七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~ 作:HAL1993
オリバー達は努力した。それぞれが出せる力を生徒会に提供し、彼らも全力でルネの結界へ挑んだ。
そして、八時間二十分ほどが経過した。
負傷者はとうに迷宮外に出され、最後に残ったのが囚われのアンドリューズだけだったのだが。
今、倒れていた下級生達の代わりに通路に座り込んでいるのは生徒会の上級生達だ。誰もが疲れ切っており、交代で休憩を取っていた。
彼らが疲れた眼差しで見上げた先には無傷の結界の姿が。
結界は健在だった。八時間という長時間をかけてもニコル達はこれを貫くことができなかったのである。
まるで蜃気楼のように掴みどころのない術式に上級生達は惑わされ続けたのだ。追いついたと思ったら介入者をからかうようにすぐに形を変える上に、構造自体はルネの強大な魔力に裏付けされた頑丈さである。
技術においても、攻撃力においても容易な突破を許さないのだ。
しかしここまでのものなのか。一年生が張った結界、ほとんど準備もせずに展開した結界であるのに。
そんな事実を思い浮かべるたびに杖を捨てたくなる気分に技術チームは陥っていたが、辛うじてまだ杖先を結界に向けて解除に取り組んでいた。
中にまだ下級生がいるのだから。諦めたくない。諦められない。しかし、次に失敗したら──。
「あ」
そう不安に思っていたなかでニコルがそう声を発し、杖を下ろした。呪文以外で口を開くのは二時間ぶりであった。
彼女の部下達もほぼ同時に杖を下ろす。互いの脂ぎった顔を見つめあった。そこに達成感は一つもなく、疲労だけが見える。
安堵もない。悔しい。ただそれだけが顔に見えた。
「統括、こちらへ」
ニコルは脂汗が鈍く光る顔で振り返り、ゴッドフレイを呼んだ。
彼は疲れて座り込む部下達を労いに回っていたが、ニコルの呼ぶ声を聞いてすぐに
何が起きたのかは分かっていた。時計を見るまでもない。肩を落とした技術チームの様子を見れば彼女らの気持ちは十分に伝わった。
ニコルは集まってきたゴッドフレイ達の前で入り口の扉を押す。重たい音を鳴らして、それまで微動だにしなかった入り口が開いたのだ。
結界は解けた。が、それはニコル達が勝ったことを意味しない。彼女らは悔しそうに俯いていた。
「時間切れ、か」
ルネの予告した九時間が過ぎたのだ。扉が開き、結界が解けたのはただそれだけに過ぎないのである。結界が解けたことで中の様子が分かるようになり、ニコルはゴッドフレイに内部の状況を報告した。
「観測の結果、中に二つの反応があるのを確認しました。罠を張るつもりも、隠れるつもりもないようです。本当なら私達の目を欺くことなんて簡単だろうに」
中にはオリバー達が外に追い出された時と変わらずにルネとアンドリューズがいるようである。少なくともそれ以外の反応は何もなかった。罠も隠蔽も。ただ待ち構えているのだと。
ニコルは悔しさに満ちていた。生徒会に所属し、これまで多くの難題を解いてきたのだ。そのプライドを一年生にあっという間に砕かれてしまった。
魔道とはそういうものだと分かっていても、瞬間的には辛い精神状態に陥ってしまう。
ゴッドフレイは彼女の肩に手を置き、慰めることしかできなかった。
しかしずっとそうしているわけにもいかない。中にはアンドリューズがいるのだから。助けるべき下級生がいるのである。
通路に罠はなく、ルネ自身も姿を消していない。だからといって警戒しないわけにもいかない。ゴッドフレイは突入班に号令した。
「総員警戒。突入するぞ!」
「応!」
「了解しました。おまかせください」
彼らが杖剣を構え、隊列を組むとまず先頭のゴッドフレイが入口の扉を呪文で派手に吹き飛ばした。その時に舞い上がった土煙を後方の上級生が風の呪文で操り、施設内へと押し込んで煙幕代わりにする。
土煙の中をゴッドフレイ達は突き進み、闘技場へと素早く出た。
相変わらずの半壊した状態であったが、目につくのはやはりトネリコの大木だ。闘技場の中央から大きく伸びており、枝葉が辺りに広く影を作っていた。
その太い枝の一本に彼はいた。まるで木の実のように太い枝から吊り下がっているアンドリューズの姿だった。
もはや抵抗の身動ぎすらせず、青白い顔で力なく動かない。しかし息はあった。掠れた息遣いが聞こえる。
「治療班!」
ゴッドフレイ達の後ろからすぐさま治癒の心得のある上級生達が走ってきた。生徒会メンバーに止められなかったのか、その余裕もなかったのかオリバー達の姿もそこにあった。
「リック!」
魔法でロープが切られ、落ちてくる体も魔法で受け止められた。ミシェーラは床に下ろされたアンドリューズに駆け寄り、その真っ青な頬に手を当てる。
彼女の呼びかけに応答はなかった。アンドリューズの虚ろな目はどこを向いているのかも分からない。ただ息は確かにあった。
しかし一呼吸のたびに苦痛が体を走るようだ。体が息をするたびにびくりと震える。
「
「え、ええ。申し訳ありません」
「大丈夫だからね。……でもちょっとこれは酷いな」
ミシェーラを下がらせ、怪我の様子を見た治療班の上級生は顔をしかめた。首に刻まれた痣は深く抉れたようになっている。
