七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~    作:HAL1993

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第5話~真夜中の散策~

 入学式も、その後の食事会も終わってしばらく経った夜中。

 新入生達は校舎からやや離れた学生寮へと既に戻っていた。校舎には決して居残らない。

 キンバリー魔法学校の校舎は魔法的神秘と深みの根源たる迷宮へ至る入り口の上──物理的にも魔法的にも──に建てられており、その影響をこの世に及ばせない蓋となっている。

 学生や教員はこの蓋の上で学業や研究に勤しみ、そして時折蓋である校舎から適切な方法を用いてこの迷宮へと魔法的な神秘の調査へと赴くのだ。

 封印は一切を断絶するようなものではなく、こちらから出入りすることができれば、制限は強いが迷宮側もこちらの世界に出入りすることができた。

 

 時に部屋の数が増えたり、また外観から察する大きさよりも広い空間が校舎内にあったりなど神秘を数えればきりがない。

 特に迷宮が校舎内に顔を出すのは夜中だ。夜の暗がりが生み出す魔素に惹かれるのか、それとも夜空に輝く月や星に引き寄せられるのか、夜中の校舎は迷宮の侵蝕を強く受ける。

 歩いていた廊下がいつの間にか迷宮の道の一つに入れ替わっていたなどよくある話だ。

 

 その中を闊歩できるのは限られた生徒か、教員だけである。

 校舎内に学校から認められた工房を持つ生徒はこの侵食と常に戦っていた。せっかくの研究を迷宮に食われないようにするためにも数々の守りを施しているのだ。

 これができない生徒は校舎内に研究設備を持つことはできない。そしてルネはそれが可能な生徒だった。

 

 新入生達が全員それぞれの寮の部屋で眠った頃でも彼は起きていた。彼の城塞の入り口たる執務室で椅子に腰かけ、静かに天井を見つめている。 

 バネッサ=オールディスから試験と称する押しつけをされたルネだがそう不愉快な気分にはなっていなかった。

 確かにトロールがどうして暴れたのか疑問は抱いていた。魔法生物学科に出向いて疑問がより強くなったのは事実である。

 どのみちこの学校で魔法生物を自由に扱うにはバネッサ=オールディスの許可が必要なのだ。それを快く貰うために努力は惜しまない。

 

 ルネは自分の好奇心に火がついたのを感じ取ると静かに立ち上がった。全く音を立てないで移動したのは使い魔の不死鳥クリスタが本格的な睡眠へと入っていたからだ。

 彼女の寝床は黒い布で覆われている。この城は常に夜明けの空模様であるためにぐっすりと眠るには不向きなのである。 

 使い魔と同じように校舎内が全て沈黙に包まれたのをルネは感じ取ると、制服姿のまま彼は工房を出た。

 

 ひとまず現場へと向かう。当時の状況を再現するためだ。

 トロールが魔法で操られていたとは思っていないが、万が一ということもあるし現場検証は大切だ。

 

 まず自分がこの件に関わることになった発端の同級生に悪戯した魔法使いを探すとしよう。その後でトロールの確認である。

 そう思い、体に力を漲らせてルネは疾駆した。無音で廊下を駆け抜ける。

 

 彼の動きは同じ校舎内に住む上級生達にも気取られず、また目的地の校庭の花壇で眠る婦花(ダリア)も起こさない。

 彼女達は夜になると蕾となって顔を見せないが、中には夜更かしな花もいる。夜空を見やり、静かに過ごすのだ。

 

静まり返り(セサエヴィタ) 眠りに落ちよ(アルトムソムナム)

 

 校舎から校庭へ続く入り口ですらりと杖を抜き放つとルネは呪文を唱えた。そこから眠気の誘いがまさに花粉のように辺りに広まり、空を見上げていた婦花(ダリア)は魔法をかけられたと気づくことなく眠っていった。

  

