BALDRSKY World7+Flat / バルドスカイ 世界7+♭   作:ほんだ

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この作品は戯画様より発売しされているBALDRSKYシリーズの二次創作となっております。Dive1~2、Xおよびノベライズ版のAnother Daysのネタバレを含みます。未プレイ、未読の方はご注意ください。

基本的に各種設定や状況などは、記憶遡行と本編に準拠した形で、
DiveXの「戦場の二人~lives in the battlefield~」を含みます。それ以外のドリームストーリーズや妄想極秘ファイルでの状況は考慮しておりません。

また各種用語や、戦闘時のコンボなどはBALDR wikiを参考にさせていただいています。

ご感想や誤字脱字のご指摘など、感想掲示板でお伝えいただけると幸いです。

では、よろしければお付き合いください。


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第13+1章 学園生 / Chapter13+1 SchoolDays-

 

 

あとから振り返ってみれば、わかる。

その異常は、そうであることが自然すぎるがゆえに、違和感を感じなかったのだ、と。

 

 

 

 

..■一月二日 日曜日 四時五五分

 

「新年の朝とはいえ、静かだな……」

 静まり返った寮の廊下を眺め、無意識に声が漏れた。

 前世紀の木造建築を模した如月寮は、外見のみならず寮内の機能もそれに倣っている。もはや寮生内では定番のネタとまでになっている非自動式の玄関をはじめとして、人が起きたからといって自動で明かりは点かないし、空調も動き出したりはしない。不便といえば不便なのだろうが、一年近く過ごして慣れた今となっては、これはこれで趣も感じる。

 

 少しばかり残念なのは、木造建築風とはいえ建材がやはり各種の合成樹脂という点だ。なにかと自然環境が保護されているここ星修学園都市といえど、学園生用の寮に貴重な木材を使えるほど潤沢ではない。

 

 残念とは言うものの、この俺、門倉甲としてもそんな贅沢に木材を使った家屋に住めるほど余裕のある生活はしていない。良くも悪くもただの学園生なのだ。ただの学園生……というにはこのところ少々成績面で問題はあるが、それは新学期から取り戻そう。

 

 新年二日目の朝、それもまだ五時前となると物音一つしないは当たり前といえば当たり前。

 ただ今日明日に限っては、昼過ぎになってもここは静かだろう。今この寮には俺を含めて三人しかいない。

「まあ静かなのも、これはこれで新鮮でいいな」

 

 正月三箇日は寮生全員で過ごす、という話をクリスマス前にしていたはずが、年末になって皆予定が変わってしまった。結局、寮に残っているのは親父の顔は見たくもないというか居場所すらわからない俺と、帰る家がこの如月寮しかない一年生にして俺の幼馴染の若草菜ノ葉と、そして……

 

「っと、レイン?」

 玄関の、立て付けの悪くなった引き戸を、音を立てないように注意していたせいか、すぐそばの人影に気付けなかった。

 温暖化が進んでいるためか一月とはいえ肌寒い程度なのだが、とはいえそれとは関係なく五時前では日も昇っておらずまだまだ暗い。星明りで薄く輝く金髪がなければ、不審者と思って声を荒げるところだった。

 

「おはようございます、甲さん」

 桐島レイン。

 海のように蒼い瞳に長く伸ばした金髪、綺麗な姿勢が印象的な、新しい如月寮の住人。

 もとは俺達が通う星修学園とはなにかと対立している鳳翔学園の生徒だったが、昨年末に星修に編入しこの寮に引っ越してきた。

 

「おはよう、早いね。レインも身体を動かしに?」

「はい、少し走ろうかと思ったのですが……」

「どうやら道がわからない、といったところか」

 さきほどの虚空を眺めるような特徴的な視線。仮想(ヴァーチャル)に繋がっている者に特有な様子に、そう推測する。

 

 そう、レインも俺と同じく、第二世代(セカンド)だ。

 AIネットワークに観測されることで作り出されている仮想空間(ネット)が、現実(リアル)と同じあるいはそれ以上に日常に根付いている現在、脳内に電脳チップを埋め込むことは珍しくもない。それなりの社会生活を送る上では、必須ともいえる処置だ。

 ただ生まれてすぐにその処置を行われた「第二世代電脳化処置者」いわゆる第二世代(セカンド)は、まだまだ極少数。ちょっと田舎に行くと、AIに制御されたロボット扱いされて迫害を受けることもあるらしい。

 

 そんな状況で第二世代(セカンド)処置をする利点といえば、仮想空間(ネット)関連では数あるが、中でももっとも特徴的なものが常時接続だ。常に俺達は無線(ワイヤレス)仮想(ネット)に接続しており、一般的な使用であれば首筋に開けられた神経挿入子(ニューロジャック)を用いての有線(ワイアード)接続の必要性はまったくない。ちょっとした調べもの程度なら意識するだけで、今のレインのように視聴覚に上書きされた情報を、虚空に知覚できる。

 

 ただし仮想(ネット)にどんな情報でもあるかといえば、それはそれでまた別の問題だ。

 

「お恥ずかしい限りです」

「仕方ないよ、レインは引っ越してから一週間も経ってないんだから。仮想(ネット)でもそういう情報はありそうでいて、見つけにくいからな」

 だいたいこのあたりで走りこみそうな連中は学園の施設使ってるし、と続けながらも、俺も行き先に一瞬悩んでしまう。良くも悪くもここは「星修学園都市」なのだ。運動したい連中は学園の施設を使うのが当然だが、スポーツ系のクラブに所属していない俺達はもちろん、スポーツ特待生であったとしてもこんな時間には使えない。

 

「川原まで出て……そうだな、通学路の反対側に行くか。距離的にも、ちょうど適当なところで折り返せるし」

「お任せします。エスコートしてくださいな」

 暗がりではっきりとは見えないが、レインが淡く微笑む、その気配だけは確かに感じられる。どこか楽しげな声に応えるべく、俺も軽く返す。

 

「レインをナビゲートすると言うのは、なんだか新鮮だよ」

「新学期がはじまったら、今以上にお世話になりそうです」

「俺が手伝う前に、クラスの、それどころか学園中の男子がほうっておかないさ」

「あら? 変なお誘いからは甲さんが守ってくださると、そう期待していたのですが、残念です」

「あー……期待に沿えず申し訳ない。ってだいたいそうなったらどこかの誰かさんが口突っ込んでよりいっそうタイヘンなことになるな、絶対」

 

 話しながらも、俺はゆっくりと身体を伸ばしはじめる。

 ふと横を見れば、レインはその長く輝く髪を二つに纏めていた。

 

「って、ツインテール?」

「運動の時、長い髪というのは邪魔なので……」

 それはわかっているのだが、ツインテール、しかもその結び方はなぁ。

 

「しかしレイン、空を意識しすぎじゃないのか、それは」

 空、水無月空は俺やレインと同学年の、この如月寮の同居人だ。レインがこの寮に引っ越してきたのも、親友の空の存在が大きい。

 

「私、空さんに憧れてるんですよ? 髪形くらいは真似させてください」

「いや、俺が言うのもアレだが、あまり空を理想とするのは……」

 確かに水無月空は、成績も良ければ運動もできる。面倒見は良いし人付き合いも上手い。学園でもクラスのみならずなにかと皆の中心に居る。

 が、思い込みは激しいし、その上で暴走するし、しかも周囲は巻き込みまくるはと、あまり全方位で褒められたものではな、よな?

 

「甲さんっ、空さんとはお付き合いなされているのでしょう? 空さんはすばらしい人ですよ」

「す、すまん。そうだな、俺くらいは諦めて褒めてやらんと」

 そうだ。俺は空と付き合っている。だが、どこかその実感がない。年末年始、メールや通話でのやり取りはしているものの、顔を合わせていないからか?

 

「まあ空はともかく、髪を切るなんて言わないでくれよ。レインのその髪、俺は好きなんだから」

「甲さんにそう言っていただけると、切るわけにはいきませんね」

 そう言いつつも、俺の意見は通らず、レインは空そっくりのツインテールに纏め上げてしまった。

 

「以前真さんに見せてもらった本に載っていたのですが、かんざし?ですか、あれも良さそうなんですが」

「棒一本でくるくるっと纏めるって、伝統工芸品の、あれか? 俺の見たセンスホロだと、暗殺用の特殊ナイフみたいになってたぞ」

「それならむしろ数本用意しておきたいですね」

 そんな軽口を叩きあいながら、体温が感じられるほどのすぐそばで、俺達は同じリズムでストレッチをはじめた。

 

 

    〓

 

 

 予定通り川原を上流に向かって走る。

 新年のなまった身体に無理をさせないように、意図してゆっくりとしたペースだ。

 

「寮にはもう慣れた?」

「はい、最初はいろいろと戸惑いましたが……」

「如月寮は造りが特殊というか、アンティーク趣味だからなぁ」

 見た目や機能の古さもそうだが、家具の大半が据え置きで歴代の先輩から残されているのは、人によっては気に入らないかもしれない。

 

 しかしレインの感想は違うようだ。

「私は好きですよ? どこか暖かい感じがして」

「気に入ってもらえて、寮の先輩としては光栄だな」

「それにしても、これほど早く転入手続きが終わるとは、驚きました」

 時期的にぎりぎりの編入だったが、本人の成績の優秀さと前の学園での事情もあって、すんなりと手続きは進んだらしい。

 

