この凄惨な現実に追憶を!   作:バニルの弟子:ショーヘイ

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『祝福』6,7巻 (+α 『祝福』4巻) 既読推奨


第三章 この純真な少女に陰謀を!

 その日も良くない情報が一面を大きく飾る。

『体調不良を訴える者、続出⁉ アルカンレティアの温泉に毒物か?』

 水と温泉の都アルカンレティア。

 澄んだ湖と、温泉が湧き出る大きな山に隣接しており、週末になると観光客や湯治目的の冒険者が世界中から押し寄せる美しい街。

 その主要産業である温泉の質が最近悪くなったのだ。

 お陰で観光客の数は激減、街の財政は嘗てない程までに逼迫しているらしい。

「最近、不穏な情報が後を絶たないわね」

 城内新聞を広げ、私は思わず溜息を吐いてしまう。

「機動要塞襲撃によるアクセルの街の半壊に、最前線各所への魔王軍幹部の参戦。そしてつい先日知らされた、紅魔の里の全焼。こうも良くない出来事が重なると穏やかではいられませんね」

 テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰かけるレインはそう言って、静かに紅茶を口に含んだ。

 

 駆け出しの街の半壊により最前線で戦っている者達の士気は激減し、逆に魔王軍の士気は高まってしまった。

 しかも魔王軍は追い打ちをかける様に、一人の幹部を戦場へ投入。

 最前線を守る砦の方にも幹部を一人派遣したとか。

 お父様だけでなく、この国の最高戦力にして第一王子であるお兄様も出陣しているが、それでもなお劣勢を強いられているらしい。

 そこにきての紅魔の里への襲撃。

 幸いにも紅魔族の方々は誰一人欠ける事なく脱出し、現在は王国中に散らばっているそうだが。

 ベルゼルグ王国最強の魔法使い集団と名高い紅魔族の里が落とされたという事実は、深く私達に不安を植え付けている。

 私自身は王城から出ることが出来ないので城下町の様子は知らないが、時々訪れる冒険者の話を聞く限り、あまり芳しくない様だ。

 

 新聞を折り畳んで机の端に置いた私はレインに向き直った。

「それでレイン、この後のパーティーにはどれくらいの人が来るの?」

 このような状況下でパーティーなど企画している場合ではないのでは、という意見は勿論あった。

 それでも強く反対されなかったのは、むしろこんな時だからこそやっておきたいという気持ちが、皆さんの心のどこかにあったからだろう。

「現在のところ招待しているのは、王都にいる貴族や冒険者達ですね。ダスティネス様にもお声掛けしたのですが、街の復興で忙しいとの事で辞退なされました」

 手元の手帳を開き、レインは淀みなく読み上げていく。

「最近王都で名前を上げているレックスさんのパーティーやミツルギ様。他にも、名前は判明しておりませんが、魔法剣士の方がリーダーを務めている四人組パーティーの方々など。連絡が取れなかった冒険者もいますが、ある程度の人数は集まる予定です」

 なるほど。

 ララティーナに会えないのは少し寂しいけど仕方ないものね。

「だったら、また冒険者の方々からお話を聞くことも出来るかな?」

「それぐらいでしたら構わないと思いますよ」

 レインの言葉に、私は相好を崩しそうになるのを必死に堪える。

 私にとって、パーティーに訪れる冒険者達の話を聞くことが、唯一外の様子を知るための術なのだ。

 不謹慎かもしれないが、どうしても楽しみになってしまう。

「それではアイリス様、パーティーで着用する服を選びましょうか。ジャティス様の代わりにアイリス様が預かられているネックレスに合う物を探しましょう」

「っ! そ、そうね! 今日のお勉強はもう終わったものね。まだパーティーまで時間はあるけれど始めましょうか!」

 ガタッと椅子を蹴って立ち上がった私は、あくまで冷静に、落ち着きを持って答える。

 そんな私を見て、レインが目を細めた気がした。

 

 

 

