BALDRSKY World7+Flat / バルドスカイ 世界7+♭ 作:ほんだ
..■一月一七日 月曜日 七時十五分
もはや朝の日常の一つとなったレインとのトレーニングを終え、居間のテーブルに着く。
先週末は清城市でいろいろと事件があったが、今日は月曜日。気持ちを入れ替えて動き出さなければならない。ちょうど昨日はノイ先生のところでゆっくりと眠らせてもらったことで、いい休暇にもなったところだ。
ちなみに亜季姉ぇは起きてきそうにないが、卒業までの単位は大丈夫なのか?
逆に千夏はすでに部活のために登校している。やはりこういうところは亜季姉ぇには見習ってもらいたい。
「おはよう甲、空。まだ身体が痛てぇ……」
「おはよう雅。軍曹に言われただろ、練習とビタミンが足りてないんだ」
雅が肩に手を当てつつ居間に入ってきた。やはりいきなりあれはきつかったか。
「それにしても甲が筋肉痛になっていないのが、やっぱり不思議だわ」
空が驚くように、俺と雅とを見比べる。まったく失礼な話だ。早朝のトレーニングをはじめて二週間は経つ。あの程度では筋肉痛になることはない。
『……次のニュースです。ストックホルムで二日後に開催される予定の、欧州ナノマシンフォーラムにおいて、アークインダストリーの橘聖良社長が開幕式に参加すると発表されました。アーク社はネット関連の
「このニュースの橘社長って、お前や亜季さんの叔母さんなんだよな?」
「ん? ああ、いろいろ世話になりすぎてて、どれだけ感謝しても足りないくらいだ」
さすがは聖良叔母さん、週明けからすでに動き出している。いや、今このニュースが流れているということは、昨日俺たちが帰ったときから話は進めていたのだろう。こういった動きで、AIは現実生活にとっても有益な存在だという認識が、少しずつでも広まってもらいたい。そうなればミッドスパイア住人の反AI的性格も薄まっていってくれると、期待もできる。
「忙しいくて、あまりちゃんとお話できないのは少し寂しいけどね……」
「あれ、空も知ってるのか?」
「えーっと……まあ、ほら、有名な方だから、ね」
そうか、空からしたら聖良叔母さんは後見人なのだが、そのことは雅には話してなかったのか。あまりおおっぴらに話すことでもないし、言わないままでもいいのかもしれない。
(レイン、ニュースのほうは確認したか?)
(はい。さすがは橘社長ですね。素早い対応だと思います)
(暇なときでいいから、このニュースに対する反応、調べておいてくれないか?)
(
暇なときといってしまったが、レインのことだ。昼までには纏めてくれそうな気もする。それまでに俺もネットニュースだけでも流し見はしておこう。
「……亜季さんもああ見えてすごいし、やっぱり血筋なのかよ?」
「あー太陽に弱いのは、たぶん血筋だ、うん」
レインとの
しかし今回のフォーラムに参加とはいっても、当たり前だが
「……雅よ、やはり最低限身体を鍛えるのは必要だ。黄色い太陽に襲われるぞ」
〓
そんなどうでもいいことを三人でしゃべっていたら、お盆にいくつもの皿を並べて、真ちゃんが居間に入ってくる。
「おま…せ、しま…た」
「真ちゃん、運ぶのくらいは手伝わしてくれよ?」
「だめですよ、お二人とも。給仕して、おいしく食べていただくところを見るまでが、お料理の醍醐味なのですから」
手伝おうとする俺と雅を、炊飯器を持ってきたレインが止める。確かに楽しそうに皿を並べていく真ちゃんとレインを見ると、なにか手を出すのが悪い気がしてくるな。
「はいはい。お手伝いは食器下げるのと重いものの買出しのときに、ちゃんとお願いしますから」
最後に菜ノ葉が味噌汁の鍋を運んできた。それはそれで重そうなのだが、てきぱきとよそっていく手際のよさは、こちらが手伝える隙もない。
「それじゃあ、いただきます」
寮の皆は、俺と親父との対面がどうだったのかは気になるのだろうが、気を使ってくれているのか、いつもどおりだった。残念ながら、菜ノ葉の作る味噌汁の具がニラ主体だったのもいつもどおりだ。
..■一月一七日 月曜日 一二時七分
午前の授業が終わって中庭で昼食と思ったものの、非常に珍しいことに今日集まったのは俺と空だけだった。
雅は彼女のところ、千夏は部の打ち合わせ、レインは転校に伴う諸手続きの最終確認、菜ノ葉と真ちゃんの一年コンビはクラスの友達と、そして亜季姉ぇはなにか卒業式のことで呼び出されている。
「そうそう亜季先輩、何か卒業式でスピーチとか頼まれてるらしいけど、甲聞いてる?」
「亜季姉ぇがスピーチ? 絶対無理だろ」
我ながらひどい感想だと思うが、亜季姉ぇに卒業生代表のスピーチはできそうにない。スピーチの内容もさることながら、壇上に上がる前に倒れそうな気がする。
「成績優秀者がするのが慣例とはいっても、亜季先輩そういうの苦手そうだしね」
「ネット経由でならやりそうだけど、卒業式でそれはないしなぁ……」
まあ他の皆がいないといっても、いい天気だし、そんなどうでもいいようなことを話しながら弁当を開けた。
今日は、野菜主体のサンドイッチか。
新学期になってからは、昼食を買いに行くこともなくなった。菜ノ葉を筆頭に、真ちゃんとレインとが一緒に料理するのが楽しいということで、寮生全員の弁当を用意してくれている。おかげで先々週の千夏との賭けがまったく無効になっているが、それはあまり残念でもない。
「いただきます、っと」
「いただきます。でも、甲と二人で食事って、どこか新鮮ね」
言われてみればそうだな。もしかすると初めてかもしれない。
しかし二人での食事、か。
そういわれると、ふと昨日のレインとの昼食が思い出される。
ジャンクフードや、ちょっとした駄菓子を物珍しそうに見て回る姿は、あれは新鮮だった。食べてみるかといったら、大慌てで否定していたけど、やはりいくつか買っておいてもよかったな。
屋台のテイクアウトを歩いて食べるのが駄目なのは意外といえば意外だったが、レインらしいとも思った。
確かに傭兵時代の記憶でも、レーションであっても丁寧に食べていた。やはりそういうところは、桐島大佐のしっかりした教育の賜物なのだろう。
「……甲? なにサンドイッチ眺めてニヤニヤしてるのよ」
「ふ、二人というとあれだなっ、一年のときは雅と二人で食ってることが多かった、うん」
横に空がいることをすっかり忘れていた。焦ってしなくてもいい言い訳を口走ってしまった。
ただ今思い出すと、アレはアレで楽しかったな。当時は二人して空しい空しいと連呼していたが。
「もしかして、ずーっとパンばっかり買ってたとかかしら?」
「しかたないだろ、この学食のレベルは空も知ってるよな?」
如月寮の食事担当三人の腕前は、間違いなく購買部や学食とは比較にならないレベルにある。というよりも星修の数少ない欠点の一つが、学食のビミョウさ、だな。まずいわけではないが、いつも食べに行きたいとは思えないという、中途半端なところだ。
如月寮の食事担当三人に心の中で感謝しつつ、俺はサンドイッチにかぶりつく。
「うん、この味付けは……今日は真ちゃんメインかな」
「甲っ、味わかるの?」
「お前は自然にひどいことを言うよなぁ」
説明はしにくいが、三者三様、それなりに違いがある。
「レインと真ちゃんは似てるんだが、やっぱりそれなりに違うだろ?」
というかレインは魚を筆頭に生物を避ける。野菜でも温野菜にしたり、炒めたりというのが多い。味付け自体は二人は良く似ていると思う。そんなふうに空に解説してみせる。
「そういえばね、まこちゃん、最近はクラスでも少しずつ打ち解けてるみたい」
「そりゃよかった」
入学当初は電脳症、それも他人の意識を読めるということで、かなり苛められていた。それもあって空ともども如月寮に引っ越してきたのだが、寮の面子以外に友達が増えるのは喜ばしい。
「菜ノ葉ちゃんが教えてくれたところでは、なんだかお姫様みたいに奉られてたりするみたいだけどね」
「護ってあげたいって思わせるところがあるからな、真ちゃんは」
ただ俺の食事事情は確実に真ちゃんに護られているな。このところ菜ノ葉だけで作ることが減ったおかげで、ニラに出会わなくて助かる。
〓
「で、結局レインと何かあった? まさか週末二人っきりだから、無理矢理に、とかは無いでしょうね? レインは千夏とは違うのよっ! ちゃんと責任取りなさいよねっ!!」
話がいつの間にか進んでいる。というか何かやったことはもはや空の仲では確定した事実なのか?
