魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

16 / 99
第16話 二日目

 

 

 

 

 アスカ・スプリングフィールドは乱暴者である。それは自分も認める魔法学校での評価だった。

 自分が気の利かない粗忽者であることは幼馴染に何度も言われたことであり、十分に自覚していた。何時も考えが足りないだの、脊髄反射で動いてばかりだの、思う通りに生きて来たのだから変えようもない。

 魔法学校に入学したばっかりなのに、なまじ腕っぷしが強いこともあって上級生からも目をつけられていた。喧嘩になれば言葉よりも先に手が出るから友達も中々出来ない。

 アスカ自身、気に入らないことははっきりと言う性質で、年上だからって偉そうにしている上級生を認めることが出来ない。

 この日も最上級生達と喧嘩して、しかし二回りは違う体格の差でズタボロに負けて帰ってスタンに怒られたばかりである。

 

「分かんねぇよ、俺には」

 

 少し前に故郷が攻撃を受けて、生き残りは自身を含めても僅か数人。アスカは父のように自分が強ければ何かできたと考える。

 しかし、授業で学んだ魔法は暴発しっぱなしのアスカには魔法使いとしての才能はないようだ。ならばと腕っぷしを鍛えようとするが手っ取り早い喧嘩を吹っ掛けるが戦績は芳しくない。

 ネカネは泣いてばっかっで、スタンは何時もしかめっ面をしている。ネギは自分のことばかりで、アーニャもネギの傍にいることで精神安定を得ている。

 

「なにが正しい怒りを持てだ。訳分かんねぇよ。力は力じゃねぇのかよ」

 

 スタンが口を酸っぱくして言う小難しいことがアスカには分からない。

 諭すスタンに反発して家を飛び出して当てもなく彷徨っているところだった。

 ネギ達の所に行く気にはなれなかった。

 魔法の才能があるらしく今も勉学に励んでいるであろうネギの邪魔をするのは気が引けた。恐らく嫉妬もあるだろう。進んで関わる気にはなれなかった。

 

「ん?」

 

 居場所も無くて魔法学校の裏庭に来たアスカは、そこに先客がいるのに気が付いた。

 

「なにやってんだアイツら」

 

 アスカよりも少しだけ体格の良い少年数人と同じぐらいの少女が一人。

 少年少女に見覚えは無いのでアスカと同じ新入生ではなく、ましてや何時も喧嘩を吹っ掛けている体格の良い最上級生達でもない。

 一年か二年上の学年の先輩であろう少年達は同級生らしい少女の髪の毛を引っ張っていた。

 

「や、止めて」

「引っ張り甲斐のある髪をしてるナナリーが悪いんだよ」

「そうだそうだ」

 

 ナナリーと呼ばれた少女は性格的に他者に強く出ることが出来ないのか、一人の男の子に髪を引っ張られて痛いはずなのに静止の声は弱々しかった。逆に静止の声が弱いからこそ少年達は少女をからかう手に熱が入る。悪循環であった。

 校内ならば先生か他の生徒が静止に入るのだろうが、ここは人の気配の少ない裏庭である。誰も止めるべきものなどいない。

 

「バッカじゃねぇの。こんなところで花壇なんか作ってんじゃねぇよ」

「そこは踏まないでっ。お花さん達が」

「お花さんだってよ」

 

 ギャハハハハハ、と品のない笑い声を上げた少年達は、花壇に土足で足を踏み入れて綺麗に咲き誇っていた花を無惨にも踏み潰す。

 少女は泣きべそを掻いて止めようとするが、数人の少年達がブロックしているので果たせていない。

 子供といえど男と女の力の差はある。人数差もあってはナナリーに出来ることは届かない手を伸ばすことだけだった。

 

「虐めかよ。見てるだけで、ムカついてきた」

 

 物陰から見たアスカは胸の奥にムカムカとした何かが込み上げてくるのを感じた。

 そのムカムカは足を止めて見ているだけの自分に対してであり、少女を泣かしている少年達の行いであり、誰も助けに来ない現実から来ていた。

 胸の奥に込み上げるムカムカに急かされるようにアスカは物陰から足を踏み出した。

 一気に少年達へと向けて疾走する。

 

「止めろっ!!」

 

 そして少年達がこちらに振り向いた瞬間に踏み切ってジャンプ。

 

「うわっ!?」

 

 率先して花壇を踏み荒す少年の土手っぱらに飛び蹴りをくらわしたアスカは、次の標的に向けて拳を握った。

 

「なんだお前は!」

 

 飛び蹴りを食らわせたのが自分達よりも小さな子供だと分かった少年達が怒りの眼差しを向けてくる。

 一対多。多勢に無勢の状況である。

 何時も喧嘩している上級生達相手なら少しは臆したのに、この時のアスカの心は燃えていた。

 

「女泣かして喜んでんじぇねぇよ! そこに直りやがれ!」

 

 

 

 

 

「覚えてろよ!」

「へん、大したことない奴らだ。おととい来やがれ」

 

 何度も殴られても怯まなかったアスカに根負けして逃げていく少年達。その背中に顔をぱんぱんに腫らしたアスカは中指を立てて見送った。

 少年達の姿が見えなくなるまでそのポーズでいたが、やがてズキズキと痛む全身に耐え切れなくなって腰を下ろした。

 

「大丈夫ですか?」

 

 呆然と見ていたナナリーは腰を下ろしたアスカに駆け寄った。

 

「どうってことない。こんなのは唾をつけときゃ治る」

 

 直ぐには立ち上がれないアスカはそれでも意地を張った。

 実際には殴られた頬は痛いし、蹴られた脇腹は動かすだけで泣きたくなるほどに痛い。

 故郷が滅んでからも、これだけは失くしていない意地がアスカを強気にさせていた。

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

 

 苛めっ子を殴り飛ばしたアスカは、虐められていた当人からお礼を言われて目を丸くした。

 粗忽者で乱暴者であったアスカは今まで人にお礼を言われたことがなかった。

 

「なんだよ、いきなり」

「助けてもらったらお礼を言いなさいってお母さんが」

「俺はあいつらが気に入らなかったから喧嘩を売っただけだ。お前のことを助けようと思ったわけじゃない。だから礼もいらない」

「じゃあ、私が勝手に助けてもらったってお礼を言っていることにしておいて下さい」

 

 ナナリーが手を伸ばして腫れているアスカの頬に触った。

 痛い、と少し思ったがひんやりとした手は思いの外心地良く直ぐに振り払う気にはならなかった。

 

「変な奴」

 

 泣きべそを掻いていた奴が今は笑ってるなんておかしいの、とこの時のアスカは思った。

 ひんやりとした手が離れたことに惜しさを感じたアスカだが、意地でも顔には出さなかった。

 照れくさくて視線を荒らされた花壇に向けた。

 

「なんだってあんな目にあってたんだ?」

「あの人達、何時も私に意地悪してくるんです。花壇も荒らされちゃって」

 

 ナナリーはすっかり荒らされてしまった花壇を悲しげに見つめた。

 その表情に、またアスカの胸の中でムカムカが込み上げて来た。

 

「あいつらにやり返せばいいだろ。俺ならそうする」

「私じゃ、そんなこと出来ません」

「意気地のない奴」

「すみません」

「謝るな。俺が虐めてるみたいじゃないか」

「ごめんなさい」

「だから……」

 

 このままでは延々と会話がループするだけだと悟ったアスカは、後頭部を掻いて立ち上がった。

 少しフラついたが根性で倒れない。

 

「よし、決めた」

 

 元よりアスカは考えることが苦手だ。さっさと思考を放棄して行動を決める。

 

「お前は俺が守ってやる。また虐められたら俺を呼べ。直ぐに駆けつけてやるから」

 

 それで全て万事解決だと、アスカは笑いながら親指で自分の胸を指し示しながらナナリーに告げた。

 ナナリーは突然そんなことを言い出したアスカを呆然とした目で見たが、目の端に涙を浮かべると薄らと笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 アスカはこれほど真っ向から感謝の念を向けられることに慣れていなく、照れくさくなって顔を逸らした。 

