スカーレット・デビル   作:葵屋

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 怪異。化物。怪物。モンスター。幼い私に贈られたのは、そんな祝福の言葉だった。

 

  §

 

 人間とはなんだろうか。腹を焦がす灼熱をどこか遠くに感じながら、目の前で吠える人間(おとこ)に思いをはせる。

 周りの炎を反射して煌々と輝く金髪。白磁の肌に端正なつくりの顔立ち。澄んだ空を思わせる瞳。全身を煤で汚してもなお気品を失わないその男は、つい先日まで愛を囁いてきた人間だったとは思えないほどの嫌悪と憎悪をもってして、教会で祝福されたと思しき銀剣を腹に突き立てていた。

 この土地の領主さえ手にすることが出来ないほどの屋敷、その豪奢な玄関口で、私は目の前の男に押し倒されていた。高名な芸術家によって描かれた絵画の数々も、特別に作らせた高価な家具も、そのほとんどが炎におおわれている。この屋敷は結構気に入っていたけれど、どうやら手放さなければならないらしい。幸いにもお金だけは腐るほどにある。自分のことより屋敷の方が心配なのか、と一人自嘲して、思い出したかのように腹部の異物感が痛みとなって現れた。

 灼熱は腹を突き破り、いまや全身に広がっている。それでも、そんなそぶりを見せるのが何だか(しゃく)で、精一杯の虚勢を張って笑いかける。

 

「行動力のある殿方は頼もしいけれど、いきなり襲い掛かってくるのはいただけないわね」

「ほざくな悪魔。よくも今まで騙してくれたな」

「あら。女の秘密の一つや二つ、笑って許すくらいの器量を見せるくらいでないと」

「だまれ! そうやってこれまで何人もの男を弄んできたんだろう!」

「そうね。でも、これでも私は、まだ殿方と手を繋いだこともない生娘だもの。接し方を間違えて勘違いをさせてしまうことくらい、さして珍しい話じゃないわ」

「この場に及んでまだ私を弄するつもりか!」

 

 激昂と共に捻られた銀剣は、無視できないくらいに存在感を訴えていた。余裕なんて欠片もないし、貫かれた腹部を蝕む灼熱もそろそろ洒落にならない。それでも、ここまで冷静に考えていられるのは、自分の安全を確信しているから。私はここで死ぬ(ヽヽヽヽヽヽヽ)運命ではない(ヽヽヽヽヽヽ)。たったそれだけの曖昧な確信によって私は虚勢を張っているのだ。

 馬鹿馬鹿しい。以前の私なら鼻で笑い飛ばしていただろう。《運命》だなんて、まるで夢見がちな頭の軽い女みたいだ、と。それでも私は信じるしかないのだ。まだ幼い、あの可哀相な「妹」を護るためにも、この《運命》を信じなければならない。

 

「ところで、この悪魔退治はあなた一人でするつもりなのかしら」

 

 だから、今は時間を稼げばいい。

 

「……残念だったな。もうじき教会の悪魔祓い(エクソシスト)達がやって来る。おまえはもうここで死ぬんだ」

「それじゃあ、何もしなくても死ぬ女を殺すために、わざわざ一人で先にここにきたのね。嬉しいわ、こんなに愛されていたなんて」

「違う!」

「だってそうでしょう? あなたはただの人間。なのに悪魔の居城(こんなところ)にきてまで私にお別れを言いに来てくれて」

「だまれだまれだまれだまれ!」

 

 こんな状況に陥って、なのにわざわざ火に油を注ぐような言葉で自ら寿命を縮めるようなことをするなんて。馬鹿なのだろうか。それともやはり、化物に成り下がったが故か。だけど、それでもしかたない。決して望んだわけではないけれど、納得だってできないけれど、それでも、私は運命(これ)を選んだのだ。一人ぼっちの「妹」のために、ほかの誰でもない、私自身が。覚悟はもうとっくに決まっているのだ。

 

「嬉しいのは本当よ。愛したひとを自分で殺すなんて、ねえ、とってもロマンチックじゃない」

 

 腕の震えが短剣まで伝わるおかげで傷がえぐられている。床も、服も、壁も、辺り一面が私の血で赤く染まっている。悪魔の血だなんて、それこそ忌諱するようなものなのに、目の前で泣きそうな顔をする彼は、身体中に浴びた血を気にもとめていない様子で私を見つめている。ああ、こんな時になってまで私のことを愛しているのだなあ。それはとても嬉しいことで、涙が出そうなほどに哀しかった。

