BALDRSKY World7+Flat / バルドスカイ 世界7+♭ 作:ほんだ
..■一月一六日 日曜日 一一時一〇分
具体的な対策はアークに一任するということで大まかな方針は決まり、俺とレイン、そして親父はアーク社長室をあとにした。
ノイ先生は社長室に残った。空と真ちゃんの診察に関して、まだ聖良叔母さんと話があるらしい。普段は気にしていないが、叔母さんは二人の後見人だったな。
「っと、二人ともまだ時間はだいじょうぶか? ちょっと話しておきたいことがあるんだが」
『
廊下で立ち話もなんだ、と連れてこられたのはアーク
休憩スペース、とは言うものの人影はまったくない。亜季姉ぇを見ていても思うが、
おかげで人に聞かれたくない話には、いい場所だ。
「二人にって言うか、レイン嬢ちゃんには、まずちゃんと謝っておかなきゃいかんと思ってな」
親父がレインに、ということでは話の先が見えずに、俺は口を挟めない。
「お袋さん……エイダさんのことは、本当にすまなかった。いまさら言っても仕方ないが、八重が生きてりゃあ相談にも乗れたんだろうが」
「あ、あの……実は先ほども……」
親父の言葉にレインも戸惑う。レインは俺の母さんのことは何も知らないはずだ。
「ってちょっと待て親父。桐島大佐と親父が統合軍時代の同僚で、その関係で親父がレインの母さんを知ってる、ってのはいい。なんでそこに母さんが絡むんだよ?」
「ん? 甲よ、何か勘違いしてるのか知らんが、エイダさんと八重は、というか聖良さんもそうだが、同じ職場だったんだぞ? そのあたりは聞いてないのか?」
俺は初耳だ。知っていたのかと、疑うような視線で、レインのほうに顔を向けてしまった。
「いえ。先ほど橘社長からもお詫びの言葉をいただきましたが……私も母が結婚以前に何をしていたかはあまり聞かされていなくて」
「まあ勲にしても、あの研究所の話はあまり蒸し返したいことじゃないだろうしなぁ」
親父自身も蒸し返したくはないらしい。口が重くなる。俺としてもあらためて親父から母さんのことを聞きたいわけでもない。
ただ、その内容はどうしても気になる。
「研究所って……まさかノインツェーンのか?」
「ああそうだ。母さんや聖良さんが第二世代
どうも整理すると、親父と桐島大佐が統合軍の同僚でノインツェーンの研究施設の警備担当の部隊だった、と。そしてそこで母さんや聖良叔母さん、レインのお母さんが同じ研究員だった、ということか。
「父と母とは幼馴染で、それで結婚したと聞かされていましたが、そうだったんですね」
「幼馴染というのはその通りだ。ま、その伝手で俺が八重と知り合えたってのはあるな」
研究員とその施設の警備担当とで、接点がありそうでない二人がどう知り合ったのかと思えば、そういうことだったのか。
「勲とエイダさんの仲が拗れてるっていうのは耳には挟んでいたんだが、ちょうどそのときには八重が倒れて……いや逆だな。八重が倒れたのを聞いて、勲は反AIに傾いたんだろう」
「でもどうして父は、それほどまでに母をネットから遠ざけようとしていたのでしょう?
改めてエイダさんの経歴を聞くと、
「勲本人でも当時の気持ちははっきりとは説明できんだろうが、研究者だったから……じゃねぇかな。八重の死因が電脳症そのものじゃなくて、ドミニオンによるものだってのは勲だって知っていただろうし、遠ざけたくなるのもわからなくはねぇ」
「ますますわからなくなったぞ、親父。母さんの死因がドミニオンによるものだってのはこの際いいさ、俺もそのあたりは知ったし」
それはいつかちゃんと親父から聞きたいことではあるが、今はいい。
「ドミニオンに対して警戒するのが、何でネットからの遮断になるんだよ。桐島大佐はそこまで頑なな人じゃないぞ」
「そうか……嬢ちゃんもそのあたりは聞いてないのか?」
レインの返事を受けつつ、これからいうことはあくまで俺の、研究員だったときのエイダさんの印象なんだが……と説明をはじめた。
「エイダさんはもともとあの糞神父、当時はグレゴリー博士だな、その思想に傾倒しているところがあった。もちろん研究員としてであって、狂信的なもんじゃないぞ? AIとの共存、AIに導かれることで理想の進化を遂げる人類ってな具合に、理想主義的な人だったんだ」
「ソフィアの御心のままに、か……」
確かにそういう人だと知っていれば、過度の
それとは別に、俺には聖堂でマザーに向かって祈りを捧げていたレインの姿が思い出される。天使と見間違えるほどの、触れてはいけない、近寄りがたく感じたあの姿。桐島大佐もエイダさんに似たような思いを抱いたのではないのだろうか……
「今となっては、謝っても済む話じゃないとはわかっていても、話だけはしておこうと思ってな。まあ話して楽になりたいっていう勝手な自己満足だがな」
「いえ、お話いただいてありがとうございました、大佐。母の死に関して父を許すつもりはありませんが、また今度話を聞いてみようかと思います」
「おう、俺がいらん口出ししたことだけは黙っといてくれや」
親父の口ぶりに、くすっとレインが笑う。エイダさんの話を聞いた直後に、形だけでも笑えるくらいには、レインの中で気持ちの整理がついてるようだ。
〓
「っと、坊主に嬢ちゃん。忘れんうちに渡しとくわ」
親父に挨拶して
「明細確認して、受領サインくれや」
「おい親父、なんだよ」
「あ、あの。これは、いったい?」
俺もレインも、これが「何か」はわかっている。ただ受け取るいわれが俺達にはない。
「昨日のアーク保安部隊との合同演習に参加しただろ。その分の給与、日当だ」
「給与って……」
「作戦参加の誓約書に二人ともサインしたろ、もちろん給与も発生するぜ」
