[24日まで一時休止]うたわれるもの 真白の願い 作:ハラダ
ハクがオシュトルと共に宮廷で帝から褒美を賜っていた頃。
「はぁ……」
一方では、白楼閣の庭にある縁側のような場所で、ネコネはポツンとそこに座り溜息を吐いていた。
「……分からないのです」
その表情は憂いを帯びており、足元に生えた雑草に視線を向け俯いている。
今日はオシュトルが屋敷におらず、またネコネ自身も休みを貰っており、せっかくならクオンやルルティエと共に過ごそうと思っていた。
しかし……最近、彼女は自身がどこかおかしいと感じていて、それが今朝……爆発した。
「なぜ……ハクさんのことを……」
……勘違いしたのだろう。
いつもネコネは、怖い夢を見たり不安になるとよくオシュトルの布団に潜り込んでいた。
けれど……目が覚めたらそこはハクの寝ている布団だった。
そして……オシュトルではなくハクを『兄さま』と呼んだ。
その事実に胸騒ぎがする。しかし何故自分がそう呼んだのかが全く分からないのだ。
兄さまは……兄さまだけ。
何度も何度もそう確認した。
これまでずっと共に過ごしてきて、それは当たり前の事実。
ネコネにとって……兄はただ一人、オシュトルだけ。
「……兄、さま」
そう呼ぶと、必ずオシュトルの顔が浮かぶ。
しかしそれと同時に……何故かハクの顔まで浮かんでしまう。
「違うのです……兄さまは……兄さまは……!」
いつからこうなったのか。
それは、オシュトルがハクへと戦いを申し込んだ日からだ。
ハクが振るう謎の力、見ているだけで身体が恐怖し、腰が簡単に抜けてしまうその力を確認するために。
オシュトルの戦いは一方的だった。戦いたくないと言い続けるハクを殴り、蹴り飛ばし、ねじ伏せていた。
そんなオシュトルとハクを見たくなくて、ネコネは何度も止めに入ろうとしたが……苦しそうな表情を浮かべるクオンにそれは止められた。
そしてオシュトルが倒れるハクに背を向けて歩き出した時……ついにその力が姿を表す。
怖かった、悍ましかった。
身体中が震え、声が出なくなり、腰が抜けへたり込んだ。
そこにいるのはあのハクだ。けれど違う。
ネコネにとってのハクは、いつも嫌味なことを言って、自身を揶揄ってくるのに、たまに優しくて、時に心強い仲間。
なのに今のハクは、夥しいほどの殺意を体に纏って、その眼光は黄金色に妖しく光っていて……まるで別人だった。
『あ……兄さま……』
空に向けて恐ろしい叫びを上げるハク。
その足元には、地面にめり込んで動かなくなったオシュトル。
『っ……!』
ネコネはすぐに、オシュトルの元へと飛び出そうとした。
しかし……
『……姉さま?』
ドサリと、何かが後ろで倒れるような音。
振り返ればそこには、へたり込み涙を流しながら呆然としているクオンがいた。
ネコネはすぐに駆け寄り、クオンに声をかけるも……反応はなく、その瞳には光がない。
『姉さま……姉さま……!』
肩を揺らしても、ピクリともしないクオンに、ネコネの不安と焦燥はさらに膨らんだ。
『う、ぐぅぅぅ!!』
そして、オシュトルの悲鳴。
心臓が激しく音を立て、ネコネの呼吸は更に早く、そして浅くなっていく。
気がつけば、身体が動いていた。
止められる確信などない。何が起きているのかすら分からない。
それでも、オシュトルを助けるためにネコネは駆け出した。
『兄さまっ!!』
『来るなネコネッ!』
『え……』
オシュトルが叫ぶようにそう言った時、既に遅かった。
突然。何の音もなく目の前にハクが現れ、黄金色に妖しく輝いた瞳がネコネへと向けられている。
『あ……ハク、さん……』
全身に纏う殺気。
その恐怖によってネコネの腰は抜け、尻餅を着いて後ずさる。
ここでわたしは死ぬかもしれない。まだ死にたくないのに。
そんな考えばかりが頭に浮かび、身体中がガタガタと震えた。
……しかし。
ハクは、何故か泣いていた。
「……あれは、何だったのですか」
痛ましい表情を浮かべるネコネには、そこからの記憶がない。