 そして拳を見下ろす。

 誰かを傷つけるのではなく、誰かを救うために拳は使えるのだと知った瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目の朝。麻帆良女子中等部3-Aの面々が宿泊するホテルの三人部屋で、一人の少女が細々とした声で何かに向かって話し掛けていた。

 

「あ…………あの―――」

 

 その声の主は出席番号27番宮崎のどか。

 彼女が話し掛けているのは、画用紙に書かれて切り抜かれて二頭身ほどに可愛らしくデフォルメされているが、赤い髪に実用性の無さそうな丸眼鏡を掛けたスーツを着た少年。つまり好意を寄せる副担任―――――ネギ・スプリングフィールドの姿が、絵は土台に突き刺さった固定された針金に貼り付けられてみょんみょんと揺れている。紙の横には「パル作」と書かれた紙が付けられていることから考えて早乙女ハルナが自作した物である。

 

「ネギ先生――」

『ハイ、何ですか――?』

 

 横にピョンピョン動いているネギの顔が書かれた紙に、まるで教会で礼拝しているかのように、両膝を突いてのどかは話しかけていた。

 絵なので当然帰ってくるのはネギの声ではなく、マネした自分の声である。傍から見ると一人遊びのようだが、彼女にはこれをするちゃんとした理由が存在している。

 そもそもの始りは二月初頭の、ネギが修行のために教師をするため麻帆良にやってきた日にまで遡る。

 放課後にネギ達の歓迎会があるので図書委員の仕事を早く終わらせるために本を何冊を運んでいた時のことであった。彼女の非力な力では15冊を纏めて運ぶのは大変で、傍目から見てもフラフラとして危なかった。

 そして広場の手すりの無い階段を下りている時に足を踏み外してしまった。

 そこから先は落ちる恐怖で眼を瞑ってしまったのどかには定かではない。もしかしたら若干とはいえ意識を失っていたのかもしれない。

 取りえず気がついた時には自分はネギに抱えられて怪我一つない。どうやらネギに助けられたらしいことは直ぐに分かった。助けてくれた礼を言おうとしたら当のネギはアスカと一緒に何故か明日菜に連れ去られてしまったが歓迎会でお礼と図書券と渡すことが出来た。

 その後ののどかの気持ちが周りに促された面があるのは否めない。

 なにしろ彼女たちが通っているのは女子中学校だ。異性との関わりなど家族や教師などといった限定的なものになるので囃し立てるのは当然と言えた。

 彼女の親友二人も、恥ずかしがり屋で何時も前髪で目を隠しているような引っ込み思案な性格ののどかの常ならぬ積極的な行動をここぞとばかりに応援した。

 初めて好意を持った異性、と言えば聞こえはいいが最初から異性に向ける好きといったものではなかった。彼女の中の想いが変わっていったのは、時々自分たちよりも年上なのだと思うくらいに頼りがいのある大人びた顔をすることに気がついて頃からだろうか。

 普段はみんなが言うように子供っぽくて可愛いのだけれど、ネギが自分たちにない目標を持ってそれを目指して何時も前を見ているからだと分かった時、彼女の想いは淡く実り始めた。

 それだけで勇気を貰えるから本当は遠くから眺めているだけで満足だった。でも、今日こそは自分の気持ちを伝えてみようと想った。

 

「よろ……よろしけれべ、き、今日の自由行動――――…………私達と一緒にまげ……まご……もご」

 

 元来の恥かしがり屋であるため、彼女はネギを本日の自由行動の同伴者として誘うために事前に声を掛ける予行練習をしていた。

 しかし、上手く話せずに口が回らないので間違ってしまい、結果は芳しくは無い。練習なのに噛み噛みで絵を前にした練習でさえこの惨状。これでは本番など出来るはずもない。

 

「その…………私達と一緒に回りませんかー? 回りませんでしょうかー」

 

 修学旅行二日目は真珠湾へ行く事になっており、ネギに自由行動を一緒に周らないかと誘う練習をしたことで、最初、絵なのに緊張して何もいえなかった状態に比べれば格段にマシになってきている。

 折角の修学旅行なので今日こそは一緒に歩いて色々と話したりして仲良くなりたいのだ。

 

「のどかー朝食だよー」

「大ホールに集合です」

 

 練習していたのどかの耳にふすまを開けて入ってきた綾瀬夕映と早乙女ハルナ、同じ図書館探検部という部活に入っているのもあって気心知れた友人達の声が届く。

 

『はい、いーですよー宮崎のどかさん』

「よ…………よ~し~」

 

 一応練習で言えるようになったのどかは、ネギの声真似をして自分に気合を入れる。

 戦場に出る若武者の様に髪を後ろで短く結い上げ、身支度を整えて数多のライバルがいる大広間という名の恋の戦場へと赴いた。

 

 

 

 

 

 朝御飯の時間。教師合わせて四十人近い人間が一同に会するため、場には広さが求められた。他にも泊まっている客がいるのでホテル側が用意したのは結婚式などで使われる大ホールである。

 しかし、生徒達はその大ホールの入り口で立ち往生していた。

 遅れて大ホールにやってきたのどかは、僅かに開いたドアの隙間から中を除くクラスメイト達の姿に首を捻った。

 

「どうしたの?」

「中に入れないのです」

「何か中かでやってるみたい」

 

 問われた夕映はクラスで身長が低い方ののどかよりも更に低いので、背伸びしているが人垣の上から中の様子を覗き見ることが出来ない。

 夕映よりも二十㎝以上高いハルナがジャンプをすると、二人のコンプレックスを刺激すように胸も揺れるが中での様子を見ることが出来たようだ。

 

「あんなのは脂肪の塊に過ぎないのです」

 

 うんうん、と頷いたのどかの方がほぼ平坦な夕映に比べればまだある。

 おっぱいというほどもない自身の胸を見下ろした夕映は、自分にはまだ未来があるとあらぬ方向を見ながら自身を慰めるのであった。

 

「お代わり!」

「は、はいぃいいいいいいいいいい!!」

 

 物凄く聞き覚えのある叫びと同時にガシャンと皿の上に皿を置いたような音が人垣の向こうから聞こえて来た。

 直後、成人女性の悲哀混じりの嘆きが聞こえて、大ホール入り口の前からクラスメイト達が慌てた様子でどいた。

 

「あわわわわわわわわわわわわ」

 

 巻き込まれる様に壁際に寄ったのどか達の目の前を、大ホールの中から出て来たウェイトレスが涙目で走り去って行く。

 唖然としたクラスメイト達と同じ気持ちだったのどか達の耳に別の声が聞こえた。

 

「「アスカぁあああああああああああああああああああああ!!!!」」

「明日菜とエヴァちゃんじゃない。どうしたの?」

「「ぁあああああああああああああああああああああ!!!!」」」

 

 やってきた明日菜とエヴァンジェリンにハルナが声をかけるも、当の本人は気付いた様子もなくドップラー効果だけを残して大ホールに突撃して行った。

 

「何事なのでしょうか?」

「さあ?」

 

 夕映とハルナが首を捻っているが事態はそれだけに留まらない。

 地響きのような足音が連続する。

 

「今度はネギ先生に木乃香さんも」

 

 鬼の如き険しい形相で、先程の明日菜とエヴァンジェリンのように叫びはしないものの大ホールに突入していった。

 首を捻り合うクラスメイト達と同様だったのどかが視線をずらすと、四人がやってきた方向の角からゆっくりと歩いてくる天ヶ崎千草が現れた。

 

「ほら、なにやってんねん。さっさと朝ご飯食べんで」

 

 後ろにネカネと刹那が付いて歩いていた千草は、入り口の前で立ち往生している生徒達を見遣って手をパンパンと叩いて大ホールに押し込んだのであった。

 困惑していた生徒達は促されるままに大ホールへと入る。そこにあったのは異常な世界だった。

 七、八人で使うテーブルに山積みにされている皿達。

 皿に残った汁などから料理が乗せられていただろう皿の数は、軽く五人前には達しているだろうか。

 