「いつもながら、お前のその突飛な想像力はなんなんだよ」
「とぼけないで、甲っ」
しかし昨日の朝のアレは、場所が違ってたら俺もレインも止まらなかったことは間違いない。
というかむしろ記憶遡行の影響か、抱いていないのにレインとはそういう関係が当たり前だと、俺は心のどこかで思っている。
「まったくもう……今度おじさんにどんな顔して会えばいいのよ」
「ちょっとまて。落ち着け空、それはさすがに暴走しすぎだ」
このまま空をほうっておくと俺とレインの関係が空の中だけではなく周囲に知らしめられて、確定事項にされかねない。
「しすぎって、やっぱり何かあったのね」
「……あったといえばいろいろあるんだが、どう説明していいかわからん」
俺としても空には説明したいが、気持ちの上でも記憶の上でも、上手くまとまっていないのだ。口にできるのは、結局そういったどこか中途半端なものになってしまう。
「いろいろって、甲っ、今すぐレインに謝ってっ、だいたい甲はレインのことをどう思ってるのよ」
「いや、そうじゃなくてさ。俺と空って、付き合ってるんだよ……な?」
確認しておかねばならないことの一つは、それだ。
「な、なによ、いきなり……つ、付き合ってるわよ、うん。私と甲は」
そう、俺と空とは昨年の、クゥを間に挟んだ
俺とクゥ、クゥと空、空と俺との感情が混ざり合い、
あれがほんとうに恋なのかと問われると断言できない自分が情けないが、こうやって空と一緒に過ごす時間は間違いなく楽しいのだ。
「うん。それはそれとして、レインはそのことは知ってる、はずなんだよなぁ」
どうも俺と空とが付き合っていて、そこにレインがいるという状況が腑に落ちない。
これが千夏や菜ノ葉だと、去年の経験からどういう反応になるかがわかっている。
怒られ呆れられつつ、そして俺が彼女たちを選ばなかったことで悲しませつつも、俺と空との仲をあの二人は祝ってくれている。
「ああ、そうか……」
俺がレインをどう思っているか、それ自体はっきりと言い表せない。どこまでがあの夢の影響なのか整理できないままに、俺自身レインへの態度を決めかねている。そして俺に対するレインの気持ちも、正直わかってるとは言いがたい。
当然だ、ちゃんと言葉にして聞かせてもらっていないのだから。
「まったく。
俺自身の記憶なのに、俺の経験ではないせいで、そこからは気持ちの整理が付けられない。
今レインに対する気持ちを言葉にするのが怖いのは、経験に裏付けられた記憶ではないから、その気持ちが本当に俺自身のものだと確信が持てないのだ。
〓
「……甲。あなた、大丈夫なの?」
「あまり大丈夫とはいえないな、これは。俺がレインをどう思っているのか、レインが俺をどう思っているのか、そこに空、お前がどう絡んでくるのか……まったくわからないことだらけだよ、っと」
勢いをつけて、俺は芝生に仰向けに寝そべった。
「そっか……私がそこに絡む、そう……そうなのね」
なにか空も悩んでいるようだが、俺も自分のことを考えすぎて頭が痛い。
まあ、せっかくのいい天気だ。このまま芝生で寝ていたら、なにかいい考えがまとまるかもしれない。
「……そんなの、私に怒ってるに決まってるじゃない……」
「え、怒ってるって、レインがか? またなにかやらかしたのか、空」
レインが空に怒る? 俺が怒られるというか叱られることは多々あれど、空に対して怒るレインというのは想像できない。
「なんでも……なんでもないわよっ」
「なあ、空。レインを怒らしたとお前が思っているなら、しっかり話して来い」
空に言い聞かせるようで、実際は自分を戒める。
夢の記憶のせいで、態度を決めかねているのはなにも俺だけではない。きっとレインもそうなのだ。その程度のことは、レインを見ていればわかる。わかっていると信じたい。
ただ、それをどう乗り越えようとしているかは、ちゃんと二人で話し合うべきだとと思う。
「うん。そうね…勝手に相手のことを決め付けて悩んでるのは私らしくないわ。ありがとう甲」
「どういたしまして。俺も悩む前に話してみるよ」
..■一月二〇日 木曜日 一九時三五分
新学期が始まってそろそろ二週間。
レインがいる食卓にも皆慣れてきて、昨年以上に食卓は華やかになった。
「ごちそうさまー」
朝は千夏が部活だったり空がなにか企んで早く登校したりとなかなか寮生全員が揃わないが、平日夕食はいつもにぎやかに俺たちは食卓を囲んでいた。
「甲、レイン。それにみんなにも話しておきたいことがある……」
このところいつも以上に部屋に閉じこもって、というか
「あの、亜季先輩? 話って、次の寮長とか、そういうのですか?」
「……それは忘れてた。うん、寮長は……空に任せた」
俺も言われるまで忘れていた。これでも如月寮の寮長は亜季姉ぇで、もうこの春には卒業してしまうのだ。となると次の寮長は、レインでもよさそうだが、やはり空か?
「じゃなくて。私と、真と……そして空の話」
「亜季さん、それはっ」
俺よりもレインが先に声を上げる。その三人の名前が並ぶということは、あの話しかない。
「亜季姉ぇ……その話は」
(甲には先に言っておこうと思ったけど、やっぱり皆と同じで、今から言う。それに甲とレインは知ってたみたいだし)
(亜季姉ぇっ?
