七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~ 作:HAL1993
入学式を終えた次の日の朝。一般の学生にとってはやや早い時間帯。女子寮から校舎へ続く道は人通りも少なかった。
とぼとぼ移動する学生達は今日一日の用意を整え、腹を鳴らしながら校舎に向かっている。
キンバリーの食堂は校舎にしかないからだ。学生達は授業のため、そして空腹を満たすために校舎へと向かうのである。
その道中でマックリーと彼女の友人達はややぎこちない様子で話していた。
内容は友人同士がするような他愛もないものだったが、何か別なことを気にしているのかどこか上の空だ。
ぼんやりしているのは眠気も理由の一つだ。そもそも彼女達はそこまで早起きをするタイプの学生ではない。
しかし今日は全員がよく眠れなかったのだ。なので夜明け後しばらくして身支度を整え、さっさと食堂で朝食──できるなら酸っぱい柑橘類のジュースなどで目を覚ましたいので──を済ませようという話になったのである。
どうして全員が不眠の状態にあるのかといえば、彼女ら全員が考えているのだ。昨日のトロール騒ぎを。
人権派の同級生を魔法で走らせたのはマックリーである。そして彼女の友人達はそれを笑って見ていた。
断じてその後のトロール騒ぎには誰も関与していないはずなのである。
既に魔法を使っていたマックリーは自分は絶対に違うと信じていた。
自分にだけは確信はあったが、では他の友人達はどうだろうか。杖を手にしていないところも、小声で呪文を唱えていないところも絶対に見ていない聞いていないとは断言できなかった。
それは他の友人達もそれぞれ思っているところだろう。自分達の中にトロールを暴走させた魔法使いがいたら。
学校がこの件に関して調査していることを彼女達も知っている。
もしもこのことを知られてしまったら──
その先を考えるのが恐ろしく、取り決めなどは一切なかったが暗黙の了解で彼女達の意思は統一された。
「今回のことはなかったことにしよう。忘れてしまおう」
しかし完全に忘れることなぞできるわけもなく、全員が会話の中でちらりと考えてしまう。
トロールを暴れさせたのはこの子だろうかと。
彼女達のグループに纏わりつく微妙な雰囲気の正体である。
これが長続きするとは誰も思っていなかった。そのうちにいつも通りの仲良しの雰囲気に戻れるだろうと。それまではギスギスした空気を出してしまうがしかたがない。
我慢しようとマックリーが思っていると、彼女達の隣に馬車が音も鳴らさずに並んだ。
どこからやってきたのか。男子寮からか、それとも校舎からか。
前から来たようにも見えなかったし、後ろから追いつかれたのも分からなかった。いつの間にかその場に現れていたのだ。
車輪は回っているが無音でそれは進んでいる。
馬車と
彼女達がびっくりして立ち止まると同時に馬車も止まった。しばらくして扉が開くと、そこから美しい少年が現れる。
絵に描いたような整った顔立ちだ。長い金髪をリボンで結って、青く優しい瞳で彼はじっと彼女らの顔を見下ろしていた。
彼が一歩踏み出すとそこに階段が現れ、優雅に馬車から降りる。
「おはようございます、みなさま。私はルネ=サリヴァーン。お見知りおきを」
そう微笑んで挨拶したルネは昨夜魔法で確認した少女達を再度じっと見つめる。
「あら、あなたがあの有名な……おはようございます
サリヴァーン家は魔法界屈指の名家である。優れた錬金術師達を多数輩出した名門であると同時に世界中に大きな拠点を持つサリヴァーン商会を取り仕切る大金持ちだ。
そしてルネは普通人出身で一切の血の繋がりのない
成り上がりといえばそうだろう。
マックリー達の家柄は名家とは決していえないが、魔法使いとしての歴史はそれなりにあった。なので普通人上がりの癖にと思わないこともないが、サリヴァーン家の名前とルネの実績が全てをかき消す。
そういった背景もあってか、マックリーは普段の口調よりもずっと丁寧にルネに接した。彼の覚えが良くて悪影響なことなんてないと思ったからだ。
もしかして見初められたのかも、と彼女が夢見がちに思っていると、ルネは機嫌良さげな笑みを浮かべながら言った。
