七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~    作:HAL1993

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第23話~ハロー、キンバリー その2~

 それはオリバー達と約束した集合時間の一時間前のこと。

 ローブのフードで顔を隠したルネの姿は既に迷宮第一層の中にあり、そして迷うことなく円形闘技場(コロシアム)へと向かっていた。

 

 場所は把握済みである。

 既にこの階層には自動人形(オートマトン)人造生命(ホムンクルス)達の調査班を展開しているからだ。

 

 主な目的は迷宮内部の調査であるが、その一環でどこにどういった施設があるのか、どのようなイベントがあるのかほとんどを把握していた。

 もちろん一時間後のどこで何が行われるのかも知っている。その情報に従ってルネは通路を進んでいた。足取りの軽さ、迷いのなさは自信の表れである。

 

 だが慎重さは忘れない。深く被ったフードの奥でルネが目を細める。

 人の気配が増えるのを感じたからだ。全員が同じ方向へと向かっている。決闘の観客達である。

 彼らと出会うつもりはなかった。なので人の通りが増える前にルネは魔法で姿を消す。

 外見だけでなく気配や魔力残滓などの痕跡すら残さない隠形である。もしこの状態で誰かと肩がぶつかっても相手が気づかないほどだ。

 

 そして誰の目にも触れずにルネは会場へとたどり着いた。誰が勝つのか賭ける生徒達と今日の決闘のパンフレットを配る運営の生徒達の間を縫って、開かれた扉から円形闘技場(コロシアム)へと入っていく。

 

 通路から観客席へと通じる階段を上り、今夜のイベントの様子を一望した。

 開催一時間前であるというのに既に客席には大勢の観客が入っており、それぞれ手には飲料の入ったカップや軽食を持っている。通路では売り子が元気に声を張り上げていた。

 

 闘技場では場を盛り上げるための前座が行われている。犬人狩り(コボルド・ハント)だ。

 犬に似た猛獣の頭に鋭い爪が生えた指、硬い体毛に覆われた体と手足、そして二足歩行の骨格──亜人の一種である犬人(コボルド)を衆人環視のもとで狩るという魔法使いの遊びである。

 

 二年の男子生徒が犬人(コボルド)の首を風の刃で跳ね飛ばした。落ちた首と噴き出した血に興奮した観客の歓声が大きくなる。

 この競技は上は魔法貴族から下は田舎の魔法使いまで楽しんでいた。といっても魔法貴族がやる犬人狩り(コボルド・ハント)と田舎で行われる犬人狩り(コボルド・ハント)は大きく違う。

 

 後者はあくまで殺処分兼娯楽兼魔法使いの宣伝という趣が強いが、前者は単なる貴族のお遊びであるからだ。

 田舎の犬人狩り(コボルド・ハント)は祭りの際に普通人の前で行われる。狩る犬人(コボルド)は田舎では殺人を行う害獣なのだ。それらを捕らえ、犠牲者である普通人達の前で殺すことによって彼らの鬱憤を晴らし、またその死に様を娯楽にし、こういったことのできる魔法使いの能力を示すのである。

 

 対して貴族の犬人狩り(コボルド・ハント)は貴族の間だけで開催されるのが常である。使われる犬人(コボルド)も自分達で捕まえたものではなく購入したものがほとんどだ。

 なのでルールは貴族の犬人狩り(コボルド・ハント)の方が多い。ルールブックに公式として書かれるものから仲間内のローカルルールまで様々なものがあった。こちらは祭りではなく競技だからである。

 

 キンバリーではどういったルールが適用されているのかは分からなかったが。一般的には「華麗に殺すこと」や「無傷で殺すこと」が主なルールである。

 あくまで前座のお遊びであると思ったルネはさほど目の前の競技に関心を抱かなかった。

 しかし周囲を見回す目に抜かりはない。競技内容に興味はなかったが、状況の観察は怠らないからだ。

 

 例えば今夜のイベントの運営側の状況について。

 さっきから犬人狩り(コボルド・ハント)に登場する生徒は一年生か二年生ばかりである。審判の生徒もだ。観客席の生徒も一年と二年が大半であり、上の学年の生徒の姿はかなり少ない。

 

 つまり運営主体は一年生と二年生であり、三年生以上の生徒達はあくまで少数の観客のみということだ。

 

 またより重要なのは人質であるマックリー達の居場所である。

 校舎内にも寮にも、また他の迷宮第一層のどこにもいなかったのでここにいるのは間違いなかった。

 魔力を用いるまでもなく見つけることができた。観客席の最前列に並んで座っている。闘技場から見やすい位置だ。

 

 周りには先日ルネが倒した保守派の新入生達が同じように座っていた。もちろん彼らはマックリー達の味方ではない。人質を見せつけるために一番良い席を確保したのだろう。

 

 一応マックリー達は他の生徒達に暴力を振るわれてはいないようだ。肩身は狭そうであったが。

 そうして十分ほど会場の観察を続けていたルネはより大きな歓声が響いたことでようやく闘技場の方に目を向けた。

 

