[24日まで一時休止]うたわれるもの 真白の願い 作:ハラダ
帝都のとある一室。
そこはこの國の全ての頂点に座する存在の、ただ一人の娘の部屋。
「お手が止まっております、姫殿下」
銀に寄せた水色の瞳を険しくさせながら、机に向かう少女にいつもよりも一段低い声音で注意する。
しかし少女の反応はない。やがてそれを不自然に思ったのか、注意した女が少女に近寄った。
「……姫殿下? アンジュ姫殿下」
優しく肩を揺らしてみるが、それでもアンジュと呼ばれた少女は固まったまま、吐息を何度か途切れさせている。
「姫殿下!」
声を荒らげてアンジュを呼ぶと、そこでやっと気づいたかのように顔をゆっくりとあげた。
「っ……いかがなされた」
女はアンジュの顔を見て驚愕した。
いつも向日葵のような笑顔を浮かべ、勉強をサボり菓子ばかりを食べていたアンジュ。
しかし……今のアンジュは顔を真っ青にし、瞳からは涙を流して小刻みに震えている。
その様子はまるで、何かに怯えているようで……
「ムネ……チカ……」
すると、声を震わせながらアンジュがムネチカの袖を掴んだ。
ムネチカはこの國の八柱将の一人であり、ホノカの代理としてよくアンジュの教育係を任されている武人。
いつもはそんな彼女を怖がり、生意気な態度を取っていたアンジュが、縋るような行動をしたことにムネチカは更に絶句した。
しかし目の前のアンジュをこのままにはしておけない。
ムネチカは一度深呼吸をして心を落ち着けると、アンジュの震えた手に自分の手を重ね、優しく問いかけた。
「アンジュ姫殿下。小生でよろしければ、お話を聞かせていただけませぬか」
するとアンジュは、ムネチカにぎゅっと抱きつく。
そして嗚咽を漏らしながら、ぽつりと語り始めた。
「……い、今……知らぬ男の顔が……突然頭に浮かんだのじゃ……」
知らぬ男……という言葉に、ムネチカの表情は険しくなる。
「その男は……余の前で崩れていくのじゃ。ぼ、ボロボロと粉が身体から落ち、こちらに笑みを浮かべながら……」
「粉……でありましょうか?」
「う……うむ……そして……余はその男に……泣きながら…………行くな……と告げ……るのじゃ」
「ッ……!」
まさか。
「それは……オシュトル殿はありませぬか?」
その問いに、アンジュはすぐに首を横に振った。
今、アンジュは行くなとその男に告げたと言った。そしてその相手は知らない男。
アンジュにとってそう言えるのは、帝とオシュトルだけだろう。
帝はお父君であり、オシュトルへは強い恋慕を抱いている。
しかし帝はありえない。知らぬ男などと言うはずもないのだ。
オシュトルも一応はありえない……が、アンジュの前では常に仮面を着けているため、顔を知らない可能性もある。
だが、もしオシュトルでもなければ……
ムネチカが思考に陥っていると、アンジュの震えが強くなった。
「ッ……オシュトルの格好をしておるのに、その顔は……顔はまるで……なぜじゃ……なぜ、其方が……!」
段々と声音が大きくなり始め、背中を掴む手の力も強くなっていく。
ムネチカはアンジュを抱きしめてその背中を撫で落ち着かせようとするが……
「嫌じゃ……!余から……余の前から……消えるのではない……!!」
「姫殿下、落ち着きなされ」
「ダメじゃ……その力を使っては……!ダメ、ダメなのじゃ!!オシュ……ハク……!ハク!!!」
「姫殿下……!」
アンジュの声音は更に大きくなり、まるで悲鳴のような叫びが部屋中に響き渡る。
扉の前を警護していた兵が飛び込み、ムネチカに抱かれながら泣き叫ぶアンジュを見て絶句した。
彼もまた、姫殿下の日常を知っている一人。
まるで別人かと思うほど、今のアンジュは変わり果てているのだ、
「ホノカ様と薬師を至急お呼びせよッ!」
「ッ……ハッ!」
ムネチカがその警邏に命令し、アンジュを強く抱き締める。
しかしアンジュは過呼吸になりながら、ただ一人の男の名を叫び続ける。
「ハク!ハク!行くな、ハク!余の隣にいてくれ……ハ……」
その瞬間。
ピタリとアンジュの悲鳴は止み、脱力してムネチカに寄りかかった。
「姫殿下……?」