次に目が覚めた時、彼女はオシュトルの屋敷の一室にいた。
怪我もなく、痛い場所もない……ただ、胸の中にはグルグルと何かの感情が渦巻き、顔を触ると涙の痕があった。
すぐにオシュトルとハクの一件を思い出し、部屋から飛び出したが……目の前に拡がった修練場には、先程までの激しい戦いの跡が一切無い。
しかしそれでも、オシュトルは怪我をしたかもしれないとすぐに辺りを探した。
けれど……
『起きたか、ネコネ』
やっと見つけたオシュトルの身には傷一つなく、あるとすれば少々の土汚れが着物に付いていただけだった。
『兄さま……無事……あれは……ハクさんは……』
あまりの混乱に、ネコネの言葉も続かない。
途切れ途切れ、震えるようにそうオシュトルへと声をかけたが、やがて安心したのか身体の力が抜けへたり込む。
『まだ無理をするな、ネコネよ』
『で、でも……兄さま……』
しかしオシュトルは首を振った。
何も言うな……ということなのだろう。
少しして、ネコネはオシュトルに話を聞いた。
ハクはどうなったのか。何故自分が気を失ったのか。
どうして、何も無かったかのような状態になっているのか。
『ネコネは恐怖によって気を失ったのだろう。そして鎖の巫にハクは連れて行かれ、その後某の傷や修練場の戦の跡も見事に無くなっていた。それだけである』
オシュトルはそう答えた。
『何故、何かを隠しているのですか……兄さま』
しかしネコネには、それがすぐに分かった。
オシュトルは隠し事をしている。それもきっと、ネコネが知ればさらに混乱するであろうことを。
兄妹なのだ。当たり前である。
『……其方が知る必要は無い』
オシュトルはそう言って、すぐに部屋を出ていってしまった。
残されたのは、胸に渦巻く不安と困惑を抱えたネコネだけ。
『兄さま……どうして……』
大好きな兄に、隠し事をされたことはとても辛い。
でもそれ以上に……この気持ちを理解できないことが、ネコネには耐えられなかった。
その後、クオンにも話を聞きに行ったが、彼女もまたハクが暴走してからの記憶は無く、そして胸に何かを抱えているようだった。
「もう……分からないのです。兄さまは兄さましかいないのに、まるであのヒトも……兄さまだと……」
ネコネの瞳から涙がこぼれ、着物の膝を濡らした。
オシュトルとクオンと話をした後、ネコネはハクの部屋へと向かった。
そこでは、安らかに眠るハクの姿。
『ハクさん』
いつも、彼のことはそう呼んでいたはずなのに。
『……兄さま』
彼は兄ではない。しかし何故かそう呼ぶと胸がざわつく。
その翌日も、その次の日も、ずっと。
ハクを見ると……兄さまと呼びそうになる。
ハクを見ると……甘えたくなってしまう。
ハクを見ると……守ってくれると思ってしまう。
「違う、違うのです……!ハクさんは……兄さまじゃないのです……違うのですよ……」
どんなにそう考えても、声に出しても……自分の心が否定する。
「もう……分からないのです……兄さま」
涙を流しながら哀しく微笑んだネコネの呟きは、誰にも聞かれることも無くそのまま消えてしまった。
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「ハクよ、有意義な時であった。また何れ、会う時を楽しみにしているぞ」
ウルゥルとサラァナを自分に下賜した帝は、そう言ってホノカさんへと目配せをした。
それにホノカさんは静かに頷くと、そっと王座を押す。
その王座はやはり、いつも兄貴が乗っている車椅子で、それは滑るように動き出すと、奥へと下がっていった。
去り際に、ふとホノカさんがこちらを振り返る。
「どうか、娘達を可愛がってあげてください」
その言葉に、自分は跪いたまま深く頭を下げた。
ホノカさんは嬉しそうに微笑むと、また車椅子を押して奥の御座所へと消えていった。
しばらくの静寂。
「……帰るぞ」
それを破ったのは、隣で少し焦燥したような表情を浮かべるオシュトルだった。