 その夜。

 大広間の会場は大勢の人々で溢れ返っていた。

 様々な料理が用意され、来訪者は舌鼓を打ったり歓談に興じたり、今宵の晩餐会を楽しんでいるようだ。

 そして、私はと言えば……。

「――それではアイリス様、またの機会に!」

 いつものように、冒険者の方々から外の世界のお話を伺っていた。

 でも最近は、同じようなお話が多いから少し退屈なのよね。

 確かに凄いのだが、絶対に負けない勇者が一方的にモンスターを退治するようなお話ばかりなのだ。

 聞けないよりは良いのだけれど、もうちょっとハラハラドキドキするような大冒険はないものかしら。

 最後の冒険者がお食事に戻るのを見届けた私は、人知れず溜息を吐いた。

「おおっ、これはこれはアイリス様。暫く会わない間に、また随分とお美しくご成長なされましたな」

 くぐもった声で呼び掛けてきたのは、背が高く、大柄で毛深い中年の男性。

 この人は今までに数回ほどお話した事がある。

 確かアクセルの街で領主をしていて、ララティーナのお父様が相談役及び監視をしているという……。

「お久しぶりですね、アルダープ様。機動要塞の襲撃により、アクセルの街は甚大な被害を被ったとお聞きしておりますが、復興状況はよろしいのですか?」

 私は愛想笑いを浮かべ、ドレスの裾を持ち軽くお辞儀をした。

「お気遣い痛み入ります。お陰様で、街は順調に修復されております。とは言え、何分被害が大きく時間が掛かっておりまして。かくいう私も屋敷を崩壊させられましてな、今は王都にある別邸で暮らす事を余儀なくされる有様ですよ」

 いかにも苦心していると言わんばかりに、大仰に肩を竦めるアルダープ様。

 彼が言った事は嘘ではないのだろう。

 新聞を読んでいる限り、その辺りとの整合性はあっている。

 でもなんとなく、この人の発言は信じ切れない。

 クレアやレインから、この人の事は信用してはならないと忠告を受け先入観を持っているのもあるとは思う。

 だがそれ以上に、この人からは良からぬ雰囲気を感じるのだ。

 不吉と言うか、良く無い物が背後に潜んでいるというか。

 この人に深入りすると自分の命が握られるような、そんな感じがするのだ。

「ところでアイリス様、少々お話があるのですがお時間を頂けませんでしょうか?」

 私を一瞥するアルダープ様への警戒を強めながらも、表情には出ないよう微笑みを絶やさず、

「構いませんよ。では立ち話もなんですし、あちらのお席へ参りましょう」

 他の貴族の方と会話をしているクレアがいる席へ体を向けた私を、しかしアルダープ様は制止した。

「いえ、出来ればあちらのテラスまでご足労願いたいのですが」

 アルダープ様が指定してきたのは、会場横に設けられた小さなテラス。

 夜になると差し込む月明かりが美しく食休みの人で後が絶えないのだが、今は誰もいないようだ。

「何故ですか? もしかして、人前では話せないような内容なのですか?」

 怪訝な表情で尋ねる私に、アルダープ様は周囲を警戒するようにキョロキョロと伺ってから声を潜めて。

「実はお話と言うのが、公にする訳にはいかない内容でして。もしこの事が他の者に知られようものなら、アイリス様やその身辺の身さえ危ぶまれるかもしれないのです」

「私達の身に?」

 全然知らなかった。

 アルダープ様の真剣な表情からして、冗談ではなさそうだし。

 一体、私の身に何が?

 ……いや、早計な判断は駄目ね。

 王族たるとも、もっとしっかり吟味しなくちゃ。

「分かりました。では、あちらでお話を伺いましょう」

 軽く頭を振って、何があっても対応できるように私は精神を研ぎ澄ました。

 

 誰もいないテラス。

 この周囲は観葉植物に囲まれているので、会場から私達の姿は見えない。

 来る途中、クレアが会場への入り口付近まで追いかけてくれていたのは確認済みだが、有事の際すぐには助けてもらえないだろう。

 用心しなければ。

「そう言えば、ジャティス王子の怪我の具合はどうですかな?」

 と、先導していたアルダープ様が中央付近で立ち止まった。

 脈絡もなく問われた質問に私は眉を顰める。

「あまり芳しくない様です。多勢に無勢で体力を著しく消耗している所を幹部に襲われ、その際に負った傷跡が後を引いているらしく、自室で休養しています。どうしてそのような事を?」

