魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第14話 正逆

 

 

 

 

 このハワイに来ているのは、他のクラスとの希望が重ならなかったので3-Aのみ。

 日本国内ならまだしも親しみ深いハワイといえど海外である。麻帆良女子中等部で最も問題を起こしやすいと考えられている3-A。しかも、担任と副担任はまだ新人。補佐が二人ついているが、こちらも二ヶ月早いだけでまだ新人の領域で更に子供。満場一致で学年主任の新田の同行が学年会議で決まったのであった。

 女性教師に女生徒ばかりなのだから新田よりも源しずなの方が良いのではないかとの意見はあったが、やはり3-Aを抑えられるとしたら新田という意見が大勢を締めた結果である。

 海水浴行く少し前、チェックインしたばかりのホテルで新田は早速困った事態に陥っていた。

 

「お願いします! 行かせて下さい!」

 

 3-Aの生徒達が渡された鍵を持って部屋に向かったのを見送った後、アーニャは荷物をネギに任せて新田に直談判していた。

 

「生徒達が海水浴に出ている時間だけでいいんです。昔の友達がこの近くに住んでいて、この機会を逃したら何時になるか」

 

 集団行動が原則である修学旅行において不躾で、先生として最低の選択であることはアーニャも重々承知している。

 その上で譲れない気持ちが彼女の中にはあった。

 

「しかしだな。仮にも教師たるものが独自行動をするのを認めろというのは」

 

 当然のことながら新田はアーニャの希望を受け入れられずに渋い顔をした。

 そんな新田の後ろから新田の分の荷物を置いてきたネカネ・スプリングフィールドと天ヶ崎千草が現れた。

 

「どないしはりました?」

「アーニャがなにか粗相でも?」

「いや、そういうわけではないんだが」

 

 新任とはいえ、和洋の美人二人に問われた新田は困ったように頭の後ろを掻いた。

 男の性として美人の女に弱いというのがある。新田も御多分に洩れず、普通よりかはマシであっても弱かった。特に美人で若いネカネと千草の二人に同時に話しかけられると目のやり場に困る。

 

「私が海水浴の間だけ友達に会いに行かして欲しいってお願いしてるとこ」

 

 新田がどういうべきか困っているとアーニャが先に言ってしまった。

 

「友達ってナナリーちゃん?」

「手紙をくれたんだけどおかしくて、様子だけでも確かめさせてほしいの」

 

 ん、と差し出されたエアメールをを受け取ったネカネは、中に入れられている便箋を取り出して読み出した。

 横から千草が覗き込んだが英語で書かれているのを見てあっさりと止めた。

 千草の英語能力は学生時分で止まっている。辞書もなしに手紙の英文を訳せるほど達者ではない。

 英語圏のネカネは当然ながら手紙を読むのは苦にならない。最後まで読み切って便箋をエアメールに直す。

 

「私も頑張りますって書いてるあるだけで、あの子にしては前向き過ぎる文章だけど」

 

 ナナリーと面識の深いネカネは内容に若干の不審を覚えながらもアーニャにエアメールを返した。

 

「それって二週間前に届いた手紙なの。それまでに何通も出してるのに、来た手紙には最初に出した内容に対する返事しか書かれてないのよ。どう考えてもおかしいわ」

「確かに変ね。あの子なら届いた手紙にはきっちりと返事を毎回書くはず。もしかして手紙をちゃんと渡されていないのかしら?」

 

 アーニャの言い分を聞けばネカネも納得した。

 そして同時に懸念もあった。

 ハワイで占い師をやる場合に受け入れるホームステイにも似たやり方をする家こそがナナリーが居候しているところである。

 著名な魔法使いが主である家は、スプリングフィールド兄弟の受け入れを強引に進めようとしていたとネカネは校長から聞いたことがあった。

 二人が英雄ナギの息子であることは魔法学校でも知る者は片手の指ほどにもない。どこから情報が漏れたのかと校長が憤っていたことはまだ記憶にも新しかった。他にも魔法世界からの強引な勧誘もあったと聞いている。

 望んだ者が来なかったこと。手紙から感じられる不審と合わせるとネカネもナナリーの身が心配になってきた。

 

「あの新田先生、知っている子なんです。私からもお願いします。様子を見るだけでも」

「ええんちゃいます。一クラスに教師が五人もいるわけやし、一人ぐらいならいなくても」

「新田先生!」

「ん、むぅ……」

 

 一度心配になると坂を転げ落ちるように不安が増していくのか、ネカネの縋りつきと援護に入った千草、更には詰め寄って来たアーニャに新田はどんどんと追い詰められていく。

 女性というのは同性同士での纏まりが男に比べて非常に強い。女子中勤めで痛感していたつもりだが、成人二人と少女一人に追い詰められた新田は苦悩した。

 はっ、と周りを見ればホテルのロビー中の人間が注目している。

 変な噂を立てられることはないだろうが、生徒達が戻って来る前には片をつけなければならなかった。

 

「…………分かりました。いいでしょう」

「ありがとうございます!」

「ただし、生徒達が海水浴中の間だけです。一秒でも遅れることは許しませんよ」

「はい!」

 

 結局はアーニャの熱意に折れる形で新田は提案を受け入れるのであった。

 嬉しさのあまり抱き付いてくるアーニャに、これで良かったと思ってしまった新田も既に毒されてしまったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 以上の経緯で海水浴に行く面々を見送ったアーニャは、エアメールに記載されている住所へ向かうためにホノルル市の公営バスに乗り込んだ。

 ホテルの人にエアメールの住所を見せて、どこの路線に乗ってどこの停留所で降りればいいかを熱心に聞いたので間違えることもない。念の為に紙にも書いたので、これで間違えることがあればアーニャの責任である。

 一路、ナナリーが居候している家に向かったアーニャは途中で何度も間違えそうになりながらも、街外れにある目的地に到着した。

 

「でっかい家ねぇ」

 

 単純な規模なら雪広あやかや近衛木乃香の実家の方が遥かに大きいが、それ以外でなら目の前に聳え立っている屋敷が一番かもしれないと、首を上げなければ屋根が見えないことに嫌気を覚えていた。

 骨の髄まで小市民であるアーニャは、あやかや木乃香のような文字通りの規模が違う金持ちには何も思わなくても、手が届きそうな感じの屋敷だと思うところが出来てしまうようだ。

 内心はともあく、目的はあくまでナナリーの様子を見に来ただけだと自分に言い聞かせて玄関に向かった。

 

「ゴメンください」

 

 チャイムが無駄に高い所にあったので、これは背の低い私に対する嫌みかと思ったアーニャはドアをノックしながら呼びかける。

 ノックと呼び掛けに反応があったのは数秒後だった。

 

「当家に何用でしょうか?」

 

 ドアも開けずに応対してくる家の人間に、外観のこともあってアーニャの好感度はだだ下がりだった。

 しかし、目的を忘れてはならないと首を振って気合を入れる。

 

「そちらでお世話になっているナナリーの学校時代の友達です。近くに来たので寄らせて頂きました。ナナリーは御在宅でしょうか」

「そのような者はこの家にはおりません」

「え、でも」

「お帰り下さい」

 

 スゲも無い返答だった。

 アーニャが聞き返す間もない。咄嗟にドアに耳を近づけると応対した人間が足早に去って行くのが聞こえた。

 

「ちょっと! ナナリーはこの家にいるって分かってのよ!」

 

 明らかにおかしい応対の対応にイラついたアーニャは乱暴にドアを何度も叩く。

 

「ここを開けなさいってば!」

 

 アーニャの手が痛くなるほどにドアを叩きまくっていると、やがて観念したのかドアが少しだけ開いた。

 ドアの隙間から顔を覗かせたのはメイド服姿の女性だった。

 

