比喩なんてものじゃない、そのままのことが起きた。
「…………は?」
頬に伝わる少女の血液、生暖かい何かが。
これは、何?なんだっけ?すごく、────。
理解をする前に全てが終わった。何もかもが、潰れていた。
街も、花も、人も、全てが降りてきた敵によって。
「聞いていた情報と少し違うが、まあいいだろう」
淡々と語り、こちらに近寄ってくる足音が聞こえる。
ゆっくりと振り返り、それを見た。
王侯の服に逞しい四肢、老人の姿をしているのに神々しいまでの佇まい。
神々しい。神。カミ。かみ────。
カチッ、と怒りの感情が装填される。借り物であろう感情が。
「んだ、テメェ」
ようやく理解した、
本能が、感情が、その全てが、怒りによって動かされるのを全身で感じる。
「野蛮だな、しかしそれは
老人、否。その神格は続ける。意味不明な言葉を並べながら何も感じさせない表情で。
「では宣言しよう、ここで
カツ、とこちらに一歩踏み寄る。
それは明確な殺意を感じさせた。比喩でもなんでもない。
本気の殺し合い。それが始まる合図。
戦いの火蓋は切られた、さあ抗えよと。
「いくぜゴラァ!」
「上等だ」
「気合十分!ですわ!」
「なるほど、これまた愉快な感情だ」
ドライバーを掲げ、腰に装着。
お決まりのポーズを決め、例の言葉を叫ぶ。
「変──」
二歩目で神格は消えた。否、ニャル太郎の目の前に
「その能力は、いささか面倒だ」
三日月を模した槍を腹部に向かって突き刺そうとする。
もう間に合わない、死ぬ、また失うのか──と。
ギシャッッ、と肉が貫かれる音が響いた。
「……ゲホッ……」
刺されるってこんな感覚なのか、そらぁ誰だって死ぬか。
激痛、これは初めての感覚。脳が、全意識が生を拒むような感覚が襲う。
「……まずッ……」
だが手放すな。この機を逃すな。
脇腹に刺さった槍を掴み、右手を放つ。
「名を……名乗れ……クソッタレッッッ!!!」
放たれた右手はその顔面を殴打、することはない。
槍を引き抜き、後方に七メートルほど距離を開けた。
抜かれた衝撃の痛みが全身を走りそのまま倒れる。
──痛い。血が、溢れて、やばい、意識が、痛い、死ぬ。しぬ。
「ふっざけんなこのクソ馬鹿野郎!!!」
すぐさまニャル太郎に支えられ、なんとか意識は保った。
「
こちらにその言葉の意図を読ませないためなのか、意味不明な言葉を並べながら、ただ語る。
「うっせえ日本語でちゃんと話せよ、その頭の中にある脳みそはただのピンクの肉塊ちゃんか?」
ニャル太郎が言いたいことをそのまま言ってくれた。
だがその言葉に眉ひとつ動かさないその神格に、一瞬その場にいた全員が畏怖の感情を抱く。そして再び怒りで染め上げれた。
「そうとも、それは正しい道だ。いいだろう」
手を広げ、高らかにこう告げる。
「我が名は月神ナンナ。シュメールの『暦』の神として貴様ら異人を脅威と見なし、ここまで足を運んだまで」
「……は……?」
(シュメールってつったら、最古の王ギルガメッシュじゃん!?いやまずそんなもんが存在する世界ってなんだよ馬鹿か!?)