 実際、レインが父親である桐島大佐から転学の許しを貰ったのが一二月の二四日、クリスマス・イヴの夜。翌日の二五日に、週末の土曜日にも関わらず転入試験申請が即時に受諾。さらに日曜の二六日には試験と各種の面接の後に、即日合格の発表。週明けすぐには、この如月寮への転居許可まで下りていた。

 普通に考えたら、ありえない速度で諸手続きが進められている。

 

「転入試験の成績が良かったからじゃないか……うん、きっと」

 とは言うものの、俺にはおおよその事情がなんとなくわかる。

 レインの転入を応援していた水無月空。その後見人は橘聖良。俺にとってはお世話になっている叔母さんで、世間的にはとある会社の社長。そして星修にとっては大口の出資者の一人だ。

 転入手続きが異様な早さで進んだのは、空を何かと気にかけてくれているその聖良叔母さんが、学園のほうに口添えしてくれたような気がしないでもない。もちろん確認するような野暮なまねはしたくない。

 

「しかし他の連中がいないから、慣れるというのもちょっと違うかもね」

 個室の寮とはいえ、集団生活なのだ。しかも如月寮はここ一年、食事は当番制で、だいたい皆で集まって食べていたりするし。なにかと理由があって今は皆離れているが、それなりに個性的な面子なので、レインは気を使ってしまいそうだ。

 

「いえ、ちょうどいい機会かもしれません。菜ノ葉さんには教わることばかりですし」

 当番制とはいえ、料理を筆頭に菜ノ葉は如月寮の家事全般をほとんど取り仕切ってくれている。そんな菜ノ葉から、レインはいろいろと学んでいるところだ。

「昨日のおせち料理とか、あれはレインも手伝ったんだろ? おいしかったよ」

「ありがとうございます。でも、ほとんど菜ノ葉さんに言われるままにご用意しただけなんですよ?」

 言われたとおりに出来るという時点で、俺からすれば十分以上にすごいと思う。前の寮で一年近くは自炊していたとはいえ、俺の料理の腕はあまり褒められたものではない。

 

「お料理もそうですが、お掃除にお洗濯、菜ノ葉さんは本当にすばらしいです」

「基本は教わっているんだろ? それにまだまだ時間はあるさ。レインのことだから、すぐに菜ノ葉に並ぶくらいには料理も家事の腕も上がるよ」

「父に逆らわずに、花嫁修業にももう少し身を入れておくべきでした。父に言われて続いているのは、運動ばかりかもしれません……それも満足いくものとはいえませんし」

「桐島大佐の教えか、やっぱり厳しそうだな」

 

 レインのお父さんは、統合軍の大佐。俺も何度かお会いしたことのある、レイン以上に筋の通った立派な方だ。少しばかり厳格すぎるところはありそうだが、そのあたりはレインの立ち振る舞いを見ても想像できる。

 

「あら? 甲さんもこうやってトレーニングしておられるというのは、門倉大佐の教えではないのですか?」

「うちの親父はなぁ……」

 

 門倉永二、俺の親父も軍人で階級だけなら桐島勲大佐と並ぶ。残念ながらそれ以外はまったく別だな。だいたい所属からして地球統合政府軍の桐島大佐とは違って、軍事請負会社(PMC)だ。それも困ったことに悪名高き傭兵組織である。

 

「……あれ? というか何で俺はトレーニングなんてはじめてるんだ?」

「年明けの二日目、だからでは? お休みとはいっても、あまり怠けるわけにもいきませんし」

「あーそうだよな。寝正月はいいことは何もないからな」

 

 なにかがおかしい気はするが、トレーニングは休まないのもダメだが休みすぎるのももちろんよくない。

 そんな風に話していると、いい具合に身体も温まってきた。少しペースを上げていく頃合だ。

 そこからまったくの無言が続くのだが、それは不思議と慣れ親しんだ沈黙だった。

 

 

    〓

 

 

「軽、めの、ペースのつも…り、だったが、きっついな」

 空が白みはじめるころに如月寮の前に戻ってきた。着いたその瞬間、俺は地面に崩れそうになった。

 荒く息を吐きながら、何とか言葉にする。

 だいたい一時間、一〇キロ程度のランニング。それだけで、なまっているのか身体が重い。

 

「お休み明けでしたから、あまり無理せずに帰りの道は歩いても良かったですね」

 対して、レインはわずかに息は上がっているものの見た目は平静だ。

 額に掛かる髪が汗に濡れている、その程度だった。

 

「甲さん。息が整ったら、少し身体を動かしてから、お先にシャワーを」

「いや、レインはこの後、も、まだやるんだろ」

 意識して呼吸を深くしながら、確認する。

 

「はい。基礎の体力トレーニングと、あとは……」

 あとは、格闘術の型の練習か。きついのはわかっているがそこまでやってこそのトレーニングだ。それに組み手をするなら、都合のいいところを思いついた。

 

「格闘術まで含めて、付き合っていいかな?」

「護身術……のようなものですが、それでよろしければ」

「お願いするよ。あーただし休み明けなので、お手柔らかに」

 くすっと笑われてしまったが、レインに本気を出されたら文字通り命に関わる。手加減して欲しいのは俺の心からの言葉だ。

 

「もちろんです。いきなり肩の関節を外したり、そこまではいたしません。ただ……」

 レインが心配げに辺りを見渡す。寮の庭は、土が露出しているとはいえ踏み固められている。投げられた場合、しっかりと受身を取らなければ、打ち身だけではすまない。

「その心配は無用だ。休み明けの練習にちょうどいい場所があってね」

 

 

    〓

 

 

 簡単に行き先を説明して自室に戻った俺は、汗を吸ったシャツを着替えてから、ベッドの横になる。

 慣れた手つきで、枕元から伸ばした神経挿入子(ニューロジャック)を首筋に挿入(ジャック・イン)。これだけで準備は整った。

 

 没入(ダイブ)、と呼ばれる仮想空間(ネット)への意識転送は、俺達第二世代(セカンド)ならどこからでもできる。常時接続とはそういうことだ。しかし没入(ダイブ)中は現実(リアル)に残った身体は寝たきり状態で、あまりに無防備である。

 

  - 『備えよ常に……それを忘れると簡単に死ぬ』

 

 今年の春先に告げられた、最初にして最高の教えだ。

 有線(ワイアード)没入(ダイブ)していれば、最悪の事態が起こったとしても、第三者が強制離脱(ログアウト)させやすい。第二世代(セカンド)の特権とはいえ、無線(ワイヤレス)での没入(ダイブ)は、安全面から見ればけっして勧められたものではない。

 最後に接続を再確認し、俺はプロセスを実行した。

 

 

没入(ダイブ)

 

 機械音声(マシンボイス)が脳内に響き、今まで背中に感じていたベッドの感触が失われる。

 瞬間、寮の自室のベッドの上から、輝くグリッドの大洋が広がる空間に出現した。

 

 中継界(イーサ)

 無数のAIが織り成す、もう一つの世界、仮想空間(ネット)。その移動の基点ともなる場所だ。

 見慣れたその幻想的な景色に目をやる間もなく、待ち人は来た。

 

「お待たせいたしました、甲さん」

「いや、俺も今着たばかりだよ」

 俺の前に現れたレインも、トレーニングウェアを着替えていた。

 

 原則的に、仮想空間(ネット)ではAIが観測した現実(リアル)の状況を作り出している。仮想(ネット)内部で作り上げられたものは別として、現実(リアル)にあるものはほぼそのまま再現される。

 電子体と呼ばれる仮想(ネット)内部での俺達の身体も、そうやってAIによって形作られている。もちろんデータさえ所持していれば、服装やちょっとした髪型などは変更できるが、基本的には没入(ダイブ)したときのものが使われる。

 シャツだけでベッドに転がっている俺は、まさにそういう服装だった。

 

「そんなにしっかりしたトレーニングウェアでなくても良かったのに。まともな操作席(コンソール)じゃないんだからあとで疲れないか?」

 没入(ダイブ)中、現実(リアル)での身体は一見すると睡眠状態と同じだ。あまりにしっかりした服装だと、短時間といえど負担になる。これがさらに長時間となれば、食事や排泄を含む身体維持機能の備わった大掛かりな操作席(コンソール)から没入(ダイブ)すべきである。

仮想(ネット)で練習とはいえ、できる限り感覚は近くしておいたほうがよかったかと……」

「言いたいことはわかるよ。まあだまされたと思って転送(ムーブ)してみて」

 

 

転送(ムーブ)

 

 目的地である施設の座標をレインに送り、ともにそちらへ転送(ムーブ)する。

 没入(ダイブ)の時と同じく、一瞬に周囲の状況が変わる。現実(リアル)ではどれほど時間が掛かるかわからない距離を、俺達は一瞬で移動したのだ。

 

「……これは、すごいですね」

 転送(ムーブ)して周囲を見た瞬間のレインの感想が、それだ。

 

 先ほどの中継界(イーサ)の、どこかぼやけたような感覚の、幻想的な空間ではない。

 どこまでも青く澄み渡った大空に、輝く太陽、漣の音に重なるように遠くから聞こえる海鳥の声。

 眼前に広がるのは、真夏の砂浜だ。

 足元の砂が持つ熱も、潮の香りも、ここが仮想(ネット)だとは信じられないほどだ。

 

