魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第19話 約束の島

 

 

 

「「おぇえええええええええええええええっっっ!!」」

 

 微妙に荒れた海を進むボロい漁船に汚らしい叫びが響き渡った。

 エンジン音と船に当たる海水の音で紛れて吐瀉物が海に落ちる音は聞こえないだろうが、嘔吐の声は隠せようはずもない。

 揺れる漁船に同乗する犬上小太郎は漂ってくる吐瀉物の臭いに顔を顰めた。こういう時は嗅覚の良すぎる自分の鼻が嫌になる。

 

「おい、そこのゲロ野郎二人。汚いから去ねや」

 

 鼻を抓みながら吐瀉物の臭いの元となる二人に向けて、嫌悪感丸出しの表情で顔を見ることも無く吐き捨てた。

 どんな心の広い聖人君子でも怒りを覚える小太郎の言葉に、言われた二人――――アスカとネギはむっとしたような顔になった。

 

「船に乗ったの初めてなんだ。船酔いしても仕方ないじゃないか」

 

 小太郎に対してライバル心剥き出しのアスカは特に吐き気が強く自発的に口も開くことが出来ないので、代わりのようにネギが発言した。吐くか吐かないかというレベルの微妙に小さな声だったが。

 

「俺やって船乗ったんは始めてやぞ」

「知らないよ。こういうのって体質じゃないの」

 

 納得のいっていない小太郎にネギが文句を言いつつ、それとなく距離を取っていた小太郎は顔を逸らした。

 

「おろおろおろおろおろおろ」

「大丈夫ですか、アスカさん」

「うぇぇぇぇっ」

 

 最も船酔いがきついアスカは船の縁から常時顔を出して胃液まで吐いているような状態なので、同じように吐いているネギと二人の背中を同時に擦っている茶々丸以外は誰も近づかなかった。

 流石のアスカも嘔吐の連続には参ったようで泣きが入っていた。勝ち気なアスカにしては珍しい様子が茶々丸の記憶ドライブに蓄積されていっているのは彼女のみの秘密である。

 船尾付近のアスカ達と違って、エミリアは船首に立って未だ見えない目的の島を見据えていた。

 

「私は吐かない私は吐かない私は吐かない私は吐かない私は吐かない」

 

 風に当たることでもらいゲロを必死に堪えているようだった。

 実は顔を真っ青にしているエミリアの後ろ姿を知る由もない乗組員達。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

 近くにいてエミリアの声を聞いてしまった刹那は、放っておくわけにもいかないので胸元にかけられたペンダントを弄りつつ聞いた。 

 木乃香に渡されたペンダントを首にかけているのだが、普段からアクセサリーなど身に付けないものだから気になって仕方ないようであった。

 

「大丈夫よ。大丈夫に決まってるじゃない」

 

 他人の目には人一倍どこから百倍は気を使うエミリアは、他人の目があると分かると一瞬で顔色を元に戻すと強がって見せた。

 先代当主の死亡で今やオッケンワインの家門を背負わなければならなくなったエミリアは、もはや他人に弱みを見せられるような身分ではなくなった。

 

「どう見ても大丈夫に見えねぇがね」

 

 ゲロの臭いを嫌ったのだろうか。刹那の肩に乗っているカモはひっそりと笑う。

 

「せめてもう少しまともな船でも良かったのでは?」

「敵がどこで網を張ってるか分からないんだから、これぐらいの方が良いのよ」

 

 家のことについて木乃香の幼い頃を知っている刹那は多少の理解がある。努めて少女の様子を気にしない様にして問うも、返って来た返答は納得できるような出来ないような微妙なものだった。

 

「このままでは戦う前から消耗して本末転倒のような気が。今にも沈みそうな船でなければこれほど揺れなかったでしょうし」

「むぅ……」

 

 上に立つ者の空気を纏うエミリアに自然と下手に出る丁稚根性を無意識に発揮している刹那の意見も最もであった。

 若干波が荒いといってもまともな船なら大して苦にならないレベルだ。船がボロすぎて、エミリアも船酔いとまではいかないまでもとても快適な船旅とはいかなかった。

 

「あの二人を見てたら流石に間違いを認めざるをえないわね。漁師から船を買い上げるんじゃなくて自前のを呼び出すべきだったわ」

 

 エミリアの視線は船尾で今も嘔吐しているであろう二人を見ていた。

 プライドの高いエミリアが間違いを認めるのは珍しい。もしも彼女のことを良く知っている者が驚嘆するだろう。

 船首で話をしている二人の姿を視界に収められる操縦室で操舵桿を握る龍宮真名は、後方から聞こえるネギらの口論とアスカの嘔吐の声に眉一つ動かさなかった。

 

「船の操縦も出来るなんて真名は器用でござるな」

 

 同じように操縦室にいる長瀬楓の感心した様子には流石に苦笑を浮かべた。

 

「昔取った杵柄というやつだ。他にも小型なら飛行機も運転できるぞ」

「ほぅ、免許は?」

「あるわけないだろ。無免許運転だ」

 

 その時、世界は凍った。

 感心していた様子だった楓はくわっとばかりに片目を開け、世界の時が止まったように動くことはなかった。

 高い海に打ち上げてバウンドした船内の衝撃で我を取り戻し、ギクシャクとした様子で口を開いた楓は、もう片方の目もゆっくりと開ける。

 

「無免許?」

「ああ、実は運転も見様見真似でやってる」

 

 どうして楓がそんなことを聞くのか分かっていない様子の真名は正直に答えた。

 途端に顔を真っ青にした楓に始めて真名はこの日初めての笑みを浮かべた。

 

「まあ全て嘘だがな」

「うぁいっ!?」

「嘘だ」

「どっちでござるか!?」

 

 自然体で揺るぎない楓の嘗てない動揺に満足した真名は一人でホクホクとしながら見えて来た目標の島に目を向けるのであった。

 船首に近い場所に身を潜めている部外者が二人もいることに誰も気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正規の教えを受けたわけではない真名の運転で漁港などない島に船を止めるのはかなり難しい。

 しかし、そこは魔法使いやらの異能集団である。

 島から少し離れた場所に錨をおろして船が流れないようにして、各自の手段で島へと上陸したのである。

 刹那等の武闘派は瞬動やらを使い、ネギら魔法使いは杖を使って飛行するという一般人には不可能な方法。船酔いでネギとアスカが海に墜落するアクシデントはあったものの、茶々丸に引き上げられて島への上陸は無事に成功した。

 問題は漁船に乗っているメンバーに異能を持たない者達が紛れ込んでいたことにあった。

 

「どうしよう本屋ちゃん。みんな行っちゃったわよ」

 

 全身を覆うレインコートの頭の部分だけを外した神楽坂明日菜は、隣で同じようなレインコートを着ている宮崎のどかを見た。

 

「私に言われても……」

 

 数十メートル離れた陸地を見るのどかの顔にも不安の色が濃い。

 というか、そもそもアスカ達が空を飛んだことにこそ驚いているのだが明日菜が平然としているので聞くに聞けずにいた。

 

「私は超さんの言うことに従っただけなので。それにどうしてネギ先生達はこの島に?」

「んぅ……」

 

 のどかの事情の知らなさ具合は、事態の中心にはいないが知れる位置にあった明日菜と比べても雲泥の差がある。

 問われてしまうとカモのように口も上手くないので器用に騙くらかせない。

 木乃香に黙って超の口車に乗ったわけだが、今頃心配しているかもしれないと今更ながらに思い至る。

 

「なにか事情があるんじゃない」

「そうでしょうか」

「そうよ。間違いないわ。私の勘を信じなさい」

 

 結局は勢いと根拠のない自信で押し切ることにした明日菜であった。

 のどかは普通よりも気が弱い方なので明日菜がそうだと言ってしまえば疑念を捨てることは出来なくとも表面上は認めるしかない。

 明日菜だってその場の勢いに流されて蛮行に及んでしまった自覚が遅まきながらも芽生えていたのであった。

 現状維持か打破か。明日菜としては現状打破の方を選択したいのだが、自分一人で決められることでもない。

 

「本屋ちゃん、岸まで泳げる? 私なら行けそうだけど」

「無理ですよ、私じゃ……」

 

 眉尻を下げたのどかに強要することは出来なかった。

 岸辺まではかなりの距離がある。水着なんてないのだから水を吸って重くなった服を着て泳ぎ切る自信もない。いくら図書館島探検部で見た目通りのトロさはないとしても体力自慢の明日菜と比べればやはり劣る。

 

「これからどうしましょう? アスカさん達と一緒に島の方に行った魚みたいに私も泳げたら良かったんですが」

 

 のどかに聞かれても明日菜は答えられなかった。

 どんぶらこどんぶらこと揺れるボロ船で波に揺られるしかなかった明日菜とのどかであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 陸地に降り立って船酔いも直ったアスカだが、星回りかそれとも与えられた運命なのか災難に恵まれているらしい。

 

「去れ」

 