声をかけても反応はない。
まさか……と悪い予感が過り、ムネチカはアンジュの身体を抱き起こして激しく揺らす。
「ッ……!アンジュ姫殿下!姫殿下ッ!」
「ムネチカ様ッ!」
その瞬間、警邏が呼んできたのだろう。
薬師が部屋に飛び込み、真っ青な顔をしてムネチカの名を叫ぶ。
ムネチカはすぐにアンジュを横たわらせ、簡易的に薬師に状況を伝える。
そして薬師がアンジュの身体を調べ……
「なっ……!」
と、声を上げた。
その様子に、ムネチカの顔は真っ青になっていく。
「ま、まさか……そのような……」
薬師はため息を吐いて、ムネチカに視線を向けた。
「……寝ています」
「は?」
「……それはもう……グッスリと」
ムネチカは唖然としながら、アンジュに視線を向ける。
涙の跡は残っているが、先程とは違い血色も戻り、安らかな表情をしていた。
そしてそのすぐ後、ホノカも様子を見に来たが、術の類も無いと言ってアンジュを撫でると、すぐに出ていってしまった。
「……な、なるほど」
ムネチカの安堵と混乱が混ざったような声が、室内に小さく響いた。
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ココハ……ドコダ……。
自分の身体が浮くような感覚、耳元からはボコボコと水の泡が弾ける音。
アァ……アタタカイ。
まるで、どこか夢の中にいるようだ。
眠りに入る直前の、あの心地よい感覚。
『クオン』と出会う前の、あの感覚。
……クオン。
「クオンッ!」
目を覚まし、彼女の名を叫ぶ。
愛しい彼女の名を、腹の底から。
しかし、すぐに二の句は出なくなった。
何かの透明な壁越しに見えた、車椅子の老人を目にして。
「おぉ……起きたのか」
「ッ……まさか……まさか……!」
やっと。やっとだ。
「泣いておるのか……お前にしては、珍しいのぉ」
そりゃ、やっと会えたんだ。泣くのも仕方ないだろう。
「ふふ……余も、この刻をどれだけ待ち望んだか。どれだけ、お前を探し……見つけられない余の不甲斐なさを恨んだことか」
ああ、自分もさ。
「……兄貴」
「っ……おお、やっと会えたな……ヒロシよ」
やっと、この世界でも再会することが出来た。
血の繋がった、唯一の家族に。
「…………いや、誰だよヒロシって」
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時刻は暫く戻り、旅籠屋にて。
自己に起きた謎の感情に胸を騒がせる少女が、気を紛らわすように手を動かしていた。
「…………」
彼女は先程、不思議な体験をした。
行動を共にしていた男……ハクの力を知るために、オシュトルに頼んで戦ってもらった時。
最初はハクも動揺していた。友に殴られ、蹴られて、それでもハクは戦いたくないと首を振っていた。
そんなハクを見て、心が痛くて痛くて……
それでも、耐え続けた。
暴走する可能性のある、捌ききれない力。
それは彼女も例外ではない。その身に禁忌の存在……しかし大神と呼ばれる存在を宿していた彼女にもだ。
だからこそ、耐え続けたのだ。
これが終われば直ぐに治療して、彼の好きなものを沢山食べさせてあげよう。
痛みが響くのなら、そばに居続け慰めよう。
……友の意思ではないことも、ちゃんと伝えよう。
そして、ついに。
ハクの雰囲気が……気配がまた、あの時のように酷く変化した。
それでも見守った。
オシュトルならば、きっとハクを止めてくれるだろうと信じて。
しかし、そこからの記憶が無いのだ。
まるで眠っていたかのように、突然プツリと途切れてしまう。
次に思い出せるのは、目の前にオシュトルとその隣に眠るネコネ。
そして、心に突然現れた……謎の感情。
「……ハク」
ぽつりと、その名を呟いた。
胸のざわめきが大きくなり、謎の感情が更に込み上げてくる。
あの時、彼女は泣いていた。
泣いたのは久しぶりなのだろう。彼女にとって、これまで泣くことなどあまり無かったのだ。
けれど、なぜ泣いていたのかが分からない。
傷つくハクを見て、酷く心が痛んだから?
それとも、自分への罪悪感に?