(うん……私、
亜季姉ぇの生まれはかなり特殊だ。たぶん、その戸籍情報などはすべて聖良叔母さんが文字通り「作り上げた」ものだろう。そしてそのことが隠されてきたのには、相応の意味がある。
「隠し事禁止。クゥのときにそれで私、失敗した」
あれは確かに早めに皆に知っておいてもらえば、あそこまで騒ぎにならなかったかもしれない。
ただ
「私のことはいい。ちゃんと全部、説明する」
「わた…しも、だい、じょぶです……でも、お、ねえちゃ、が……」
「え、私? 説明って何かあったっけ?」
本人が知らないままに、空は幼少期の記憶が一部書き換えられている。その空の記憶障害は、真ちゃんにも少しばかり原因があるのだが、それとは別にして回復の目処が立っていない。このあたりはノイ先生もお手上げ状態らしい。お手上げのままで、あの怪しげなナノを使わないでいてくれて助かる。
しかし真ちゃんも話すということは、やはり先日ノイ先生に告げたことというのは、俺やレインと似たようなことか。自分が
「込み入ったお話になりそうですので、お茶淹れてきますね」
手伝おうとする菜ノ葉をやんわりと断り、レインは台所のほうへ戻った。
(レイン?)
(真さんと亜季さんが話すとおっしゃるなら、私には止められませんが……)
(隠し続けるほうが危険、か?)
(はい。そう考えられます。それに、今ここでお二人を止めても、他の皆様を余計に心配させるだけでは?)
言われるとおりだ。
聞いて楽しいことでもないし、知らせずにすめばそれでいいとも思っていたが、当事者二人が話しておきたいといってるのだ。ならば俺は二人が説明しづらい部分を補おう。
「あーと、菜ノ葉に千夏に、雅。話しておきたいことがあるんだが、聞いたら今度は本気でやばいことになる。それでもいいか?」
「結局なんなんだよ甲? クゥちゃんのことがまだ終わってない、とかか?」
クゥのときは反AI派の介入なども予想されたが、大きくはアーク社の利益の問題だ。言葉は悪いが、如月寮生としてだけみれば、安全だった。
「クゥも関係している、といえばしているんだが、これから話すことは知っているだけで文字通り命に関わる。というか関係各所から狙われる」
「……甲、それ違う」
しかし亜季姉ぇにいきなり否定された。
「違うって、どこが?」
「知っているだけで危険なんじゃない。如月寮に居る時点で『知っている可能性がある』ということで、もう危険」
ふぅ、と一息ついて亜季姉ぇがテーブルに突っ伏す。
言われてみれば、こっちが事情を知っているかどうかは、相手にはもはや関係ない。
「なにもったいぶってるんだよ、甲」
「巻き込まれてもいいから、除け者にはされたくないね」
雅と千夏が、先を促すように声をかけてくれる。
「そうだな。話の前提として『灰色のクリスマス』ってのがあるんだが……」
さて、どう説明したら良いものか。いきなり、夢で見たこことは違う未来の話です、では頭の心配されるだけだな。
「やっぱりお前もあの夢を見ていたのかよ」
「おいおい……雅もか」
どこから話すべきかと悩んでいたが、雅も夢は見ていたようだ。いや、千夏や菜ノ葉の様子からして、全員見ているのか。
「それって甲、あの……久利原先生のアセンブラが流出してしまって、その……」
「ああ、それで統合は
「ってちょっと待って、甲っ」
菜ノ葉の言葉の続きを説明しようとした俺を、空が押しとどめた。
「アセンブラが流出してって、そのとき甲は……」
珍しいな、空がなにか言いよどんでいる。
「俺が、どうした?」
「甲が……甲は死んじゃったんじゃないの? 暴走したアセンブラに溶かされて」
「……はぁ?」
そういえば去年のクリスマスにこいつはそんなことを言ってたな。
「待った。言いにくいが……溶けたのは、お前じゃないか、空」
「なんでよっ、甲、あなたが死んじゃったから私はっ」
今でも思い出す。あの通話越しに溶けていく空の、その姿と声。
この世界においてあれは確かに夢だったのだが、それを間違えているはずはない。
「甲さん、空さん。お二人とも落ち着いてください」
お茶の準備をして戻ってきたレインが、皆の分の湯飲みをテーブルに並べていく。ちょうどいい時期を計っていてくれたのかもしれない。
俺と空の分は、少し濃い目。話の中心である亜季姉ぇや真ちゃんよりも、慌てると予測されていた、か。
〓
熱いお茶をじっくりと飲みながら、少し落ち着こうと意識する。
そんな俺の様子を見たからか、空のほうもとりあえずは静まった。
「なあ参考に聞きたいんだけど、みんなどんなのを見たんだ? いや、言いにくいのはわかるんだが……」
雅がそう言うが、俺自身の経験からして、あれはあまり人には話したくない。
それでも雅をはじめに、皆がぽつぽつとそれぞれが夢で見た『灰色のクリスマス』以降の生活を語る。
ただ俺やレインのように記憶遡行処置を受けたわけでもない皆の話は、かなり不正確なものだった。
亜季姉ぇはアークに就職。雅は結婚して
ただ皆の話を聞くに、どうも俺か空のどちらかは、アセンブラ流出で死んだらしい。
あと話していないのは、俺と空、そしてレイン。
「先に空から話してくれないか?」
「ん。甲が死んで、なんか納得できなくなって、それで久利原先生にいろいろ問いただしたくなっちゃって、でもドレクスラー機関の人たちは皆事件直後から失踪しててね。それで探し出すには傭兵、電脳将校になるのが一番早道だっと思って、訓練校に入ったの」
真ちゃんや亜季姉ぇと同じく、空も割合としっかり夢の内容を覚えている。このあたり
「傭兵になってからはドレクスラー機関を追って世界中飛び回ったわよ。レインは、私の副官になってくれたの、覚えてない?」
「副官? え、ええ…っと、空さんの……ですか、私が?」
突然話を振られたレインが、慌てふためく。もちろんその内容に、だ。
「そう。へこみそうになった私を励ましたり支えてくれたりしたんだけどな」
「申し訳ありません。私は、その……」
レインが言いにくそうに口ごもり、俺のほうを見る。まあ空ではなく俺の副官だったとは今の場合言いにくいな。
「って、そうだ、空。訓練校の同期にマーカスって居なかったか? ちょっと調子のいいヤツで、レインに何度か声かけようとして失敗してた……」
「誰、それ?」
忘れている、というのではない。本当に知らないようだ。
「レインは、覚えてるよな、あいつのこと?」
「……はい、少尉は……」
「いや、いい。すまなかった」
訓練校同期の戦死者というだけではない、俺の甘さがあいつを死なせた。赦されるものでも忘れていいものでもない。
「で、誰?」
「……いや、知らないのならそれでいい。忘れてくれ」
(甲さん、その……あまり思いつめないでください)
(大丈夫だ、レイン。心配かけてすまない)
気を取り直して、空の話に集中しなおす。少なくとも、今の時点でマーカスは死んではいないのだから。
「空はレインと二人だけだったのか? どこかの会社に所属とかはしてなかったのか?」