けどここは異世界だ、神が実在する世界。
理由は今はいらない。必要なのは
「さて、では」
槍を振り上げた。来る、攻撃が。
躱せと全身を動かそうとする。
意識が揺らぐ、まずい、耐えろ。ここで倒れるなんて絶対に許さない。
骨を、肉を、神経を、感情のままに、本能のままに動かせ。
「さらばだ、異人」
振り下ろす。動きはゆっくり、なのに何かが起きる。肌で、脳で、直感した。
──死んだ、今回ばかりは流石にそう思う。
「せいッ、やああああああ!!!!」
何かと何かがぶつかったように、瓦礫が石ころに成り代わるほどの衝撃が走る。
「危ないとことでしたわ!」
〈 よく爆発するものを斬ろうとしたな君は! 〉
「斬っちゃえば問題ないのですわ!ここは任せて!東雲さんの手当を!」
「すまんシノタロス、ライウェー」
「……」
頷く、今は二人を信じる。
背中を預け、一歩ずつ進んでいく。
意識を落とさないように、今は進む。
戦いの音は遠のき、血の匂いが漂う崩れ落ちた街の街道を引きずられながら歩く。
「しっかりしろ!てめぇがこんなところで死んだら意味ねぇんだよ!」
「……わぁ……てるよ……」
人の営みがあったであろう姿は、もうそこにはない。
ただの瓦礫が鮮血を纏ってそこらに散らばる。人だったものが転がり、潰され、死んでいるその姿を横目に通り過ぎていく。
──無力。
何もできなかった、少女を守り抜くことさえも、一撃食らわすことも。
神の前では人間なんてただのゴミ屑にすぎない。自分もその一つなのだと改めて認識させれた。
「……ハァ……」
空を見上げる。腹が立つくらい青く、綺麗だ。
悔しい。抗えないまま、守り切れないまま、また失う。
少女の願いなんてものは神には届かない、
人の思いも、命も、平気で潰されるこの世界が憎い。
何より、己の弱さが憎くて堪らなかった。
「ここなら……ッ」
物陰に東雲を降ろし、手当てを始めた。
脇腹から漏れ出す血液を抑える。しかし止まることなく徐々に生命が消えていくのを感じていく。
あたりを見渡すも、瓦礫。肉塊。残骸。どこにもこの傷を治すものは落ちていない。
ただゆっくりと、死が押し寄せてくるを感じる。
「つーか」
ニャル太郎は呟く。
ぎゅうっ、と東雲の服を掴むがその手は震えていた。
失血のせいで感覚が遠のいていたが、なぜがその震えだけはよく感じる。
「なんでオレを庇った!自分のことはどうでもいいくせになんでッ、なんでオレを庇ったんだよ!」
ニャル太郎が吐き捨てる。
その声はいつもの乱暴ゴリラだが、自分より他人を想える優しさが感じられた。
こんな時でもお説教とは、相変わらずうるさいやつ。
──そんなの、手が届いたからに決まってる。
その命が散らす前に、救える範囲にいるのが悪い。
あの子もそうだったのに、助けてあげられなかった。
ならせめて届くやつだけでも、と口を開こうとする。
「……カハッ……!」
大量の血が空気と共に溢れ出す。
口の中が鉄の味でいっぱいになり、再び吐く。
気管に血液が入り咽せ込み、腹部に激痛が走る。
「!、待ってろ今塞ぐ!」
お気に入りのパーカーは鉄分の匂いで埋め尽くされた。
それでも止まることなく流れ出す。徐々に意識が遠のく。
あぁようやく寝れるわ、そう呟く直前。
「どっかにあのゲロマズい薬は……いやこの範囲だと店ごと潰れてるか……クソッ……おいぜってぇ死ぬんじゃねえぞ!」
尽きる命を、必死に救う姿が目の前にいる。
まだ抗う
「あぁクッソ!頼むから止まれッ!今てめぇが死んだらあの子のお願いはどうなるんだ!?お姉ちゃんに花束を送るお願いが叶うことなく終わっちまうんだぞ!それでもいいのか!なぁ!」
──それは、そんなの嫌だ。
ここで死んだら一体誰が少女の願いを叶えるのか。
勇気を振り絞り、自分達を信頼してくれた少女をここで裏切るのか。
そんなの嫌に決まってる。
「……っ……!」
正直その話を持ってくるのはずるいと思うけど、今はいい。
まさかここで最終手段、とっておきの策を使う羽目になるなんて。
「……ニャル……たろ……う……」
「うっせえ喋んな気が散る!」
抑える手を握る。より一層震えが伝わってくる。
今にも尽きそうな命が、自分の分身の本体が死ぬ。
それは助けたいという感情なのかはたまた死にたくないという本能か、約束を守れという責任の押し付けなのか。
