魔界クリシスは魔素が多いせいか、私の記憶にある日本と比べるとおかしい。
今私の暮らしている王都ロトスは常夜地帯となっており、朝と昼が無い。常に真っ暗で、寝て起きても景色が変わっておらず混乱したのは記憶に新しい。体内時計が狂うって。夜行性になるって。
実際魔族は暗闇とか夜中の方が力が増すから、もし人類や精霊達が王都に攻めて来たら、コンディション最高の状態で迎え打てるって訳だ。魔族となった私もこの世界での暮らしに慣れたら、調子が良くなり快適なニート生活を送ることができた。魔法は使えないけどねー。他の魔族もコンディション最高だから結局相対的に私はクソ雑魚なんだけどねー。
だから王都での暮らしは割と好きだ。
しかし他の場所はダメだ。
魔界の北にある旧王都。彼処は現在常雪地帯となり、魔族ですら住む事ができなくなっている。何でも300年前の戦いで環境が滅茶苦茶になってしまったとか何とか。
でもその常雪地帯がそのまま人界、精霊界との境界になったらしく、ずっと攻められる事も、そしてこちらが攻める事もなく、冷戦となったとか。雪だけに? 誰だ寒いって言ったの。
南には常雨の大湿原。東南に広がる常霧の大森林。他にも色々と狂った環境で固定された地域があり、魔界は普通の生物が生きるには厳しく、逆に魔素を取り込んで強く逞しく進化した魔族や魔物にとってはこれ以上無いほどの快適な環境なのだろう。
さて、こうして長々と魔界の生活のしにくさ、環境の過酷さを思い浮かべたのには理由がある。
先日、ついに私に死刑宣告もとい開戦の報せが伝えられた。魔王軍の斥候部隊が反乱軍の動きを察知してパッパに報告。そしてアストラの思惑通りに前線にぶん投げられました。
グッパイ今世。チャオっす来世。
そして今回私が連れて来られたのは、王都を北に出て直ぐに広がる常夏の荒野――別名灼熱地獄。常雪の旧都と王都を繋ぐこの荒野は何故か物凄く暑い。太陽がさんさんと輝いていて、すぐに干からびてしまいそうな程に暑い。
さて、此処で問題です。快適な王都でぬくぬくと引き篭っていた私が、魔族でも音を上げる灼熱地獄に来たらどうなるでしょう?
答え、急激な環境変化で嘔吐。
「オロロロロロロロロ」
現在、魔王軍指揮官様は、岩の影でひっそりと胃の中の物を撒き散らしています。
あの、ルアナさん。優しく背中を摩るのは嬉しいんですけど、小さな声で「昨日の毒は効果があったのですね」とか言わないでください。怖くて、さらに吐く。
◆
「ちっ……」
魔王家の三男ペアルキア・ルシファブルムは、遠く離れた大岩を、正確にはその陰に居る妹のみっともない姿に舌打ちした。
何故、あんな裏切り者がこの魔王軍の前線指揮官を任されている?
今回の戦いで武功を立て、他の二人の兄弟と差をつけて次期魔王となる画策をしていた。
しかし突如一年前に父である魔王から指揮官の立場を妹に奪われてしまった。それにより二人の兄達からも蔑みの視線を向けられ。
「身の丈の合わない欲を抱くからだ」
「せいぜい感謝するんだな。犬死にするのを変わって貰って」
と、心底見下された。恐らくあの二人はペアルキアでも、ロゼリアでも、どちらが指揮官になろうが、今回の一戦は負けると思っているのだろう。そしてそれは魔王も同じだ。
この灼熱地獄は確かに気温が高く、魔族でも長時間滞在すれば命に関わる。熱くなった岩や崖壁は容易く肌を焼く。
故にこの戦いは如何に消耗を最小限にし、敵軍の大将を討つかに掛かっている、所謂短期決戦が求められているのだ――魔王軍は。
「敵はベルゼリディス……恐らく使ってくるだろうな。あの魔法を」
魔王軍を寝返った幹部達を含めて、六大名家には特殊な魔法が継承されている。
中でもベルゼリディスの魔法は破格の力を有しており、その力は魔王を殺せる力がある。
だからペアルキアはこの戦で勝てば認めて貰えると思っていた。だから魔王や兄達はこの一戦は負けると考えていた。だから彼らはロゼリアを殺せると思っていた。死ぬと思っていた。
「っ……」
そんな事よりも、ペアルキアはその妹に指揮官の立場を盗られた事が我慢ならなかった。
死ねば良いと思っている。
いや、思っていた、が正しい。
今は――。
「ふぅ。申し訳ないありませんお兄様。ちょっとお花を摘みに行かれましてオホホホ」
「……」
絶対に此処で殺す。自分の手で。
「……あれ? 無視?」
こちらを惚けた表情で見上げるロゼリアを強く睨みつけ、ペアルキアは憎悪の炎を燃え上がらせながらそう誓い。
「……」
その光景をアストラが黙って見ていた事に気付かなかった。
◆
さて、腹の中の物全部ぶち撒けて少しスッキリした所で……。
現在、私は馬に乗せられて全軍の一番前に立たされています。イジメかな?
