七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~    作:HAL1993

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第13話~迷宮来りて~

 ルネは医務室から魔法剣の教室の前の廊下へと音もなく現れる。

 教師との約束の時間は近いが、もう一人の生徒を探すことも、迎えに行くこともしない。ナナオが近づいてきているのは分かるからだ。

 自分が作った魔法の地図の位置は分かる。ルネはこれまで作った作品を完璧に把握しているのだ。

 もうすぐあの角を今曲がってくる。

 視線をそちらに向けるとすーっと空を飛ぶ地図を追ってナナオが小走りでやってきた。

 

「ごきげんようMs.(ミズ)ヒビヤ」

「おお、ルネ。先に来ておられたか。地図を用意してもらい感謝するでござる。拙者、まだ部屋の位置などよく分からぬゆえ」

 

 ぽりぽりと頭を掻くナナオは、ルネだけでなく地図にも律義に頭を下げている。

 ルネが魔法をかけただけで地図には意思はないのだが。

 折角だ。おとぎ話を信じる娘にする父親のようにこっそり魔法で地図を動かし、お辞儀に応えたように見せる。

 ぺこりと揺れた地図は折り畳まれてルネのローブの内ポケットへと飛び込んだ。折られたはずなのに厚みはなく、紙片となって彼の手持ちに戻る。

 

 おー、と感心した様子を見せるナナオであるが、どこか上の空な様子である。ぼんやりすることが増えていた。オリバーとのことが頭から離れないのだろう。

 魔法使いらしいとルネは思った。

 憧れで頭がいっぱいになるのは実に魔法使いらしい。頭がいっぱいになりすぎて考えが回らなくなるところもだ。

 国が違えども魔法使いはそうなのだなとそれを微笑ましく思いつつ。

 

「いえいえ。お気になさらず。では行きましょうか」

 

 そう言うとルネはナナオを連れ、教室の扉に手を伸ばす。

 室内のガーランドは既に二人を察知していたのだろう。ノックしようとすると「構わず入りなさい」と指示が出た。

 ルネはその通りに扉を開け、「失礼します」と入室する。ナナオもそれに続いた。

 ガーランドは広々とした大部屋の中央に立っている。腕を組み、親し気な笑みを浮かべ手招きした。

 

「夕食前だというのに呼び出してすまない。Mr.(ミスター)サリヴァーン、Ms.(ミズ)ヒビヤ。では中央に立ってくれ。授業の時と同じように」

 

 二人が指示通りにするとガーランドはナナオに尋ねた。

 

「さて、Ms.(ミズ)ヒビヤ。今回君を呼んだのは他でもなく君の指導についての方針を固めるためだ。なにせ私には君の流派に関する知識が乏しくどう教えるのか考えねばならない」

 

 とはいえ、とガーランドは続ける。

 

「私も他流試合をこれまで数多く続けてきたクチだ。我々の知らぬ術理が与えてくれる影響には大いに期待している。だから君が何か悩むことはないから安心したまえ」

 

 そう彼がにっと笑うとナナオは感謝を込めて魔法剣の教師へ頭を下げた。異国の剣技に敬意を払う剣士にナナオが礼を払わぬわけもない。

 ガーランドは笑みを収め、真面目な表情でナナオとの会話を続ける。

 

「ではまず確認だが、君は流派や杖剣を変えるつもりはないか?」

「そうでござるな。特にその意思はござらん」

「ふむ、そうか。それは良かった。先ほども言ったが私自身にも他流派には興味があるし、それに君の後見人のマクファーレン先生からは君の個性を尊重して教育するように言われていてね。ではこれからの授業では君の術理を尊重しつつ、より技術を深めていくことにしよう」

 

 ナナオを見つめるガーランドの視線は期待感に満ちていた。異文化が育んだ剣技への好奇心、そして彼女を育てていくことの嬉しさや楽しさが隠しきれていない。

 

「それにはまず君の剣を知らなければならないが、そこでMr.(ミスター)サリヴァーンに手伝ってもらうというわけだ」

 

 紹介を受けたルネが頭を下げた。ガーランドはルネの紹介をナナオにする。

 