「いえいえ、数日前に新聞で聞き及んだので、王子の身が心配になりましてな」

 なんだ、そういう事ですか。

「ご心配して頂きありがとうございます。兄も喜びます」

 っていけない、アルダープ様の気遣いが嬉しくてつい気が緩んじゃった。

 私はこの方の事を深くは知らないのだから、もっと慎重にならなきゃ。

「それで、お話とは一体何なのですか?」

 改めて気を張り詰め私は尋ねる。

 するとアルダープ様は私の胸元にチラッと視線を向け。

「そのネックレス型の魔道具、シンプルなデザインの割に中々の趣向が凝らされておりますな。どのようにして入手されたのですか?」

 えっ、ネックレス?

 身構えていただけに拍子抜けしてしまう。

「これは私の兄に献上されたネックレスらしいのですが……。現在養生中の兄に代わり、王族を代表して私が預かっているのです。このネックレスがどうかしたのですか?」

 私の質問に、アルダープ様は背を向けてテラスの観葉植物を眺めながら。

「因みに使い方は判明しているのですか?」

 随分と食い下がって来ますね。

 訝し気に思いながらも、私は説明を続ける。

「いえ、この魔道具の使い方は未だ解明されていません。城の学者の推測では、定められたキーワードを唱えれば、魔道具の力が発動するのではないかと言われていますが……」

 ふむとひとつ頷き、アルダープ様は何か考え込む様に唸る。

 先程からなんなのかしら。

 お話があると呼び出しておいて質問しかしてこないなんて。

 十分すぎるぐらい間をおいてから、アルダープ様は神妙な顔付きで口を寄せ、

「実はですね、アイリス様。私はその魔道具の使い方を知っているのですよ」

「ほ、本当ですか⁉」

 驚いた。まさかアルダープ様がそのような事を知っていらっしゃるとは。

 いやしかし、アルダープ様は先ほど不穏な事を言っていたはず。

 私は胸元で輝くネックレスを手で掬い上げた。

「もしかして、このネックレスにはなにか危険な仕掛けが施されているのですか?」

 恐々と尋ねる私に、アルダープ様は感嘆の声を漏らす。

「流石はアイリス王女、ご理解が早くて助かります。でもご安心を、アイリス様が仰っていたように、そのネックレスの本来の力はキーワードを唱えなければ発動致しません。なのでそれさえ破られなければ、大事には発展しないでしょう」

 真っ直ぐに私の眼を見て断言するアルダープ様。

 直感だけど、嘘は吐いていないみたい。

 ……信用してもよさそうだ。

「そうだったのですね。ご忠告頂きましてありがとうございます」

 私はほっと息を吐き出し、肩の力を抜いた。

 よかった、これならもう大丈夫だろう。

 ここに至るまでに、随分とアルダープ様に失礼な態度を取ってしまった。

 この人はきっと善意で教えて下さっただけなのに。

 反省しなければ。

 そういえば、まだ一つだけ聞いてない事があるんだったわ。

「ところで、この魔道具の真の力と言うのはどのようなものなのでしょう?」

 半ば興味本位で私はアルダープ様に尋ねる。

 するとアルダープ様は顔を伏せて手に取ったネックレスをクルッと裏返し、ある部分を指で指した。

「ここに文字が刻まれているのはご存じだと思います。恐らくこれがキーワードになっているであろう事も」

 勿論、それぐらいの事は学者達も検討をつけている。

 だがその文字と言うのが、私達が知らない文字で書かれており解読法にまるで見当がついていないのだ。

 刻まれた文字を指でなぞりながら、アルダープ様は徐に口を開いた。

「私の調べによりますと、ここにはこう書かれているそうです。『お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。お前になーれ!』……と」

「……今のは異国の言葉ですか? 意味が全く分からなかったのですが」

 王族として教育を受け、他国の言葉もある程度は知っているつもりでしたが、このような変わった響きの言葉は聞いたことがありません

 私が小首を傾げたその時、ネックレスが光り輝き始めた。

「あ、あのアルダープ様⁉ これは、魔道具の力が発動してしまうのでは……⁉ は、早く外さなければ……な、何をなさるのですか⁉」

 慌ててネックレスと毟り取ろうとする私の手を、しかしアルダープ様が乱暴に掴んで放そうとしない。

「そして……」

 ボソッと呟いたアルダープ様が漸く顔をあげる。

 