送金の名目はその通りだ。作戦参加にともなう基本給与に危険手当やら何やらが増額され、各種機材の使用諸経費や掛け捨ての保険類を引いたもの。書類としては良く出来てるな。おまけに貸与された各種装備品に関しては全権限を譲渡する、とまである。
「受け取ってもらわんとこっちが困るんだよ。部隊内の演習ならともかく、外部との合同演習に参加していた奴への金払いが不透明だと、どこからつつかれて脱税嫌疑をかけられかねん」
傭兵、PMCといえどもその名の通り会社組織だ。どれほど悪名高くとも、そのあたりの法を捻じ曲げてしまえば、雇い主さえ減ってしまう。
それはわかるのだが……
「いえ、しかし……おっしゃることはそのとおりのですが、それでしたら私達が演習に個人参加するため、『フェンリルに参加費を支払った』としていただいてかまいませんが」
「そうだぜ親父。レインの言うとおり、あの演習なら金払って参加するフリーの連中くらいいくらでも居るだろう?」
形式上受け取らなければならないのは理解できるが、額が額だ。正直、俺もレインも貰いすぎてる。
「おいおい……二人とも傭兵関連の経験、って知識か。それは確実にあるんだろ? 電脳将校、しかも部隊指揮官扱いに、臨時任官やら危険手当付けたらそれでも少ないくらいだぜ、まったく。嬢ちゃんにいたっては、フェンリルのサポートまで賄ってもらったんだ、本来ならその倍くらい払わなきゃ経理が怪しまれるぜ」
「す、すいません、最後でしゃばりすぎました……」
「いいってことよ。だいたいウチじゃサポートも前線に出ることが多い。こっちとしてもいい演習になった。まあアレだ、甲。二人で旨いもん食うなり、菜ノ葉ちゃんや亜季ちゃんにお土産でも買って帰ってやれや」
そういう金額じゃねぇだろ……とは言いたいが、ここはせっかくの親心だ。ありがたく貰っておこう。
「わかった。これは受け取らせてもらう。装備もありがたく使わせてもらうさ」
受領サインをして、親父に必要書類を送り返す。
「しかし、初任給が親父からとはねぇ、ヘンな記憶があっても、これはさすがに予想もしなかったな」
「ぬかせ、ガキは親の肩叩いて小遣い貰うのが初任給ってのが、この州の伝統だ」
「くすっ、あとは母親の買い物の手伝い、といったところでしょうか?」
俺も親父も、そしてレインも、親子関係としては普通とは程遠い場所に居るのは自覚している。そしてそれをネタに笑える程度には、どこかそういうものに対する憧れを割り切ってしまっていた。
〓
「あとな……言うか言うまいか迷ってたんだが、せっかくの機会だ言っておく」
「おいおい……数年分の小遣いのまとめ払いに続いて、説教ひとまとめとかはやめてくれよ」
「ちげぇよ。お前が連絡して来た最初の話だ」
最初のというと、シュミクラムの腕を見てくれって話か。報告書はすでに貰ってはいるのが、何かまだあるのか?
「甲よ、お前は雅と千夏だったか、あの二人とは
「それは……」
否定しようにも否定できない。腕の差、といってしまえばただそれまでだが、今の俺にとって、あの二人との連携では満足できないだろう。いや違うな……
「昨日の昼飯のときに言った、気になったってのは、自分達以外を信頼していないってところだ。ウチの連中のトップ六人を与えても、その腕は信用しても、頼ることは無かっただろ?」
俺個人の所感に過ぎんから報告書からは省いたがな、と付け加える。
叱責されているわけではない。ただ、歴戦の兵士としての親父の、俺とレインに対する所感、だ。
「わかった、親父。気付かせてくれてありがとよ」
雅や千夏とアリーナで戦うのは、たぶん今でも楽しいだろう。演習で一緒に戦ったフェンリルのシュミクラム乗りは本当にいい腕だ。
それでも俺は、それだけでは駄目なのだろう。
「そうだな。確かに俺は、自分の命をレイン以外に預けることは、もうできないんだ」
「甲さん……」
〓
「甲、それに嬢ちゃんもだ。
お前達二人は強い。電脳将校としてだけではなく、陸戦でもそれなり以上だ。ただ、間違えるな、今のお前達二人は学園生なんだ。ドンパチやったり死んだりするのは、俺達に任せておけ」
たぶん門倉永二としては、それが父親として子供に言える最後の言葉なのだろう。
次に会うときは、軍人同士かはともかく、一人前の男として扱われるのかもしれない。
じゃあな、と適当な挨拶を残して、親父はアーク
俺はレインと二人、いつもより少しばかり長く敬礼して、その姿を見送った。
..■一月一六日 日曜日 一三時一五分
せっかく清城市に来たのだから、久利原先生のお見舞いには行きたい。
そして聖良叔母さんから教えてもらった先生の入院先は、昨日俺達が世話になった病院だった。
しかも久利原先生の病室といわれて指示されたのは、ノイ先生の担当フロア、それも診察室の三つ隣の部屋だった。
「なんとなく予感はしていたんだが、久利原先生の担当って、ノイ先生……だよなこれはどう考えても」
「このフロア自体、ノイ先生のためだけのものみたいですしね」
ただ、そのすぐ近くの部屋に行くのに、俺達は一度病院を出て、近くのケーキ屋に向かい、再びこのフロアに戻ってきたのだ。見舞いなら手土産ぐらい持って行けと言われて買ってきた、ノイ先生オススメのケーキを携えて。これも間違いなくあの人が食べたいだけだな。
「あ、あの。私がお会いしてもよろしいのでしょうか? 甲さんお一人のほうがいいように思うのですが……」
さっきからレインの様子がどこかおかしいと思っていたが、ドアの前でついに脚を止めた。
「そりゃレインは面識ないかもしれないけど、まあ俺のシュミクラムの師匠みたいな人だし、できれば会って欲しいな。それに如月寮の先輩でもあるし」
「しかし、私は博士の研究を妨害していた軍人の娘ですし、あまりお会いするのも良くないと思うのですが」