「彼の義理の母君であるミネルヴァ=サリヴァーンは私の偉大な先輩でね。Mr.(ミスター)サリヴァーンの実力はその人からよく聞いている。最強格の異端狩り(グノーシスハンター)として知られた魔法使いが認める実力者だ。君も存分に力をぶつけるといい。彼ならしっかりとそれに応えてくれるだろう」

 

 にこりとルネは優しげな笑みを浮かべていた。

 しかしナナオはそこから一切の揺らぎのない迫力を感じ取っていた。迷いのない眼差しに冷や汗が背中にじんわりと浮かぶ。

 

「それは承知しているにござる」

 

 ナナオもミシェーラとルネの試合を見ていたのだ。それに呪文学教授の自動人形(オートマトン)との戦いもだ。彼が実力者であることは既に分かっていた。

 

「では始めるとしよう」

 

 ガーランドは審判の位置に立った。

 

「一礼し、抜刀」

 

 二人は互いに礼をし、杖剣を抜く。ナナオの刀とルネの杖剣。どちらも一般的な杖剣ではない。

 ナナオは片刃の刀であり、一般的な杖剣よりもやや長い。二十五インチくらいだ。

 対してルネの杖剣は一般的な両刃ではあるが、刀身がナナオの刀よりも長かった。彼の杖剣は短剣程度の長さではなく、普通人の(ソード)と同じおおよそ三十インチくらいある。

 

切らず貫かず(セークールス)

 

 ガーランドの呪文がルネとナナオの杖剣から殺傷力をなくした。

 

Mr.(ミスター)サリヴァーン、一応言っておくが今回は呪文の撃ち合いはなしだ。あくまでMs.(ミズ)ヒビヤの技術を見るだけだからな」

「はい、了解しております」

「またこれは勝敗を決める試合ではない。ゆえに有効打があった場合でも試合は続行となる。立ち位置を戻るなり、有効打を打った方がいったん退くなり、再開のやり方は君達に任せる。危険な場合は止めに入るが、君達ならそういったことにはならないと信じている。私がMs.(ミズ)ヒビヤの剣技を見て取ったら終了だ」  

「かしこまりました」「承知」

「では両者構えて」

 

 ルネはくるりと杖剣を軽い動作で回し、ナナオに切っ先を向けた後に右手側に垂直

に立てて構えた。

 対するナナオは中段の構え。魔力を漲らせ、その力で髪を真っ白に染め上げた姿で切っ先をじっとルネに向けている。

 流石に物思いな様子はなくなった。勝負に集中しているのだろう。ルネも彼女を気にかける思いを捨て、杖剣に意識を傾ける。

 

「始め!」

 

 ガーランドの号令のもとまずナナオが駆け出した。

 戦いの様子はまずナナオの一方的な攻めの展開となる。全身を駆け巡る魔力が彼女の力の後押しとなり、そこから生み出した強烈な攻撃は苛烈を極めた。

 しかしルネは体を崩さずしっかりその全ての攻撃を受け止めていた。

 鍔迫り合いとなった途端ルネが使った反撃代わりの領域魔法が彼女の足場を柔らかくして崩すが、ナナオは軽い動きで後退して足を取られることを避ける。

 一方ルネは柔らかくなった床の上を何ら変わらぬ足取りで進み、軽い振りで重たい一撃を彼女へと打ち込む。

 

「ッ!」

 

 頑丈な杖剣同士のぶつかり合い。そこに魔力を込めた一撃の衝突は二人を中心に教室内に揺れを起こすほどの強さだった。

 あまりの威力にナナオは後退した。そこにルネが迫り、再度鍔迫り合いの形となる。ナナオは両手で杖剣を、ルネは片手で杖剣を扱っている。

 片腕の差があるはずなのにナナオは押されていた。それも彼女は全力でルネに対抗しているのにも関わらずルネの方はそれほど力を込めているように見えない。

 今度はルネが攻勢に出る番だった。剛力の鋭い剣の一撃が何度も振るわれる。

 その勢いにナナオは防ぐばかりで反撃の糸口が掴めない。

 

 と、不意にルネが床を蹴り、くるりと宙返りをしながらナナオとの距離を取った。

 ルネはしばし肩で息をするナナオを見つめる。

 彼は比べていたのだ。オリバーと立ち合った時の彼女と、今の彼女を。

 やはり同調は発生していない。

 ルネはなるべく彼女の呼吸や魔力に合わせて戦っていたつもりだったのだが、オリバーと戦った時のような魂魄の揺れを彼女から感じ取ることができなかった。

 