 島で出会った最初の人物に、目前に槍を突きつけられながら敵意も満々に言われればどんな聖人君子であろうとも良い気はしない。

 当然のことながらアスカ達一行の全員が機嫌を害していた。

 パッと見でそうと分からないのは元から表情が動きにくい茶々丸を例外として比較的大人な面々で、アスカや小太郎などは諸に感情が顔に出ていた。

 

「ジャングルみたいな森を超えてやって来た私達に開口一番『去れ』はないのでは?」

「知らぬ」

 

 槍を持った集団に周囲を囲まれながら、エミリアは突破口を探るように慎重に言葉を選んでいた。

 こういう役目は形は違えど始めからエミリアがやることになっていたのだが、まさか槍を突きつけられるとは想定の上をいっている。

 逆らいそうなアスカと小太郎は、茶々丸と刹那に口を押えられているのを意識の外に押しやりながら、リーダー格らしい偉丈夫を見据える。

 

「故あって訪れた客人に槍を突きつけるのは礼儀に反しませんか」

「知らぬと言った。島外の者どもは去れ」

 

 取りつく暇もないとはこのことか。

 会話の切っ掛けを掴もうとするエミリアに対して、リーダー格の偉丈夫は言葉少なに目的だけを告げる。

 エミリアに代わって前に出るのはネギ。

 

「あの、話だけでも聞いてもらえませんか? 人の命がかかってるんです……………駄目と言うわけですか」

 

 エミリアだけでは厳しいと判断したネギが擁護するも返って来るのは無言の敵意と槍の穂先のみ。両手を上げて自分に敵意がないことを示しつつ、穂先に押される様に下がるネギであった。

 反応がエミリアの時よりも悪すぎるので大人しく彼女に任せて下がることに決めた。決して槍が怖かったわけではないと内心で言い訳するネギであった。

 

「話だけでも聞いてもらえませんか?」

「島外の者は去れと言ったはずだ」

「この島に恐るべき力を持つ者達がやってくるとしてもですか?」

「我ら守り人がいれば恐れるに足りん」

 

 流石にエミリアも自らを守り人と称する者達の頑迷さにはほとほと困り果てて来た。

 守り人達には会話をしようという気持ちが全く感じられず、言葉で納得させるのは難しいのではないかと思い始めていた。

 いい加減にじれったくなったアスカが茶々丸の抑えから脱出する。

 

「無理だな」

「何?」

「奴らは強い。てめぇらじゃ無理だって言ってんだよ」

 

 抑えから抜け出したアスカは、なにを思ったのかいきなり挑発を始めた。

 アンタ何やってんのよ、とばかりにムンクの叫びそのもののポーズになったエミリアは内心で叫んでいたが、一度出した言葉はもう戻らない。

 当のアスカは中指なんて立ててエミリアの内心の思いなど知る気もないようだ。

 

「ここでこうしていても始まるまい」

「追い返されたら元も子もないでござるからな」

「だからといって力尽くは」

「ええやん。この方が手っ取り早くてええわ」

 

 援軍の立場の真名と楓が真っ先にアスカの意見に賛成する。

 刹那は慎重案を押すが小太郎も賛成派に回るとなると、残るはネギと茶々丸のみ。カモは相手が魔法関係者と確定しているわけではないので口を出す気はなさそうだった。

 

「僕もアスカの意見に賛成です。言葉で聞いてくれるようには思えませんし」

「私はどちらでも。両者が大きなケガさえしなければ」

 

 間近で槍を突きつけられたネギは悩みながらも相手の性格を読み切った上で賛成し、茶々丸は両方の選択肢を支持しない。カモは止めても無駄だと無言で諦めムード。

 賛成多数でアスカの意見が支持されたのを見て取ったリーダー格の男は、直ぐに帰ると思っていた一行がやる気なのを察知して殺気だった。

 

「貴様ら……!?」

(これ)で決めようぜ。俺が勝ったら話を聞く。負けたら大人しく帰る。分かりやすいだろ?」

 

 立てていた中指を収め、拳の形にしたアスカに激昂しかけた守り人達も困惑したようにお互いの顔を見合わせている。

 リーダー格の男すらも惑うように持っている槍の穂先を僅かに揺らしていた。

 

「良かろう。相手になってやる」

 

 リーダー格の男に如何なる考えで戦う結論に至ったのか、エミリアには分からない。

 傍観者になるしかないネギもエミリアと気持ちは同じだった。

 

「大丈夫なのかな?」

「大丈夫やろ。あっちはそんなに強なさそうやし」

「そういう意味じゃないんだけど」

 

 ネギと違って小太郎は左程心配はしていないようだった。

 前衛系の戦闘能力の多寡を上手く察知できないのはネギの専門が魔法使いスタイルだからこそで、他の面々は前衛系だけあってどっしりと構えている。

 ネギとしては初対面で槍を突きつけられているのでぶちのめすのは構わないのだが、勝ったとしても無事に話を聞いてくれるのかの方が不安であった。

 ネギ達が下がって、アスカとリーダー格の男が向かい合う形になったところで、横合いの草むらが動いた。

 

「待て」

 

 と、草むらを掻き分けて現れたのは守り人達とは違う空気を纏った格式高い老人であった。

 顔や露出している手の皺などから八十は超えているであろうと推測されるが、歩くのに杖は使っているが足元はしっかりしていた。

 後ろにも別の守り人を従えていることから権力者の一人なのだろうとエミリアは考えた。

 

「これから面白くなるところなんだ。邪魔しないでくれないか、婆さん」

「ば……っ!?」

 

 真剣勝負をしようというところで水を差されたアスカにとっては邪魔者でしかないのだから、どんな権力者であっても扱いは邪険になる。

 邪険といっても年上を敬わない何時もの態度なのだが守り人達――――特にリーダー格の男は絶句していた。

 次いで怒りで一気に顔が真っ赤になっていく。日焼けしているのか、元からなのか肌が黒い方なので顔が紅潮しているのは分かり難いが表情を見れば怒っていることは間違いなかった。

 

「き、き、貴様!? 大婆様になんという口の利き方を!?」

「これが何時も通りなんだが」

「許せん! ここで斬ってくれようぞ!」

「いいぜ。来いや!」

 

 徐々にヒートアップしていく二人。

 槍を構えるリーダー格の男と拳を構えたアスカ。

 これは仮にアスカが勝てたとしても話を聞いてもらうのは無理なのではないかとエミリアが諦観を覚え始めていたら、大婆と呼ばれたご老人がくわりと目を見開いた。

 

「なにをやっておるかナル!」

 

 アスカら年少組よりは若干大きい体からは信じられない大喝が森の中に響き渡った。

 音響兵器染みた大声はまだ離れた方だったネギ達は耳を抑えるだけですんだが、かなり近い位置にいたリーダー格の男――――ナルとアスカの被害は大きかった。

 耳を抑える暇もなく音響兵器の大声が直撃して脳を揺らす。

 

「がっ!?」

「ぬっ!?」

 

 完全に目の前の相手と戦う気になっていた二人は苦痛の呻きを漏らして、強打を受けたボクサーのように頭を揺らしたのであった。

 倒れないように堪えたが震えている膝は隠しようがない。

 

「お、お………大婆様。い、いきなりなにを……」

「黙らっしゃい。坊主は坊主らしく言うことを聞いてればええ」

「痛っ」

 

 足音も高く雑草を踏みしめながら膝を震えさせているナルに近づいた大婆は持っている杖でバコンと頭を叩いた。ナルよりも早く音響兵器からのダメージから回復したアスカが「痛そう」と思うほどに豪快な音が響いた。

 大婆は頭を抑えて痛みに悶えているナルから視線を外し、少し離れたところで状況を眺めていたエミリアを見た。

 

「ミリアの子か。良く似ておる。名はなんという?」

 

 その体に今まで生きて来た年輪を感じさせながら、また同時に他者にその内心を悟らせない表情と声で問うた。

 

「エミリアです。あなたは母のことを知っているのですか?」

「知ってるもなにも儂の孫さね。不肖がつくが」

 

 エミリアを観察した大婆は大仰に溜息を吐いた。

 

「あの子は小さな頃から島の外に憧れておった。小さな島さ。無理からぬことであったが誰もがやがて慣れる。だが、ミリアだけは違った」

 

 エミリアを通して孫を見ているのか、僅かな郷愁を覗かせた大婆は目を細める。

 

「どうやってか島の外に出よった。行動力があり過ぎるというのも問題というわけさ」

「お母様はそれはもう元気な方でしたから」

 

 エミリアも大婆と同意見なのか深く頷いた。

 同意を得られた大婆はエミリアから視線をずらして同行者全員の顔を見る。

 

「逝ったのか、あの子が」

 

 エミリアが母を連れずにこの島に来た時点で予想はしていたのだろう。大婆は驚くことなくミリアの死を受け止めた。

 杖を持っていない方の手で顔を覆い、数秒動かなかったのは哀しみを表に出すまいとした気丈さからだとエミリアは直感した。

 完全に蚊帳の外に置かされたアスカ達と守り人達は見ているしかなかった。

 