 血の気が引いた。

 

 その口元はまるで悪魔のように邪悪に歪み、全てが自分の計画通りにいったのだとほくそ笑んでおり。

 先程までは感じなかった、どす黒い欲望と悪意に塗り固められた凶悪な気配が、身体中から湧き出していたのだ。

「アイリス様、なにかあったのですか⁉ ……貴様、アイリス様に何をしている‼」

 私の叫び声を聞きつけたのか、レインと近衛騎士団を引き連れたクレアが、アルダープ様が私の手を無理やり掴んだ現場を目撃し、激昂しながら斬りかかってきた。

 だがそれより早く、あまりの衝撃に抵抗する事さえ忘れた私に、アルダープ様は言葉を続ける。

「キーワードを受けて魔道具の力が発動すると――」

 それと同時に、ネックレスの中央で輝く宝石が閃光を発し……!

「くっ⁉ ……なんだこの光は! アイリス様、ご無事ですか⁉ アイリス様っ!」

 クレアの言葉に、思わず閉じた眼を開き……。

 言葉を失った。

 

 目の前には邪悪な笑みを浮かべた私がいたのだ。

 

 

 

 どうして……。

 どうしてこのような事態になったの?

「角を右に曲がったぞ!」

「クソッ、見た目に似合わずすばしっこい奴め!」

「城中の入口を閉鎖しろっ! 確実に捉えるのだっ!」

「腕利きの冒険者にも応援を要請しろ!」

 ぜえぜえと荒れる呼吸を無理やり抑えつけ、贅肉で膨れ上がった体を引き擦る様にして走り続ける。

「相手が貴族だからと手心を加える必要はないッ! 容赦するなっ!」

 廊下中に響き渡るクレアの猛り狂った声。

 そして――

 

「抵抗するようなら殺しても構いませんっ‼ 早くあの男の首を、私の前に持ってくるのです!」

「「「「「畏まりましたアイリス様っ!」」」」」

 

 後方から届く怒号を聞きながら、追い付かれない様にドタドタと廊下を疾走し――

 

「違いますっ! 私こそがアイリス! この国の第一王女にして、お父様達から城の管理を任されている、ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリスですっ‼」

 

 アルダープ様の姿で泣き叫んだ――!

 

 

 

 い、一体、何が起こったの?

 どうして目の前に私が?

 それに何だか視点が上がった気がするのだが?

 余りに急激な変化に挙措を失い、目の前にいる私の顔を見る事しか出来ない。

 と、いつの間にか掴まれていた私の手を振り解いたもう一人の私は、まるで先程の表情など嘘だったかのような竦然たる顔付でクレアにしがみ付いた。

「クレア、助けて! あの方が突然私の手を取り暴行を加えようとッ‼」

「なっ⁉ アルダープ、貴様そこに直れ! この私自ら貴様を叩き切ってやる!」

 言いながら、激昂したクレアは切先をこちらに向けてきた。

 

 そう、私に向けて。

 

「な、何を言っているのクレア⁉ 私は……って野太い?」

 自分から発せられた声色のあまりの異質さにバッと首元を抑える。

 手袋越しに伝わる、身に覚えのないベタ付きと骨格。

 手袋? そのようなもの填めてたっけ?

 視線を体に落とし絶句する。

 はち切れんばかりに膨れ上がったお腹、太い腕。

 地面までの距離もずっと遠い。

 そして現在進行形で、私の事をまるで親の仇でも見るかのようにキリキリと目を吊り上げるクレアと、後方で目を座らせたレイン。

 まさか、これって……。

 夢であって欲しかったけど。

 でも、この状況から判断するに、考えられる可能性は一つしかない。

 

 私は今、アルダープ様の姿をしている。

 