「早速ですが一つ質問が。昨日のパレードで巻き毛の女の子に魔法をかけて走らせましたね?」
彼女らにしか聞こえない静かな声であったが、マックリー達の笑顔が凍りついた。次に彼女らはきょろきょろと辺りを見回す。周りには人はいない。
「どうぞ私の馬車にお乗りください」
ルネはそう言うと自分の馬車を手で案内した。
中は外観よりも広く思えた。高級な座席に綺麗な内装は上級貴族の馬車のようにも見える。
「馬車の形をした
ルネは既に深く座席に腰かけていた。どうぞ、とマックリー達にも座るよう促す。ルネの前にはちょうど五人がかけられる座席があった。
彼女達が腰かけると音もなく、また揺れることなく馬車は動き出した。窓から見える景色が変わったのが分からなかったらずっと止まっていると勘違いしたかもしれない。
マックリー達が言葉に困っているとルネは尋ねた。
「先ほどの質問ですが、お答えは?」
「な、何のお話だか」
彼女の友人がそう答えるとルネは目を細める。動揺は完全に見透かされていた。
しかしそれで追及を深めるのかと思いきや彼の口調は落ち着いたままだった。
「そうですか。ところで皆さま寝不足のようですね。ちょっと目が腫れていますよ?」
そう間に挟むと、ルネは少し身を乗り出す。
「トロールについては君達が何も関係ないことは分かっています。この中の誰もトロールに魔法をかけてはいません。そのことが心配だったのではないでしょうか」
「──それは、その」
彼女達が互いに顔を見合わせ、どうしようかと不安に思っているとルネはそれを取り除こうとするように言った。
「私は過去を正確に観測する魔法を習得しています。君達があの巻き毛の女の子に悪戯をしかけたのも、君達がトロールに何もしていないこともそれで確認しました」
嘘を吐いたり、鎌をかけたりしているようには思えない。ただ淡々とマックリー達がやったことを咎めることもなく事実を述べていた。
また彼女達は互いに目配せをしたが、今度は不安がるものではなく、安堵の確認であった。
この若い魔法使いの実力は魔法界に身を置く者ならよく知っている。それが自らの魔法を用いて確認したと言っているのだ。
マックリー達にルネの用いた魔法についての知識はなかったが、その信頼性は友情にも勝る。彼女らの間にあったギスギスした空気は解けようとしていた。
それを察したのかルネは再度尋ねる。
「君達がどうして彼女に魔法をかけたのかを知りたいのではありませんし、学校側にこのことを報告するつもりもありません。私は好奇心の塊なのですよ。ただ事実確認をしたいだけですので──もう一度質問しましょう。昨日のパレードで巻き毛の女の子に魔法をかけて走らせましたね?」
それでも口では言わなかったが、
ルネは本当にそれだけで満足したようだ。「ありがとうございます」と丁寧に言うと座席にまた深く座った。
「知らぬ存ぜぬを通しても良かったのに。君達は正直になってくれました。ありがとうございます」
そう再度礼を口にする。マックリー達の反応を聞くことなく、ルネは窓の外を見ながら言った。
「到着しました」
馬車の扉が開くと校舎前の広場だった。朝早いからか学生の姿は全くない。
「早い」
「ええ、何せ私が作った
魔法の階段が設置され、ルネは彼女らに馬車から降りるよう促した。
「では
そう
その臆病さにルネは微笑ましい表情を浮かべつつ、彼女らに告げた。
「一つ確認を忘れていました。君達は、また彼女に悪戯をしかけるつもりなのでしょうか」
すぐに返事をしなかったことでルネは彼女達の意思を察する。
「なるほど。酷い人達だ」
ルネが手を振ると、彼に呼び寄せられた力が立ち上がりかけた五人を座席に圧し戻した。
少し痛かったかもしれない。圧し潰すような力が彼女達の細い体にかかった。
あっという間のことに新入生は全く抵抗できない。杖に手すらかけられない。
ルネは震えながらどうにかして拘束を解こうとする彼女らに告げた。
「私には保守派や人権派のような心情的なこだわりはありません。私はただ魔法が好きなだけなのです。ですのでどちらに与することもありませんが、彼女とは自己紹介をした関係です。そんな人が傷つくことを見過ごすつもりはありません」