「安らかに逝けたかい?」

「はい。最後の時まで笑っていました」

「なら、良い」

 

 しんみりとした空気を纏った大婆はくるりと身を翻した。

 

「付いて来な。ひ孫が折角来たんだ。話ぐらいは聞いてやろう」

「大婆様!? 島外の者を村に入れるなど規律に違反します!」

「儂が決めたんだ。従いな、ナル」

「しかし!」

「大老たる儂が決め、従えと言ったぞ、ナル・ディエンバー。お前は儂の決定に逆らうのかい?」

「くっ…………失礼します! 行くぞ、お前達!!」

 

 納得のいっていないナルは、憤懣やるせないといった風情で仲間達を連れて去って行った。

 

「すまないね。ナルはミリアと逆でこの島のことしか見えていない。悪い子じゃないんだが頭が固くて叶わん」

 

 島の中が世界の全てであるナルの価値観は狭い。大婆はそれを知って改めさせたいところだが、島外の人間が紛れ込む可能性は万に一つぐらい。ゆっくりと時間をかけて矯正しようと考えていたところでの訪問者である。

 まったく、とばかりに溜息を吐いている大婆は、手が掛かる子は可愛いとばかりに去っていくナルの背中を温かい目で見送るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! 大婆様はなんだってあんな奴らを村に入れるんだ……」

 

 仲間達とも別れたナルは村外れの森の中で一人で鬱屈していた。

 例え村の最高権力者である大婆が認めようともナルは納得していなかった。

 

「エミリアという者はこの島にいた者の子供かもしれないが、島の外に出た大罪人の娘ではないか」

 

 島外の者を受け入れることは大罪。島外に出ることも罪として罰せられる。

 

「大婆様も大婆様だ。それは私も結界を超えて上陸できるのが島の人間だけだと知っているが、他の島外の者まで村に入れるなどとなにを考えておられるのか」

 

 木を叩いたナルは頑迷なまでに島の規律を守ろうとしていた。

 この島に生まれ、育ってきたナルにとって規律は絶対。守って当然で、守らない者には相応の報いが下ると考えているのだ。

 

「ならば、報いはをえないといけない」

 

 低い声がナルの耳に届いた。

 はっ、と振り向いたナルの前には壮年の男がいた。その足元には村の古参の一人が血みどろになっている小さな子供を抱えて倒れている。

 

「その命を以て、我が願いを果たしたまえ」

 

 壮年の男――――ゲイル・キングスは、足下の影から出した仲間四人と人質二人を連れてニヤリと歪に唇を歪めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ナルがゲイル一行と出会った正にその時、ホノルル国際空港に降り立った飛行機から一人の男がハワイの地を踏んでいた。

 

「やっと着いた」

 

 顎髭にスーツを纏ったタカミチ・T・高畑は彼にしては珍しく衆目の中でネクタイを緩めながら一息をついた。

 

「かなり無理したし、流石に五時間で完全回復とはいかないか」

 

 魔法世界での仕事を最速で終わらせた疲労は重い。一番近かったゲートがアメリカ本土にあったのでそこから飛行機でハワイで来たわけだが、一日半も時間を短縮させたのにはかなりの負担が肉体に圧し掛かっている。五時間程度のフライトでは足を伸ばしせて休めたわけではないので疲労は澱のように体の底に溜まっている状態だ。

 半日もベッドで横になれば治せるレベルである。それでも一日分の時間は稼げているので高畑は安心していた。

 

「ホテルの電話番号は分からないから携帯にかけるとして、どっちにかけたものか…………」

 

 携帯を手に空港内を歩きながら思考する。

 高畑がかける選択肢は二つ。担任の千草か副担任のネカネである。

 学園長に連絡をしたのは千草だが、高畑は以前からネカネと親交があった。

 電話をかけやすいのはネカネであるが、立場を考えるなら担任の千草に連絡するのが妥当であると判断して短縮ダイヤルに登録されている電話番号にかける。

 

「あ、天ヶ崎先生ですか? 高畑です」

 

 三コールほどして出た千草に高畑はにこやかに名乗る。

 高畑とて男であるので美人には弱い。仕事で出会う相手には色仕掛けで罠に嵌めようとする輩もいるので注意するのだが千草は違う。関西呪術協会から交流の目的で留学している立場なので、若さ故の過ちで過去にとんでもない相手に引っ掛かったこともある高畑が肩肘を張り過ぎなくても付き合える女性は珍しいのだ。

 ネカネも千草と立場は同じなのだが、やはりネギ達と同様に六年前からの親交があるので気分的には親戚の妹と接しているようなものなので、美人であっても引き込まれることは殆どない。

 こんなことだから初対面の時にその場にいた源しずなにきつい視線で見られることになったのだ。

 

「え、もう出発した?」

 

 修学旅行で海外に来ていることもある生徒達の近況もそこそこに攫われた少女や敵に捕まったアーニャのことをネギに聞こうとした高畑は絶句した。アスカではなくネギに話を聞くと決めていてる辺り、双子のことを良く理解してる。

 それはともかく、高畑が学園長を介して聞いていた話では当初の到着予定である明日に行動することになっていたはずである。

 攫われる予定だったエミリア・オッケンワインから新情報で一足先に戦いの舞台になるかもしれない場所に出向いたと聞けば絶句もしたくなる。

 

「分かりました。僕の携帯に目的地の場所を送ってください。直ぐに現地に向かいます」

 

 既に出発してしまったアスカ達を責めたところで状況は何も変わらない。寧ろ無駄に時間を消費するだけで益はない。ならば、早々に行動に移した方が賢明である。

 電話を切った高畑は状況の不透明さに長い息を吐いた。

 ネギ達――――特にアスカのアーティファクトである絆の銀による合体でネスカになった強さは、手加減していたとはいえエヴァンジェリンともそこそこの戦いをしたことは当人から聞いていた。高畑が油断していたとしても土を付けられた時と比べても格段に強くなっていることだろうことは間違いない。

 しかし、そのネスカでさえも圧倒する敵がいて、アスカが木乃香のお蔭で九死に一生を得たという。

 そして高畑の中には学園長から話を聞いてからネスカでは危ういことを知っていた。

 

「急ごう。あのゲイル・キングスが相手だとすると彼らだけでは危ない。ナギでも倒すことが出来ずに逃げられた敵なのだから」

 

 大戦期に紅き翼の前に敵として立ちはだかった男のことを思い出して顔を顰めた。

 記憶にある中でも特に悪辣なタイプであったゲイルにアスカ達や3-Aの精鋭でも挑んで危ないだろうことは、高畑の焦燥を煽る一因となっている。

 アスカ達の実力を信じていないわけではないが流石に相手が悪すぎる。

 数分後に携帯に送ってもらった地図を元に現地に向かおうと空港から出た高畑は、強い陽射しに一瞬だけ眩んで目を細めた。

 

「しまった……」

 

 南国特有の熱さにではない。もっと致命的なことに高畑はようやく気が付いて足を止めた。

 見上げた空には太陽が燦々と輝いてて雲はどこまでも流れて行く。鳥が右から左に流れていくのを見るともなしに眺めていた高畑は苦渋を滲ませながら口を開く。

 

「どうやって島まで行こう…………。ハワイにツテなんてないし、飛んで行くしかないのか」

 

 目的の島までの交通手段がないことに気が付いた高畑は、幸先の悪さに重く長い溜息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカ達一行は全員が村の中に入れたわけではなかった。同行を認められたのは母が島の人間であったエミリアと「馬鹿っぽいから認めてやる」と何故か許されたアスカだけだった。

 村にエミリアと共に案内されたアスカは、村人達のどこか困惑した視線を受けながら村で一番大きな大婆の家に入り、今度は彼自身が困っていた。

 

「そうかい、あの子は病で」

「三年前のことです。最後に「ああ、楽しかった」と笑って逝きました」

「ミリアらしいね、本当に」

 

 当初は同行が認められた理由に納得がいってなかったアスカだが、話が完全に内輪になっていて明らかな疎外感を感じていた。

 これでは皆と同じように留守番をしていた方が気が楽だったに違いないと思い始めていた。出された飲み物も不味くはないが上手くもないので、好んで口を付ける気にもなれない。

 有り体に言って、アスカは退屈していた。

 

「で、そっちの子が婿かい?」

「は?」

 

 エミリアはまさかの話の方向転換に間抜けな面を晒した。

 ひ孫が人生で汚点となる変顔を晒したことなど知る由もない大婆は、家の壁を見ていて話を聞いていないアスカとエミリアを見比べながら一人で頷く。

 

「な、な、な、な、な、な、ななななななななななななんでそんな話をいきなり!?」

「儂もこの歳さね。島の外に出る体力はない。小さな島さね。楽しみなんて孫やひ孫が結婚してひ孫や玄孫をこの腕で抱くしかないじゃないか」

 

 ナル相手に厳しく言っていた面影なんて欠片も残さずに気の良いお婆さんになった大婆に動揺しまくるエミリアであった。当のアスカは土で出来た壁に感心したように見ていて話を全く聞いていなかったりする。