 そんな結論に達した時、いつの間にか私に肉薄していたクレアが剣を下段から斜めに振り上げた。

 正確無比な一撃に、私は反射的に頭を仰け反らせる。

 眼前数ミリ先を通過するクレアの剣。

 前髪が少し掠め取られたが何とか外傷は負わずに済み、そのままの勢いでバク転をし距離を図る。

「なっ⁉」

 クレアもまさか避けられるとは思わなかったのか、驚愕の表情を浮かべた。

 正直、私も驚いている。

 身体は重く固く、その上連動性も悪い。

 しかもたった一回の攻防だったにも拘らず、すでに動悸は速くなり呼吸も乱れている。

 これで不意打ちを避けられたのは本当に幸運としか言いようがない。

 だが一番驚いていたのは、私でもクレアでも、離れた場所にいるレインや近衛騎士団の方々でもなく。

 レインの傍らで鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いた、私の姿をした何者か。

 いや、もう断定してもいいだろう。

 ネックレスを用いて私と身体を入れ替えた、アルダープ様当人だった。

 と、とにかく、この場に留まっていてはいつ追撃があるか分からない。

 ひとまずクレア達から距離を取らないと。

 誰もが押し黙り緊張が漂うテラスにて。

 私は不意を突き、クレア達とは逆方向に全力疾走した。

 一瞬、呆然とするアルダープ様達だったが、すぐに正気を取り戻したようだ。

「何をしているの! あの方を逃がしてはなりません! 捕まえなさいっ!」

 私の声をしたアルダープ様の激を受け、クレア達が一斉に私の追跡を開始した――!

 

 

 

「畜生、見失った!」

「なんなんだあいつは⁉ あの巨体で何故捕まえられないっ!」

「危なっかしいとは言え、剣戟も魔法もギリギリで躱されている! あんなに強いだなんて聞いてないぞっ!」

 衛兵達の叫び声が近くで飛び交う中。

 私は壁に身体を預けて息を殺しつつ、なんとか息を整える。

 嫌だ……こんなのもう嫌だ!

 どうして私がこんな酷い目に合わないといけないの⁉

 こんな姿に変えられて、致命傷は避けているとは言え度重なる戦闘で身体はボロボロ。

 幼い私に忠誠を誓って下さった騎士団の皆様には追い回され。

 いつも私に厳しくも優しく教えてくれるクレアやレインに、あんな罪人を見るかのような冷たい眼を向けられて。

 私は、こんな辛い目に合わされる程の大罪を犯したと言うの⁉

 今まで我侭も言わず、周りの大人達の言う事にちゃんと従っていたのに。

 それがダメだと言うのなら、私はどうすればよかったのですかっ⁉

 自分の中で悪態をついた私は壁をズルズルと崩れ落ち。

 そのまま足を抱えて蹲った。

「探せっ! まだ近くにいるはずだ、この際暗がりだろうと一見いなさそうな場所だろうと徹底的に探せ! 絶対にアイリス様に近付けるなっ‼」

「編成を崩さない様注意してください! 敵は想像以上に厄介なようです。奇襲を警戒しつつ、アイリス様を確実にお守りするのです!」

 遠くから馴染み深い声が響いてくる。

 いつも私に気を遣ってくれて。

 どんな時でも私の為を想って最善の道を用意してくれて。

 そして今だって、私の為に全力を挙げて守ろうとしてくれる。

 最も、見た目が私なだけで中身は全く違うのだが。

「…………クレア……レイン……」

 ………………。

 ゆっくりと、私は膝につけていた顔を上げた。

 そうだ、私はいつまでも卑下してばかりいられないのだ。

 クレアが言っていたじゃない。

 王族はいつでも冷静に物事を見極めなければならないと。

 レインが教えてくれたじゃない。

 どの様な窮地に陥っても活路を見いだせるだけの知識を。

 このような形で二人の言っていた意味を実感できるとは流石に予想外だが。

 でも、だからこそ。

 これまで二人に教わった知恵を。

 皆様が授けてくださった技術を。

 ここで披露すべきなのではないか?

 全ては未来、この国の民を良き方向へと導く王女になる為に!