そして遠く離れた地にはワラワラと敵軍の影が見える。目を細めてようやく見えるその軍勢は緑色に輝く甲冑を着込んでいた。えっと、緑という事は……。
「『時』のベルゼリディス。時間操作魔法を継承している六大名家の一つ」
チートじゃねえか!? 初陣で何故そんな化け物と戦わなければならないんだ!?
傍に控えるルアナさんの解説を聞きながら絶叫しそうになる自分を抑える。流石に指揮官任されている状態で、そんな醜態を晒せばどうなるかなんて分かりきっている。……さっき中々の醜態を晒しているけどね。
そうやって我慢していると、ルアナさんと反対の位置にいるアストラが敵軍を睨み付けながら私をどん底に叩き落とす言葉を吐く。
「ベルゼリディスの魔法で、全軍に巻き戻しの魔法が掛けられているのだろう。だからこの過酷な環境に無理矢理耐える兵を、殺されても蘇る死兵を容易く作る事ができる」
こわ。
じゃあ、まともにぶつかったら勝てないんじゃね? 数はこっちが多いけど時間が掛かれば負けるやん。
「そんな事も分かっていなかったのか、愚図が」
戦況の不利を悟っていると、背後から声がする。振り返るとそこにはコピペ三兄弟の一人ペアルキアお兄様が、こちらを睨みつけながら馬に乗って近づいて来た。
おお、相変わらず私への悪感情を隠さないお人だ……。
「ったく、何故おと……魔王様もこんな奴に。さっさと処分すれば良いものを」
ははーん。こいつ色々と隠す気無いな?
しかし、私は慣れているから動揺しない。むしろ皆の前だから、普段より抑えているくらいだ。
問題は……。
「……」
「……」
この二人だよね。アストラとルアナさん、魔王一家の事が大嫌いだから、現れたお兄様を凄く冷たく鋭い目で見ている。しかも微妙にお兄様に気付かない様に。どうやっているんだよ。すげーよ。私にも教えて。
「お前に一つ提案してやる」
「何でしょうか」
お兄様の言葉に、私は直ぐに乗った。爆発しそうな二人に意識を割けたくないからである。
お兄様はそんな私に舌打ちし(多分何しても舌打ちする)、私に囁く。
「さっきから見ていたが、お前この戦争に乗り気じゃ無いな」
「……」
「臆病風……はお前から程遠い」
なんで?
「お前は昔やらよく分からなかった。だから気に入らない。視界に入れるのも腹が立つ。だが、使い道はある」
私に対して散々な事を言った後、お兄様はスッとあらぬ方向を指差す。それはそこそこの大きさの大岩。あっ、さっき私がお花を摘みに行った所じゃない所ですわよ?
「貴様は向こうから回り込み、奇襲を掛けろ。一瞬でも気を取られれば我が軍が賊軍を葬ってくれる」
あ、岩の奥にある崖壁でできた道の事ね。確かにあそこを通れば敵軍の裏に行く事ができる。でもお兄様脳筋過ぎない? ちょっと背後から奇襲したくらいで、リスポーンしまくる軍勢を押し切れる訳が……。それにこの暑さで大人数が熱されたあの谷間を歩いたら熱くて死んじゃう……。
「ああ。もちろん行くのは貴様だけだ」
……え?