座席に圧し留めようとする力を、今度は彼女達の首に回す。ぎしりと喉が締めつけられた。息は辛うじてできるが言葉は出ないほどの強さである。
細い。そして弱い。彼女達が馬鹿にする魔法生物よりも儚い。ちょっと力をかければ小枝を折るよりも簡単に折れそうだった。
「こ、の……」
「ああ。お止めください。中のものを壊されると直さないといけませんので」
抵抗とばかりに杖か杖剣に手を伸ばすが、ルネが指を一振りするとどちらも彼女らのベルトから飛び出して馬車の床に落ちる。拾おうとすれば杖の方が逃げていってしまう。
ルネは苦しむ同級生をじっと見つめた。首にかける力を強めた。
「あ、が──」
武器を取る余裕もなくなり、彼女達は必死に喉元を指で押さえるが無意味だ。
透明になった見えない手で絞めているのではない。彼女達では決して抵抗できない魔法の力で締め上げているのだから。
現に彼女達の手は空を掴むばかりで苦しさからは全く解放されない。怯える目がルネを見つめた。
「安心してください。君達が悪戯をした件を人質にするつもりはありません。学校にこのことを報告したら君達は罰せられるでしょう。そしてトロール騒ぎの責任も取らされるかもしれません。
もちろん私は君達がトロールには何ら関わっていないと断言できますが、キンバリーがどう判断するかは分かりません。この学校に公平な裁きを期待しない方が良いでしょう。ついでにトロール騒ぎも君達のせいにされるかもしれませんね。だから誰にも何も言わないことをここで約束しましょう。
しかし私は魔法において君達よりも遥かに上回っている。比類ない力だ。今、君達は貴重な体験をしています。しかし狡猾な力でもあります。君達のように気づかれることは決してありません。先生方にすら。私は彼女を守るために、または君達に報復をするためにもっとこれを振るうべきなのでしょうか」
ひー、ひーと口から怯えた吐息を出す彼女達にルネは変わらず落ち着いた口調で脅す。
「よく考えてください。もし君達が彼女に手を出さないのなら、私も君達に何もしません。簡単な話でしょう? 彼女は思想的にこの学校では今後多く敵を作ることになります。君達が関わっていない嫌がらせも多く受けるでしょう。しかし、もしも彼女がこれから受けるであろう悪戯の中に君達の影が見えたら──」
途端に彼の力が高まった。
宇宙の暗がりが光を吸い込むように、彼女達の視線も意識もルネに集中した。
ルネの青い瞳はきらきらしたその輝きが消え、底の見えない深さを見せている。
暗い青色だ。
彼女らは硬直しかできない。ルネから視線を外すこともできず震えるばかりだ。
そんな子猫のような同級生達を見て、ルネは微笑ましく暗い青の目を細めた。
彼なら一声もなくこのまま彼女達を灰も残さない破壊で焼き尽くすこともできるし、言葉すら口にできない無残で矮小な姿に永遠に変えてしまうこともできたが──。
一息つくと、時空をも捻じ曲げかねない力をルネはあっさりと抑えた。そしてマックリー達に仕掛けていた力も放す。
彼女達は柔らかい座席に息を荒くして倒れ込んだ。咳き込む体に彼は再び力を差し向けた。
今度は癒しの力だ。苦しんでいた彼女達の体はいつもよりも健全なものに治された。頭に残っていた眠気すらも消してくれた。
ルネは揺るがない穏やかな笑みを浮かべたまま告げる。
「もし約束を守っていただけるのなら、私はいつでも手を差し伸べましょう。何か困ったことがあればご相談ください。昨日知り合った女の子のためにここまでするのが私です。頼もしいでしょう? 私と君達はたった今、首を締め上げた仲になったのですから」
子猫の群れのようにマックリー達は寄り添っていた。手を取り合い、肩を寄せ合っている。
その怯える視線にルネは全く変わらない優しい表情を向けた。
「改めまして。私はルネ=サリヴァーン。次会う時はぜひとも君達の助力になりたいですね。そうであることを祈りますよ」
彼女達は震えながら今度こそ馬車から降りた。ルネは窓越しに手を振ったが、マックリー達は逃げるように校舎へと飛び込んでいった。