「アスカぁ」

「この馬鹿者が」

「無事で良かったぁ」

「うう、アスカ君ぅ」

 

 最初から席に座って料理を消化したであろう人物に縋りつく明日菜・エヴァンジェリン・ネギ・木乃香。

 これだけでも十分に異様な光景なのだが、縋りつかれている当人の手と口は絶え間なく動いていた。

 

「肉だ! 肉が足りねぇぞ!」

 

 顔色は悪いのに詰め込まれたであろう腹だけは異様に膨らんでいるアスカ・スプリングフィールドの叫びが大ホールに響き渡った。

 読書家で多数の本を読んでいる宮崎のどかでも状況を理解することは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日目はパールハーバー見学である。

 アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島にある入り江の一つであり、湾内にはアメリカ海軍の軍事拠点などが置かれていて、日本では伝統的に「真珠湾」と呼ばれている場所である。

 日本人ならば太平洋戦争緒戦である真珠湾攻撃を思い起こし、映画化もされている所でもあった。

 

「真珠湾はハワイでも人気の観光スポットですが、その代表は真珠湾攻撃で撃沈された戦艦アリゾナ号の上に建つこのアリゾナ記念館なのです」

 

 アボガドメロンという意味の分からないパックジュースを飲んでいる夕映の説明に感心する一同の視線は、バスを降りてから目の前にある白い建物に集中していた。

 

「鞄を持ってきた馬鹿はおらんやろうな? カメラやちょっとした筆記用具などを除きバッグなどの持ち込みは一切禁止なんやから持って来てたらチョップな」

 

 担任らしく生徒達の前に出ながらの千草の発言である。

 フランクながらも容赦のなさで全員を見渡してバック類を持っている者がいないことを確認した千草は、後ろにいるネカネに合図を送った。

 

「各班の班長は前に。整理券を渡しておくから失くさんようにな。失くしたら混雑している時やったら1時間位待つことになるさかい気をつけや」

「班長はみんなの分も責任を持って管理してね」

 

 言われるがままに前に出た班長はネカネから班員分の整理券を受け取って行く。

 班長が整理券を受け取って下がるのを脇で見ていた新田は、要領の良すぎる千草に自分がいる必要があったのかと小さな疑問に囚われていた。

 

「昼食の時に集まる以外は基本自由行動や。やけど気だけはつけるように。ここはアメリカやから日本語は通用せん。国が変われば常識も違う。立ち入り禁止区域もあるさかい、下手をしたらお縄につくこともあるんやから。特にクラスの賑やか担当。関係ない振りをしてるアンタらやで」

 

 特定の生徒に注意を入れつつ、千草は腕時計を現在時間を確認する。

 

「ルールと時間を守って楽しみ。面倒は起こさんようにな。ほな、三時間後にまたここに集まるように」

 

 散々注意だけをしながらもなんとも軽い言葉に肩透かしを食らった生徒達が動き出す。

 

「あ、あの……」

 

 そんな中、朝に食べた食事がどこに入っているのか、何時も通りの腹のまま欠伸をしている双子の弟を時折見ていたネギに緊張気味に近づく生徒。親友達の発破により、ネギを誘おうとしている宮崎のどかだ。

 普段は顔を隠してしまっている前髪も、後ろでポニーテールに結んでいるので素顔が丸見えの為に真っ赤になっているのがよく分かる。

 

「ネギくーん!! 今日ウチの班と一緒に見学しよー!!」

 

 のどかが自分なりにかなりの勇気を振り絞り、小さいながらもネギに声を掛けた途端、横からまき絵が大声で誘いながらネギに抱きついてしまったため、遮ぎられる形となった。

 

「わー!!」

 

 魔力で身体強化しているとはいえ十歳の子供の体では十四歳の体を抱きとめる力が足りず、まき絵のタックルというか抱きつきにネギの体が大きく傾く。

 

「ちょっ、まき絵さん! ネギ先生はウチの三班と見学を!!」

「あ、何よー!! 私が先に誘ったのにー!!」

「ずる―い! だったら僕の班もー!!」

 

 まき絵を押し退けてあやかと鳴滝風香もネギに迫り、一瞬で辺りが大騒ぎになる。

 激しい押し問答にネギはあわあわと慌てるだけで役に立たず、普段なら制止する他の教師はその場にはいなく、彼女たちの争いは激化していくばかり。抱きしめ、引っ張り、触り、摩り、と収拾がつかない状態へと発展していく。

 ネギを中心とした騒動の後ろでのどかは懸命に声を絞り出しているが、如何せん彼女の前方に居る三人は声も動きも大きく、彼女の想い人までその声は届かなかった。

 気付けばこの騒ぎを聞きつけた殆どの班の人間が集合し、結果のどかは押されて人混みの外の方に追いやられてしまっていたいた。

 

「あ、あの、ネギ先生!!…………よ、よろしければ、今日の自由行動……私達と一緒に周りませんかー!?」

 

 最早誰が何を言っているのか解らない喧騒の中、のどかが勇気を振り絞り、必死の決意で叫ぶと同時に辺りが静まり返る。

 ネギの奪い合いをしていたあやか達も普段大人しいのどかが声を張り上げた事でピタッと止まるが、そんな周囲の反応を当の本人には気にする余裕は無い。

 

「宮崎さん……」

 

 声の主がのどかとネギも分かり、一緒に行って問題はないかと考え込む。

 元よりどうしようかと考えていた誘いを受けて断る理由はない。

 

「行って来れば?」

「アスカ……」

「俺はかったるいから一抜け。食ったら眠くなってきた」

 

 と、周りを憚ることなくまた大きな欠伸をしたアスカは通りを外れて草むらに横になった。

 

「じゃあ、私も」

「うむ、班員を一人にするわけにもいくまい。我らも休むとしよう」

「アホか。教師の目の前で堂々とサボリ宣言するんやない」

 

 アスカに倣おうと草むらに突入しようとする明日菜とエヴァンジェリン。その襟首を後ろから掴む者がいた。スーツを若干着崩している天ヶ崎千草である。

 

「六班にはうちがついたるさかい。ほら、はよ行くで」

「「え~」」

「黙らんかい。桜咲と近衛も来んかい」

「でも」

「そこのサボリはネカネに任しとき」

 

 ネカネは木陰で横になっているアスカの傍に腰を下ろして手を振って見送っていた。

 気で強化された腕力を如何なく発揮して、破けそうなほど襟首を引っ張られて息が出来ない二人の抵抗など気にもせず、千草は困惑している木乃香と刹那を連れて眼前の施設へと入っていた。

 その全てを見ていたネギは思案気な表情を一瞬だけ浮かべ、横になって目を閉じているアスカに視線を移してから決断した。

 

「分かりました、宮崎さん。今日は僕、宮崎さんがいる五班と一緒に回ります」

『おー!!』

 

 普段は大人しく引っ込み思案、おどおどした印象が強かったのどかがネギをゲットしたことに一部始終見ていた他の生徒もこの結果に驚く。

 積極的な行動に周囲の人間は驚きながらも彼女の成功を祝福し、のどかは喜びに笑顔を綻ばせるのであった。

 

 

 

 

 

 生徒達がいなくなった通りの脇。木陰で横になっていたアスカは、瞼を開くことすらも億劫な様子で気だるげな様子で隣で腰を下ろすネカネを見た。

 

「行かなくて良かったのか?」

「無理をして皆を元気づけようとしている馬鹿な弟を労わるのも姉の役目でしょ」

 

 よっこいしょ、と若干おばさん臭い台詞と共にネカネは身動きできないアスカの頭を持ち上げて膝枕を行う。

 アスカは逆らわなかった。逆らうだけの体力すら残っていなかった。

 今までは周りの目もあった気を張っていたようだが、ここにいるのはネカネだけ。気を抜いたアスカは血が足りていないのか、よく見れば顔色はかなり悪い。

 昨夜の戦闘で負った傷は癒えども、失った体力と血までは治癒されていないようだ。

 子供達は気が付かなかったようだが、ネカネや千草は気付いていた。

 