「ナナリーは――」

 

 どこにいる、と呼びかけかけたアーニャの言葉は遮られた。真正面から吹っかけられたバケツに入った水によって。

 水をかけられるほどの不作法を働いた覚えはないアーニャは避けることが出来ず、受けるしか出来なかった。

 

「お去り下さい。当家にはそのような者はおりません」

 

 と、言いたいことだけを言ってまたドアを締めた。

 

「な、な、な、な、な、なななんなのよ――――――――っ!!!!」

 

 怒髪天をつくとは正にこのことか。

 確かにドアをノックしまくったのは迷惑をかけたかもしれないが、注意の一言もなく水をかけられるほどではなかったはずだ。

 流石にまたドアを叩きまくって同じ目にあったり、ドアを壊してまで侵入するのは気が引けたアーニャは引き下がるしかなかった。

 

「ふん」

 

 他の家から離れたところに屋敷はあったので、体全体に炎を纏って服や髪に染みついた水分を蒸発させたアーニャは鼻息も荒く屋敷を出た。

 最後にこの性悪な家を頭に刻み付けてやると思って振り返りながら上の方を見ると、殆どの窓には昼間にも関わらず全てカーテンが閉まっていて首を捻った。

 魔法使いは一般世界にその存在を秘匿するべしという不文律はあるが、昼にカーテンを閉めて中の様子が見えない様にするのはおかしい。

 

「あ」

 

 順繰りに屋敷の窓を見ていたアーニャは、閉まっているカーテンの隙間からこちらを見ている人影を見た。

 

「ナナリー!」

 

 呼びかけるとその人影は驚いたように引っ込んでしまった。

 カーテンは完全に締められ、暫く見ていたが開く気配はない。

 

「今のってナナリーよね?」

 

 一瞬であったし、遠目であったこともあってアーニャはこちらを見ていた人物がナナリーに似た風体だったような気がした。

 しかし、ならば彼女がアーニャから身を隠す理由が分からない。

 さっきのメイドの様子から屋敷の中に入れてくれるとは思えず、アーニャは渋々ながらも出て行くしかなかった。

 屋敷からバスの停留所まではかなりの距離がある。

 来るときはイラついた距離も考え事をするには適した距離である。

 暑い中をスーツの上を脱いで手に持ちながら歩いていると、前の方から地元の人間らしき中年の女性が歩いて来てる。

 アーニャが来た方向に向かっているので、もしかして屋敷の人間かとも思ったが服装はシックなのであのような豪邸に住んでいる人間には見えなかった。この先になんのようかと思っていると中年女性はアーニャの目前で止まった。

 

「あんたかい。あの豪邸に向かった物好きってのは」

「物好きで悪かったわね」

 

 失礼な物言いの相手には失礼な物言いを返すことを信条としているアーニャは、中年女性に嫌みを返した。

 

「いや、嫌味じゃないんだよ。もしかしてアンタはあのポンコツ占い師の知り合いかい?」

「ポンコツ占い師ってナナリーのこと?」

 

 失礼を通り越して無礼な中年女性にはっきりとアーニャは怒りを抱いた。

 誰だって親友のことを貶されて喜ぶ者はいない。

 

「そうじゃなくて、取りあえずナナリーの知り合いなんだね」

「ええ、そうよ」

「じゃあ、ナナリーがどうなったか知らないかい? この前は虫の居所が悪くて辛く当たっちまったんだで謝ろうかと思ったのに、今日に限って何時ものストリートにいないんだよ」

「なんですって?」

 

 経緯は分からないがナナリーに不逞を働くわけではなく純粋にお礼を言いたいのだと分かったアーニャは、今日に限っていないという発言に眉を顰めた。

 

「暮らしているっていう屋敷の近くで不審な集団がいたとか、叫び声を聞いたなんて話があったから心配で様子を来たんだよ」

「それ何時!?」

「噂じゃ昨日の夜って話だよ」

 

 屋敷の人間の様子がおかしいのと中年女性の話が符合する。

 中年女性はナナリーがあの豪邸に住んでいることを知っていた。なのに、豪邸の住人はナナリーなどいないと言った。

 彼女が聞いた噂は真実で、ナナリーは何らかの事件に巻き込まれたのだと仮定すれば外聞を気にする主人ならば秘密にするかもしれない。

 あくまでアーニャの推測だ。だが、ジッとしていることは出来なかった。

 

「ありがとう、おばさん。あの屋敷に行ってもナナリーはいないって追い返されるだけよ。後のことは私に任せて」

「いいのかい?」

「ええ、ナナリーは私の親友だもの」

 

 アーニャに動かない理由はなかった。

 

 

 

 

 

 ビーチにとんぼ返りしたアーニャは、こういう厄介事には無類の強さを発揮するアスカとネギ、何故か付いてきた明日菜達と共に再び豪邸へとやってきた。

 

「趣味の悪い屋敷だな」

 

 アーニャと同じ感想を抱いたらしいアスカは、豪邸を見て不快そうに眉を顰めた。

 

「で、どうするのアーニャ?」

 

 アスカほど明らさまではないが、見ていて楽しい家ではないと判断を下したネギは今後の行動をアーニャに問うた。

 

「決まってるじゃない――――強行突破よ」

「「「は?」」」

「んじゃ、行くぞ」

 

 聞かれたアーニャは据わった目でアスカに命令を下した。別名で処刑宣告ともいう。

 まさかの野蛮な手段に明日菜達が驚いている横で意気揚々と足を踏み出したアスカは、玄関の前に一度立ち止まって息を深く吸い込んだ。

 

「頼もう!」 

 

 ハルナか祐奈辺りに仕込まれた知識なのか、ノックすることなく前蹴りで豪快にドアを蹴り破ったアスカは土足で屋敷に侵入していく。

 アスカの後ろをやれやれと慣れた仕草でネギが追従し、「行くわよ」と明日菜達を促したアーニャも後を追っていく。

 遅れて屋敷に入った明日菜達は豪華絢爛な家具に魅入られつつも進む。

 

「ナナリーはどこだ」

「そのような者は本邸には……」

 

 曲がり角の向こうにいるらしいアスカの声が聞こえ、応対する者が答えた瞬間、ゾンッとなにかがめり込む音が響いた。

 慌てて明日菜達が足を速めて曲がり角の先を見ると、腰を抜かしてへたり込むメイドの頭上の壁にめり込んだアスカの拳。

 

「もう一度聞く。ナナリーはどこだ」

 

 子供なので小さな拳といえど、拳が丸々壁にめり込むほどの一撃が生身に当たればどうなるか考えるまでもない。

 少なくともメイドは想像力が欠如した愚か者ではなかった。

 

「だ、旦那様の命令でい、言えません」

 

 胸倉を掴まれ、拳を今まさに振るわんとしているアスカを前にして、それでも職務を全うしようとするところは評価すべきか。

 

「じゃあ、もういい」

「あ」

 

 話す気はないと判断したアスカは拳を握っていた手を解いて、胸元を握っていた手を引いて前に傾けられたメイドの首に手刀を下ろした。

 あっさりと気を失ったメイドを丁寧に床に寝かしたアスカが立ち上がる。

 

「次行くぞ。これだけ大きければメイドの数も多いはずだ。一人ぐらい話すだろ」

「もしくは当の旦那さまが出てくるのは待つってわけか。気の長い話だね」

「いいさ。何時かはゴールに辿り着く」

 

 ネギは恐怖に晒されながらも命令を守ったメイドに賞賛の眼差しを向け、アスカは次の標的を探して歩き出した。

 その背中を見送った明日菜は間近にいるアーニャを見た。

 

