七つの魔剣が支配する~夜明けの魔法使い~    作:HAL1993

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第62話~第五幕~

「カルロス……オフィーリア、君……」

 

 親友だけでなく後輩までも喪ってしまった。その事実にゴッドフレイの心身は硬直してしまう。手足に空いた穴から流れ出る血が気にならなくなるほどに。

 

 そんな彼に現実が声をかけた。

 

「ゴッドフレイ……ゴッドフレイ!」

 

 レセディである。呆然とするゴッドフレイの肩を掴んで自身の方へと振り向かせた。

 

 満身創痍のゴッドフレイだが、レセディもまた同じだ。足がないのだから。傷を魔法で塞ぎ、どうにか泥の上を這って仲間の所までたどり着いたのである。

 更に彼女の後ろには傷ついた仲間達が大勢いた。全員が辛うじて自分の傷に対処している状況だ。

 

 敗北の光景である。それらを目の当たりにしてゴッドフレイは絶句する。

 学生統括になるまでも、またなってからも無数の敗北を積み重ねてきた彼だったが、ここまで大きいものは初めてだった。特に喪失と絡まったものは。

 カルロス、オフィーリアと二人の名前が何度も頭の中に浮かんだ。

 

「レセディ──」

「ゴッドフレイ……」

 

 涙をどうにか堪えつつ悲嘆に暮れる友人の顔を見てレセディは一瞬言葉を失ったが、すぐさま学生統括へと進言した。今は友人の肩を抱く余裕はないのだから。

 

「──撤退だ。オフィーリアがどうにかあいつを抑えている今のうちに」

 

 彼女の視線はルネ達が消えた方に向いていた。彼らはオフィーリアの絶界に閉じ込められたわけだが、それが長続きするとレセディは考えていなかった。

 

 言葉にはしなかったものの機械仕掛けのうえに損傷もある彼女がどれだけ絶界を維持できるのか、またルネがそれを突破できないとは言えないのだから。

 つまり、いつまたルネがあの場から姿を見せるのか分かったものではないのだ。

 

「囚われた下級生達も見捨てざるを得ない。まだ無事で、サリヴァーンに慈悲があることを願うしかないだろう」

「あぁ……そうだな」

 

 そんなことはゴッドフレイにも分かっていた。自分達はもうどうしようもないのだと。現状では自分達のことしか考えられない。どこにいるのかも分からない下級生達の安否は諦めるしかなかった。

 

 なんということか。我ら生徒会が誰も助けられなかっただなんて。

 その事実に沈んでいるのはゴッドフレイだけではない。レセディもそうであるし、他の生徒会メンバーも同じ思いである。

 たった一人の新入生に生徒会は阻まれたのだ。縦横無尽に飛び回り、杖剣を振るった怪物である。負傷者達は傷つけられる寸前に見た彼の微笑みが嫌でも頭に浮かんだ。

 

 しかしそんな強敵を前にオフィーリアは言った。「先輩、逃げてください」と。ゴッドフレイはその思いと行動を無駄にするわけにはいかなかった。

 ほんの僅かであっても怪物相手に時間を稼げるのなら、それが数秒であってもどれだけ貴重であるか。

 

 大きく息を吸い、痛みに耐えつつもゴッドフレイは叫んだ。

 

「全員撤退だ! これ以上の被害を出すわけにはいかない!」

 

 敗北に硬直していた生徒会がその一声で力を取り戻す。

 

「「「「り、了解!」」」」

 

 返ってきた声も辛さに満ちていたが、声量は命令に負けていなかった。

 彼らは呪文や魔法薬で互いに応急手当をし、どうにか動けるようになる。重傷であるティムも首に溜まった血を抜き、更に解毒を行って楽な呼吸を取り戻していた。

 

 ゴッドフレイは自分が情けなくなる。分かっていたにも関わらずすぐにでも撤退指示を叫べなかった自分に。

 いざという時に感情に流されるだなんて、やはり自分はまだまだなのだと。

 