「それではここで早速今夜のメインゲストの登場だ! ちょっと早めにその腕前を見せてもらおうか、リチャード=アンドリューズ!」

 

 実況席の生徒から熱狂の声で紹介された名を聞いて、ルネの口元に微笑みが浮かんだ。ようやく自分の出番のようだからである。

 

 リチャード=アンドリューズは観客達の声援を浴びながら入場口から堂々と現れた。まさに今夜の主役だ。

 彼は観客の声に手を上げて応えながら闘技場の中央まで進み出た。

 そして合図として杖剣を掲げる。審判席から審判役の二年生の魔法が飛び、亜人種用の入場口の鉄格子を開けた。

 

 選手の入場口とは違い陰鬱な空間と通路の奥から現れたのは三匹の犬人(コボルド)だ。運営によって興奮剤を使われているのか登場しただけで息は荒く、目は見開かれている。

 選手の合図から競技は始まっていた。審判の二年生は審判席から選手の動きがルールに沿っているか確認する。

 

 犬人(コボルド)達は薬物の興奮のままアンドリューズに襲いかかる。

 しかし彼はこの三体の亜人種をあっという間に倒した。風の刃や杖剣を用いて、傷どころか返り血すら浴びずに。

 

 見た目ほど簡単なことではない。

 飛びかかってきた亜人の腹を風の魔法を用いて切り裂き、駆けてきた犬人(コボルド)の爪や牙は杖剣の刃で防ぎ受け流し、姿勢の崩れた体に致命傷の刃を通す。

 アンドリューズから動いたのではなく、相手の動きに合わせた迎撃によって犬人(コボルド)三体を一蹴したのだ。

 

 彼らの動きや早さ、力の具合に慣れていないとできない競技内容だった。アンドリューズは犬人狩り(コボルド・ハント)をかなりやりこんでいる選手ということだ。

 

「流石名門アンドリューズ家の出身! とても一年生とは思えない腕前! もちろん本番の犬人狩り(コボルド・ハント)でもその実力を見せてくれよ! あの成り上がりのサリヴァーンをぶっ潰しちまえ!」

 

 熱気の入った実況の生徒の言葉にルネは表情を曇らせる。

 彼に侮辱されたからではない。

 実況者はこういった。「本番の犬人狩り(コボルド・ハント)でも」と。

 

 てっきり決闘前の前座だと思っていた競技だったが、どうやらアンドリューズはこの競技を以って決闘とするつもりらしい。

 ルネはちょうど自分の後ろを通った一年生の手からパンフレットを取り上げる。ルネは魔法によって自身の姿や行動を隠していたため、パンフレットを盗られた一年生はそのことに全く気づく様子がなかった。

 少しして持っていた紙がないことに気づいたものの、人混みの中で落としたのかと思ったのか首を傾げつつもそのまま自分の席へと向かっていく。

 

 そんな彼を見送ったルネはパンフレットに目を通した。

 アンドリューズとルネ、カティの紹介文の後に今夜のイベントについて書いてある。確かに試合内容が犬人狩り(コボルド・ハント)となっていた。それ以外は書いていない。

 曇った表情は怒りというよりは失望であった。てっきりアンドリューズと直接戦えると思っていたからである。

 亜人種を殺した数や殺し方で競うようなゲームは望んでいなかった。

 

「つれない人だ」

 

 誰にも聞こえない呟きを口にする。

 しかし残念がってばかりもいられない。競技を終えたアンドリューズが観客の声援に応えながら退場しようとしていたからだ。

 

 その前にルネも動く。

 

 パンフレットを手から落とすと軽い跳躍で観客席から下の闘技場まで降りた。そしてアンドリューズの前に着地した瞬間に隠形を解いてフードも外す。金髪青目の美少年の顔が露わになった。

 

 闘技場から会場全体を見回すと大勢の生徒達の顔が自分の方を向いているのが分かる。嬉しい。大勢の人がこれからのできごとを見てくれるのだから。

 ルネは自然と嬉しくなった。

 

Mr.(ミスター)サリヴァーン!? いったいどうして……」

 

 にっこりと微笑むルネを見て戸惑うアンドリューズと響めく観客達、騒然となる運営や審判達。

 彼らにとっては突然ルネが闘技場に現れたように見えただろう。実際はずっと状況を伺っていたわけであるが。

 彼らを無視してルネは懐中時計で時間を確認する。盤面をほんの少し見て、すぐにしまった。

 

「あと三十分くらいでしょうか」 

 

 カティ達が円形闘技場(コロシアム)に到着する予定時刻だ。それまでの残り時間である。

 この確認動作の間にアンドリューズ達は沈黙を止めた。目を丸くしていたアンドリューズは不快そうな表情を見せ、審判達は排除を決定し、観客達は罵声を浴びせ始める。

 敵役の生徒の乱入で観客達はブーイングを叫び、運営の生徒達はルネを摘まみ出そうと杖剣を片手に彼を取り囲むが。

 