「ちょっと、いいのアレ?」

「いいのよ。来る時に言ったように真っ向からだと入れてさえくれないし、先に喧嘩を売ったのは向こうよ。こういうことにはアスカは無敵だし、連れて来た甲斐があったわ」

 

 やる気というか復讐に燃えているアーニャに止まる気はなさそうだった。

 

「あいつって殴るって決めたら男女差別しないから紳士気取っているネギよりは頼りになるわ。ネギはネギで今回は止める気もないみたいだし」

 

 不法侵入しながらも周りを気にしないアスカの為に周囲を警戒しているネギの背中にも、やる気が漲っていることを確認したアーニャはほくそ笑んだ。

 明日菜達は顔を見合わせ、止まる気もなく止められそうにもないので三人の後ろを付いていくしかなかった。

 何人かの職務意識の高いメイドを気絶させ、当主に聞けと言うメイドに案内させた部屋をまたもやアスカは蹴破った。

 

「おい、ナナリーはど、こ……だ………?」

 

 と、行き込んで当主がいるらしい部屋に乗り込んだアスカだったが、執務机らしき椅子に座っていた人間が転げ落ちたことに驚いた。

 

「ひ、ひぃ…………く、来るな………来な、いで」

 

 当主らしき男は、少し前には壮年の男のダンディーな魅力を振り撒いていただろう容姿を盛大に崩し、血らしき汚れと思われるシャツを着たまま子供のように部屋の隅まで逃げて怯えていた。

 部屋の中程に進んだアスカに続いて明日菜達も入ると、当主の男性は頭を抱えて全身を震わせ滑稽なほどに怯える。

 

「なんなの、一体?」

「アスカがドアを蹴破ったけど、ここまで怯えるのは変ね」

 

 あまりの様子のおかしさにネギだけでなく、意欲に燃えていたアーニャですら不審を覚えていた。

 

「なあ、あいつの服に付いてる赤い染みって血じゃないのか?」

「そうよ」

 

 当主らしき男の衣服に付いている赤い染みらしきものが血ではないかというアスカの推測を肯定したのは、部屋の入り口に立つウェーブしている茶髪の少女だった。

 事前に振り返ったアスカと刹那に遅れて振り返ったアーニャの目には一瞬ではあったが、探しているナナリー・ミルケインに見えた。

 

「ナナリーっ…………って違うわね」

「似てて、お生憎様。いえ、あの子にとっては迷惑な話でしょうけど。私はこの家の娘エミリア・オッケンワイン。そこで震えているのが私の父よ」

 

 髪型や顔の造形はナナリーに似てなくもないが、高飛車な雰囲気は似ても似つかない。少女はナナリーよりも背が高く二、三歳は年上なので知らない者ならともかく、親しいアーニャが見間違えるはずがない。

 鼻をピクピクとさせて室内の臭いを嗅いだアスカは異変に気付いた。

 

「昨日、この部屋で何があった? 尋常じゃない血の臭いが残ってるぞ」

「血の臭いなんてする?」

「全然」

「私も」

「アスカは犬並みに嗅覚が鋭いですから、何日も経っているならともかく直ぐには痕跡は消せません」

 

 首を捻って頭を捻りあう明日菜達だったがネギの言葉に黙らざるをえない。

 部屋の入り口に立つエミリアはアスカの発言に目を鋭くした。

 

「良く解るわね」

 

 エミリアは部屋を足を踏み入れて、アスカに負けぬほど傲岸不遜に立つ。

 

「昨日、この屋敷に襲撃があったのよ。目的は私らしいけど、そこの当主はナナリーを代わりにしたの。事前に誘拐予告があったからお父様が呼んだ飢狼騎士団が守ってたけど全滅。血の臭いはその所為でしょうね」

「なんですって!?」

「飢狼騎士団ってアメリカ魔法協会が誇る最強集団って噂の。そこが全滅……」

 

 アーニャはナナリーが誘拐されたことに怒り、ネギは飢狼騎士団のことを知っていたので全滅したことを聞いて襲撃者の実力に愕然とした。

 そんな中でアスカだけは変わらない。

 

「ナナリーはどこだ」

「分からないわ。探させているけど見つからないの」

 

 問うたアスカはエミリアと名乗った少女を見た。

 腕を組んだエミリアの手が力を込め過ぎているのが目の良いアスカには分かった。

 嘘はないと判断したアスカの行動は早い。

 

「なら、ここにはもう用はない。なにか分かったら教えろ。ネギ、彼女に俺達のホテルと連絡先を」

 

 部屋の隅で怯えている当主とエミリアを見遣ったアスカは、もう用はないと部屋を出ようとした。

 部屋を出ようとしたアスカを手を広げたエミリアが遮った。

 

「待って」

「どけ。邪魔だ」

 

 普段のとぼけた口調でもエヴァンジェリンを前にした力の籠った口調でもない。冷徹とすら取れる口調で言い放ち、エミリアをどけようとアスカは手を伸ばした。

 

「お願い、待って」

 

 横にどけようとするアスカの手にエミリアは縋りついた。その声は泣きそうに震えていた。

 流石に泣きそうな少女を力尽くでどけるのは気が引けたのか、縋りつかれたアスカは躊躇った。

 次の行動をどうするか考えているアスカに、エミリアは手を掴んで俯いたまま口を開いた。

 

「あの子はあなたの何?」

「友達だ」

 

 アスカは一瞬の停滞もなくエミリアの問いに即答する。

 予想もしていない速さの返答にエミリアが顔を上げる。

 

「飢狼騎士団を全滅させたほどの相手なのよ。当主の証言から犯人グループのリーダーは300万の賞金首である闇の魔法使いゲイル・キングス。あなた達にどうにか出来る相手じゃないわ」

「誰が敵かなんて関係ない。ナナリーは友達で、今危険に晒されている。助けなきゃいけない」

 

 腕を抱えたエミリアは振り解こうとするアスカにしがみ付いた。

 

「勝てっこないわ。著名な魔法使いだったお父様があんな状態になっちゃう相手なのよ。勝てるわけないじゃない」

「勝つ必要はない。ナナリーを助けたら直ぐに逃げる」

「助けて、くれるの?」

 

 神様はいないと知りつつも懇願することしか出来ぬ少女の瞳が潤み、震えていた。

 

「助ける」

 

 二言はない、と心の底からの意志を明確に感じるアスカの声音にエミリアは我慢に我慢を重ねていた心が決壊した。

 決壊した心から溢れ出した感情がエミリアの瞳から溢れ出す涙となって現れる。

 

「お願い! あの子を、ナナリーを助けて! 私の所為であの子が攫われたの!」

 

 アスカの胸元に縋りついたエミリアは喚いた。

 

「妹だと思ってた! ずっと素直になれなかったけど、あの子が心配だった! 今度こそ、今度こそちゃんと接するから私にもう一度だけチャンスをちょうだい!!」

 

 胸元に縋りつくエミリアをアスカは振り払わなかった。それどころか泣くエミリアの頭をそっと優しく撫でた。

 

「お願い、ナナリーを助けて!!」

 

 その絶叫は真実の祈り。悪魔が自らの命を引き換えにすれば助かるのだと言われれば、躊躇いもせず差し出す今まで応える者がいなかった願い。だけど、今はここにヒーローはいた。

 

「大丈夫だ。俺に任せろ」

「うっ……ううっ……うえぇえんっ……!!」

 

 エミリアの頬を新たな一筋の涙が伝うと同時に口から小さな嗚咽が漏れる。まるでそれが合図だったかのように、噛み締めていた唇の隙間から嗚咽が漏れ出し、小さな肩を震わせて只管に嗚咽を繰り返す。

 まだ幼い現実を受け止められない脆弱な心。存在しない希望を求め続けたエミリアの願いを受け止めたアスカの背中は明日菜には誰よりも大きく見えた。

 ひとしきり泣いて落ち着いたエミリアは、同年代の少年に縋りついて泣いたことを恥ずかしがりながらアスカから離れた。

 