しばらくは彼女達はルネの気配に怯えながら過ごすことになるだろう。母親の読む物語の怪物にベッドの中で怯える幼児のように。
さながら児童書の怪物になった気分のルネはやや大仰に足を組みなおした。
その動作の意図を読み取ったのか馬車は再び動き出す。学校の敷地内を走らせ、ルネは誰もいない外の景色を眺めていた。
しばらくして。
彼女が話せるくらいに落ち着いたのを感じ取ったルネは視線を窓から前に戻した。
「これでよろしいでしょうか、
そして指をぱちんと鳴らした。
すると彼の目の前にあった座席がくるりと回り、裏側にあった座席にぽつんと座ったカティが現れた。膝を抱え、両手で抱えたカップからちびちびと紅茶を口にしていた。
最初からずっと彼女はここにいたのだ。ルネはまず女子寮の彼女の部屋へ手紙を飛ばし、「昨日のことが分かったから来てほしい」と伝え馬車に乗せたのである。
ちなみにカティと同室のサムライ少女ナナオは朝早くどこかに出かけたらしいので不在だった。
その後は既に起こった通りだ。マックリーの背中で全て聞いていた彼女は青い顔で頷いた。
「私のためにやってくれたのは分かる。そこは感謝する。ありがとう。でもやりすぎ。あんな、その……暴力は使わなくたって」
彼女の指摘にルネはじっとカティを見つめた。
「ふむ。もしかすると君はあの時に大怪我を負っていたかもしれません。仮にトロールが暴れていなくても魔法生物を刺激するのは危険です。いくら管理されているとはいえ。もしも彼女達に暴れた魔法生物達を鎮圧する力があれば別ですが、そうではないでしょう? 軽い気持ちでそれをやった彼女達に対して、あれくらい驚かしても問題ないとは思いますが」
「首を絞めただけじゃなくて、あの覇気というか、凄んだ気配もやりすぎ。というかあれの方がずっと怖かったっていうか」
「それはそうでしょう。私は彼女達を怖がらせたかったのですから。君も怖がるとは思いませんでしたが」
「私がこれからも嫌がらせを受けるっていうのは?」
「おや、まさか自覚なくキンバリーに入学されたのではないでしょう? 自分の信条と校風が合致しないことは入学前に分かったはずです。それでもなお入学されたということは七年の戦いを覚悟されているのかと思っていましたが」
「それは分かってる。分かってるよ。パパとママの猛反対を押し切って来たんだもん。でもまさか入学早々こんな目に遭うなんて」
「不運ですね。しかし私がいたことは幸運であるでしょう。少なくとも彼女達から嫌がらせは受けないでしょうから。もしまた何かやられたら遠慮なく仰ってくださいね。いつでも首を絞める準備はできていますから」
何を言っても自分がやったことは問題ないと思っている。カティはそれを察し、話を変えた。
「──私を走らせたのはあの子達だっていうのは分かった。じゃあ、あの子は? あのトロールはどうして暴れたの?」
ルネは試すようにカティの目を見つめ、少し考えてから話した。
「彼は脳に対して魔法的な処置を施されています」
カティが、ばっと顔を上げルネを見つめる。ティーカップを握る手にも力が入った。
力んだその手から彼女の真剣さを感じ取り、ルネは丁寧に説明を始める。
「かつて人権派が行った魔法生物の知性化の実験をご存知でしょうか。トロールはそのメインの対象として扱われていましたが」
知性化実験についてカティは知らなかったようだ。ルネが説明した実験の内容に怒りを露わにしつつも、実験内容そのものは知らないと首を横に振った。
脳機能を変化させ、知能向上を図る。
その実験内容を頭の中で反芻させていたのかカティは紅茶に何度か口をつけしばし黙っていたが、トロールを思いやるようにぽつりと静かに呟いた。
「だからあの子、怖かったんだ。ここから早く逃げ出したくって」
「ちょうど開いていた校門めがけて走り出した。それが彼が暴れた理由でしょう」
ティーカップが空になっている。綺麗な装飾のティーポットが宙を浮かんで現れたが、カティが遠慮したのでカップと共にポットは馬車内から消えた。
カティは遠慮がちに尋ねる。
「あの子を治すことって、できる?」
彼女に施術の知識はあまりないが、脳に手を加えてそれを治せるとは思っていなかった。
しかし目の前の少年ならそれができるのではないか。淡い期待を胸に抱いて尋ねた。