「──それまで楽しみましょうか」 

 

 瞬間。野性的で素早かった亜人種の動きがのろまに思えるほどの動きで杖剣の刃が走り、ルネを取り囲んでいた生徒達の喉や腹を切り裂く。

 血飛沫が中心のルネに向かって飛ぶが、返り血を浴びる前に彼は既にアンドリューズの首根っこを掴んで闘技場の端に移動していた。

 

 瞬間移動ではない。ただアンドリューズを捕まえ、包囲を脱しただけである。あまりの素早さに彼は目が回ったが、血だまりの中に運営側の生徒達が倒れるところはしっかりと見えたようだ。

 

「え、あ?」

 

 戸惑うばかりで呪文の一声もでないアンドリューズに無力化する必要も見出さずにルネは観客席に飛び移った。マックリー達の前だ。

 

「こんばんは」

 

 目を丸くした彼女らはルネの挨拶に何も返せなかった。

 周囲を囲っていた保守派の新入生達は慌てて杖剣を抜くが。ルネが指先一つで操った力によって席に押しつけられてその手から武器が落ちた。背はぴったりと背もたれにつき、腕は肘かけから動かなくなる。

 

 更に結界を用いて彼女らを保護した。マックリー達と、保守派の新入生達だ。彼らは最後に取っておくつもりだからである。

 

 隔離作業を終えてからは他の観客達の抵抗、無抵抗に関わらずルネは攻撃を始める。殺戮、鏖殺、つまりは一方的で徹底的な攻撃だ。

 突然のできごとに全身を強張らせて固まる生徒を斬り、弱々しい反撃の火炎呪文を押し破る火力で魔法を使った。 

 悲鳴、怒声に関わらずルネの手と魔力が休むことはない。

 

「止まれ、Mr.(ミスター)サリヴァーン! 生徒会の名にお」

 

 逃げ惑う観客達を押し退けて現れた四年生の二人組がルネを止めようとするが、警告を無視して放たれた貫通呪文が彼らの喉と腹を撃ち抜いた。

 何もできずに崩れ落ちるその姿を見て観客は更に騒ぎ出す。

 

「せ、生徒会の上級生までやりやがったぞ!」

「ビビるんじゃねえ! こっちには数がいるんだ! とりあえず囲め!」

「今の見ただろ! 俺らじゃ無理だって!」

「うッ!」「ぎゃあ!」

 

 観客達は阿鼻叫喚、大騒ぎだ。戦うか逃げるか。そう言い合う間に斬られていくのである。

 しかし出口に向かって逃げ出す生徒、立ち向かう生徒と違いはあれどもルネにとっては全員同じだ。

 

 とにかく斬って、撃ち抜いて、吹き飛ばして、倒してと。とにもかくにも全員が敵なのだから。

 すぐに立ち向かう生徒達よりも逃げる生徒が多くなったので、攻撃を避けつつ反撃をしつつ、ルネは円形闘技場(コロシアム)の出入り口に意識を向けた。

 

 数は四つ。選手の入場口に続く通路でもあり、観客席とは階段で繋がっていた。

 彼らが逃げるにはいったん狭い階段を降りなければならないのだ。 

 そして最初に逃げ出した生徒がようやく出口までたどり着いた瞬間に、開かれていた目の前の扉がルネの魔法で閉められる。しかも丁寧な封印も施された。

 押しても動かない扉に最初に逃げた生徒が狂ったように叫ぶ。

 

「開かない! 開かないぞ!」

「魔法で封じてあるんだろ! 早く魔法を使えよ!」

 

 後続の怒鳴り声で冷静になった彼は杖を抜いて扉に向けるが。

 

「──だ、ダメだ。開錠呪文が通じない」

「一年じゃ無理なら二年生の俺が!」

 

 人混みを掻き分けてやってきた運営側の二年生が同じように杖を向けた。

 しかし一向に扉は開かない。額に脂汗がにじむがルネの魔法は解けなかった。

 

 ルネは杖の一振りで彼らを扉の前から引き離し、魔法で再び観客席へと引き戻す。

 引き寄せ呪文でゴロゴロと転がされ戻された生徒達に待っていたのは貫通呪文の雨であった。

 立ち上がる間もなく、宙から無数の魔力の線状が降り注いで狙ったかのように喉や杖腕を貫いていく。痛みや苦しみはあっても死はない。そんな狙い澄まされた攻撃だった。

 

 同じことが四つの出入り口で起きた。杖を振っただけで逃げた生徒達を釣り上げて仕留める。

 それらを立ち向かってくる生徒達を倒しながらやってのけた。

 杖剣の一撃を軽く弾きながら宙に向かって杖剣を振ったと思ったらこれである。一振りで幾つの魔法を使うつもりなのか。

 

 しかも貫通呪文にいたっては杖先から放たれていない。何もない空中から突如魔法が現れたのである。

 魔法は杖から出すもの。そんな常識を破壊する振る舞いだった。

 