「なに一人で恰好つけてんのよ。ナナリーを助けるのは私よ」

「違うよ、僕だ」

 

 アーニャが名乗りを上げ、やる気に燃えたネギも続く。

 

「ま、俺達に任せとけ」

 

 三人がいれば出来ない事なんてないと、誰よりも自分達が信じているからこそ出せる魂の輝きを明日菜は眩しそうに見つめた。

 三人の誓いを眩しそうに見ている明日菜と感動している木乃香の後ろで刹那はまだ冷静に事態を見ていた。

 刹那とて、エミリアの涙ながらの訴えに心を揺り動かされなかったわけではない。

 刹那の中では優先順位が決まっている。人に順位を付けるなんて間違っていると分かっていても、きっと木乃香か明日菜を選べと言われれば刹那は前者を取る。

 ナナリーという少女を攫ったのは、ネギが言ったことをそのまま信用すればアメリカ魔法協会で最強と謳われる集団を苦もなく惨殺した三百万の賞金首とその仲間。戦うのではなく救い出すだけというがそこまで上手くいくものか。

 

(本当にこれで良いのだろうか?)

 

 不安は消えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 徐々に日が傾き夕暮れへと差し掛かる頃、遊び疲れた内数人がテラスでのんびりとビーチチェアに座って、トロピカル色満載の飲み物を飲みながら会話を楽しんでいる。

 普段ならばリゾート客で賑わうであろうこの場所も今日は貸し切り。まだ遊んでいる者もいるが、潮騒に音に掻き消されて静かなものだ。

 

「最近の男子は情けないってゆーか、カッコ悪いってゆーか、元気ないところはあるよ」

「まーねー」

 

 交わされる年頃の女の子の会話。

 最初は他愛ない話だったが、女の子だから異性に興味を持つのは当然で、話は何時しか身近な男子の物足りなさに話題が移っていた。

 

「やっぱり男は戦ってないとね。夢に向かってさ」

 

 早乙女ハルナが笑いながら、男とはこうあるべきと何を根拠にしているかは分からないが、とにかく自信満々に言い切る。

 

「目標………夢か………」

 

 ハルナの笑いながら冗談のような口調とは反対に大河内アキラは比較的真面目に反芻するように呟き、自分の周囲にそんな男子がいるかなと考えているのか、それとも自分の夢でも考えているのだろうか。

 

「てことは、付き合うなら年上ってことかにゃー」

「でも先輩とか兄貴も将来何になりたいとかわからんとか、よー言―てたけど………………まぁ、その点、アスカ君やネギ君は元気があってええと思うよ」

 

 明石裕奈が独特の語尾で一つの可能性を話すも和泉亜子が家族と身近な男子の事を言う。

 

「お♪ 亜子もやっとネギくんの良さをわかったかなー」

 

 嬉しそうに反応したのはクラスでも有名なネギ好き人間である佐々木まき絵がネギの評価が上がった事を喜んでいた。

 

「てゆーても二人とも十歳やし…………」

 

 まき絵のように熱中していない亜子は引き気味のようだ。

 普通に考えて十歳にならない二人に対して十四歳と年頃の彼女たちが恋心を抱くのは難しい。一部例外はあるが。

 

「まあねー。年下ってゆーのがネックかも」

「そっかなー。今は子供だけど、一応社会人だよー」

 

 年下というだけで敬遠するのをまき絵は不服そうに言う。

 その場にいる全員の視線が自動的に揃って少し離れた席でのどかとあやかと談笑するネギと、桟橋の端っこで足を下ろして並んで座っているアスカとエヴァンジェリンと明日菜へと向けられる。

 日が沈み始めた空、そしてそれを反射する海は昼とはまた違った美しさを見せる。太陽が今まさに水平線に差し掛かっており、光も更に赤くなっていった。潮の香りを孕んだ風を頬に受けながら沈みゆく夕日に照らされて姿は子供とも大人とも違う色気を感じて、僅かに顔を赤らめる少女達。

 

「年下も良くない?」

「確かに」 

 

 余韻の残る少女達は一様に頷くのであった。

 

「こらぁ! サボってないでバーベキューの準備を手伝いなさい!!」

 

 怒り心頭といった様子のアーニャに、少女達とアスカ達は慌てて立ち上がるのだった。

 

 

 

 

 

 日が沈めばバーベキュー。当たり前のことだが昼の海とは、まったく印象の違う世界がそこにあった。

 焼け付く鉄板のようだった砂浜は今は冷たく、澄んだライトブルーの海は濃紺にその色を染めて、見ているだけで飲み込まれそうな威圧感と共にそこにある。

 昼間に目一杯遊んだので御飯を催促するお腹の音が引っ切り無しに鳴り響き、口の中で溢れ出す唾液が止まらない。

 空腹に負けて誰もが一斉に食い物に群がった。

 

「このトウモロコシおいしいですね」

「せやな。絶妙な焼き加減、ほど良い甘さが美味しさを引き出しとるわ」

 

 よく焼けたトウモロコシに齧り付きながらのネカネの言葉に千草も頷く。

 

「こっちの肉も焼けたぞ」

「どうぞ」

「野菜ももっと食べるよろシ」

 

 Tシャツを肩まで捲り上げた新田と超包子の四葉五月と超鈴音が次々と焼いた肉と野菜を捌いていく。何人かの生徒が交代で下拵えが事前にされた食材を網に乗せているので流れが途切れることはない。

 焼く係も交代制で、次はネギと談笑している雪広あやかと那波千鶴、村上夏美の三人となっていた。

 皆でワイワイとバーベキューを食する中で、端っこで話をしていたアスカとエヴァンジェリン。

 

「ゲイル・キングスか。やはり知らんな。茶々丸はどうだ?」

 

 食欲を刺激する肉の焼ける美味しそうな匂いを嗅ぎつつ、串に刺さった肉を噛み切ったエヴァンジェリンは首を横に振った。

 食事を取る必要のない茶々丸は主であるエヴァンジェリンの分の取り皿を持ちつつ、頭の中にあるコンピュータで検索をかける。

 

「データに該当有り」

「話せ」

「はい、主にヨーロッパを拠点として活動する高額賞金首の一人です。魔法使いと目されていますが目撃者が皆無ですので戦闘スタイルは不明。一説には数百人が暮らす町を一夜にして壊滅させたとの情報もあります」

「目撃者がいたとしても消すタイプか。仲間の情報は?」

「二十年前から少年を伴っています。現在も共に行動しているという情報もあります。名前はフォン・ブラウン、得物はハルバートなので戦士タイプかと。町を壊滅させた一件にはこの人物も関わっているものと思われます」

 

 茶々丸から情報を聞いたアスカは噛んだ歯の間で行儀悪く串をプラプラとさせつつ、闇夜で見えない水平線を見つめていた。

 

「アメリカ魔法協会所属の飢狼騎士団を殲滅した者達が今回の敵か。全く貴様らは騒動が好きだな」

「好きで巻き込まれてるんじゃない」

「友達を助けるために首を突っ込もうとしている男の台詞ではないぞ」

 

 分が悪くなって桟橋に置いていたジュースを手に取ってお茶を濁すアスカを見たエヴァンジェリンはひっそりと笑う。

 しかし、直ぐに笑みを引っ込め、真剣な表情になった。

 

「敵の戦力は未知数。分かるのはリーダーの名前だけ。危険が多すぎる。今回は手を退け」

「そういうわけにもいかない。もう決めたことだからな」

「目撃者を消すような相手だ。私のように慈悲を与えてくれる相手ではないのだぞ」

 