「馬鹿ね。バカを演じてまで平気な振りをして。本当は起き上がることも出来ないのに」

「仕方ないだろ。起きたら全員泣きそうな顔してたんだ。こういう時に意地張らなきゃ男じゃねぇ」

「そういうところが馬鹿って言ってるのよ。しんどいならしんどいって言ってくれた方がこっちの気も楽だわ」

 

 この馬鹿な弟は、と言葉は辛辣ながらも頭を撫でる手はどこまで優しかった。

 無理をしたこともあって、しんどいのだろう。脂汗が浮いた額の汗を取り出したハンカチで拭う。

 

「大変ね、ヒーロー役も」

 

 何時もその背中に期待を背負ってきた。

 何時もその背中に希望を背負ってきた。

 何時もその背名に荷物を背負ってきた。

 こうやってしんどい時に弱気になることも許されない弟を何時も見て来たネカネに出来ることは、せめてもの慰めだけだった。

 その慰めこそが最もアスカを救っているのだと、ネカネは気付かない。

 

「自分でやるって決めたんだ。やらねぇと」

「勝てそう?」

 

 アスカは問いに対して思案するように口を閉じた。

 

「舐めてた。いや、驕ってたか。同じメンバーじゃ無理だ。戦力が足りない」

 

 ナナリーを助けたらエミリアの手で日本に逃げる算段になっていたが考えが甘かったということだろう。

 あわよくば敵を倒してしまえれば最高だったが、そこまで上手くいくとは流石にアスカ達も達観していなかった。アスカが敵を惹きつけて敵の目をナナリーや3-Aから遠ざける為に一人で逃げる算段をつけていたのが、結局は過小評価して報いを受けることになった。

 

「高畑さんがいても?」

「ああ。合体してネスカで戦っても手も足も出なかった奴にタカミチが当たったとしても、敵は後四人もいる。絶対的に戦力が足りない。最低でもエヴァに加勢してもらわねぇとときつい」

 

 ふぅ、とこうやって喋っているだけでも負担になるのか、アスカは僅かに辛そうに息を漏らした。

 

「新田先生がアーニャの不在に納得してくれたのは助かったけど」

「友達に引き止められて帰れないっていうのを表面上は納得してくれたようだけど、あれは絶対に何かあるって確信してる顔だったわね」

「エミリアにまで協力してもらったのにな。わざわざ魔法で声をかけてアーニャ役とナナリー役までやってな」

「嘘は駄目ってことよ」

「面倒事ばかりだ。敵もアジトを変えてるだろうし、振り出しどころかマイナスだ」

 

 敵も一度見つかったアジトに何時までも留まってはいないだろう。

 無作為に探すにしてもオアフ島に留まっているかも分からない。不審者がいなかったか地元住民に聞くにしても、観光客だらけなのだから見覚えのない部外者だらけ。話を聞く意義は薄い。

 敵の所在は分からず、アーニャも捕まったのではない収支はマイナスである。

 

「仮契約カードは失効されちゃいねぇからアーニャが生きてるのは確実だ。早いこと動きたいがやっぱ戦力がな。学園長に連絡は?」

「ええ、してあるわ。でも、この修学旅行の為にかけたギアスを解くのと魔力を封印している結界だけを解くのには二日はかかるとの話よ」

「間に合うかは微妙か」

 

 片目だけを開けたアスカの視線の先を追ったネカネは眉尻を下げた。

 良く晴れた青空が映し出しているのは薄らと見える月である。

 

「誘拐犯はナナリー…………というよりエミリアさんだったかしら。生きたまま連れて行ったのだから何かの儀式に使うはず。そういう儀式に月の満ち欠けは重要だものね」

「二日後が満月。タカミチもエヴァも微妙となると、また無茶する羽目になるか」

 

 その発言にアスカの頭を撫でていたネカネの手が凍るように止まった。

 

「悪い、何時も心配をかけて。でも、止められねぇんだ」

 

 しんどいにも関わらず、この弟は人の心配ばかりをする。だからこそ、ネカネは三人とは違って戦う力を一切求めなかった。

 三人の帰って来る場所になる為に、こうやって傷ついた羽を休める場所になる為に。

 

「ナナリーちゃんの為に?」

「ああ」

 

 アスカは即答する。

 

「彼女が好きだから?」

 

 次の質問にアスカは即答しなかった。

 思案するように視線を彷徨わせたアスカはゆっくりと口を開いた。

 

「多分、違うと思う」

 

 真っ直ぐと向けられた視線の先には風に揺れる木の葉と空を流れていく雲。だが、真に見ているのは過去である。

 

「彼女が今のアスカを作った切っ掛けだから戦うってことね」

 

 裡にある思いを言葉にしようとしていたアスカの内心を見透かしたような言葉。

 

「実はネカネ姉さんが全部お見通しなんじゃないかって思う今日この頃」

「姉は弟のことならなんでも分かるの。アスカの身長も体重も、始めて立って歩いた時も、最初に話した言葉も覚えてるわ」

 

 ふふふ、とネカネの満面の笑みに震撼するアスカだった。

 

「最後におねしょしたのもよ。あれは――」

「わわあああああああああああああああ!? いきなり何を言うか!?」

「ふふ、冗談よ」

「ネカネ姉さんの言葉ほど信用できないものを知らないぞ、俺は」

 

 ゼーハー、と体調不良の最中で大声を出したことで息を盛大に乱しながらアスカは、大きく息を吸い込んでまた吐いた。

 

「お姉ちゃんは最強なの」

「弟には、だろ」

 

 そして二人で笑い合う。

 また立ち上がる為に、前に進むために、六年前から始まった二人だけの約束事。

 一頻り笑ったアスカは小さく口を開けた。

 

「恥を忍んだんだ。これで流せよ、小太郎」

 

 風が吹いて葉が舞った。

 答える声はなかった。気配だけが遠ざかって行く。

 

「誰も彼も意地っ張りね」

「違いねぇ」

「アナタもよ。今は体を休めなさい」

「へ~い」

 

 本当に限界らしいアスカが未だに他人を気遣っている現状でネカネに他に何が言えよう。

 

 

 

 

 

 アリゾナ博物館まで行くには船が必要になる。船が出発するまで時間があるので3-Aはビジターセンターを訪れていた。

 センター内はある程度の自由行動が認められているとはいえ、班行動が鉄則。となれば同じ班にいる佐々木まき絵にものどか同様にチャンスが回って来る。そして奥手なのどかと違ってまき絵には積極性があった。つまり、のどかの策は失敗とまでは言わないが成功とも言えなかった。

 

「ネギ君♪」

 

 ネギから引っ付いて離れないまき絵にのどかは誤算を知ったのである。

 ここでまき絵に倣ってネギに触れられない辺り、引っ込み思案の性格が出ていた。

 まき絵に引っ付かれているネギが浮かない顔をしていることだけがのどかにとっては救いだろうか。

 

「のどかのどか」

 

 順路に従って展示物を見ていた一行の後方を歩いていたのどかに、前から下がって来たハルナが声をかけた。

 横に並んだハルナを見るのどかの視界に、少し離れた所にいる名残り惜しげに後ろを何度も振り返ろうとしている六班の尻を叩いている天ヶ崎千草の姿が目に入った。

 

「ネギ君を誘ったのは良くやったって思ったけど、まきちゃんに漁夫の利を取られちゃったわね」

「…………ハルナが難しいことを言ったです!?」

「夕映、アンタは驚くところが違う」

 

 と、ホテルでのやりとりを改めて彼女達は褒め称えたら何故か戦慄している夕映にチョップの突っ込みを入れたハルナは、改めて落ち込み気味の入ったのどかを見る。

 

「私はネギ先生の傍に入れるだけで十分だから……」

 

 のどかは先を歩くネギの背中を見つめ、頬を赤く染めて満足気な笑みを浮かべる。

 古来より「恋は盲目」な物であると先人達は言うが、のどかの場合はまき絵のように無鉄砲になった方が良さそうだとハルナは結論付けた。

 

「バカァッ!!」

「はふう!?」

 

