七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~ 作:HAL1993
彼らの遭遇はあっさりとしたものだった。
オフィーリアは隠れようともせずに工房外の沼地で佇んでいただけであるし、ゴッドフレイ一行も潜まずに三層を進んでいたからだ。
身を隠すものなんてほとんどない、開けた沼地で出会ったのである。
彼らは互いに街で出くわした友人同士のように一瞬硬直した。しかし挨拶はないし歩み寄りもない。ただじっと見つめ合うだけだった。
それも当然だろう。かたや
どちらが先手を打つのか。もはやそれだけの関係でしかなかった。
しばらくして、オフィーリアの顔に恍惚とした笑みが浮かぶ。
「……随分と、引き連れてきましたわね。ゴッドフレイ、先輩……」
熱い吐息を漏らしながらオフィーリアは生徒会一同を眺めた。その蕩ける瞳の眼差しはそれだけで異性を誘うものだが、流石の生徒会、男性陣は誰一人として彼女に惹かれることはない。
彼らは何一つ惑わされずに目の前の魔女を見つめていた。むしろその目に浮かんでいたのは同情である。
オフィーリアは首を傾げた。てっきりもっと殺気立っているものだと思っていたのだが、と。
嘲るように彼女は続けた。
「捕まえた子達は、奥の工房よ……もっとも、たどり着けるかどうかは、分かりませんけどね」
そう挑発してもゴッドフレイ達の目は変わらなかった。哀れみの目である。
特にゴッドフレイとカルロスの顔は見れたものではなかった。
「オフィーリア、君……」
「リア……」
かける言葉が見つからない、そんな様子だ。二人以外の生徒会メンバーも絶句していた。
そこまで自分は堕ちた見た目をしているのだろうか。魔に呑まれるというのも嫌なものだとオフィーリアは自嘲の笑みを浮かべた。
「まあ、いいわ……始めましょう……か……?」
そうして彼女は
目を見開いて微動だにしなくなった
クリストファー号船橋にて。
頬杖をついて映像を眺めていた自動人形ルネは「おっと」と声を漏らした。彼女の
それらを呼ぼうとして全く呼べない状況に
何かしらの理由を作って
いるはずなのに何故いないのか、どうして呼べないのか、何で──と、そんな想定外の状況にオフィーリア=サルヴァドーリとして振る舞っている
その点をルネは失念していた。しかし修正は難しくない。
離れた位置から
「
魔力光も何もなく、ただ彼の詠唱だけがその周囲に静かに響く。
しかし派手な演出がなくともその魔法の効果は三層全域へと確かに広がった。
狙いは死体のみ。対象以外には何も感じさせない、魔力波としても感知されない丁寧な力だ。誰にも悟られずにルネの魔法の効力は発揮する。
刺殺、撲殺、あらゆる方法で殺されてきた怪物達の体が癒やされ、そこに再び生気が戻った。
そして倒れていた
偽りの母を守る役目を再度与えられた哀れな獣達は彼女を守るように並び、そして彼女の敵へと牙を剥き出しにして吠えた。
「なッ!?」「まだこんなにいたのか!?」
突然の出来事に流石の生徒会もたじろいだ。といっても
ゴッドフレイ達からすると何の前兆もなしに数多の怪物達が目の前に出現したようにしか見えなかったのだ。
それは潜んでいた場所から出てきたどころではないし、上級生達が知る召喚魔法の姿とも違うように思えた。魔力光の輝きすら伴わない瞬間的な登場である。
「いったいどこから出てきた? 隠蔽していたわけでもあるまい」
「ええ、これはリアが呼び出したものでもないわね」
「確かに。ということは──」
レセディとカルロスが互いに疑問を口にし。
「ッ、警戒しろ! サリヴァーンの呪文だ! 次に何をやらかしてくるか分からんぞ!」
「「「ッ!? 了解!」」」
気づいたレセディがいち早く仲間達に警告する。
