「時に天津よ。天津美琴よ」
「どうしたんだ、榊原メメ」
「最近の食処はすばらしいな。この紙の中に食事の写し絵がついている。なれば、どのような食べ物か見当もつけやすい。呵々、心躍るとはまさにこのことよ」
「そうか、よかったな」
そこそこに席が埋まっているファミレスの中で、メニューと睨めっこしながら榊原メメは俺に話しかけてくる。
肩まで伸ばした髪が机に垂れるほどじっと見つめているメメの表情は真剣そのものだった。その容姿は美しいと評価されて間違いないと言えるだろう。ソファの脇に置いている大刀と、古風な喋り方がなければ放課後にファミレスにきた女子高生と言っても全く違和感はない。
子どもみたいにキラキラと目を輝かせながらメニュー表を見ているメメの表情には見覚えがあった。
『な、なんじゃ、これは! この手のひらに収まるほどの紙の中に食べ物が埋め込れておる。いや、これは写し絵かの。だ、旦那様これはいったいなんじゃ』
『これは、メニュー表というんだ。この絵と同じものが出てくるぞ』
『ほ、本当か!? 噓ではないんじゃな? 噓だったらタダではおかぬぞ? 縊り殺して晒した挙句に生き返らせてを三度繰り返すぞ? いいのか』
『ああ、好きなだけ頼むといい』
『じゃ、じゃあ、このはんばあぐというものをじゃな』
俺から人生を、魂を奪った存在かつ奇妙な同居人であるキラヒメの反応によく似ていた。
だからだろうか、自然に笑みがこぼれる。
「よし、決めたぞ」
「なら、注文しようか」
じっくりと考え込むように呼び鈴を鳴らし店員を呼び出して、注文をする。そこまで腹は空いていない。むしろ、先ほどまで目の前にいるメメに切りつけられていたのだ。食欲などはないが、とりあえずドリンクバーだけを頼み、メメに注文するよう促した。
「では、このシーザーサラダ豆腐サラダハムサラダアーリオオーリオペペロンチーノボロニアミートソーススパゲティナポリタン冗旨ハンバーグサイコロステーキチキン南蛮唐揚げ天津飯キムチ雑炊カツとじ定食を一つずつ」
「ちょ、まっ」
「で、ではご注文を繰り返させていただきます。シーザーサラダ豆腐サラダハムサラダアーリオオーリオペペロンチーノボロニアミートソーススパゲティナポリタン冗旨ハンバーグサイコロステーキチキン南蛮唐揚げ天津飯キムチ雑炊カツとじ定食とドリンクバーを一つずつ。で間違いないでしょうか」
「相違なし」
「いや、あの」
「かしこまりました。少々お時間頂きますのでしばらくお待ちください」
「構わん、時間なら掃いて捨てるほどある。なあ、美琴」
「いや、あの、そう、だな。ああ、時間はあるぞ。飽くほどにな……ははは」
数時間前に問答無用で腹を切られた。そして今、懐までメメに切りかかられた俺は笑うことしかできなかった。
◇
いつから生まれて、どこからやって来たか、
「時に美琴よ、この世界に存在する怪異と呼ばれるものがどういう存在であるか貴様は見当がついているか?」
「そんなもの分かるわけないだろ。あいつらは人智を超えた知恵や力で、俺たちの命を弄ぶ存在だ。そんな奴らのことなんて知らないし、理解できるはずもない」
注文したものが待っている間、その隙間を埋めるようにメメはそのようなことを口にしていた。
その質問に対して諦めたような返事をすると、彼女は何か面白いのか不敵な笑みを浮かべる。
「それは最もである。しかしてそれは弱者が弱者たる要因たりえるものであるのだ」
「どうにも回りくどいな、もう少し分かるように説明してくれ」
「怪異は人智を越えた力や知恵を持っている。それは確かにそうだ。だからと言って特別なわけではない」
「あー?」
「人には人の理があるように、怪異にも怪異の理があるのだ。その理を解した時、怪異とは畏敬に目を曇らせるものではなく、対処すべき事象であり、共生していく隣人足りえることがハッキリと分かる」
まだ、メメの言うことは理解できない。が、よく分からないものはよく分からないなりに、体系だったあるものがあるということなのだろう。