「ああ、そういうことか。ならそれこそ会ってちゃんと謝ってみるべきだろ、レイン」
桐島大佐と久利原先生とが、アセンブラの開発に関して何度かやり合っているのは俺も見たことはある。しかしそれでレインを責めるような先生ではない。それを俺が言うのは簡単だが、レインには直接会って先生のことを知って欲しかった。
「……わかりました。誠心誠意、謝罪いたします」
〓
『どうぞ? 開いてますよ』
「失礼します」
ノックに応えるどこかで聞いた女性の声に導かれ、そのまま病室のドアを開けた。
しかし部屋に入った瞬間、名状しがたい異様な感触。
『
壁を背に、扉の左右に張り付く。が、手持ちに都合のよいミラーなど今はない。仕方なく少し頭を下げて室内を覗き込むが、そこにいたのは予想外の人物だった。
「甲? それにレイン?」
「なんで空がいるんだよ……」
「まさか二人ともどこか怪我したのっ? 昨日雅は帰ってから部屋で寝込んだままみたいだし……」
「あーそれは単なる筋肉痛だ、たぶん」
やはり寝込んだか、雅。あれは完全に運動不足だ。
「ご心配なく。甲さんも私も、怪我などありませんよ、空さん」
「というかだな、空。怪我したんなら、ここじゃなくて普通に診察受けに行くよ。俺達は久利原先生へのお見舞い」
自分がどこに居るのかも忘れて、慌てているのは空らしい。真ちゃんも後ろでおろおろしている。いや、慌てふためいていたのは、先ほどの俺達も同じか。
「あ、そか。怪我なんかでは、ここにはこれないしね」
『楽しそうなところすまない。水無月空君、真君。待たせて悪かった、今から診察したいから、こっちに来てくれ』
部屋にノイ先生からの呼び出しが流れる。なるほど忘れそうになるが、ここはノイ先生の病室なのだ。いたるところに監視があるに違いない。
「じゃあ、私とまこちゃんは診察に行ってくるわ、帰りは一緒に帰ろうか?」
「おう、それまで飯でも食って待ってるさ」
「そうね……駅前のモールあたりで時間潰してて。レインをよろしくね」
話しはじめると空は長い。早く行かせないと、ノイ先生が怒鳴り込んできそうだ。
「はいはい、早くノイ先生の行ってこい、真ちゃんもしっかりね」
「あい…せんぱい、せんせ、しつれ…します」
飛び出しそうな空と、ぺこりと頭を下げていく真ちゃん。いつもの二人で安心した。
〓
久利原直樹先生。
俺や雅、千夏にとってはシュミクラムの師匠にあたる人で、そして世間的にはドレクスラー機関主任にして、次世代型ナノマシン「アセンブラ」開発の中心的人物だ。
しかしアセンブラ開発の開発完了の目処が立った昨年秋に、心労のために一時休職。以来、休養を兼ねての検査入院ということだったが、その姿を見るかぎり入院患者には見えない。というか白衣を着ている人を入院患者とはさすがに思えないな。
「ははは、君達は相変わらず仲がいいね。と言いたいが……男子三日会わざれば、刮目して見よ、といったところかな?」
笑ってはくれているが、久利原先生の目が鋭い。
「すいません先生、入院されたときにすぐにお見舞いに来れればよかったんですが、そのあと俺もヘンなことに巻き込まれまして」
先ほども、空はともかく、真ちゃんはどこか俺の変化がわかったのか、距離を取っていたようにも見える。
そしてそれに気が付かないふりをしてしまう程度には、俺は経験ではなく知識を積み重ねているようだ。
「詳細は伏せられているみたいだが、簡単な事情は聞いたよ。大変だったみたいだね」
「いえ、俺自身はいいんですが、空にはかなり負担をかけたと思います」
クゥの、シミュラクラのことはアーク社内でも最重要機密だ。先生が概要だけでも耳にしていることのほうが驚きだ。
「でも先生、お元気そうで何よりです」
アセンブラの成功と、入院生活が休暇として良かったのか、昨年の張り詰めたような気配はなくなり、初めて会ったときの柔和な印象に戻っている。
「ありがとう甲君。みんなには心配かけたが、ご覧のとおり悠々自適の生活を送っているよ。ところで……」
「あ、すいません、こちらは……」
レインを振り返って、先生に紹介しようとして言葉に詰まった。さっきまでの気分のままで、副官だと言いそうになってしまう。
しかしレインのほうは、先生と俺との話を聞いていて、どうやらいつもの落ち着きを取り戻してくれている。ここは任せたほうが確実だ。
「はじめまして、桐島レインと申します。父が先生の研究を阻害したこと、申し訳ありません」
「桐島……ああ、統合の桐島大佐の、ご息女かな? 大佐には確かにいろいろと問題を指摘されていたが、あれは統合の仕官としては当然の対応だよ。それでこちらも見直すことが数多くあった」
「そう言っていただけると、助かります」
「いや、桐島大佐は本当に理論的に反対してくださって助かっていたよ。大半の反対派はまったくもって感情論以前の問題でね。反対したいから反対する以上のなにものでもなくて、あれには困ったものだよ」
言葉どおり、久利原先生は桐島大佐に対してどこか敬意も持ってくれている。そういえば先生も大佐も、仕事に対する実直さ、といったところでは似た者同士なのかも知れない。
「心労、お察しします、先生」
〓
「ああ、せっかく来てくれたんだ、そちらでくつろいでくれたまえ」
先生は俺達二人を、部屋の少し奥にある背の低いテーブルに案内してくれた。
「しかし、甲君が桐島大佐のご息女と一緒というのは、やはりご両親のご交友かな?」
「久利原先生は俺の親父をご存知なのですか?」
お茶を淹れてくれながら、久利原先生に尋ねられる。
質問に質問で返すのも失礼な話だが、さすがに知られているとは思っていなかったので驚いた。
「門倉大佐とは直接の面識はないが、お話はいろいろ聞いているよ。統合時代の霧島大佐とのコンビネーションは、シュミクラム乗りの間ではちょっとした伝説だからね」