「全軍には既に伝えてある。勇敢な指揮官様は、自分の命を使って我が軍に勝利を齎そうと身を粉にして働いてくれる、とな」
その言葉を聞いてバッと魔王軍の方へと振り向く。するとそこには純粋に期待した目をした者が二割、ニヤニヤと嗤っているのが八割の魔族達の姿がそこにあった。
やだ……うちの魔王軍……脳筋と腐れ外道しか居ない……?
「ロゼリア様、頼みましたよ!」
「復活した力、お見せください!」
「頑張ってくださいロゼリア様!」
「我が軍の勝利を、お願いします!」
マジで脳筋と腐れ外道しか居ねぇじゃねぇか。どうなってんだよ魔王軍。一回滅びろよ。
同調圧力で私をぼっちで別行動させようとするのいけないと思います。先生にチクるぞゴルァ。
「……ペアルキア様。当然わたくしもロゼリア様とご一緒に――」
ルアナさーん! 私信じてた! 飯に毒を盛るけど本当は優しいって信じてたよ!
「何を言っているんだ。お前もこっちに決まっているだろう。ハーフとは言え六大名家の端くれ。役立って貰うぞ」
はっ倒すぞお兄様。
ふざけた事を抜かすお兄様を睨み付けると、ギロリと睨み返された。怖くて目を逸らしちゃった。とほほ。
ルアナさんも魔王の息子に対して表立って反論する事ができないのか、苦い表情をして押し黙る。もうちょっと頑張っても良いと思うのですが!?
「アストラ。貴様もだ」
「……」
「サタウランティウム家の嫡男ならば、我がルシファブルム家の役に立て。……それともお前もそこのアバズレに着いていきたいのか?」
誰がアバズレじゃい! 処女だよ処女! ……多分。記憶無いからもしかしたら喪失してるかもしれない。もしそうだったら失望してロゼリアちゃんのファン辞める人急増するかも。ファンどこだよ。居るなら直ぐに助けてくれ。
そしてファンというかアンチというか、厄介古参勢みたいなアストラさん。あなたのお答えは如何でしょうか?
「――元よりそのつもり。ロゼリア様なら、我々の期待以上の活躍をしてくれるでしょう」
ですよねー、知ってた。
アストラくんなら私を過大評価してそんな感じの事を言うと思ったよクソが。
「むしろ焦るべきなのは貴公だペアルキア様」
「……何が言いたい」
「武功を欲しているようだが――うかうかしているとロゼリア様に全て持っていかれますぞ?」
「……っ」
すみません! 私箸以上に重い物は持てないのでその『全て』とやらは持っていけません! なのでそちらに譲ります! だからアストラは煽らないで! お兄様も歯軋りしながらこちらを睨まないで! 怖いから!
その後、何とかぼっちルートを回避しようと試みるもら結局私は一人で別ルートを通って奇襲する事となった。ふっ、嫌と言えない日本人の性が出たかな……。
クソ暑い中、崖壁で出来た谷間を馬に乗って進む私。ジリジリと肌を焼く日差しが私の体力を奪っていく。早く帰って引き篭もりたい。ルアナさんの作ったお菓子を食べたい。できれば冷たいものが。毒入っていても良いから。
――ウオオオオオオオオオ!!
崖壁の向こうから、軍勢の喝采が聞こえる。どうやら魔王軍と反乱軍が激突した様だ。早く行って奇襲しないと何を言われるか……。そもそもクソ雑魚よわよわの私一人が行った所でどうにかなる訳でも無いし。
うん、分かっているよ。邪魔者の私を排除する為の方便だって事は。
アストラも向こうに居るし、私が辿り着く頃には戦いは終わっているんだろうな。アストラて強いらしい、お兄様は魔王の息子だし。
「やめたやめた!」
私は馬から飛び降りて、近くの手頃な岩に腰掛け……あつっ! お尻が焼ける!
ハンカチを敷いて改めて座った私は青い空を見ながら心に決めた。戦いが終わるまで此処でサボっていよう、と。
だって元々私に戦う気は無かったんだ。全部アストラが仕組んだ事だ。今までだってアイツが怖くて何も言い出せず、何もできなかったけど、戦場に来てその辺の感覚が壊れたのか、どうでも良くなった。
だから此処で戦いが終わるまで待っていよう。それで私が無能だと周知されても痛くも痒くもない!
それまで持ってくれよ私の体……!