 やはりあれはナナオとオリバーの関係があるからこそ成立する事象であったか。

 

 ナナオの息が整ったのを見て取ったルネが再度攻撃をしかける。

 今度は一方的な戦いにはならず、瞬時に攻防を切り替える接戦となった。激しい杖剣の応酬が二人の間で交わされる。

 ルネは変わらず涼し気に杖剣を振るうが、ナナオは段々と追い詰められていく。

 辛うじて防ぎ、反撃をするがルネには一切彼女の刀は当たらない。軽い身のこなしと、まるで先読みしているかのような感覚で避けられる。

 

 対してルネの杖剣の刃は何度か彼女の首筋や額を流れた。もしこれが本気の剣であれば首を斬られ、頭蓋を斬られていただろう。

 ぞっとするナナオに対しルネは更に攻撃の速度を上げた。猛撃である。

 とうとうナナオはルネの一撃を防ぎきれずに胴に一閃を受けてしまった。

 もちろんガーランドの魔法によって痛みはない。しかし彼女は剣士として自らが致命傷を帯びたことを痛感した。あの攻撃が魔法なしの刃によって放たれれば自分の体が両断されていたことは明白である。

 

 一本だ。

 

 ルネは軽い動きで距離を取り、ナナオと対峙する。ナナオも刀を構え、ルネと向き合った。

 ルネはじっくりとナナオの様子を観察する。彼女の技量を推し量っているガーランドとはまた違った視点である。

 肉体、霊体、魂魄、全てをルネは完全に把握していた。彼女の全身を流れる魔力流の一本一本、血管を流れる血液、その勢いすら感じ取ることができている。

 ナナオの興奮した気配は強者と対面した武闘派魔法使いのそれであるとルネは感じていたが、しかしそれだけである。

 やはりオリバーとの戦いの時のような魂魄の反応は見られない。どれだけ自分の技量を見せつけても、逆に彼女に攻めさせてもそこは変わらなかった。

 

「そこまで!」

 

 ルネが十回ほどナナオに致命の一打を与えた後にガーランドは終了の合図を口にした。

 

 二人は指定の位置に戻り、礼をして試合を終える。

 

「今の立ち合いから今後の君の指導方針を組み立てていくことにしよう。今日はわざわざありがとう。それと帰り道はこれを食べて行くといい。食堂で作ってもらったサンドイッチだ。夕食の時間を外させてしまったからな。これを食べて、キンバリー初日の夜はゆっくりと休みなさい」

 

 ルネとナナオはそう教師の労いを受け、教室から出た。

 

 

 

 窓から見える景色はすっかり夜になっていた。教室を出るなりナナオは早速ガーランドから受け取ったサンドイッチの包みを開いている。

 ぱくりと口に運び、美味しそうに食べ進めていった。

 ルネはその様子を見て安堵した。ナナオは多少元気を取り戻している。先ほどの戦いで少しは気を紛らわすことができたようだ。

 ただし一時的なものであるとルネはよく理解していた。

 近いうちに、ふとオリバーとの再戦が頭をよぎるだろう。

 そのたびにナナオは苦しむはずだ。友人と命のやり取りを望むだなんていけないことであると。

 

 しかし、そういうものなのだ。憧れというものは。

 ルネは嬉しく思っていた。異国生まれの魔法使いであっても、自分と同じように身を焦がすような憧れに苛まれるのだと。

 不老不死を願う自分と、友人との果し合いを望むナナオ。魔法使いはやはりこうでなければ。

 そう微笑ましく自分を見つめる視線に気づいたのか、ナナオがサンドイッチ片手ににっと笑う。

 

「やはり貴殿は凄まじい使い手にござる。同じ年の剣士とはまるで思えぬ、達人の如き澄み切った一閃にござった」

「君もかなりの剣士ですね。よく死線を潜ってきたのが分かります」

 

 そう互いを称賛しあう。本心から。

 ナナオは気にしなかったが、ルネが口にした「よく死線を潜ってきた」という称賛は彼がナナオをよく理解していることの表れである。

 ルネは他の連合(ユニオン)人に比べたら日の国(ヤマツ)の情勢に詳しかった。かの国が現在統一を目指した地方政府同士の内戦中で、それが百年近く続いていることも知っている。