「アーク社の、半ば実験的なプライベートビーチ。可能な限り制限(リミッター)は解除されてる」

 一般的に、仮想空間(ネット)では厳密なまでにAIによって観測された現実(リアル)が再現される。それは視聴覚だけではなく、五感すべてであり、そしてその影響は現実(リアル)側の身体にも反映されてしまう。寒く感じれば震えるし、暑く感じれば汗をかく。

 仮想空間(ネット)の管理を機械的AIに移行し、まったくのゼロから構築された仮想(ネット)論理(ロジック)に基づいて再現された世界。その再現性がある一点を超えたときに、仮想(ヴァーチャル)での死が現実(リアル)での死を引き起こした。

 

 幾たびも対処方法が試されたが、人々が仮想(ネット)でのリアルな感覚を求める限り、現実に再現される危険性を切り離すことはできなかった。

 仮想(ネット)の管理が有機的AIに変わった現在でもその問題は解決されておらず、以来仮想(ネット)の再現度を擬似的に制限することで、安全を保っている。

 

 だがレジャー利用に目的を絞れば、その制限はどこか作り物といった感覚を免れず、反AI派からは「偽物」という仮想(ネット)批判の一因ともなっていた。

 アーク社は制限(リミッター)を、管理された限定地域のみではあるが、生命の危険の無いギリギリの安全範囲まで緩和しようとしている。

 

「叔母さんの好意でね。空いてるときなら勝手に使っていいと、半ばフリーパスみたいなものをを貰ってたんだ」

「確かにここでしたら、筋肉痛に悩まされずに練習できますね」

 

 そう言いつつも、どこまでも広がる水平線を眺めるレインの眼差しは、眩しさだけではなく少し淋しげだった。

「……デートで誘ったほうが良かったか?」

「え、ええっ!? い、いえ、その……そういう話ではありませんっ」

 

 慌てて否定するものの、図星だったようだ。このビーチは当たり前だがそういう目的に作られたもので、格闘技のトレーニングに使うというのはあまりに場違いではある。

「卒業旅行には現実(リアル)でサウジのビーチに行こうか。それまでバイトして金貯める必要はあるけどね」

「それは、労働意欲が沸きますね」

 笑いながらも、既にレインはストレッチをはじめている。

「では、改めてよろしく頼むよ、レイン」

 

 

    〓

 

 

 結局、現実時間で、日が昇りきるまで俺達は黙々と身体を動かし続けた。

「お疲れ様です、甲さん。そろそろ朝食の準備ですね」

「ああ、お疲れレイン。先にシャワー使っててくれ。俺はもうちょっと伸びてる……」

 黙々と続けた理由が、息が上がりすぎていてしゃべれなかった、というのはレインには間違いなく見抜かれているに違いない。違いないのだが、俺にとってそれは別に恥ずべきことでも隠すべきでもないことだった。

 

 

 

 

 

..■一月三日 月曜日 一三時二〇分

 

 菜ノ葉とレインの二人が作ったおせち料理を適当につまむという、正月らしい昼食を取り、その後片付けも終わると、寮の居間は驚くほど静かになった。

「空と千夏が居なかった去年の春先は、こんな感じだったんだよな」

 何かと騒がしい昨今の如月寮、その元凶は間違いなくあの二人だ。

 空が騒がしいのは出合ったその日からで、そういう意味では千夏も似たようなものだ。

 

 渚千夏。

 いまは実家に帰っているが、空とはいい感じに喧嘩友達だ。喧嘩の原因の大半が俺のような気もするが、それには目を瞑らしてもらう。ちなみに女子サッカー部所属のスポーツ特待生だったが、このあたりは昨年秋に脚を故障してしまい今後どうなるかわからない。その話し合いも兼ねて、実家に戻っているのだろう。

 俺個人にとっては、付き合っている空と同じ意味で、ちょっと気になる女の子だ。なんといっても告白までされてしまったし。うやむやのうちに保留にしているのが、千夏自身は今年一年をかけて、俺を空から奪い返す心積もりのようだ。

 実際、空と付き合うきっかけとなったあの事件がなければ、普通に千夏と付き合って学園生時代の甘い記憶、というものになっていたのだろう。もはやありえない仮定の話ではあるが。

 

「まあ静かなのは、ちょうどいい」

 あまりに静まり返った居間の空気が寂しくて、つい口に出してしまった。

 ただこの静けさは、今の俺にとってはたいへん助かる。なんといってもするべきことが山積みなのだから。

 

「まったく、昨年の俺は何をしてたのやら」

 愚痴もこぼしたくなるが、過去の自分を責めても問題は解決しない。

 なにかとよく連るんでいる親友の須藤雅も、そして千夏も、ことこの件に関してはまったくの無力、いやそれ以上にただの障害。それどころかより能動的に問題を積み上げてくるに違いない。ひいては足の引っ張り合いになる。去年の夏の実体験からの貴重な教訓だ。

 空が居ればわずかなりとも力になってもらえそうだが、帰って来るのは今日か明日の夜になるとメールがあったところだし、協力を依頼しても断られるに可能性が高い。こういうところ良くも悪くも空は委員長資質というか優等生なのだ。

 

 そして自室にはベッドがあり、それは冬の肌寒さという強力な味方を持ち、常に俺を誘惑する。

 結果、誰も居ないはずの居間に出てきて、提出期限が近づいている課題のファイルを展開する羽目になった。

 

「しかしこれは、我ながらすばらしいまでに一切手をつけていないな」

 冬期休暇がはじまったクリスマスから年末まで、いったい何をしていたのか自分でもおぼろげだが、課題関連のファイルを開いた記憶がないことは確かだ。当然、進んでいるはずもない。

 菜ノ葉がなにか夕食の準備でもしているのか、台所のほうからはごそごそと音がする。お茶を貰いにいったらそのままなし崩しにだらだらしてしまう姿がリアルに想像できるので、ここは潔く諦める。

 

「学園時代でないと得られない知識ってのも、やっぱりあるよなぁ……」

 誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいて、積みあがった仮想のファイルを片付けはじめた。

 

 

    〓

 

 

「甲さん、こちらでしたか」

 いつもどおりの静けさで、レインが居間に入ってきた。

「あ、お邪魔してしまったでしょうか?」

「いや、ちょうど休憩しようかと思っていたところだよ。お茶でも入れようか?」

 視界の片隅に表示していた時計に眼をやると、一時間近くは課題を進めていたようだ。さすがに少し休みたい。

 

「あ、あのですねっ」

 珍しく、切羽詰ったような顔でレインが切り出した。

「その、ケーキを焼いてみたのですが、よろしければ、菜ノ葉さんと、その甲さんにも食べていただきたい、と。味のほうとか見た目とか、あまり、その……第一お正月にケーキというのはすごくヘンな気がいたしますし、もしお嫌でしたら、あれです。あの……」

 なにか最後のほうはこちらも見ずに、ごにょごにょと言葉を濁している。

 

 そんなレインも新鮮といえば新鮮だが、このまま見つめて続けてしまうと、何か俺がいじめているように思えて気が引ける。

「そういえばレインはケーキは得意って話だったよな。菜ノ葉は裏庭かな? 呼んで来るよ」

「は、はいっ、お願いいたします。コーヒーのほう用意しておきますね」

 

 

    〓

 

 

 テーブルに用意されたのは、焼きたてのシフォンケーキ、わずかに橙色に染まったそれにバニラアイスが添えられている。レインはさっき見た目がどうこう言っていたが、このままカフェで出せるような出来栄えだ。こういうあたり、やはりレインは何事においても繊細(テクニカル)だと思う。

 

「おいしーっ。ニンジン使うって聞いてたから、どんなものかと思ってたら、そっかーこういう感じになるんだ。お砂糖と水がちょっと少なめで甘味はニンジンとメープルシロップなのかな……」

 菜ノ葉は一口含むと、なにやら感極まったように目線を宙に泳がしているが、感心しているのか分析しているのかいまいちわからん。

 

「ニンジンは摩り下ろして軽く茹でたものを一緒に混ぜただけなんですけどね。それに生クリームの準備を忘れてしまって、添えたのがアイスですいません」

「いや、あっさりした甘味で美味いよ、これ」

 ちょうど甘いものが欲しかったというのをどけても、レインの焼いたケーキはおいしかった。一緒に出してくれたコーヒーも普段より少し濃い目。課題で疲れているのを見抜かれているようだ。

 

「あーそかーニラもこうやってケーキにして焼けば、甲も食べるんだね」

「いや、それはない。絶対にない」

 ニラ風味のケーキなんて、勘違い気味に進化したフォーチュン・クッキーにならありそうだが、そんなものは見たくもない。

 菜ノ葉の謎の感想に、さすがにレインもなんともいえない顔をしている。

「あ、コーヒーのお替り、淹れてきますね」

 

 

    〓

 

 

「でさ、甲。レインさんとなんであんなに親しいの?」

 ジトーっと睨みつけるように問い詰められる。問い詰められるのだが、俺にはいまいち実感がない。

「親しいって、俺とレインが、か? どう見てもお前のほうが親しくないか?」

 引っ越してからこっち、レインは何かと菜ノ葉の指導を受けている。

 掃除洗濯に炊事。最初はいろいろと失敗していたが、菜ノ葉の教え方が良いのか、レインの飲み込みが早いのか、年が明けてからは二人で上手く分担しあっているようだった。

「うん、菜ノ葉。お前はいい小姑になれる」

「甲…それぜんぜん褒めてないよ……」

 菜ノ葉は膨れつつも、ケーキを口に運んでいる。

 