 

「とまあ、関係のない話はここまでにして」

「その関係のない話をし始めたのは曾祖母様です」

「いいさね。老い先短い老人の楽しみを奪わんでおくれ」

 

 カカカ、と大きく口を開けて笑う大婆には強気に出れない者を感じたエミリアだった。理由は考えるまでもない。

 

「…………どうもお母様と話している気分になりますわ」

「そう言ってくれるのは有難いね。ミリアは血縁の中で儂に一番似とると言われとったが子供を産んでも変わらんようで何よりさ」

 

 日本で言うお茶の飲み物を口に含んだ大婆は嬉しげに笑った。

 

「いい加減に外の連中も我慢の限界さね。ここからは建前で話しゃならん」

「ようやく本題か」

 

 よっこらせ、と退屈過ぎて寝ていたアスカが体を起こして胡坐を掻く。

 割と本気で寝ていたので呆れた視線を向けられようともなんのその。面の厚さだけなら既に世界最高クラスのアスカは気にしなかった。

 

「いいから早く本題に入ろうぜ」

「全く、これだから近頃の若いもんは」

 

 などとブツブツと言いながらも怒らないのは物怖じしないアスカを認めているかだろうかと想像するエミリアだった。

 

「カネの水だったか。はっきりいって、そんな物はこの世に存在しない」

「存在しない? ゲイル・キングスは確信して動いているようだぞ」

「今は、の」

 

 まさかの発言にエミリアだけでなくアスカも眉を顰めたが、言い難そうに口を開いた大婆の発言に顔全体を歪めた。

 

「まさか生贄を捧げると水が湧き出してくるなんてパターンか」

「そのまさかさね。忌々しいことにこんなアホな話を信じている馬鹿がいたとは」

 

 沈鬱な表情を浮かべる大婆にアスカもエミリアも言える言葉はない。

 

「水が湧き出る場所は? 知っている者は?」

「言わん。知ってる者も今となっては少ない。儂を含めて年寄り数人じゃろう。全員に一生口外しないように厳命しておる。漏れる心配はなかろう」

 

 だとしても安心すべきではないとエミリアは自分を戒める。その油断が、その慢心こそが前当主に隙を生んだのだと考えているから。

 そこでアスカが家の壁を見て目を細めた。

 

「…………おかしい。外の気配が騒がしい気がする」

 

 慌てた様子で言ってアスカが立ち上がった瞬間だった。

 

「隔離結界を張っていたのによく気づいたね。でも、君では役不足だ」

「がっ!?」

 

 エミリアと大婆が立ち上がるよりも早く、声変わりの終わっていない少年の声が室内に響き、直後に壁をぶち抜いて飛んできた石の槍が直撃して吹き飛ばされたアスカが背中から壁に激突して外へと押し出された。

 

「アスカ!?」

「ここが大婆様と呼ばれる家で間違いないかな」

 

 エミリアが壁の向こうに消えたアスカを呼んだ時には既に白髪の少年――――フェイト・アーウェンルンクスが室内に侵入していた。

 次いでドアを破壊してゲイル・キングスが入って来る。

 ゲイルは紅い眼を炯々と輝かせて室内を睥睨する。

 

「エミリア・オッケンワイン嬢もいるとは、これは手間が省けて良い」

 

 ゲイルの紅い眼で見つめられたエミリアは全身が金縛りで縛られたかのように動かなくなった。

 

「な、なにを……」

「我がひ孫に何用じゃ! どうやってこの島に入ったこの下劣者め!」

 

 戦う前から勝てる相手ではないと直感したエミリアの声を遮るように、大婆は威勢も高く杖を向けながらゲイルを睨み付けた。

 立ち上がっている膝が震えていることは間近にいるエミリアに分かった。それでも食いついたのはエミリアの為か。

 

「この島に入るには島の人間でなければ不可能な結界が張られている。しかも、ご丁寧に島の人間の心に害意や敵意があれば入れないというオプション付きで。誰が作ったシステムかは知らぬが見事と言っておこう」

 

 大婆の激昂など毛の先ほども脅威に感じていなさそうなゲイルは歪に笑う。

 

「エミリア嬢、貴女は実によく踊ってくれたものだ」

「まさかあなたたちは最初から私じゃなくてナナリーを攫って、私が自分の意志でこの島に来るように仕向けたというの!?」

「然り。当主…………今は先代であったか、彼と君は実に私の願い通りに動いてくれた。監視されていることにも気が付かず、私が捏造したヒントを無事に見つけて島に自分から向かってくれた」

「お母様の手記もあなたが作った物だと……っ」

「想定通りに私達をこの約束の島へ迎え入れてくれて感謝している。礼を言わせてもらおう」

 

 エミリアは自らの動きも前当主の姦計も全てがゲイルの手の平の上だと悟る。

 

「予想外を上げるとすればこのご老人の口の堅さぐらいか」

 

 ゲイルは後ろ手に持っていたモノを前方に放り投げた。

 放り投げられたモノは人であった。

 

「ウォーイェン!? カコル!?」

 

 もはや息をしていない老人と子供。祖父と孫であろうか。

 孫を守るように抱きしめた老人の背中には大きな穴が開いていた。ゲイルの拳大ほどの大きさの穴は老人を貫いて孫にも致命傷を与えたか。

 大婆の反応から村人らしい人達の無惨な姿にエミリアは血の気を失った。

 

「子供は好奇心旺盛でいかない。この島にない物を見せれば容易くこちら側へと来てくれた。後は生贄の地を知るであろう人間を呼び出させたわけだが、そのご老人は孫の命よりも秘密を守ることを良しとした。記憶を読ませんとプロテクトを張っていたのには感心するが、さて貴女はどうかな?」

「きゃっ」

「エミリア……っ!?」

「生贄の地を吐くか、ひ孫の命を失うか、この場で決めて頂きたい。下劣者故、作法が成っていないことは見逃してくれたまえ」

 

 ウォーイェンとカコルに起こった悲劇に憤る暇もない。動いたフェイトによって捕まったエミリアを見た大婆は選択を迫られる。

 

「どうせお前達はエミリアを生贄に差し出すのだろう。儂は何も言わぬ。すまぬ、エミリア」

 

 生贄というほどなのだから贄として捧げられればエミリアに待っているのは死のみ。結末が同じならば秘密を守る方を選ぶ。

 フェイトに捕まったエミリアは喋らない様に口を抑えられながらも頷いた。エミリアも状況が分からぬほど愚かな娘ではない。だが、ゲイル達はその上を行く。

 

「頑迷だ。外の状況を見れば気も変わろう」

 

 ゲイルはフェイトに視線を向け、彼の意を受け取ったフェイトは腕を軽く振った。

 傍目には軽く振っただけにしか見えない動作によって家が壊れる。まるでフェイトの動作に従うように壁が吹っ飛び、一瞬にして家は土台だけを残して消滅する。

 そして見えた家の外の光景に腕で顔を庇っていた大婆と身動きできないエミリアは絶句した。

 

「皆の者……!?」

 

 そう広くはない村であった。その村の人間がたった三人の人間によって広場に集められている。

 ハルバートを肩に背負って鎧を纏った若い男、太刀と小太刀を血に濡らせたまだ年若い子供、最後に暗い目をして銃を両手に持つ妙齢の女。

 抵抗したのだろう村の若い衆の数人が無惨な姿で倒れている。ピクリとも動かないことから既に息はなさそうだった。

 

「んん!? んんあ!!」

「うるさいよ。眠っているといい」

 

 叫び声を上げているエミリアを煩わしく思ったフェイトがエミリアを眠らせる。

 ぐったりとしたエミリアを見て取ったゲイルは改めて大婆を見る。

 

「我らの本気は分かってくれよう。改めて問う。村人全員とこの場でのひ孫の命を代価として生贄の地を吐かれよ。言うまで目の前で村人を一人ずつ殺す。言わなければ大切な命を散らすこととなるぞ」

「くっ」

 

 大婆は今度は即答できなかった。

 この小さな島では村は一つだけ。人数も少ない村だから全員が家族のようなものだ。失って平気な顔が出来るほど大婆は厚顔無恥ではない。しかし、それでも大婆は選択を迫られる。

 村人の命とエミリアの命、そして先祖代々守り続けて来たエルら守り人としての役目。どちらも捨てるには重すぎた。

 大婆が決断を下すよりも早く動いた者がいた。

 

「させるかっ!」

 

 フェイトの石の槍によって家の外に弾き飛ばされていたアスカである。

 神速の動きで飛び出した先にいるのはエミリア。雷を纏った手刀を突き出し、このままいけばエミリアの胸を狙い過たず貫くことだろう。

 

「本気?」

 

 エミリアは神に捧げる贄である。生贄の地でその命を散らせるのであって、このような村で失っていいものではない。フェイクにしては攻撃に殺意が籠り過ぎであり、フェイトはエミリアを守らなければならなかった。

 

「ぐっ」

 