 ルネと対峙する生徒達は冷や汗を流す。二百人以上いた観客、運営の生徒達の数はすでに四分の一を下回っていた。十分も経ってないのにも関わらず。

 

 こうなったら生徒会の救援を待つしかない。

 最初に生徒会の四年生二人が倒されていた。今夜の決闘の様子を見に派遣されたメンバーだったのだろうが、彼らからの連絡が途絶えたことで本部の方で何かしらの動きがあるはず。少なくとも二人以上の生徒会メンバーが欲しかった。

 

 生徒会を信じるなんてキンバリー生らしくないと上級生達は言うかもしれないが、この状況では彼らも生徒会に縋るしかないだろう。

 ルネ=サリヴァーンの存在はそれほどの威圧感を円形闘技場(コロシアム)内の生徒達に与えていたのだ。

 特に彼らは最高戦力である学生統括アルヴィン=ゴッドフレイの出動を切に願ったが。

 

 しかしルネはそんな希望も打ち破る。

 薄い光の幕が会場内に張り巡らされた。ルネの結界だ。

 魔法陣を描いたわけでもないのに杖を一つ振っただけで強力な結界が発生。それがルネを中心に円形闘技場(コロシアム)へと瞬時に広がる。

 

 結界は円形闘技場(コロシアム)への干渉をその内外問わず無効化した。つまり封印された出入り口はもちろんのこと、壁や床を撃ち抜いて脱出することも侵入することもできなくなったのだ。

 これでこの施設から誰も出られないし、入ってこられない。目の前で扉を閉められたような気分に観客達は陥った。

 

 まるで薄布のような光にしか見えないが結界の強度は規格外であることは間違いない。中に囚われた生徒達は周囲から感じる力でその頑強さを感じ取った。

 布どころかまるで重たい鉄の蓋を上から被せられたような圧迫感だ。

 

 次の手もなく、彼らは杖剣を落としそうになるが。キンバリー生のプライドにしがみついて辛うじて戦意を保つ。

 準備を整えたルネは会場に散らばり警戒する生徒達を見回した。広がった陣形は固まって全滅という状況を防ぐためのものだろう。

 戦い慣れた生徒達が残ってくれたようだ。ルネは嬉しく思って微笑んだ。

 

 張り合いがないと思っていたところである。準備運動にもならない百五十人だったが、残りには頑張ってほしいと思っていた。

 残っているのは一年生が少しと後は二年生ばかりだ。数名三年生と四年生がいる。

 楽しみだ。ルネは早速連携を組んできた三年生、四年生の集団に杖剣を以て答えた。

 

 

 

 ステイシー=コーンウォリスは三年生、四年生の集団が容易く打ち破られるのを見ながら思った。

 どうしてこうなったのかと。興味本位で趣味の悪い集会に顔を出すべきではなかったのだろうか。

 

 というか上級生もいるメンバーで一分も抑えられないだなんてどういう悪夢なのか。

 観客席を縦横無尽に跳ね回り、風のように滑らかに刃を振るう怪人は彼らを翻弄しながら一人一人と討ち取っていく。

 斬られ倒れた最後の上級生を見つめた後でルネは他の生き残りに視線を向けた。

 

 ぞくりとステイシーは震えた。自慢の金髪も揺れる。

 不気味だ。なんて嬉しそうな顔をしているのだろうかと。

 まるで子供が「君達は何をしてくれるの?」と旅芸人に見せるような期待の表情だとコーンウォリスは思った。

 

 そうであればどれだけ良いのか。現実は杖剣片手の狂った同級生である。

 ステイシーはルネを警戒しつつもそんなことを考えていた。

 すると彼女の雑念を読み取ったかのようにルネの視線がステイシーに向く。

 

「来るぞ、スー!」

 

 従者のフェイ=ウィロックの叫びにステイシーは半ば反射で両手構えの杖剣を振るい、急接近してきたルネの一閃を辛うじて受け止めた。

 速い。あまりにも速かった。かなり距離があったにも関わらず一瞬で距離を詰められたのだ。

 

 更に彼女の腕に信じられない力がかかる。ステイシーは目を見開いた。

 自分より少しばかり背が高いくらいだというのに。

 彼の細腕で、どれだけの魔力量があればここまでの力が出せるのか。

 いつまでもこの状態を維持できない。ステイシーは自分が力負けすると悟り反撃を試みるが。

 

「!?」

 

 いなしたと思ったところに素早い斬り返しが放たれる。ステイシーは再び杖剣で防ぎ拮抗状態に入った。

 力、速さ、技量。どれも自分より上である。ステイシーは額に汗を滲ませ力の勝負を仕掛けてくるルネを睨んだ。

 

「スー!」  

 

 フェイが魔法を用いて援護に加わろうとするが、ルネはラケットで球を弾くかのように力業でステイシーを彼の方へと飛ばした。

 魔法の射線が飛ばされたステイシーと被る。フェイは攻撃を止め、彼女を受け止めつつも杖剣の切っ先はルネから離さない。

 