「そういう話じゃなくってさ。空さんや真ちゃんが、レインさんと仲良いのはわかるよ? 前から知り合いって言ってたし。でも甲って、ちゃんと会ったのって、ついこの前なんだよね?」

 言われてみれば……

 

 レインとは学園の聖堂で出会ったことはあったし、それとはべつにいろいろとすれ違っていたらしいのだが、その程度でしかなかった。名前を聞いてちゃんと話したのは、あの重箱に貼り付けたられた空の手紙に気が付いたその日、確か十二月の十九日だ。しかもその後は転入の手続きや引越し準備などで、まともに顔を合わせたのは引越しの完了した年の瀬だった。数えてみなくてもまだ一週間にもならない。

 その引っ越しのときも、あまり荷物を持ってきていなかったようで、手伝うというほどの手伝いもしていない。

 

「あ、れ……だいたいあの時は俺、呼び捨てになんてしてなかった、よな?」

 桐島さん、と最初呼んでいた気がする。つい十日ほど前のことなのにもうずいぶんと昔のことに思える。年末年始のごたごたのためか記憶があやしい。

 

「んー千夏みたいに波長が合ったとか、空みたいに顔見れば喧嘩してしまうとか、そういうんじゃないしな」

「そうなんだよねーなにか甲もレインさんも二人とも、二人で居るのがあまりに普通に見えちゃって、実は前からの知り合いだったのかなって」

 菜ノ葉と俺とで、うんうん唸りながらも答えは出ない。

 

  - 『お前達がたとえどんな関係であろうと、

  -  二人で■■に出るということは……』

 

「ああ、そうだ。『二人でひとつの命を共有する』……」

 ふと浮かんだ、その言葉。

「なによ甲……それって誓いの言葉とか、そんな何か?」

「あれ? 誰に言われたんだっけ。なにかすごく大切な、絶対に忘れちゃいけないことを教えられたはずなんだが……」

 

 命を共有……か。

 どこで聞いたかも、いつ誰から聞いたかもわからない言葉だが、俺とレインの関係の核になってるのはそれだという確かな実感があった。

 

 

    〓

 

 

「お待たせしました。あら、どうかされましたか?」

 淹れたてのコーヒーの香りとともにレインが居間に戻ってきた。

「あーいや。レインと俺が仲良すぎて、菜ノ葉がすねてるだけだよ」

「ひどいよーそうじゃくてですねっ」

「心配しないでください、菜ノ葉さん。甲さんは皆さんに優しいですから」

 そういうフォローがすでに不自然なほどに手馴れてるんだけどなぁ……などと菜ノ葉はぼそぼそ言ってる。

 

「それに菜ノ葉さんは、甲さんの小さいころからのお知り合いなんですよね?」

「う、うん。甲が引っ越してから学園で一緒になるまで、けっこう会ってなかったんですけど……」

「もしよかったら、小さいころの甲さんのお話を聞かせていただけませんか? 空さんはそういうところは知らないみたいですし、興味あります」

「あーそうそう。小さいころの甲の夢っていうのがですねー」

 レインが何気に菜ノ葉を誘導している気もしないではないが、二人は楽しげに話しはじめた。

 楽しげなのはいいが、ガキの頃の思い出話は、レインに聞かすには真剣に恥ずかしい。

「もしもしお二人さん。当事者たる俺の意見は……」

 

 

    〓

 

 

 課題が進んでいないことに気が付いたのは、その日ベッドに入る前だった。

 

 

 

 

 

..■一月五日 水曜日 一四時三〇分

 

『ただいまーっ』

『たた…です』

『ただいまぁ……ぅぅ、疲れたぁ』

 

 冬休みも今日を入れて残り三日。今日こそは、と昼食後にそのまま居間で課題を進めていたのだが、玄関からの騒がしい声に中断する。というか今にも倒れそうな亜季姉ぇの介護に向かわないと、玄関で寝かねない。

 

「おかえりなさいませ、皆さん」

「おかえり。亜季姉ぇは、おつかれさまでした、かな?」

 ちょうど台所から出てきたレインと並んで、帰ってきた三人を出迎える。一週間ぶりくらいだが元気そうだ。約一名、今にも崩れそうな亜季姉ぇを除いて。

 

 西野亜季。亜季姉ぇ、と俺は呼んでいるが正しくは姉弟ではなく再従姉だ。小さい頃に一緒に住んでいた時期もあって、それ以来俺の姉代わりとなっている。

 ダメ人間の代表みたいに見えるが、人工知能友愛協会(A・F・A)の最年少正会員にして特級プログラマ(ウィザード)、おまけにこの如月寮の寮長である。まあ寮長になったのは唯一の三年生というか、四月の時点でこの寮に住んでいたのが亜季姉ぇただ一人だったという消極的理由だが。

 

「私、もうダメ……ごめん甲、レイン……寝る~ぅ」

「はいはい、晩御飯ができたら起こしに行くから、寝るのは部屋に戻ってからにしてよ、亜季姉ぇ」

 黄色い太陽に襲われる~などと意味不明な言動をしながら、それでも自力で亜季姉ぇは自分の部屋に入っていった。あの様子ではベッド代わりの操作席(コンソール)までたどり着けるかどうかさえ怪しい。あとでちゃんと見に行かないと。

 

 ちなみに亜季姉ぇは、姿勢が悪いというかいつも寝ているか、起きても猫背でだらだらと歩いているおかげでわかりにくいが、これでも背は高い。俺やレインと同じくらいのはずである。

 

「なにかお久しぶりね、甲」

「お前は相変わらず元気そうだな、空」

 水無月空。レインほどではないが、綺麗な金髪をツインテールにした、気の強そうな如月寮の住人の一人だ。

 

 そして俺にとっては特別な相手。

 去年の春先に出会った当初は、半ば喧嘩友達といったところだったが、ちょっとばかり異様な経験を経て、俺達は付き合うこととなった。

 

 その原因は、今はもういない大切な存在、クゥ。

 AIが人間の感情を理解するための一環として、亜季姉ぇが作った特別なNPC、クゥ。シミュラクラと呼ばれるクゥは、常に空とリンクしており、仮想(ネット)での外見は完全に空と同一で、空の記憶や感情からさまざまな反応を学習していた。

 

 しかしそのリンクは一方通行なものではなく、クゥの感情もまた空に影響していたのだ。クゥが俺に懐いてくれるに従って、空はありえない感情に流されるようになり、ついには倒れるほどだった。

 

共振(ハウリング)の後遺症がないかとか、いろいろ検査はしてもらったけどね。ご覧のとおり問題なし、よ」

 クゥと空との感情が近付くにつれ双方が増幅しあい、よりその感情が強まっていた。さらになぜか俺のも増幅され、俺と空とはどこまでが自分のものとも判断できない恋愛感情に振り回されたのだ。

 

 あの異常な感情の昂ぶりを制御するには、共振(ハウリング)の原因となっているクゥ独自の意識を止めるしかなく、そしてクゥは凍結された。いまは仮想(ネット)の奥で眠りについている。

 おそらくこんな形で恋人となったのは、人類初だろう。

 

「それを聞いて安心したよ。真ちゃんもお疲れ様」

「ぁい……ただ…ま、です」

 真ちゃんは空の一つ下の妹だが、いろいろと残念なところも多い姉を反面教師としているせいか、よく気の付くいい子である。電脳症という特殊な病気のこともあって人付き合いは苦手で、現実(リアル)ではなかなか言葉が上手く話せなかったが、最近は少しずつ良くなってきているように見える。

 

「空さん真さんもお疲れでしょう? お茶淹れますから、居間でゆっくりしていてください」

「え? ……うん、ありがとうレイン」

「ありが…と、です」

 ペコっと真ちゃんが頭を下げて、居間のほうへ行く。清城市からはけっこうな距離だ。亜季姉ぇほどではないが、真ちゃんもやっぱり疲れているようだ。その妹を気遣うように空も居間へ向かった。

 

「はい……はい、亜季さんに、空さんと真さんがお戻りに……はい、わかりました」

 台所に戻りながら、レインは通話をはじめる。話の様子からして相手は菜ノ葉だな。

「すいません甲さん、菜ノ葉さんの買出し、お手伝いお願いできますか? 荷物が増えそうということですので」

「わかった。適当な場所で菜ノ葉と落ち合うから、買い物はそれまで待ってるように言っといてくれ」

 お茶に付き合えず悪いな、と声だけは空にかけて、間違いなく買いすぎているだろう菜ノ葉の元へ急いだ。

 

 

    〓

 

 

 如月寮生全員集合というわけではないが、それでも昨日までと比べると倍、六人居る夕食は騒がしくも楽しかった。菜ノ葉は調子に乗りすぎて、少しばかり作りすぎていた気もしないではない。

 食べ過ぎてしまったらしい亜季姉ぇは部屋に戻ってる。さすがに寮に帰った当日くらいは居間で寝転がるのではなく、ちゃんとしたところで寝てもらいたい。

 

「やっぱり菜ノ葉ちゃんのご飯はおいしいわね」

 感謝しなさいよ甲、などと空は満足げだが、一番食べてたのは間違いなく空だ。

「お前は新年の菜ノ葉の雑煮を見ていないからそんなことがいえるんだよ……って食後に思い出すもんじゃないな」

 