「質問多いわねぇ、甲。訓練校出たすぐは統合系のところに入ったわよ、もちろん。ただ、そこだとドレクスラー機関を追うには不便だったし、すぐにやめたわ」
そのあたりは俺と似た経緯か。
「あと、アセンブラやドレクスラー機関に関連しないような作戦に参加してる余裕はなかったから、あまり特定の部隊とかは作らなかったし」
それでも世界中飛び回ったわよ、と空は続ける。
「まったく……お前はほんとに
話を聞くに、空は俺と同じようなルートでドレクスラー機関を追っていたようだ。ただ、その行程がまるで無駄がない。空に比べたら、俺は呆れるほどに
「千夏と菜ノ葉ちゃんにはなかなか会えなかったし、それにまこちゃんとは無理だったけど、雅と亜季先輩にはいろいろと助けて貰ったわよ」
「甲はまったく連絡してこなかった……」
「ごめん亜季姉ぇ」
事件直後は寮の皆に会ったら、俺自身が何を言い出すかが怖くて、誰にも顔を合わせられなかった。そして実際、雅に会ったときには戦場を知らないことを罵ったのだ。あれはただ、雅が幸せな生活を送っているのが妬ましく、俺が持てなかったものを壊したかっただけだ。
「あのな、雅、お前は覚えてないかもしれないが、悪かった。お前に当り散らしたことがあるんだ」
「気にするな、甲。そっちの状況を知らずに、俺が口突っ込んだとかだろ?」
雅はそういって笑ってくれるが、その度量があの惨状の中、平穏な家庭を築ける力だったのだと、今ならわかる。こいつの嫁さんは幸せになるのは間違いなさそうだ。
〓
「どうやら基本的には、俺が死んだ場合は空が傭兵に、空が死んでる場合には俺が傭兵になってる、と」
「そして空さんと甲さんのお二人は、それぞれほぼ同じ経路でドレクスラー機関を追い続けていた、ですね。ただ、空さんの副官になっていた記憶には、他の皆さんと違ってまったく……」
レインにしては歯切れが悪い。
確かに他の皆と違って、レインは記憶が二重になっていない。それどころか、レインの記憶は間違いなく俺とほぼ同一だ。それはノイ先生の検査でも明らかだった。
「ひどい言い方だけど、甲や空が自分が死んだ世界の記憶がないってのはわかる。けどさ、レインさんは何で空との記憶がないんだ?」
俺と同じく、雅もその点を疑問に思っているようだ。
ただ、その疑問に対する答えは考えつかない。
「そ…れは、レイン、さんがセンパ、が生きて、る世界……選んだから…で、す」
「真さん?」
そうか。真ちゃんは聖良叔母さんが言っていたように、AIからの事象情報の流出には慣れているはずだ。その上で真ちゃんは複数の情報を等価として扱っているのか?
「えと、真ちゃん。じゃあレインは皆と同じように、空と俺どちらかが死ぬ世界の夢を、二つともに見る事は見たということ?」
「で、私じゃなくて、甲が生きてる世界を望んだってことね」
「たぶん、そ…です」
なにか眩しいものを見るようにレインへ向き直り、真ちゃんは肯定する。たぶん、とは言っているがそれを確信しているようだ。
そうか、レインは俺を選んでいてくれたのか。
「うわぁ……それはなんか、妬けるなぁ、まったく」
「勝ち目ありませんねぇ……これは」
千夏と菜ノ葉とが、なにか大きくずれているようで本質を突いた感想を漏らす。
「え、えと、ごめんなさい、空さんっ」
しかし、さすがに親友の死んだ世界を選択したと言われて、レインは慌てる。
「いいわよレイン、気にしないで。そっかちゃんと選べたんだ。ほんとよかった……」
そんなレインを見て、空はどこか寂しげだが妙にさっぱりした顔をしていた。
それは何かを決意した表情だった。
..■一月二〇日 木曜日 二〇時一三分
「うー頭がくらくらするよぉ……お茶淹れますね」
「あ、すいません菜ノ葉さん。お手伝いします」
重い話が続く中、気分を変えるように菜ノ葉とレインが台所から新しいお茶を持ってきてくれる。
「でよ、甲。夢の話はまあいいや。コレに関してはけっこう知れ渡ってるというか、噂にはなってなかったか?」
雅が時間を察してか、話の先を促してくれた。
指摘されたものの、そんな話は聞いたことがないぞ。
「そうなのか?」
「お前さぁ、
「……いや、そこは
顔の広い千夏に言われると、俺も雅も言い返す言葉がない。まあそのいつものツッコミのおかげで、話し出すきっかけは掴めた。
「わかった。今から話すことは完全にここだけに止めてくれ。問題なのは、真ちゃんがなんでドミニオンなんかで巫女をやっていたかってことだ」
本当に話してしまって良いのかと、最後に確認するように真ちゃんを見ると、小さいが、しっかりと頷いてくれる。
「せんぱ、おねが…します」
「ノインツェーンの遺産というか、研究していたものの一つに……」
ただあらためて説明すると思うと、なかなか言葉が出てこない。大雑把なところはわかっているつもりだったが、それで説明できるような内容ではないな。
どう言えばいいのかと悩んでいると、亜季姉ぇが続けてくれる。
「ノインツェーンの残したものの一つに『
ノインツェーンが提唱し、彼の主導の下に開発が進められた、人間をAIと一体化接続するシステム。いや、人間の意識をもって、有機AIの意識を抑圧・制御しようとする代物だ。
ノインツェーンの死後、開発は凍結・破棄されたが、その技術の一部は
「……ふぅ。疲れた」
一気に説明したせいか、亜季姉ぇはテーブルにへたり込む。
「で、その
「って誰にですか?」
「本来の適合者は、ただ一人。門倉八重、甲のお母さん」
テーブルに頭を載せたまま、千夏の問いに答えている。
「……あれ? じゃあ何も問題ないんじゃ無いですか、亜季さん。こう言っちゃなんだが、たとえシステムが残っていても、適合者って人がいないんじゃその危険な代物も動かないんですよね」
雅が俺に気を使ってくれつつも、核心を突く。このあたりの情報の整理の速さはそれこそ刑事時代の影響か。
「そう。雅の言うとおり、本来ならもう誰にも使えないはずのガラクタ。でも違う」
「適合者…門倉、八重さん……のクローン、居ます」
亜季姉ぇと真ちゃんとが、二人にとっては一番言いにくいことを、言ってくれる。
「ちょっと待って。クローンって、部分再生ならともかく、そんなシステムを動かすとなったら脳を含めた全身再生だよね? そんなの無許可の
自分も
「母さんは電脳症の治療のため、ということで許可が下りていたらしい。それに金に関しては橘の実家なら余裕あっただろうし」
言うまでもないが、聖良叔母さんがいるので、金銭面はまったく問題にならなかったはずだ。
「ええっ? でも八重叔母さん、そんな話一度もしてなかったよ?」
「使うつもりがなかったのか、使う間もなかったのか、俺も知らないさ……」
今となってはその理由もどこまでが真実かはわからないが、許可は正式なものだった。そして許可だけではなく、そのクローンは実際に作られていたのだ。
「そう、八重さんのクローンは一つあった。ただそれとは別にノインツェーンが取り出していた卵細胞もあった」
「……亜季姉ぇ」
ここから先は、詳しく皆には話す必要はないのではないか。そう思ってしまう。
「いい、甲。ちゃんと話しておく」