「すまない、レセディ」

「気にするな。それがお前だ。お前だから我々はついていくんだ」

 

 悲しみを捨てられないゴッドフレイをレセディは決して否定しなかった。ここキンバリーでは最も侮蔑されるような人間らしい感情ではあるが、だからこそ彼女らはゴッドフレイを自分達のリーダーとしているのだ。

 自分達が真っ先に捨ててしまうようなものを、いつまでも大切に抱えるこの奇人に未来を感じて。

 

 ゴッドフレイとレセディのところにも治療に長けた上級生が集まった。

 

「──レセディさん、やはり足は上で治療しないと」「統括も。足と左腕は薬と治癒でいけそうですが、右腕が──」

 

 二人の傷を診た上級生達はそれぞれの結果を伝える。

 斬られたレセディの足をこの場で生やすことはできなかったし、貫通呪文で穴だらけになったゴッドフレイの右腕も迷宮内の環境ではどうしようもなかった。

 特にゴッドフレイの右腕は肘の部分で文字通りの皮一枚で繋がっているような状態だ。治癒でどうにかできる損傷ではなかった。

 

「やはり右は切断しないと」

「では、頼む」

「了解しました」

 

 治療班の上級生は僅かな皮膚で垂れ下がっている右腕を杖剣で斬り落とす。傷口は魔法ですぐに塞いだ。他の手足の処置も素早く済ませる。

 その間、ゴッドフレイは傷から目を背けなかった。肘から先を失った右腕を眺め、その治療に問題がないことを確かめると立ち上がる。

 

「お前は俺が」

「ああ、頼む。代わりに私が腕の代わりをしてやる」

 

 走れないレセディをゴッドフレイが背負い、魔法の使えないゴッドフレイの役割をレセディが務めた。

 

「しかし、みんなボロボロだな」

 

 友人を背にゴッドフレイは改めて仲間達を眺めた。誰もが立つだけで傷に響くような状態だ。

 

「ええ」「はい」「そうですね」

 

 そんな声がまばらに返った。その小ささと弱さをゴッドフレイは記憶に刻んだ。これまで無数にある辛い記憶の中でも最大の一つとして。

 

「この敗北は決して忘れない。忘れんぞ。だからこそ俺達は帰らなければならない」

 

 今日、生徒会はルネ=サリヴァーンに敗れた。新入生に上級生が束になってかかっても敵わなかったのだ。そして大切なものを奪われた。

 ゴッドフレイの隣にいたカルロスの姿を思い浮かべ、いなくなったその輪郭と笑顔に思いを馳せて生徒会メンバーの返事は強くなった。

 

「ええ!」「はい!」「もちろん!」

 

 屈辱、悲しみで彼らの目は涙で濡れる。しかし絶望に浸ることはなかった。何故ならゴッドフレイが立ち上がったのだから。心も、体も。

 

「では総員撤退! 急ぐぞ!」

「「「「了解!」」」」

 

 ゴッドフレイを先頭に生徒会は校舎を目指して走り出した。続いて仲間達も走り出す。ゴッドフレイ率いる生徒会が発足して以来の初めての遁走だ。

 仲間を失い、ルネに敗れ、下級生も救えなかった。その事実を背負い、彼らは走り続ける。今、その瞬間も記憶に残しながら。

 

 

 

「る、ルネ……」「みんなが」

 

 一方でルネとオリバー達が絶界へと連れ去られたのをカティ達は映像越しに見ていた。彼らの姿が一瞬で消えた光景である。あまりに突然の出来事に言葉が出なかった。

 

「おやおや。まだ頑張るだなんて、嬉しいですね」

 

 そんななかで穏やかな声が発せられる。ついさっきまで三人に詰問されていた自動人形ルネがフードを外し、ルネとしての意識を表に出したのだ。

 その声に反応したカティ達はそれまでの質問攻めを忘れて自動人形ルネへと慌てて詰め寄る。

 

「ルネ! 大丈夫なの!?」「アイツらは!?」「無事なのかよ!?」

 