 春先に戦ったエヴァンジェリンは、生かしたまま血を吸わねばならなかったので元からアスカ達を殺すつもりはなかった。だが、今回の相手は阻んだ飢狼騎士団十数人を惨殺している。

 噂とはいえ、数百人が暮らしていた町を壊滅させた男がいるのだ。慈悲など期待するだけ無駄だとエヴァンジェリンは忠告していた。

 

「心配してくれるのはありがたいけど、ナナリーと昔に約束したんだ。守るってな」

 

 顔を上げて串を吹いたアスカは、重力に従って降りて来た串を人差し指と中指でキャッチしながら笑う。

 

「約束は守るもんだろ」

 

 な、と同意を求められるとエヴァンジェリンは抗弁しにくい。

 ナギが呪いを解きにくるという約束を信じてエヴァンジェリンは十五年も待ち続けた。だからというわけではないが、エヴァンジェリンは約束を重んじる。よほどの理由が無い限り、約束を破ることを認める気は無い。故に、約束を守ろうとするアスカに抗弁する言葉は出しにくい。

 

「百歩譲って助けに行くのは認めてやろう」

 

 エヴァンジェリンにとっては、ナナリー・ミルケインという少女がどうなっても心底どうでもいい。

 テレビのニュースに事故の犠牲者に感情移入が出来ない様に、知り合いの知り合いに気を回せるほど博愛主義でもない。

 知り合いが、アスカが自ら危険に身を投じるとなれば話は変わって来る。

 

「私ほどではないとはいえ、敵は高額賞金首だ。爺を通してタカミチを呼んだ。奴が来るまで下手な行動はとるな」

「タカミチは魔法世界に出張に行ってんだろ。よく連絡が取れたな」

「メルディアナが頑張ったそうです。修行先での把握が甘かったと責任もありましたので」

「爺さんも苦労したろうに」

 

 祖父の苦労を慮るわけでもないだろうが、イギリスがある方向を見たアスカは黙祷を捧げた。

 呑気な反応をするアスカに、エヴァンジェリンは静かに告げる。

 

「奴がここに来るまで三日はかかる。それまで待て」

「待てない」

「待てと言ってるんだ!」

 

 聞き分けのないアスカにエヴァンジェリンはいい加減に堪忍袋の緒が切れた。

 大声にバーベキューをしたクラスの面々が顔を向けるほどだったが、エヴァンジェリンが本気の睨みを利かせると物の見事に全員が顔を逸らした。

 ふん、と鼻を鳴らして声のトーンを落とす。

 

「確かにお前達の実力は大抵の相手ならば圧勝できるだろう。だが、同時にお前達程度では敵わぬ相手もまた大勢いることも理解しろ。今回の敵は情報が少なすぎる。軽挙妄動は慎め」

「悪い。それでも俺は待てない」

「この……っ!」

 

 諭すように言うもアスカは聞き届けない。余計に頑迷な表情になって固辞するだけだった。

 分からずやに腕を振り上げたエヴァンジェリンだったが、当のアスカが受け入れるようにガードもしない姿を見れば怒りの向き所を失う。

 

「悪いとは思ってる。心配してくれるのも有難い。でも」

 

 アスカは拳を握っていた。

 エヴァンジェリンにぶつける為ではない。己の誓いを再確認するためだ。

 

「これは昔に決めたことだ。今もきっとナナリーは俺を待っている。敵が強いからって変えるつもりは、ない」

 

 どんな理不尽が待っていようとも、どんな巨大な敵が待っていようとも、そのぎっちりと握られた拳のように行動を定めているアスカは己の意志を変えるつもりがない。

 きっと死ぬその時もアスカは拳を握っているだろうと、他人であるエヴァンジェリンにさえそう思える眼差し。

 

「…………お前達親子は本当に良く似ている」

 

 先に折れたのはエヴァンジェリンの方だった。

 

「親父にか?」

「ああ、奴も決して譲れぬ時に同じ目をしていた。私と戦った時もネギ坊やも同じだったな」

「そっか」

 

 へへ、とアスカは父と同じ目をしていたと言われて照れくさそうに笑って鼻を擦る。

 年相応な姿に和むものを感じたエヴァンジェリンは、ゴホンとこちらも照れ隠しに咳払いをして思考を動かす。

 

「奴らの目的であるカネの水とは聞いたことがないが。茶々丸」

 

 知識でも並みの魔法使いなど歯牙にもかけないエヴァンジェリンであっても聞いたことのない単語。

 主の意向を感じ取った茶々丸はネットに繋いでデータを検索する。

 

「データに検索有り。ハワイの神話に出てくる四大神であるカネが生み出したと言われる死んだ人を蘇らせることが出来る水であり、生者ならば不老不死を齎す水とも言われています」

「また始皇帝の同類か」

 

 可能性の段階ではあるが敵の目的が数多の権力者が求めた不老不死かもしれないとなると、途端にエヴァンジェリンは不機嫌になった。

 

「不老不死に成りたがる者は多いが成ってみればこんなものは永劫に解けぬ呪縛だと思い知る。成りたがる者の気が知れん」

「そういや、エヴァも不老不死だっけ。吸血鬼になったら俺もそれだけ強くなれるもんなのかね」

「確かに強くなれるだろうが、こんなものは呪いだ」

 

 吸血鬼というものは一種の呪詛として存在を定義づけられる。例えばアンデッドならば魂の奥底に刻まれた呪が、被術者に死後の安寧すらも許さない。儀式でとはいえ、人を吸血鬼化させるほどの呪詛ならば、肉体を消滅させただけで解呪できるとは限らない。

 永遠に生きるとは、永遠に狂い続けることと同義である。怒り、哀しさ、後悔、絶望、人を壊してしまうものなんていくらでもあるのに、永遠の寿命を持ったら、ずっと正気でいられる可能性はゼロである。

 おかしくなる機会は幾らでもあるから、一度狂えば命ある限り狂いっぱなし。これが永遠という名の呪い。如何なる非業の死、如何なる不慮の最後、如何なる無念の末路を迎えようとも永遠の生を宿命付けられるよりも幸いである。永遠という言葉の意味をよくよく考えてみるといい。永遠という言葉の重みを、よくよく知るといい。

 死もまた一つの救いの形であると成ってから気づく。

 

「私が吸血鬼になったのは十歳の頃だが、当時は神を呪ってこんな姿にした男への復讐をしたものだ。この姿で生きていく力を得るまでの数十年が最もきつかった。最初の頃は吸血鬼らしい弱点も残っていたしな」

 

 自分の胸に積もった想いを、エヴァンジェリンは素直に告白していた。

 

「楽しいと感じる時はある。けど、それも長い人生からしたら一瞬だ。必ず別れは来る」

 

 過去には身を焦がした熱情ですらやがては失われ、気づいたところでもう手に届くところにないのだという唐突な喪失感。終われず、何時までも道を歩かされるのは地獄と変わりない。

 この世は地獄だと言った者がいるが正にその通り。終わりのない吸血鬼であるエヴァンジェリンにとってこの世こそが終端だった。

 

「不老不死なんて想像するほど良いもんじゃない。それでもお前は吸血鬼に成りたいのか?」

「…………」

 

 アスカは答えなかった。

 想いが深ければ深いほど到底、誰にも理解はしてもらえないだろうという恐れが先に立って、人は沈黙を金とするのだ。その決意を秘することがエネルギーの源となるか。秘すること、その行為が制約だから。

 

「一つだけ言わせてくれ」

「なんだ?」

「別に吸血鬼に成りたいなんて思ってことはないぞ」 

「は?」

 