 魔法を使った跡も残さずルネは校庭へと出る。

 そして巻き毛の少女カティ=アールトがいた位置を探し出した。彼の記憶は完璧かつ正確だ。ルネが今立っているところで彼女は倒れ込んでいた。

 周りを見回したルネは杖を振り、再度呪文を唱える。

 

その場へ遡り(レヴェールテレ) 明らかにせよ(レヴェラーレ)

 

 夜の闇からすうっと浮き出たのは透明なカティだった。彼女は地面に倒れ込み、その視線の先にはまた透明なトロールがいる。

 カティが転んで倒れ、トロールがそこに走ってきた時の光景を魔法で再びこの場に呼び出したのである。

 

 しかしルネが見たいのはここではない。彼は杖先をくるくると回し、呼び出した光景の時間を更に巻き戻した。

 倒れた少女が不自然な形でふわりと浮かぶように立ち上がり、後ろ走りで逆向きに駆けていく。トロールも同じように走り、パレードで並んでいた方向へと戻っていった。

 

 ルネは透明なカティの姿を追い、その過去の影と同じように無音で駆ける。

 カティが戻った先はオリバーや魔法農家の少年ガイ=グリーンウッド、普通人出身の少年ピート=レストン、それにミシェーラと一緒にいた場所だ。そこに戻り、透明なカティはパレードに並ぶトロールを眺めるような姿で固定される。

 

 この時にはオリバー、ミシェーラ、ガイ、ピートの視線はカティから外れていた。

 ルネは透明なカティの頭を杖先で突く。

 

『あの子のことが気になるの! 言われてみたら、なんだか苦しそうに見えて……』

 

 透明なカティから小さく声が鳴った。この時、トロールを視線の先に置いて彼女はそう言っていたのだ。

 今度は透明なカティの後頭部付近の空間を杖で突いた。そしてその先を丁寧に回し、この場でかつて起こったことを細かに読み解いていく。

 

地を蹴り駆ける(イアース)

「見つけました」

 

 オリバー達のものではない、この場の誰のものでもない呪文。静かに唱えられたそれを確かにルネは聞き取った。

 

明らかにせよ(レヴェラーレ)

 

 くるくる回していた杖先をぴんと上向かせると更に呪文を重ね、カティに魔法を使った相手を見つけ出そうとする。

 

 すぐに透明なカティの少し後ろに見知らぬ新入生の少女の姿が浮き上がった。

 悪戯に薄く笑みを浮かべた少女は友人達の間からこっそりと杖をカティに向け、先ほどの呪文を唱えていたのだ。

 

 ルネはその少女の顔を見つめ、瞬き一つの間に全てを覚えた。

 更に彼女の周りでルネは杖を振るとその友人達の姿がはっきりと浮かび上がった。

 しかし誰も杖を手にしていない。杖を手に呪文を唱えた少女と、その先を見て面白そうに笑っているだけだ。

 

 それを見たルネは踵を返し、トロールの方へと向かった。俯き、パレードで歩かされている姿である。

 

 ルネは彼と並び立ち、杖先を少し振って時間を進めた。カティへ向かって走るまで。

 その間に彼は杖を手にずっと探っている。感覚を研ぎ澄まし、ここであったできごとをちょっとした囁きすら逃さないようにしていた。

 

 が、呪文の詠唱一つ聞こえない。またカティを走らせた魔法以外の魔法行使の魔力も感じられなかった。

 

 ルネは走り出そうとするトロールの顔を見つめる。

 彼とルネは会話することはできない。しかしその表情は何となく分かった。

 必死の形相だ。

 

 それは彼から溢れ出るものであり、誰かから操られているようには見えなかった。 

 逃げ出そうとしたのだ。トロールの視線にルネは杖を向けた。浮かび上がったのは開かれた校門だ。

 真夜中の今は閉じた校門しかないが、この時は確かに開いていた。新入生を迎え入れるためである。

 その先を見たトロールは不意に走り出したのだ。

 