「…………いつまでもクヨクヨしてはいられませんね」

 涙を拭い去り、その場に吃然と立ち上がる。

 裂傷や霜が降りた皮膚の位置を確認し、出血した部分は服を切り裂いて応急処置。

 ある程度治療をし終えた私は軽く柔軟をしてから再び息を潜め、より安全な場所を目指して歩き始めた。

 まずは現状の把握からです。

 私はいまアルダープ様の体に入っていて、逆にアルダープ様が私の姿をしている。

 認めたくはないけど承認せざるを得ません。

 次に、どうしてこのような事態に陥ってしまったかだけど。

 十中八九、あのネックレスの効果ね。

 原理は見当もつかないが、神器級の魔力が秘められていたし、パスワードを唱えると向かいにいる人と身体を入れ替えるのだろう。

 いや、外見が入れ替わったというよりも精神が交換されたの方が正確なのかな。

 そのお陰か、今まで訓練で培ってきた戦闘における勘のような物で、慣れない体にも関わらずここまで逃げ果せる事が出来た。

 この点だけは唯一の幸運だったわ。

 そして現在、私に暴行を加えようとしたせいでアルダープ様が罪に問われ、見た目がアルダープ様である私が代わりに追い掛け回されていると。

 うん、大分スッキリしたわ。

 問題なのはこれからどうするかという事だけど……。

「おい、いたか?」

「いいや、見つからない。今度はあっちに行ってみよう!」

 と、一筋向こうの廊下から衛兵達が走ってきた。

 私は慌てて壁に張り付き息を潜める。

 彼らがこの場を去るのを待ち。

 足音が遠ざかったのを確認してホッと胸をなでおろした私は、再び動き出した。

 喫緊の課題は体を取り戻す事、これに尽きる。

 だが、その為にはきっともう一度私の身体の下まで行かなければならないだろう。

 でも、現状追われ身である私にその様な事が出来るだろうか?

 そもそも無事に辿り着けたとしても、アルダープ様の傍にはクレアとレインがいる。

 彼女達に事情を説明すれば、私の言う事を信じてくれるかな?

 …………無理ね。

 レインはすぐには攻撃してこないだろうけど、クレアは変な所で頑固ですもの。

 アルダープ様の姿をした私の言葉なんて何一つ信じてくれないだろう。

 それに何より、そこには私の姿をしたアルダープ様がいらっしゃるのだ。

 ここまでのことを仕出かしておいて、私が真実を述べるのを妨害しない訳が……。

 ………………。

 長い廊下の中腹にも関わらず、私はピタッと足を止めた。

 

 そもそもアルダープ様は、何を目的にこのような恐ろしい事を実行なさったの?

 

 私に成り済まして王族の権力を強奪しようというなら分かる。

 でも仮にそうだとしても、わざわざ私に襲い掛かる姿をクレアに見せ、自分が処刑される様な状況に陥れる必要性はないはずだ。

 私の存在が邪魔だから?

 それにしたってこんな際どい手段を選ぶ必要はない。

 身体を入れ替えた瞬間に、薬か何かで私を眠らせ王城を追放するだけでいいのだ。

 例え後日、私がクレア達に掛け合った所で、このような荒唐無稽な話など誰も信じてはくれないだろう。

 嘘を看破する魔道具などもあるにはあるけど、そんなもの私の姿で使う必要がないと言えばそれで済む話だ。

 それだけの権限が私にはある。

 わざわざ即刻打ち首にしなくても、時間さえかければそれだけで……。

 

 ……時間さえ…………かければ……?

 

 …………。

「…………もしかして」

「いたぞっ! こっちだ!」

 誰かの叫びと同時に、明るい光が私に向かって照らされた。

 いけない、ついつい夢中になって移動を忘れていたわ!