 アスカの性格から考えて想定していた返答とは全く違った返答に、エヴァンジェリンは思わず馬鹿になったように疑問符を上げてしまった。

 当のアスカを見れば、自己語りをしたエヴァンジェリンから心もち視線を逸らしながら、体が動けば気まずそうに頬を掻きたそうな雰囲気だった。

 

「いや、さっき吸血鬼になったら云々と言っていたではないか」

「強くなれるならってだけで、ぶっちゃけ不老不死はどうでもいい。ああでも、戦うには便利かなとは思ったけど、なまじ死なないから防御を怠りそうか。じゃあ、やっぱいいや」

 

 なんとも軽い仕草で吸血鬼に成ることを諦めたアスカ。やっぱいいやで済ませてしまえるような一大事ではないのに最後まで軽かった。

 

「始皇帝を始め多くの権力者が欲した不老不死を捨てる理由が軽すぎるぞ貴様!」

「て言われてもな」

 

 とんと興味のなさそうなアスカに、エヴァンジェリンは深い溜息を吐いた。

 横髪を払いのけて、逆に笑顔を浮かべる。

 

「お前はきっとそのままの方がいい」

 

 言っている意味が分からないと動けば頭を捻っていただろうアスカに、このように変な方向に純粋なのは逆に笑いを指そう。

 

「人生に苦労するだろうがな」

「どんと来いだ」

 

 戦っている時、抗っている時、アスカは何時もより自分の存在を実感できる。闘志を燃やしている時こそ充実してしまうなんて、どこかまともではないのだろう。

 時代が違ったら、もしくは生まれる家が違ったら、アスカは世界を騒がす大悪党だったかもしれない。それとも、体制に反旗を翻すテロリストだろうか。それでもきっと、どんなアスカであっても助けを求めている誰かの為に戦っていることは間違いない。だからこそ、恐れることなく堂々と歩むことが出来る。

 どれだけ苦難の道であってもアスカは自らの意志でこの道を選んだ。そのことに後悔はない。どれだけの苦難が立ち塞がっても、迷いはしても絶対に足を止めない。それだけがアスカの誇りだった。

 

「しっかし、誘拐犯がどこにいるのかが分からなくちゃどうしようもねぇんだよな」

 

 と、色々と決意を込めながらも動こうにも動きようがない状況に情けない表情を浮かべたアスカは、そのまま後ろ向きに倒れ込んだ。

 頭の後ろで腕を組んで夜空を見上げるアスカを、エヴァンジェリンが実力行使までして止めないのはここに理由があった。

 本当ならば今にも飛んで行きたいところだが目的地が分からないのでは意味がない。歯噛みをするようにして焦っているアスカを見たエヴァンジェリンは安心していた。

 でも、エヴァンジェリンの願いは何時だって叶わない。

 

「当てならある」

 

 言ったのはバーベキューの食べ物を食していない様子の真名だった。

 

「わぉ、絶景」

 

 水着の上にパーカーを羽織った真名を真下から見上げたアスカは下手くそな口笛を吹いた。

 横になったアスカの視線では、学年平均を遥かに凌駕するスタイルの中でも特に目立つ胸が遮って真名の顔が見えない。股下デルタのほど良い肉付きが異性に興味の薄いアスカすら引き寄せる魅力を放っている。

 

「む」

 

 露骨な反応を示したアスカに真名は暗がりで分かりにくいが僅かに頬を染め、自慢しているのかと内心で怒り満載で般若顔になっているエヴァンジェリンから離れる意味もあって五歩ほど後退する。

 

「君が欲しい物はここにある」

 

 十分な距離を取ってから一定距離以上は近づかずに、そこから名残惜しげに体を起こしたアスカに向かって紙きれを投げた。

 風に流されそうな紙切れは奇妙なほど真っ直ぐにアスカの手元へと伸びて来る。

 闇夜に淡く照らされた松明だけは見えにくい紙切れをアスカは捕まえる。素の能力で飛んでいる蠅を箸で捕まえることの出来るアスカには容易い芸当だった。

 アスカが紙片を開くと、どこかの住所と「アスカ・スプリングフィールドへ」と書かれていた。

 

「これをどこで?」

 

 真名が近くで二人の話を聞いていたのは分かっていたので、ならばこれはそれに纏わる話と考えるのが自然。

 つまりは、誘拐犯が潜伏されていると目される住所である。

 

「昔馴染みが持ってきた。今の君には必要だろう」

「龍宮真名、貴様……っ!?」

 

 怒りを見せるエヴァンジェリンに真名は固い表情のまま何も言わなかった。

 背を向け、盛り上がりを見せるクラスメイトの下へ歩き始める。

 

「詳しい事情は知らん。だが、健闘を祈る」

 

 それだけを言い残して、背中に拒絶だけを残して真名は去っていた。

 目を丸くしたアスカの疑問とエヴァンジェリンの怒りだけを置いて。

 

「これは行かねぇわけにもいかねぇだろ」

「だが、それが誘拐犯の現在地とは限らん。そも、何故龍宮真名が知っているというのだ。昔馴染みが持ってきたというのも怪しすぎる。思惑が分からん以上は下手に動くのは愚策だ」

「手掛かりすらない状況で可能性があるなら十分だ。悪い」

 

 止めようとするエヴァンジェリンを振り切るようにアスカは立ち上がった。

 

「じっとしてることなんて俺には出来そうにない。行くだけ行ってみる。無理そうなら直ぐに引き返すさ」

 

 真名と同じように歩き出したアスカの背中がやけに遠く見えた。

 手を伸ばしても届かない。まるで悪夢で見る遠ざかってゆくナギの背中のようだった。

 

「心配すんなって。直ぐにナナリーを連れて帰って来る」

 

 アスカは顔だけを振り向いて笑って言ったのだった。

 エヴァンジェリンは一歩も動けないまま見送ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホテルの屋上で、エヴァンジェリンは茶々丸と共に真名に渡された住所に向かったアスカ達を待っていた。

 

「遅い」

「まだ一時間も経っておりません、マスター」

 

 アスカ達がホテルを出てから一時間も経っていない。

 屋上に着いた瞬間から貧乏ゆすりをしたり、あちこち歩き回ったりと落ち着きのないエヴァンジェリンに冷静な茶々丸は告げた。

 

「エヴァちゃん。ちょっとは落ち着いてくれない。こっちまで移りそう」

「うちも正直、勘弁してほしいなと思う」

 

 エヴァンジェリンと同じく行くことが出来ず、もしくは同行を拒否された木乃香と明日菜がエヴァンジェリンに言った。

 落ち着きがないのは彼女らも同じだったがエヴァンジェリンは比ではない。遮蔽物のない屋上なので、落ち着きのないエヴァンジェリンはどうやっても視界に入ってしまうので気になって仕方がないようだった。

 

「知るか。文句があるなら部屋で待ってろ」

「千草先生に無理言うて身代わりの札を遣わしてもろうたのに、今更戻るなんて無理やって」

「エヴァちゃんも同じことをしてもらってるのに、もう忘れちゃったの」

「忘れてはいない」

 

 注意を受けた文句に言い返すが、実際にはアスカ達が心配で忘れていたのでそれ以上の反論は出来なかった。

 

「まあまあ、姉さん方。ここはペット扱いで空輸されたのにホテルで忘れられてた俺っちの顔に免じて落ち着きましょうや」

 

 険悪なムードが立ち込め始めた三人の間を取り持ったのは、飼い主扱いになっているネギにすら忘れ去られてゲージに入れられたままホテルにずっと残されていたアルベール・カモミールである。

 実際のところ、アーニャはカモの存在に気づいていたのだがナナリーのこともあったし、海水浴を楽しんでいる生徒の為に下着泥棒の前科がある獣を野放しには出来なかったのである。ネギ・アスカ・ネカネは素で忘れていたのは余談である。