 エミリアまでもう少しという距離でアスカは見えない壁に阻まれた。

 フェイトを中心として展開されている曼荼羅のような魔法障壁に前に、どれだけ力を入れても手刀は前に進まない。

 魔法陣が具象化するほどの障壁は、前衛型なので防御が薄くなりがちのアスカの目には同じ人間とは思えないほどの隔絶した魔法の腕。

 一ミリも前進しない手刀にアスカは一瞬で見切りをつけた。

 突破できる気がしない障壁を前にして何時までも押し問答を続けさせてくれるほど、フェイトが生易しい相手でないことはネスカで戦った時に理解している。倍以上の戦闘能力を持っているネスカで圧倒された相手に一瞬でも隙を晒して無事でいられると思うほどアスカも楽観的ではなかった。

 

「判断だけは中々だね。後一秒留まっていたら石にしたものを」

 

 片目を不自然に光らせたフェイトは、退避しながら大婆を抱えて下がるアスカの即断を評価した。

 もし、一瞬でも判断が遅ければ石化の邪眼が放たれ、アスカの全身は石と化していたことだろう。アスカが意図した行為ではないがに生贄の地を問うていることもあって大婆はこの場の重要人物である。抱えられた大婆が邪魔で追撃が出来なかった。

 

(最悪の事態か……)

 

 アスカは心中で舌打ちをした。

 戦いに向けてコンディションをMAXに上げていく身体とは裏腹に心はどこまでも冷えていく。

 

(捕まるぐらいなら殺してくれって約束は守れそうにない)

 

 エミリアから出発前に無理矢理に結ばされた約束を果たせなかったことに、安心と後悔を抱きながら奥歯を噛んで敵を凝視する。

 

「「――――――」」

 

 アスカとフェイトは、互いを見詰め合ったまま、少しの距離を置いて対峙する。

 アスカはフェイトを見つめていた。フェイトも微動だにせず視線を返している。僅かも視線を逸らさずに。

 視線を交し合ったのは、一瞬だったかもしれないし十秒はあったかもしれない。時間の問題ではなかった。視線を合わせたという事実だけが重要で、互いの何を読み取れたわけでもないし、読み取れる何かがあったわけでもない。

 それでもほんの数秒間、視線を合わせただけで痛感していた。

 

「「気に入らない」」

 

 零れた呟きは双方に同じく。互いの拒絶はハッキリと交差する。互いに呟き程度の声音そのものは届かなくとも、言葉を紡いだ口の動きで読み取ったのか二人が放ち、互いに受けた印象には恐らく相違などなく。

 嫌悪感とは違う。ただ、絶対的に決定的に絶望的なまでに、自分達は相容れないと、そう感じた。抱いた感想に、当人達も訳が分からない。

 直接言葉を交わしたわけでもないというのに。ましてや、互いにそう感じたなどと、なぜ自分は思っているのか。

 微塵も揺らがない瞳は、まるで相手を射殺さんばかりに尖る。たった一つの答えを求めようと収束されていこうとしたその時にゲイルが口を開いた。

 

「ご老人、邪魔者が入ったがもう一度だけ問う。生贄の地はどこだ?」

 

 大婆は何も言えない。アスカも何も出来ない。

 直ぐに答えなかったことがゲイルの気に障ったのか。

 

「残念だ。本当に、残念で仕方ない」

 

 沈鬱そうに天を仰いだゲイルは月詠を見た。

 

「あは♪」

「がっ?!」

 

 その視線をこれから行う行為への了承と認識した月詠は、嗤いながら常人には見えないほどの速度で太刀を振るった。すると、月詠の直ぐ傍にいた村人の首筋が斬られ、頸動脈を切断されたのか噴水のように血が噴き出した。

 村人は斬られた首筋を抑えるも、間欠泉のように噴き出す血は手から溢れ出して流れて行く。

 

「ああ、この噴き出す血の甘さの美味しさは格別や。次は誰えすえ?」

「騒ぎやがった奴にしろ」

 

 他の村人達が突然の凶行に悲鳴を上げようとしたが、血が滴る太刀を持って狂気に愉悦する月詠と騒げば殺すと殺気を漲らせて睥睨するフォンに黙らされる。

 悲鳴の一つでも上げれば次は自分だと誰もが直感したのだ。

 

「まずは一人目。勇み足も含めれば何人目だったか」

「テメェら……っ!?」

 

 失血死した村人を見たゲイルが惨状を嘲笑う。アスカが憤るが向こうにはエミリアやナナリーとアーニャ、村人達も捕まっているので下手な行動は出来なかった。

 大婆も血の気を失った顔で死んだ村人を見つめる。

 

「ご老人、これで話す気になったか?」

「……っ」

「まだ犠牲が足りない様子と見える。はたして何人の屍を積み上げれば納得してくれるものか。悲しい事だ」

 

 大婆は再度の問いに内心の葛藤を現す様に持っている杖を軋むほどに握り締めた。

 その様子を眺めたゲイルは溜息と共にまた月詠を見る。

 その視線を殺人許可と認識した月詠は今度の犠牲者を、先程首筋を斬られた村人の家族であろうか。まだ年若い母子を見た。

 

「次はアンタらですえ」

 

 嬉々とした表情で次の標的へと太刀と小太刀を振り上げた。

 我が身を省みることも無く子供を助けようと武器の前に身を投げ出した母親の姿がアスカのトラウマを呼び起こす。

 

『逃げなさい。お前達はこれから村の出口まで振り返らず走るんだ。出来るな?』

『駄目でしょ、諦めたら』

 

 火に炙られて焼けるように熱い風と共に思い越される。あの時と同じように見ていることしか出来なかったアスカの中で何かがキレた。

 

「止めろ――っ!!」

 

 規格外の魔力を発してアスカの体がその場から消える。全魔力を足裏に集中して、かつ完全に制御するという離れ業を成し遂げていた。音すらも超えてアスカは疾走する。

 

「吹っ飛べ!」

「!?」

 

 月詠が火事場の馬鹿力を発揮しているアスカに気づいた時には全てが遅い。

 音速を超えた勢いのまま一切の減速をせず、月詠をショルダータックルで吹っ飛ばす。

 着地したアスカは世界を掴む。ピタリと止まり、運動エネルギーの全てを月詠にぶつけて吹き飛ばして次の標的であるフォンを見据える。

 

「魔力の暴走(オーバードライブ)。にも関わらず、この精密さ。流石は彼の息子ということか」

 

 エミリアを抱えるフェイトはアスカの体から紫電が走るのを見逃さない。

 アスカは確かに数えるほどにしか魔法を使えない。だが、こと精霊との感応力は歴代でもトップクラスとのお墨付きを貰っている。眼の前の凶行に対して感情を爆発させたアスカに雷の精霊達はその力を存分に分け与える。

 

「うらぁあっ!!」

 

 近くの家の壁に激突して貫いていく月詠を放っておいて、真正面からフォンへと突撃するアスカ。

 本来ならば愚行であるはずのその行為は、肉体を活性化させている雷の精霊の力によって限界を遥かに超えて音すらも置き去りにする。

 

「まずっ……!?」

 

 フォンも取るに足らなかった少年が脅威となって迫ることに危機感を募らせ、己が持つ能力である念動力で壁を作りだす。魔力で作った障壁とはまた違う生半可な力では超えられない念動力の壁を、この時のキレたアスカは明確に感じ取った。

 

「邪魔だ!!」

「ぐぉっ!?」

 

 動作の大きい雷華豪殺拳を普通の拳撃と同じモーションで繰り出したアスカは、念動力の壁を真正面から粉砕してフォンが纏う鎧を殴打する。

 魔法的効果の高い鎧を一方的に粉砕して膝をつかせたフォンを一時的に無力化しながら、残る敵へと意識を移そうと体が硬直したその刹那に銃声が轟いた。

 

「がっ!?」

 

 強い力で肩を押されたようにアスカはもんどりうって倒れた。

 倒れ込んだアスカの姿を見据えたナーデは愛銃の銃口を上げる。その目は仕留めた標的を冷たい目で見据えていた。

 唇の端から血を垂らしながら膝を上げたフォンは、憤怒の表情で動けずに呻くアスカを見下ろす。

 

「このガキが…………よくも!」

「ぐっ」

 

 フォンは乱暴に口びりの端から垂れる血を拭い、アスカの頭を踏みしめて地に押し付けている。

 家を何棟も壊した月詠も、多少のダメージは負っているもののしっかりとした足取りで戻って来た。

 

「うふふ、こんな魂が震えるようなプレゼントを貰ったらお返ししないわけにはいきまへんな」

 

 眉間を流れて行く血を人差し指で拭って舐め取った月詠は、本当に楽しそうにフォンに踏みつけられているアスカへと歩み寄って行く。

 

「次の犠牲者は勇敢な少年になりそうだぞ、ご老人」

「ま、待て……」

「話す気になったか?」

 

