黒い蜃気楼を追って   作:光りし者

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東京優駿の後 荒療治(アイデアロール)

 『━━━━そして今ディープインパクトが仕掛けた! ディープインパクトが上がっていく!

やはりダービーでもこの二頭だ! 皐月の雪辱を果たさんと差を詰めていく! …しかしっ伸びが甘いか…!?』

 

 

 

 

 

 

 忸怩のダービーから3日後。

 

 俺は今、タクシーに揺られていた。

 

 

 

 切っ掛けは東京ダービーでのこと。

 

 皐月賞であの子を重ね視てしまった事を見抜かれ、懸念を指摘され、このままダービーに引き摺るまいと奔走した。

 

 何度もレースのビデオを見返して。

 時間を貰って、あの子の墓前に立って。

 あの子とあの馬は違うんだと。

 

 

 

 だが結局、またしても幻を視てしまった。それも今度は最終直線の中腹で。

 ディープの翼を翳らせてしまった。

 

 結果は2着、1 3/4馬身差。ディープの全力(ちから)を発揮してあげられなかったのだから正しく惨敗だ。

 

 

 でもそんな俺を迎えた皆は優しくて。

 鞍下のディープも気遣ってくれて*1

 

 誰も責めてくれなくて。

 

 

 スズカにも。ディープにも申し訳なくて。

 酒に逃げるなんて不義理も出来なくて二進も三進もいかなくなっていた時に、太田部さんだけが叱ってくれた。

 

 「それじゃあディープが可哀想だよ」

 

 当然だが、元騎手である太田部さんは俺の境遇を理解している。

 だから一見追い討ちのような心無い言葉だけど、泥を被ってくれているのがわかった。

 

 だから胸を借りて心中を吐露したら、太田部さんは言った。

 

 

 「じゃあ、会いにいこうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今、俺は美浦トレーニングセンターにいる。

 

 目の前には、じっとこちらを見つめる黒い馬体。

 

 二度レースで視てしまったからか、走っていないのに重なるようにスズカの影がちらつく。

 

 

 

 今まで無意識に接触を避けていた。

 こうして手が届く距離まで近付いたのは皐月以来だ。

 

 伸ばした手が肩に触れた。

 

 

 強い。

 

 

 手のひらから、その頑丈さが伝わってくる。

 戦績という結果で頑丈さを証明したイクノディクタスとはまた違う、密度とでも言うべき感触が触れただけで返ってきた。

 

 

 この子が、太田部さんが入れ込んでいる。

 あのトウカイテイオーの引退から実に10年ぶりの"ルドルフの強い仔"か。

 

 

 

 

 

 …ただこの時、得も言えぬ感動と同時にずっと心の片隅にあった違和感が蠢いた。

 

 

 

 前々から奇妙な馬だなとは感じていた。

 

 過去4度に亘って競馬場で対面したが、微塵も感情が読めない馬は初めてだったのだ。

 

 そして今日も。

 こうして間近で見ているのに、やっぱり何を考えてるのかさっぱりわからない。

 

 

 

 

 そして違和感は1つの疑問を生んだ。

 どうしてこんな考えに至ってしまったのかはわからないが。

 

 

 この子は馬なのか

 

 

 などという益体もない疑問が。

 馬鹿馬鹿しい。疑うまでもなく、どう見たって馬じゃないか。

 だがどうしてか、その冗談みたいな言葉が頭に纏わりついて離れない。

 

 

 

 今まで関わった馬達とは桁違いにも感じる、この怪我を欠片も予感させない頑丈そうな(からだ)と、その繊細さからガラスの脚と屡々(しばしば)表現されるサラブレッドのイメージがどうにも結び付かないこと。 

 

 それと、

 

『称賛*2』『感心*3』『思慕*4

 

 隣の白い二冠牝馬の感情は明瞭に理解できるのが対比となって、余計に違和感を助長していた。

 

 

 

 

 

 

 

 馬具を着け、いよいよ乗る時が来た。

 

 

 太田部さん達がくれたこの機会を逃してはいけない。

 

 決別ではなく区別。

 この子を識り、スズカと区別できなければ、俺はディープに気持ちよく走らせてあげることができない。

 

 

 

 (…なにか俺は、致命的な間違いを冒そうとしている気がする)

 

 ただ、一度違和感が疑問という明確な言葉になってしまったからか、目の前の馬のはずの生き物が得体の知れない何かに思えてきてしまって、後悔にも似た不安が湧いてきた。

 

 

 

 手を借りて、背に跨がる。

 

 鞍を通して鞍下の機微が伝播し、そして後悔の予感は確信に変わった。

 

 

 『■■■■■■■■■■■■■■■■■■』

 

 理解できない何かが、頭の中に叩き込まれた。

 

 ぐんにゃりと視界が歪むような錯覚。

 水中に放り込まれたかのように、平衡感覚が一瞬で麻痺したかのような。

 

 なんだ、この馬、いやこいつは。

 

 

 

 だが言葉を発することを忘れ、降りる機会を逃した俺に状況が待ったをかけてくれない。

 