 三者同じような動揺を見せた声であった。対して自動人形ルネは落ち着き払っている。

 

「もちろん。今、映像を切り替えましょうか」

 

 彼が魔力光の映像に手を向けると、映し出されるものが変わった。

 その光景を見たカティ達は顔を青くさせる。青褪めた光が彼女らの頬を照らした。

 

 

 

 柔らかく、生暖かい足元。その感触と温度でオリバーはひとりぽつんと自分がこの場所に立っていることに気づいた。理由もわからずに呟く。

 

「ここは……ナナオ? シェラ? いや、まさか……!?」

 

 まるで夢から覚めたような唐突さである。まず自分自身がここにいることを認識し、その後にようやく今いる場所に気が向いた。

 先ほど映像越しで見ていた、甘ったるい惹香(パフューム)が充満するオフィーリアの絶界に。

 

「ふッ!!」

 

 ようやく自分がいる場所に気づいたオリバーは杖剣を右手に左手で鼻と口を抑えた。

 この対処では淫魔(サキュバス)の魅了に抗うには不十分かつ手遅れであることは分かっていたが、それでも体が弾けるように動いたのである。

 

 と同時に足元が揺れた。

 ゴッドフレイ達が相対していた時と同じく、足元の脈打つ肉の地面から大量の合成獣(キメラ)が誕生したからである。

 醜い産声を叫びながら現れた大型の怪物達だ。オリバーが硬直している間にも次々と産まれてくる。その形は全て歪で異なっており、数はあっという間に五十頭を超えた。

 

 感情が伺えない鋭い眼差し、太くて大きい手足、そしてばっくりと開いた口。そのどれもが攻撃的だ。

 そして、狙いは自分である。

 

「やるしか、ない……?」

 

 しかしオリバーが杖剣を構えようとすると、ふらりとその姿勢が崩れた。惹香(パフューム)のせいだ。男を惑わす魔力の香りが彼の感覚を狂わせたのである。目で見えるものは歪み、耳は轟音を頭の中に鳴らした。

 

 やはり対処が遅く、拙かったのだ。絶界に満ちる濃密な魔力が既にオリバーを犯していたのである。

 淫魔(サキュバス)による魅惑に晒され、オリバーはただ息をしているだけで気が狂いそうになるが。

 

「──ッ、ぐ!」

 

 腰と足に力を入れて崩れ落ちることだけは避けた。更に頬の内側を噛み締め、痛みを頼ってどうにか正気を取り戻す。

 おかげで歪んでいた景色も音も戻った。が、オリバーが立ち向かわなければならない現実はまだある。

 

 更に数を増やした合成獣(キメラ)達だ。彼らは号令を待ちわびる忠犬のように獲物を見据えていた。つまりはオリバーである。

 

 口の中に溢れる血を吐き出し、オリバーは杖剣を構えた。勝機は一つもないが、かといって刃を下ろすつもりはなかった。

 彼の中にはまだ希望があったのだ。どうにか怪物の群れの隙間を通り抜けて仲間達と合流しなければと。

 

 そう意気込んだオリバーへと合成獣(キメラ)達は押し寄せる。奇声を上げて迫りくる巨体を迎え撃つオリバー。

 

 そこへ唐突に轟音が響いた。

 空気を打ち鳴らすような音は怪物達の声でも足音でもない、ましてやオリバーが出せるようなのものでもない。地面や山を破壊する噴火でも起きなければ。

 

 まさかと思い、響く音によって立ち止まった魔法使いと合成獣(キメラ)は同じ音源への方角を見つめた。

 

 そして異なる生物同士であるオリバー達は同じ脅威を前にして目を見開く。

 

 ずっと遠くを見れば、暗いはずのこの絶界の中でそこだけがただ薄っすらと青く輝いていた。絶界の天井までも照らすほどに。力強い光のはずだが気味の悪さも感じた。あれは、この世にある色ではないのだと。

 

 オリバーも化け物達も、しばし呆然と音と光のもとを見つめていたのだが。ぴくりとその体が動く。そちらの方角から青褪めた光が迫ってきたのだから。

 