 ルネは杖先を指で弄び考えを纏めると、鋭く杖を振って呼び出していた過去の場面を消した。

 そして校舎からやや離れている魔法生物飼育区画へと向かう。夜風に乗り、敷地内を恐るべき速度で駆け抜けてルネは誰にも気づかれずに目的地を目指すことができた。

 身に宿す強大な魔力を全身に行き渡らせ、領域魔法の要領で大気と同調し、あたかも自身が風そのものであるかのように振る舞い周りに自身を悟られずに走る。

 

 ルネは透明になる魔法などで特に姿を隠していないものの、この場に誰かいても強風が吹いたくらいにしか思われない。

 夜風となったルネは魔法生物飼育区画に侵入し、そして隔離されているトロールの檻の前までやってきた。

 

 何度か空の檻や別の魔物が眠る檻を覗き込む羽目になったが、目当ての相手を見つけるのに時間はかからなかった。

 ここは地上のみならず異なる空間である迷宮深くにまで及ぶ広大な飼育区画である。

 流石に異空間の飼育区画に入れられていたら向かうのに苦労した。

 しかし地上には誰もいない。見張りもいない。ここにいる魔法生物達は研究生や教員達が見張るほどの脅威ではないのだ。

 牧場で飼われているウサギ程度の存在感である。本来なら新入生ですら見学や触れ合いが許可なくできる点も牧場のウサギに似ている。

 

 檻は病気になった魔法生物の隔離用のものだ。トロールはその奥で怯えた様子で眠っていた。恐怖から身を護るように膝を抱えている。

 ルネはじっと檻の隅で巨体を縮こまらせて眠る亜人種を見つめた。その様子は餌を食むウサギを眺める美少年だが、その眼差しは真実を逃さない学徒の目である。

 運が良いことにトロールはぐっすり眠っているのでやりやすいとルネは思った。彼が音の一つでも出せば敏感に目を覚ますかもしれないが、そういった失態は犯さないのだ。

 

 鉄格子越しからじっとその全身を眺める。今の彼の視線は魔法の力を宿し、トロールの背中から胸までを貫いて覗き込むことができた。体表だけではなくその中身をも観察する。

 

 その結果──トロールの体に何か施術がされているようには見えなかった。霊体にも異常は見受けられない。

 実に健康なガスニー種、それも純血だ。鬼種(オーガ)との交配種に出る異常な筋肥大も骨格異常も見えないし、他種のトロールの遺伝的な特徴も見えなかった。

 

 となると残るは頭だろうか。じっとこの亜人種の大きな頭を見つめ、小さめな脳を覗き込んだ。

 ルネはよほど希少な魔法生物でない限り解剖の経験が少なくとも五回はある。名家サリヴァーンの養子としての基礎教養──というよりはMs.(ミズ)サリヴァーンはルネの欲しがるものに決して妥協しなかったからだ。

 彼が望む魔法生物を彼の知識のための検体として提供していた。

 

 そしてより手に入りやすいゴブリンやトロールなどの解剖経験は数え切れない。目の前のトロールと同じガスニー種も何度も解剖していた。この種のトロールは体格が良く、また他のトロールと比べて温厚であるので荷役に向いており価値が高いのだが。

 それでもサリヴァーン家にとっては安い買い物だった。ルネの秘密の部屋で彼らを何体も何体も切り開き、その体についてあらゆることを記憶していた。

 

 だから気づいた。

 このトロールの脳が異常であることに。

 疾患の類ではない。これは明らかに魔法使いの手が加えられている。

 トロール間のコミュニケーションで発声を司るブローカ部位と、コミュニケーションの理解を司るウォルニッケ部位に魔法的な加工が施されていた。どちらも人語に対応するように処置されている。

 

 実際に見るのは初めてだが、理論だけなら人権派の魔法使いの書いた論文で見たことがあった。

 この施術は亜人種の知性化のための外科的処置だ。人との会話をトロールにさせるための脳へのアプローチである。

 トロールに人語を扱わせ、人間社会へと組み込むための研究であった。

 