親父のことを嫌っていた俺は、シュミクラムは好きでもできるかぎりそういう話を避けていた。なるほど確かに、その方面では有名なのだろう。
「それに門倉八重さんと桐島エイダさん、君達のお母様方の論文やレポートは、専門が違うとはいえ興味深く拝見させてもらったものだ」
「そうでしたか」
アセンブラ開発のための情報を求めて、
今更ながら、親父とは顔を合わせず、一人で生きてきたつもりだった自分が恥ずかしい。良くも悪くも、どこかしらで繋がっているのだ。
「じつは甲さんとは、両親とは無関係なところで助けていただきまして……」
そこでレインが言いよどむ。出会いはともかく、今の関係は説明しにくいな。
「レインは新学期から星修学園に転校してきて、いまは如月寮の一員なんですよ」
「では、甲君ともども私の後輩、ということだな。あらためてよろしく」
そういいながら、俺達が持ってきたケーキとともにお茶を出してくれる。多すぎないかと思っていたが、いろいろと買っておいてよかった。ノイ先生の分はちゃんと余裕がある。
「しかしすごいですね、この部屋」
ゆっくりと見回してみると、病室とは思えないほどに広々とした部屋だ。どう見ても病室ではなく、高級ホテルの一室だ。
「この部屋かね? いまは半分間借りさせてもらってる形なのだが、ちょっとした細工が私の治療には向いているのだよ」
「細工というと……回線の遮断ですか」
「そうだ。真君のような電脳症では無理だが、私の治療にはネットから切り離すのが一番早い、ということだよ」
言われてみれば先ほどまだ先生の座っていた研究用らしい机にも、旧式のキーボード式の端末が置かれている。いやネットに接続されていないこの場合は端末ではなく、スタンドアローンのシステムか。無線のみならず有線も遮断しているようだ。
「
「いえ、なにかこれはこれで落ち着きます。しかしこんな部屋が都合よくありましたね」
病院となると患者に関する情報の管理や監視は、重要ではなかろうか。わざわざ無線封鎖までしてネットから切り離すような病室があったとは驚きだ。
「もともとはノイ先生が……いや、この話は止めておこう。彼女のプライバシーに関わることなんだ」
「あの、それは……」
言葉を切った久利原先生の様子から、ノイ先生の生い立ちに関しては知っているのだろうと思われる。
レインも気付いたようだ。確認するかのように、こちらを見る。
「……いえ、わかりました。ノイ先生の出生などに関しては問いただしません」
「甲君、君は……知っているのかね。いや、失敬。止めておこうといったばかりだな」
〓
そのあとはレインの転入にまつわる空の活躍や、転入後の寮の騒ぎ、レインが知らない俺や雅と先生の出会いなど、取り留めなく星修の話をした。
そして気が付くと一時間以上お邪魔していた。
「と、長々とすいません、先生」
「お話が面白くて、つい夢中になってしまいました。申し訳ありません」
「いや、私も君達と話せて楽しかったよ」
席を立った俺達を、先生はドアのところまで見送りに来てくれる。
「甲君、レイン君。君達が何に巻き込まれているのかは、今は聞かない。ただ、一つ勝手なお願いをしたい」
「先生の頼みとあれば、どんなことでもお引き受けしますよ」
「私も微力ながらお手伝いいたします」
俺とレインを交互に見つめ、先生は言葉をつむぐ。
「真君を護ってあげてくれ。知っているかもしれないが、彼女は様々な方面から狙われている。それは……」
「もちろんです、先生」
「真さんは私の大切なお友達です。何があってもお守りいたします」
久利原先生はこの部屋から出られない。それはたとえ何があったしても、助けにいけないということだ。今の俺にどれほどの力があるかわからないが、先生の期待には応えたい。
「もう立派な大人だな、甲君。教え子の成長を感じられて私はうれしいよ」
..■一月一六日 日曜日 一四時三〇分
空と真ちゃんの診察が終わるまで、久利原先生の部屋にいるのも気が引ける。
先生は病室だとは言っておられたが、あそこはどう見ても研究室、それも日曜の昼間だったのに仕事中に見えた。あまり長居してお邪魔してもいけないと思い、早々に退散してきた。
「久利原先生は、いい人だっただろ?」
「ええ、お会いしてよかったです。でも思った以上にお邪魔してしまいましたね」
早く切り上げたつもりだったが、それでもかなり長い時間話し込んでしまって、俺とレインとは昼食の時間を逃していた。
遅くなった昼食を兼ねて、外で時間を潰すかと駅前に出てきたまではいい。ただ清城の中央ステーションの規模を完全に見誤っていたのだ。交通機関の要所ということに加え、
オープンテラスのカフェで時間を潰すか、あるいはランチ時は逃したが何かしっかりしたものを食べるか。はたまたせっかくのいい天気、休日客目当てで並ぶスタンドでテイクアウト、二人で歩きながらなにかを摘むのがいいかと、贅沢な悩みに包まれる。
「蔵浜と比べるのもあれだが、店が多すぎてこれはこれで目移りするな」
とりあえずはどこかに入って座るかと思ったところで、レインの胸元のペンダントに気が付いた。
「そのペンダント、ずっと着けてくれてるんだよな……」
「甲さんからの初めてのプレゼント、ですからね。私の宝物です」
俺もレインも、ずっとの意味はこの際流す。
「しかし……すまん、レイン。それに関してはほんとちゃんと謝らせてくれ」
「……謝る、ですか?」
「代わりに貰ってペンダント、空にあげてしまったの、レインも知ってる、よな?」
「いえ、その。アレは、ですね、私も見たときはちょっと、その……ちょっとだけですよ? ショックでしたが……」