 カモの定位置にもなってきた明日菜の肩の上から放たれた自虐とも取れる取り成しで三人は矛を収める。

 

「ちっ」

 

 矛を収めながら盛大な舌打ちを忘れないエヴァンジェリンに、温厚な木乃香の表情にも怒りにも似た感情が走ったが長い息と共に吐き出した。

 

「集団転移魔法符を用意した顔に免じてこの場にいることは許してやる。だが、これ以上、何か言うなら問答無用で叩き出すから覚悟しておけ」

 

 そうなった場合、実力行使を行うのは茶々丸になるのだがエヴァンジェリンはそのことは一言も言わずに顔を逸らした。

 べー、とエヴァンジェリンが見ていないことを良いことに明日菜は舌を出す。

 茶々丸は今のは主が悪いと明日菜の不躾な行動は見ないことにした。

 

「なあ、しゅうだんてんいまほうふってなんなん?」

「私も気になってた。ネギに渡してたけど、なにか意味があるの?」

「お前達知らないでここにいたのか」

「茶々丸さんがここに戻って来るって教えてくれたから」

 

 二人が理由も知らずに屋上に来ていたのかと呆れていたエヴァンジェリンだったが、その行動の原因が従者である茶々丸にあると知って白い目を向けた。

 

「おい、茶々丸」

「お二人にアスカさん達が何時戻って来るのかと聞かれましたので、戻って来るとしたらマスターがいる場所と申し上げただけです」

「そこはもう少し気を…………いや、やっぱりいい」

 

 気を使えと言いたかったエヴァンジェリンも、純粋に聞かれたから答えただけだろう茶々丸を責めるのは間違いと気づいた。

 誰にも言わないでおくべきなら口止めをしておくべきで、感情の情緒がまだまだ子供レベルの茶々丸に求めるのは酷なことであったからだ。

 

「姉さん達は魔法を知ったのは最近だったんだっけか。じゃ、一丁説明するか」

 

 明日菜の肩から屋上の床に降り立ったカモは、片手にチョークを取り出す。

 小さい体ながらもチョークで床に大きく絵を描いていく。

 

(ゲート)っていう転移魔法を誰でも使えるように呪符化したのが転移魔法符だ。普通はこの手の魔法は専用の施設を使うのが一般的で、個人で使えるとしたら一握りの超高位魔法使い…………エヴァンジェリンなら使えるんじゃねぇか?」

「当然だ。私なら目的の相手がどれだけ離れていようともそいつの影に転移できる」

「ていう、まあこういう例外は横に置いておくとしてだ」

 

 普通の人間が想像する一般的な魔法使いの姿に×印を書いて、横に書いたデフォルメしたエヴァンジェリンの姿に〇をしたカモは、これも魔法なのか一瞬でチョークの跡を消す。

 

「超高位魔法使いでなくても普通の魔法使いでも空間転移が使えるようにしたのが転移魔法符ってわけだ。使い手次第で目視している範囲までから、とんでもない遠距離に転移できるって優れもんだ」

 

 普通の一般魔法使いの絵に一枚の紙が追加され、少し離れた場所に同じ姿が描かれた。転移をしたということを現したいようだ。

 

「へぇ、便利じゃない」

「だから、値段も張ってよ。一枚日本円で八十万もするんだぜ」

「は、八十万……結構するのね」

「うちの着物ぐらいやね」

 

 転移魔法符は便利な分あってお金もかかる。

 どれだけのバイトをしなければならないのかと新聞配達の時間数を計算しかけた明日菜と違って、お嬢様である木乃香のスケールは大きすぎた。

 生まれた家の差に明日菜が内心で忸怩たる思いを抱いたりもする。

 

「集団転移魔法符は字面から分かるように、個人でしか使用できない転移魔法符を集団で使えるようにした代物だ。値は張るが集団で行動する時には重宝するぜ」

 

 今度は先のエヴァンジェリンのようにデフォルメされたアスカ達の姿が描かれ、集まったアスカ達の間から上に伸びた手に握られた呪符が発動した描写と転移した姿が描かれる。

 何気に凝った趣向に明日菜達どころかエヴァンジェリンですら感心の声を上げた。

 

「ちなみにその集団転移魔法符は幾らなの?」

「聞きてぇのか?」

「…………止めとく」

「うちはちょっと聞きたい」

「止めて木乃香。これ以上は私の心を折らないで」

 

 お嬢様の木乃香とは違って、勤労学生の明日菜にはスケールの大きすぎる金額の話であった。

 聞いているだけで心が挫けるのに、集団転移魔法符の値段を木乃香が笑って受け流してしまったら明日菜は再起不能に陥るかもしれない。

 悲壮な明日菜の顔に残念とばかりに木乃香は聞く気を抑えた。元よりアーニャらから出世払いを約束されているといっても、溜め込んでいた財産を全て使い尽くして集団転移魔法符を買ったカモに言えるはずがない。

 二重の意味でショックを受けずに済んだカモと明日菜に、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

 

「普通の転移魔法符と違って集団転移魔法符には転移の為の目印が必要になる。転移魔法符を使おうと転移には目的地のイメージが必要だからな。集団ともなればイメージは合致しない。その為の目印がこれだ」

 

 言ってエヴァンジェリンが取り出したのは、ネギが受け取った集団転移魔法の対となる呪符であった。

 

「坊や達四人と刹那。いや、助け出したとしたら五人か。そんなのがいきなり部屋に転移してきたらどうなるのか想像ぐらいは出来るだろ」

「この広い屋上ならば問題ないとマスターは考えられ、決して一番にアスカさんを迎えたいというわけではないと何度も」

「このボケロボ!? いきなり何を言い出すか!」

「マスターが言ったことでは?」

「ぐっ」

 

 無垢な表情で首を傾げる茶々丸に、彼女の首元に飛び上がってしがみ付いたエヴァンジェリンの胸に図星の矢が突き刺さった。

 どうもエヴァンジェリンと共にアスカと一緒に過ごしている所為で、変な影響を受けてしまったようだ。

 背中に突き刺さる明日菜と木乃香から疑念の視線の眼差しに、エヴァンジェリンは茶々丸の首元から降りてゴホンと咳払いをする。

 

「ま、まあ、アスカ達が戻って来るとしたらこの屋上だ。お前達も大人しく待つように」

 

 心持ち明日菜達の視線から顔を逸らしながら言うエヴァンジェリンの姿を見たら、最近とみに主人が真祖の吸血鬼の誇りをどこかに放り投げていることを嘆いているチャチャゼロは身を投げたかもしれない。

 だが、チャチャゼロは誰もいないホテルの部屋で、魔力を封印されているエヴァンジェリンに影響もあって身動きが出来ず、調度品の一つとして半ば放置されているのであった。

 主人の堕落した姿を見るよりは窓からの夜景を楽しんでいる方が百倍有意義と判断したチャチャゼロの選択は正しかったようだ。

 

「せっちゃん大丈夫やろか」

 

 会話が途切れた中で、始めから戦うことを前提としていない木乃香はアスカ達と共に向かった刹那の身を案じた。

 

「アスカとネギ、アーニャちゃんと小太郎がいるんだから大丈夫よ、きっと」

「なんたって切り札の絆の銀があるんだぜ。あれを使ってネスカになれば戦闘力は数倍になる。生半可な相手には負けやしないさ」

「だと、いいがな」

「ちょっと不吉なこと言わないでよ」

「五月蠅い」

 

 既知の魔法関係者は少ないがアスカ達が強いのは、その世界に片足だけでも踏み出した明日菜であっても分かる。

 文句を言った明日菜だが、傲岸不遜が常のエヴァンジェリンのらしくもない不安を露わにする顔を見ては何も言えなくなった。

 持っている集団転移魔法符が反応しないかと見ているエヴァンジェリンから不安が伝染した明日菜は、思わず茶々丸に懇願ともいえる視線を向けた。

 