「美琴よ。この食事処に来る前、貴様の隣についていた怪異を覚えているか?」
「ああ、あの消えていったやつな」
消えていった、というよりはメメがその拳を持って消し飛ばしたものだが。
「あれなるは最たるものである。あの場に留まっていた残留思念だ。肉の器からあふれ出した強い負の感情がその場で動けずに留まりその場を汚染することしか出来なくなった卑近極まりない例だ」
「汚染することしか出来ないってことはだ、その行為に怪異の意思なんて介在していないだろ。だからこそ理なんてものが存在しているはずがない。あるとするならば、その場をただ彷徨うだけの無秩序だけじゃないか」
「否! 否! 断ずることは解脱から最も遠い行為であり、誤った思考であり、甘い試行である」
その口調は先ほど弱者を切り捨てようとした絶対的な強者のもので、その言論に対する誤りは一切ないという自負や気概が見受けられる。
眩しいほどに鬱屈な気分になる言葉だった。
「残留思念とは人間よりまろび出た怪異の呼称とでもいうべきものだ。この地では地縛霊などとでも表現される。だが我々にせねばならんのは、あれは地縛霊だと断ずるのではなく、どうして地縛霊がいるのかと問い続けねばならん」
ドン、と音がなるほどにメメは拳を机に叩きつけた。その信念が言葉を越え、身体にまで及ぼしたようなほど苛烈なものに、俺はただ黙することしか出来なかった。
「なぜ肉の器あふれ出るほど増長したのか、霧散できないほどの未練や強い負の感情とは何か。どうしてあの場所であったのか?」
ギロリとした眼光が俺を射貫く。
それは、心の内全てをまさぐられているような不快感ではなく、全てを白日の下に晒そうとしている正義ゆえの暴力に思えた。
「問い、問い、問い、問い続けた果てに見えるものが必ずあるのだ」
とっさに反論したくなるほどの暴論、全てがそうであれば、怪異など恐れることはないだろう。
だが、それは無理だ。
「残留思念である。循環することが出来ず、うっ滞し、その場に澱として溜まってしまったのだ。それは、誰かや何かに、己が抱えるものを吐き出すことが出来ないでいた証左であると言えるだろう」
吐き出すことなど出来ないのだ。つまびらかに出来ない。そんなことをすれば待っているのは群からの排斥。言論を正当化できる権威の保持、力の行使が出来てはじめて人は、弱者は吐き出せる。
「その感情とは悔いであり、恥であり、怒りである。すなわち残留思念とは、内から外に対して向けて放つべきものを内に溜め込み、霧散できないほどに溜まった澱となり、それが満たされる時をただその場で立ち尽くして待ちわびることしかできない存在である」
言うべき時に言えなかったことを人は悔い、言うべき時に言えなかったことを指摘された時に人は恥じ、言うべき時に言える人間に対して人は怒れる。
そうして胸の内に生じたそれを、生じた時や溢れないように吐き出すことで群の中にいられる人間は少なくはない。
ただ、そうして吐き出す人間がいれば受け止めている者がいる。そういうヤツらは大抵、それを吐き出すことなく自分の分と一緒に抱えて溜め込むものだ。ソレは一人で抱えていた時とは比することも出来ないほど強大で悪質で憐れなものだ。
「故に、害を与えているために留まっているのではない。満たされぬ渇きを口を開けて待っている存在である。しかして、その未練を、悔いを聞き届けるようなことがあれば己の咎を償い、己のために何かを与える存在に対する感謝を持って、その悔いを取り払うことができるのだ」
「なるほどな、確かにその通りだ。納得もしたし、理解もできた。ただ、一つだけ言いたいことがある」
「ほう」
メメの言は確かに正しい。だけれど、正しいだけで世界が回るなら、こんなクソッタレな世界であるはずがない。それこそ楽園やユートピアなんて名乗ってもいいはずだ。
「その欲求を生み出したのは誰だ、どうしてそいつらは飽くほどに渇いた。なぜ満たすことが出来なかった。その理由を考えたことはないのか」
「その理由、か」
メメは顎を手のひらに載せて思惟しはじめる。