 ハルナがのどかの前で両手を叩くという、細かい芸をしつつ怒鳴る。

 ハルナは自分の両手を叩いただけなので、顔には何の痕跡も残ってなく、のどかには何ともない筈が思わず頬を押さえてしまうのはびっくりしたからだろう。打たれた振りをしたのは左の頬のはずなのに右の頬を押さえている辺り、実は余裕があるのかもしれない。

 二人の直ぐ傍に夕映も佇んでいる。が、ハルナの悪い癖が発揮されていることを悟り嫌な予感を感じた。

 

「この程度で満足してどーすんのよ!! ここから先が押し所でしょっ!!」

 

 イマイチ締まらない空間だったが、ハルナは直ぐに真面目な表情になりのどかにグイッと顔を近付けながら説明する。

 

「―――――告るのよ、のどか。今日、ネギ先生に想いを告白するのよ」

「………え~~~~!? そ、そんなの無理だよぅー!!」

 

 ハルナによって落とされた爆弾にのどかもそこまでは予定どころか、想像もしていなかったので悲鳴を上げて驚くのも無理もない。

 幾らホテルで同行する約束を取り付けれたと言っても、そこまでの勇気は持てないようだ。誘えた現状に満足してそれ以上踏み込めないのだ。

 

「無理じゃないわよ。いい。修学旅行は男子も女子も浮き立つもの。麻帆良恋愛研究会の調査では修学旅行期間中の告白成功率は87%を超えるのよ」

「ははははちじゅうなな?」

「しかもここで恋人になれば最終日の班別完全自由行動日は二人っきりのラブラブデートも……!」

「ファイトです、のどか」

 

 しかし、狼狽するのどかにハルナは反論を許さない勢いで言葉を並べて丸め込もうとする。

 二人について来た夕映も二人の接点を増やすべきだと判断して励ましの声を掛けたのと、恋人になれればデートを出来ると言う認識をのどかに与えた事が決定的となった。

 

「よし、みんなにも話して協力してもらおう!! 夕映、ネギ先生とのどかを二人っきりにするわよ!!」

「ラジャです」

「あっ、ちょっまだ心の準備が―………」

 

 それでも簡単に決心なんて付くはずもなくもじもじと身をくねらせたのどかの多少は傾いてきた反応を出す。それを見て、ここは強引にセッティングした方がいいと判断する二人はのどかに背を向けて一目散に駆け出す。

 引っ込み思案なのどかに対してハルナのように引っ張っていくタイプの人間が傍にいることは、彼女にとっての幸運か不運か。

 慌てた様子で、駆け出した二人の行動を止めようとするのどか。でも、スイッチが入った二人をのどかが止められるわけもなく、伸ばされた手は誰も掴むことはない。

 顔を真っ赤にしながら遅れて暴走気味の二人を追うのどかであった。

 だが、のどかの行動は遅きに逸していた。のどかが追いついた時には既に班員の説得は終わっていたのである。

 

「任せて」

「のどか頑張ってたもん。うちも協力する」

「まき絵には悪いけど、今回は勇気を出した本屋ちゃんの味方しないとね」

 

 女なのに一々心意気が男らしいと評判のアキラが頷き、最近失恋したばかりの亜子が胸の前で両手の拳を握り、反対するかと思われた祐奈も親指を立てて賛成を表明した。

 結果として言い方は悪いが邪魔者になっているまき絵をどうやってネギから遠ざけるかを話し始めた五人に、のどかは事態が自分の手から離れているのを自覚せねばならなかった。

 

「全く、こんな時だってのにパルと夕映ちゃんは何を考えているのかしら」

 

 足早に去っていた三人に呆れを滲ませた明日菜が呟く。

 足を止めていた三人の会話は真後ろに来ていた明日菜達には丸聞こえだった。

 

「まあまあ」

 

 呆れている明日菜を宥めるのは木乃香である。

 エヴァンジェリンはさよの人形を持った茶々丸と勝手にビジターセンターを回っている。

 ビジターセンター内に入って暫くすると千草は他の班の様子を見に行っており、散々釘をさされたので外にいるアスカの所へ戻ることは出来ない。呪いが込められた呪符を背中に貼られていては命令に逆らうことは出来ない。

 早速命令に反しようとしたエヴァンジェリンが哀れにも呪いの被害者になったのを見ては大人しくするのみ。

 

「彼女らにとっては普通の修学旅行なのですから」

「でもさ」

「明日菜、聞き分けないのはあかんで」

 

 刹那もハルナ達の擁護に回り、それでも納得しない明日菜に木乃香はメッとばかりに指を突きつけた。

 他はともかく木乃香には強気に出れない明日菜も矛を収めるしかない。

 

「………………大丈夫かしら、アスカ」

 

 アスカがいる外の方向を見つめて、若干湿った声で呟いた明日菜に木乃香も刹那も口を噤んだ。

 

「お嬢様のお蔭で傷は完治してます。心配はいらないでしょう」

「せっちゃん」

 

 本当に自分の力でアスカの傷が癒えているのか元気な姿を見ても安心出来なかった木乃香の瞳が潤む。

 

「木乃香! ちょっと手伝ってよ!」

「あ、うん」

 

 そこで更なる協力を募っていたハルナに呼ばれて木乃香は前へ進む。足を止めた明日菜を残して。

 

「明日菜さん……」

 

 自分の強さにある程度の自負を持っていた刹那は力不足を思い知らされたが、そこまで深刻に考えていない。裏に関わる者としてもう気持ちの切り替えはできている。

 深刻なのは誰が見ても明日菜だ。刹那のように気持ちを切り替えることができず、まだ表面上は普通を装っているが、その心中は焦りや無力感に苛まれている。

 つい数日前まで、神楽坂明日菜は普通の女子中学生に過ぎなかった。

 アスカ達の存在が彼女を非日常へと誘う切っ掛けとなった。それが運命なのか誰かが望んだものであるかなどは明日菜には判断はつかなかったが、それでも普通でも少し変わった日常が続いてく筈だった。この修学旅行でアスカ達の知り合いが誘拐などされなければ。

 

「ねぇ、私、どうしたらいいんだろ…………やっぱり関わらない方が良かったのかな。なにもできないことがこんなにも辛いなんて思わなかった」

 

 アスカもネギも刹那ですら一敗地に塗れた敵に、新参者の明日菜が立ち迎える道理はない。

 どうにかしよう、どうにかしたいと思いながら何も出来無いばかりか、足を引っ張るだけかもしれない。そんな思いが明日菜を支配していた。

 

「それは私にも判断は付きません。正直なところ私は自分のことで手一杯で、明日菜さんの事まで手が回りそうにないのです。というより、その、むしろ…………すいません」

 

 言いにくそうに言葉を紡ぎ、最後に謝る刹那を目にして自分は足手纏いにしか過ぎないのだと理解して、明日菜は肩を落とす。

 命の奪い合いに発展するかもしれない戦いに身を投じるには余りにも力が足りず、腕力にはそれなりの自信があるものの、まともな実戦経験が本気で戦っていない茶々丸としかない明日菜度など何の役にも立たない事ぐらい誰に言われなくとも分かっている。

 

「何も明日菜さんが戦う必要はないんです。穏やかでいることに何の負い目も感じなくていい筈です」

「分かってる、分かってるけど……………っ!」

 

 刹那も幼い頃から木乃香を守りたい一心で、恐らく自分などには想像も浮かばないような厳しい鍛錬に励んで来たと前に聞き、他の皆も明日菜など歯牙にかけないほど強いのだ。

 それでも事情を知りつつも守るどころか守られ、何もできない自分が不甲斐なく何よりも腹立たしい。

「今回のこともあります。裏の世界に関わらずに済むのならば、それでも良いんじゃないですか」

 

 それは刹那の半妖としての生まれから出てきた言葉でもある。木乃香にしろアスカ達にしろ生まれの関係上、その世界に身を置くしかない。

 でも、明日菜は違う。仮契約を切れば、このまま普通の世界に生きていくことができる立場にある。

 