「――ほう。まさか読んでいたとはな」
覚悟を決めたその時、突如上から男の声が響いた。え? 誰?
上を向くと同時に何かがドサドサと崖上から落ちてきた。落ちてきた何かは私を囲う様にして地面に横たわり、それを見た私は息を呑んだ。
首から上がない死体だった。今殺されたばかりなのか、噴出する血が地面を濡らし、熱で乾いていく。それが十数体。
あまりにもあんまりな光景に悲鳴すら上げる事ができない私の前に、ゆっくりと降り立ったのは老齢の男性の姿をした悪魔だった。
「まさかあの囮を見破り、兵士と共に待ち構えているとは……中々に豪胆なお方だ。ロゼリア• ルシファブルム殿」
そう言われて死体を良く見てみると、確かに自軍の鎧を着ていた。え? でも何でこんなとこに居るの? いや、そうじゃなくてですね!
「お前は……」
「おっと申し遅れました――我が名はカシオルペア・ベルゼリディス。今の失墜した魔王を討ち倒し、新たな魔王となる者の名です。以後、お見知り置きを」
――ベルゼリディスって敵軍の大将じゃねえか!? 何でこんな所に居るんですか!? というか本軍は何しているの? こっちに敵将の首がありますよー! 手柄こっちにありますよ!
てかそんな事言っている場合じゃねぇ! ロゼリアちゃん大ピンチ!!
こ、こうなったら時間稼ぎするしか無い! 本軍が敵将が居ないことに気付いてコソコソと周り道して卑怯にも背後から襲おうとしている事に気付くまで!
無理ゲーでは?
「しかし、ふむ……」
人生終了まで秒読みな状況にガタガタ震えると、ベルゼリディスさんがこちらをジロジロと見つめてくる。それも私の全身を隈なく舐め回すかの様に。
城の生活で周りの視線に晒されていた私はそれを敏感に察知してちょっと気分が悪くなる。片手に生首持っているのも原因だろうけど。てかそれ置いてくださいグロくて吐きそうです。
「以前に遠目から見ていて思っていましたが──素晴らしい」
「……は?」
「ロゼリア・ルサファブルム。あなたのその整った顔付きに汚れを知らぬ幼き肢体。実に良い。実に私好みだ」
「はい?」
「率直に言おう。私は君が欲しくなった。どうかな? 新たなる魔王の妃として、共に来てくれないか?」
速報。敵将のお爺ちゃんロリコンだった模様。
やべぇええええ! 命の危機どころか貞操の危機なんですけど!?
目の前のスケベジジイからの突然の告白に固まってしまう私。照れてる? 違うよ、恐怖だよ!
「やはり女はロリに限る。無駄な脂肪を付けてしまっては魅力も半減だ」
誰がロリだコラ。私だったわ。だから狙われているんだわ。
ヤバい鳥肌が止まらない。膝が笑い続けている。背筋に悪寒が走り続ける。
徐々にこちらににじり寄って来るロリコンジジイが生理的に受け付けられない。
逃げないと。
私は立ち上がってロリコンジジイのいる方向とは別の方向に向かって走り出す。一刻も早く逃げ出したかった。
「無駄だよハニー」
そう言ってパチンと指を鳴らすロリコンジジイ。すると私の体がピタリと動きを止めた。え? 何これ!?
「これが我が家に伝わる時の魔法だ。素晴らしかろう? この魔法があれば魔王を殺すことは容易いし、ハニーのその美しい姿も永遠のモノにする事ができる」
そうだった! コイツ確か時間操る魔法を持っているんだった! 勝てる訳ないじゃないか! てかハニーって普通にキモい! センスが古い! 見た目通りのジジイかよ!
「さて、私にかかれば時間はたっぷりとある──出来の悪い三男坊を倒す前に少しだけ味見しても良かろう」
そう言って背後からにじり寄って来る気配がした。ハァハァとうるさい吐息が聞こえて心臓がバクバクしている。緊張? 嫌悪だよ!
ロリコンジジイが時が止まった私の前に来ると、今まで取り繕っていた顔を欲望で染め上げた下品なものへと変えて、そしてこちらを眺めながら舌舐めずりし。
「では楽しもうではないか、ハニー」
そう言ってロリコンジジイの手が私の頬に触れて──次の瞬間、暑さと気持ち悪さで限界だった私はそのまま意識を手放した。