 新年早々に遭遇することとなった菜ノ葉謹製のニラ雑煮は、俺の乏しい人生の中でも消し去りたい記憶の上位にランクインしてしまった。数日後に控える七草粥の伝統を菜ノ葉が忘れてくれていることを切に願う。

「それはどうせ甲が好き嫌いするからでしょ?」

 苦手な食いもんくらい誰にでもあるだろ、と思いつつも、そういえば空の苦手なものは聞いたことがないな。

 

『菜ノ葉さん、後片付けなら私がしますよ、今日はほんとにたくさん作っていただいたんですから』

『下ごしらえとか、ほとんどレインさんに任せちゃってたじゃないですか』

『あう…片づ、なら…わた、し…するよ?』

 台所から聞こえる三人の声を聞きながら、空と二人でゆったりとお茶を飲む。空とのこういう時間は何か久しぶりな気がする。

 

「でも、びっくりしたわ」

 台所のほうに眼をやりながら、空がそんな風につぶやいた。

「びっくりって、料理の量か?」

「違うわよ、ばか。レインのことよ」

 たまに、ではなくいつものことだが、空の話の飛び具合には付いていけない。おそらくは本人の頭の中では何某かの論理(ロジック)に基づいてのことだろうが、常人たる俺には理解できん。

 

「甲……今なにかすごく失礼なことを考えてない?」

「あ、いやいや。レインがどうかしたか? ヘンなところはなかったと思うが」

 台所から漏れ聞こえる声からするに、レインの様子におかしなところは無い。親友たる空が戻ってきたからか、少しばかりはしゃいでる感じはするが、さすがにそれに驚くのもおかしいだろう。

 

「そういうのじゃなくて、レインがすっごく変わってて、驚いたのよ」

「レインが、変わった?」

「うん、すごく良い風に変わってるとは思うの。でもね、その変化が如月寮に引っ越しただけには、ちょっと急すぎるかなって」

 きっと甲のおかげね、と。空が小さくつぶやく。どこかその姿は寂しげに見える。

 ……ますますわからん。

 

「レインね、甲と話すどころか、男子と話すことさえほとんどなかったってくらいなのよ?」

「……ん?」

「あの娘ね、甲もわかってるかも知れないけど、すっごいの。見た目だけじゃなくて、勉強もだけど、スポーツだって武術だって、本当はケーキとかもしっかり作れるの。それなのに最初会った頃は、ずっと『私なんて……』って自分を卑下するばっかりでね」

 自分に自信が持てなかったみたいでねーっと、以前のレインを思い浮かべるように、空が言う。

 そんなところもあった気がする。先月聖堂で初めてちゃんと話したときは、美人なのによく泣く女の子だと思った……はずだ。

 

「で、なんだ。俺がレインに何かしたと思ってるわけか、空は」

「レインがあんなふうに変わるきっかけなんて、甲以外に考えられないじゃない」

「なんでそこで俺が原因だと思い込むかなぁ……」

 空の、この突拍子もないまでの脈絡のなさは、年が明けても変わりそうにないな。

「って言ってもなぁ。だいたい俺の知ってるレインは、男と話す話さないどころか、粗雑(クルード)な連中とも普通にシモネタでも遣り合ってたぞ?」

「はぁ? なに言ってるのよ、甲」

 

 そう俺の知ってるレインは、確かに芯の部分では情の厚い女だった。だが俺達が生き残るため、その悲しみも苦しみも隠し抜くために、いつも冷たく醒めた目つきで周囲から距離を取っていた。

 弱みを見せるなんてことは、俺の前だけだった。

 

  - 『一緒に泣いて頂けると、約束してくれましたよね?』

 

「なんなんだ、それは……?」

 知っているはずのない、ありえない記憶が鮮明に描き出される。

 

 先日菜ノ葉にも言ったが、俺がレインと会って、ちゃんと話すようになったのは十二月半ばだ。しかも寮に引っ越してからは皆どたばたしていて、まともに顔を合わしたのは年が明けてからのはずだ。

 しかしレインと俺とが共に過ごした時間は、他の誰よりも長く大切なものだ。

 意識と記憶と感情とが、どこかでずれている……

 

「……うっ、甲っ! どうしたのよ、いったい?」

「そ……ら、か?」

 耳元で俺の名を呼ぶ、水無月空の声。ここは間違いなく如月寮の居間だ。

 

「ちょっと眩暈がしただけだ。食べ過ぎたからかな」

 我が言葉ながらまったく信憑性がない。

「悪い空、今日は早めに寝るよ。お前も疲れてそうだから無理するなよ」

 逃げ出すように居間を出て、俺は部屋に戻った。

 

 しかし日付が変わる頃まで、寝付けることは無かった。

 

 

 

 

 

..■一月六日 木曜日 七時二五分

 

 トレーニングも年明けから五日目となると、ほどほどに慣れてきた。初日のようにランニングだけで崩れ落ちるということもない。もちろん組み手の練習ではレインに振り回されているのは変わりないが……

 顔を洗いつつ、復習として今朝の練習を脳内で再生していると、後ろが騒がしい。

 

「おはよう甲、なによ珍しく朝早いのね」

「おはよう空。珍しくってなんだよ」

「珍しいじゃない、あんた私や菜ノ葉ちゃんが起こすまで、というかいつもなら起こしてからもベッドから出てこないじゃない」

 言われてみれば、以前は菜ノ葉や千夏、そして最近は空に起こしてもらっていた。そのはずだった。

 

  - だけどベッドから抜け出すのはまだ早い。

 

  - だって、聞きなれた呼び声が、

  - まだ俺の耳には届いていないから。

 

「っく」

 ふと、確かに去年、自分でつぶやいていたはずの言葉が浮かび上がる。

 自分の記憶のはずが、何かが違う気がする。

「……年明けで、心機一転してるんだよ」

 このところ、どうも自分の記憶や行動に自信がもてない。共振(ハウリング)がいまだに続いているのかとそんなことまで考えてしまうが、それがありえない願望だということは自覚している。クゥはもうけして目覚めることのない眠りについているのだ。

 そんな迷いを顔に出さないように、空から眼をそらして鏡に向かいなおす。

 

「心機一転……ねぇ」

 空は納得していないようだが、俺自身にも納得できていないので、説明しようがない。よくよく考えれば空としては一週間ぶりに俺を起こすチャンスだったのかもしれないが。

 もしかして俺を起こすのを楽しみにしていてのか、殴られそうなことを口にしかけたときにタイミングよく風呂場の扉が開いた。

 

「お待たせしました、甲さん。あ、空さん、おはようございます」

「おーすまんレイン、洗濯は任せていいか?」

「はい、もちろんです」

「すまんな、頼むよ」

 シャワーを浴びたとしても、さすがに汗を吸った服を着なおして朝食には付きたくない。もちろん代えのシャツなどは用意してある。

 

「って、あんた達ーっ」

 簡単に顔を洗いなおして、服に手をかけていたら、また空が騒ぎ出した。

「今度はなんだ、空? いきなり大声出して」

「あの……どうかなさいましたか、空さん?」

 空が突然騒ぎ出すのは、俺にとっては、そして親友のレインにとってもおそらくありふれた光景なのだろう。俺達二人とも落ち着いたものだ。

 

「なに騒いでるのって、甲すぐ出ていきなさいっ レインも早く着替えるっ」

「おいおい……俺はこれからシャワーだって。お前が出て行けば汚れ物脱いで風呂場に行くよ」

 さすがに空の前で全部脱ぐなどということはしたくない。それこそ何がおきるのか考えたくもない。

 

「私も髪を乾かしながら、お洗濯しようかと」

「だーかーらーっレイン、バスタオル一枚で、甲の前に出ちゃダメーっ」

 今のレインはタオル一枚。シャワーを浴びた後なのだから当然だ。いまいち空が何を言いたいのかわからずに俺とレインは見詰め合ってしまう。

 

「だいたい甲も、なんで今からシャワーなのよ」

「なんでって……レインと同じく汗流したいからなんだが」

「あ、汗流すって、甲……まさかあなた達……」

 空が顔を真っ赤にして、わなわなと震えだした。

 

「おーい空さん。また何かヘンな想像してません?」

 これは確実に、空は勘違いしているというかよからぬ想像をしている。騒ぎ出す前に風呂場に逃げこんで中で手早く服を脱ぐ。そのまま汚れ物をレインに渡し、空の対応もお任せしてシャワーに。完全なまでに敗走だがここは仕方がない。

 

『あのー空さん。ランニングしてすこし身体を動かしたところですので、とりあえず甲さんには汗を流してもらったほうがいいかと……』

『ってレインーっ甲のパンツ見せないでーっ』

 そろそろ如月寮の騒がしくも楽しい日常がもどりつつあった。

 

 

    〓

 

 

 空の怒りが冷めるのを期待して、少し長めにシャワーを浴びた。こざっぱりしてから居間に行くと、すでに皆揃っていて俺が最後だった。というか亜季姉ぇにいたってはすでに食べ終わったらしく、お気に入りの毛布に包まっていた。

 

 食卓に着くと、今朝実家から戻ってきた千夏が怪しげな目つきでこっちを見ている。

「遅くなってごめん。いただきます」

 千夏の目つきには危険を感じるので無視して、レインからお茶碗を受けとる。

「バスタオルで迫るか……それはすっかり忘れてたな」

「おい千夏。なにか空にヘンなこと吹き込まれてないか?」

「ヘンなことって何かなー」

 絶対にこの顔は考えている。ヘンなことを。

 

