授業ですが、今日見た限りでは
うるせーと答えるガイと、無言で頷くナナオ。ちらりとナナオの元気のなさを見るがやはり変わらないようだった。
どうしたものかと首を傾げているとミシェーラが尋ねる。
「あなたは呪文を唱えずとも、それに杖がなくとも同じことができるのでしょう? それは呪文も杖もあなたにとっては不必要ということでは?」
ミシェーラの問いにルネは微笑んで答えた。
「私は呪文や杖を不要とするために呪文学を学んだのではありません。呪文学を学び、魔法に至るまでの行程の深い理解を得たら、呪文と杖がなくとも魔法が応えてくれるようになったのですよ。決して呪文や杖を蔑ろにしているわけではありません。根底にはこれらに対する理解があることを覚えておいてください」
彼が手を振ると先ほどと全く同じ風がメンバーの間を通り過ぎる。同じように髪や頬に触れながら。
おー、とカティが再び拍手する。
「それでもまだまだ私は魔法を分かっていないと思うことはありますが」
自分の指先に風を通し、それを撫でながらルネは微笑みそう付け加えた。
この少年が無知を主張するなら自分達は何だというのか。ミシェーラ達は苦笑してこの才能溢れる同級生を見やった。
「さて」
ルネは自分に注目される雰囲気を変えたかったのかそう言うと立ち上がる。手にあった保存食は食べ終えていた。
「次は魔法生物学の授業ですよ
魔法生物学の授業は基本的に屋外教室で行われる。教授のバネッサ=オールディスは実習を重視するタイプの人物だからだ。
初日から早速実技に入るらしく、ルネ達がやってきた実習スペースにはグループごとの作業台とその上に置かれた大きめの木箱が用意されていた。
かさかさと箱の中からは生き物が動く音がする。
魔法蚕かなとルネは思った。体臭の独特な青臭さから察する。白く猫ほどの大きさの丸っこい姿が箱の中に入っていると予想した。
一方で、なんだろうこれと他のメンバーが箱を見つめるなか魔法生物学の教授が現れた。
「おーし、全員揃ってるな」
相変わらずのラフな格好に白衣を纏った服装のバネッサは作業台に集まった生徒達を見回し、教壇へと立った。
「魔法生物学の授業へようこそ。アタシが担当のバネッサ=オールディスだ。早速だが一つ確認する。この中で動物好きだったり、亜人種の人権活動に熱心だったりする奴はいるか?」
バネッサの質問に新入生達は戸惑うが、恐る恐るながらも該当者が手を挙げていく。カティも手を挙げた。
その人数をざっと確認し、バネッサは「三分の一くらいか」と呟いた後に宣言する。
「まあ思ったよりも多いが。お前らに一つ忠告する。これは善意のやつだ。これまでの常識はいったん捨てろ。でないとこの授業ではもたんぞ」
カティの表情に緊張が走った。
バネッサの口から語られるのはキンバリーの、広くは魔法界においての魔法生物の基本的な扱いなのだ。
「キンバリーの魔法生物関係の授業では資源として魔法生物を扱う。これは学部教授であるアタシ以外の教師もそうで、どの授業をとっても人権活動とははっきり言って縁遠い世界の話しかしない。範囲は人間と、人権が認められた亜人種以外の全てが含まれる。
ちなみに二十年前まではケンタウロスも範囲内だったが、大法院の決定が出たからな。いやはや好物の肝差しが食えなくなって残念残念」
その言いようにカティは絶句を通り越して怒り心頭になったのか不快そうに挙手をする。また呪文学の時のように教師に議論を吹っかけるつもりのようだ。
しかしバネッサは彼女に発言を許さなかった。ちらりと一瞥しただけで自分の話に戻った。
「ま、概論はそんなところだ。てわけでさっさと授業に入ろう」
杖を抜き、くるりと振る。がたんと音が鳴り、作業台に置かれた木箱の蓋が外れた。
びっくりする生徒達の中でルネは真っ先にその中に手を突っ込み、中にいた丸々とした生き物を持ち上げる。
「きゅう」
やはり箱の中にいたのは魔法蚕だった。
ルネの腕の中に抱かれたそれは家畜にしても人懐っこい様子で彼に甘える。鳴き声は体の大きさのように猫に似ていた。丸々とした目など全体的に丸っこくて愛らしい。