 ルネはフェイが呪文を唱える前に駆け出していた。

 狙いはまた別の生徒だ。闘技場の中央で集結していた二年生である。先ほどの間に数名集まってチームを組んでいた。

 彼らの魔法攻撃をルネは接近しつつ、宙を跳び回りながら避ける。体勢を立て直したステイシーとフェイの援護攻撃すら躱した。

 

 外れた魔法が観客席を壊していく。その欠片すらルネには当たらない。ローブの裾にすら触れない。

 宙を踏み、空を舞いながら怪人が迫った。激しくなる迎撃をものともしない。

 

踏み立つ虚空(スカイウォーク)をあんなに使って!?」

 

 フェイは相手の技量に呆れる。

 ルネは身を捩って二年生達の魔法攻撃を避けているのではない。宙を踏んで姿勢を変えているのだ。

 

 魔法剣の高等技術、踏み立つ虚空(スカイウォーク)。たった一歩宙を踏むことですら高難易度であり、二歩以上は達人の領域であるというのに。

 まるで足踏みするように軽々と宙を蹴って魔法を回避する様にフェイは言葉が出なくなる。

 ルネの素早い接近を許した二年生のグループはあっさりと斬られていった。

 

「生き残りは魔法を集中させて! とにかくあいつを動かすんじゃないわよ!」

 

 経験不足の一年ばかりとなった状況でろくな戦力もないままステイシーは指示を叫んだ。

 その声から一拍遅れて慌てて魔法が放たれるが。

 

 ステイシーは歯噛みする。明らかに呪文の数も威力も少ない。これではルネを足止めするどころか威嚇にもならない。

 その通りで、ルネは楽しそうに迫る攻撃を避けながら彼らに迫った。

 

「来るな! 来るな!」

「どうして当たらないのよ!」

 

 そう叫んだ生徒達は次々にルネに斬られて倒れていく。

 

「このままではダメだな」

「──分かってるわ。やるわよ」

 

 ステイシーとフェイは顔を見合わせた。このタイミングしかない。ルネの関心が他の生徒達に向いている間にあれをやるしかない。

 アイコンタクトで互いの意思を確認した二人はすぐに準備にとりかかった。

 ステイシーは杖を掲げ、呪文を唱える。

 

満月よ浮かべ(ルーナプレーナ)

 

 月を模した光球が彼女らの真上に現れ、闘技場に月夜を呼び出した。

 

「おやおや。綺麗ですね」

 

 突如現れた月の光にルネは目を細める。それを隙と思った女生徒の一人が斬りかかるが、あっさりと避けられた上に反撃の一閃を受けて女生徒の方が倒れてしまった。

 

「しかし、この魔法を使ったということは……」

 

 血の滴る杖剣を片手に最後に残った二人を見据えるルネ=サリヴァーン。その視線の先で、男子生徒フェイの体に変化が訪れた。

 

「が、あ……ガァァアアアア!」

 

 人の声からおぞましい獣の絶叫になり、前傾したその体が大きく膨れ上がる。

 シャツは張り裂け、人の体から六フィートを超す巨体の黒い体毛の獣人へと姿を変えていった。

 

 人狼(ウェアウルフ)だ。人の形をした狼。犬人(コボルド)達と似た姿の亜人種だが彼らよりもずっと大柄で屈強な種である。

 その力も、爪も牙も円形闘技場(コロシアム)の奥で戦いの恐怖で震えている犬人(コボルド)達とは比べものにならないくらいの脅威だ。

 

 しかし、ルネは彼が純粋な人狼(ウェアウルフ)でないことをすぐに見抜いた。

 ルネには人狼(ウェアウルフ)の群れを狩った経験があるからだ。その経験から目の前の人狼(ウェアウルフ)が少年であることを差し引いても細身であることに気づく。

 

 しなやかに伸びた獣の力強い四肢は人と比べたら太く長いが、人狼(ウェアウルフ)にしては細かった。体毛も少し薄い。

 それと保守派の牙城であるキンバリーに生徒として在籍していることを付け加えれば自ずと答えは分かる。

 

「半人狼ですか」

 

 ぽつりとルネは答えを口にした。

 現代魔法社会において人狼(ウェアウルフ)に人権は認められていないものの生き物として魔法使いとの間に子供を作ることはできた。

 種族的に人狼(ウェアウルフ)の男女はどちらも美形になることが多く、亜人種好きの魔法使いに人気が高いし特殊性癖がなくとも夜の相手にと選ばれることが多いのだ。

 

 その人気の高さに比例して混血児である半人狼も増えるわけである。目の前の少年もその一人なのだ。

 ルネは物珍しいものを見る目でフェイとステイシーを見つめた。彼は二人の素性を知らないものの少女の方はそれなりの名家の出であると察する。

 優れた魔法の才能に一年生の段階で戦闘訓練を積んでいることが根拠だ。

 