怪物達が擬態して隠れていたのでもなく、オフィーリアが呼んだものでもないと。となると誰かがやったのだと。第三者の介入に感づいたのだ。
ルネ=サリヴァーン。あれの魔法であれば痕跡もなしに召喚魔法を使うことすら可能であると予想して。
呆然としていたところから一気に警戒を強める生徒会だったが、そのおかげで相手をよくよく観察したからか目の前の敵からの違和感を覚えた。
見れば見るほど何かが引っかかる。幾つもの魔法生物を繋げた姿の異様さにではない。それは、これらをどこかで見たことがあるという既視感だった。
「なあ、こいつらって」
「……ああ、間違いない。我々が倒してきた連中だ」
ティム=リントンとレセディ=イングウェは断言した。ついさっき彼らの毒で苦しむ最期の顔を見て、その頭を蹴り飛ばしたのは確かに自分達だったからだ。
殺し損ねた感覚は一切なかった。確実に全ての
なのに戻ってきた。それは、つまり──。
「マジかよ……」「生き返らせたってか、あいつら全部を」
いったいどんな呪文を使えばそんな真似ができるのか。生徒会の上級生達の呟きはそれを表していた。
「どこからかしら。近くには、いないみたいだけど」
カルロスは周囲を見渡す。視力だけではなく魔力も頼ってルネを感知しようとするが彼にはできなかった。
隠れているのか、かなり距離があるのか。どちらなのかカルロスには分からなかったが、確実なのは
「魔法生物学の授業で死んだ魔法蚕を復活させたと聞いていたが、あの
魔法使いとして、戦慄と敬意を込めた声でゴッドフレイは呟いた。間違っても声を大にしては言えない。敵である彼を味方の前で称賛することなんてできないのだから。
そんな立場があっても小さく口に出さずにはいられなかった。小さな虫から大型の怪物まで、区別なく生命を弄くり回す業への畏敬を。
この光景は撮影用
「いつ見ても凄まじいな、これは」「そうですわね。しかもあれだけの数を一瞬で生き返らせるとは。先輩方があんな顔をするのも分かりますわ」
オリバー、ミシェーラがそう感想を口にする。
魚のフライを手に椅子に腰かけて観戦、もとい観察していた不死鳥の団と剣花団の一同もゴッドフレイ達と同じような表情で自動人形ルネに視線を向ける。
「ふむ」
彼も仲間達と同じように椅子に座って映像を鑑賞していたのだが、その様子は不満げだった。生徒会の上級生を驚かせた技術をちっとも誇っていない。
「……どうしたの? そんな顔して」
周囲の視線に圧され、この場の全員を代表してカティが尋ねる。自動人形ルネはちらりと彼女に視線を向けてから映像の
「あれらの蘇生は不完全だからです」
「……ああ、魂魄がってこと?」
最初の魔法生物学の授業でルネが語っていたことをカティは思い出す。自動人形ルネは頷いて話を続けた。
「その通りです。やはり生前とは魂魄が違っています。あれでは完全な死者蘇生とはいえません。全く同じ形をした別の生き物に作り直しただけです。なかなか上手くいかないものですね」
自動人形ルネは嘆いた。自らの技術の拙さを。
しかし、例えルネにとっては失敗作であっても生徒会にとっては関係がなかった。魂魄が同じだろうが違っていようが攻撃性は変わらないのだから。
しかもこれまで殺してきた怪物が一同に揃っているのだ。数の暴力で圧し潰されるつもりはなかったが、苦戦を強いられるのは間違いなかった。
「……じゃ……あ、始め、ましょうか」
呼び寄せようとした
体の震え、声の震えはまさに故障した時計が不意に動き出すようなぎこちなさだ。今まで自分が固まっていたことなんて覚えていない、知らないといった様子だった。
しかしゴッドフレイ達はそんな哀れな姿に同情できない。彼女の命令に従った
異形、怪物、化け物が雪崩のように殺到した。作戦も何もない、ただの突撃である。爆炎、毒剣、豪脚、数々の二節呪文が怪物達を迎え撃った。