 それもかなりの速さで。光の発生源とはかなりの距離があるはずなのに何がやってきているのかもう分かった。見える限りにゆらめく青褪めた炎が映る。

 

 ルネが扱う破壊の化身、魔法使いの夜明け(ドーン・オブ・ウィザード)だ。炎の姿を与えられた破壊という概念である。

 

「あ──」

 

 オリバーは言葉に詰まった。この魔法は彼も何度も見たことのあるルネの得意技だったが、ここまでの規模は初めてだったからだ。

 青褪めた炎は天井まで届くほどの高さがあり、そのまま敵をなぎ倒すような速さで絶界中を広がっている。もちろん届く限りのものを破壊しながら。

 

 目で見ただけで分かった。あれはダメだと。あの勢いはどんな魔法でも防げないし、逃げられない、もうどうしようもないのだと。

 

 それを理解するのに人並みの脳はいらない。怪物の頭でも十分に分かった。

 しかし合成獣(キメラ)達はどうしようもない。逃げるという選択肢は頭にないし、かといって何かできることもない。オフィーリアによってオリバーを殺すためだけに創られた生き物達だからだ。

 

 だからただ呆然と青い炎の壁を、感情の見えない目で見据えていた。そしてそのまま炎に飲み込まれ、焼かれて破壊される。

 

 一方でオリバーは合成獣(キメラ)と同じく固まってはいたものの頭は動いていた。いったいルネはどういうつもりなのだという疑問が頭を埋め尽くす。

 

 しかし、それに答えを出す暇はなかった。

 

「ッ!?」

 

 広がる青褪めた炎は彼をも包み込んだからである。

 ルネが自分を見捨てたのだろうか? あのルネが? それとも何かこれも作戦なのだろうか?

 

 次々と浮かぶ疑問を前にしつつも、視界が真っ青な光に染まったオリバーは死を覚悟して咄嗟に目を閉じた。

 

「すまない、みんな……」

 

 死を前にして彼に課された使命、復讐心、家族や仲間の姿が脳裏に浮かぶ。従兄姉達や仲間達への申しわけなさなど、幾つもの感情が湧き出てきた。

 

 しかし、いつまで経っても痛みや苦しみは来ない。それらからの解放も。

 

 不審に思ったオリバーが目を開くと、そこは一面の青褪めた炎の中だった。

 一瞬オリバーの表情が恐怖に強張る。だが熱くも苦しくもないのにすぐに気づいた。また合成獣(キメラ)を吹き飛ばす勢いで炎は広がっているのに自分はその場から微動だにしていないのにも。

 

 彼の衣服の裾すら揺れていない。青褪めた炎の流れに飲まれていく怪物を、同じく炎の中にいるオリバーは立ったまま見送ることができたのだ。

 

「これは──ルネの魔法か」

 

 オリバーは自分の手の平を見つめた。炎のせいで青く見えているが、それ以外は火傷一つできない。青いレンズの眼鏡をかけただけのようにただ視界が青色なだけだった。

 

 区別されている。原理は分からなかったが、オリバーは直感した。殺される合成獣(キメラ)と生きている自分の違いはそうでないと説明ができない。

 

「見捨てられたわけじゃ、なかったか」

 

 ようやくオリバーは安堵した。助かったのだ、と。そうして緊張感が抜けた途端、全身を引っ張られるような違和感に彼は襲われた。引っ張られ、何か細い管にでも押し込められたような息苦しさも。

 

 ただそれは一瞬のことで、次の瞬間には青褪めた視界はもとの色彩に戻った。窮屈な感じもしない。

 

「もちろん、みなさんを見捨てるだなんて。そんなことはしませんよ」

 

 そして目の前にはルネの姿が。隣にはミリガンがいた。

 

「……また随分と派手にやったな、ルネ」

 