やはりどういう形であれ自分が贈ったものを、他人に渡されているのを見るのは気分のいいものじゃないよな。それも相手が親友で、クリスマスプレゼントに恋人から送られたものだと思い込んでいるし。
「受け取ったあの直後に、勘違いした空に渡してしまった。本当にすまない」
「……え、ええっ? でも、箱も包装もぐしゃぐしゃになってましたよ、あのままに空さんに贈っちゃったんですか? それはダメですっ」
「あ~」
どうやらあのサイコロのペンダントを空に贈ったそのことよりも、剥き出しで渡したことが、レインとしてはダメらしい。確かにアレはプレゼントとしてはちょっとそっけないとかそういうレベルじゃないな。
「いや、そうじゃなくて、だな」
誤解を解くべく、あの日レインと分かれた後の様子を簡単に説明する。帰り際に空にぶつかってしまい、俺がペンダントの箱を投げ出してしまったこと。そして空が自分で壊してしまったといつものように勘違い、しかも自分へのプレゼントだと思い込んでしまったことなどなど。
「それは、なんと言いますか……空さんらしいです」
悲しんでいいのか、怒っていいのか、それとも笑っていいのか判断がつかないのであろう、レインも複雑な表情をしている。
「まあそんな感じで、喜んでいる空を見ると、本当の事を言い出せずに、そのまま早めのクリスマスプレゼントってことにしちゃったんだよなぁ。ほんとにすまない」
「いいですよ、もう。それにあのペンダントを空さんが身に着けているのを見たとき、ショックだったのは本当なんですが、それとは別によく空さんに似合ってると思ってしまって……」
「う、まあそう言ってくれると、助かる」
「むしろ謝るのは私のほうです。考えてみれば、あの時は甲さんのことをよく知らないままにプレゼントを選んでしまいました。たぶん心のどこかで、贈る相手を空さんに被らせていたのかもしれません」
あの頃のレインは、たぶん俺のことをどこか誤解していたのかもしれない。言葉は悪いかもしれないが、恋に恋する乙女、か? 男友達どころか、男とはほとんど話したこともなかったというし、何かを選ぶこと自体が楽しかったのだろう。
「で、さ。埋め合わせって言ったらちょっと違うけど、せっかく初任給を受け取ったんだ。今日、これでなにかレインに贈りたい。ダメかな?」
「……いいですよ、でも一つだけ条件があります」
初任給でプレゼントと自分で言ってから、事の重大さに気付いたが、もう止まるわけにはいかない。レインも一瞬ためらった上で、そんな風に続けた。
「条件?」
「私からも贈らせてください。いまの甲さんに何が似合うかをちゃんと考えて選びたいんです」
〓
さてそうなるとこの場所は非常に便利だ。少なくとも今この州で
「参考にしたいのでお聞きしたいのですが……」
「俺の趣味とか、じゃあ無いよな、今更」
「それはもちろんです。では無くて、甲さんが寮の他の方にどんなクリスマスプレゼントをしたのかな、と」
ああ、それは確かに参考になりそうだ。俺にとってもレインにとっても。
「じゃあせっかくだから、歩きながら見かけた店で説明するよ。まずはあれかな」
都合よくすぐに目に付いたのは、二つ先の店。
その店先に並べられている、クマかトラか判別が付きにくい、なんとも形容しがたい動物と思しき茶色のぬいぐるみを指差す。
「まず亜季姉ぇは、ぬいぐるみ。ちょうどそんなヤツだな」
「え? ええっ?」
亜季姉ぇの印象からは想像できなかったのか、レインはかなり驚いてる。
「亜季姉ぇは昔っからぬいぐるみとか人形が好きでね。初めて会ったときは、もう部屋中埋め尽くしてるくらいでさ。今は寮だからそんなに置いてないけど、たぶんどこかに仕舞いこんでるはず」
あと
「亜季さんには毛布を送ったのかと思ってました。すいません」
「新しい毛布贈ろうかとも思ったんだけど、卒業したら引越しだからね。さすがに仕事始めらゴロゴロしてる時間も無い……それ以前に
「くすっ…ですね」
〓
「菜ノ葉さんには、こういうものでしょうか?」
少し歩いた先で、レインが指し示したのはフラワーショップだった。造花やナノフラワーも並んでいるが、幾つかは天然のものもあるようだ。やはりレインでも菜ノ葉に贈るとしたら、園芸関連になるのだろう。
「菜ノ葉にはこういった鉢植えにしようかとも思ったんだけど……」
「あら、違うんですか?」
「ホウレンソウの苗にした」
ほかにもいろいろと考えたのだが、大根や白菜は見た目さすがにプレゼントではありえないし、プレゼントっぽいハーブやスプラウトでは、俺の密かな目的に合致しないのだった。ホウレンソウはそのあたりのせめぎあいの妥協点だ。
といったことを、照れ隠しにまくし立てる。自分でもあのチョイスは少し恥ずかしい。
「そういえば、裏庭で新しい一角に植えてありましたね」
「ニラ以外の野菜に目覚めてくれるように俺の儚い願いだよ」
それでも雑煮がニラだったのは、菜ノ葉自身がもはや何かに取り付かれているに違いない。
〓
いくつも並ぶブティックを横目に、スポーツショップの前に来る。
俺もレインも部に属しているわけではないが、確かにこういう器具はあればあったでトレーニングには便利だ。
「渚さんには、やっぱりなにかスポーツ系のものですか?」
「千夏には、前に雅と一緒に、ほら、あいつジルベルトに撃たれて足を故障しただろ、そのときにシューズを贈っちゃってたんだよ」
それにクリスマスの時、千夏はすでに部を止める、いや学園自体を辞めるつもりだったのかもしれない。そこにスポーツ関連のものは贈れなかった。
「で、せっかく桐島大佐にも手伝っていただいて修理したバイクがあるから、それに合わせたライディング用のグローブにした」
「……ああ、あの甲さんと一緒に修理したっと、いつも誇らしげなあれですか……そうですか」