二つの勢いの激突はどちらかがどちらかを貫くこともなくその場に留まる。圧倒的な数を味方に
その激しい力の衝突を魔力に満ちた瞳で眺めながら
「
もはや一節、二節と表現するのも無駄に思えるほどに長い詠唱。その一言一言には力が込められており、それらは彼女がずっと蓄えてきたものだ。
自信、確信、革新。魔道の探求によって得たこの世界を定義し直す力が、声や体から溢れ出して周囲の景色を歪めていく。
世界を侵食する力は空間を揺らす激しい振動や耳鳴りとなってゴッドフレイ達に教えた。しかと見よ、お目見えだ。魔道の到達点が顕現するのだと。
「
どうにかしてゴッドフレイ達が
同時に世界は塗り替えられた。揺れが最高潮に達し、瞬間的な浮遊感を彼らに与える。視界は眩んだ。光のせいではなく世界が変わる光景を脳が理解できないのである。パニックに陥った頭が見せるのは白という色だけだ。
そして新たな、サルヴァドーリの世界が創り出された。
まず最初に感じたのは温度と匂いだ。空気は甘い
次に落ち着いた脳が教えてくれたのは周囲の光景だった。地面から土や泥は消え、代わりに柔らかい膜に覆われた筋繊維が足元を支えている。
白っぽい皮膚とその奥に広がる赤い筋肉と血管で地面は桃色に見えた。空も同じように膜と筋繊維に覆われている。
そして、それらは生きていた。拍動は足元からも空からも伝わっているし、体温も同じように周囲のどこからも感じ取れた。
「閉じ込められた、か」
杖剣を片手にレセディが周囲を見渡して呟く。
肉の地面と空は平行に続いているのか、それとも袋状になっていてどこかで繋がっているのか。
ゴッドフレイ達が立つところからではそれは確かめられなかったが、はっきりと分かるのは新たな世界の中に捕らわれたことである。
「というよりは戻ってきたという感覚だな」
ティムが馬鹿馬鹿しいと思いつつも正直に口にした。
「命が宿る場所、子宮をもとに世界を創ったせいか。ちッ、こんな薄気味悪ぃとこに懐かしさを覚えちまうとは」
もちろんただの感想ではなく理屈も分かっている。続いた言葉はそれを示していた。
ここは子宮、母胎という概念を基に創り上げた世界だ。ゆえに母から産まれた命は全てこの絶界に言葉に出せない懐旧の思いを感じるのである。自分はここにいたのだ、と。
「気に、入って……いただけたかしらぁ?」
絶界の影響を強く感じ取っているゴッドフレイ達の前で地面が陥没する。その穿たれた肉の穴の中から
その姿を見て、生徒会の上級生達は一瞬言葉を失う。
彼女の上半身は以前の美しい姿のままだった。しかし、下半身は肉塊に埋もれていた。無数の臓器のような肉に腰から下が完全に融合しており、更に肉の大地とそれは完全に繋がっている。
首をもたげる蛇のように肉塊が蠢き、
「……は。酷い有り様だな。オフィーリア」
真っ先にティムは鼻で笑う。この絶界そのものとなったオフィーリアの姿を。
連なる肉塊の頂点に生える自身の体を見下げ、
「そう、ね……最悪な気分よ……思った通り。でも……まだ、よ……あなた達の、最期くらいは……見届けてあげる、わ」
彼女が言い終えた途端に、それが合図とばかりに無数の
その数は先ほど集結したのと比べても遥かに多い。またずっと多種多様だった。付き合いの長いゴッドフレイ達でも見たことのない
彼らは生徒会メンバーを取り囲んだ。幾重にも包囲しているが、それでもなお
「……ッ、く、あぁ……ほんと、最悪ね」
そうして手駒を増やすたび、産まれてくるたびに
それをどうにか堪え、理性の手綱を握り直した。だから彼女は今もなおただ
ただし辛うじて、である。いつ自我がなくなってもおかしくはなかった。魔に呑まれた魔法使いの末路である。
しかし今、彼女はそれに抗っていた。