 しかし半人狼の少年の方はよく分からなかった。同じように魔法戦闘の訓練を積んでいることから長く少女の家に世話になっていることは分かるが、母親の違う兄妹というわけではなさそうだった。

 世間体のために亜人種の愛人との間にできた子供を従者という形で本妻との子供に仕えさせることは珍しくはないが、二人の関係は主従ではあるもののそれとは違うように思えた。

 

 つまり少女が自分の意思で他人である半人狼の少年を従者にしているのだ。

 珍しい。良い家柄の魔法使いは多くが保守派であり、特別な事情がなければ亜人種を、それも混血の半人狼の少年を従者にするなんてあり得ないのである。奴隷ならあり得たかもしれないが目の前の二人はそれほど苛烈な関係ではなさそうだった。

 

 半人狼の少年が自らの意思で変身していたからだ。強制された様子はなかった。人狼(ウェアウルフ)と違い半人狼の変身は肉体の激痛を伴うというのに。

 狼の口から洩れる唸り声は威嚇のそれだけではなく苦悶に耐える息でもあったのである。

 

 ルネは特に先手を打つことなくそんな風にステイシーとフェイを観察していた。その間にも彼らは準備を整える。

 ステイシーはフェイの背に飛び乗って背の体毛を掴んで落ちないように自身を固定した。フェイは背のステイシーを体で隠し、彼女の頭と杖剣を持った右手だけがその肩から覗く。

 

「なるほど。協力ということですね。素晴らしいコンビネーションです」

 

 半人狼の筋力による機動力と爪や牙などの攻撃性を活かしつつ魔法使いの火力を撃ち込むという戦法だ。

 騎士が馬に乗り、魔法使いが箒に乗るような使役の関係ではなく半人狼の利点と魔法使いの利点を合わせた協力体制である。

 

 そう思ったからこそ協力という言葉をルネは選んだのだ。

 見れば見るほど不思議な関係性である。名家の令嬢に半人狼の従者の少年であるのに隷属的な関係ではなく協力だとは。

 その関係性に関心を抱いたルネは二人に話しかけた。

 

「こんばんは、私はルネ=サリヴァーンです。お名前を訊いてもよろしいでしょうか」

「は、はあ? いきなり何を……」

 

 突然の自己紹介と挨拶に戦闘態勢に入っていたステイシー達は面食らったが、互いにしばし顔を見合わせた。

 雑談をしたいと思える相手ではなかったが、生徒会が結界を破って救援が来るまでの時間稼ぎになると思ったためステイシーが答えた。

 

「私はステイシー=コーンウォリス。で、こっちはフェイ=ウィロック」

 

 この姿になるとフェイは人語を口にできなくなる。「グルル」と唸り声を挨拶の代わりとした。

 

「おや、コーンウォリス家の方でしたか。マクファーレン家の親戚の」

 

 義母の方針でルネは他の魔法使いの一族とほとんど面識がないのだが家同士の関係については知っていた。マクファーレンの分家筋がコーンウォリス家であったはず。

 その点を口にすると、どうしてだかステイシーの表情が一気に曇った。

 

「──そうだけど。それが何?」

「いえ。一つお尋ねしますが、もしや君はMs.(ミズ)マクファーレンの護衛で会場に来たのですか? だとしたら君を傷つけるとまた私は彼女に怒られてしまいます」 

「安心して。そんなんじゃないから。私とあいつはそんな関係じゃないから」

 

 やや怒りを込めてステイシーは答える。ルネは安心したように言った。

 

「それは良かった。ところで君達はご兄妹なのですか? 随分と仲良しですが。変身はかなり痛いでしょう? Mr.(ミスター)ウィロック」

「まず私達は兄妹じゃないわ。昔、私がフェイを拾ったの。──フェイの痛みについては知っているわ。でも長引かせるつもりはない」

「それは残念。もう少しお話ししたかったのですが。半人狼の変身時の激痛については私も詳しく知りませんので」

「うるさい。あんたにフェイを触らせるつもりはないわ。行くわよ、フェイ!」

 

 ステイシーに応えるようにフェイは咆哮を上げて駆け出した。亜人種のように強力な筋肉によって生み出される速さは目を見張るものである。

 ルネは迫り来る牙や爪を避けつつ、またステイシーの呪文も避けながらそれを体感していた。

 

 彼が反撃に移ろうとするとフェイは大きく距離を取って細かく移動しながら狙いをつけられないようにする。早く、急に鋭い方向転換するので視界に入れておくのも難しかった。

 その間もステイシーの魔法攻撃は止まない。大きく揺れるフェイの背中から相手を狙うのは苦労するはずなのにかなり正確な攻撃を彼女は行っていた。

 

 この場で思いついた付け焼刃の戦法ではなくかなり前から練習していたものなのだろう。

 ルネも走りながら彼女の呪文を避けた。そして、一気に距離を詰めてフェイと並走を始める。

 