目に見えてレインのテンションが下がる。千夏と俺との関係は、レインの一番の弱点かもしれないな。
「ま、まあ。そういうわけだからっ、今の俺達にはあまり向いたものじゃないなっ、次行こうっ」
〓
フロアを上がると、アクセサリや文具といった店が増える。そして今の時代では非常に珍しい店がやはりここにはあった。
「真ちゃんには、それそれ。そこの書店の、データじゃない本物の本を。内容はなにが良いのかまったくわからなかったので、ネットでお勧めの本というありきたりなものに……」
「甲さんは、あまり本は読まれませんからね」
レインに笑われてしまったが、そこは仕方がない。如月寮での読書量でいえば、真ちゃんとレインは並びそうな気がする。
「でも、そういえば真さんはかなりの紙の本をそろえていますし……読んでるジャンルも広いので、なかなかお勧めというのは難しいかもしれません」
「データであれば亜季姉ぇもでたらめに保有してるんで、二人でいろいろと貸し借りはしてるらしいんだけどね。俺もたまに借りるし。まあ菜ノ葉は借りてくるのが前世紀のマンガばかりな気もするが……」
〓
メンズ関連も回るのだが、レインのみならずこのあたり俺も良くわからない。
そういえば去年の春先、千夏と初デートというときに、雅に服のことを聞いて呆れられたこともあったな。今も着ているが、製服というのは俺にとっては何物にも変えがたい必需品なのかもしれん。
「雅さんは……ごめんなさい。男の方への贈り物って、本当に想像できませんね」
「雅はなー。一緒に呑むかと思って酒買ってたんだよ。でもあいつ、けっきょくイヴに会ってた女の子とよろしくやってたみたいで、帰ってこなくてさ。タイミングを逃してそのまま棚に放り込んであるな。今度呑むか?」
あれは半分は自分で呑むつもりだったので、学園生としてはわりと良いヤツを買ったのだ。
「それはお付き合いさせてくださいな」
〓
そんなふうにクリスマスプレゼントの内訳を説明したり、寮での思い出話をしたりと、まさにデートとしてモールを歩いていた。しかし肝心のプレゼントが定まらない。
なんというかレインに贈るものとしては、鞄やアクセサリというのもどこか違う気がする。
鋳鉄製の手回し車が付いたコーヒーミルには少し心引かれたが、本物のコーヒー豆のほうが手に入りにくい現在、買っていいものか悩む。
レインのほうも、一緒に歩くのは楽しそうなのだが、何点かは気になりつつも決めかねているようだ。
そんなふうに本命が決まらないままに、下の階に戻ってくると、その店を見つけた。
「へーミリタリーショップなんてものまであるんだ」
「ファッションと実用との間、といったところでしょうか。放出品だけではなく、新品もありますね」
少し寄っていこうかと、店内に入ったが思った以上に品揃えがいい。
「この防刃ジャケット、去年のモデルじゃないか? もう出回ってるのかよ……」
「新作ではありますが、そのジャケット、たしかこちらの鎧通しで貫通しましたよ?」
「いや……鎧通しとはいえ、さすがにそれはレインの腕だろ……」
やはり興味のあるものだけに、いままで以上の熱心さで物色してしまう。
そしてそれに目がいった。
ああ、レインに贈るならこれだな、と。
〓
「あれこれ見て回ってたらいい時間だな。レインは決まった?」
「はい。私もいろいろ考えましたが、一つあれならばというものに気付きました」
さっきまではいろいろと迷っていたが、レインのほうも何か心に決めたらしい。
しかし二人で買いに戻って、店で包んでもらってその場で直接渡すってのも、味気ないな。
「どうかな? 一度分かれて、二〇分後くらいに合流っていう形は?」
「そうですね、買ってから東エントランスのカフェで待ち合わせ、でいいでしょうか?」
「
..■一月一六日 日曜日 一五時四三分
レインと分かれて、目的の店に急ぐ。
コーヒーミルもいいとは思う。あのなんともいえない形状のペンダントの代わりになる、何かアクセサリもいいのかもしれない。それにちらちらと横目で見ていた各種駄菓子の詰め合わせセットとかも、喜んでもらえるとは思う。
しかし今の俺がレインに贈るとしたら、あれしかない、と脚を進める。
先ほど最後に入ったミリタリーショップ。その店の一角に架けられていた、濃い目のブラウンを主体とした軍用ロングコート。レインに合わせてもらわずとも、サイズは知っている。
包んでもらうのに少し時間が掛かるかなと、スタッフを探しているとその声が聞こえた。
「すいません。こちら、プレゼント用に包装していただきたいのですが……」
「……レイン?」
「甲、さん? ……え、ええっ!」
レインがカウンターに出そうとしているのは、今俺が手にしているのと似たようなブラウンのロングコート、ただし男性用。
必死になって背中に隠そうとしているが、レインの細い身体では、それは無理だ。
「あ、あの、甲さん、これはですねっ」
俺とレインが何か言う前に、もう一人別のスタッフがカウンターに入ってくれる。
「次のお客様、こちらへどうぞ。こちらも贈呈用の包装でよろしいでしょうか?」
「……えーっ、と。よろしくお願いします」
さすがは接客のプロだ。同じ学園の制服を来ている男女二人、それぞれが異性の軍用コートを贈呈用に包んでもらうという異様な状況下、一切表情に出さずに商品を丁寧に包んでいく。内心どう思っているかは知らないが、見習うべき職人技だ。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
ショップスタッフの生暖かい視線を背に、俺とレインはそれぞれ包装された袋を提げ、店を出る。きまりが悪くてレインの顔を見られないままだったが。
〓
あまりの気まずさに、二人とも顔を合わすのも恥ずかしく、何も言えずにそのまま歩く。