オフィーリアが絶界に身を任せて自我をこの淫靡な世界に溶かしていない理由はただ一つ。彼女の視線は生徒会の陣形中央にいるゴッドフレイに向いた。
そして彼と目が合う。瞬間、強い後悔がオフィーリアの脳裏に浮かんだ。ぐらりと自分が崩れそうになるほどに。
「……ッ」
体を抱きしめて崩壊をどうにか止める。まだ自我をなくしてはいけない──あの煉獄に焼かれるまでは。
せめて、最期まで彼の敵でいたいのだ。ただ排除される脅威ではなく迷宮屈指の闇の魔女として彼と相対したかった。
そんな形でしか自分と彼の関係は築けなかったのだから。それを最期まで続けたい。彼の炎に抱かれ、終わりを迎えたい。
オフィーリアが未だオフィーリアである理由はただそれだけである。
その願いと焦りを隠すように魔女は妖艶な笑みを浮かべた。
「ふふふ。まだまだ、足りないかしらぁ?」
彼女が手を挙げると肉の地面を貫いて巨大な触手が幾つも伸びてきた。その先端は硬く太い。
同調の具合を試す
「カルロスを中心に防御陣形!」「絶対にカルロスを落とされるな!」
周り全ての敵に対峙するゴッドフレイ達と、彼らを見下ろす
まず無数の触手が生徒会の頭上に振り下ろされる。複雑な動きのない単純な打撃だ。
生徒会は当然のようにその無造作な攻撃を回避した。触手の一撃が当たった肉の地面が弾け、抉れる。
その潰れるような音を合図にしたかのように
こうして数十名対絶界の戦いの火蓋が切って落とされた。
次々と産まれ出る
カティ達は全く理解ができない。どうして世界中が筋組織で覆われているのか、そこから怪物達が産まれてくるのかが。
確かにルネの絶界である
しかし一見すれば落ち着いた屋敷の内装であったし、異界であると感じさせるのは静逸な雰囲気だけだった。
一方でオフィーリアの絶界はどうか。景色なんて異界そのものである。この世のどこにはらわたをぶちまけたような場所があるというのか。
なのでカティ達は映像を見ても何も言えなかった。ただ動かず、言葉も発せられない。この感想を正確に表現できないのだ。
対して自動人形ルネは
「体が絶界の方に取り込まれてしまっていますね。あれでは絶界の性能が制限されてしまいます。やはり術式の方に破綻があるようだ。
ちょっと距離を変えて見てみましょうか」
彼の操作で映像が遠距離からのものに切り替わる。
それまで近い位置からの撮影であったのではっきりと分からなかったが、あれだけ大量に発生していたように見えていた
「この映像に魔力流検知フィルターを重ねてください」
自動人形ルネの指示で通常映像の上に魔力流の様子が確認できる映像が重なる。魔力流が白く明るい光で表されていた。
それを見ると魔力流はオフィーリアを中心に絶界へ根を張っているが、一定の範囲内にしか届いていない。
「本来であれば絶界は術者と切り離され、その都度の術者の魔力や
しかし、サルヴァドーリ先輩の絶界は違います。体の魔力流と繋いでしまったために活動限界が生じているようですね。本来であればそれこそあの絶界中から
ただ修正は可能ですし、コンセプトも理解できます。記録として残す価値はあるでしょう」
自動人形ルネはそう残念そうに観察結果を語る。カティ達が言葉を失う光景であってもルネにとっては失敗作寄りの評価であった。
霊魂から既に取り出した情報と実際に発動した際の情報を比較しながら彼はこの絶界について説明する。
「絶界の構成は
まず先輩の霊魂内に保存されている雄の情報を魔力の形で呼び出します。これまで彼女が利用してきた雄達の精液から得た彼らの霊魂の情報ですね。それらはオフィーリア先輩の経験として彼女の霊魂に保存されています。
それを必要なだけかけ合わせて
しかも受精魔力の取り込みから出産までは数秒です。つまり精液の用意もいらず、理論上は数の限界もなくあっという間に生まれるということですね。