だが、隠し事禁止といった亜季姉ぇの決意は本物だ。この寮の皆にはすべてを知ってもらいたいのだろう。
「私は甲のお母さんの、門倉八重さんのクローンの、ニセモノ。八重さんに似せているけど、限りなく近いけど、トラップとして用意されたもの」
「そして、私…が、ほんらい、の
真ちゃんもいつも以上に話しにくそうに、しかしはっきりと自分の生まれを告げる。世界に悪意を持った者が違法に作り出した存在だと、自ら認めながら。
空も真ちゃんも、そして亜季姉ぇも、親に捨てられたわけではなく、そもそも存在していないのだ。だからこそ家族関係に憧れるのかもしれない。
「え、っと。私とまこちゃんは姉妹だよね、でも亜季さんとも姉妹に、なるの?」
亜季姉ぇや空、真ちゃんの血筋は、何度か説明された内容だが、いまだに正確に把握しているという自信がない。遺伝子操作技術の行き着く先ということか、どれだけ似ていてどれだけ違っているのかなど、できれば考えたくはないな。
「すまん甲。いろいろ理解できてねぇ。つまりは亜季さんは、お前の母さんのクローンと見せかけた別人。で、空と真ちゃんは姉妹ではあるが、その八重さん?の遺伝子調整した……この場合三人ともに
「すげぇな雅、たぶんそうだ」
当事者の空も把握し切れていない。俺も雅以上にいまだ整理できていないが、おそらくはそんな感じなのだろう。
というかよくよく考えたら、ノインツェーンが生み出したというと、ノイ先生まで母さんのクローンなんじゃないか? 気にならないといえば嘘になるが、本人に確認するのだけは止めておこう。
「つまり私自身はダミー。本来の適合者である真を狙う者たちから、眼を逸らすのが役割」
いつもは騒がしい如月寮の居間を、重い沈黙が支配する。
亜季姉ぇの、そして空と真ちゃんが、自然に望まれて生まれたのではないということは、本人たちにとっても周りの俺達としてもやはり衝撃だ。
〓
「って、そうかっわかったっ!! これは知ってるだけどころか、知りうる可能性があるだけで狙われるな……」
そんな中、雅は冷静に状況を整理していたようだ。
「……雅、いきなりどうしたのよ」
「千夏、まだ気付かないのか? 灰色のクリスマス直後、つまりは去年の一二月二五日には、真ちゃんは攫われてるんだ」
「え、と。アセンブラ流出事故が起きた場合は、そうなっていた、んですよね?」
菜ノ葉は自分が理解できている範囲を確認するように、雅に問いかける。
「でもさ雅。アセンブラは成功してるし、真も誘拐なんてされてないじゃん」
「そうだよ、ああっ、つまりだなっ、本物の
「……ええっと? 雅さん、私も良くわからない」
危険だということだけは伝わって、菜ノ葉は余計に混乱しそうだ。
「はっきり言えば、真ちゃんの能力だけを目当てに誘拐するような、しかも誘拐できるだけの力を持ったヤツが、今もこの近くに存在して……」
「そう、そしてその連中にとって、私たちは邪魔。もしかしたら直接的に排除に来ることもありうる」
ふぅっと亜季姉ぇが大きく息をつく。それは喋り疲れただけではなく、現状に対する溜息だった。
..■一月二一日 金曜日 五時三分
昨夜は遅くまで話し合っていたが、今寮生の中でできることといえば身辺に注意する、といった当たり前のことだけだ。知らない人には付いていかない、登下校は集団で。まるで初めて学校へ上がる子供への警告だ。
ただ実際の警備としては、この寮一帯はもともと亜季姉ぇのためにアーク保安部隊がかなり力を入れてくれているらしい。その情報をこちらにも提供してもらえれば、ある程度までの警戒は俺たちでもできる。
「……眠い」
そんな状況なので、睡眠時間が短かったがトレーニングを止めるつもりはない。
若干寝ぼけ気味だが、その分ストレッチに時間をかけて、いつもどおり走り出した。
レインは眠気とは無縁のようだが、それでも表情は硬い。
今日の、というか今日からのランニングはいつも使っていた川原ではなく、レインが指定するルートに変更していた。基本は寮周辺半径二キロ以内、そこから真ちゃんがよく歩くエリアを中心にして選別している。
先日親父から、学園生の間はプロに任せておけと言われたが、そう簡単に割り切れるものではない。どこまで意味があるかわからないが、いまできるところからはじめるようというのが、俺とレインの出した結論だ。
もちろん最初から不審者に出会うわけもなく、俺達は寮に戻ってきて組手の練習をはじめる。
(しかし、話してしまってよかったんだろうか?)
(状況的に、知らないままでも如月寮生であると言う時点で、確実に狙われるでしょう。人質として交渉材料にするだけでも価値があります。その点須藤さんの推測どおりかと)
(最悪の場合でも、事情を知っていていればアークへの取引材料として生かされる……か)
内容が内容なだけに、
(アークの、ミッドスパイアへの政治工作が成功すれば、バルドルも隔離できて心配事も少なくなるんだがな)
(米内派はそれで収まるとは思います。ただ、ドミニオンのほうは気がかりですね)
問題は数あれど、今の俺では対応できるものがほとんどない。
これが記憶のとおり傭兵にでもなっていれば、真ちゃんの身辺警護につくだけで警戒の意味はある。軍人が警護していることを敵対集団に見せ付けるだけでも、抑止力はあるのだ。
ただ残念ながら俺もレインもただの学園生だし、たとえ傭兵だとしてもその手段は取れない。実際のところアーク保安部隊が表立って警護しないのは、亜季姉ぇや空、真ちゃんの学園生としての「日常」を壊さないためでもある。四六時中軍服姿の警備兵に取り囲まれていては、楽しい学園生活とはまったく無縁になってしまう。
それでも何かを護ろうとすると、できる範囲で準備はしておきたい。
「……お買い物の算段、ですか?」
「う、レインには隠し事は無理か」
ペースを少し落として、話しやすい速度で突きと蹴りを繰り返す。
「そうですね、
「今の時代でも、あそこであれば必要なものは手に入るとは思います」
必要なもの、か。
が、
シュミクラムの腕が良くてもただの学園生なのだ。何かを守ろうとするならばそれ相応の力が要る。
「しかし、買い物するにしても先立つものが心許ないなぁ」
「それこそ二人で
そういえば以前闘技場で、
(
(私の身を案じて、などとは言い出さないでくださいね)
(すまんな、レイン)
ほんとにもう何度この言葉を口にしているのかと思うが、本当にレインには世話をかけている。
それは夢の記憶の話ではなく、レインが転入してきてからこっち、現実として助けられてばかりだ。もし今俺一人ならば、亜季姉ぇや真ちゃんのことを心配するだけで、具体的な対応など何もできていないだろう。
(ライフルやRPGはともかく、ハンドガンに、各種のスタンやガスグレネード、ナイフあたりは数種類用意しておきたいです)
そんな俺の自嘲じみた考えを打ち消すように、
(まったく、職務質問されたら一発で退学どころか収容施設行きだぞ)
(そうなれば、捕まる前に高飛びしましょう)
(それもいいな。二人で賭け試合に出ながら、世界各地を巡業するか?)