 ナナオは生まれてからずっと戦争の中で過ごしたのだ。それも一般人としてではなく、戦場を戦い抜いた戦士として。

 

 ルネが知るところによると日の国(ヤマツ)の女性が戦場に出てくることはほとんどないそうだが、その点はナナオが特別なのだろうと彼は思っていた。

 彼女の技術は訓練だけで鍛えただけのものではなく豊富な実戦を経ていることがよく分かる。一撃一撃の思い切りの良さもそれで生き残ってきた経験があるからこそだろう。

 

 魔法使い達の社会は魔法使い同士が殺し合う殺伐としたものだが、大きな視点で見れば連合(ユニオン)そのものは既に統一戦争を終えている。ルネもオリバー達も戦争は歴史の中にしかないのだ。

 時折オリバー達とナナオの価値観の違いが大きく出てくるのは国籍や文化の違いというよりもそれまでの生き方の違いが原因だろうとルネは考えていた。

 ルネ自身もそうだろうとぼんやりと推測しかできないが。

 

「いや、実に素晴らしい。私も同世代でここまでできる方がいるとは思いませんでした。ここまで楽しませてくれるのはMs.(ミズ)マクファーレンくらいだと思っていました」

「確かに。シェラ殿もかなりの使い手。ルネとの戦いは素晴らしきものにござった」

 

 大切な観察対象に対する理解を深めるつもりでルネはナナオとの会話を楽しんだ。

 彼女は身の上話をする際に全く秘密を作らなかった。

 ルネが自身の両親の話をすれば彼女も同じように話す。父親は討ち死にし、母親は落ち延びたと。既に故郷が滅びているであろうことも、キンバリーに来る前は戦場にいたことも。

 

 彼女が孤独であることは予想の範疇だった。

 ナナオがここにいる理由は、彼女にはもう何も残っていないからだ。

 予想外といえばキンバリーに来る直前に戦場そのものにいたことか。戦場でキンバリーへの誘いを受けたそうだ。

 

 劣勢の戦の絶体絶命の状況下。殿を務め、それでも敵将の首を狙った彼女だが、その目前で最後に敵に囲まれ──自身の憧れが叶わなかったと後悔を胸に死を覚悟し──金髪を縦巻きにした魔法使いがその命を救ったのだと。

 そして金髪の魔法使いセオドール=マクファーレンの誘いのままここまでやってきたのだと。

 

 一応連合(ユニオン)の魔法使いが外国で活動する際にはその国の情勢に干渉しないことがルールであるのだが。

 それを破るほどにナナオの死がセオドール=マクファーレンにとっては惜しかったのだろう。

 何がマクファーレン家当主にそうさせたのかという点も興味深いが、ルネはナナオを救った彼に今は感謝することにした。

 

「──おや」

 

 会話を一段落終え、ふとルネはじっと星空を見つめた。

 そこから読み取る何かがあるのか、彼の目は景色を見つめるだけでなく空の暗がりや星の位置などをよく観察する。

 そして一言。

 

「今日は迷宮が高く昇ってきそうな日ですね」

 

 地平線にほんの少し見える夕焼けと、その上に広がる黒々とした空を見比べながらそうぽつりと呟く。

 

「うむ……迷宮が昇ってくるとはどういうことにござるか?」

 

 ルネの呟きに興味を持ったらしい。齧ったサンドイッチを片手にナナオが尋ねる。

 

「おや、マクファーレン先生は本当に君に何も教えなかったのですね」

 

 彼女の疑問に答える前にルネはそう感想を口にした。

 そういえば、とナナオが入学式を制服ではなく故郷から持ってきた正装でやり過ごしていたのを思い出す。理由は彼女の後見人であり、ミシェーラの父親でもあるキンバリー非常勤講師マクファーレンが全く用意をしていなかったからだと言っていたが。

 ナナオを日の国(ヤマツ)から連れてきてから言葉を覚えさせただけでそれ以外はほとんど何も言っていないのだろう。

 そう結論づけるとルネは足元を指さし、説明を始める。

 

「ここキンバリーの校舎は魔法迷宮に通じる入り口の上に建っています。それはご存知でしょうか?」

 

 ナナオが首を横に振ったのを見て、ルネは「なるほど」と一言口にし、そこから話し始めた。

 