それでも予定通りカフェに着いて、何かを注文したのだが、何を頼んだのかよく覚えていない。
レインもこちらをちらちらと見るものの、どう切り出すか悩んでいる。
「え、と。では改めまして……」
「は、はいっ」
ここはやはり俺がリードせねばと思い立ったものの、なんと言って渡したらいいものか。
「あー……ほんとに遅くなったけど、クリスマスプレゼント、というのもやっぱりヘンだな……」
「くすっ…ですね」
「そうだっ、レインとの初めてのデート記念、のプレゼントっ、ということで」
しまった、勢いで何か恥ずかしいことを口走ってしまった。
「い、いえ。そうですね、そういうことでっ、甲さんっ受け取ってくださいっ」
「お、おうっ、レインもこれを」
あたふたと、二人して同じ袋を交換しあう。
そして再び沈黙。
そんな俺達の慌て振りとは関係なく、頼んでいてコーヒーが運ばれてくる。
落ち着くために、一口飲もうとカップに手を伸ばすと、同じように手を伸ばすレインと目が逢った。
「あ、あのですねっ」
目が逢っただけで、テーブルの向こうで慌てはじめるレイン。
その慌てぶりに、昨年はじめて話したときの様子を思い出してしまう。どこか懐かしい、しかし一番レインらしい反応だとも思う。
「せっかくだから、今開けてしまうか?」
「そうですね、できれば袖を通したお姿を拝見したいですし」
この州の伝統的過剰包装はいまなお健在だ。
幾重にも包まれた包装紙を丁寧に剥がし、横にたたみ直していく。
少しずつゆっくりと開けて行くことで、さすがに落ち着いてきた。
出てきたものは、軍用コート。今の俺は着たことがなくても、着ていた記憶だけはあるあのコートだ。
そしてレインのほうも、見慣れたコートをうれしそうに抱きしめている。
「ありがとうございます、甲さん。大切にします、本当に」
「俺もだ。丁寧に使わせてもらうよ、レイン」
袖を通さずともわかる。気持ち大きめに思えるこのサイズが、俺にはちょうど合っている。そのあたりをしっかりとレインは選んでくれたようだ。
「すいません……本当はもう少し早く買い物をして、先にこのお店でカードでも添えようと思っていたのですが……」
「ごめん、俺はそこまで気が回ってなかった。あの店でそのコートを見かけたら、もうそれしかないっと思い込んでしまって……」
そうだ。プレゼントなのだから、何か一言添えておくべきだった。このあたりは本当に、雅のマメさを師と仰がねばならない。
「私もそうですよ? 何が良いのかまったく決められずにお付き合いただいて、結局記憶にあるものを選んでしまいました」
まったく二人とも、こういう事態には慣れていないな。しかしレイン相手に何かを贈るのも贈られるのも新鮮な体験で、それは親父に会う以上にこの清城市に来た意味があったことだと思えた。
〓
『水無月空様から、桐島レイン様との共有通話です』
袖を通そうとしたところで、通話が入る。レインのほうにも共有で送っているみたいだ。
「どうした、空?」
『ごめん。レイン、甲。まこちゃんの診断がけっこう伸びそうなの。もしかしたら今晩いっぱい掛かるかもってくらい……』
「真ちゃんに何かあったのかっ」
昼間に顔を合わせたときはそんな様子はなかったが、電脳症は
『あ、心配しないで。とくに何かあったってわけじゃなくて、まこちゃんが先生に話しておきたいことがあるって言うので、時間取ってるだけだから』
「わかりました、空さん。でもお気をつけてくださいね」
『うん、二人ともごめんね。これだったら先に帰ってもらってたほうがよかったよね』
「あ、いえ。こちらは、その…いろいろ…」
「そ、そうだよ、そんなこと気にするな、お前は真ちゃんの傍についていてあげてくれ」
さすがに時間があったのでデートを楽しんでいました、とは言いにくい。
と、話している横で着信。今度は真ちゃんからだ。
『先輩、レインさんごめんなさい……ノイ先生にお伝えしておきたいことがあって、時間取っていただくことになりました』
空と通話中なのがわかっているのだろう。いつも以上に真ちゃんは一気に話しかけてくる。
『せっかくのお休みですから、もうちょっとゆっくりして、甲先輩としっかりデート楽しんでください。甲先輩もしっかりエスコートしないとダメですよ?』
「えっと……真、さん……?」
「わ、わかったよ、空、真ちゃん。こっちはこっちでゆっくりしてから帰るよ。その代わり、真ちゃんもノイ先生にヘンなこと言われても、鵜呑みにしちゃだめだぞ」
『ふふふ……では、診察に戻りますね』
『じゃあね、菜ノ葉ちゃんにもこっちから連絡しておくわ』
最後精一杯年上ぶって忠告じみたことを言ってしまったが、照れ隠しなのはまったく隠せていなかった。
空のほうの通話も早々に切ってしまい、ようやく俺はコーヒーに手をつける。
当然ながら、コーヒーはすっかり冷め切っていた。
..■一月一六日 日曜日 一七時二八分
「ただいまー」
「ただいま戻りました」
レインと二人揃って、ガラガラと寮の玄関を開ける。
清城でゆっくりしすぎたせいか、もう暗くなりはじめている。
夕食の下ごしらえの匂いとともに、どこからかコーヒーの香り。
「おかえりなさーい、こ、お……?」
出迎えてくれた菜ノ葉が玄関先で固まった。
「どうした、菜ノ葉?」
「え、うん……ごめん、ちょっとびっくりした」
俺とレインの姿を見て、驚かせてしまったようだ。軍用のジャケットを着たままだったのはまずかったな。
(良くも悪くも馴染みすぎだな。俺としては、もう学園生の制服のほうが違和感あるんだが)
(失敗しましたね、その姿だと菜ノ葉さんを怯えさせてますよ、甲さん)
(いや……どう見ても、俺よりレインの姿に驚いてないか?)
(くすっ、私はそんなに怖い女ですか?)