 しかしその研究は結実しなかった。なかなか結果が出なかったということもあるが、同じ人権派の中から異論が噴出したからである。

 ルネには幾つか知性化研究に関する反対意見書を読んだ記憶があった。曰く「人間社会をトロールに強制するために脳に施術することは反対である。彼らには彼らのあり方があるのだから」とのことだ。

 

 トロールの知性化に関する研究は同じ人権派魔法使い達の反対もあり、またきっとこれが最も大きな要因だが、どれだけ施術行ってもトロール達は全く人語を話さなかったために、トロールの知性化の研究に関してはそれ以上の進展もなく以後聞かなくなってしまった。

 だが水面下で研究は続いていたのだ。続けていた魔法使いがいたのである。ここキンバリーで。

 その結果がこのトロールだ。

 

 なるほど、とルネはトロールから視線を外す。

 どうして彼が逃げ出そうとしたのか分かった。

 以前ルネは魔法生物の脳を何度か魔法的にいじくりまわしたことがあった。霊体について、また魂魄について研究を深める際にどうしても調べる必要があったからだ。

 その結果は魔法生物にとって酷い苦痛だった。犬人(コボルド)に無気力感や痙攣、自傷行為に果てには自殺衝動までも引き起こしてしまったのである。その旨はレポートに詳細に纏めてあった。

 

 このトロールはルネの探査目的の施術に比べたら的確な部位に適度な魔法的影響を施されているが、脳に手を加えられるのは適度過度に関わらず個体への影響は大きい。

 その苦痛から何とか逃れようとして彼は逃げ出したのだ。

 

 しかし彼は施された処置に対して発話はなかった。理屈でいえばトロールは唸り声よりも何かしら人語を話してもおかしくなかったのだが。

 処置は完璧だがトロールは話さなかった。トロールの知性化研究が滞った主な理由である。

 どうやらキンバリーでの研究においても、彼に処置を施した魔法使いは先達と同じ壁に突き当たっていたようだ。

 

 ふむ。

 

 ルネの好奇心に火がついた。じっとトロールを観察するが、やはり脳に施した処置に問題はない。的確に変化させてある。これなら人の言葉を理解し、話すはずなのだ。

 

 何かが足らないのか。

 ルネは詳しく知るためにトロールを起こす危険を承知で彼の霊体に干渉することを決めた。

 自身の力を用いて目の前の緑肌の巨人へとアプローチをしかける。彼から溢れた力が軟体動物の触手のような姿となりトロールの全身を這った。

 

 これは神の先触れを解析し、ルネが作り上げた霊体調査用の術である。構成は非物質的なものであり、これとの接触は肉体の神経には触られているという感覚を与えない。

 触手は皮膚の上からトロールの肉体に満ちた霊体を感じ取り、その中から脳へと続く道を見つけ出す。すぐさまそこへと触手が殺到し、体の中へと入っていった。

 一見すると触手がトロールの皮膚や体を貫いているようにしか見えないが、あくまで見た目だけである。

 物質的な存在ではない触手がどれだけ体を貫こうと血は噴き出さないし、皮膚や筋肉に損傷がないどころか入り込まれていることに気づきもしない。

 

 しかし触手と同じ作りである霊体は確かにその存在を感じ取っていた。同じように触手も霊体には触れることができる。

 彼の霊体を触手は掴み取り、そして自らを同化させた。

 

 その感覚は神経がもたらす触覚ではなかったが、トロールの肉体は霊体からの伝達で何かに触れられていることを感じ取る。

 これまでに経験したことのない皮膚の下をまさぐられているような感覚に彼は一瞬びくりと震えたが目を覚まさない。その間にルネはより詳しくトロールの霊体について調べた。

 彼の脳を目指し、霊体を伝って触手を伸ばすように自らの力をトロールへ這わせる。

 