 自分から関わったり、巻き込まれたりしなければ一生を平穏無事に過ごせる。それが本来あるべきだった彼女の未来だと刹那は思っていた。

 ファンタジーだの何だのと言おうとしても、それが魔法使いといっても人である以上は色々な違いがあってぶつかり合うこともあると理解している。自分は足手纏いに過ぎず、みんな自分よりも強いのだから任せてしまえばいい。それを理性では理解しているが、感情が認めようとしない。

 皆が戦っているのに座して待つことなど自分にはできない。無力なことが情けなかった。

 俯いて拳を握り締める明日菜を刹那は心配そうに見ているが、お互いに何かを言える状態ではなく 二人の間にしばらくの間に沈黙が続く。

 

「せっちゃーん、明日菜ー!」

 

 その時、木乃香が戻ってきて、心配させないために明日菜は無理にでも元気を出す。

 ビジターセンターを出てアリゾナ記念館に向かうために船に乗り込んだ明日菜達の目の前をのどかが走って通過して行った。

 

「今の本屋ちゃんよね」

「そうやね、何を急いでたんやろ」

「泣いていた様にも見えましたが……」

 

 こちらに気付いた様子もなく走り去ったのどかが気になり、三人はのどかの後を追った。

 鈍そうな見た目と違って幾ら図書館島探検部で鍛えられているといっても、運動能力に優れた明日菜や刹那に勝るはずのないのどかはあっさりと補足された。

 息切れしながら何故かポロポロと涙を流しているので何かあったのかと思って、千草が班行動を無視させてくれたので話を聞く体制を作る。

 

「どうしたの、本屋ちゃん」

 

 真珠湾の沈んだ戦艦アリゾナ号の上に建つ建てられた慰霊塔であるアリゾナ記念館の入り口にあったベンチで、隣に座った明日菜はのどかを見た。

 泣いているのどかを座らせて落ち着いた後に経緯を聞くと、彼女なりに頑張ってネギに告白しようしたが、空回りしてしまう自分が情けなくて逃げてしまったらしい。

 流石に告白しようとしたのを知られるのは恥ずかしくて、のどかはもじもじしているがどうしようもない。

 

「成る程、告白しようとして」

「は、はい――――――いえ、しようとしたんですけど、私トロイので失敗してしまって」

「のどかは十分頑張ったって」

 

 明日菜とはのどかを挟んで反対に座った木乃香の励ましを受けても再度落ち込むのどか。

 ベンチの近くに立った刹那は多少の驚きと、やはり無理かという気持ちを持つ。

 朝の行動を知っているとはいえ、流石に一足飛びにそこまでいけるほど勢いはないだろうと考えていたのだが、途中で止めたとはいえ驚きだった。

 

「でも、ネギ先生は四歳以上下の十歳の子供では? どうして……?」

「そ、それはですね、ネギ先生は――――」

 

 どうしてネギが好きなのか気になった刹那は、あまり話した事のないのどかに積極的に問いかけた。それは明日菜達も同感だ。

 少し呆気に取られたような表情を浮かべたのどかは一瞬だけ考え込んで視線を湖に向ける。

 そして少し俯き、顔を赤らめて恥ずかしがりながらもはっきりと今の自分の想いを紡ぎ始めた。

 

「普段は皆が言うように子供っぽくてカワイイですけど。時々私よりも年上なんじゃないかな―って思うくらい、頼りがいのある大人びた表情をするときがあるんです」

 

 のどかは羞恥心と恐怖心をゴクリと唾と共に胸の中に押し込んで、思いを言葉にする。 

 

「多分ネギ先生が私にはない目標を持ってて。それを目指していつも前を見ているからだと思います。本当は、遠くから眺めてるだけで満足なんです。それだけで私、勇気をもらえるから。でも今日は自分の気持ちを伝えてみようかと思って」

 

 喋りながらのどかは、ネギの好きなところを思い浮かべて段々と声が大きく自然と笑顔になっていく。

 のどかも自分がどれほど恥ずかしい事を言っているかも痛感して煙も出そうなほどに真っ赤にして俯いてしまう。

 聞いた刹那としてもこの、勇気を持って自分の事を語るという事は方向性は違っても他人事ではないから少し落ち着きを失くす。

 のどかはそこで言葉を切るが、チラリと明日菜が見た彼女の目には確かな『想い』があった。

 だからだろう、嫉妬にも似た感情を覚えたのは。

 

「あ、ありがとうございます。聞いてもらって決心がつきました。これから告白して来ます」

 

 純粋な、あまりにも純粋な言葉と気持ちに憧憬を抱いたのははたして誰か。

 

「―――――そう、ですか」

 

 のどかの覚悟の篭った言葉を聞いた刹那は、想いの輝きに眩しそうに目を細めて沈黙する。その思いを知る者はいない。

 木乃香も明日菜もそれぞれに思うことがあったから。

 

「私如きでは手伝いもできませんが……………頑張ってください」

「はい!!」

 

 彼女の勇気が自分にもあれば、とのどかの背中を見送った刹那は思った。

 

『お姉さん、ただの人間と違いますな』

 

 呪いのように耳の奥に月詠の声がへばりついていた刹那は、勇気が欲しいと切に願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ほい、取材終了っと。やれやれ、こんなんじゃ記事にもなんないよ。ま、皆が知ったら騒ぐだろうし、この件は秘密にしといてやるか。ゆっくり進む恋もあるさね」

 

 ネギへの告白騒ぎの取材を行っていた朝倉和美は、のどかの目の届かないところで隠して録音していたボイスレコーダーを停めて巻き戻し、先程の録音しておいた会話を消去する。

 ネギへの恋愛事情を記事に載せることに誘惑を感じないわけではないが、そんな記事を載せてしまえばただでさえ引っ込み思案なのどかの小さな恋は終わってしまう。

 さっきの可愛いのどかの様子を思い出して、自分もまた多感な年頃を生きる少女として、そんなことを断固として許すことは出来ない。パパラッチを自称していようと人を傷つけるのは本意ではないのだから。

 

「しっかし、ウチのクラスは平和だね」

 

 妹の恋を見守るお姉さんのような気分になりながらも、デジカメを取り出して修学旅行で取り溜めた映像の数々を見ると物足りなさを感じる。人を傷つけるのが本意ではなくてもパパラッチとしての性が蠢いて止まない。

 

「アスカ君は話題に事欠かなかったんだけどな。う~ん、ネギ君はトラブルを起こさない。アーニャちゃんが行ってるっていう家のことを聞いてみるか」

 

 喧嘩や器物破損を起こしたりと、アスカは何かと騒動を引き起こすので学園報道部としてはネタに事欠かなかった。あまりネタの出ないネギにも話題を期待したのだが、流石に一人の少女の小さな恋を踏み潰すことは出来ない。

 

「何か血沸き肉踊る大スクープでも転がってないもんかね」

 

 当てもなく愛用のデジカメを持ってホテル内を徘徊しながら特ダネを探すが、そう簡単にスクープが転がっているはずもない。

 

「おっと、ネギ先生じゃん。丁度良いところに」

 

 階段を下りていると、ホテルのロビーをフラフラと歩いている小さな人影を見つけた。スーツを着こんでフラフラとした今にも倒れそうな足取の彼は件の子供先生―――――ネギ・スプリングフィールドに間違いない。

 

「あらー、悩んじゃってるなー。十歳の少年には告白は、ちょっとショッキングだったかな?」

 

 横顔からも思い悩んでいる様子が簡単に見て取れた。肩を悄然と落としながらやつれているような気がするネギを見て、和美も少し心配になってきた。インタビューするにしても十歳の少年には告白された一大事を受け止めきれていない様子がはっきりしていた。

 

「あ」

 

 どうするか決められないまま声を掛けるタイミングを逸して、進行方向からネギの行く先を視線で辿った和美はロビー中から畏怖の目を向けられている少年がソファーに座っていることに気が付いた。

 

「おい、ネギ。死にそうな顔してどうした?」

「あ、アスカ」

 

 アメリカサイズのハンバーガーの十二個目を食べていたアスカは、真後ろを通ろうとしたネギの首だけを後ろに傾けて呼び止めた。

 

