未だ焦げ臭さが残る一室で、呪術師と盗賊は居た。
怪物蜘蛛との死闘、それを乗り越えた彼らは酷く疲弊していた。
呪術師はお札をほぼ使い切ってしまっていたし、盗賊のダメージも小さくない。
その戦闘は、まさしく苛烈であった。
しかし、いつまでもこんな得体のしれない空間にいるわけにもいかない。
呪術師はとりあえず盗賊を壁から下してやろうと考える。
兎にも角にも、まずはそれをしなければ始めらないであろう。
・・・・と、なると糸を切断する道具が必要であるが・・・・。
呪術師は燃えカスになった蜘蛛の死骸の辺りから、脇差を拾い上げると盗賊の横に歩み寄る。
「よーし、辛かろう辛かろう。今下ろしてやるからな?」
「・・・・なんか、悪いこと考えてません?」
「いやぁ?乙女の懐を勝手に探るような輩に、鉄槌を下してやろうなんて微塵も思っちゃいないよ?」
「・・・・。」
盗賊は悟った。こいつは結構根に持つ奴なんだということを。
糸で雁字搦めにされた今ならば、何かされようと碌に抵抗できないだろう。
しかし、言葉とは裏腹に呪術師は普通に糸を切ろうとする。
ちょっとからかってやろうと思っていただけなようである。
糸を切って、後はこの場を離れる。それだけだ。
・・・・そう考えていたのだ。
・・・・彼らはもう戦闘が終わったものだと、思ってしまっていたのだ。
「フンッ!!」
「・・・・あ?」
しかし、気合の雄たけびと共に響き渡る風切り音が、それを否定する。
呪術師の見開いた眼には、大男が大剣をこちらに叩きつけてくるのが映った。
「ッ!!」
考えるよりも先に彼女の腕は動いた。
脇差でその一撃を防ぐ・・・・が、彼女は勢いよく吹き飛ばされた。
彼女は大きく体制を崩しながらも、その人影を見た。
呪術師はその顔に見覚えが、酷く酷く見覚えがあった。
「カ、カミツギィ!な、何故・・・・。」
「何故ぇ?何故って、どうしてこんなことをするってかぁ?」
彼は大剣を一旦肩に担ぐと、口元をニヤニヤと歪ませた。
呪術師は、その表情に本能的な恐怖を感じた。
こちらを見下す目、手負いの獲物を追い詰めているときの表情であると思った。
彼は嘲るように呪術師に問いかける。
「じゃあてめぇら、此処がどこだか知らねぇらしいな?」
「・・・・此処?」
呪術師の言葉を聞くと、そいつは狂ったように笑い始める。
それが耳に入るたびに、呪術師は心臓に氷柱が突き刺さったような怖気を抱く。
空間内に響き渡るその声は、かつての優しかった仲間のものとはまるで違っていた。
カミツギは、手を振りかざし興奮したように言う。
「ここは『夢の館』って言ってなぁ、どんな夢でも叶うっつー伝説の存在だって話だ!!
文字通り、どんな願いでも・・・・だぜ?こんなこと、全然する気になるんじゃねぇか?」
「・・・・カミツギィ!」
呪術師は唇を噛んで、カミツギを睨む。
彼は、正気を失っているわけでも、誰かに操られているわけでもない。
ただその私利私欲のため、彼らを亡き者にしようとしている・・・・つまりはそう言っているのであった。
「・・・・呪術師を裏切るってわけですか。」
そう言ったのは、糸で壁に張り付けられたままのままの盗賊である。
彼は苦々しくそう言った。
しかし、カミツギはそんな彼をつまらなそうに見た。
そして彼に大剣の切っ先を突きつけてから口を開く。
「あーん?裏切る?違うねぇ、目的は始めからただ一つ。ここだったのよ。」
「・・・・ゲスが。」
盗賊がそう毒づくと、カミツギは彼の腹に肘をめり込ませる。
彼がえずくのを見てカミツギは嗜虐的に笑った。
「・・・・ッ!呪術師!逃げろッ!」
「・・・・!」
盗賊の目を見た呪術師は、何かを感じ取ったかのように扉に向かって走る。
しかし、あと一歩というところでカミツギがその前に立ちはだかった。
額に汗を浮かべる呪術師とは対照的に、彼はどこか遠くの方を見るように、余裕そうに話し始める。
「全く、待つってのはよ~、良いことばかりだよなぁ?番人の蜘蛛はお前らが倒してくれたみたいだし、お前らも・・・・満身創痍だもんなぁ!」
「クソッ!」
カミツギが振るってくる大剣を、どうにかして脇差で呪術師は受け流す。
しかしパワーも違い、何より彼女は呪術が本領である。
気合と必死さで食らいつくが、練度が余りにも違っていた。
ひと際大ぶりの一撃に、脇差は大きく弾かれた。
カミツギはその瞬間、止めを刺すべく大きく振りかぶる。