今はサルヴァドーリ先輩のせいでやや制限がありますが、これぞまさに終わらぬ生命の実験場だ。コンセプトとしては実にサルヴァドーリの魔道に則っています」
感動したように早口での話だった。
「つまり、あの
オリバーの確認に自動人形ルネは頷く。
「はい。簡単に言えばそうですね」
この絶界の仕組みを聞いてカティ達は結局言葉を失う。そんな無茶苦茶なことがあって良いのかと。
「そんなの、アリなのか」
ピートが全員の感想を代表するような感想を口に出した。
自動人形ルネは彼に笑みを向け、言う。
「そんな無茶を押し通すための世界が絶界なのです。だからどれだけでも使用者に有利で便利であって当たり前なのですよ」
「じゃあ生徒会の先輩方は」
「地の利はサルヴァドーリ先輩の方にありますね」
心配げなピートに自動人形ルネは淡々と伝えた。
ピートは表情を変えずに映像に視線を戻す。強力な敵が無限に湧き出てくる場所で戦っている先輩達の様子を見ようとして──目を丸くした。
同じように映像を見て驚く友人達に自動人形ルネは告げる。
「といってもあの絶界は無敵の術ではありません。諦めなければ勝機も見えることでしょう。
皆さんもそうしましょうね。最期まで杖を握っているのが魔法使いなのですから」
未知の魔法生物と戦うことになったら、ひとまず時間稼ぎをするのが定石だ。その魔法生物にはどういった特徴があるのか行動や弱点を探るのである。
基本は隠れて観察すべきではあるが、しかし今の生徒会は周囲を既に取り囲まれておりそんな悠長なことはできなかった。
となると戦いながら同時進行で相手の情報を探らなければならないわけだ。
「防御ラインを割らせるなよ!」「「「了解!」」」
切り込み担当の上級生が
「足を止めるな! 陣形の中に
レセディを筆頭に近接魔法戦闘に慣れたメンバーが前線で切った張ったをしているなかで、ゴッドフレイ達もまた防御陣形を維持したまま移動を続けていた。
この絶界においてはどこから
「おら! これでも喰らっとけ!」「
なので彼らは常に走り続けていなければならなかった。ティムの苛烈な毒や呪文が前線メンバーを支援しつつ、ゴッドフレイの強力な呪文も怪物達に向けられる。
毒液や毒の霧を浴びた怪物は悶絶し息絶え、煉獄の炎を身に受けた怪物は声一つ上げることなく炭化した。
「ちッ、きりがねぇ!」
腰のケースから新たな毒瓶を掴み出そうとしたティムだが、狙っていた
「残りは!?」
怪物の死体から飛び降りたレセディが足を休めることなく走り続けるティムとゴッドフレイに尋ねた。
ティムとゴッドフレイの攻撃手段は多くの
無限に敵が現れる絶界においては彼らを出し惜しみすることはできないが、かといって使うタイミングを間違えるわけにもいかなかった。
怒鳴るのと変わらない彼女の声に同じ声量でティムは答えた。
「まだ十分! 決戦装備舐めんなよ!」
ゴッドフレイも答える。
「こちらもだ!」
「そうか! 分かった!」
「そっちは!?」
「問題ない!」
短い応答を終えるとレセディは再び怪物の軍勢の中へと身を投じる。彼らの血飛沫が飛び交う光景を横目にティムはゴッドフレイに尋ねた。
「先輩、準備の方は」
「待ってくれ──カルロス」
ゴッドフレイが隣のカルロスを見ると、走りつつも彼は呼吸を整えて魔力に集中していた。
返答はない。その余裕がカルロスにはなかったからだ。
しかしゴッドフレイには分かった。長い付き合いである。言葉がなくとも、彼の調子は見て取れた。
ゴッドフレイは頷くと指示を飛ばす。
「よし、ステージの準備だ!」
立ち止まることなく繰り返される目まぐるしい攻防を不死鳥の団、剣花団は投影された魔力光の映像越しに眺めていた。
言葉はない。ただ手に汗握り、映される光景を見つめていた。
これが上級生の戦い、生徒会の戦いなのだと。