どちらにせよ、まだ死ぬのは先だろうな。
「……頼みが……あ……るん……だわ……ッ!」
絞り出した声で“反撃の狼煙を今あげろ“とそう告げる。
「うりゃあああああ!!!」
ハルバードを振り下ろす。無論その攻撃はあたりことなく虚空を切り裂く。
「つまらんな」
背後からその声が聞こえると同時に、シノタロスは吹き飛ばされた。
わずかながらに形が残っていた家の残骸に衝突。崩れ落ちた瓦礫の山に埋め尽くされる。
「強すぎますわ!畜生ですわもう!」
〈 これが神格か、面白い 〉
瓦礫の中から渋い声がしたと同時に、シノタロスが身体を起こす。変身していなかったらどうなっていたことか。
「何はともあれぶった斬るまでですわ!」
「ほう?それは面白い、が」
音の何もかも置き去りにして、それが目の前に立つ。
歩いた様子はおろか、走った様子でさえ感知できなかった。
「えっ」
〈 来るぞッ! 〉
瞬間、衝撃が全てを飲み込む。理解は
瓦礫と共に押し流され、再び埋まる。
起き上がることさえ拒絶したくなるような痛みが全身を襲う。
〈 第二波が来るぞッ!避けろッ! 〉
「無茶を、言いなさりますことっ!」
素早く起き上がり、ザッッッ、と地面を蹴り上げ空を舞う。
その下で凄まじいほどの音が響き、瓦礫が飛び散る。
躱した、そう確信した瞬間。
「浅はかな」
ゴッッッッ!!!!、と音が弾け、同時に空気が爆ぜた。
その爆破によって後方六メートルほど吹き飛ぶ。
「ぅあ、っ!」
土埃が舞い散る。
それを払うかのようにそれがシノタロスの腹部に足を下ろした。
軽く乗っているのにも関わらず、凄まじいまでの重圧。
『神圧』ではないの別の圧が全身にのし掛かる。
「ぅあ、ぐぅっっ!」
軋む。骨が、肉が、全身が、潰されそうなほどに。
〈 こちらの動きを予測しているかのような爆破、そしてこの 〉
「予測?馬鹿げたことを言うな。これは
ライウェーの言葉を遮るように、言葉を発する。
機械のように告げるそれは無表情でこちらを見下ろし、ぎっ、と踏む力を強めた。
「何一つ私に届くことはない、諦めろ、平伏しろ、しかし貴様らは死ぬ、それは──」
「うる、せえですわよッッッ!」
〈 ラ イ フ ル 〉
重圧を振り切るかのようにその銃口を向ける。
ライフルの形を模しているが、この至近距離であれば威力はショットガンに匹敵、いやそれ以上。
標準は心臓、外すことはない。
「お返し、ですわッッッッ!」
ドォォオオンッッッ!!!、と轟音が響き、その神格の身体を──貫くことはなかった。
発射された弾丸は、神格の前で
「愚かな、しかしこれも定め。受け入れよ」
右手を上げたと同時に、弾丸が
その瞬間。轟音と土埃、衝撃が全てを書き換える。
静寂な時間は一瞬なのに、ひどく長い時間のように感じた。
「──やはり私の未来に狂いはない、か」
ナンナの目線の先にシノタロスもライウェーはいない。
土埃が晴れる。
真っ白な
「ニャル太郎さん!」
〈 全く、遅いにも程があるな 〉
「悪りぃ、ちょいとばかしな」
シノタロスを降ろし、振り返る。
月神ナンナ。この距離からでも伝わる、その威圧。
シュメールの神話の神、メソポタミア神話に大きく影響を与えた神話。
押しつぶされそうになるその神格。だが怯むことも引くことも許されない。
「……東雲さんは?」
異変に気づいた。先ほどから姿が見えないのだ。
必ず隣にいる、いつものあの人が。
「東雲さんは、どこ、ですの?」
声が震える、嫌な予感が過ぎる。
ニャル太郎は何も言わない。ただ目の前の敵を目視するのみ。
〈 まさか、それは 〉
「あり得る、未来だ」
ナンナが笑う。
だがそれは勝利を確信した笑いではない。わずかながらに不安が垣間見えるその表情をニャル太郎は見逃さなかった。
「あいつが?死ぬ?はっ、
その一言でナンナの顔が歪み、再び無表情で語る。
「なぜ、そう言い切れる。私の見る未来は確定している、それは揺るぎない事実である」
「バーカ、未来なんていくらでも作れる、てめぇが見てるもんが全てだと?笑わせてくれるぜ」
「貴様の能力は予知であって
「だーからそれがなんだ!一々くどいんだよ!脳みそ腐ってんのか」
その言葉を合図に構えを取る。それに合わせてシノタロスとライウェーも戦闘態勢に入った。