「・・・・死ね。」
「ッ!」
呪術師は、その瞬間咄嗟に指を結ぶ。
彼女の横から、何かが躍り出た。
「ッ!熱ッ!」
その瞬間、彼の目元に火紙が特攻を仕掛けてきた。
呪術師にずっとついて回り、地味ながらあたりを照らし続けていた彼は、勇敢にも主君の危機に立ち向かったのだ。カミツギは一瞬目をつぶり、その熱さに顔をしかめる。
彼は苛立たし気にそれを大剣の腹で払い飛ばした。
しかし、その瞬間彼は気づく。
「・・・・ッ!居ねぇ!あのアマ!」
一瞬のスキを突き、呪術師は扉から逃げだしていた。
彼の目には遠くなっていく彼女の背中が映る。
カミツギは黙ってそれを見つめていた。
「・・・・ゴホッ!こいつはお気の毒!・・・・上手く逃げられましたね。」
血を吐きながらも、そう皮肉るのは盗賊である。
カミツギは彼を一瞥してから、どうしてか懐から葉巻を取り出し、それに火をつける。
盗賊はその余裕たっぷりな様子に胸が騒いだ。
カミツギは煙をたらふく飲んでから、彼に口を利く。
「・・・・いや、そうでもない。アイツは逃げれてなどいないしな。まず第一に奴はなんて言っていたんだ?・・・・俺たちを
「・・・・ッ!」
盗賊はその言葉に息をのむ。
彼女は、確かにそう言っていた。
そう、相棒でもペアでもなくパーティと言っていたのだ。
カミツギは彼の浮かべた表情を見て満足したように、醜悪に笑う。
「そう、俺は一人じゃない。」
彼の額に汗が浮かぶ。
・・・・見誤った!
盗賊がそう思うのと、縄で縛られた呪術師が現れるのはほぼ同時であった。
彼女は、弓を持った女に連れられて不機嫌そうに頬を膨らませていた。
カミツギはその女に向かって呼びかける。
「遅かったじゃねぇか!」
「・・・・まさかもう見つけていたなんてねぇ。」
呼びかけられた女は、そう返事をすると興味深そうにあたりを見回した。
それを呪術師は黙って睨んでいた。
「ぶべら!」
彼女は部屋の中ほどまで行った辺りで、女に蹴飛ばされて地面に寝転がされる。
彼女は顎をしたたかに打ち付けるが、起き上がるとそのままの体勢で一気にまくしたて始める。
「お前ら!どんな夢でも叶うって・・・・あるわけないだろうが!そんなこと!
そんなもんに頼っても身を滅ぼすだけだぞ!」
「いいや、あるさ。ここにな。」
呪術師の弁を、容赦なくカミツギは切って捨てる。
彼女は一瞬口をかみしめたが、すぐに顔を横に向ける。
その先には、弓を携えた女がいた。
すぐに女も彼女の視線に気づいたようであった。
「マチバリ・・・・ッ!お前まで・・・・なんでボクを裏切る!?仲間・・・・だろ?」
「仲間、仲間ねぇ。私にとって仲間とは、目的に近づくためだけの存在だわ。それが今は、こいつってだけの話よ?」
マチバリと呼ばれた女は、そんな風に語るとカミツギを指した。
カミツギはそれに満足そうな笑みを浮かべると、短くなった葉巻を地面に捨てて踏み消した。
「・・・・と、まあそんなわけだ。お前はもう、なんでもないのさ。呪術師ぃ。」
その言葉を聞いた呪術師の頬からは、一筋の涙が流れ落ちた。
彼女は、二人の元仲間に向かってつぶやくように語りかけた。
「仲間・・・・だと思っていたよ。ボクは・・・・。」
彼女は元パーティメンバーの豹変っぷりに絶望したのか、悲観したのかうつむいてしまう。
そのまま彼女は後ろ手に縛られたまま、ブツブツと何かをつぶやいていた。
カミツギはその無抵抗な様子に、上機嫌そうに鎧を鳴り響かせて呪術師の周りを歩き始める。
「・・・・ここを知っている人間は消しておきてぇんだが・・・・まあ、元パーティーの
よしみだ。お前だけなら、命は助けてやるぜ?・・・・俺の女になるならよ。」
「・・・・誰が!!」
「ハッハァー!!じゃあ二人まとめて死ね!!呪術師!!」
カミツギは大きくその大剣を振りかぶる。
数秒後には、ギロチンが落ちるがごとく、彼女の首と胴体は永遠の別れを告げることになるだろう。しかし彼女は顔を上げ、彼を睨み据えた。
その顔は絶望にも悲観にも染まっていなかった。
それはただ覚悟を決めた人間の顔であった。
「最後に一つ言っておくことがあるんだ。お前たちに。」
「あん?遺言か?命乞いか?どっちも聞かんぞ。」
「・・・・いいや、謝罪さ。」
「・・・・。」
呪術師の様子を見たカミツギは、振りかぶったまま思考する。
何だこいつは長々と。
それにこの顔は一体?これが死を前にした人間の顔か?