 オリバーが周囲を見渡せば円状に青褪めた炎が広がっているのに気づく。ここからルネが周囲に炎を解き放ったのだ。

 そして自分を瞬間移動で引き寄せたのだと。彼の近くに来たからだろうか、惹香(パフューム)の甘さは一つも感じなかった。

 

 また周りを見れば炎が通った跡には焼け爛れた肉の大地が、天井が広がっていた。

 

 焼けて歪な肉の表面が蠢いている。治癒が働こうとしているのだろうが、それが上手く機能していないのだ。

 炎の効果なのか単に威力によるものなのかはオリバーには判断がつかなかったが、これではしばらくこの絶界の機能は働かない。

 

 狙いはまさにそれなのだろうが、まさか絶界全体を焼き尽くすほどの炎を扱うだなんて。派手としか表現のしようがなかった。

 

 ルネは余裕そうに笑みを浮かべる。

 

「非常事態でしたので。彼女も上手くやってくれたものです。絶界に取り込むだけならまだしも、到着地点をばらばらにするだなんて。それもかなりの広範囲に。おかげで君たちの位置を把握するのに少し手間取りました」

「そうか……」

 

 その様子にオリバーはそれ以上の言葉が出なかった。

 これほどの規模の魔法を使って疲れ一つも見せないだなんて。肩で息の一つくらい漏らせば可愛げもあるのだが、それすらなかった。

 

「おっと。他の二人もようやく見つけました」 

 

 そしてルネがそう言うとオリバーの隣に突然気配が二つ現れる。

 

「む、ここは──オリバー、シェラ殿!」「青い炎が、いったい……オリバー、ナナオ、怪我は!?」

「ああ、ふたりとも……良かった、無事だったか!」

 

 そして聞き慣れた声がオリバーの耳に届いた。隣を見ればすぐそこにナナオとミシェーラの姿が。

 瞬間移動で突然景色が変わったために二人とも一瞬呆然としていたが、すぐに友人の存在に気づいた。声に喜びが満ちる。

 

「良かった! 全員、無事でしたのね」

 

 友人を案じていたのだろう、ミシェーラがオリバーとナナオを強く抱き締めた。それは母親の愛情のようであり、そして親の安否を気遣う幼子の不安のようでもあった。

 

 そんな友の愛にオリバーとナナオも抱擁で応える。三人はしばし抱き合った。

 

「素晴らしい友情ですね」「ああ、まったくだね」

 

 その光景にルネは微笑みを浮かべる。ミリガンも眩しそうな顔をした。

 

 ずっと彼らを見ていたいとルネは思ったが。そういうわけにもいかない。

 

 彼は友人達を背に、杖を手にした。魔法使いの戦闘態勢だ。

 その姿を見て取ったミリガンも同じように杖剣を抜く。一歩遅れてオリバー達もハグを止め、杖剣を構えた。

 

 その直後、震動が響く。そして焼けた皮を突き破り、巨大な肉塊が現れた。

 様々な器官や触手が組み合わさったそれは、どんな生き物の形もしていない。しかし、その頂点にオフィーリア=サルヴァドーリの姿があった。

 彼女の再現人形(ダミー)が下半身を肉塊に埋め、この世界の主として君臨している。

 

「おっと」

「────────ッ!!!」 

 

 絶叫した。直前に相手の動作に気づいたルネが結界を用いて自分達を守った。半透明な膜が彼らを覆ったが、その表面は強く揺れている。

 結界がなければどうなっていたか。動きが鈍り、そこを狙われていただろう。

 

「ふぅ……。なんという声、これはかなりの気迫にござるな」

 

 刀を握るナナオの力が強まった。敵の勢いに負けぬためだ。

 

「ああ。だが、そう長くはかからないだろう」

「というと?」

「素直に言って、あの状態の機械では絶界を長く維持することはできないはずだ。すぐにでも崩壊が始まっておかしくない」

 

 絶界の主との対面であるが、オリバーはそこまで緊張していなかった。それはルネが近くにいるということもあるが、この世界がそう長持ちするとは思っていなかったからだ。

 