 触手の侵蝕が進むたびにびくりびくりとトロールは震えるが目は覚まさない。

 余計な魔法を使わずに済む。トロールが鈍感な生物で助かったとルネは思った。

 そうしてしばらくトロールを観察していたルネだが、ひと段落するとすっと彼から力を解放する。

 

 ただし全てを放したわけではない。触手の先端をトロールの脳内へと残す。

 残された触手はナメクジに似た軟体動物のような姿となり、トロールの脳内へ彼の霊体に寄生する形で留まった。

 これでいつでも脳内の変化などを感じ取れる。人工精霊(ナメクジ)に観察を任せ、ルネは思考に戻った。

 

 ──やはり脳の処置に問題はないのだが、施した魔法的な処置が何故だか機能していない。

 人間の意図は通常のトロールよりもよく理解しているが、それが発話に繋がっていないのだ。

 

 対象に自発的な発話を促す、そのための何が足りない。せっかくの処置が無駄になっているのである。

 刺激が足りないのだ。だからいじくり回した神経回路が意味をなしていない。

 

 しかし人工精霊(ナメクジ)を通じてトロールの霊体と肉体に干渉し、脳へ発話に繋がるよう刺激を与えるのは控えた方が賢明だ。

 脳は肉体的にいっても霊体的にいっても重要な神殿である。神経組織にそれを固定するための結合組織の集合体は肉体的には神経の中枢であるし、霊体的には心臓と並ぶ中枢でもあった。

 

 ここに容易く手を出すのは早計だ。

 絶え間ない努力と執着によって世に分析できない神秘などないと考えるルネだが、いやだからこそ脳は繊細な部分であるので干渉には丁寧な観察が必要だと結論づけた。

 試しにおっかなびっくり霊体から刺激を与え、トロールを廃トロールにしたくもない。下手を打つと脳を吹き飛ばしかねないだろう。

 

 

 

 ひとまずトロールの観察はここまでにして、気分転換にこの件の舞台裏について考え始めた。

 まずは誰がトロールの脳に処置をしたのか。

 校内の魔法生物を統括するバネッサ=オールディス教授がトロールの知性化を試みたのではないのはまず分かる。

 

 トロールについて調べろというのが彼女からの依頼であるからではない。

 彼女の研究分野に人権派が好むような類のものはなかったはずだし、これまでの研究実績を考えると突如トロールと話したくなったとも考えにくい。

 

 この教授はとにかく魔法生物を資源として使い潰すことしか考えていないのだから。人権派とは決して相いれないタイプだ。

 仮に彼女が知性化を行ったとしても失敗作になったら即刻処分するはずである。

 バネッサが行ったのではなく彼女が管理する荷役のトロールを誰かが勝手に知性化の実験体にしたのだろう。

 

 そして実験に失敗したので元の荷役に戻そうとした、と。

 まさかパレードに駆り出され、そこで脱走劇をしようとは施術者の魔法使いも思わなかったはず。予想外の事態だ。

 

 ではその施術者とは誰か。トロールの脳に手を加え、知性化を目指した魔法使いは誰であるのか。

 

 条件その一。まずバネッサ=オールディスの目を誤魔化し、トロールを一体ちょろまかす実力がないと難しい。それは恐らく最上級生でも無理である。

 ならば教員か。しかしキンバリーの教員にトロールの知性化に関心のある人物がいるとも思えない。

 

 トロールの知性化という研究自体がそもそも人権派の領域なのだ。彼らの脳を犯す非人道的なやり方であるものの、根底にはトロールに人並みの知能を与え人間社会の仲間入りをさせたいという人権派的な考え方がある。

 キンバリーの教員でそんな思想の持ち主はいない。どっちつかずの消極的な保守派か、トロールなどの亜人種を小馬鹿にする保守派ばかりだ。

 