・・・・いやどうでもいい。
彼は腕に万力の力をこめる。
こいつの口上ごと、よくしゃべる口を跳ね飛ばしてやる。
そんな風に考えた。
「ああ、そうかい。もう十分だ。・・・・フンッ!!」
風切り音が呪術師の耳に鳴り響く。
迫りくる大剣、致死であろう一撃。
しかし、それを彼女はまっすぐ見つめていた。
腕も足も縛られている。しかし、
彼女は後ろ手をもぞもぞ動かし、朗々とその声を張り上げる。
「パーティーにも・・・・黙ってて悪かったなぁ!喰らえ奥の手!!
「ッ!?」
その瞬間、カミツギの視界は炎で包まれる。
馬鹿な!奴の札は種切れだったはず!!
そんなことを考える間もなく、振りかぶっていた大剣ごとその熱風に吹き飛ばされる。
彼は瞬時に火だるまになった。
「ッああああああああああああぁぁぁつぅあああああああああああああ!!」
カミツギは絶叫をしながら、辺りを転げまわっていた。
それを横目で見ながら、マチバリは額から汗を流していた。
立ち位置の関係で炎を免れた彼女は、何が起こったかを把握していた。
・・・・この女!
常に装着していたお札、成程こいつは非常用の呪術触媒だったか!
「あちゃちゃちゃ!!あっつぅ!!」
しかし、炎を顔面間近で放出した呪術師も無事・・・・というわけでは無いようで、転げ回って悲鳴を上げていた。
カミツギは、狂ったように叫びながらもその頭は冷静であった。
彼はマチバリに向かって呼びかける。
「・・・・逃がすなッ!こいつは絶対!俺が殺す!」
「・・・・あいあい。」
どの道こいつは逃げられやしない。
両手両足が縛られた芋虫状態で、碌に動けやしないんだ。
現に今も、転げ回っているだけ。
・・・・おっとそれよりも、カミツギの火を消してやらないと。
彼女がそんな風に思っていた時であった。
冒険者ゆえの直観か、彼女の背筋に何かゾクリとした冷たいものが突き刺さる。
(・・・・奥の手にしては、詰めが甘すぎないか?)
転げまわる呪術師を見ながら、この
マチバリは瞬時に振り替える。
額から飛んだ水滴は、飛びかかってきた
「うおおおおおおおおお!!!」
「がぁっ!こいつ、なんで!?」
マチバリは、勢いよく突っ込んできた盗賊に組み伏せられた。
その瞬間、偶然にもそれは視界に入った。
盗賊が捕らわれていたはずの蜘蛛の糸、それが融けるようにして燃えていた。
そして、それに必死に体を擦り付ける火紙。
呪術師!あの女だ!
自分に注意を引き付けている間、こっそりと火紙を操り盗賊の解放を目指していた!
・・・・クソッ!
マチバリは、盗賊に馬乗りになられながらそう心中で毒づいた。
彼はいつの間にか脇差も拾い上げていたようで、近接武器を持たない彼女は万事休すであるかと思われた。しかし所詮手負いのルーキー、彼はすぐに遠くに蹴り飛ばされた。
だが、彼はすぐに呪術師を抱えて一目散に逃げ始める。
「逃がすなッ!」
「了か・・・・ああ!?」
カミツギの怒声が響き、マチバリは弓を構えるがその手は空を切る。
見るとその弦はだらんと緩んでいた。
・・・・あの男!組み合ってるときどうにも弱いと思ったら、弦を切ってやがったな!