「ちょっと、相談があるんだけどいいかな?」

 

 バクリ、と大きくハンバーガーに食らいついたアスカに向けてネギは懇願した。

 

「いいぞ。腹ごなしにちょっと歩くか」

 

 と、手に持っていたのを一口で食べきり、中身を失った空袋をロビーの端にあるゴミ箱に投げ入れたアスカは、机の上に残っていた最後の一個を持って立ち上がった。

 和美は兄弟の会話を始めてしまった二人の間に割って入ることが出来ず、何となくでホテルの外へ出て行くのを追う。

 これが、彼女にとって人生の転機になるであろう大スクープとの出会いになるのだった。

 二人は後を追う和美に気づかないまま、ホテルの裏口から裏通りへと出て行く。

 話を聞いて頷いていたアスカと悄然と歩くネギの前を、生まれて一年も経っていないだろう子犬が横切って道のど真ん中に座り込んで毛繕いを始めた。

 二人は特に気にすることも無く、裏通りから表通りに出ようと子犬に背を向けて歩き出した。

 そして二人が十数メートルも進んで、英語を話せるわけではない和美がホテルを出てまで後を追うべきかと裏口の近くで逡巡している時だった。

 

「お、おい兄貴達! アレ!」

 

 ネギの肩でふと後ろを振り向いたカモが道のど真ん中で毛繕いをしている子犬と、その後ろから子犬に気付いた様子のないホテル内にあるレストランの食材を配送しに来たであろう車が走ってくるのに気づいて声を上げた。

 

「え……? あ!」

 

 ネギがカモの声に気づいて状況を理解した時、既にのっぴきならない程に切迫していた。

 

「こ……子犬が!?」

 

 思わず声を出した朝倉だが、残念ながら彼女の位置から子犬まで走る時間と車が猫を轢くまでを比較すると圧倒的に後者が早い。

 もっと遠いネギ達の位置からでは当然間に合わない。

 未来は子犬の死が確定されている。

 

「ちぃっ!?」

 

 反転したアスカが自身の体調不良も理解せぬまま飛び出さねば。

 

「あっ!」

 

 和美がどうにも出来ない状況に絶望しかけたと同時に、アスカが一息の躊躇も見せずに一足で子犬の下へと滑り込んだ――――車の前へと身体を投げ出して。

 アスカが突然現れたことで車が急ブレーキをかけたが遅すぎた。それほどスピードを出していなくても車は慣性の法則に従って急には止まれない。

 

(し、死んだ――!? アスカ君――!?)

 

 離れていたはずのアスカが瞬間移動染みた速さで現れたことよりも、車の前に自分から飛び出すという突飛な行動に硬直した和美。

 彼女の眼には、車の前に体を曝したまま子犬を庇うように抱きしめたアスカの姿が映る。

 あの車のスピードなら当たり所さえ悪くなければ死ぬことはないだろう。運が良ければ掠り傷で済むかもしれない。だが、この時の和美には我が身を躊躇なく投げ出したアスカが轢かれれば死ぬ光景しか予測できなかった。

 予測した未来に手に持っていたデジカメに力が入って、シャッターが連続で下ろされていることに気づいていなかった。

 世界がスローモーションになったかのような錯覚の中で、遥か離れたネギだけが動いていた。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル 風花・風障壁!!」

 

 双子の弟に訪れる死に抗う魔法を唱える。すると、放たれた魔法は車を吹き飛ばした。まるで新体操の選手のように一回転しながらアスカの頭上を通過して、そこまで計算されていたのか車は一回転して地響きを立てながら綺麗に着地する。

 

「運転手さん、大丈夫ですか?」

「あ、あれー? 今?」

 

 轢きかけたのとは別の少年に問いかけられても、起こった現実を受け止めきれない運転手は目を見開いて震える手でハンドルを握ることしか出来なかった。

 取りあえず、轢きかけた少年が無事なことだけはハッキリしていた。目の前で起こった不可思議な出来事も、人身事故を起こしかけた我が身を振り返れば目を瞑るには十分な材料だった。

 この時の記憶を忘れてしまおうと、少年に言葉を返した運転手は逃げるように車を出して走り去っていった。

 

「サンキュー。助かった」

「僕が助けなくても自分で避けられた癖に」

 

 助けた子犬が頬を舐めて来るのに笑いながらのアスカの発言に、ネギは自分に自信をつけさせるために下手な演技をした双子の弟を責めた。

 

「自信はついたろ」

「ついたけど、寿命が縮まるようなことは今後止めて」

「了解」

 

 子犬を放したアスカに拳を伸ばしたネギは、コンと笑いながら当てられて叶わないなと思う。

 

「おい、もう行けって」

「ワンワン」

 

 命を救われた子犬はアスカに懐いたのか、放されても傍を離れようとはしなかった。

 もっと構ってとばかりにアスカの周りを飛び跳ねる。

 

「しゃあねぇ。レストランで飯でも貰ってやるから食ったら母ちゃんの所に帰れよ」

「ワン!」

 

 飯、の一言に耳と尻尾をピンと立たせた子犬は器用にもアスカの体を伝って頭の上に乗った。

 

「はは、ご飯に釣られるなんてアスカみたい」

「はははは、良し犬。飯食いに行くぞ。こんな恩を忘れた失礼な野郎は置いてな」

「ワゥ~ン」

「そうかそうか。お前もそう思うか」

「ちょっと待ってよアスカ」

「知らん」

「ワン」

 

 プンプン、と背中を怒らせたアスカに同調するように頭の上に乗ったまま尻尾を振った犬はホテルへと戻って来る。その背中を不用意な一言で怒らせたことに気が付いていないネギが追いかける。

 

(なっ……なぁにぃ――っ!?)

 

 アスカが車の前に飛び出したのとは別種の意味で言葉が出なかった。ネギが起こしたであろう目の前で起こった奇想天外な光景を目の前にして、完全に硬直していてもパパラッチの習性故か物影に素早く身を隠す。

 

(な、ななな…………い、今のは~~~~!? あ、合気道!?)

 

 二人と一匹がホテルに入って行くのを見ながら、自分で言っていて合気道で説明できる事象を超えていた。

 

(き……きき、来たぞーーーー!! 超特大スクープゥ~~~~!!!!)

 

 デジカメにはアスカが飛び出してから、ネギが杖を振ると車が吹き飛ぶまでの連続した映像が確かに記録されていた。連写機能のついたデジカメを愛用している自分にキスをしたいぐらいに興奮していた。デジカメを見下ろす彼女をその場に残ったカモが見ているとも知らずに。

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目もいよいよ夕方から夜に変わろうとしていた頃、和美は忍び足でホテルの中まで戻ってダッシュでトイレへと閉じ籠もった。

 便座に座りこみ、自分が手に入れたスクープに興奮を抑えきれずにいた。

 

(超能力者!? 宇宙からきた正義の味方!? 人間界に修行に来た魔女っ子・男の子版!? 荒唐無稽だけどこれが一番状況証拠と一致するかも……)

 

 デジカメの映像にはネギが掲げた杖の先から放たれた力場に弾き飛ばされたように吹っ飛ぶ車がハッキリと映っている。

 荒唐無稽でも、若干十歳と言う年齢でありながら麻帆良学園に赴任してきたという不自然な経歴を考えれば納得がいく。そうなると学園上層部も何らかの関わりがあると考えれば、ジャーナリスト魂が嘗てない程に燃え滾って徐々に興奮のボルテージを上げていく。

 しかし、証拠として手に持つ映像だけでは薄い。これがフィルム型の写真なら偽造は不可能だがデジカメだと証拠能力は極端に下がる。多数に捏造、偽造だと言い張られれば少数派の自分が負けるのは分かりきっている。

 何しろ自分もこの手に証拠があっても信じ切れていない部分がある。自分を信じるには本人に証言を吐かせるのが手っ取り早い。 

 

「世界の度肝を抜かすスクープまで後一歩!! よし、こうなったら」

「ちょいっと待ってくれないか、姉さん」

「わひゃあっ!!」

 