どれも違う。
「……チクチクする、かな」
違和感のある胸に、作業をやめてそっと手を当てる。
「……ハク」
彼女が発した名は、夕陽の射し込む部屋に溶けていく。
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あれから少しして、自分の状況を理解した。
オシュトルに呼ばれ屋敷へ赴くと……自分の正体について問われた。
自分には自分すら知らない謎の力があり、先日のユゥリ護衛任務で相対した人攫いの連中を殲滅したと。
きっと、オシュトルは知りたかったのだろう。
ヤマトを、そして民を護るのが右近衛大将の勤め。危険な存在である者をヤマトに、ましてや自分の隠密になど置いておく訳にはいかない。
だからこそ……自分に戦わせようとした。
しかし自分にはそんな力があったことも、力の引き出し方も分からない。
過去にオシュトルとして鍛錬した力も、大神として行使できた力も消え去ったのだ。
……そう、思っていたんだがな。
以前とは違う、はっきりと記憶が残っている。
オシュトルに帝都から追放すると言われ、更にはクオンまで巻き込むと知った時に聞こえたあの声。
『……マタ、孤独ニナルノカ。』
まるで根源の扉を解放した時のような、異形の存在を思わせる声。
『ナゼ、自分バカリ』
しかしその声は、自分の心にしまい込んだ心を語り始めた。
『嫌ダ、離レタクナイ』
親友と、仲間と、家族と……そして愛した女と。
苦しむ暇さえなかった。ただ自分は、やり遂げると決めた使命のために、他を捨ててひたすらに進み続けた。
兄貴の願望であった同胞の解放、そのために。
たまに、苦しむヒト達を力を使って救うこともあった。
その間に……仲間達は一人、また一人と。
ある者は殺され、ある者は病で、ある者は寿命で。
『クオン……すまん……すまん……!!』
そして……自分の愛した女は、子を産みその後すぐに死んだ。
「ッ……!」
……嫌なことを思い出した。
クソッ。もうあんな未来にはしたくないと覚悟は決めたじゃないか……なのに、自分は……。
……マタ、孤独ニナルノカ。
ああ、またか。
お前のせいで……自分は……あいつに……オシュトルに……!!
「駄目」
「主様、内なる呼び声に耳を傾けてはなりません」
ふと、強く握りしめた手に二つの暖かさを感じた。
視線をそちらに向けると、黒い外套……ウルゥルとサラァナが、自分の手に片方ずつ手を重ねていた。
「……ウルゥル……サラァナ」
「「……」」
二人は返事をせず、小さく頷いた。
「……すまない。いつも自分は……お前達に助けて貰ってばかりだな」
「「!」」
「……ありがとう」
「「…………」」
……あ、あれ。
なんか二人が急に身体を擦り付けてきたぞ。
それもこいつら……耳元で……息を……!
「ホッホッ、楽しそうで何よりだ」
「あ」
そう言えば、忘れていた。
自分はオシュトルとの戦いの後、力に飲み込まれた。
しかし気がつけば、過去に兄貴の入っていた……治療カプセルで、兄貴は傷ついた自分を治療してくれたようだ。
そのおかげで、特に身体には痛みもなく、こうして再会した兄貴と、いつもの庭園で茶を啜っている。
「すまん兄貴、自分は……」
「よい。お前も色々とあったのだろう?」
「っ……ああ」
そうなんだよ、兄貴。
「しかし、こうして会えたのが『儂』にとってはこれほどない幸福じゃ。お主をずっと、探しておったからのぅ」
「……自分も兄貴に会いたかったさ。だが、誰かさんが帝とかいうお偉い身分になっていたせいで、簡単には会いに行けなかったがな?」
「ホッホッホ……そうじゃな」
目の前の兄貴は自分の軽い揶揄にも楽しそうに笑いながら、ホノカさんの入れた茶を啜る。
そういえば、ホノカさんに茶のお礼を言ってなかったな
「……ホノカさんもお元気そうで何よりです。それに、このお茶もありがとうございます」
「ええ、私もあなた様をお待ちしておりました……『我が君』と共に」
ホノカさんはそう言って、少し視線を落とした。
「全部、知っていますよ」
「……え?」
ホノカさんの珍しく驚いた表情を一瞥し、兄貴へと向き直る。
「……兄貴、話がある」
そして、自分がこれまでで一番言いたかった事を、兄貴に伝えるために……その口を開いた。