「元の脳に戻すということでしょうか。時間をいただければ可能ですね。しかし治せば、彼は人に危害を加えた害獣として処分されてしまうでしょう」
彼は半分期待通りの答えを述べたが、安堵したカティの顔色が後半部分の発言に曇る。
ルネはカティが異議を唱える前に淡々と事実を告げた。
「確かに彼が暴れたのは脳に危害を加えられ、ここが恐ろしくなったからです。しかし私達の社会はトロールの事情をくみ取ってあげるほどに寛容ではありません。恐らく脳に手が加えられていても、加えられていなくても彼は最終的には殺処分となってしまいます。そしてトロールに施術した魔法使いは叱責されるだけでしょう。『失敗作の処分はちゃんとしておけ』と。
それすら面倒で今は雲隠れしているようですが。実際このまま放っておけばトロールは害獣として処分されてしまうのですから、黙っておけば面倒ごとを避けることはできます。死体になればそれまでです。トロールが悪かっただけ。原因究明のためにトロールの解剖なんて誰もしませんからね」
「そんな!」
がたんと席から前のめりになってルネを見つめる。ルネはカティの丸々とした目を優しく見返した。
「人権的に批判しても構いませんが──昨日の校長の雰囲気から分かったと思いますが、ここキンバリーはそんな批判はものともしません。現実として、一定期間が過ぎたら彼は処分されてしまうでしょう。君がトロールは悪くないとどれだけ声高に訴えてもです」
カティは言葉を失い、力も失って席に座り込んだ。
「ただ」
ルネは俯いたカティの顔を上げさせ、告げた。
「ただトロールを救うのが目的なら、方法がないわけではありません。私達が協力すればそれも可能でしょう」
ぱあっとカティの表情が明るくなる。ルネは微笑ましく彼女を見つめ正直に伝えた。
「まず最初に言っておきますが、私は魔法生物学科教授のオールディス先生よりある試験を課されています。それは今回トロールが暴れた原因を探るというものです」
きょとんとしたカティはとりあえず頷く。ルネも同じように頷いた。
「期限は来月末まで。私はこの期間が過ぎるまでにオールディス先生にトロールの件を報告しなければなりません。そうなれば彼がどうなるかはお伝えした通りです。そして既に私は彼に何が起きたのか解明しました。昨日の夜の間に報告書も作成しましたので、後はオールディス先生の手元にそれを持っていくだけです」
「──どうするつもりなの?」
「それは私が君に尋ねたい。彼を助けるつもりがありますか?」
じっと自分を見やる美少年に、カティははっきりと告げる。
「試さなくても、やるよ。だから教えて。あの子を救うのにはどうしたら良いの?」
その決意を本物であると感じたルネはカティに伝えた。
「簡単な話です。トロールから発話を引き出せば良いのです」
直後のカティの反応を感じ取り、すぐさま続ける。
「今、君は私を酷い人間だと思ったでしょう。彼の尊厳を踏みにじっていると。
しかし誰にも文句を言われずに彼を救う方法はこれしかありません。今や彼はただの失敗作のトロールです。その上暴れた害獣だ。もし失敗作である件を隠したとしても人に危害を加えた害獣として処理されてしまうでしょう。
ただ彼に付加価値があるなら話は別です。発話をしたトロールはこれまでに確認された例がありません。彼にその価値をつけることさえできれば、少なくとも殺処分は避けられるでしょう。貴重な個体ですので解剖なども避けられるはずです」
そう言っても彼女はまだ納得していないようだった。ルネはあくまで偽りなく自分の意思を伝える。
「私と君はそれぞれ目的は違えども目指す結果は同じです。私と君があのトロールの知性化を成し遂げることができれば彼は助かる。知性化を成し遂げた点は私を喜ばせ、彼が助かるという点は君を喜ばせる。ご理解いただけますか?」
「互いにとっての利益ってことでしょ。それくらいは理解はできるよ。したくないけど。でもどうして、私なの?」
「ふむ。どうしてとは?」
ルネが質問の意図を捉えかねているとカティは続けた。