「だいたいだな、千夏。運動した後のシャワーでお前だって部活とかだと普通だろ」

「甲……何言ってるの、うちは女子部。男子が一緒になんてならないよ」

「……あれ?」

 言われてみれば千夏は女子サッカー部だ。確かに男は居ない、な。

 

 味噌汁を口に含むと、残念なことに今日も具はニラだった。

「というかだな千夏。家から帰ってきたのに、何でまたご飯食べてるんだよ?」

 このままだといろいろ墓穴を掘りそうなので、強引に話を変える。

 

「何でって、朝は食べずに戻ってきたからね。菜ノ葉のご飯、久しぶりで楽しみだったし……その、おせち料理を食べられなかった、そのお詫びじゃないけど、うん……そんな感じ。やっぱり菜ノ葉の料理はうちよりおいしいしね」

「ありがとうございます、千夏先輩」

 

 すでに食べ終えて片付け始めている菜ノ葉も、料理を褒められてうれしそうだ。

「でもこのところは半分くらいレインさんに手伝って貰ってるんですよね。ほんと、助かってます」

「……ふーん、レインがねぇ」

 

「手伝うといっても、菜ノ葉さんや真さんの指示があってこそですよ? それに朝はあまりお手伝いできていませんし」

 話を振られたレインは、箸を止めて応えている。

 昨年はだいたい菜ノ葉と真ちゃんとが台所を支配していたが、このところはレインを生徒役にしていろいろと教えあっているようだ。おかげでレパートリーにも変化が出ているし、俺にとって重要なことになんといってもニラの量が減りつつある。

 

「おさきに、ご馳走様」

 菜ノ葉とレインとが昼食の準備の話をしていると、再び千夏の目が怪しくなっている。

 なにか急いで食事を終えた千夏が居間から出て行くと、入れ替わるように空がにらみつけてきた。

 

「とにかくっ。レインも気をつけてね。甲はヘンタイだから」

「あのなぁ。何でレインのシャワー姿見て俺がヘンな気になるんだよ」

「甲がならないわけないでしょっ」

「……断定かよ」

 

 昨年の千夏とのあれこれや、共振(ハウリング)を起こしていたときのことを知られてると、あまり反論も出来ないのが悲しい。しかも雅が居ないと、男は俺一人。こうなると立場も弱い。

「おねえちゃ、せんぱ…い。えちかも、しれないけど、へんた、じゃない……と思う」

 食後のお茶を持って来てくれた真ちゃんが、何とか庇ってくれる。庇ってくれてるんだよね、真ちゃん?

 レインと二人、顔を見合わせて苦笑するしかない。

 

「そういえばなんで俺はレインのシャワー姿を見て、平気なんだ?」

 台所では菜ノ葉と真ちゃんが笑いながら食器を片付けてくれている。手伝うべきなんだろうが、朝から騒いでしまったので、ちょっと気力がわかない。

 亜季姉ぇは、うん。いつもの騒ぎに慣れているのか、毛布と一体化したままだ。

 

「というかレインも見られても気にしてないよな」

「ですね、甲さんに見られて恥ずかしいと思うような姿ではありませんが……」

 レインは綺麗だと思う。思うのだが、シャワーではいまいちそっち方面に意識が行かない。これが千夏や空だと思うと、いろいろと問題が……

「ま、まあ。シャワーとかだと、別に気にするようなことでもないよな、うん」

 

「……甲さん?」

 レインの眼がすっと細まる。

 空と千夏のバスタオル姿を想像してしまい、顔が赤らむ。慌ててごまかしたせいで余計にレインに考えていることが読まれてしまった。

「やはり、ちゃんと男女の区別はつけるべきです、甲さんっ」

 すねたように睨み付けてくるレインは、それはそれで可愛らしいのだが、怒られてしまった。

 

「んーじゃあ、洗濯もちゃんと分けるか……」

「あ、あの。そのあたりはぜんぜん、はい、問題ありませんっ。誠心誠意しっかりと洗いますっ。洗わせてくださいっ!」

「なら、シャワーくらいは良いんじゃないか」

「ですね……」

 そして問題は振り出しに戻る、と。

 

 

    〓

 

 

「はははーっどうだ甲、あたしのもちゃんと見ろーっ」

 バンっと、勢いよく居間に飛び込んできた千夏は、ある意味予想通りバスタオル一枚の姿だった。

「な、渚、さん……?」

「こら、千夏、待ちなさいっ」

 続いて飛び込んできた空は、なにやらかわいらしいピンクの布切れ、どう見てもパンツ、おそらくは千夏のそれを振り回していた。

 

 千夏の姿よりも、パンツ振り回す空に呆れ果てて、力尽きそうだ。

「……なにやってるんだよ、二人とも」

「知らないわよヘンタイっ。千夏はさっさとこっちに来る」

『はーなーせー空~っ!』

 空がバスタオル一枚の千夏を、居間から引っ張り出していった。

『離せ空ー甲に見せ付けてやるーっ』

 まだ風呂場のほうで騒いでる千夏のことは、いったん忘れよう。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 七時三〇分

 

 先日の騒ぎ以降、俺とレインはシャワーの時間はずらすように気をつけていた。おかげで、トレーニングのほうがわずかに時間が削られているが、それはランニングの速度を上げるわかりやすい目標となっていた。

 ついでといえぱついでだか、居間の食卓につく時間も少しは早くなった。

 

 しかしそんな俺とは逆に、食卓についている他の二人はすっかりだらけている。

「始業式が土曜って、すげぇやる気が出ねぇよな……」

 一人は、須藤雅。

 入学して以来の腐れ縁、前の寮を追い出されて共にこの如月寮に転がり込んできた仲だ。

 冬休み前は実家に帰る予定なんてないといいながら、結局寮に戻ってきたのは休みの最終日の昨日だった。親孝行は十分できたようでなによりだ。

 

「私はいつでもやる気が出ない……式だけなら、出なくていいよね?」

 もう一人は当然、亜季姉ぇ。こちらにいたってはご飯を食べたらそのまま寝なおしてしまいそうだ。

「少しは千夏を見習ってくれよ、亜季姉ぇ……」

 空と真ちゃん、千夏と亜季姉ぇの中間くらいの活発さが、世間的には好ましいのではないか? 二度寝に入ってしまいそうな我が再従姉を眺めつつ、そんな風に思う。

 その千夏はすでに学園に出ている。朝錬ではないが、ミーティングがあるらしい。新学期初日からタイヘンだ。

 

「せっかくのレインの転入初日だ。二人とも星修の先輩なんだから、シャキっとしてくれ」

「お、それだよそれ。レインさんといえば、制服姿ってどうなのよ、甲」

 さすが雅だ。そっち系統の話題となると、いきなり眼が覚めたようだ。

「どうなのよってお前なぁ……登校するのは今日が最初だぞ? 俺もまだ見たことないよ」

「おいおい……正月いっぱいお前は何してたんだよ。見せてもらう機会くらい作ってあげろよなぁ。それくらいの甲斐性は持てよ、甲」

 初孫の入園式を心待ちにする祖父でもあるまい、学園の制服はわざわざ着てもらってまで見るようなものでもないだろう、とは思う。

 なのに、なにかどことなく上から目線で呆れられた。

 

「ま、あのスタイルならなに着ても似合いそうだからな。お披露目はぎりぎりまで待つというのもアリといえばアリだ」

 レインは今、話題の制服姿で、台所で菜ノ葉や真ちゃん達と朝食の準備をしているはずだ。気になるなら手伝いに行けばいいのだが……

「料理が出来るのが三人居ると、俺達手が出せんな」

「まったくだ。何気にあの台所、狭いからな」

「ある意味、空が料理に手出しできなくなったというのがレイン最大の功績かもしれん」

 そんなどうでもいいことを言いながら、朝食が出来上がるのを待つ。

 

「って雅。やる気が出ねぇとか言いながら、お前もしっかり起きてきてるんじゃねーか」

「ま、そこはそれ。俺にもいろいろと思うところはありまして」

 雅が寮に戻ってきたのは結局昨日の夜で、それなりに長い休暇の間に、なにやら実家のほうでは久方ぶりの親子の会話というのがいろいろと展開されたらしい。親子でしっかり話ができる雅が、少しばかりうらやましい。

 

 

    〓

 

 

「おま、たせし…した」

「ありがとう真ちゃん。何か運ぶものとかある?」

「だいじょぶ、です。あ…の、それよ、も、おねちゃんが……」

 誠ちゃんはちらちらと台所のほうを気にしている。そちらで、なにか起こっているのかは漏れ聞こえる声だけでわかってしまった。

 

『あ、あの空さん?』

『だいじょーぶだいじょーぶ。料理は私が後で運ぶから、まずはお披露目よ、お・披・露・目っ』

「ほら、ばばーんっとお披露目しましょうっ」

 押し出されるように居間に入ってきたのは予想通りレインと、押し出した張本人の空だった。

 

「やっぱり。似合ってるね、レイン」

「うんうん。レインさんに着られるためにデザインされたかのような制服だな」

 亜季姉ぇと雅がそろって褒める。

 寮の皆が着ている星修の、白と青の制服。通いだしてそろそろ二年になる、見慣れているその服もレインが着ると、新鮮だ。

 