 真実、彼との語らいは楽しかった。騎士の癖に本ばかり読んでいる彼は嘘みたいに剣が弱くて、けれどその分知識が豊富で、いつまでも尽きない話題にいつもわくわくさせられていた。気が弱いところはあるけれど、気が利いて、情に脆くて、優しくて。決して華やかではないけれど、気品のある端正な顔立ちと、何よりもその穏やかで暖かな笑みが、市井の娘たちの目をどれだけ奪っていたかを、きっと彼は知らないのだろうけれど。一緒に語らっていた私がどれだけ羨まれていたのか、彼には想像もつかないだろう。

 けれど、それも今日でおしまい。

 

「きゅっとして」

 

 場違いな幼い少女の声が響く。無邪気な、何の悪意もないだろう無垢な声だ。けれど私は知っている。本当に恐ろしいのは、無邪気に、無感動に、何の感慨もなく、呼吸をするように殺せてしまうことなのだと。

 

「どかーん」

 

 まるで感情のこもっていない少女の声。けれどその効果は絶大だった。私に覆いかぶさるようにしていた彼は、彼女の声と同時に喀血し、よく磨かれた宝石のような瞳を濁らせていく。そうして彼が力なく倒れてくるのを、私はどこか遠い出来事のようにみつめていた。どれもこれも、わかりきっていたことだ。

 音の無くなった広間に、乾いた靴の音だけが響く。徐々に近づいて来る靴音を聞きながら、それでも私は、ただ、白濁した碧玉を愛でた。

 

「おねえさま」

 

 どこまでも無垢で、純真で、透明な声だ。視界の隅によく磨かれた革靴が見える。顔を見たくない理由を、今は考えたくない。

 

「おねえさま。ねえ。今日のごはんはなにかなあ」

 

 今自分がしたことに対して何の感慨もない。いま、おまえは人を殺したんだぞ。幼子が虫の生命をもぎ取るような残酷な無邪気さで。けれど、それを私が言及することもできない。

 こうなることはわかっていたのだ。責められるべきなのは、こうなることがわかっていたのに、何もせず、ただつかの間の幸せに浸っていた私。今こうして悲劇のヒロインに酔っている私自身なのだから。

 ゆっくりと身体を起こす。代わりに、だんだんと冷たくなっていく彼を、優しく、慈しむように支え、床に寝かせる。せめて安らかに眠れるように。祈りをこめて、その見開いた眼を閉じる。こうなることはとうの昔にわかっていたはずなのに、いやに感傷的になって柄にもないことをしている自分を自覚して、くつくつと失笑する。そんな資格、あるわけもないのに。

 

「おねえさま」

「……この前いい赤ワインを貰ったの。ここを出たら、二人で飲みましょうか」

「わあい。ワイン、だいっきらい」

 

 きゃっきゃとはしゃぐ彼女を尻目に、もう一度、倒れ伏した彼を見遣る。こうなることは初めからわかっていた。それこそ、彼と初めて出会っさたときから。けれど私は彼のもとへと通い、情を移し、そして殺した。

 私は化け物で。人間と共に生きることなんて出来やしない。そんなことはとうの昔にわかっていた。だからせめて妹のために生きようと思ったのに。そのはずなのに。

 

「そういえばおねえさま。それ(ヽヽ)、なに」

 

 人間とは何か、ずっと考えてきた。吸血鬼(ばけもの)となったその日から、ずっと、ずっと。

 

「おねえさまのたいせつなものかな」

 

 種族の違いだろうか。血統の違いだろうか。寿命の違いだろうか。精神性の違いだろうか。

 

「ああ、この人?」

 

 私と彼らの違いはなんだろう。人間と化け物の違いはなんなのだろう。ずっとずっと考えてきた。いくつも相違点を見つけて、同じだけ共通点を探してきた。人間に戻りたかったから。化け物でいたくなかったから。でも、それももう、どうでもいい。

 

「ーーだれだったかしら。わすれてしまったわ」

 

 私はもう、人間には戻れない。

 

   §

 

 吸血鬼。血を吸う鬼。光を嫌い、夜に生きる化け物。

 血とは生命である。血を吸うということは、生命を食らうということである。つまるところ、吸血鬼とは人の生命を食らうものであり、ひいては「死」という概念がより具体化し形を得たものといえる。怪異の王。化け物の頂点。

 ーー馬鹿らしい話だ。

 血を誇り、生物を蹂躙することでしか満たされない父と、そんな父を盲信する母。虐げられ、狂い壊れてしまった妹。恐怖しかみせない従者たち。誰も彼も、馬鹿らしく、つまらない存在。そう思っても、何でか妹だけは放っておけなかった。狂い、壊れ、壊すことしかできなくなってしまった妹だけれど、なぜか見捨てることができなかった。

 父を刺し、母を燃やした。従者はすべて首をはねた。そうして妹に手をかけようとしたときに、思い出したのだ。独りぼっちの可哀想な「妹」のことを。それは、生まれて一〇〇年を越えた化け物が、「人間」であることを思い出したことを意味していた。

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