率先して動いたルネにバネッサも気づいたのか、教師はルネに向かって言った。
「よう天才さん。聞いたぜ。魔法剣の授業で魔法剣の歴史を語って、呪文学の授業でババアの
「はい、かしこまりました」
ルネはバネッサの指示に従い、十頭の魔法蚕を作業台の上に並べた。彼らは大人しくじっとルネを見つめてくる。
その黒々とした丸い眼差しに愛嬌を覚える生徒も多いのか「可愛い」という囁きが多く聞こえた。
「こいつらは魔法蚕だ。魔法使いの品種改良で完全に家畜化された唯一の魔法生物だな。だから魔法使いが与える魔力がないと自力じゃ生きていけないし、こんなに人懐っこいんだ」
バネッサも木箱から一頭摘まみ上げた。「きゅいきゅい」と彼女にすら甘えた声を出す。そんな態度の魔法生物に彼女はにたにたと意地悪そうな笑みを浮かべると木箱の中に戻した。
「で、こいつらの資源としての役割は、まあ知っていると思うが魔法繊維だ。与える魔力の質や量によって色々な効果を付与させることのできるまさに魔法の繊維だな。魔法蚕の作る繭がその原料になる。
人間様の家畜ってところじゃ普通人の蚕と同じっちゃ同じだが、あっちはこの繭の状態で乾燥させたり、茹でたりと面倒な作業があってな。こっちははその点が大きく違っている。まず茹でる必要もなく繊維の質を損なうことなく魔法で繭を解いて繊維にすることができるし、それに一個体で何度も繭を作ることができる。後退不能点を過ぎる前に繭を解きゃこの幼虫の姿のままで魔力を与えるたびに死ぬまで繭を作り続けるんだ。まさに一生を人間様に捧げているって感じだな」
教師の説明を聞きながら生徒達が魔法蚕を見つめる。
しっかり全員が注目しているのを確認した上でバネッサは授業を進めた。
「しかしこいつらには厄介な生態もある。それを今から見せてやる。サリヴァーンのお坊ちゃん、
「かしこまりました」
ルネは杖を抜くと十頭の魔法蚕全てに魔力を与える。彼らはそれぞれ白い糸を吐き出し、自身の周りに纏わせ真っ白な繭を作り出したが、バネッサに指示された個体だけは突如痙攣し始め黒い糸を吐き出す。
「こいつらはちょっと魔力を与えれば繭を作る段階まで育成を進めてある。で、その作業に成功したのがこの九つの魔法蚕だ。指示通りだな。流石天才様。こっちの黒い繭は失敗作だ。魔法繊維の質が悪いってだけじゃなくこのまま放置するととんでもないことになる。すぐに出てくるぞ。下がってな」
バネッサの指示でルネは一歩下がった。その途端黒い繭を突き破り、硬質な羽虫が飛び出してきた。
先ほどまでの愛らしさは全て消え失せ、それは黒く硬い甲殻を持った凶暴な昆虫だった。蜂のように高速で羽を動かし、振動音を鳴らしながら飛行している。
カチカチと威嚇音を鳴らす牙、丸っこさの消えた体は先ほどの魔法蚕が成長した姿とはとても思えなかった。
威嚇音を聞いた生徒達は戸惑ったように後退する。その反応を見たバネッサは満足そうに頷いて、黒い繭から飛び出した魔法蚕の成虫から目を離さずに説明を続けた。
「しくじるとこうなるんだ。ゆっくり育てればこうはなりゃしないんだが生産速度優先の品種改良がしてあるからな。どんなベテラン養蚕家でも何頭かはしくじる。ちなみに見た目通りの凶暴さに肉食だから、もし手なり顔なりを齧られたくなけりゃ失敗したらすぐこうすること──
バネッサの杖から飛び出した火の玉が空飛ぶ魔法蚕の成虫に命中し、黒い体が一気に炎に包まれた。
「ギィィィイ」
断末魔の悲鳴を上げながら黒い羽虫は落下し、地面の上でのたうち回りながら息絶える。
その煙絶つ死骸を踏み締め、焦げ臭さを手で払いのけながらバネッサは生徒達に指示を出す。
「さて、察しただろうが。今回の課題はコレ。育成最終段階まで育てた魔法蚕に最後の魔力の一注ぎをしてやること。魔力量はまあ個体差があるんだが、
彼女の言い方そのものがキンバリー及び魔法界における魔法生物の扱いを示している。
すなわち魔法使いに奉仕するための道具であると。