「ほら、甲もちゃんと見てあげなさい」

「え? ええっ?」

 空は、今度は俺をレインの前に押し出した。

 恥らうように眼を逸らすレイン。その姿はやはり新鮮だ。

 新鮮なのだが……

 

「……なんというか、なにか無理やり着せられた感がすごいな」

 間近で見る、その初めての制服姿。慌てふためくレインに、ふと思ったとおりのことを漏らしてしまう。

 そう確かに新鮮なのだが、それとは別にして、どこか違和感が付きまとう。レインが着慣れているのは何か別のものだという思いが頭の片隅から離れない。

 

「あ、あのっ。やっぱり私には似合いませんよね?」

「い、いやっ。俺が見慣れていないだけだと思うっ」

 そうだ亜季姉ぇと似たような体格なのだから、レインに星修の制服が特に似合わないというはずはない。姿勢が良すぎるところから違和感があるのかもしれないが、違和感であって、似合ってないわけではない。

「う、うん。なにか新鮮すぎて、ちょっとビックリしてるだけだ。綺麗だよレイン」

「き、綺麗だなんて甲さん……ありがとうございますっ」

 焦って何かとんでもないことを言ってしまった気はするが、潤んだ瞳で見つめ返されてしまった。

 

「はいはい、甲もレインさんもそんなに見詰め合ってないで、まずはご飯にしましょ」

 菜ノ葉のどこか諦めたかのような仲裁で、新学期の朝ははじまりつつあった。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 一二時五〇分

 

 今日は新学期初日、授業があるわけでもなく簡単な連絡手続きなどを終えて教室を出る。

「レインさん、人気すごかったな」

 雅が呆れたような、それでいてどこか誇らしげな感想を漏らした。

 新年早々の転校生紹介、それも男女ともに誰から見ても美人で儚げなお嬢さま。それは休み明けの、クラス全体の少し疲れた気分を一掃していた。

 

 しかもレインの転入にまつわる事情も、桐島大佐とのことや鳳翔学園での不登校気味だったことなども、皆それとなく知らされていたようだった。なにやら救出された戦友を受け入れるかのような歓迎ムードだ。このあたり間違いなく空の手配なんだろう。

 その空は、なにか新年会の企画とやらで、クラスの連中と早々に学園を出ていた。またなにやらイベントを考えているらしい。

 

「皆さん親切で、本当にありがたいことです」

「男子の大半は下心丸出しだったけどな」

 雅、その言葉はお前に返ってくるぞ、と口にしかけたが言わない。最近の雅はあまり女を追いかけていない気がする。クリスマスイブに会っていたという娘と、うまく続いてるのだろう。雅にしては珍しいことに。

 

「で、今日は久しぶりに、やるか?」

「そうだな、千夏も時間あるか?」

「私は大丈夫。部活のほうも本格的に再開するのは週明けからだね。今朝のミーティングでちゃんと連絡してきたしね」

 朝早くから寮を出ていたと思えば、そのあたり千夏はしっかりと話しを通しているようだ。

 

「レインもどうだ?」

「あの、何のお話でしょう?」

 聞かれて気付いた。確かに何の話かわからないな、これでは。

戦闘用電子体(シュミクラム)。最近何かと時間が合ってなかったから、チームで練習するのはけっこう久しぶりなんだけどね」

 新人(ニュービーズ)選手権(インパクト)に合わせて結成した俺と雅、そして千夏の三人チーム。

 

 ただ、このところ千夏の怪我や俺の共振(ハウリング)などの要因で、三人では闘技場(アリーナ)などには参加していなかった。

「レインって、シュミクラム持ってるの?」

「え……はい。皆様の影狼(カゲロウ)とは比べられないような中古品ですけど」

「いやいや、俺達のは亜季さんからのプレゼントだし」

 

 普段使っているせいか忘れそうになるが、シュミクラムは高価なものだ。電脳化が進んでいる第二世代(セカンド)が集うこの星修でも、一介の学園生がそうそう持っているものではない。二人が驚くのも無理はないな。

「レインさんが入ってくれれば、ちょうど四人だし、タッグ戦とかもやってみたいよな」

「だね。チームとして組む組まないはともかく、ためしにどうだい?」

 雅も千夏も、乗り気だ。

 

「どうする、レイン?」

「は、はいっ、ぜひ参加させてくださいっ」

「しかしタッグ戦か、いいねー賭けるかい、甲?」

 好戦的な、というにはいささか下心があからさまな千夏の様子も、なにか久しぶりな気がする。

 あの無茶な賭けも、もうずいぶんと昔……ではないな。まだ先月の話だ。

「お前と何か賭けて戦うのはもうこりごりだよ……」

 

 だがその挑戦に乗るのもいい刺激にはなりそうだ。

 にやりと、わざと挑発するように笑って見せる。

「ただ、来週の昼飯全部、とかなら乗ってもいいぜ、千夏」

「言うねぇ、甲。そこまで言われたら引くわけには行かないね。雅っ、さくっと蹴り倒して来週は豪華ランチだよっ」

「お、おうっ?」

 組み分けは、なにやらあっさりと決まってしまった。

 あとは寮に戻って、没入(ダイブ)するだけだ。

 

 

 

 

 

..■一月八日 土曜日 一三時三〇分

 

没入(ダイブ)

 

 目的地である星修構造体(ストラクチャ)、その中の施設の座標をレインに送り、ともにそちらへ転送(ムーブ)する。

「甲っ、遅いよっ」

「お待たせして申し訳ありません、渚さん、須藤さん」

「悪い、レインはここが初めてだからな。中継界(イーサ)経由で来たんだ」

 

 すでに集まっていた二人が、転送(ムーブ)してきた俺達に駆け寄ってくる。やはりこちらも制服ではなく、ラフな格好だ。

「千夏のことは気にするな、レイン。身体動かしたくてうずうずしてるだけだ」

「そうそう、なにはともあれ、ようこそ星修の模擬戦闘場(アリーナ)へ」

 

 大げさに身振りで歓迎の挨拶をする雅だが、残念ながらここはあまり華やかな場所ではない。コンクリートの打ちっぱなしの、ただただ広いだけの空間だ。周囲は、数十メートル近い高さの壁に囲まれており、その上にはちょっとした観客席などがある。

 普通に立っていると、その広さが逆に圧迫感をもたらすほどだ。

「さすが星修学園ですね、これほどの施設があるとは、すばらしいです」

「授業で使う関係もあって、観客席や各種の観測機器もしっかりしてるからな。下手な警備会社よりもよっぽど充実してるよ」

 

 そんな殺風景な場所も、ここに来るのが初めてのレインにとっては、やはり新鮮なのだろう。ものめずらしそうに周りを見ている。

 いや、レインのことだ。周辺設備の精度など含め、必要な情報を確認した上での驚きかもしれない。

「まあ、いまはそのあたり特に使うこともないさ。軽く身体をほぐしてから、はじめるか」

 

 

移行(シフト)

 

 俺達は少しばかり距離をとり、ここ一年で馴染んだ起動プロセスを立ち上げる。

 直後、機械音声(マシンボイス)のシステムメッセージが脳内に響き、俺の身体は一瞬で変貌する。

 戦闘用電子体(シュミクラム)。その名の通りの戦闘用に特化した、仮想(ネット)での電子体。それは一言で言い表すならば、全高一〇メートル近い人型の戦闘ロボットだ。

 

 通常の電子体は、AIが観測した現実(リアル)の俺達を忠実に再現している。つまりは衣服などでの変装はできるが、体格などは変化できない。現実(リアル)でむさ苦しくとも仮想(ヴァーチャル)では美男美女、というわけにはいかないのだ。

 ただ現実(リアル)で整形すればそれが反映されるし、残念なことに四肢の欠損などもそのままに再現されてしまう。このあたりの仮想(ネット)論理(ロジック)は、冷徹なまでに平等だ。AIによる観測には、人間的な意味での寛容さはない。

 

 対してシュミクラムは、各種のプラグインを大量に追加し、戦闘用に拡張された電子体である。

 仮想(ネット)の再限度が現実(リアル)に並ぶほどに上がり、そしてそこでの政治経済が重要になればなるほどに、仮想(ネット)での破壊活動もまた、現実(リアル)に大きな意味合いを与えることになった。

 上下方向へ構造体が複雑に積み重なる仮想空間(ネット)において、戦車や戦闘機は少々使いにくい。兵器自体の設計にはそれほど制限がないこともあって、いつしか仮想(ネット)での戦闘の主力は、この人形のシュミクラムが担うようになっていた。

 

 第二世代(セカンド)が集まるこの星修学園では、選択講座ではあるが授業の一環としてシュミクラムの演習も含まれている。

 もちろんシュミクラムは高価なツールであり、個人所有している学園生は多くはない。授業時間外のシュミクラムの貸し出し申請には手間が掛かるが、模擬戦闘場(アリーナ)自体はすぐに使用できる。このあたり自前のシュミクラムがある俺達にとって非常にありがたい。

 

「なにか久しぶりだけど、問題なさそうだね」

「甲のことだ、一人でこっそりと休み中練習してたに違いないさ」

 距離を取ったといっても移行(シフト)すると一〇メートルの巨体である。すぐ横に並び立つ千夏と雅が、こちらの様子を確認するように覗き込んでくる。

 

 影狼(カゲロウ)、俺の機体は、亜季姉ぇが作り上げたカスタムモデル。この春に寮への引っ越し祝いということでプレゼントされたものだ。亜季姉ぇ曰く、AIの成長パターンか何かを参考にしたとかしないとかで、使い込むことで少しずつ最適化、成長していくらしい。