 理由は使用者が壊れかけの機械人形だからである。いくらルネの技術とはいえ、破損した機械に絶界の維持が可能とは思えなかったのだ。

 

 数分くらいか。オリバーはその点をはっきりさせるべく尋ねた。

 

「ルネ、あとどれくらい絶界はもつ?」

 

 答えはすぐに返ってきた。

 

「一時間くらいですかね」

「そんなにかかるのか!?」

 

 それはオリバーの予想の十数倍だった。彼の重なる質問にルネは頷き、再現人形(ダミー)オフィーリアを杖先で指した。

 

「破損した箇所を絶界の肉で埋めています。どうやら絶界を体の魔力流に繋ぐどころか自身の活動すら完全に任せたようですね。

 だから時間制限こそあるものの、壊れかけた機械人形が制御したものより長持ちするのです」

 

 よくよく見てみれば彼女の体には幾つも損傷があり、触手や肉塊がその中に侵食している。それらが破壊された部品などの代わりになっているのだろう。

 

 そして目は見開き、ただじっとひたすらにルネを睨んでいた。その眼差しに正気を感じることはできない。言葉も先ほどの絶叫以降まともなものを発していなかった。

 

 つまりあの機械人形は辛うじて宿っていたオフィーリア=サルヴァドーリとしての魂を捨て去り、絶界の一つになったのだ。全てはルネを倒すために。

 

 しかし当の本人は彼女をそれほど脅威に思っていなさそうだった。

 

「魔法使いとして知性などを捨て去ったのはいかがかと思いますが、そのおかげで不完全だった絶界が安定しています。先ほどとは違ってどこでも合成獣(キメラ)達を生み出せるはずです。いや、実に素晴らしい」

 

 そう称賛する。拍手まで送った。

 

 呑気なことだが、間違ってはいない。確かに絶界の性能は上がっていた。

 ゴッドフレイ達と対峙した際には合成獣(キメラ)の出現範囲は限定されていたが、今は広範囲に散らばっていたオリバー達のところでも怪物を生み出せていたのだから。

 

 そういう意味では本来の絶界になったのだろう。代償として自分自身を損なうことになったが。

 

 今、この絶界を支配しているのはオフィーリア=サルヴァドーリでもなければその再現人形(ダミー)でもない。ただ暴走した術式のみである。

 ルネ達を見下ろす人形は術式が姿形を持っただけに過ぎないのだ。

 

「アァァアァァッ!!!」

 

 肉塊の上にくっついている人形が両手を上げると、一面に広がる焼けた皮がその奥に吸い込まれていった。まるで陥没のように表面が崩れて落ちくぼんでいく。

 

「な、何だあれは」

「もしや口にござるか」

「なるほど、使えなくなった部分を取り除くつもりなのですね」

 

 穴の中を見たオリバー達は表情を強張らせた。

 焼けた肉の下にあったのは牙がよく見える大きな口だったからだ。無数にある口はばりばりと同じ世界の一部を食い、飲み込んでいく。

 あっという間に焼け爛れた部位がごっそりとなくなった。

 

 怪物達の産道である肉の表面を潰されてどうしようもなくなった絶界は、焼けた部分の下に口を作って機能を果たせなくなった部分を食い千切ったのだ。

 

 そして、同じことがルネ達の足元でも起こった。地すべりのように使えない組織を飲み込み、その下から無数の大口が現れる。

 何もしなければ大口が待ち構える奈落に真っ逆さまだ。

 しかしそんなことにはもちろんならない。ルネの結界が足場になったからだ。おかげで誰も口の中に落ちることはない。

 

「ガアッ!!」

 

 絶界の人形が手を向けると無数の口が広がる層が盛り上がり、ルネの結界へと襲いかかった。ドーム状に張った結界が一気に肉に飲み込まれる。

 

 そうして鋭い牙の生え揃った大口つきの肉塊に襲われるルネ達だが。ルネの結界は一つもその牙を通さなかった。押しつけられた怪物の口から結界表面へと幾つも涎が垂れるのが見えるだけだ。

 