絶界の凄まじさにも目を奪われるが、ゴッドフレイ達の対処の素早さと的確さにも釘付けになる。
自分達があの世界に放り込まれたとして同じように対処できるだろうかと自問し、自信なさげな苦笑を浮かべることになった。
そんな感慨もなく、ただ静かに戦況を眺めていた自動人形ルネは生徒会の動きの変化に気づいたのか仲間達にそれを伝える。
「そろそろ動くようですね」
「……というと?」
疑問の声に自動人形ルネは映像を指差して説明した。
「陣形からゴッドフレイ先輩とリントン先輩が離れました。移動速度も遅くなっています。ウィットロウ先輩の準備ができたようなので周囲の殲滅に移るのでしょう」
彼の指摘通り、素早く動き回っていた生徒会は動きを緩める。またゴッドフレイとティムも個別行動を取り始めた。
ゴッドフレイは広範囲の肉の地面を呪文で深く焼き、
またティムは大量の毒を一気に撒き散らして
この毒は軽く、人の頭上よりも下に落ちないのだ。なので大型の怪物には効果があるが人間には届かなかった。
そんな彼らの動きの中心にいるのは、カルロス=ウィットロウだった。
火傷を負った肉の地面の上で立ち止まった彼はじっと
カルロスが脅威であり切り札であることをオフィーリア側も分かっているのか生き残った
毒も炎も残った
風に操られた大量の猛毒の霧が彼女を支える肉塊に押し寄せ、上半身へは視界を覆い尽くさんばかりの炎が迫った。この二つとて無視できない彼女は急遽産み出した
それでもなお迫る炎と毒霧は絶えなかった。
瞬間、無限に命の湧き出るこの絶界において生命と誕生の空白ができた。この空間から
焦る
「何をするつもりなの?」
状況から見るとカルロスが切り札であるようなのだが。彼にそんな印象のなかったカティは当然の疑問を口にする。
自動人形ルネは愛弟子の疑問に答えた。
「
カルロスは自身の喉元に指を当てる。
指先には首を一周する形で入れられた刺青の中心部があった。それを人差し指ですっと撫でると解けるように刺青が消える。
そして、彼は歌い始めた。
──寂しがりの子は どこかしら?
──泣き虫の子は どこかしら?
──隠れてないで出ておいで 涙はひとりじゃ乾かないわ
瞬間、絶界が綻ぶ。新たな秩序であり世界として定まっていた
その光景にも目を見張るが、団員達はむしろカルロスの歌の方に惹かれる。母が幼い子に語りかけるような優しい、易しい言葉と歌声に。
「な、なに。これ」「……良い声」
カルロスの歌声が頭から体を心地よさでじんわりと満たしていく。そして愛情、懐かしさ、暖かさが団員達の心を震わせた。
つまりは感動だ。胸を打ち、言葉を失わせるほどの。
そんな強い心の動きに戸惑う団員もいればただ素直に受け入れる団員もいる。違いはあれど、ただ一つ同じなのは誰も聴くことを止めなかったことだった。
この歌声の正体が何なのか。誰も自動人形ルネに尋ねることはしない。そんなことが無粋に思えたからだ。
自動人形ルネも解説をしなかった。あの説明好きの彼がだ。
隣に座っていたカティがちらりと自動人形ルネを見れば、彼はカルロスの歌に耳を傾けていた。普段の穏やかさに加えて表情は真剣そのものだ。
そしてルネは静かに涙をこぼした。
「る、ルネ……涙が」
泣いていると声に出してしまいカティははっと口を抑える。そんなこと言うべきではないし、そのせいで注目を集めてしまったからだ。あのルネが涙していると。
「素晴らしい歌声ですよね。つい聴き入ってしまいました」
涙を流したことは自覚していたようで、彼は特に驚いた様子もなく目元を指で拭った。
「彼の歌声自体は魔力を伴ったものではありますが、この涙は魔法によるものではなくウィットロウ先輩の才能と技術の賜物です。流石、本物の
そして、状況が動きますよ」
つい彼を見てしまったが、自動人形ルネが映像を指差したことでカティ達の注意が再度戦場に戻る。