バネッサの口ぶりはそれが一つなくなるのがもったいない程度の感情しかない。決して愛情が籠っているものではなかった。まして自分が死なせたという罪悪感は欠片もない。
ルネは九つの繭を魔法で解きながらカティの様子を窺う。彼女は押し黙った様子で腕に抱いた魔法蚕を見つめていた。
キンバリーにおける魔法生物学に直面し、更に腕の中の魔法蚕の命はまさしく自分の技量にかかっているのだ。
心優しいカティが緊張しないはずがなかった。
ルネは期待に満ちた眼差しでカティを見つめる。きっとこの授業は彼女にとって素晴らしい経験になるに違いない。そう確信していた。
「ちなみに黒い成虫はかなり素早いから殺す時はさっさとな。さっきはお前達に見せるために飛んでるのを焼いたが、なるべく繭から出てくる前に殺せよー。繭の状態なら杖剣で一刺しでもすりゃ簡単に死ぬからな。てなわけで課題開始」
パンパンと手を叩き始まりの合図を鳴らす。
生殺与奪の実感を一番最初の授業で新入生に与え、彼らに自覚させるのだ。魔法使いとは生命を等しくこのように取り扱うのだと。
早速作業に取りかかった新入生達はまず絶叫する。
「──あ、やっちまった!」
真っ先に失敗した男子生徒は黒い繭を目の前にして右往左往していた。慌てて隣にいた同級生が呪文で繭を焼く。
「あ、そうだ。言い忘れてた。後始末は自己責任でな。今のは勘弁してやるから次から気をつけろよ」
バネッサが忠告を付け加えた。
しかしそんな教師の言葉も聞こえない様子で生徒達は黒ずんだ繭に呪文を打ち込む。自分の発言を聞いていない生徒達を叱ることもせずむしろ面白そうに騒乱の教室を見回した。
失敗し、慌てて口から迸る呪文。そんな大騒ぎがほとんどの作業台で起きた
「さ、三杯半ってどんくらいだよ!?」「集中できないから静かにしろ!」などと怒号も飛び交う。
九つの繭から繊維を解きほぐしたルネは失敗するよう指示を出された個体分を木箱から補充し、再度十頭にした魔法蚕達に杖から魔力を注いだ。全ての繭が白く清らかに染まる。
「ほい合格。えらいえらいー」
その様子を彼の背中から見ていたバネッサは児童にするようにルネの金髪を撫で回し、他の作業台を見物するために教室内の徘徊を始めた。
ちょっとした魔力の扱いの失敗で成果が真逆になる課題。しかし魔力の扱いに慣れた生徒達にとっては何ら問題ではなかった。
メンバーの中ではルネを除くとオリバーとミシェーラが真っ先に課題を終わらせた。彼らは一頭ミスをしたようだ。さっさと、そしてなるべくカティにそれを見せないように黒い繭を魔法で焼いた。
一方ガイとナナオは全く上手くできない。魔法農家出身のガイであるが実家は養蚕は扱っていないらしく、また生来の不器用さもあってか二人とも九頭も黒い繭にしてしまった。作業台に焦げ跡が幾つも残る。
ピートは六頭を黒繭にした。悔しそうに残った四つの白い繭と、ルネやオリバー達のほとんど残った白繭を見比べる。特にルネの十個並ぶ純白の繭を見つめていた。
腐る様子はない。対抗心を燃やしているのだ。
作業に取りかかる前に悩んでいたからルネがアドバイスをしようとしたのだが、むっとした表情で断られたので口にはしないもののピートとしてはルネをかなり意識しているのだろう。
良い傾向だ。ルネはそう思った。
あまり会話は積極的にしていないが同じ普通人出身としてルネは案外ピートを気にしていたし、相手側もそうであると感じルネは嬉しく思った。良い競争相手になるかもしれない、と。
さて、問題は彼らではない。カティだ。
課題開始からニ十分経ち彼女以外の生徒は課題を終えていた。たまにルネが確認した限りでは出来不出来はかなり差があり、教室内で平均すると三頭くらいだろうか。
九頭成功している生徒も数名いるので全くできなかった生徒が大半ということになる。
バネッサは燃え跡がたっぷり残った作業台を楽しそうに見て回りながら最後にカティの後ろに立つ。
「なんだ。まだやってたのか。魔力を注ぐだけのことに」