俺の提案に、くすくすとレインが楽しげに笑う。
もちろん冗談だが、闇試合で世界を回って生計を立てる、そんな子供じみた夢もレインとなら実現できそうだ。
(目的のない旅から旅への生活……すこし憧れますね)
(まあ残念ながら、今は目的のある眼前の問題解決、だな)
(ですね。橘社長からはこの周辺の警備情報は頂いていますが、可能でしたら自前で監視網を作っておきたいです)
銃火器を今すぐ実際に購入するかどうかはともかく、親父や聖良叔母さんに頼らなくてすむ入手経路は確かに作っておきたい。また警戒する上でも、アークやフェンリルとは別経路の情報網は欲しい。
身体を動かしながらも、少しずつ予定を組み上げていく。
やるべきことが見えてきて、身体だけでなく頭も目覚めはじめる。
(今の状況に救いがあるとすれば、無期限の防衛ではない、ということだな)
(はい。長くても二年。早ければ今年の夏には目処が立っているのではないでしょうか)
少なくとも亜季姉ぇは今年の春からアーク本社に入る。あそこなら間違いなく安全だ。
そしてアークの政治活動が実を結び、反AI派の勢いがなくなれば、
「あまり難しく考えることはないさ。アセンブラ成功のおかげで、いい方向に動き出してはいるんだ」
親父やノイ先生ほどの楽観はできないが、思いつめるほどではない。
悩みを振り払うためにも、俺はレインとの組手に意識を向け直した。
〓
事態を楽観視しようとした、その安心感が仇となった。
「っ!」
意識が僅かに逸れた瞬間、俺は投げ飛ばされていた。
「トレーニングとはいえ、集中できないのは感心いたしませんよ?」
「すまないな、レイン。お前ほど並列した思考は俺には無理みたいだな」
差し伸ばされた手を握り、勢いを付けて起き上がる。
「朝っぱらから二人で何してんのよ」
どこか不満げなその声に、俺とレイン二人ともに握手した格好のまま寮の玄関を振り返る。制服姿の千夏が出てきたところだった。
「おはよう、千夏」
「……おはようございます、渚さん」
眼に見えてレインが不機嫌になる。
あまり自分の感情を表に出さないレインだが、敵対していると認識した相手には、あからさまなまでに態度が変わる。如月寮においては、残念なことにその相手が千夏だった。
千夏のほうも、もともと好き嫌いは明白な性格だ。それでもここまではっきりと敵意を隠そうともしないのも珍しい。
犬猿の仲、といったところか。この二人が顔を合わせると緊張感が半端ない。
「何をしているって言いたいのはこっちだぞ、レイン、千夏。朝っぱらからいがみ合うな」
「申し訳ございません、甲さん」
「悪いね、甲」
二人とも返事は良いし、早い。が、まったく態度は変わらない。こういうところでは、むやみに息が合うな。
しかし睨み合っていた二人だが、珍しく千夏から先に眼をそらした。
「甲、あんた……もうちょっと空に気を使いなよ」
「いや、気を使うといっても、あいつまだ寝てるだろ?」
いきなり空に話が飛んだせいで、俺はどこかごまかすような返事をしてしまった。
「甲さん……そういう話ではないと思いますが」
困ったような顔で、レインが口を挟む。俺が話をはぐらかしているのは、やはりお見通しらしい。
「まあ一応警告はしたよ。あたしとしても空に肩入れする理由があるわけじゃないしね」
千夏は千夏で、捨て台詞のように言葉を残し、そのまま振り返りもせず寮を出て行く。
どうやら今週末もいろいろな意味で騒がしいことになりそうだ。
..■一月二一日 金曜日 一五時四六分
星修学園が敷地の外れに、その聖堂はある。
政治はともかく宗教には無縁の星修に『聖堂』というのもヘンな話だが、雰囲気といい用途といい、ここはまさしく俺たち
ただし奉られているのは神ではなく、この学園を管理しているAIのマザー、その偶像だ。もちろん星修の学園生は大半が
以前の俺は、擬似人格であるマザーに相談する人の気持ちがわからなかった。
理由は簡単だ。
俺がマザー、ひいてはAIを知ろうとしていなかったから、相談相手として考えられなかったのだ。
何のことはない、普通の人間関係と同じだ。よく知らない相手に相談できないのは当然だ。
今はマザーの事がよくわかっている……とはいえないが、それでも相談に乗ってもらおうと思うくらいにはAIのことを知りたいと思うようにはなっている。
- 『違うものの見方とは、時として有益なものだよ』
以前この場で久利原先生から聞かされた言葉。
自分では行き詰ったと思ったときに、別の視点のきっかけを与えてくれるのは、本当に助かる。
「こんにちは、門倉甲」
「こんにちは、マザー」
しかし今日は人生相談に来たわけではない。他の生徒の邪魔をするつもりもないので、少し距離をとって、マザーに話しかけた。
(マザー。通話はこっちでも良いか?)
(問題ありません、門倉甲)
そんなはずはないのだが、手馴れたようなマザーの答え。聞かれたくない相談事、というのはたぶん一番多いのだろう。なんといっても一番相談されている内容は、恋愛がらみだとマザー本人も言ってたからな。
そして残念ながらというか、俺の話はそっち系統ではなく、それ以上に聞かれるとまずい。
(確認しておきたいんだが、マザーはイヴと情報を共有しているよな?)
(はい。我々は個々の思考クラスター間の情報を逐次共有、更新しています)
ならアーク社長室での話は伝わっているのか。いや、知っていてもAIたちはそれを俺には話さないだろう。プライベートに関わる問題に関しては、AIの口の堅さは人間の比ではない。
それに今日尋ねたいことは別にある。
(マザー、あなたたちAIはアセンブラの実験失敗という可能性、その後の世界状況をシミュレートしたことはあるのか?)
(それは幾度も試されました。そして昨年半ばまで、アセンブラは決して成功しないものとして、幾度か警告を送っていました)
(失敗するのが確定してたって!?)