「迷宮とは古代の魔法遺跡のことを指します。この校舎はそこへ繋がる魔法の入り口に封印をする形で建てられているのです」

「ほお。地下にそのような場所があるのでござるか」

 

 ルネはナナオの答えを即座に訂正する。

 

「その認識は違っています。地面の下に魔法に満ちた空間があるのではありません。校舎が塞いでいるのは別空間への入り口です。迷宮とは私達の過ごすこの空間とはまた別の空間に広がっているのですよ」

「むう。別の空間にござるか」

 

 ナナオがいまいちよく分かっていないのはルネも分かった。

 

「そうです、別の空間です。迷宮に立ち入るのに地下に降りる必要はありません。校舎はその入り口を封じると同時に、入り口からの魔法的な影響を受けています。その一つが──」

 

 ルネはきょろきょろと見回し、廊下の壁にかかっている大きな絵の一つを指さす。額縁に飾られた綺麗な泉の絵である。

 

「あれです。Ms.(ミズ)ヒビヤ、よく見ていてくださいね」

 

 そういうと手にしたサンドイッチの包みを、ルネは絵に向かって放り投げた。あ、とナナオが反応する。

 しかし包みは絵に当たらず、何と絵の中に吸い込まれた。

 きょとんとするナナオにルネは説明する。

 

「この校舎は迷宮の入り口に蓋をしましたが、それによってこうして建物や調度品などに迷宮の魔力の影響が出ているのです。影響によって例えば部屋の位置が変わったり、部屋が増えたり、こうして絵や扉が迷宮への入り口になったりします」

 

 ルネは杖を片手に泉の絵に首を突っ込んだ。ぎょっとするナナオ。駆け寄ってその様子をよく見た。

 絵に顔を押しつけているのではない。まるで水面に顔をつけた時のようにルネの顔が絵に沈み込んでいる。彼は更に顔だけでなく上半身ごと絵に入り込む。

 奇怪なと思っているとルネがばっと顔と体を戻した。

 

「特に危険はなさそうですね。これも取られませんでしたし。ではMs.(ミズ)ヒビヤ、君もどうぞ覗いてみてください」

 

 その手には先ほど放り投げたサンドイッチの包みがあった。

 どうぞと言われても、ナナオは流石に躊躇ったが、意を決してルネがそうしたように絵に顔を押しつける。まるで潜水する時のように目を閉じ息を止め、ばっと絵に突っ込んだ。

 硬い衝撃を恐れたナナオだが、壁や布に顔を当てるのとは違う柔らかい感触が彼女の顔に広がる。生暖かい泥の中を進むような感覚の後にやや湿った空気が鼻や耳にこびりついた。

 

「さあ、目を開けてください」

 

 後ろからルネの優しい声がする。それに従って目を開けると、ナナオはそのまま目を丸く見開いた。

 そこは先ほどまでの廊下とは全く別の場所のようだった。

 確かに造りは廊下と同じく石材であったが、その大きさも形も全く違う。またずっと古いようにも見えた。

 何より全体の雰囲気が淀んでおり、妙な気配の漂う場所である。

 広い空間の中に石造りの道や壁が上や下にも続いている、どう考えても先ほどの廊下と壁一枚隔てた場所にあるとは思えないこの場。どういう意図で設計されたのか分からないほどに道があちこちに繋がっていた。

 ナナオが感心した様子で辺りを見回していると隣にルネの顔が現れた。

 

「ちょっと入ってみましょうか」

 

 そう提案すると、ルネは顔だけでなく全身をこの場所に置く。今度は躊躇いなくナナオもそれに続いた。

 振り返ると、二人が入ってきた入り口は何も飾られていない額縁であった。廃墟のような遺跡に取りつけられた古びた額縁である。

 

「ようこそMs.(ミズ)ヒビヤ。ここが迷宮の一層目、通称『静かの迷い路』です」

 

 ルネは両手を広げ、魔法使いとしてナナオを歓迎した。

 不気味な雰囲気の石造りの迷路こそ迷宮の最初の階層であり、ここには上級生下級生に関わらず多くの生徒達の秘密の工房が点在している。

 しかし決して手狭には感じない。未だ生徒達の手が入っていない区画は数多くあるのだ。

 ルネは両手を広げたままくるりと回り、この場所を紹介する。

 