 少しだけ慣れて来た体を酷使して、私は再び逃走を開始する。

 身体が重い。

 足が遅い。

 ちょっと走っただけなのにすぐに息が切れてしまう。

 身体中から脂汗がダラダラ流れてくるのが気持ち悪い。

 それでも、ここで捕まる訳にはいかないのだ。

「「「待てっ、アルダープ!」」」

 後ろから衛兵達が追いかけて来る。

 そんな彼らを撒くように、廊下を右に左に曲がっていく。

 だが、それでもステータスの差はそう簡単に埋まるはずもなく。

「ぜえー……ぜえー……囲まれてる……わね!」

 騎士達の動きと気配から、段々と逃げ場を失っているのが分かる。

 だけど――

「よしっ、左に曲がった!」

「向こうの廊下からも兵が回ってる、やっと追い詰めたぞ!」

 角を曲がった私を追い、数秒遅れて曲がってきた騎士達は……。

「なっ⁉ いない?」

「そ、そんな馬鹿な!」

 私の姿が吃然と消えてしまい、大いに焦り出す。

 丁度その時に、バラバラと逆方向からも足音が聞こえてくる。

「よし挟み込んだぞ! 大領主アルダープ、神妙にお縄に……あれ? おい、アルダープは何処に行った?」

「いや、そっちに行ってないのか?」

「俺達は鉢合わせてないぞ。お前らがこっちに追い詰めたんじゃないのかよ?」

 どうもお互いの意見が食い違っている。

 その事に気が付いた騎士達は一点一点確認し、どちらも遭遇していないと判断した。

「……おい、てことはさ」

 ひとりの騎士が青ざめた表情で、

「アルダープは……消えちまったって事か?」

 騎士の言葉に答えられる者は、誰もいなかった。

 

 そんな騎士達の様子を壁越しに見届けた私は、そっとその場を離れる。

 私だってなにも無作為に逃げていた訳ではない。

 この廊下にはクレアやレインなどの一部の者しか存在を知らない、秘密の通路が隠されているのだ。

 王城内には緊急脱出用の通路が幾つも隠されており、この通路もその一つ。

 仮に疑われたとしても短時間で見つける事は出来ないだろう。

 その間に私は、急いで出口へと向かった。

 

「――ふー、なんとか外に出られましたね」

 酷く曲がりくねった通路を抜けた先は、人通りの少ない薄暗い路地だった。

 動いた距離からして、ここは城下町の辺りだろうか。

 前々から一人で街に繰り出したいとは思っていたが、まさかこのような形で叶ってしまうとは何とも皮肉な話だわ。

 キョロキョロと辺りを見回し、人通りの多そうな道へと向かう。

 外傷で痛む腕を抑えながら道に出ると一気に視界が開け、大通りを行き交う大勢の人々の姿が目に入った。

 その姿は私が想像していたよりもずっと楽しそうで。

 今あるこの瞬間を大切に生きようとする強い意志を街行く人達の顔から伺えて。

 私は思わず目を丸くして……。

 

 ふっと意識が遠くなっ――

 

「――んげんがそう簡単に消えるか‼ もっとよく探せ!」

「ないとは思いますが、念の為テレポートを使った痕跡がないかも確認してください」

 私の目の前には、額に青筋を立てたクレアと深刻そうな面持ちをしたレインがいた。

 どうやらここは見慣れた謁見の間の様だ。

 私は震えながらすっと目を横にやり、窓ガラスに写った自分の姿を確認して……。

「申し訳ございません、アイリス様! 現在、全兵力を持って捜索に当たっておりますので今しばらくお待ちくだ……アイリス様⁉」

「どうなさったのですか⁉ アルダープ殿になにか害をなされたのですか?」

 先程まで張り詰めていた緊張が一気に解けてしまい、その場にへなへなとへたり込んでしまった。

「クレア……レイン……、私の事……分かるんですね?」

 ビクビクしながら尋ねる私の問いに、二人は顔を見合わせてから。

「当たり前ではないですか! このクレアがアイリス様の姿を見間違えるなどある訳がありません!」

「私もですよ、アイリス様。私達はいつでもアイリス様のお傍にいます。決して離れませんので、どうぞご安心ください」

 そう言って私に笑いかけてくれる二人。

 それを見て、漸く実感する。

 

 ……元に……戻れたんだ。

 

「は、はは、あはははは」

「本当に大丈夫ですか、アイリス様⁉」

「クレア様、これは一応、お医者様に診断してもらった方がよろしいのでは?」

 眼に涙を貯めたまま身体を抱きしめ、乾いた笑いを上げる私を見て、益々慌てふためく二人。

 でも、今の私は二人に気を遣えるだけの余裕はなく。

 もう二度と手放さない様にとぎゅっと力を込め、この場に戻れた幸運をエリス様に深く感謝した。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