 一気にテンションを上げた和美の声に被せるように直上かけられた声に、まさか誰かに聞かれているとは思えずに腰を抜かすほど驚いた。

 

「なに奴!?」

 

 大袈裟なほどに狼狽しながら辺りを見渡すも、トイレなので当然の如く四方は壁に遮られている。

 

「こっち、こっち。上だ」

 

 声の主に言うことに従って顔を上げる。

 

「まさか目撃者がいるとは思わなかったぜ。念のために後を尾けて正解だったな」

「お、オコジョが喋っている?」

 

 和美が見上げた先、ドアに上に四肢をついてやけに人間臭い仕草で深い息を吐くオコジョがいた。

 

「混乱は分かるが聞きたいこともあるだろ。ここは人が来るかもしれねぇから場所を変えようぜ」 

 

 事態を受け入れきれない和美を悠然と見下ろしつつ、オコジョ―――――アルベール・カモミールは告げたのであった。聞きたいことが山程ある和美に、カモの誘いを断る理由などありはしなかった。

 

 

 

 

 

 カモはトイレからホテルの中庭に場所を移して、抱えている厄介事等で悩む主を目にして独断で和美に接触を図っていた。

 

「―――――ていう訳でして、今の兄貴には他の事に目を向けている余裕はないんでさ」

 

 写真で魔法を使う瞬間の映像を握られていたので、和美に特に修学旅行の間だけでも関わらないでいてもらうように説得していた。

 トイレでの熱狂振りを見るに、有り余る熱意を武器にしてネギに迫るのは予測出来た。デジカメなので言い逃れを図ればいいかもしれないが、あの熱狂振りで迫られでもしたらネギの一杯一杯の精神が決壊しかねない。

 

「今は、ってことは後ならいいわけね」

 

 目前で頭を下げて頼み込んでくるカモに、和美は渋い顔をして返す。

 

「ああ、修学旅行後なら何時でも構わないぜ。出来れば兄貴のスケジュールを確認してからにしてほしいがな」

 

 この件に関して引くわけにはいかない和美にとって、カモの介入は決して望ましいものではなかった。

 だが、今のネギがかなり一杯一杯なのは分かっているので理解は示していた。ある程度の情報を齎されたことも要因の一つだった。

 ネギが魔法使いで、魔法学校の卒業課題として麻帆良に来たこと、この修学旅行で魔法に関わるゴタゴタが発生していること。

 和美は確たる証拠のない、後で幾らでも言い逃れが出来る材料だけを与えられていることは分かっていたが、下手な行動は命取りになることを報道部の経験から知っている。

 

(本当なら兄貴達や学園側に報告すべきなんだが…………)

 

 カモの心中では目まぐるしく思考が働いていた。わざわざ女子トイレまで和美の跡を尾けて入ったのは、僅かに残ったスケベ心の名残か。

 それはそれとして、ネギは和美に魔法を使うところを見られて証拠も揃っている。魔法がバレたといっても過言ではない状況だった。状況的に子犬とアスカを助けるには魔法を使うしかなく情状酌量の余地はあると見ている。

 カモの中で最も正しい選択は、ネギ達が納得する結末だ。

 最も簡単な選択肢としては和美の記憶を消してもらうことだろう。状況を説明すればネカネ達もカモの選択を認めて手を貸してくれると思う。

 しかし、もしネギがこのことを知ってしまえば、自分の所為で生徒の記憶を消してしまったと傷つくだろう。学園に連絡したとしても状況は同じ。かといってネギに伝えるかといっても、現状で手一杯の状態で対処できるとは思えない。

 高畑が合流してエヴァンジェリンの呪いが解けて参戦してれくれれば事態も解決するはず。

 告白の件も、遅くとも数日中に何らかの結論が出るはずだ。

 結局の所、後回しにしているだけだが修学旅行が終わった後に全てを話す。何らかの責があったとしても全て自分が引き受ける。そのためには修学旅行の間だけでも目の前の少女に行動を自粛してもらわなければならない。

 

「それじゃあ、黙っておくからカモ君のでいいし魔法を見せてもらえないかな? ネギ君の時はよく分からなかったからさ。ちゃんと見てみたいんだ」

 

 オコジョが喋る光景も補填する一助となるがどうせならハッキリと、この目で見てみたい。

 和美も小さい頃は誰もが思うように魔法を使いたいと思っていた時があった。大きくなるに連れて魔法が存在しないことを理解したが、目の前で見て欲求を満たしたい。

 

「俺っちの?」 

 

 和美の提案に困ったのはカモの方だった。

 オコジョ妖精の魔法はサポート系が大半を占める。「人の好意を測る事が出来る」のように、目の前の少女の希望を叶えられるだけの魔法を使えるかといえば答えは否。口止め料を兼ねるなら希望を叶えなければ納得してくれない。

 

(念話妨害とかはそもそも人に見せられる物じゃねぇしな……)

 

 中庭で人がいないといっても目立つものは避けたい。魔法と判断し易く、でも目の前の少女が納得できるだけの地味すぎない魔法を考えるために脳裏で列挙しては却下していく。

 幾つかの候補を挙げて、一つの魔法を思いつく。

 

「分かった。言っておくけど地味だとか後になって文句は言いっこなしだぜ」

「いいよ、期待してるからね♪」

 

 仕方なさ気に肩を竦めながらの答えると、口笛を吹かんばかりにご機嫌になった和美が歓声を上げる。

 了承を得たカモが取り出したチョークらしき物で地面に魔法陣をあっという間に書き上げていく。複雑な魔法陣を秒単位で描いていくカモに和美が感嘆の息を漏らす。

 

「うしっ、完成!」

「おお、凄い早業っ」

 

 一分も経たずに書き上げられた魔法陣に一人だけの拍手が巻き起こる。

 

「これからするのは仮契約っていう儀式で、本当なら二人必要なんだが実演するだけだから発動だけで勘弁してくれよ。そもそも仮契約っていうのは――――」

 

 簡略に仮契約のシステムについて説明する。

 

「OK、OK。早く始めて」

 

 カモの説明をちゃんと聞いているのか怪しい和美が魔法陣の脇に立って今か今かと急かす。

 

「契約!!」

 

 理解自体は求めていなかったので要求に従って魔法陣を発動させる。

 

「眩し!」

 

 カモの声と同時に魔法陣が光り輝き、一瞬でも和美の目を眩ませるほどの光を放つ。直ぐに視力も戻ったが、何で光っているのか分からないので珍しげに光に手を翳していた。

 

「あ~……」

 

 あまり長時間やるとバレる可能性があるので、三秒程度で流していた魔力を閉じると光も合わせて消えた。

 消えた光を追うように魔法陣の上に手をやっていた和美が気の抜けたような声を漏らす。

 

「満足していただけたかい、姉さん」

 

 煙草を取り出して口に咥えて火を点けつつ和美の様子を見て満足してもらえたと確信を得ていた。敢えて問いかけたのは確認の意味と、未だに夢現にいる彼女を現世に戻す意味を込めて。

 

「うん。いや~、いい物を見せてもらったから話を聞くのは修学旅行が終わるまで待つよ」

 

 何かトリックがあるように見えなかったので和美も十分に満足していた。直ぐにネギに話を聞けないのは不満だが、修学旅行さえ終われば時間が幾らでもある。修学旅行の間ぐらいは待つのはわけなかった。

 

「俺っちも兄貴の下へ帰らないとならねぇ。そろそろお暇するぜ」

 

 和美に返事に頷きを返し、自分で書いた魔法陣を後足で土を掛けて消す。

 

「私も戻るよ。修学旅行が終わったら覚悟しておいてね」

「お手柔らかに頼みますぜ」

 

 和美も話が終わったなら中庭にいる用はない。カモを肩に乗せて喋りながら旅館へと戻っていく。残された地面の魔法陣から微かな光が発せられると気づくことなく。

 

「あ、そうだ姉さんにちょっと頼みがあるんだが構わねぇかい?」

 

 カモは策謀し続ける。それが苦難の道を歩むと決めた少年達を補佐すると決めた自らの役割であるから。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。