「ここ迷宮はどの階層も非常に広いのが特徴です。仮にこれだけの広さの地下空間が校舎の下に広がっていたら、すぐにでも上の建物は沈没してしまうでしょう。しかしそうなりません。何故ならここが地下ではなく、別空間にあるからなのです」

「なるほど。確かに」

 

 ナナオが納得したのを見て取ったルネは頷いて説明を続けた。

 

「ここに至る入り口を校舎は塞いでいるのです。しかし封印は決して完璧ではありません。先ほどの絵が入り口に変わってしまったように、迷宮は校舎に強い魔法的な影響を与えているのです。それが最も活発になるのが夜です。その影響力は日中の比ではありません。例えば歩いているだけで、ここに来てしまうこともあるのですよ。それを『迷宮が高く昇ってくる』と表現するのです」

「まるで妖の術にござるな」

「妖精にからかわれたようでしょう?」

 

 面白そうにルネは微笑んでいるが、不意に彼はきょろきょろと辺りを見回した後にナナオに告げた。

 

「おやおや。少し長居をしすぎたようですね。では戻りましょうか。迷宮はそれほど安全ではありませんからね」

 

 ついさっき入り口にした額縁を指さす。

 

「迷宮には危険な魔法生物の生息域や罠が数多くありますし、そして何よりも学生達がたむろしています」

 

 ナナオは首を傾げた。危険な生き物や罠の類の話は理解できるが、どうして学生が危険であるのだろうかと。

 その疑問に答える前にルネは杖を抜いて自分の背後に無言で魔法を放った。その力が曲がり角に潜んでいた男子生徒を引きずり出す。

 更に魔法が続き、杖剣を抜こうとした男子生徒の動きを止めた。

 

「ぐッ……ほお、なかなか良い品質だ。流石はあのサリヴァーンといったところか」

 

 現れたのは強烈な死臭を放つ不気味な長身の男子生徒である。独自の意匠が加えられているが、制服の色は彼が五年生であることを示していた。

 ケープを加えたその制服はまるで邪教の司祭のようにも見える。その威圧感はルネ達より四歳くらい上の人物とは思えないほどだった。

 上級生は動きを封じられたものの、ぎょろりとしたその目から戦意は失われていない。

 どうにかして魔力を用いて拘束を解こうとしているが、もちろんルネの縛りは強固なものであって上級生であったとしても容易く破れはしない。

 

強く押されよ(イクストルディートル)

 

 もがく隙にルネの魔法が上級生を吹き飛ばし、通路の奥の壁に叩きつけた。石材が崩れ、上級生の上に降り注ぐ。

 きょとんとするナナオにルネは言った。

 

「迷宮の中はそれほど校則が厳しくないのです。校舎の中ではこうした魔法戦闘は規則違反ですが、迷宮ではこうしてしょっちゅう生徒同士の喧嘩が起こってしまうのですよ。いやはや。乱暴な人達ですよね」

 

 そう同意を求めていると

 

「──集い形成せ(コングレガンタ)

 がらりと崩れた石材の間から上級生の杖剣が覗いた。そして詠唱と共に床を破って白い骨の杭が現れ、ルネ達に迫る。

 刀に手をかけたナナオに対し、ルネは上級生を無視してナナオを月に届け(リーチフォーザムーン)で持ち上げて額縁の中へと放り込む。自身も魔力の助けを借りた俊足で彼女に続いた。

 更にナナオが入り口に飛び込む直前に額縁に魔法をかけ、繋がる行き先を変える。その手際の良さに瓦礫の山から立ち上がった不気味な上級生は舌打ちをした。

 

強く押されよ(イクストルディートル)

 

 ルネは額縁に飛び込む前に呪文を唱えた。杖先から放たれた波動が廊下から突き出した骨の杭を全てへし折り、その先にいた上級生を更に次の壁の奥へと押し出した。

 吹き飛ぶ上級生の姿を見たルネは深追いせずに早々に校舎へと戻る。

 

 

 

 二人の姿が出てきたのは廊下に飾ってあった絵画ではなく、校舎入り口に飾ってあるタペストリーであった。

 ナナオは俊敏な身体能力でくるりと宙で体勢を戻し綺麗に着地する。ルネもその隣に着地し、彼はすぐに魔法を用いて繋いだ道を閉じた。

 ふわりと揺れたタペストリーは何の変化もない。ナナオはそこから再び骨の杭が飛んでくるのではと警戒したが、道を閉じた本人であるルネは警戒心を消して杖を腰のケースに戻す。