カティは最後の一頭に挑戦していた。九頭は白い繭に変えることができた。残る一頭である。
頭の中の出席簿を開き、この生徒の名前を思い出すバネッサ。確か最初の質問の時に手を挙げていたはず。
「アールト──ああ、なるほど。そうかそうか。まあ、確かにそうか。アールトのお嬢さん。お前ならそうなるか。流石あのご両親のお嬢様だ」
そう独り言ちながら、家名にどこか納得した様子でカティの背中から圧力をかけるように彼女の様子を窺う。
「あと一匹……あと一匹……大丈夫、私ならできる……助けられる」
カティは恐れていた。
失敗そのものではなく、失敗して魔法蚕が死んでしまうことを何よりも恐れていた。
「九匹成功……でしたら上出来じゃないですの。どうしてあそこまで慎重になるのでしょうか」
ナナオの面倒から戻ってきたミシェーラはオリバーと並び彼に尋ねている。
オリバーは答えずにカティの作業をずっと見守っていた。
答えは彼の中にあるのだろう。
ルネは代わりに口に出してあげた。
「
十分の九を救ったから良いだろうではありません。違うのです。十分の十を救わなければ意味がない。トロールにすら愛情を向ける彼女は魔法蚕にも生きていてほしいのです。命を犠牲にしたくない。先生が言うように魔法生物達を資源のように消費したくない。だから自分をああして追い込んでいるのです。この子達の生き死は自分が成功するか失敗するかによるのですから」
ミシェーラは戸惑った。カティが生き物を大切にしていることは彼女も理解していたが、実際にそれを目の当たりにするのは初めてだったからだ。
そして困惑する。彼女のやっていることに全く共感できない自分に。
カティも優しいがミシェーラも優しかった。
教師であるバネッサは生徒に共感できないことを恥じるどころか真剣なカティを小馬鹿にしたように見つめているが、ミシェーラは友人を理解できない自分を恥じているようだった。
友人達が見守る中でカティはとうとう決断した。杖を振り、魔法蚕に魔力を注ぐ。
しかし集中しすぎて目測を誤ったのか魔法蚕は痙攣し、黒い糸を吐き出し始めた。魔力を与えすぎたのだ。
白い糸ではない。黒い糸の繭が出来上がっていくのをカティは呆然と見つめていた。
「失敗だ、カティ! 早く燃やせ!」
オリバーの声で放心状態から現実に戻ったのかカティは杖を机の上に放り投げて黒い繭に飛びつく。
その現実離れした行動にオリバーは目を見開いた。
「カティ!?」
「大丈夫……繭を剥がせば、きっと!」
「カティ! もう遅い! 中ではもう変化が始まってる!」
オリバーの警告も聞かずに黒い糸を剥がそうとするカティだが、その右手に黒い成虫になった魔法蚕の鋭い牙が食いついた。
「あッ……あッ……」
黒い繭を破って外に出た魔法蚕の成虫は餌と認識したカティの手から牙を離さない。尖った足で腕を抱え込み、食い尽くすまで逃がさない意思を見せた。
「あーあー、馬鹿やりやがって。早く殺さないと手を全部食われるぞ」
バネッサは呆れたようにそう言うだけで手出しをするつもりはなさそうだった。
血濡れの右手を噛み続ける虫にカティはどうすることもできない。涙で濡らした目で見つめるばかりだ。
振りほどくことすらしない。流す涙は右手の痛みと、救えなかった命に捧げる罪悪感の涙である。
見かねたオリバーとミシェーラが杖剣に手をかけるが。
その前に何故か黒い成虫はカティの右手からぱっと口を離した。掴んでいた彼女の腕も離す。
「……え?」
再び呆然とするカティを意に介さず、かさかさと彼女の腕から肩に乗るとしばらく辺りを見回し、そしてじっとルネの方を見つめた。
「おいで」
ルネがそう言うと飛んだ虫はルネの腕に掴まる。先ほどまでの凶行はどこに行ったのか、黒い成虫に彼を襲う様子はなかった。
足の力もあまりかけずにルネの細腕を傷つけないようにしている。
もともと魔法繊維で作ったローブや制服の上からなので彼らの鋭い足でも本気で掴んだところでそれほど痛くはないのだが、どうしてか凶暴なはずのこの虫がルネを気遣っていた。