「ああ……、くそっ! くそっ! くそおっ!」

 寝室の地下にある隠し部屋。

 私はそこでイライラと、薄汚い一匹の悪魔に当たり散らしていた。

 切傷や筋肉痛で身体中が悲鳴を上がっている。

 だがそれを置いて尚、この憤りを抑える事など出来なかった。

「お前がっ! お前がもう少し使える悪魔だったなら! ワシがこんな目に合わずに済んだというのにっ! お前のつじつま合わせの強制力はそんなちっぽけな物なのかっ! 役立たず! 役立たず! この、役立たずがぁっ!」

「ヒュー……、ヒュー……、ヒュー……、ヒュー……」

 頭を抱えて蹲ったマクスを思い切り蹴り飛ばす。

 ああ……、ここの所なにもかもが上手くいかない。

 凡庸な冒険者達のせいで機動要塞の進行を阻止できず、私の屋敷も大部分が破壊されてしまった。

 バルターとララティーナの見合いも取り付けずじまい。

 そこに来て今回の一件だ。

 休養中の王子に王女の姿で接近し体を乗っ取る計画だったのに。

 それもこれも、この気色の悪い下級悪魔が無能なせいだ。

 元手が掛からないと言うだけで使い続けていたのだが……そろそろ切り捨てるべきか?

 だが、今回の件を揉み消すには、まだコイツの力が必要だろう。

 時間内にこの体を確実に壊すため、敢えて王女に乱暴を働いたのだが、まさかあんな世間知らずの王女が私の体で逃げ切るとは思ってもみなかった。

 幸いにも体が元に戻った時には城下町にいたので、検問が張られる前に屋敷へ戻って来られたが、明朝にも王都から検察が派遣されてくるだろう。

「マクス! 最後の命令だ! 王城での一連の出来事に関与した全ての者達の記憶を今夜中に、全て都合の良い様に捻じ曲げ、つじつまを合わせろ! そうしたら、貴様に今までの代価を払ってやる!」

 その言葉にマクスが反応した。

「代価? 代価を払ってもらえる?」

「ああ、本当だ、本当だとも。お前はバカだから、ワシが何度も代価を払っている事を忘れているだけだ。今度もちゃんと払ってやる。さあ、いますぐつじつまを合わせるんだ。そうしたら契約を解除し、お前を自由にしてやる」

 マトモな記憶力がなく何度も騙されるこの悪魔に、諭す様に優しく告げる。

「ヒューヒューッ! 任せてよアルダープ! きみの願い、僕が今すぐ叶えてあげるよ! そこで見ててね!」

 言うが早いか、マクスの体から邪悪な魔力が立ち昇った。

 いつ見てもこの光景には怖気が走る。

 本当にコイツは何なのだ。

 視覚化された魔力がうねる様にマクスを取り巻き、暫く経つとはたとそれが霧散した。

「ヒューヒュー! 終わったよ、全部終わったよアルダープ! きみの願い通り、今夜きみがやったことは見知らぬ強盗のせいにしといたんだ! だから早く報酬をおくれよ!」

「そうかそうか、よくやったなマクス。褒めてやろう」

 マクスの言葉に、ひとまず私は胸を撫でおろす。

「だがな、お前が忘れているだけで、ワシはもうお前に代価を……」

 いつも通りに、私が代価を踏み倒そうとしたその時。

 

「それは困るな、偏愛を拗らせた強欲な男よ」

 

 誰も存在を知らない地下室のドアが開け放たれ、マクスと同じタキシードを着た、仮面を被った男が入って来た。

「⁉ な、なんだ貴様は。なんなんだ貴様はっ! このゾクゾクする感じ。マクスと同じ感じだ! 悪魔だな! 貴様は悪魔だ!」

 指を突き付ける私の事など、目の前の悪魔と思しき者は気にも止めず、

「いやいやまったく、貴様とマクスウェルの間に交わされた契約を破棄する為とは言え。神器の手配やら首無し中年の戦意を損なわせてのバランス調整やら、大層回りくどい事をしてしまった」

 サラッととんでもない事を言いニタリと笑ったその仮面の悪魔は、後ろ手に地下室のドアをバタンッと閉めた。




来週は幕間を挟みます
アクア視点で魔王軍の動きなんかを書けたらいいな
今週が◆以降の分だけ長いので、次回は短めで
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