「どうして私にその話を持ちかけたの? あなたはあの子の脳が魔法使いに弄り回されていることにすぐに気がついた。私にはきっとそんなことはできない。あなたなら私にそんな話をしなくてもトロールに話をさせられる。違う?」
小動物のような気弱さで尋ねるカティの意見をルネは丁寧に否定する。
「それは買い被りです。私では彼から発話を引き出すことはできないでしょう」
ルネは断言した。できないと。
降参するようにルネは両手を上げる。
「私が思いつくようなアプローチは、きっとあのトロールに施術をした魔法使いもやり尽くしたでしょうから。方法その一、とにかく刺激を与えること。これは拷問すら伴う痛覚への刺激です。『止めてくれ』だの『助けてくれ』と口走るまで続きます。方法その二、反対に徹底的に甘やかす方法。その三、脳へ直接魔力的な刺激を与えること。しかしどれもかつての知性化実験で全く成功しなかった方法なのです。だからあのトロールは失敗作として破棄されました」
「だったらどうして私なの? 他に優秀な魔法使いとか──」
ルネは降参した両手をカティへと差し出した。
「君はあのトロールを大切に思っているのでしょう? 襲われたというのに。昨日の夕食の時も彼を悪く言う様子はありませんでしたし、今も彼のことを真剣に考えている。保護する対象に不用意に接したために自身もしくは家族を襲われ、思想を転向した人権派の魔法使いは数多い。しかし君は違った。私はそこに知性化実験を成功に導く鍵があるのではないかと思ったのです」
「天才のあなたに無理なことが私にはできると? トロールに襲われても何もできなかった私が?」
「ええ。襲われてもトロールを思いやる心を忘れない君なら、きっと何か糸口を掴んでくれるはず。そう信じています」
全幅の信頼を置く笑みを見て、カティの方が戸惑ってしまった。
彼女が話を終えてしまったのでルネが話を進める。
「先ほどの質問にお答えしましょうか。『どうするつもりなの』と仰ったでしょう?」
カティが頷く前にルネは言った。
「君が私と一緒に行動するつもりなら、私は期限いっぱいまで報告書の提出を待ちましょう。そして君の優しさで彼から発話を引き出すのです。それがトロールを救うことになるのですから。
もし君が私と一緒にやるのは無理だと思うのなら、とても残念ですが私は一か月も一人ぼっちで考えを纏め、結果が出るか分かりませんがやれることをやった後に報告書をオールディス先生のところに持っていかざるを得ません。この一か月間、私達は協力して目標に取り組むのか、それともそれぞれ目標を目指すのか。それを決めなければいけません」
彼女が返答に困っているのを見てルネは微笑む。
なのでルネはカティに自身の力を用いて安堵を与えた。彼が呼び寄せた力が茶葉の成分よりもずっと丁寧にカティの体にすっと入り込み、緊張していた彼女の体にリラックスが訪れた。
暗示にかけるほど脱力はさせていない。ルネはカティの信頼を裏切るつもりは今のところはなかったからだ。
「──えぇ、そうね」
カティはルネの
「今決めろとは言いません。私も君を脅したいわけではありませんからね。ただ期限は一か月しかありません。私も課題を達成しないわけにはいきませんから。その点は分かっていただけますか?」
こくりとカティが頷いたのを見てルネは機嫌良さげに言った。
「ありがとうございます。では返事は可能な限り早くお願いしますね。ただ焦らなくても問題ありません。私はあのトロールの施術を利用して彼に人語を喋らせ、その価値を認めさせる方法で彼を助けることができると考えていますが、そもそもそれ以外の方法もあるかもしれません。
君の言う通りに人権的な主張が通り、トロールが助かるかもしれません。しばらくそれを考えてみてはいかがでしょうか。今日は魔法生物学の授業もありますし。この学校の魔法生物に対する雰囲気がより掴めるでしょう」
「うん、分かった。考えておく……ごめんね、色々と教えてもらったのに煮え切らなくて。あなたの言うことも正しいのかもしれないけど、でもどうしてもあの子の境遇を利用することに納得できないの」
やはり根が優しいのだろう。この場で決めなかったことを申し訳なさげに謝るが、ルネはまったく気にしていない。