 条件その二は亜人種の脳を適切に弄りまわせる知識と技術を持っていることである。魔法生物学に関心のない教員には難しい。

 彼らは専門家であり、専門外の知識は魔法使いとしての基礎教養以上は持ち合わせていない。

 特に魔法生物に関する脳脊学はマイナーな分野だ。頭を切り開く程度はできるかもしれないが、特定の部位に変化を起こして魔法生物の行動に干渉しようとするには相応の知識と技術が必要である。

 

 だとすると生徒か。人権派の生徒はキンバリーにも大勢いる。キンバリー外部の人権派とは方向性のかなり違う人権派だが、魔法生物学を専門に扱ってきた彼らなら亜人種の脳へ魔法的アプローチを行うことも可能だ。

 しかし生徒だと条件その一を解決できない。

 

 ──つまりは条件その二に当てはまる人権派の生徒を教員の誰かが支援していることになる。

 教員は魔法生物学に関しては専門外だ。もし可能なら自分でやっているからである。代わりに生徒を支援した。

 これが答えだろう。

 

 ではなぜ失敗作のトロールをバネッサの下に戻したのか。

 失敗作のトロールの処分を生徒はためらい、「盗んだものは返せば問題ないだろう」と返したらこうなってしまったのだろう。

 結果的にキンバリー魔法学校の入学式を妨害し、バネッサ=オールディスやエスメラルダ校長の顔に泥を塗ったのである。

 

 その生徒はもし見つかれば叱責は免れない。退学などの厳しい罰はないとは思うが、それ以下の何らかの罰則は与えられるだろう。また支援していた教員も面倒ごとに巻き込まれることになる。

 教員は生徒を守るはずだ。師弟愛のようなものではなく連帯責任を恐れてである。

 

 纏めよう。

 

 カティに魔法を使った犯人は分かった。

 そしてトロールがどうして暴走したのかも理由は分かった。どうして発話をしないのか不明点は残るが、ここは課題には関係ないので良いだろう。

 誰がやったのかは分かっていない。こちらも課題には関係ないが、恐らく魔法生物学に関心のある人権派の生徒とそれを支援している教員である。

 人権派の生徒の方は失敗作のトロールを処分できずに元に戻しただけであろう。恐らく支援者に断りなく。

 

 この二人に誠の協力関係や師弟関係はないとルネは思っていた。

 そもそもどうして教員が人権派の生徒の研究を支援したのか。

 恐らく人権派の意図に共感したのではなくまた別の思惑があるはずだ。トロールなどの魔法生物の知性化が自身の研究かまたは思想に合致するから手伝ったのであって、この二人は根本的に違う方向を向いている。

 

 ルネはそこまで考え、犯人捜しを止めた。

 これ以上は課題を上回ってしまう。バネッサは犯人については調べなくても良いと言っていた。

 どういう理屈であるかは分からないが教員が関わっていることを知っていたのだ。恐らく彼女なりに察するものがあったのだろう。

 それに誰が関わっていようが、トロールがどんな魔法的な処置を受けていようが彼の死はほぼ確実だ。

 

 トロールの都合を考えるほど魔法社会は優しくないからである。頭をいじられていようがいじられていまいが、彼が人を襲ったのは間違いないのだから。

 むしろ失敗作のトロールであればますます価値がなくなり、簡単に人を襲った危険な魔法生物として処分されやすくなってしまう。

 このままバネッサへと報告すればトロールは脳を確認され、そして失敗作として処分されるだろう。

 

 魔法生物学科は自身の面子のために殺処分を保留しているだけで、状況が分かれば判断をすぐにでも変更するからだ。

 犯人の生徒や協力者の教員が探し出されるかどうかは分からない。そこは学校側の判断によるものである。

 

 ──ルネはふとカティの顔を思い出した。トロールに襲われてもなお彼女は気丈だった。

 それに食事の際もトロールや他の魔法生物を愛する思いを語っていた。

 トロールが完璧な処置を施されているのに会話をしなかったのには理由があるはず。

 そしてその鍵はもしかすると──。

 ルネはカティの顔を頭に浮かべながら、また別の好奇心を燃やして自身の工房へと戻った。

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