 噛みついてくる歯や舐め回してくる舌、薄暗い口の奥もはっきりと分かった。

 まるでガラス越しに動物の生態を眺めているようだが、見ていて面白いものではないのだろう。オリバー達の表情は一つも楽しそうではない。

 

 生理的な嫌悪感である。グロテスクで気分が悪いと。一方で無数の口が自分達にたどり着くという不安はなかった。これがルネの結界だからである。

 

「……ルネ、どうするんだ。これは……」

「食われることの内側とはこういう気分にござるか」

 

 誰も杖剣は下ろしていないが、それを振るう意志は表情になかった。臭いはしないはずなのに鼻に悪臭が漂っているような気がしたからだ。

 

「確かに。ちょっと気持ち悪いですね。では取り除くとしましょうか」

 

 そうルネが呟き、杖を振ると途端に結界を包み込んでいた肉が全て砂に変えられる。おかげでようやく視界が戻るが。

 

 再度ルネが口を開く。

 

「おっと、これはこれは」

 

 戻った景色の、至るところに合成獣(キメラ)達が佇んでいた。ルネ達が閉じ込められていた十数秒の間に創られたのだ。

 もちろん全てが攻撃型の凶暴な魔獣である。それが数え切れないほどいた。獣の上に獣が重なり、揃って敵意を丸出しにしている。

 

 牙、牙、涎、涎、舌、爪、爪、目、目、目……。それらが全て自分達を狙っているのだ。

 

 そうやって数で押し切る。それがこの絶界の最大の武器だった。

 

「この数を前に、一時間も耐えられるのか?」

「ルネ、そろそろ討って出なければならないのでは?」

 

 今度はオリバー達も表情を変える。例え牙や爪が届かなくても、結界がこの怪物達の重みに耐えきれないかもしれないからだ。

 肉塊に押し潰されるのではと焦ったオリバーはルネを見やるが。

 

「ふむふむ」

 

 彼は一つの危機感も抱いていなかった。楽しげに自分達を取り囲む怪物達を見回している。

 

「ルネ!」

 

 いい加減にしろとオリバーが呼びかけるが。彼の調子は変わらなかった。

 

「素晴らしい、素晴らしいですね。この絶界の強みを活かした行動だと思います」

 

 自らが創った世界に意識を任せた再現人形(ダミー)にもルネの余裕は分かったのだろうか。表情が不快そうに歪んだ。

 怒りに満ちた顔に爪を立て、ルネを指さした。

 

「あ、アァ……アアッ!!」

 

 その叫びは号令だったのだろう。合成獣(キメラ)達は一斉に動き出した。無限に湧き出る軍団の突撃である。怪物が津波のようにルネ達の視界を覆い尽くした。

 

 ルネ達の顔に怪物達の影がかかる。

 

「──しかし、どうやらこれくらいのようですね。では」

 

 微笑みを崩さないままルネは杖を前に向けた。それまで静かだった彼の魔力が一気に昂る。

 途方もない力が杖先から溢れ出て、ルネ達を守る結界へと注ぎ込まれていく。

 

「な、何をするつもりだ?」

 

 オリバーはルネに目的を尋ねるが。彼は短く友人達に告げた。

 

「結界を強めたのです。これから使う魔法に備えて」

 

 結界に追加で注入された魔力はかなりの量と質だ。おかげで結界の能力は目に見えて向上している。

 もともと合成獣(キメラ)すら傷一つつけられない代物だったが、そこから更に高性能になったわけだ。これほどの強化を必要とする魔法とは何か。

 

「何をするつもりですの?」

 

 検討もつかなかったのかミシェーラは先ほどのオリバーと同じ質問をしてしまった。ルネはそんなことで表情を変えない。淡々と目的を説明した。

 

「流石に一時間もこの状況に付き合うつもりはありません。なのでこの絶界を押し破ります」

 

 魔力光に照らされ、聖人じみた威厳を見せるルネはそのまま杖を振る。そして静かに呪文を唱えた。

 

焼け落ちよ(フランマ)」 

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