サルヴァドーリの絶界が揺れ、崩れていた。無限に産まれてくる
彼女の世界を閉じていた肉の空が落ち、三層の淀んだ天井が戻ってきた。生きた大地は沼地へと変わり、そして最後に
「リア!」
歌を止めたカルロスが落ちる彼女のもとへ走った。細身のカルロスだったが、彼は
「ッ!」
彼女を腕の中で感じた瞬間、カルロスは言葉を失った。
腕から伝わる感触は柔らかく、オフィーリアの体はずっと前に抱き締めた頃と何も変わってないように感じたからだ。
ルネの言葉が嘘のようにこの体は生身としか思えない。これのどこが機械なのかと。
「カル、ロス」
細々とした声で
「リア」
彼は頷き、彼女の体を抱き寄せた。
「ごめんね。約束したのに、笑顔にしてあげられなくて」
「……馬鹿じゃ、ないの。……あんたが勝手に、言ってただけでしょ……」
震えた肩と声で身を縮める彼女の頭をカルロスはそっと撫でた。固まった体も心も解きほぐすように。
「愛してるわ、私のリア。──今までも、これからも。ずっとずっと」
杖剣を下ろし歩み寄るゴッドフレイも、カルロスの腕に抱かれるオフィーリアにずっと抱えてきた言葉を伝える。
「すまなかった、オフィーリア君。……傍にいながら、何もしてやれなくて」
彼女の心を占める二つの大きな存在からの思いを受け、オフィーリアは体から強張りを消した。
「……だいきらいよ、あんた達なんて……」
その口から出た言葉は彼女の心そのものではない。涙をどうにかして堪えている顔と、そしてようやくカルロスの抱擁に応えたのを見れば明らかだった。
サルヴァドーリの世界が完全に崩れ落ちた今、オフィーリアは最期の願いを口にする。
「……もう、終わらせて」
彼女は血色が悪くなり、感情ではなく体力によって声が出せていなかった。
限界なのだ。オフィーリアは終わりを願った。
カルロスはもう一度だけ彼女を抱き締め、その体を地面に寝かせる。
ゴッドフレイが杖剣を自分に向けるのを見て、隠せていない涙が目から溢れているのを見て、オフィーリアは満足気に目を閉じた。
そしてゴッドフレイが火葬呪文の詠唱を口にしようとした瞬間、歌声が響く。
──ほぅら やっぱりここにいた ひとりで泣いてるおばかさん
──そんなに泣いたら大変よ 涙の海でおぼれちゃう
「リアッ!」
「ッ、カルロスッ!」
歌と同時に
彼女の体はそのまま地面を引きずられていった。歌声のする方へと。
──だけどもう大丈夫 わたしが来たから大丈夫
──ひとりの時間は終わりなの わたしが魔法で終わらせちゃうの
ゴッドフレイの杖剣が、歌声の方へと向いた。
──扉をくぐっておいでなさい わたしがあなたの帰る家
──暖炉の前でまどろみましょう 腫れたまぶたが治るまで
愛する人の助けを求める手を取れなかった自分の右手を握りしめ、後悔と怒りを力に変えてカルロスはその手を杖剣へと伸ばす。
そして親友と並んで、同じ方へと杖剣を向けた。
──わたしの心であなたを包むわ だからもう 泣かないで
最後の一節が終わり、歌が終わる。しかし誰からも拍手はなかった。実際の拍手もそうであるし、心からの称賛すらだ。
その歌声はカルロスのものに勝るとも劣らない。そう感じるのに、どうしてか感動が胸に来なかった。声量も声の質も、歌に込められた感情も素晴らしい出来栄えだというのに。
点数のチェックシートは満点なのに心の琴線には触れなかった。歌声の主は残念そうにしつつも、丁寧に挨拶する。
「ご機嫌よう、先輩方」
「サリ、ヴァーン?」
地面を転げ回るのがようやく終わり、泥まみれの
彼女の肩に手を回し、力のないその体を支えているのはルネ=サリヴァーンだった。彼は支えている
ただゴッドフレイ達を見つめるその目は星空のようにきらきらと輝いていた。楽しみを待ちわびるように。それは無垢で何の躊躇もない純粋な光だった。