 

「通り道は消しました。もうあの人も襲ってくることはできません」

「ルネ、今のは」

 

 構えもしないルネを見て、ナナオも刀を下ろして尋ねた。

 ぱんぱんとローブの裾を払い、ルネは答える。

 

「少しお話ししましたが、迷宮内では校則がほとんど適用されません。校舎内だと決闘を宣言して、審判を置いて、と手順を踏まないと行えない決闘も、迷宮内ではああして不意打ちや出会いがしらの乱闘がまま発生するのです。形式もとても試合とはいえないルール無用の戦いになりがちですしね。

 君も迷宮に入るようになったら気をつけてください。あそこに住む魔獣や仕掛けられた魔法の罠と同じくらいキンバリー生は危険人物なのです」

「うーむ。なんと殺伐とした。まるで学び舎とは思えぬでござるな」

「その通りですね。私も早速キンバリーの洗礼を受けるとは思いませんでしたが」

 

 ナナオの率直な感想にルネは苦笑せざるを得ない。彼も伝聞でキンバリーのあり方を聞いていただけで、こうして体験するのは初めてだったからだ。

 本当に迷宮で先輩に襲われるんだ、と彼も今更ながらキンバリーを実感しているのである。

 また戦闘に入った時のことを思い出し、襲撃者の素性も口にした。

 

「しかし先ほどの方、制服を見たところ五年生のようですね。それで骨を扱う魔法使いとなるとサイラス=リヴァーモア先輩でしょうか。実力者として有名な方ですが、

 いやはや。あれくらいの人なら一層ではなくもっと下を拠点としているはずでしょうが、新入生に会いたくなって上がってきたのでしょう。荒っぽい迷惑な人ですね」

 

 そうやり取りをしていると近寄ってくる駆け足の音が聞こえる。ナナオが柄頭に手を置いてぴくりと反応し、ルネが特に構えもせず振り返ると。

 

「る、ルネ!」

 

 慌ててやってくる足音の主はカティであった。その後ろからはガイと、見知らぬ四年生の女生徒がやってくる。 

 

「おや、君達はあのMr.(ミスター)サリヴァーンと知己だったのかい」

 

 そう意外そうに言ったのは四年生の女生徒だ。温和そうな研究者肌の魔女であった。

 しかし伸ばした前髪で隠した左目と左の手のひらから剣呑な気配が漂い、ルネはその正体を即座に看破する。

 

 石蛇(バジリスク)の邪眼だ。視線に含まれる僅かな呪詛から分かる。

 魔法使いが特別な能力を持つ魔法生物の目を自他に移植するのは珍しいことではないが、石蛇(バジリスク)はその中でも扱いの難しさや移植後の致死率が高いことで知られていた。

 呪いの視線を保ったまま眼球を摘出するのは高度な技術が必要であるし、仮に移植しても魔法使いがこの魔獣特有の呪詛を扱いきれずに自滅してしまうことが多いのである。

 

 ゆえに命知らずの魔法使い達でも好んでこれを利用する者は少ない。魔法生物学に優れた一族か、呪詛を好む家柄か。

 きっと前者だ。呪術の家系にしては邪眼以外の呪詛を感じない。彼らはたっぷり体に呪詛を蓄えているのだから。

 

「君のような優秀な後輩と知り合えて光栄だ。私は四年のヴェラ=ミリガン。よろしく」 

 

 上級生はそう名乗って握手を求めてきた。邪眼が移植されていない右手で、である。

 ルネは微笑んでそれに応えた。

 

「始めましてミリガン先輩。ルネ=サリヴァーンです。以後お見知りおきを」

 

 ミリガン。

 ルネは意識を「黎明城(カスットゥルム アウローラ)」へ飛ばし、世界の情報に繋がるこの宮殿の書架から同じ家名の論文著者を探し出す。

 初対面の相手にこの能力を利用するのは失礼であるとルネは意識しているので滅多にやらないが、少々気になったのでやってみた。見つかった論文集などをざっと確認する。

 