(はい。ですが門倉甲。ご存知のようにアセンブラ開発は成功しています。その要因は我々には理解できていません)
失敗するはずだったアセンブラは成功、ただ成功した理由はAIたちにも不明か。
(アセンブラの実験が失敗した世界、というのはたとえばどういうものがあるんだ?)
(申し訳ありません、門倉甲。それについては話すことはできません。我々のシミュレートの結果は、その多くが公開を禁じられています)
(こちらこそすまない。答えられないのは当然だな)
考えてみれば当たり前だ。AIによる近未来予測情報が流出してしまえば、政治も経済もバランスが崩壊する。それこそAIを予言者として祀り上げるカルトが発生しそうだ。
(マザーたちAIは量子通信を用いて、他の、たとえば並列事象との接触があるのか?)
(それも難しい問題で、精確な説明ができません。量子通信の概念を言語で説明することが困難なだけではなく、伝達された情報そのものの発信元をすべて特定することが我々にもできていないからです)
(っとそれは、内容はわかっているけど、誰から話されたことがわからないってこと?)
(あなた方人間に例えれば、おそらくそのようものでしょう。さらに発信された時間自体の特定が不可能な場合もあり、過去の情報と現在の情報とが混ざり合っているのです)
差出人も時間も不明で、ソートできないメールが溢れている受信箱みたいなものか。そんな程度にしか想像がつかない。
(ただし、別事象からと思しき通信は、小規模なものであればいくつも観測されています)
マザーがそこで言葉を切る。俺が何を聞きたいのかはマザーにはわかっているはずだ。しかしそれでも、俺が問うまでは答えることはない。
問いに対する答えを知っていたとしても、決して先回りに話すことはない。答えを知るかどうかの判断は人間が決めるべきだという、それがAIたちの人間に対する姿勢なのだ。
それぞれが独立した知性体として、人間を尊重するという態度の表れだと思いたい。
そしてそれに応えるためにも、俺は必要なことを聞かねばならない。
(昨年一二月二四日に、その並列事象からの接触は……いや、そのあとで俺たちへの影響は何かあったのか?)
(はい。昨年一二月二四日には、大規模な接触がありました。その結果、あなた方
AIとしては異例な、人の感情に踏み込むような問いかけ。彼らも少しずつ確実に変わってきているのだろう。
(ありがとうマザー。それを聞きたかったんだ)
〓
「甲……?」
横から呼びかけられて、マザーとの対話を中断する。
話に夢中になっていてまったく気が付かなかったが、いつの間にか隣に空が来ていた。
「どうした空? お前も相談ごとか?」
「お前もって、甲もマザーに相談?」
「俺はちょっと聞きたいことがあったのと、あとは感謝……だな」
ああ、そうだ。聞きたいことばかり聞いて、一番伝えなければならないことを忘れるところだった。
聖堂の中央に立つ女性の彫像。それが単なる形だけのものだとはわかっているが、だからこそそれに向かって姿勢を正し、話しはじめる。
(マザー。この事象なのかどうかまったく俺には理解できないんだが、俺はAI総体ではなく、クラスターから切り離された後の、あなた自身に助けられた。あなたが記憶しているかどうかわからないが、間違いなく俺は救われたんだ。ありがとうマザー。そのことをちゃんと伝えたかった)
(感謝されるようなことではありません、門倉甲。あなた方と我々は、共に学びあう関係なのですから。助けるのも当然のことです)
その当然のことができる人間は少ないんだがな、と情けなくも思い知らされる。
(しかし、感謝してもらえる、というのは……いえ、我々にはいまだこれを言語化できない情報です)
(ゆっくりでいいさ。今言ってもらったとおり、俺たちは共に学びあう関係なのだから)
マザーと話し終わって聖堂を出ようとすると、空も付いてきた。
「甲……私もいい機会だから、ちゃんと話しておくね」
「話って何だよ? 真ちゃんやお前の身の安全のことか?」
「そういうのじゃないわよ。んー……ちょっとは関係してる気もするけど、どこから言ったらいいのかな……」
長くなりそうだと思った俺と空は、聖堂近くのベンチに座る。
ちょうどそこは、レインと初めて話した場所だった。
「かいつまんで話そうとかするなよ。お前の場合、まとめようとすると余計に話がわからなくなるから」
「じゃあ、もう全部最初っから話すけど、覚悟しておきなさいよねっ」
そういって話し出した内容は、去年の空とレインとの出会いからはじまる話だった。
真ちゃん絡みで喧嘩になりかけた空を、レインが偶然助けたこと。
レインが、ジルベルトから助けた俺に逢いたくて、星修に来ていたこと。
レインと俺とを恋人にするべく、いろいろときっかけを作ろうとしていたこと。
だが、レインの恋を応援していたはずが、
そんなことをぽつぽつと、空が話してくれる。
「だいたいわかった。というかあれだな、空……」
「なによ、甲。いろいろレインには謝らないといけないのはわかってるわよ」
俺と付き合うとなって、悩んでいたのは、レインを裏切ったと思っていたからか。それはともかく、去年俺の身の回りでなぞの事件が多かったのは、やはりこいつの仕業だったようだ。
「いや、レインが失敗していたのは、その大半がお前が原因というのが、よくわかった」
「う……甲もやっぱりそう思う?」
下駄箱に届けられたギーガー風弁当など、まさにその筆頭だ。
どおりで味は真ちゃん風でそれなりに食べられたのに、見た目がアレだけ奇天烈なものだったわけだ。
「だいたい重箱だって、牡蠣入れたのはお前だよな? あの後庭に埋めてたし……」
「ええっ、甲あれを見てたのっ!?」
「隠すなら、寮の裏庭なんて人目に付きやすいところでやるなよ……」
あれで隠しきれると思っている空は、やはりすごい。いやあれは俺がヘンに気を回したから見つけてしまったのか。
「レインが生もの嫌いなのは、たぶんあれのせいだぞ。まったく刺身定食一緒に食べるのは、これは当分無理だな」
次に何かで給料が入ったときは、刺身の旨いしっかりした料亭にでも連れて行くしかない、か。
〓
「お待たせしました、空さ…ん?」
噂をしていると、そのレインが聖堂に現れた。
ここで空と待ち合わせでもしていたのか。
「お邪魔でしたか、申し訳ありません」
「違うよ、レイン。俺はちょっとマザーと話があってね……」
(並列事象からのデータ流出は、やはりAI側でも観測しているそうだ。しかもあの日にAIからの情報流出を受けた人間はかなりの大人数に及ぶらしい)
(では『灰色のクリスマス』以降の記憶というのは
(おそらくはそうだろうな。真ちゃんが最近クラスや上級生からも慕われてるのって、ドミニオンの巫女だって知られてるからじゃないのか。これはまずいな)
(場合によっては、
マザーから聞いた話から類推できる内容を簡単にレインには話しておく。これは下手をすると米内派以上に、ドミニオンを警戒しなければならなくなってきたかもしれない。
「うん、わかったわ。レイン、甲っ」
空の声で、レインとの
レインと見詰め合っていた視線を外し、空に向き直る。
「今度はなんだ、空?」
「どうかされましたか、空さん?」
どうせ何かまた唐突なことを言い出すに違いないと、身構えてしまう。
「甲、私たち、別れましょう」
……はい?