「大丈夫、よね?」

「…………分かりません」

 

 期待していた返事ではなかった。それが余計に不安を煽った。

 五人の強さを信じたからこそ送り出せた明日菜は、居ても立っても居られない気持ちになってきた。

 その時、ガチャリと屋上に続くドアが開いた。

 明日菜の心臓がビクリと跳ね上がる。

 

「あら、お邪魔しちゃったかしら」

 

 現れたのは呑気な面持ちで現れたのはネカネだった。

 何時ものような、日常のアスカに似た力の抜けた自然体の笑みは、この時も変わらなかった。

 この場合はアスカの方がネカネに似ているのか。

 

「ネカネ姐さん、驚かせないでくれ。心臓が止まると思ったぜ」

「うちも。まだドキドキが止まらんわ」

 

 一瞬息が止まった明日菜と同じように、大きく息を吐いたカモや胸に手を当てた木乃香が口々に言った。

 

「心臓が止まっても大丈夫よ。これでも私、ライフセーバーの資格を持ってるから」

 

 何故にライフセーバーの資格を持っていたら心臓が止まっても大丈夫なのか。エヴァンジェリンも含めて全員が内心で首を捻っていると、ネカネの後ろから千草が現れた。

 

「なんでライフセーバーの資格なんか持ってんねん」

「アスカ達って良く怪我するんですよ。だから、資格を持っておこうって」

「だからなんでライフセーバーやねん。相変わらずあんさんの思考は訳が分からんわ」

 

 ニコニコと変わらずの笑顔のネカネのある意味での底知れなさに千草は、慣れた感じのある長い溜息を吐いたのであった。

 諦めきった様子から普段から二人の会話はこのような感じであるらしい。

 

「ネカネの姐さんは平常運転だな」

「前からこうだったの?」

「始めて会った時はこうでもなかったんだが、兄貴達の相手を長年している間にエキセントリック化してきて天然まで磨きがかかっちまったんだよ。本当、なんでこうなっちまったんだか」

「あらあら、カモ君ったら人聞きの悪いことを言って」

「ひぃぃいいいいいいいいいいいい!?」

 

 昔を思い出して哀愁を漂わせていたカモの尻尾を掠めるように飛んで行ったのは銀のフォーク。何かを振り切った体勢のネカネの姿を見れば誰が投げたかは察しがつく。

 首の後ろに回り込んで震えながら身を縮めるカモの姿は、こそばゆいことこの上ない明日菜にしても哀れを誘うものであった。

 

「あの、ネカネさん?」

「なにかしら、明日菜さん。ところでカモ君を渡してくれる? 久しぶりに折檻しないと」

「いえ、なんでもありません。ささ、お代官様こちらに」

「姉さん!? 俺っちを売るなんてアンタには地獄が待ってんぜだから助けて下さいお願いします!!」

「ごめん、カモ。人にはね、恩オコジョを売ってでも生きなければならない時があるのよ」

 

 何故か陰影がついたネカネの顔に途轍もない圧迫感を感じ取った明日菜は、首の後ろにいる生贄を悪鬼へと差し出して身の保身を図ろうとした。

 差し出されたカモは許されない裏切りをした明日菜を罵倒しながらも、途中から助けを求める懇願に変わっていた。

 ネカネ(悪鬼)を前にして、恩人ならぬ恩オコジョを売り渡した明日菜はひっそりと涙を拭った。

 

「きょ、去勢だけは……」

 

 ネカネに手渡されたカモは、悪鬼が持っている銀色に輝くフォークに玉を縮こまらせた。

 カモの哀願によってネカネの顔を覆っている陰影が濃くなった。

 

「さよなら、カモ君。これから貴女はカモちゃんになるの」

「いやぁああああああああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!!!!」

 

 汚らしい悲鳴が鳴り響いた。

 見ていられなくて明日菜が顔を逸らした先で、千草が木乃香に話しかけていた。

 

「あんま夜更かししたらあかんで。若い時は良くても年行ってから肌に来るさかいな」

「千草先生の経験談なん?」

「失礼な。この玉のお肌をよう見てみ。人に自慢できるほどやで」

「ほんまや。ピッチピチ」

「これでも気遣ってねん。知り合いに夜遅くまで鍛錬してる人がいてな。うちの一回り上やねんけど、もうお肌の曲り角に」

「うちも知ってる人なん?」

「麻帆良におるし、名前ぐらいは知ってるんちゃうか」

 

 こちらはこちらで女同士のかしましい話に突入していた。

 最初は千草が長の娘である木乃香にへりくだっていたらしいが、木乃香の性格が性格なのでさっさと地を見せたと刹那に聞いていた明日菜は、この人も大概変わり者だなと本人が聞いたらガチで泣きそうなことを考えていた。

 その時、ネカネと千草との会話に入らなかったエヴァンジェリンが顔を上げた。

 

「来た!」

 

 全員が一斉に声を発したエヴァンジェリンの方を見た。

 エヴァンジェリンが持つ集団転移魔法符が薄く光り、十メートルほど先の床に半径五メートルほどの光の五芒星が浮き上がった。

 一際大きな光を放つ五芒星に明日菜達の目は焼かれた。

 

「きゃっ」

 

 咄嗟に腕を掲げたが口から出る悲鳴は抑えられなかった。

 まるで突然こちらに見たライトを直視してしまったように目が眩んだ明日菜達は、寸瞬して視界を取り戻す。

 そこには期待していた通りの姿はなかった。

 サイドポニーの少女の右肩近くが切り裂かれ、そこから大量の血が流れていた。

 白のTシャツを着た犬耳の少年はあちこちに何かで穿たれた跡があった。

 常ならば杖を持っている少年は、大事な物のはずなのに今は床に転がしていた。何故ならば、その腕に血塗れの双子の弟を抱き抱えていたから。

 少女達と女達はそれを見てしまった。

 

「見たらあかん!」

「……ぁ……」

 

 それの惨たらしさに逸早く気付いた千草が視界を遮るも、その行動は既に遅く木乃香は全てを見てしまった。

 青のシャツを着ていた少年の全身は紅に染まっている。

 左肩から右脇腹まで走っている刀で切り裂かれたような跡は、木乃香の位置からでは少年の内側にある内臓さえも見るほどに深かった。

 意識を失って口から血を垂らし、倒れている体の下には流れ落ちた血が海といえるほどに広がり、今も出血が続いてその範囲を広げている。血を流し過ぎて真っ白になった顔色は最早、死体と言われても信じてしまいそうだった。

 その体の持ち主は、数時間前まで共にいたアスカ・スプリングフィールドである。

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――っ!!!!!」

「っ!…………姉さん、落ち着いてくだせぇ!!」

 

 木乃香と同じように明日菜がパニックを起こしかけていた。気づいたカモが必死に声をかける。

 

「なにがあった!? アーニャの小娘は!?」

「…………僕達は失敗したんです。アーニャは」

 

 喚くよりも早く走り寄ったエヴァンジェリンが問い質すと、アスカの血で服を染めているネギが言葉を詰まらせた。

 

「いやあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――っ!!!!!!!!!!」

 

 木乃香は現実を認めることが出来ず、周囲に叫び声を響き渡らせた。

 

「アーニャは敵に捕まりました」

 

 事態は最悪の結末へと堕ちて行った。

 

 

 

 

 




敵キャラその3(オリ、ではない)

名 前:月詠
年 齢;13,4
職 業;剣士(二刀流)
人間性:刀に魅入られた人
備 考:神鳴流の技を使うが教えを受けたことはない。時坂家で過ごしていた。天涯孤独。
戦闘力;1500以上

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