 ──ミリガン一族。その分野に突出した著名な人物を輩出しているわけではないが、代々魔法生物学に強い関心を持っている家系であった。

 この二百年の間でミリガンの家名を持つ魔法使い達が書いた魔法生物学の論文は何千本もある。

 だから石蛇(バジリスク)の邪眼を扱う能力があったのだろう。彼女に邪眼が適合するまでどれだけの兄弟達が呪詛で死んだのかは分からないが。

 

 しかし興味深いのは彼女の祖父と父親だ。ジョージ=ミリガン、ロン=ミリガンである。

 二人とも専攻は魔法生物学、それも専門は亜人種──特にトロールとの対話について。

 ヴェラ=ミリガンも四年生としては優秀な部類であるらしく魔法生物学系の論文誌に載った著作がある。その三本とも亜人種の脳機能に関するものだった。

 

 おや、とルネは思った。

 これは偶然か、それとも仕組まれたものか。

 この思考は握手の一瞬で終わった。

 二人の挨拶が終わるとカティが言った。

 

「ミリガン先輩は私とガイが校舎で迷ってるところに駆けつけてくれて、ここまで送ってもらったんだ」

「この時期の上級生の仕事さ。しかし今年の迷宮はだいぶ活発だ。こんなに早い時間から侵食が始まったせいで、かなりの数の新入生が迷宮に取り込まれたらしい」

 

 カティが説明し、また心配そうに校舎へ振り返るミリガン。

 ──後輩を気にかける様子は嘘ではない。

 どうやらカティ達と会ったのは偶然のようだ。ミリガンはまだカティ達があのトロールに関心を抱いていることを知らない。

 自分の単なる杞憂で彼女は無関係か、もしくはトロールの知性化に関わっている生徒であってもこのままちょっかいを出してこなければとルネは思っていたが、ここでふと気づいた。

 

「オリバー達がいないでござるな」

 

 きょろきょろと最後尾のガイの後ろを見つめていたナナオがそう言った。いつまで経っても現れない三人を不思議に思ったのだろう。

 そうだ。

 オリバー、ピート、ミシェーラの姿が見えない。

 

Ms.(ミズ)アールト、Mr.(ミスター)グリーンウッド。他の三人は?」

「それが、ピートの忘れ物の教科書を教室に取りに行くって別れてからそれっきりで──ルネ達は三人を見なかった?」

「拙者達も今しがた迷宮の中にいたでござるが、骨を扱う先達と出会ったのみでオリバー達の姿は全く」

「骨を扱う……となるとリヴァーモア先輩か。あの人が一層に上がってきているとなると、これはまた面倒だね。しかしあの人と会って無傷とは、流石かのルネ=サリヴァーンだ。とても一年生とは思えない」

 

 ミリガンの興味深げな視線が向けられるが、ルネはそれを気にせず早々に動き出した。

 

「クリスタ」

 

 そう使い魔の名を呼ぶと、途端に空中に炎の塊が現れた。ナナオに手紙を届けた炎と同じである。

 おお! と全員が驚くなか、炎は不死鳥へと姿を変えた。

 

「ほう。不死鳥、それも原種かい」

 

 ミリガンの指摘にルネは頷いた。

 

「はい、私の可愛い使い魔ですよ。ではクリスタ、彼らを守っていてください」

 

 不死鳥は「くええ」と気のない声を上げ、地面に降りた。

 珍しい魔法生物にミリガンは興味津々だし、カティも珍しい不死鳥に目を輝かせる。

 

「私は迷宮に戻りますから、君達はここに」

 

 そう言い残すとルネは校舎に向かって駆け出した。その姿はすぐに校舎の闇の中へと掻き消える。

 それは夜が作り出した影か、それとも迷宮の暗がりだったか。

 しかしカティ達の誰もが心配をしていなかった。

 あの魔法使いなら三人を連れ帰ってくるだろうと。

 

 ただナナオはうずうずと体がうずくようだった。落ち着かない様子で彼女が辺りを見ると、ついさっき飛び出してきたタペストリーの下に奇怪な揺らぎが見えた。

 迷宮への入り口だ。直感で彼女はそう思った。

 ちらりとナナオはカティやミリガンを見る。

 彼女達が不死鳥やルネの方へ意識を向けている間に、隙を見たナナオはそこへと身を投じた。

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