 「それじゃお任せします」「アゼリア、今日はよろしく」

 

 更に後悔が加速した。

 

 

 例えるなら、アクセルが勝手に踏まれ、目の前のハンドルがひとりでに回っているのを運転席から手持ち無沙汰に眺めているかのような気味の悪さ。

 

 背中に乗ってなお、これっぽっちも感情が読めない鞍下に、誘導するまでもなく完璧なコース取りで走られ、騎手の存在意義を揺さぶられているかのような不安。

 

 

 

 俺はなんでこいつに乗っているんだろう。

 

 喉元に、なにか酸っぱいものが込み上げてくるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 気が付けば既に走り終え、太田部さん達のところに戻っていた。

 

 

 鞍から降りて地面に足を付けば、微動だにしない足裏の感触が頭の中をかき回していた何かを治めてくれる。

 体は大して疲れていないのに膝が笑っている。それでもなんとか崩れ落ちずには済んだ。

 

 どうにか柵に手を付いて一息つき、件の下手人の方を見る。

 

 

 「どうだったかい?じっくり近くで観察して」

 「正直殆どわかりませんでした。でもカイザーを見るに満足してるみたいだから、やっぱり腕が違うんですよね」

 

 おかしい。

 どうしてそいつと関わっていて、皆何事もなく談笑できるんだ。

 なんでそいつを理解できるんだ。

 

 

 突飛なことだが、彼らまでもが俺と違う生き物のように見えてきて。

 その時初めて自分達と違うものと意識した。

 

 

 かちり とパズルの最後のピースが填まるような感覚。

 ない交ぜだった頭の中が、急速に澄んでいく。

 

 

 そうか。

 俺の心がスズカの影の背に乗って、それを彼らに重ね視ていたのか。

 

 ディープの背に乗っていることを忘れて。

 彼らを相手に競う気概を忘れていたんだ。

 

 

 それを理解したらもう、あの黒い暴君にスズカの影が重なることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 美浦トレーニングセンターが遠ざかる。

 

 「どうやら、何か掴めたようだね」

 「ええ。今度こそディープに乗ります」

 

 こうして機会をくれた太田部さんには感謝しかない。

 

 今思えば、何もかも随分と中途半端だった。

 折を見て、今度こそ眠るスズカに会いに行こう。

 

 そして、俺は改めてディープの騎手になるんだ。

 もう迷いはない。

 

 

 

 

 

 

 …ただ。

 

 

 自分の運転ではないタクシーの揺れが、否応なく先程の体験を思い返させてくる。

 

 

 

 …しばらく夢に見そうだ。

 

 というか無事に帰れるだろうか。

 栗東(滋賀)がやけに遠く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
史実のディープインパクトも走りへの意欲の強さとは裏腹に人好きで優しかった。

*2
「なんだか乗せ心地の良さそうな人ですわね!」

*3
「まあ、天才ですの?納得ですわ!」

*4
「さすがお兄様!博識ですわ!」




・天才騎手 滝寛
 馬を理解する天才であるが故にカイザーとは相性が悪かった。
 まだ2005年なのに完全自動運転という2020年台のテクノロジーに触れてしまった挙句、カイザーという人の頭脳を搭載した人の仕草をするUMAを大真面目に馬として読み取ろうとしてしまいエラーを吐いた。
 結果的にスズカの影が重ならなくなったのでヨシ!


・レジェンド元騎手 太田部雪男
 史実と同じく引退後はフリーランス競馬評論家に。また若手騎手の養成もしている。馬優先主義。
 ただし史実と違いカイザーがいるので、カイザーの主戦騎手が若手なのをいいことに頻繁に厩舎に顔を出している。やっぱり人間これくらい正直じゃないとね。
 騎手を辞めたので家族サービスしても時間が余っている。完全に近所の気の良いおじさん状態。

 天才がスランプに陥っているところをディープの為にも放っておけず、越権を承知で方々に許可を伺ったところ、割とあっさり貰えたので連れてきた。
 やったことはカイザーのライバルに塩を送る行為だが*1、カイザーならそれでも勝つさと確信しており全幅の信頼を寄せている。人はこれを厄介オタクと言う。
 結果的にカイザーが期待に応え続けた以上の結果を残したのでついぞ治ることはなく、後年カイザーについて語ろうとすると度々限界オタクと化すようになる。それはもう凄くいい空気吸っている。
 キャラ崩壊甚だしいが全部神様と歴史改変と作者って奴が悪いんだ。


・カイザー達の生産牧場主にして馬主 十文字
 いくらなんでもあまりにカイザーが勝つものだから、他の牧場オーナーからのプレッシャーで腹がキリキリ痛み、レジェンドがカイザーのライバルに塩を送ることについ許可してしまった。
 でも本音ではそれでもやっぱり勝ってほしいと思っている。

 なお他者からはカイザーへの絶対の自信の表れと受け取られる模様。流石漢の中の漢。

*1
カイザーの主戦騎手に天才の腕を間近でじっくり観察させられる良い機会なので割と好評。

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