「カティ、何てことを! 早く治癒を──」
「大丈夫ですの!? 黒い繭に手を突っ込むだなんて!」
オリバーとミシェーラはその隙にカティに駆け寄った。出血する右手を確認しつつルネからも注意を外さない。
彼が黒い成虫を無言の魔法で呼び寄せ、惑わせたか何かで大人しくさせたのは何となく二人には分かっていた。
「おい、大丈夫かよ!」
「血が……早く止血しないと!」
「何か布はござらんか!」
遅れてガイとピート、そしてナナオもカティに駆け寄る。
しかし友人達の声もカティには聞こえなかった。ただ彼女はじっと自分の失敗で生まれたあの虫を見つめている。ルネの腕に留まったそれを。
ルネは静かに杖を抜いた。
「あ」
カティには分かった。魔法を使って、あの子を殺すんだと。
「だ、ダメ……ルネ、お願い……」
杖先が黒い成虫の厳つい顔に向けられる。そうされてもこの虫は変わらず親しみの雰囲気でルネを見上げていた。まるでそうなる前の愛らしい幼虫の時のように。
「お願いルネ! 殺さないで!」
ルネに飛びかからんとしたカティを慌ててオリバーとガイが抑える。
そんなカティの様子を一瞥した後にルネは冷静に杖を振った。
カティの表情が絶望に染まる。
しかし、黒い成虫は燃え上がらなかった。
「ガ、ギ。イィィィィィイ」
やや身悶えした後に、その輪郭がどろりと蕩ける。
硬く甲高い鳴き声を出しながら形が曖昧になった成虫はじわじわと姿を変え、そして──
「きゅ……きゅう」
──柔らかい鳴き声の幼虫の姿に、戻った。
いや、戻したのだ。ルネが、魔法で。
流石のバネッサもこれには表情をなくした。
静まり返った野外教室でルネは魔法で戻した魔法蚕を腕に抱え、カティが投げた杖を拾うと彼女に歩み寄った。
「右手、大丈夫ですか?」
「え? あ……痛……」
ようやくカティにはまともに痛みに反応するだけの気力が戻ったのか右手を見て痛みを口にする。
「君を癒すのは二度目ですね。ふふ、トラブルによく見舞われる人だ」
ルネはそんな様子に小さく笑みを浮かべると口も開かずに力を呼び寄せ、彼女の手を癒した。すっと傷と流血が消えていく手をカティは見つめ、ルネはその手に杖を戻す。
「お返ししますね」
柔らかい手でカティの右手に杖をぎゅっと握らせ、青い瞳でじっとカティを見つめた。
「しかし、いけませんよ
「え、あ……ごめんなさい」
非難の声音にカティは反射的に謝る。
反省の声を聞きルネは微笑むと魔法蚕もカティに渡した。「きゅう?」と自分を見上げるその姿は失敗する前となんら変わっていない。
「さあ、落ち着いたようですからもう一度やってみましょうか。次は成功しますよ」
スポンジ生地に染み込む甘い液のようにその声はカティの頭に届く。自然と力とやる気が体に戻ってきた。傷の痛みはもうない。
カティは心配そうにするオリバーやミシェーラ達に「大丈夫」と言うと魔法蚕を作業台の上に置き、再度向き合った。
ルネはその隣に立ってじっと魔法蚕を見つめる。視線を外さずにカティに語りかけた。
「魔力を調節するのに気を取られてこの子から目を離してはいけません。小匙三杯半はあくまで目安でしかありませんからね。大切なのはこの子達の様子を観察しながら魔力を与えることなのです。どのように魔法蚕が変化するのか。さて、先ほどはどう変化したのか。成功した時と、失敗してしまった時。その時にどんな変化が起こったのか。思い出してみてください」
そう言うとカティのこめかみに触れる。
途端彼女の頭の中に幾つかの光景が流れた。
白い繭になった時の魔法蚕の様子と黒い繭になった時の魔法蚕の様子だ。詳細に思い出せる。
その微妙な反応の違いが。目だ。目の色で分かる。失敗した時に魔法蚕の目の輝きが鈍ったのを思い出す。あれは成功した時とは全く違う反応だ。
自然とカティは杖を振った。そこにこれまでの慎重さはない。
しかし魔法蚕から外さぬ目線から、どれくらいの魔力でどう魔法蚕が反応しているのかが分かる。
魔法蚕の丸々とした目の色が変わりそうになった。
ここだ!