 瞬時に目の前に現れたルネに慌てたフェイは観客席、壁、闘技場と場所を選ばずに飛び移り、そして瞬時にまた別の方向へと飛び移っていったのだが。

 ルネはしっかりそれについていった。岩山を跳ね回る山羊のように軽やかに観客席も、壁も、闘技場も蹴ってフェイに追いついていく。

 彼の隣から決して離れない。焦って振るわれる爪も噛みつきも避けながら、じっと観察するように二人についていった。

 

「こ、こんの」

 

 フェイが向きを変えるたびにステイシーにはかなりの力がかかる。揺れも相まって魔法の狙いもつけにくいのだが、こうも接近されるとむしろフェイの大柄な体が邪魔になって狙えなかった。

 

「おやおや。思ったよりもふさふさですね」

 

 ルネは隙を見てフェイの脇腹の毛に手を突っ込んで硬い毛の感触を楽しむ。

 

「グルォッ!」

「おっと」

 

 振り払われたフェイの腕が当たり、ルネは大きく吹き飛ばされた。

 観客席へと叩きつけられそうになったが無言の魔法で勢いを殺し、そのまま観客席の上に着地する。

 人狼(ウェアウルフ)の力で殴りつけられたというのにルネの体には痣一つなかった。もちろん骨も折れていない。無傷だ。

 

 フェイもルネから離れた位置で立ち止まり息を整えた。

 人狼(ウェアウルフ)の反射神経、速さと体力に軽々とついていって、それでもなお休む必要性のなさそうなルネの様子に二人は焦る。

 

「遊ばれてるわね」

 

 ステイシーの言葉が正解だった。ルネに本気を出されたら今頃どうなっていたか分からない。どのタイミングでも呪文だろうが杖剣の一刺しだろうができたはずなのに。

 

 獲物を痛めつける野獣に爪で転がされている気分だ。獣は自分達の側であるはずなのに。

 しかし、その時間もそろそろ終わるらしい。ルネは懐中時計の盤面をちらりと覗いた。

 

「ふむ。時間ですね」

 

 ルネはそう言うと杖剣を掲げる。

 

貫け(ペネトラーチオ)

 

 そして得意の貫通呪文を唱えた。杖先から幾つもの光線が撃ち出され、ステイシーとフェイに迫る。

 魔法は高速で二人を狙うが、しかし避けられない速さではなかった。

 フェイは軽々と光線を飛び越える。その瞬間、光線が突如向きを変えた。まるで空気にでも跳ね返ったかのような動きだ。

 

 突然の変化に気づけずフェイは両足を貫通呪文に何度も撃ち抜かれた。更に縫い糸が布地を走るように光線は彼の体を貫いていく。

 フェイの体を貫いては戻ってきてまた貫いていく。流石の亜人種の頑丈さも限界だった。

 

「フェイ!」

「グ、グオッ!」

 

 急な痛みと全身への攻撃に姿勢を崩したフェイはそのまま観客席に墜落する。気を失ったせいか変身が解け、元の少年へと姿が戻った。全身をめった刺しにされたように血塗れだ。

 

 背中のステイシーを庇って頭から落ちてしまったが、すぐにステイシーがフェイを守るために彼の背から降りて杖剣を構えて上を見る。

 そこには貫通呪文の光が幾つも留まっていた。ルネが撃ち出したもの全てである。

 じっと見つめるように、空に浮かぶ星のように空中で停止していた。

 

「じゅ、呪文を曲げた上に、あれは……待機させてるの?」

 

 ステイシーは呆然としつつも正解を言った。

 これは以前ミリガンの工房で見せたルネの魔法技術の一つである。

 通常直線にしか飛ばない呪文をまるで生きているかのように自在に動かし、またその場に留めておくことも可能な人外の業だ。

 

追跡術式(ファナティック)です。私が扱う魔法の全てに加えられている術式ですよ。さあ、君の速さ、反射の良さをお見せください」

 

 ルネが杖を振ると、上に輝く魔力の光の数が次々に増えていく。

 ステイシーは青褪めた。あれが一つ一つ貫通呪文であり、そして自分達を狙って自由に飛んでくるというのか。

 星空のように自分達を見下ろすあれが、今から降ってくるというのだ。

 

「この……」

 

 杖剣を構えたものの手立てがない。防壁呪文を簡単に貫き人狼(ウェアウルフ)の体も簡単に傷つける威力である。

 光の強さが増し、そしてとうとうステイシーへと向かってきた。

 

 彼女の扱える魔法では迫る呪文に対してどうしようもない。かといって泣き叫ぶつもりもなかった。

 ただ雨のように降り注ぐ貫通呪文を睨み、いつか復讐を誓って彼女もまた全身を貫かれた。

 ステイシーが血の海に倒れたことでこの場にいる生徒達は全滅した。

 ただルネが最初に結界で隔離したアステリア=マックリー達と保守派の新入生達、そして闘技場の隅でずっと硬直していたアンドリューズを除いて。

 

 

 