「むー二人してなに見詰め合ってるかなーびっくりしただけだって」
しまった。
「いきなりこの姿だと、驚かせてしまいましたね。申し訳ありません」
「い、いえ、レインさんっ、その、ヘンな言い方ですが、すごく似合ってます。本物の軍人さんみたい……」
固まったままの菜ノ葉を驚かせないように、少しゆっくり目に靴を脱ぐ。
「あ、そだ。空と真ちゃんは帰る時間わからないってさ」
「う……あ、うん。それはさっき連絡貰ったよ。
って、じゃなくて、よかったー二人にお客さんが来てるの。居間にお通ししてるから、二人とも急いで」
「俺達に、客?」
一体誰が……とは思うが入ればわかるかと、そのまま居間の扉を開けて、今度は俺がその場で固まった。
「桐島大佐!?」
「お父様っ!?」
居間に待っていたのは思いもかけない人物だった。
扉を開けたまま、発作的に俺とレインは敬礼する。
「お待たせして申し訳ありませんでした、大佐っ」
桐島勲大佐。統合軍所属の軍人にして、レインの父親である。厳格な軍人という印象そのままの方で、どうしても俺はこの人には少しばかり苦手意識がある。
「……いや、いきなり尋ねてきた私が悪かった。楽にしてくれたまえ」
「はっ」
楽にしてくれと言われて、居間に入って休めの姿勢をとるも、これはこれでどこかおかしい。
俺達の姿を見て、めずらしく桐島大佐が苦笑されたようだが、こちらは驚きでどうしようもない。
「座りたまえ、ここは君達の家なのだから」
「はっ……失礼いたします」
そう言われて立ったままなのもおかしいので、テーブルについて座る。この部屋で正座するのは初めてだ。
「しかし、永二から聞いたときは、出来の悪い冗談だと思ったものだが……」
「おや……父から何か?」
「君達の演習データとDr.ノイの所見が合わさった報告書を送られてきたよ。自分で見て判断しろ、とね」
俺の独断でレインを危険な目にあわせたことは間違いない。
すくなくとも大佐には一言連絡してから行動すべきだった。
「申し訳ありません。許可無くお嬢さんを危険な演習に同行させてしまいました。すべての責は自分が負います」
「お父様っ、甲さんに同行したのは私の意思です。叱責は私がっ」
レインが俺を庇おうとするが、それは違う。フェンリルに、親父に演習を申し込んだのは、俺自身の問題だった。これ以上レインを巻き込むべきではないのかもしれない。
「落ち着きたまえ、何も怒りに来たわけじゃない」
「……は?」
実家に連れて帰ると言われても仕方がないと思っていた俺は、少し拍子抜けする。
「あのデータがあまりに異常だったので、様子を見に着ただけだったのだが……どうやら事実のようだな」
テーブルの向こうで困惑されている大佐は、しかしそれでも何かを納得されたように深く頷く。異常と言い切ったデータを、なぜこれほどすぐに受け入れられる?
「君達が軍人として訓練を受けた、いや違うのか。受けたという知識と経験を持っているのは間違いなさそうだ」
「質問してもよろしいでしょうか、大佐」
「何かね、甲君」
「フェンリルから提出された報告書では信じられなかったものを、今では我々が訓練を受けたと、なぜ判断なされたのでしょうか?」
昼に俺が見たものと同一であれば、あれには改竄の余地は無い。フェンリルの内部資料ではなく、アークにも提出するものだ。そもそも提携先企業に対して、偽装しなければ流せないような情報でもない。
統合の桐島大佐に見せる上で問題のある箇所は隠すだろうが、元になるデータの信頼性は、それこそ統合の情報局のものよりも高いはずだ。
「フム。なぜかと問われれば、そうだな……データだけでは信じられなかったのは私自身の感情の問題だ。君だけならばともかく、レインがあれほどに戦えるとは、私には信じられなかった」
レインにシュミクラムの手ほどきをしたのは桐島大佐だ。確かに今のレインの腕を見て信じられないのはわかる。
「そして、今はあのデータが正しいとわかったというのは、君達二人の反応だよ」
「……反応、ですか?」
思いもかけない言葉に戸惑う。レインも何を言われているのか掴めていない顔だ。
「自覚していなかったのかね? 先の敬礼も、今のしゃべり方も、間違いなく『軍人』だよ」
敬礼する学園生は、まあ普通はいないな。傭兵としての記憶がほぼ蘇った今、気を付けていないと学園生としての日常では、周囲に違和感を与えてしまいそうだ。
「ご指摘ありがとうございます、大佐。今後注意いたします」
「注意するべきことかどうか、私には判断できんな。
そしてなにが原因で君達がそうなったのかは、私にはわからん。ただ甲君は昨年会ったときとは、別人とは言わないが、経験した時間が違うようには感じる。だからこそ、あの報告書を信じる気になったのだよ」
では、これで失礼する、と桐島大佐は立ち上がられた。
俺もレインも何も言えずに、玄関先まで大佐を見送る。
「レイン、あの報告を信じると決めた以上、私はもはやお前を子供としては扱わん。これからはお前の好きなように生きなさい」
「……お父様。
今日まで育てていただいて、ありがとうございました。お父様にお教えいただいたことは、満足いただけるほどに身に付けることはできませんでしたが、それでも私の力となっています。この力を持って、生きていこうと思います」
頭を下げるのではなく、レインは大佐に敬礼する。娘としての立場と決別するかのように。
「こんな情の強い女だが……娘を頼む、甲君」
「
一歩前に出て、レインと並び、俺も敬礼する。
「ふははっ、君は八重君に似たようだな。そこは永二のように問答無用で攫っていくべきだ」
「……は?」
呆然と敬礼したままの俺達に対して、大佐は教科書どおりの綺麗な答礼。
踵を返し、朗らかに笑って桐島大佐は帰っていかれた。
どこか作り物じみたその笑いは、娘と別れる悲しみを隠すためか、それとも旅立ちを喜ぶものか。いつか俺にもわかる日が来るのだろうか……
回帰 / Remigration
終
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