魔力を注ぐのを止める。さっと杖を引いた。
そして魔法蚕が吐き出した糸の色は、白だった。
静かに白い繭が出来上がる様子をカティは呆然と眺めている。
「おめでとうございます。これでみんな白い繭にすることができましたね。私と同点です」
ルネはぱちぱちと柔らかい拍手でカティを祝った。
「おーおー、天才さんよ。喜んでいるところ悪いんだが、後始末に手を貸すなっつったろ?」
そんなルネの背後にバネッサが立ち、その金髪を荒々しく撫で回す。
カティは教師に反論しようとしたがルネがそれを止めた。彼は微動だにせず、されるがままになりつつバネッサに答えた。
「後始末に手は貸していません。ただ私は友人に再度機会をあげただけです」
ふん、と鼻を鳴らした後にバネッサは言った。
「屁理屈だな。だがしかし、珍しいものを見せてもらったのは事実だ。お前、あの成虫の霊体に干渉して体を戻したんだろ?」
「その通りです。バレていましたか」
「教師を馬鹿にするなよ? まあ、珍しさに免じて今回の件は見逃してやるよ。おめでとうさん。サリヴァーンのお坊ちゃんとアールトのお嬢さんが十頭成功で合格だ」
ルネは上機嫌に微笑んだ。
しかしふと考え、思いついたことがあったのかバネッサに提案する。
「ありがとうございます。しかし、
これにはバネッサも戸惑ったようだった。
「あ? まあ良いけどよ」
とにかく了承を得たルネは杖を抜き、くるりとその先端を回す。呪文も何も唱えなかったがそれはこの魔法使いにとってはよくあることだ。
何も言わなくても魔法使いとしてルネが何かをしたのは分かる。何か力が自分達の周りを通り、燃えた黒い繭や床に落ちた黒い成虫の死骸へと纏わりついて。
静かな彼らに動きが現れた。風で溶けた羽などが揺れたのではない。明らかに体に力が戻っている。
「ま、まさか……」
ミシェーラは自分が燃やした繭がもぞもぞと動き出したのを見て言葉を失う。
そんな彼女に、そして教室内にいる全員に対してルネは言った。
「
これが意味するのはつまり、
言い終えた途端、死んだと思った魔法虫達に大いなる変化が訪れた。
焼かれたり、斬られたりした部位が癒され、接着され、彼らは再び動き出したのである。
「キ……キキッ!」
カチカチと牙を鳴らす姿はすぐさま幼虫の愛らしいものに変えられていく。そしてルネの魔法によって作業台の上に戻された。
教室内に漂っていた焼け焦げた臭いすら消し去るほどの衝撃。
死んだ魔法生物が蘇った。彼らは教師が作業開始を宣言する前の可愛い幼虫の姿に戻り、先ほどのようにじっと魔法使い達を見上げている。
詐欺でもまがい物でもない。本物の死者蘇生。
バネッサすら絶句した。新入生達もである。
ルネは彼らの反応を見て嬉しそうに作業台の幼虫を一頭抱え、その子に言い聞かせるようにくるくる回りながら喜んだ。
「ふふ。どうやら私はこの授業でも活躍できたようですね。ね?」
魔法蚕はルネが何を言っているのかは分からなかった。
しかし主たる魔法使いが喜んでいるのである。それは彼の世話を受ける自分にとっても良いことだろう。
そう判断したのか「きゅう~」と楽しそうな鳴き声を上げた。