この傷はアンドリューズの抵抗の跡であり、苦痛の形なのだ。見て面白いものでは決してなかった。
しかし治療できないわけではない。それもまた度し難かった。殺すには浅く、悪ふざけにしては深い傷だったのだから。
首や喉の治療と並行して腹部の処置も始まる。突き刺さった杖と杖剣は治療班の上級生がこれ以上の痛みを与えないよう丁寧に抜き、傷口へと素早い治癒呪文がかけられた。
「
そんなおっとりした一声。ミシェーラの激しい怒りの感情が込められた視線がその声の主へと向けられる。
彼女の声に反応しなかったアンドリューズの目も彼の声にだけは反応した。虚ろだった目がじろりと声のした方を睨んだ。
この場で最も目立つのはトネリコの大木であり、その次に吊り下がっていたアンドリューズの姿だった。
そして最後はルネ=サリヴァーンの小柄な姿である。彼は大きな根の上で胡坐をかいていたが、背筋はぴんと張って生徒会メンバーやオリバー達を出迎えていた。まるで熟練の修行者のような静かな佇まいで。
「おはようございます。みなさん」
それはただ来客を歓迎する挨拶だったのだろうが、言われたゴッドフレイ達にとっては嫌味にしか聞こえなかった。おはよう。確かにもう朝だ。時刻は六時近いのだから。
ゴッドフレイ達は杖剣の先を微動だにさせずにルネに突きつけている。その切っ先からいつ呪文が飛び出してもおかしくはないのだが。
ルネは全く動じていない。彼らすら来客として丁寧に扱っていた。アンドリューズの努力を楽しげに話しだす。
「
その言いざまを聞いてアンドリューズの目に涙が浮かんだ。それは怒りであり、悔しさであり、ルネへの復讐心の結果の形だった。
ミシェーラも悔しさに歯を強く嚙み締める。今までに経験したことのない怒りと屈辱を感じていた。
震えるその肩にオリバーが手を置く。彼の目もルネへの非難に満ちていたが、それを口にすることはなかった。
全ては自分達の力不足によるものだからだ。非難することも、感情のまま叫んでもキンバリーにおいては全ての責任は自分達にあるのだ。あれを止められなかった、と。
「──話はそこまでにしてもらおう」
ゴッドフレイが一歩出て言い放った。
「学生統括の名において。ルネ=サリヴァーン、君を捕らえる」
「ええ、どうぞ」
ルネは杖剣と杖を鞘やケースごとベルトから外し、丁寧に両手で捧げるように持つ。そしてぴたりと動かなくなった。
ゴッドフレイはその二つの武器を受け取り、部下に渡す。丸腰になったルネであるが生徒会は一向に警戒を解かない。彼が無言で、また杖なしで魔法を操ることは良く知られていたからだ。
「抵抗しないのか?」
ゴッドフレイの問いかけにルネは満面の笑みで答えた。
「ええ、もちろん。私は私のやりたいことをやり遂げましたから。とても満足です。これ以上の何かを欲することはしません」
その満ち足りた表情にゴッドフレイは訊かずにいられない。純粋な疑問を彼にぶつけた。
「……君は校舎でも十分に活躍しているはずだ。聞いたよ。トロールが人語を話した件も君は大きく関わっていると。魔法生物学上の大きな発見だろう。入学早々にここまで活躍する生徒は君くらいだ。なのにどうしてこんなことを」
「今回の件についてはトロールに関する話題の延長線上にあります。マルコの発話はいわばキンバリーの表側への挨拶なのです。私が、そして私達がこれから頑張っていきますという挨拶をしたのです。
キンバリーはそれを受け入れてくれました。私と
ルネは丁寧に、真摯に上級生の質問に答える。両手を広げ、半壊した施設や血の汚れを自慢しつつ言った。
「そして今夜のことはいわばキンバリーの裏側への挨拶です。私の力はこうであると。私達の邪魔をしたらどうなるのかと。こちらもキンバリーはしっかりと受け止めてくれたことでしょう」
ルネは周りを見回す。破壊された
愛おしそうにそれらを見つめるルネの姿はこの凄惨な光景以上におぞましく映った。彼は丸々とした目に深い青色の鈍い光を輝かせる。
「ゴッドフレイ統括。今、私は入学式の時以上に感じています。キンバリーに入学したのだと。キンバリーに受け入れられたのだと。まさに今夜のことまでが入学試験であり、そして入学式であったのだと。だからどうか最後に宣言をするのを許してください」
ルネが天井を見上げた途端にそれまで床や地面で乾いていた血が水分を取り戻し、彼の視線の先へと飛んでいった。
無言、杖なしでの広範囲の魔法行使。ゴッドフレイ達は何の反応も示せずに飛んでいく血液をただ見上げる。
彼らが見守る中で天井に張りついた血が文字を描いた。大きく、真っ赤な線で綺麗な
美しい血文字が天井を彩る。それを描ききったルネは耳を澄ました。聞こえるのは同級生、上級生達が息を呑む音だけではない。
そうだ。確かにルネにはキンバリーがこう答えるのが聞こえたのである。
「
拍手が聞こえる。誰もいないはずの客席は全て埋まっており、大勢の魔法使い達が自分を祝福してくれている。万雷の拍手と共に自分を迎えてくれているのだ。
ルネは彼の目にだけ見えている観客達に頭を下げた。
満足だった。ルネは、本当に満足だった。こうしてキンバリーの生活が本当に始まるのだと期待に胸を膨らませるのだった。