その一瞬の隙は大きかった。
彼らは見事、部屋から脱出して見せたのだった。
マチバリは顔を青ざめさせて、その口を開いた。
「す、すまない。あたし・・・・逃がしちまった。」
「いや、いいさ。・・・・へへへ、そうだ!ここは夢の館なんだぜ!」
マチバリとは対照的に、カミツギは狂気的に笑っていた。
全身火傷の状態ではあるが、余裕たっぷりにマチバリを手で制した。
「・・・・どんな夢でも叶うってんなら!・・・・あいつらを逃がさないこともできんだろ!」
「ッ!確かに!」
「ああ!じゃあ願うぞ!あいつらを・・・・。」
カミツギは両手を広げて神に祈るかのようなポーズをとる。
しかし、その姿は聖職者の姿とは程遠いようなものであった。
そして、その邪悪な願いを願おうとして・・・・それは起こった。
「・・・・やめろ。」
「ああ!?」
見ると、入り口にたたずんでいるのは満身創痍の二人組、盗賊と呪術師である。
彼らはなぜか逃げるのを中断したようで、扉に寄りかかっていた。
盗賊は呪術師を肩で支えながらも、その言葉を続ける。
「やめろ。何も願うな。願いってのはそれ相応の努力で叶えるものだ。・・・・それをすっ飛ばして、結果のみを得るなんて代償なしで叶うもんじゃない。」
「・・・・はぁ?」
カミツギは、彼らを怪訝そうな目で見つめる。
逃げられないと踏んで、戻ってきたのか?
それにこいつの言っていることは?
・・・・どうでもいい。
そう、全てはどうでもいいことだ。
今重要なのは、もはや赤子の手をひねるほども難しくない。
ただ願うだけで、こいつらを嬲れるという事実だけだ。
そう、事実はそれだけだ。
「・・・・クク。脅しにもなってやしねぇ。」
「聞くんだ!カミツギ!我々の推理では・・・・。」
「うるせぇ!こいつらの足を切って、全身を焼いて、さらに・・・・。」
彼の願いは最後まで言い切れなかった。
ドス黒い影が円を描き、そこから何体も例の怪物蜘蛛が飛び出してきたからだ。
しかもそれだけではない。影はさらに渦を巻いていた。
・・・・まだまだ出てくるのだ。
(ッ!?な、こいつら!奴らが始末したはずじゃあ!?)
カミツギは恐怖で顔を歪めながらも、目の前の蜘蛛一匹を大剣で切りつける。
そいつは怯むが、その隣のもの、さらに隣のものは止まらない。
マチバリと共に、彼は壁際に追い詰められる。
「ああ、クソ!アンタら、来るんじゃないよ!ひ、ひぃ!!」
「・・・・やめろ。・・・・やめろ。なんで!?どうして!?」
渦巻く影は、最後に巨大な二本角の牛顔の怪物になった。
それは深く凶悪なダンジョンの最下層に潜むと言われている怪物。
悪名高き、ミノタウロスであった。
その部屋には二人の絶叫が響き渡った。
「「幸せになりたかっただけなのにぃぃぃぃぃ!!!!!!あああああああああああああああああ・・・・。」」
一方、盗賊と呪術師は、蜘蛛が湧き出すや否や早々に逃げだしていた。
一匹だけでも苦戦した奴を何体も同時に相手にできるわけがなかった。
盗賊はしょうがないので、縛られた呪術師を担いで歩いていた。
彼は、廊下を歩きながらどこかの誰かに向かって毒づく。
「・・・・これが代償ってわけですね。クソったれ!何が『夢の館』だ。
こいつには『欲望の館』って名前が相応しい。」
「ああ、その通り。・・・・全く、馬鹿な奴らだ。」
呪術師はそんな風に毒づく。
盗賊は、その言葉に何も返さなかった。
言葉とは裏腹に、彼女の声はひどく悲しそうに思えたからだ。
その瞬間、二人の断末魔の絶叫が彼らにも届いた。
呪術師は、その声に思わず歯を食いしばる。
「ああ、全く。・・・・いい気分ではない。」
一筋の水滴がそこには零れ落ちた。
盗賊は努めて振り返らなかった。
次回の投稿は十九時頃となります。次回でこのお話は一区切りとなります。