 蛮行を止める気もないゲイルを大婆が弱々しい語気ながらも静止する。

 アスカはこの島の人間ではない。今回の一件に知人が巻き込まれたから関わっただけの部外者だ。老人の頑固さの所為で死んでいいはずがない。

 それを言えば村人も同じだが、この村の人間は須らく守り人である。幼子も戦えない女であっても変わりない。例え村人全員の命を犠牲にしても大婆は口を開ける気は無かった。アスカだけは例外だったのである。

 その心の内ではアスカを建前として村人を守りたい心が隠されていることに大婆は気が付かない。

 震える手で村から見える大きな山を指差した。

 

「あのナマカ山の…………麓に、大洞窟がある。その奥に」

 

 躊躇いと後悔と安堵という矛盾を抱えて大婆は自らの代で秘密を暴いてしまったことに、失意の淵に落ちて両手で顔を覆った。

 

「よろしい…………フォン、月詠」

「ちっ」

「ええ~、殺っときましょうや」

「下がれ。約束は守らねばならん」

「ぶ~」

 

 ゲイルの命令には絶対服従のフォンは舌打ちしながらも踏みつけていたアスカを解放する。反対に月詠は如何にも不満そうな様子であったが再度の駄目押しに根負けした形で下がる。

 大婆は急いで母子とアスカの下へ向かった。

 踏みつけられた時に傷つけられたのか頭から出血しているアスカの様子を確かめようと腰を屈めた。

 

「確認した。言った場所に祭壇はあるようだ」

 

 足元の影から闇としか表現できないナニカがゲイルに纏わりつき、それがまた影に戻って行くとゲイルは始めて表情を変えた。

 その表情を表現するなら『愉悦』であろうか。

 

「その者達は好きにするがいい。道連れは多ければ多いほど良かろう」

 

 エミリアが囚われたままだが、それ以前に捕まっていたナナリーとアーニャも村人達の近くに放置されている。ゲイル一行と村人とアスカ達は綺麗に分断された形になっていた。

 

「これは細やかばかりの礼である。全員で黄泉路へと旅立つと良い…………フォン」

「はい!」

 

 唇を歪めて愉悦を現すゲイルの命令にフォンは嬉々として従う。

 念動力を全開にして天頂から地面へと叩きつける。例えその間に村人達がいようとも関係なく。

 

「さらば、我が望みの為に死した者達よ。君達の尊い犠牲は未来永劫、忘れはしない」

 

 砂煙が巻き起こり、視界が判然としないがゲイルの周囲はまるで砂煙すら彼を厭うように近づかなかった。

 

「ん?」

 

 地響きが辺りを震わせる中で、フォンは変な手応えに首を捻ったが直ぐに気の所為だと忘れることにした。

 人の命を屁とも思わないゲイルと、行ったフォンを見たフェイトは人形のようだと良く揶揄される顔を忌々しい物を見るように歪めていた。

 

「君のやり方は気に入らないよ、ゲイル」

 

 元より向かってくる敵以外の命を奪うことには賛成していないフェイトは、こうやって静かな島で穏やかに暮らす人々を無差別殺すことを良しとはしない。

 ぽつりと零したフェイトをゲイルは身長差の関係から見下ろす。

 

「ならば何故止めなかった」

 

 眠らせたエミリアをフォンが奪い取られながらもフェイトは静かに予感する。

 

「貰った金額分の働きはするさ。その子を祭壇へ連れていくまでは協力する………………だけど、その後は抜けさせてもらう。そういう契約だっただろう?」

「良かろう。好きにするがいい」

 

 生まれて十数年しか経っていないフェイトは、この目の前の男は生かしておいてはいけないとハッキリと感じ取った。

 所属する組織から主の情報を知るゲイルの抹殺命令が出ていて、この仕事に同行していたのもその一環であったが、フェイトは始めて人に殺意を覚えた。

 

(ゲイル、僕は僕の勝手な理由で君を殺す)

 

 殺意が籠ったフェイトの視線を受けてもゲイルは愉悦を深くするのみであった。

 大婆が示した場所に向かうために踵を返した一行に続こうとしたフェイトは、もう一度砂煙が晴れていないアスカ達がいた場所に目を向けた。

 

「アスカといったか。恐らく君も来るだろうね」

 

 フェイトはフォンの念動力に押し潰されたはずのアスカが再び向かってくると確信している。

 ゲイル達は見逃したようだが、村人達が念動力に押し潰される前に飛びこんできた人影を見ていた。

 角度的に村人達が邪魔になってゲイル達からの位置では飛びこんできた人影は見えなかったようだが、少し離れた場所にいたフェイトにはばっちりと見えていた。だが、敢えて言わない。

 

「来るといい。このまま終わっては僕もつまらない」

 

 人形たる身にありえない感情が生まれたことすらも自覚せず、フェイトはゲイル達の後を追って歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハワイから遠く離れた日本の地。

 麻帆良学園理事長にして関東魔法協会の理事も務める近衛近右衛門は、数年振りとなる苦境を迎えていた。

 

『超を通して茶々丸から連絡が入った。状況が動き、戦いが起こるだろう。猶予はもうないぞ』

 

 エヴァンジェリンからそんな連絡が入ったのはもう何時間前だったか。

 

「だからのぅ、幾ら儂だって無い袖は振れんよ」

『私がやれと言っているのだ。犬の如く喜び勇んでやってみせろ』

「老骨に優しくない奴じゃ」

 

 何時もの学園長室の座り心地だけは良い椅子に深く腰掛けつつ、ハワイから国際電話をかけてきているエヴァンジェリンの相変わらずの横暴さに苦笑を漏らした。

 それだけアスカ達を大切に思っているのだろうと、今年に入ってからのエヴァンジェリンの変容に微笑ましさを抱く。

 

『私よりも若いやつが何を言っている』

「エヴァと比べれば誰もが若いだろうに。自分の年を考えい」

『知るか』

 

 エヴァンジェリンにも分からないことではないだろうが、焦りが無駄な指摘を生んでいるのだろうかと学園長は益体もつかないことを考える。

 

「早く後進に託して隠居生活を送りたいもんじゃわい。老人虐待じゃぞ、この扱いは」

『貴様の都合など知ったことか』

 

 目元に重く圧し掛かる疲れに、本当にもう自分は若くないのだと年を実感する。

 学園長が冗談交じりとはいえ愚痴を言える相手はかなり少ない。

 学園都市トップの表の立場と協会理事という裏の立場。人に羨まれる立場ではあるが同時に妬まれることも多々あるので、本音を言える相手や心の裡を明かせる相手は貴重なのである。

 年が上で立場に縛られないエヴァンジェリンのような者は本当に少ない。

 

「ギアスを変更するのは大変なんじゃぞ。併せてお主の魔力封印も解かねばならぬのだからどうしても時間がかかる。それは分かっていよう?」

『だからこそ、こうやって催促してるのだろうが。つべこべ言わずに手と頭を動かせ』

「やりがいのない奴じゃのう」 

 

 見知った仲の気安さであっても寝る間も惜しんで作業を続けている学園長に向けられたのは言動による作業の強制である。気遣いの欠片も無いエヴァンジェリンに疲れもあってやる気メーターがガリガリと削られていく学園長だった。

 

「なんとか不眠不休で予定よりも5、6時間分は省略してるんじゃぞ。もう少し労わってとくれ」

『爺の弱音など聞く気は無い』

 

 自己強制証文(セルフギアス・スクロール)―――――権謀術数の入り乱れる魔法社会において、決して違約しようのない取り決めを結ぶ時にのみ用いられる、もっとも容赦ない呪術契約の一つである。

 自らの血と魔力を用いて術者本人にかけられる強制(ギアス)の呪いは、原理上、如何なる手段を用いても解除不可能な効力を持つ。最上級のものともなれば決して後戻りの効かない危険な術だ。この証文を差し出した上での交渉は、差し出した者にとっては事実上、最大限の譲歩を意味する。悪魔と召喚者も同じで、交わされた強制(ギアス)は解除不可能な呪いによって術者の自由意志の一部を放棄することを既に決定付けられている。

 その強制(ギアス)を掛けた術者である学園長自身であっても改変するのは容易ではない。

 交わされた契約はエヴァンジェリンと関東魔法協会の間である。今回のエヴァンジェリンの封印解放は学園長の独断で行われるので、契約精霊に悟れない様に慎重に慎重を重ねなければならない。

 超高位魔法使いである学園長であっても容易なことではない。神経を摩耗させ、疲労が積み重なっていた。

 

『時間が無いのはこっちも同じだ。神楽坂明日菜や宮崎のどかまでいなくなってるし、アイツらは退かずに勝手に戦おうとしてるし、爺は作業が遅いし、なにをやっているのだ貴様らは』

「十把一絡げは酷くないかの。儂、頑張ってるのに」

『いいからさっとやれ。いいな』

 

 言いたいことだけ言ってガチャンと電話は切られた。

 ツーツー、と不通音を鳴らす受話器を顔の前で見下ろした学園長は、管理職の世知辛さを双肩に深々と背負いながら深く重い溜息を漏らす。

 肉体と精神のダブル疲労でダンベルのように重く感じる受話器を戻してまた作業に戻る。

 