「……ああ」
その言葉に自分も返答し立ち上がると、自分の両腕をウルゥルとサラァナが抱き込んだ。
まるでもう二度と離れない……その気持ちが込められているように、強くしっかりと固定されてしまう。
「お前達……」
せめてここを出てからでも……
そう言いかけた時、周りから大きなどよめきが波紋のように広がった。
「急ぐぞ、ハク」
「あ、ああ……」
自分とオシュトルは、その場を急ぎ足で退出する。
「やっぱ待ってくれ、オシュトル」
……が、今の状況が気になったため、自分は足を止めた。
「どうしたのだ、ハク」
「……少し反応が見たいんだ。周りの連中の……特に八柱将のな」
声を抑えながらオシュトルにそう呟くと、彼の表情が一気に険しいものとなった。
ここで、八柱将がどのような反応をするのか。
それを知れれば、今後どうなるのか予想も少しは立てられるかもしれない。
未来は確定ではないことは、痛いほど理解している。
自分の行動一つで何かが変わってしまうかもしれない。もしかしたら自分の今の行動でさえ、後々に響いてくる可能性だってある。
それでも……この状況に対する反応を見ることで、思想や大義へのヒントを知ることが出来るかもしれないというのは、後々大きなものとなるだろう。
この場にいないのはソヤンケクルとオーゼンのみ。
自分が知りたいのは……
今は敵意をこちらに向けてきているが、以前戦乱が起きた際に自分達の心強い仲間であったムネチカ。
一度だけネコネと共に茶会をしただけであまり交流を深めておらず、戦乱が起きれば民を護るために敵対したミカヅチ。
力あるものこそが頂点に立つべきと考え皇女さんを殺害しようとし、死地からも這いずってこちらへと襲いかかってきたヴライ。
やがて兄貴の真の後継者となるために影で動き、そして自らを真人と語るも真実を知り暴走したウォシス。
そして……何よりもあの男、ライコウの反応が見たい。
自分が鎖の巫を得た時点で、奴は困惑しているはず。
なぜ、自分のような者が帝から鎖の巫を下賜されるのか。
通常なら有り得ない。この國を揺るがすほどの出来事だ。
「……ハク」
しかし、オシュトルはすぐにでも出ようと、咎めるように低い声色で自分を呼んだ。
「頼む、オシュトル」
「……あいわかった。しかし、あまり長居は出来ぬぞ」
きっと、こいつは危険だと心配してくれているのだろう。
いつもの自分ならさっさと出ていくが……この有り得ない状況に数人の八柱将がいるこの場所は、情報を得るのにはうってつけなんだ。
「分かってるさ。もし何かが起きそうなら……」
自分はそう言って、ウルゥルとサラァナに目配せをする。
「いつでも」
「主様をお連れする用意は出来ております」
ウルゥルとサラァナも『道』を開く準備は出来ているようだ。
これなら、罠でも張っていない限りは大丈夫だろう。
……それに、こちとら帝から今さっき感謝されたばかりなんだ。
こんな場所で諍いでも起こそうもんなら、逆にそいつの立場の方が危うくなるだろう。
この状況、利用させてもらうぞ。
これからの状況を判断するために。
「ど、どういうことにゃも!?こ、こ、このような末々の若造が……」
最初に口を開いたのは、やはりデコポンポ。
理解できない、尚且つ気に入らないのだろう。
しかし、コイツの言う通りだ。
鎖の巫を下賜されるというのは國さえ掌握するという意味も込められているようなもの。
以前の自分はパニック状態で、そんなことはあまり考えなかったがな。
「姫殿下をお救いしたとはいえ、これは行き過ぎでは……」
続くように動揺し言葉を発したのは……トキフサか。
奴はあまり警戒しなくてもいいだろう。奴が欲しいのは八柱将という位とイズルハの長の席だけ。
どうせ今も金印を使って無理やり従わせたりもしているんだろうが……
「…………ふふ」
「ッ……!?」
その隣にいたウォシスに目を向けると、奴はこちらをずっと見ていたのか、目が合うと妖しく笑った。