..■一月二一日 金曜日 一八時一三分
どうも一方的に振られたらしい俺は、一人如月寮に帰ってきた。どこかへ立ち去った空を追うのはレインに任せてしまったが、そのレインも先ほど一人で戻ってきて、夕食の仕度をはじめている。
さすがに
しかし裏庭に出てみると、菜ノ葉と並んで千夏がいた。
「あれ? 千夏、今日は部活じゃなかったのか?」
「レインに頼まれてね、空の様子を見てきてくれって。それで空とは会ってきたんだけど……うん、ちょっと早めに帰ってきたんだよ」
「お前がすんなりレインの頼みを聞くとはな。なにか、その……レインのことを嫌ってるのかと思ってた」
「……あの娘のことは苦手だけど、嫌いじゃないよ。嫌ってたら喧嘩なんてできないじゃない」
嫌うのと喧嘩するのとの、いまいち違いがわからない。どうやらそれが顔に出ていたようだ。千夏が続けて説明してくれる。
「あのさ、甲。たとえばだけど、ジルベルトと喧嘩したいとか、思うわけ?」
「いや、すまん、千夏。それは断る」
問答無用で即答。
千夏の言いたいことがよくわかった。本当に嫌いな相手に関しては、喧嘩するどころか顔も見たくない、というよりも思い出したくもない。
「でさ、甲 空先輩と何かあったの?」
菜ノ葉が泣きそうな顔でこっちを見ている。どうも昨日の話の関係でいろいろと気を回しているのかもしれない。なにか違う気もするが……
「いや、何かあったというか……そのどう言ったらいいのか」
さすがに「振られた」とは、自分の口からは言いにくい。というか俺はほんとに振られて失恋してるのか? どこか実感がないのだ。
「だいたいさー甲、クリスマスからこっち、空とデートした?」
「……え?」
話の脈絡が追いきれずに、答えられない。
いや、千夏のほうは空から話を聞いていたのか、なにか核心を突かれそうだ。
「年末年始は空先輩病院のほうに行ってたし、先々週は甲が課題に追われてたみたいだし、先週はおじさんに会いに行ってたんだよね……」
「お、おう、その通りだ」
菜ノ葉に指摘されるが、こう言われるとこのところの週末は何かと忙しい日々だったな。
「それに、甲。空先輩とあまり一緒にいないから……」
「一緒にって……いつも学校に行くときは同じだし、授業ではそれなりに会うし、昼飯もけっこう一緒に食べてるぞ?」
「甲……それ本気で言ってる?」
千夏が心底呆れたように、聞き返してくる。
「朝は、あたしは部活あるからともかく、寮の皆もでしょ? 授業はだいたいあたしか雅が居るし、昼も寮の誰かと集まってるじゃない」
それにね、とさらに追い討ち。
「あんた空と一緒に帰ることって、ほとんどないでしょ?」
「う……すまん、確かにそうだ」
あたしに謝っても仕方ないでしょ、と怒られるがその通りだ。空はなにかと出歩くことが多いし、俺は俺で早く寮に戻って、
「ってかさ。これだけ言ってもまだ自覚なさそうなんだけど、菜ノ葉はどう思う?」
「とぼけてるのかと思ってましたが、ほんっとに気付いてないんじゃないですか、甲の場合」
何気にひどいぞ、菜ノ葉。と言いかけたが、思い止まる。
「気付いてないって、なんだよ。そりゃあ空とはあまり一緒に帰ったなかったけどさ……」
はあぁぁっ、と二人そろって大きく溜息をつかれた。なにか完全に呆れられているようだ。
「わかった、甲。じゃあ、あんた一緒に帰ってるのは誰?」
「えー、っと……」
放課後の千夏は部活、雅はこのところは付き合っている相手と、だ。菜ノ葉と真ちゃんは買出しが多くて一緒にならない。そして亜季姉ぇは午後まで学園にいること自体が稀だ。
「……レインかな」
朝は寮の皆で騒ぎながら行く川原を、帰りはレインと二人、取り留めない話をしながらゆっくりと歩いて帰ってくる。
「で、帰ってから一緒にいるのは?」
「
「で、晩御飯は皆で食べて、最近甲は寝るの早いけど、次の日起きたら?」
「五時前に起きて、走りこんだりちょっとしたトレーニングだぞ」
「で、誰と?」
「レインと」
「……わかった?」
千夏の質問攻めが終わり、二人揃ってジーっとこっちを見てくる。
なんとなく言いたいことはわかる。わかるのだが、やはり勘違いされている。
「おいおい、俺とレインとはそういうんじゃなくてだな……」
「そういうのって、どういうのかなぁ~甲?」
疑うような千夏の視線。
どういうのと問われると、しかし俺はまだレインとの関係を言葉にできていない。
「ってそうか、あれは……」
ふと、俺はガキの頃の失敗を思い出してしまった。思い出すのも恥ずかしい話だが、今千夏に聞かれて答えられないような質問を、俺は他の人にしてしまったことがある。
「どうしたの甲?」
「あのさ、シゼル少佐ってこの前千夏は会ったよな」
「ああ、あのピシッとした格好いい人ね」
「菜ノ葉も覚えないかな、南八坂に住んでたときに、一度ウチに手伝いに来てくれた人で、褐色の……」
「んー……味付けが、塩っ辛い人?」
さすが菜ノ葉だ。料理の味で、相手を覚えているのか。
「そうそう。そのシゼル少佐にさ、ガキだから聞いちゃったんだよな、あなたは親父の愛人ですか……って」
ガキの頃、親父とシゼル少佐との関係がどういうものかわからなかった俺は、近所のワルガキどもに言われた言葉をそのままシゼル少佐にぶつけてしまったのだ。今ならわかるが、あの二人の関係は一言で言えるようなものではないのだろう。
「うわっ……サイテー」
「甲、それはひどいよぉ」
二人ともに、リアルに一歩引かれた。さすがにこれはショックだ。
「いや、だからっ、ガキの頃の話で、しかも愛人の意味もいまいちわかってなかったときのことなんだよっ」
あのときのことはちゃんと少佐に謝りたいが、さすがに今更言い出しにくい。
「で、その恥ずかしい過去暴露、いきなりどうしたのさ」
千夏に問い詰められるも、それが説明しにくいから今の話を出したのだが、いまいち伝わっていない。
「えーっと。それと同じく、俺とレインの関係も説明しにくいってことを言いたいのですが……」
「……つまりレインさんと甲とは、愛人?」
止めを刺すかのような菜ノ葉の言葉で、俺は墓穴を掘ったことを嫌でも自覚した。
〓
真ちゃんが誘拐されたと連絡を受けたのは、そのすぐあとだった。
境涯 / Station
終
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