「急がなければならないのは分かってるんじゃが」

 

 結んだギアスは途中で変更や解除を受け入れるようなシステムになっていない。

 関東魔法協会は国外のハワイの問題に首を突っ込むアスカに良い顔をしていない。はっきり言うと迷惑がっているとすら言ってもいい。

 関東魔法協会としての立場は不干渉。学園長もそれが正しいと思う。

 余所は余所、うちはうちと言うが、余所様の問題に手を出すのはこの業界では御法度なのだ。アスカのように余所に首を出すのは好かれない。

 学園長に出来るのは自分が動かせる戦力――――魔法世界にいる高畑と封印状態にあるエヴァンジェリンを送り出すことだった、

 かなり高畑に無理をして魔法世界から戻って来てもらい、現地に向かってもらったが間に合うかは微妙。エヴァンジェリンは学園長の働き次第である。

 

「もう少しなんじゃが、後数時間はかかるぞい」

 

 それもかなり頑張って死に物狂いになってである。アスカ達が死線を彷徨う戦いをすると知っていても物理的な時間を短縮できるほど、結んだギアスは生易しいものではない。

 闇の福音が麻帆良学園都市を出て悪事を働かない様に用意されたギアスは超高位魔法使いである学園長を以てしても与しにくい。

 立ち塞がる壁の高さに責任感の強い学園長は疲労から眩暈すら覚えた。

 

「お疲れのご様子で。私がお手伝いしましょうか?」

 

 先程まで学園長しかいなかった学園長室に白いローブの男―――――とある理由で図書館島の地下で静養している「紅き翼」の一員、アルビレオ・イマが姿を現れ、何時もの通り本音や本心をまるで見せない信用しにくい笑顔を浮かべていた。

 

「珍しいのぅ。お主が地下から出てくるとは」

「友人の息子が窮地に陥っていると聞いてジッとしてはいられませんよ」

 

 アスカとネギの父、ナギ・スプリングフィールドがリーダーの「紅き翼(アラルブラ)」の一員であり、両世界において間違いなく最強クラスの存在。

 「紅き翼」で生存が確認されている人間は存外に少ない。

 ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグは死亡。ナギ・スプリングフィールドは行方不明だが公的には死亡とされている。

 フィリウス・ゼクトは大戦時に亡くなったと言われている。ジャック・ラカンは生きていることは目撃情報から確かだが所在ははっきりとしない。

 生存と居場所が確認されているのは関西呪術協会の長をしている近衛詠春、麻帆良に所属しているタカミチ・T・高畑の二人しかいない。メガロメセンブリアの元老院議員の一人で、オスティア総督のクルト・ゲーデルは敢えて除外しておく。

 大半が死亡、もしくは行方不明という中で同じく生死不明だったアルビレオ・イマの存在。果たしてそれが意味するものとは一体。

 

「お主が手伝ってくれるなら百人力じゃ。直ぐに取り掛かろうぞ」

「ええ」

 

 戦いの地、ハワイから遠く離れた極東の地でも別の戦いが繰り広げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、使えない奴め」

 

 麻帆良の学園長に国際電話をかけていた携帯電話を放り投げたエヴァンジェリン・A・K・マグタウェルは、真っ平らな胸の下で腕を組みながら不機嫌そうに吐き捨てた。

 エヴァンジェリンが投げ捨てた携帯電話を危なげに受け取った天ヶ崎千草は生徒の尊大な態度に眼鏡の奥の目を細めた。

 

「他人の目があるところで女の子が足を組むんやない。スカートが捲り上がって下着が見えとるで」

「見たければ勝手に見ろ。私は気にしない」

 

 当面は現状維持が継続されてしまうことが確定してしまって不機嫌なお姫様は、足を組んだことでスカートが捲り上がって黒いアダルティーなパンツが見えても気にする気はないようだ。

 いくら二人がいる場所が他人の目が付き難いホテルの自室だとしても、年頃の少女が異性に下着を見られるような恰好をするべきではない。六百歳も生きているエヴァンジェリンを年頃の少女という扱いにするのは疑問だが、見た目は十歳頃の少女にしか見えないのだから千草の指摘は間違ってはいない。

 何時もならば従者である絡繰茶々丸が言われなくても自然と主のスカートを直したりするのだが、今は別件で離れているのでエヴァンジェリンのスカートは捲れ上がったままである。

 

「あんさん、実は絡繰がおらんと生活不適合者なんちゃうか」

 

 携帯をスーツの胸ポケットに直しながら仕方なく立ち上がった千草がエヴァンジェリンの捲れ上がっているスカートを直す。

 身の回りのことは茶々丸がやってくれているので反論のしようがないエヴァンジェリンは、口をへの字にして無言を貫いた。

 茶々丸は機械である。携帯だって碌に使えないエヴァンジェリンは従者でありながら茶々丸が壊れれば直すには他人に頼るしかない。好きに行動させていたら家事を覚え、世話を焼くようになってしまったのはエヴァンジェリンが無精だからか。

 

「図星かいな」

「何とでも言え。私のことはいい。それよりも超鈴音のことはどうなんだ? 奴が神楽坂明日菜や宮崎のどかを唆したのだろう」

「ネカネが聞きに言っとる。こういうのはあっちの方が向いとるからな」

「呼びました?」

 

 分が悪いこともあって話を変えた矢先に当のネカネの登場である。

 魔力が封じられていようが感覚器官は衰えていないエヴァンジェリン。単純に視界の先でドアが開いて来るのが見えた千草はネカネの登場に驚くことはなかった。

 驚く姿が見たかったわけではないが大した反応を見せてくれない二人に内心で残念がっているネカネが対角線上の椅子に座る。

 

「超から話は聞けたのか?」

 

 エヴァンジェリンは聞く前から懐疑的だった。

 

「一応は」

「含むがあるな。煙にでも巻かれたか」

「そうなんか?」

 

 千草が聞くとネカネは曖昧に笑った。苦笑したのかもしれない。

 偶に身内に対してエキセントリックになる以外は楚々とした天然キャラ系美人のネカネにしては珍しい表情であった。

 

「話を聞けば一応の納得は出来るんですけど、ちょっと荒唐無稽で」

 

 人差し指を立てて頬に当てて悩むネカネの姿は可愛く見える。二十歳を過ぎたか過ぎないかぐらいなのにあざとい仕草が似合う女である。

 何時だったか女三人で昼食を食べていた時にネカネが席を外している間に言ったアーニャの言葉を思い出す。

 

『見た目に騙されて言い寄って来る男もいたけど、ネカネ姉さんって天然だから気づかないのよね。しかも年々、叔母さんそっくりなっていくし。私は十年後も今と大して変わらないんじゃないかって不安になる時があるわ。叔母さんも大概見た目と実年齢が合わない人だったから』

 

 二十歳を超えてから十代とは違うのだと年を実感し始めた千草は目の前の天然娘の将来が心配になった旨を話すと、アーニャは実感を込めて頷いたのである。

 

『いざとなったらアスカが嫁に貰うだろうから心配なんていらないわよ』

 

 従姉弟なのにいいかと聞いても、アーニャは小揺るぎしなかった。

 

『強烈なシスコンとブラコンだから大丈夫でしょ。ネギもその気配はあるけど、ネカネ姉さんの天然を受け止めきれないし』

 

 チョーク投げやらフォーク投げを思い出した千草は考えることを止めた。考えると大参事になりそうだったから。

 意識を現実に戻すとネカネの話を聞いていたエヴァンジェリンが驚愕も露わにしていた。

 

「アスカ達が向かった島には神が張った侵入者を阻む結界があって、神楽坂明日菜にはその結界を無効化することが出来る魔法無効化能力保持者だと? 本気で言っているのかそれは」

「私も同じことを思ったけど超さんの目は嘘を言ってなかったわ」

「簡単に信じられるか、そんな与太話を」

 

 嘘と断定は出来ないと言うネカネに対してエヴァンジェリンは足を組み直した。

 

「不老不死や死者を生き返らせるほどの水がある場所だ。侵入者を阻む結界があるのは納得できる。結界を張ったのが神だというのも信憑性はともかく可能性の一つとして認めてやらんでもない」 

 

 今よりもまだ神秘の色が濃かった時代に生まれたエヴァンジェリンは、実際にその眼で神を見たことはないが痕跡があるので存在を否定しなかった。なにより現実に魔界があって悪魔がいるぐらいなのだから神や天使がいてもおかしくない。

 

「だが、あの神楽坂明日菜が魔法世界でもその存在が数例しか確認されていない魔法無効化能力保持者だと? 法螺を吹くのも大概にしろ」

「ネカネに言うてもしゃあないやろ」

「なら超に直接言ってやる」

 

 言ってエヴァンジェリンは立ち上がった。

 有言実行。超に直接言う気なのだろう。

 

「どうしますか?」

「ん~、タイミング良くこのオアフ島にテロ予告まであったしな。あの子やったら何か知っているかもしれんし、聞くべきなんやろうけど」

 