 ルネは勝利の余韻に浸ることもせず闘技場に降り立つと杖を振った。

 すると結界が解け、観客席に座らされていたアステリア達の体が浮き上がって闘技場へと下ろされる。

 彼女達は立ち上がることもできず、逃げるように隅へと後ずさった。白い砂の跡が残る。ルネはそれを追って彼女らの目線に合わせて屈んだ。

 

「もう大丈夫ですからね、Ms.(ミズ)マックリー」

 

 そう声をかけてもアステリア達は答えなかった。ただ黙って互いを庇うように抱き合って広場の隅で震える。

 

「可哀そうに。とても怖かったのですね」

 

 ルネはそう声をかけただけでそれ以上は彼女達に何も言わなかった。

 彼が再度杖を振ると、今度はアステリア達を人質に取っていた保守派の新入生達が闘技場に下ろされた。

 彼らも立ち上がることができずにアステリア達と同じように逃げようとしたが、ルネはそれを許さなかった。

 彼の力が全員をその場に押し留める。体を掴まれたような感覚に彼らは言葉にならない呻きを発した。

 

「お、おぉう……」

「い、いや。あ、ああ……」

 

 特にルネは威圧感を発していなかった。しかし彼の所業が彼らを威圧していたのだ。

 周りを見れば倒れる生徒達と破壊された施設、そしておびただしい血の跡。にも関わらずルネの衣服は綺麗なままだった。返り血の一つもついていない。

 

 暴力と血の嵐を巻き起こしたというのにルネは涼しそうな様子だった。興奮も愉悦も見られない。彼は座り込む保守派の新入生達をただじっと見下ろす。

 ルネが何か言う前に女生徒が叫んだ。

 

「止めて、私達もうあんたらには関わらないから! あんたと、あの人権派にはもう何もしないから! だからお願い、許して!」

「分かりました」

 

 彼女の命乞いにルネはにこりと微笑む。あまりにあっさりとした答えに彼らは戸惑ったが、しかしルネがすっと指先を自分達に向けたことで表情が強張った。

 

「口約束だけでは不安ですので、痛みを以って証文としましょうか」

「や、やめ」

 

 口を開く前に青褪めた雷が指先から迸り、彼らを焼いていく。先日よりも手加減を抜いて、本気で目の前の生徒達を痛めつけるつもりで力を使った。

 青褪めた雷に打たれた保守派の新入生達は円形闘技場(コロシアム)に響く声で叫んだ。それはただの絶叫であったり、懇願であったりしたが。

 

 どちらもルネには届かなかった。ただ彼にとって重要なのは彼らが傷つくことだったのだから。

 大切なのは彼らの言うことではない。どれだけ痛がるかなのだ。

 アステリア達は耳を塞ぎ、目を閉じて目の前の現実から逃れようとする。

 しかし叫び声は手では遮れず、青褪めた雷光は目を閉じても見えた。

 

「これくらいでしょうか」

 

 鍋に調味料を入れるような感覚で青褪めた雷の奔流を消し、ルネは手を下ろす。

 体に幾つも大きな火傷を負った保守派の新入生達は虚ろな目から涙を流していた。口元に力は入らず、涎がとろりと垂れる。

 見た目も悲惨だったが、体の中はもっと酷い。しっかり破壊の雷を中に通したのだ。

 障害は残らないものの一週間は痛みが抜けないように調整してあった。まさに達人の破壊である。ルネは満足そうにそう思うとアンドリューズへと視線を向けた。

 

 彼はもう何もせず、ただ白い砂の上に座り込んでいるだけである。杖剣を手にしていたもののそれを使って何かするつもりもなさそうだった。

 アンドリューズはルネの視線を受けてびくりと肩を震わせる。まるで教師に上の空を指摘された生徒のように。

 

 今までのできごとが現実だと思いたくない。思っていない。そんな様子だった。

 ルネが力を用いて彼を闘技場の中央に引き寄せた時も何も反応せず呆然としていた。

 

「もし? もし?」

 

 アンドリューズの顔の前で手を振ってルネは関心を向けようとしたが、特に反応らしい反応は見られなかった。

 どうしたものかとルネが思っていると円形闘技場(コロシアム)の外にカティ達が到着したのに気づく。

 案内役として運営側の生徒が二人付き添っていたようだ。

 ルネは円形闘技場(コロシアム)にかけた結界をいったん解く。

 

「静かにしていてくださいね。友達を驚かせたいので」

 

 自分の唇に人差し指を当てると、彼は自分の姿を完全に消した。まるで夢が覚めるようにいなくなる。

 

 アンドリューズは本当に夢だったのではないかと思ったが。

 しかし慎重に入ってきた二年生達とカティ達を見てふと我に返る。

 二年生の一人が自分に近づいてきたので、彼は叫んだ。

 

「──だ、ダメだッ! に、逃げろッ! あ、あいつがッ! あいつがいる!」

 

 その瞬間にアンドリューズの目の前で二年生の喉と腹が裂けた。血が流れ、彼の衣服と白い砂を赤く濡らす。

 流れる血を見てアンドリューズは思った。これは現実なのであると。

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