 その証明ではないが、千夏と雅の機体も俺と同じく影狼(カゲロウ)ではあるが、機体カラー以上に大きく差が出ている。千夏はより格闘、それも蹴りを主体とした軽装の、赤い影狼(カゲロウ)・凛。対して雅は、拘束系武装の多い重装型の、黄色の影狼(カゲロウ)・鎧。

 二人とも機体に異常はなさそうだ。

 

「レイン、調子はどうだ?」

「問題ありません。各部正常可動」

 レインの機体は、蒼い細身のものだ。手にしているのは槍というか薙刀。アイギスといったが、かなりマイナーな機種だ。

「さーって、最初は軽く……とは行かないよっ」

「おうっ、来週の豪華ランチのために、全力でいくぜっ」

 すでに相手タッグは着合い十分だ。これは待たすのは心苦しいな。

 

 

開戦(オープンコンバット)

 

 脳に響くシステムメッセージと同時に、千夏の影狼(カゲロウ)・凛が俺に向かってまっすぐに突っ込んできた。レインと俺とが連携をとる前に、短期決戦で決めるつもりか。雅はそれに合わせて少し下がり、援護射撃に回るようだ。

 だが千夏が蹴りに移行する瞬間、その足元に俺の左後方から的確に投げられたナイフが突き刺さる。

 もちろんその程度で態勢を崩す千夏ではないし、ダメージそのものもほとんどないはずだ。

 

 ただ、その一瞬の間に、俺はダッシュで距離を詰めきっている。千夏の得意な蹴りの距離ではなく、触れ合う寸前のショートレンジだ。

 溜め込んだ膝を千夏の腹に叩き込み、さらに右拳をアッパー気味に打ち上げ、浮き上がりつつある機体に続けて左のストレート。

 

「っ!!」

 そして地面に落ちていく千夏へ追撃のハンマーを振り下ろす……はずだったが、こちらの機体の熱が思ったよりも高い。しかも千夏のほうもダメージはどうも少なそうだ。無理に攻めてカウンターを貰うのも馬鹿らしいので、軽くブーストを噴かして、着地位置を調整する。

 身体を入れ替えるように、俺の右脇からレインが薙刀を突き出し、立ち上がりかけた千夏の脚を払う。後退援護のタイミングとしては完璧だ。

 

「悪い、レイン。仕留めそこねた、そっちはどうだ」

「機体損傷ありません」

 返答と同時に、レインはアイギスの簡易状況データをこちらに転送してきた。確かに損傷はないが、熱は少しばかり貯まりすぎているようにみえる。

 

「ただ、申し訳ありません。雅さんのほうにも有効な打撃を入れられませんでした」

「ああ見えて、雅のやつ、距離とるのは上手いんだよな」

 俺としても、浮かしておきながら千夏にとどめをさせなかったのは悔しいが、こちらは双方損傷なし。けっして満足できる状態ではないにしても、初手としては十分だ。

「さて、頭も機体も冷えたところで、一気に行くぞ」

了解(ヤー)

 

 そして千夏は三秒後、雅はその一七秒後に撃破判定が出た。

 

 

    〓

 

 

「うーくやしーいっ! 一発も入れられないって、なんなのよ」

「お前ら、休み中どれだけ練習してたんだよ」

 除装もせずに二人は寝転がったまま、恨めしそうな声を漏らす。ゴロゴロと……といったイメージなのだが、もちろんシュミクラムでそんなことをしているわけではないが、千夏の雅の声はまさにそんな感じだ。

 

「はぁ? 何言ってんだよ、休みボケを実感中だぜ、まったく」

「ですね……機体がどことなく重く感じましたし、熱管理を誤るなんて恥ずかしい限りです」

 さっきの戦闘で、最後レインが雅にとどめを入れるのをこちらに譲ったのは、間違いなく冷却のためだ。俺と同じく、どうも廃熱処理や個々の攻撃に切れがない。

 見た感じ、薙刀の溜め斬りがどこか重いし、ナイフにしても投擲からの姿勢の戻りが悪い。

 

「っておい、甲、レインさん。何言ってるんだ」

 視界の片隅に丸く切り取られ映し出される表情画面(フェイスウィンドウ)、そこに浮かぶの雅の顔が、試合の疲れではなく本気の驚きに変わっていた。

「何言ってるって……せっかく初撃でレインが千夏の突進を止めてくれたのに、しかも打ち上げておきながら熱計算ミスって倒せなかったってのは、恥ずかしすぎるだろ」

「……おいおい」

 

  - 『筋金入りの凄腕(ホットドガー)なら、ひとたび敵を打ち上げれば、そいつが落ちるまでに機体を破壊し尽くしているだろう』

 

 ナノマシン開発の第一人者にして、俺達のシュミクラムの師匠である久利原直樹先生の言葉だ。

 もちろん今の俺は凄腕(ホットドガー)などと嘯けるレベルではないが、それでも浮かした敵を逃がすというのはいただけない。

「あーっもう細かいことはいいっ! もう一回やるよ、雅っ。次は絶対にっ」

「絶対に勝つ、か? 望むところだ。レインいけるな?」

了解(ヤー)

 

 

    〓

 

 

「あのレイン、千夏さん……そろそろ終わりにしませんか?」

「そ、そうそう。早く戻らないと……」

 

 すでに時刻は夕方近い。

 最初は俺とレイン、雅と千夏のタッグ戦だったのだが、何がどういういきさつか、いつの間にかレインと千夏のタイマン勝負がはじまっていた。

 一戦目は、開幕からいきなり大技狙いの千夏に、カウンター気味に一撃でレインが勝利。

 二戦目は逆に、その大技を囮にした千夏が、ギリギリで削り勝った形だった。

 

 そして今は三戦目。双方ともに油断も慢心もない。

「しかし、あのアイギスって、そんなに良い機体じゃないよな」

「確かちょっと型落ちだったかな。あまり見かけない機体だけど、悪くはないとは思うが……」

 貯金をはたいて中古を買ったとか、そういう話を前にレインに聞いた気がする。亜季姉ぇから引っ越し祝いとしてプレゼントされた俺が言える立場ではないが、中古とはいえシュミクラムを一体買ってしまうレインはやっぱりお嬢様なんだろう。学園生の貯金で普通に買える値段ではないのだ。

 

「悪くはない、程度だろ? 統合軍内でも傑作機と言われる鉄狼(アイゼンヴォルフ)系の、しかもそのカスタムモデルの影狼(カゲロウ)相手に同等以上に戦ってるって、レインさんいったいナニモンだよ」

「桐島大佐も名の知れた凄腕(ホットドガー)だからな。小さいころから鍛えられていた、とか」

 一対一、しかもこんな遮蔽物も何もない模擬戦闘場(アリーナ)では、どうしても機体の優劣がはっきりしてしまう。性能差であればレインに勝ち目は薄いが、この三戦目は今のところはまだ両者拮抗している。

 

「それに……千夏のやつ、本気になってないか?」

「ああ、完全に本気モードだ。これはレインには不利だな」

 先ほどから千夏は得意のブースターでの高速移動もせずに、軽めの蹴り主体でレインに防御を強い続けている。レインのアイギスもダメージそのものはいまだ低いが、小気味良い千夏の攻撃に反撃の糸口を掴めずにいる様子だ。

 

「ん、そうなのか? レインさんなら焦らされても、最後まで冷静に戦いそうなもんだが」

「それがなぁ、レインはああ見えて特攻願望あるから……じれてきたら突撃しかねん」

 頼むから最後まで落ち着いててくれよ、と思う間もなかった。千夏のレッグスラッシュ、素早い回し蹴りを眼前でかわし、レインが薙刀をねじ込もうと一歩踏み込みかける。

 

「レイン下がれっ!!、誘いに乗るなっ!」

 

 千夏の脚が、空を斬る。

 今レインが入るはずだった空間、アイギスのメインカメラのまさに眼前を、千夏の爪先が綺麗な円を描いた。

 

『……なによ、甲。いつからレインのセコンドになったわけ?』

 必殺の一撃を外された千夏が、双方距離をとったところで不満げに言い放つ。

「あ、スマン……つい口を挟んじまった」

 

『あら、では渚さんも甲さんからアドバイスを受けてみては? 私のことなら甲さんは何でもご存知ですから』

 焦りから誘いに乗らされたことを自覚しているらしく、レインが時間稼ぎの挑発を口にする。

 

「おいおい……レイン。千夏を煽るんじゃない」

「甲よ、お前が火に油注いでどうするよ……」

 雅につっこまれて気付く。今の言葉は千夏を余計に怒らせるだけだな。

「というか二人ともいいタイミングだ。菜ノ葉と真ちゃんが新年会の準備してくれてるんだし、そろそろ切り上げて、戻って手伝おうぜ」

 このままでは双方倒れるまで戦い続けそうな勢いだった。少しばかり強引でも、ここは切り上げさせたほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

..■一月一〇日 月曜日 〇時〇分

 

「結局課題がまったく終わってねぇっ」

「さすがだな相棒っ、心配するな俺もできてねぇっ」

「甲、雅、あんた達二人が頼りなんだからねっ」

 

 

『うるさいわね、三人ともっ! 素直に補修うけなさいっ!!』

 

 

 

 

  学園生 / SchoolDays

            終

 

 

 

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