 ドシドシと足音を立てて部屋を出て行ったエヴァンジェリンの背中を見送り、千草は追いかけるべきか悩むのだった。

 

 

 

 

 

 

 テロ予告があったので予定が変更になって缶詰めにされていることを良いことにホテル中で遊び回っているクラスメイト達とは違って、超達の部屋は至って静かだった。

 超が班長を務める部屋にいるのは三人のみ。班長の超と相棒の葉加瀬、そして出て行ったネカネと入れ替わりで同室の真名と楓の姿がないのでやってきた古菲である。

 

「超さん」

「どうしたヨ、葉加瀬」

 

 手元のPDAを見下ろしていた超は対面のベッドに腰を下ろした葉加瀬の呼びかけに顔を上げた。

 

「あれで良かったんですか? エヴァンジェリンさんが聞いたら納得しないと思いますけど」

「嘘はついてないヨ」

「どうやってそんなことを知ったんだって聞かれるんじゃ」

 

 先程までいたネカネとの会話を近くで聞いていた葉加瀬は心配するが超は緩やかに笑うのみである。

 

「納得はしないだろウ。というかあれで納得する者がいたらよほどの馬鹿ヨ」

「案外アスカさんは納得しそうですよ。『お前がそう言うなら信じる』って」

「フフ、かもしれないネ」

 

 これから乗り込んでくるかもしれないエヴァンジェリンを和やかな空気で待ちつつ、部屋の隅っこで暇だからと腕立てをしていた古菲は輪に入らず、一人考え込んでいた。最初、ロボット関係の話をして古菲に話を聞く気を失くさせている辺り超は外道かもしれない。

 

(アスカは強かったアル)

 

 昨夜の戦いを思い出し、火照る体を持て余すかのように腕立てを繰り返す。

 僅かな期間で自分の技をも取り込んで強くなっていくアスカとの次の対戦に胸を躍らせる。

 麻帆良に来て以来、彼女を満足させる輩はいなかった。確かに周りには数人自分より強い奴がいたが、例えば刹那は剣士、真名はガンナー、楓は忍者とタイプが違う。

 アスカは真っ向から戦ってくれた。四月に来た小太郎も真っ向から戦うタイプだが女は殴らないと明言しているので対象外。

 古菲には自ら課した掟がある。格闘家として、武道の名門古家の跡取りとして自分より強い者を婿とし、負けを認めた者にのみ唇を許すと。

 古菲とて勉学はともかく武道においては馬鹿ではない。アスカとの力の差は歴然。楓といった他人も一緒に戦ったことで言い訳が出来るが、正真正銘の敗北。もはや言い訳の余地はない。

 強さに関しては申し分ないが年齢がネックになっている。しかし、その成長性は底すら見えず、中国武術を瞬く間に取り込んでいく才は古菲から見ても天井知らず。更に子供らしくヒョロヒョロに見えて攻撃を打ち込んだ体は思ったよりもガッシリしていた。

 

(あれ? 年齢以外は問題ないアルか?)

 

 突き当たった事実に一人で紅くなった頬を押さえて悶え出した。

 強いからといって好ましくは思っていても、決してアスカに惚れたわけではないと断言できる。

 古菲の家は武道の名門で幼いころから武術を嗜んできた。

 名門ともなれば相手が選り取りみどりというわけにはいかない。本人が自ら課した「自分より強い者を婿とし、負けを認めた者にのみ唇を許す」というように、場合によっては自分よりも強いが嫌いな相手、という可能性もある。

 今はアスカに対して恋愛感情に至っていないだけでこれからもそうならないとは限らない。簡潔に言ってしまえばアスカを『婿候補』として古菲の頭の中にインプットされてしまったのである。

 

「あうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

 

 腕立ての体勢から床の上を転がって一人で悶える古菲に葉加瀬が声をかけようとした瞬間だった。

 

「超!」

 

 ドアを蹴破るような勢いで部屋に入って来たエヴァンジェリンは勝手知ったる我が家のような図々しさで乗り込み、超と葉加瀬が座っている椅子まで足音を立てて近づいた。

 近くで足を止めた女王様は超を見下ろして腰に手を当てて見下ろす。身長差が三十㎝もあるので超が座ってもいないとエヴァンジェリンは見下ろせなかったりする。その見下ろすにしても超が座っている椅子が高めなので殆ど目線に差がなかったりするが。

 怒気を滲ませるエヴァンジェリンを相手に、自慢にもならないが人の機微には鈍感だと自負している葉加瀬や、古菲すら気圧される。

 

「やあ、エヴァンジェリン。何用カ?」

 

 しかし、その中にあっても超は悠然とエヴァンジェリンに問うた。訪室した理由も怒気を露わにしている理由も分かっているにも関わらずだ。

 

「分かっているくせに聞くとは馬鹿の真似事か、超、貴様らしくもない」

「何も言わずに気持ちを察してもらおうというのは傲慢ヨ。例えどれだけ察しのつく男であっても、ネ」

「貴様……っ」

「思い当りがあるのなら改めるべきネ。言葉とは相手がいてこそ伝えられるものなのだかラ」

 

 ナギのことか、それともアスカのことか。誰かを明言はしていないが揶揄されていると感じたエヴァンジェリンから殺気が漏れ出すが、続く超のどこか哀しみを滲ませた言葉に怒りを抑えた。

 

「貴様にもどうしようもない別れがあったのか?」

 

 気がつけばエヴァンジェリンは不覚とも取れる疑問を口にしていた。

 葉加瀬と古菲も気になったのだろう。二人は超に視線を集中させた。

 

「あったヨ。だからこそ、私はここにいル。もう一度出会うために」

 

 誰に、とは三人も尋ねなかった。

 エヴァンジェリンにとっては気にはなりはしても身内でない相手に根掘り葉掘り聞く気は無かった。超に最も身近な葉加瀬が知っているのか知らないかは、顔を見なかったのでエヴァンジェリンには分からなかった。

 

「まあ、いい。単刀直入に聞く…………貴様は一体なにを知っている?」

 

 エヴァンジェリンが言葉通りに納得したのかは余人には分からない。それよりも超がネカネに言ったことが事実かどうかを重視しているようで、嘘は許さないとばかりに睨み付ける。

 

「私は知ていることしか知らないヨ、と言ても納得はしてくれないだろうナ」

「当然だ。戯言をほざく前に答えろ」

 

 封印されていようとも超高位魔法使いの名に恥じない威圧感であった。直接向けられたわけではない葉加瀬や古菲ですら体を震わせ唇を引き攣らせていた。

 にも関わらず、平静そのものの超は何時ものようにおどけるように笑っていた。

 

「未来を知ている」

「ほざくな、と私は言ったぞ」

「嘘つきの自覚はあるがこれは嘘ではないヨ。茶々丸に会ったら聞いてみるといいネ。私の言ったことが事実かどうカ」

 

 こいつ、とエヴァンジェリンは始めて超の本当の姿を見たかのように目を瞠った。

 見知った誰かに似ている強い瞳の輝きに気圧されかけたエヴァンジェリンは、吸血鬼状態ではないので尖っていない歯を噛み締めて座ったままの超を見下ろし続ける。

 

「信じることは出来んな。お前達が茶々丸を作ったのだ。何らかの方法で茶々丸が見知ったことを知る方法がないとは言い切れん。ハイテクに疎い私では見破れんのだからな」

「茶々丸のことは否定はしないヨ。事実、そういう機能はあるネ。では、そうだナ」

 

 疑うべき理由があるからこそ信じることが出来ないと言うエヴァンジェリンに、超は手近に置いてあった鞄に手を伸ばして一つの小瓶を取り出した。

 

「なんだそれは」

「貴女が今最も欲しいと願う力を一時的にでも取り戻せる薬、とでも言えば分かてくれるかナ」

 

 ピクリ、とエヴァンジェリンは超が持つ薬を見て反応した。

 反応してしまったエヴァンジェリンを見て超は更なる笑みを浮かべ、悪魔が無知な人間に取引を持ち掛けるように小瓶を掲げる。

 

「テロ予告まで偽装したのは皆が帰ってくると信じてのことネ。だが、このまま待ていては間に合わなくなル。敵はそれほどに強大ヨ」

 

 過去も未来も見通す目で超はエヴァンジェリンではな場所を見ながら立ち上がり、ゆっくりと小瓶を差し出す。

 

「信じる信じないは貴女の自由ヨ。選ぶネ。私の手を取るカ、取らないカ」

 

 手を取るか、取らないか。その選択を前にして、エヴァンジェリンは決断を求められる。

 

「決まっている」

 

 エヴァンジェリンの手は動いた。

 

 

 

 

 




島には島外の人間が入れない結界有り。アスカ達が入れたのは血族であるエミリアがいたから(隠れていたゲイル達も同じ)
さあ、どうやってエヴァンジェリン達は島に入れるのか。

1.結界を力尽くで破る
2.結界が破れるのを待つ
3.結界を魔法で解く

A.正解はこの中にありません

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