「弱者の抱える悔いや、恥じや、怒りを汲み取るのがどうして同じ弱者なんだ。そうだからこそ、ほころびが出るのは当然だろう。むしろ、そういうものを請け負うからこその強者ではないのか」
その疑問が、怒りが、憎しみが、自然に口から出てしまう。
「なるほど。それも一つの道理であるか。いや、だがな、しかし……呵々」
「何がおかしい」
また、嗤われてしまうのか。弱者の言であると、強者に対しては意味のない一矢であると。
「いや、なに。貴様の言が少々滑稽であった故。気に障ったならば謝罪しよう」
「だから」
——ふざけるのもいい加減にしろ。
俺はその言葉を、終ぞ出すことは出来なかった。
「美琴。貴様が自分がまるで弱者のであるかのような口ぶりをしていたのが少々滑稽だったのだ。だが、決して貴様は弱者ではない。そうである訳が決してない」
「なに、を」
聞きたくないことを聞かされるてしまうという今までからの経験則が俺の肺を強く締め付ける。呼吸があらくなり、瞳孔が散大していくのが自覚できる。
「貴様は魔に魅入られる悪である。原義での悪ともまた違う。強者が強者足りえるものを何一つ持たず、強者の言に従うことなく弱さを貫く悪だ」
「考えてもみろ。どうして貴様は全てを憎みながら全てに復讐しないのだ。全てに裏切られながらそれを抱えて自我を保っていられる。どうして貴様は力では到底敵わぬ私と対等に話が出来ると確信し、実際に話すことが出来る。どうして、強者たる私がわからん。救済すべきものであることに間違いはないが、貴様という存在を問い続けたところで結論が出せん。出したところで貴様の言一つで簡単に覆ってしまう。全く以て理解が出来ん」
「そんな定義に収まらんものをどうして弱いと断じれる。どうして貴様は魔に魅入られたとして、自分の言を貫ける。……偏にそれは」
「やめろ」
そんな言葉を目の前の強者は聞いてはくれなかった。
「弱きを力に変える外道、理外の者だからだ。貴様にとって自分がもっとも貧弱で不幸である自負が、気概こそが貴様に力を与える。その力は言論を越えて、理にすら影響する。そういう類の根っからの悪人だ」
「それじゃあ、俺は」
——弱いと勘違いしていただけで、他の奴らを無意識に傷つけていたのか。
今まで奪われ続けていたと思い込んでいただけで、俺もまた他の弱者を抑圧して自分と同じように奪い続けていたというのか。
その事実に自分を今まで構築していたはずの何かが伽藍堂のようになってしまったような気がした。視界がぼやけて仕方ない。
今までの言動全てが、自分の生きてきたものが何か醜悪で気持ちの悪く、自分を省みるの出来ない不愉快な人間の記録のように感じてしまう。深い自己嫌悪がグルグルと渦巻く。
「だが、勘違いするな」
メメが何か言葉を発している。それは理解できるはずなのに
「弱者ではないだけで貴様は貧弱であり、最底辺であることに変わりはない」
「?……は?」
「その鬱憤を溜めることはあっても他の弱者に吐き出すことはないだろう。それを振るうのは決まって、強者に対してのみであるのだ。そして、その力は私が滅する必要のある魔を討つために必要なモノであると確信し、利用するために、私は貴様に怪異というものについての説明をしていたのだ」
「そう、なのか」
「呵々。弱いことを知っている者に弱さを説いても意味はないものである故な」
「そう、だな」
メメの女子高生然とした容姿に似合わない大笑に安堵した。先ほどまでの鬼気迫った表情は霧散し、穏やかな空気に息をするのが幾分か楽になった。
そうすると、一つの疑問が浮かんできた。
「そう言えば、メメ」
「どうした」
「お前の言っている、滅する必要のある魔って言うのはなんだ? それに主上とかってさっき言っていたけれど、それについても全く知らないんだが」
「ああ、それならば」
メメは大笑していた口を閉じた後、三日月に歪ませた。
「飯を喰らった後にしようではないか」
肝心な部分は今回もお預けを食らってしまった。
だが、まあ、いい。
キラヒメに魂を奪われた俺にあるのは時間ぐらいだ。それこそ、飽くほどに。