背筋に悪寒が走り、自分は一歩後ずさる……が、後ろから誰かに背を支えられる。
振り返れば、ウルゥルとサラァナが二人で自分の背に手を添えており、しかし自分と同じようにウォシスを警戒したように見ていた。
つまり……この二人もこれからの未来、何が起きるのかを知っているのかもしれない。
だからこそ知る必要があると。怖気づいてはいけないと。
自分にそう言っているのだろう。
「……聖上は何をお考えに……彼はそれほどの存在なのですか」
ウォシスはまるで周りの反応に合わせるように、動揺したかのような表情を浮かべた。
先程の反応も気にはなるが、今は置いておく……どうせ考えれば考えるほど、可能性の深みに嵌ってしまうからな。
「…………」
ヴライは……沈黙か。
奴は自分より力のある者に対しては従順だと聞くし、自分が鎖の巫を得たことにはあまり興味が無いのか……いや、それとも気にはなっているが何も言わないだけなのか。
「そうにゃも、聖上は何をお考えになっておるにゃも!このようなこと、許されないにゃも!」
自分の思考をぶった斬るように、デコポンポが顔を真っ赤にしてこちらを睨む。
あまりにもうるさいので少し腹が立ち、こちらも睨み返すと、デコポンポも自分の視線に気づいたようで更に顔が赤く染まった。
「静まれィ!」
「にゃも!?」
「ッ……!!」
しかし、その睨み合いは部屋内に響き渡ったミカヅチの怒声によってすぐに止められる。
そしてミカヅチはチラリと自分を見ると、すぐにデコポンポへと鋭い眼光を向けた。
「……許されていいものかだと?何故、貴様如き屑の許しが必要なのだ。恐れ多くも聖上のお言葉に口を挟むとは万死に値する……身の程を知れィ!」
「にゃも……お、お、おみゃあ、よりにもよって、この儂に……」
親の七光りで八柱将の位を得た奴が何を言う。
金稼ぎや領地運営は上手いのかもしれんが、それ以外は足を引っ張っているだけだろう。
「儂に、何だと言うのだ。まさか貴様、自分が特別だなどと勘違いをしているのではあるまいな……八柱将の面汚しがッ!!」
「にゃぎ……ぎ……」
その言葉に、デコポンポは悔しそうに顔を歪め……自分はとてもスッキリした。
うん。よく言った、ミカヅチ。
「いけませんぞ、ここは御内裏。お気持ちは判りますが、どうかご静粛に」
トキフサも先程よりは冷静になったのだろう。未だ後ろに身を引きつつ顔を歪めているデコポンポと、鋭い眼光と圧倒的な殺気を向けているミカヅチへ宥めるようにそう言った。
……今のところ、ミカヅチは自分への敵意などないことは分かった。
鎖の巫については、どう思っているのか分からないが。
ムネチカも先程から目を瞑り、ただ沈黙しているだけ。
この場では最年少の八柱将だろうし、発言を控えているのかもしれない。
ここで彼女について知ろうとするのは無理か。
「ククッ……」
面白いものを見たような、趣味の悪い笑い声。
自分はその声の主へと視線を向ける。
「……まさかたかが庶民に鎖の巫を与えるか。だが、非凡な者に与えた訳でもないか……クッ、面白い」
ライコウは笑いながら、まだ距離はあるがこちらへと一歩ずつ近づいてくる。
流石にここが潮時かとオシュトルに振り返ろうとしたが、その前に後ろから腕を強く引かれた。
「……これ以上は待てぬ。行くぞ、ハク」
オシュトルもかなり我慢したのだろう。しかしライコウが来たことは流石に危険すぎるため、自分を無理にでも連れようと腕を強く引いて歩き出した。
自分もその帰る準備をしていたんだが……突然言われたために、まるで子供のようにオシュトルに引きずられる。
「ちょ、待て、早い早い!」
しかし自分が声を荒らげても、オシュトルは止まらない。
更に歩く速さを早めるだけだ。
「あだだっ!踵!踵が削れるっ!!」
そんな情けない悲鳴と共に、自分達は謁見の間から出ていった。
「……シチーリヤ」
「はっ」
「茶の用意をしておけ。奴と話がしたい」
不敵な笑みを浮かべた……ライコウの言葉を聞くことも出来ずに。