「何も問題はありませんよ。私は君に判断してもらうために情報を提供したのですから。それとこのことはあまり口外しない方が良いでしょう。この件には教員が関わっていますので」
「え。先生が?」
ルネの警告にカティはびっくりしてこの美少年を見つめた。
彼は確信をもって言った。
「ええ。ちなみに魔法生物学のオールディス先生ではありませんし、他の魔法生物学科の先生でもないでしょう。あの人達は亜人種の知性化には関心がありませんからね。しかしオールディス先生の目を誤魔化してトロールに処置を施すとなると同格の教員しかあり得ません。私の考えでは処置をしたのは上級生の誰かでしょうが──」
ルネの推理をカティがぽかんと聞いている。そのことにルネは気づいたのでこほんと咳払いをし、重要なことだけを伝えた。
「とにかく私達がトロールを本格的に調べようとしていると漏れれば、保身で殺処分を先延ばしにする魔法生物学科を退けてその教員が殺処分に走るかもしれません。ただでさえ保身で先延ばしにしていますから、その点や『危険な害獣は早く殺処分すべき』などの正論をぶつけられると魔法生物学科もトロールを守りきれなくなります。
私達が協力する場合でもしない場合でも、トロールの脳に魔法的処置がなされている点は口外すべきではありません。また犯人探しに力を傾けることも避けた方が良いでしょう。先ほども言いましたが、犯人が分かったところでトロールの殺処分は免れないのですから。目的のために力を使うべきです」
「ばれないようにするってことね。でもオリバー達には、どうしよう」
カティとオリバー達は既に仲良しである。明日以降も行動を共にすることが多くなるだろう。
ルネは悩むカティを見つめた。
「君は隠し事は得意ですか? もしくは隠し事をしても心が痛まない人ですか?」
「……あんまり」
「では話すべきでしょう。
「とりあえず、相談してみる」
「そうすると良いでしょう」
ルネは馬車を止めた。扉の開いた先は魔法生物飼育区画の入り口だった。物珍し気に世話担当の上級生達が馬車を見やっていくなかルネはカティに提案する。
「さて、まだ朝は早いです。よろしければこれからあのトロールに会いに行きませんか?」
カティは頷き、ルネの先導でトロールが隔離されていた檻の前へとたどり着いた。
トロールは既に目覚めている。荷役の習慣で朝は早いのだろう。
やや寝ぼけた目をしてはいたが、檻の奥で膝を抱えて座っていた。
「まだ食事担当の上級生は来ていないみたいですね」
空の餌桶をちらりと見て、ルネはカティの隣に並んでトロールを眺める。トロールはその視線すら恐ろしいのか絶対に目を合わせようとしないし、顔すら上げなかった。
しかしカティはじっとトロールを見つめていた。
「……絶対に助けるからね」
小声でそう呟いている。ルネは微笑ましく目を細めると彼女に提案した。
「名前をつけてあげましょうか。私たちの間だけの呼び名ですが。彼やトロールでは呼びにくいでしょうし」
カティはしばらく考えて、ぽつりと言った。
「マルコ……マルコにする」
「そうですか。ではマルコ、よろしくお願いしますね。私はルネ=サリヴァーンです。またお会いしましょう」
「私はカティ=アールト。よろしくね」
ルネは優しく、カティは決意を固くしてトロールへと自己紹介した。
決して彼は答えようとはしなかったが、ルネはマルコに寄生させた
後は彼にどう話してもらうかだ。
その鍵は自分の隣にいる。ルネにはそんな確信があった。
自分にも、また施術者にもできなかったことを成し遂げるだろう。
カティには自分達にはない魔法生物に対する愛情、熱意があるからだ。
しかしやや熱意がありすぎるかもしれない。半ば睨むようにマルコを見ていたためにトロールの方が怯え始めてしまったからだ。
「ふふ。睨んでしまっていますよ。マルコが怖がっていますから、今日のところはひとまず帰りましょうか」
「え……あ、ごめんねマルコ。また来るから」
自分でも顔が強張っていることに気づかなかったのかカティは慌ててマルコに謝罪し、踵を返したルネの後ろを追った。
二人の背中をトロールはじっと見つめる。その表情は無気力で、ルネ達の姿が見えなくなると俯いて動かなくなった。