「第一、あいつは首掻っ切っても死なないんだぜ?」
ザッッッッ!!!、と地面を蹴り上げる。
風の如く駆け抜け真っ先にナンナに接近。間合いに入ってもナンナは動かない。
拳を作り、放つ。
人型であるならば狙うは
「!」
放ったはずの拳は届くことはない。
空気の壁のような何かに押されている感覚だけはわかる。だが理屈がわからない。
「貴様の拳は、届くことはない、絶対に」
トンッッッ、とニャル太郎の拳に触れた直後。
数十メートル吹き飛ぶ、瓦礫と死体を巻き込み、さらに街を破壊していく。
〈 ハ ル バ ー ド 〉
「はぁぁあああ!!!」
追撃の手を休めるなと己に聞かせるようにシノタロスがライウェーを振り下ろす。
重く鋭い斬撃は、例の空気の壁によって受け止められた。
「通り、やがれですわよ!」
〈 なんだ、この 〉
「理解させる時間を与えると思うか?」
刃先を指で弾く。
その瞬間風を打ち砕くように吹き飛ばされる。
瓦礫は衝突と共に飛び散り、ニャル太郎の隣に着弾。
「……ァア?」
おかしい。吹き飛ばされる直前、拳の先に
そもそもこいつは月神と自身で名乗っていたはずだ、爆破に衝撃波、おまけに灼ける空気の壁。
何かが引っかかる、『暦』の神にもう一つの力。
「……クッソ、あの馬鹿案件か」
「ほえ?」
「起きろシノタロス、いくぞ」
「えぇと、よくわかりませんが戦えばいいのですね!」
〈 説明不足にも程がないだろうか? 〉
「うっせ、今はこれでいいんだよ」
勝機はまだある、確実に。未来は掴める、この手で。
「まだ諦めないとは呆れるものだ」
「お生憎様、負けず嫌いなんだよオレ達」
シノタロスを起こしナンナを睨む。
見るたびに憎悪に近しい怒りを感じる。植え付けれられた感情を抑え、冷静に着実に、それを
役目を果たせ、そう己に言い聞かせる。
「では、そろそろ止めと行こうか」
ナンナが槍の石突で地面を叩いた直後、地響きが鳴り響く。
この地響きは、
「走れッッッ!!!」
ドガガガガガガッッッッッ!!!!、と無数の
「ざっけんじゃねえぞ!!!ありゃ完全にあん時のアバズレと同じ能力じゃねえか!!!」
「どうしてアレが大地を操っているのですか!?もう無茶苦茶ですわ!!!」
〈 ではどうする?逃げるか? 〉
「んなこと!」
「するわけないですわ!」
その言葉と同時に踵を返すように、土柱に突っ込んでいく。
「シノタロス!ライウェー!」
「わかっていますとも!」
〈パックーン!メイスフォーム!〉
左手に
高く舞い、その二つを頭上の上に振り落とす。
「ウオォッオラアアアア!!!!」
結果は変わらない。それはわかっていた。
「愚か、そして哀れよな」
ドッッッッッ!!!と空気が破裂。
もう何度目かもわからないほど吹き飛ばされ、ついに変身が解ける。
「は────アァ……」
肺の空気を全て吐き出すほどに、全力で駆けていた。
今出せる力を振り絞り、叩き込んだ。
「終わりだ、もう諦めよ」
グチュ、という何かを踏み潰し、土埃の中からナンナが現れる。
「未来は、ここで終わりだ。貴様らの長き旅路が終わるのだ、光栄に思えよ」
「……なあ」
ニャル太郎が顔をあげる、笑顔で。
蹂躙されたものが諦めて魅せる笑顔ではない、まだ希望を残している笑顔を見せつける。
「てめぇは今、
その真意をナンナは読み取ることができなかった。
──何を、踏んだ?
即座に目線を下げる。その先にはただの肉塊と紅く染め上げられた花だった物があるのみ。
「……ただの肉塊では──」
轟ッッッ!!!と音ともに何かが突撃してくる。
真っ黒な何かが、怒りの権化と呼ぶにふさわしいものが、その命を絶つためにナンナに襲いかかった。
だが、それは防がれる。
「──この私が、貴様が来ることを知らないとでも思うたか?」
「……じゃあこの未来も知ってるよな」
不穏な台詞を吐き捨てた瞬間、レバーを倒した。
ボウッッッッ!!!と共に空気が弾くと同時に拳がナンナの顔面に
そのまま十メートル程前方に殴り飛ばす。
瓦礫を打ち砕きながら、ナンナは土埃の中へと姿を消した。
真っ黒な
「……はあ、遅えぞ」
ニャル太郎は呆れた声で言葉をかける。
「無茶言わないでくれる?これでも結構死にそうなんだぜ、ボク」
そんな風には聞こえないように、東雲は言葉を返した。