魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第21話 代価の天秤

 

 フォン・ブラウンの最も古い記憶は業火の中に一人で佇んでいるものだった。

 

『父さん!』

 

 業火に包まれているのは村か町か街か。フォンの記憶の中ではそこそこ大きな場所だったと覚えているが、何分子供目線の記憶なので当てになるかどうか疑わしい。仮にフォンが暮らしていたのが町と仮定すると業火に包まれているのは何故か。

 この頃の記憶の殆どが残っていないフォンには皆目見当もつかない。大人になった今ならば調べることも出来たがしなかった。フォンには意味のないことだったからだ。

 

『父さん! 父さん!!』

 

 思い出せるのは業火に包まれる町。そしてその只中で唯一の肉親を呼ぶ自分。空に走る稲妻、振り降りてくる大剣、突如として割れた雲、圧殺された山、と奇妙なことはいくらでもあったはずなのに、フォンが覚えているのはそんな小さなものだけだった。

 

『生き残りか』

 

 怯え、泣いていたフォンの前に現れたのは一人の男。業火の中で尚も絢爛と輝く紅き瞳を持つゲイル・キングスとの出会いがフォンの運命を変えた。

 

『少年、死にたくなければ私と共に来るがいい』

 

 不思議な親近感に突き動かされ、フォンは先に歩き出したゲイルの後を追ったのである。

 それがフォンの最大の過ちだったと気づくのは、二十年も経ってからになる。

 

 

 

 

 

 時は流れ、ハワイの地でオッケンワインの家を襲撃したその夜。誘拐してきたナナリー・ミルケインを他の仲間に任せて再びオッケンワイン家に戻り、島への偽りの手掛かりを残してきたその帰り道で、二十年の時を経て大きく成長したフォンは自分よりも背が低くなったゲイルを見下ろした。

 

「ナーデレフ・アシュラフは裏切る」

 

 弾丸の女、ナーデレフ・アシュラフ。仲間ではあるが腹に一物を抱えているのは他の者も同じ。だが、ゲイルは不思議な確信と共に言い切った。フォンはゲイルの言葉を疑わない。

 

「奴は非情になろうとしてなりきれない甘い女だ。遅かれ早かれ必ず我らを裏切る」

 

 気持ちの上では見上げているつもりの気持ちのフォンは、ゲイルの言葉を一言一句も聞き逃さぬように耳を澄ませた。

 

「裏切る前に殺しますか?」

「あの戦闘力は魅力的だ。それに下手に反抗されては痛手を被る。今はまだ様子を見るとしよう」

 

 今までそうやってきたから、フォンはゲイルの言葉に意を挟まない。視線の先で闇の中でも煌々と光る紅い眼を持つゲイルに内心で陶酔しながら、続く言葉を待つ。

 

「だが、肝心な時に裏切られては困るのもまた事実。機を見なければならない。しかし、奴は私達を、特に私を警戒している。相当の修羅場を潜っている女だ。そう簡単に隙は晒さんだろう」

「なら、俺が」

「任せる」

 

 二十年の時を共に過ごしたフォンがゲイルに向ける気持ちは、時に神であり、時に父であり、時に盟友であり、時に上司である。どれにせよ敬愛と信仰が入り混じった酷く複雑な感情であった。

 絶対の信頼こそが命取りになると知らぬまま、フォンにゲイルを疑う気持ちは微塵もない。

 

「フォンとの付き合いも、もう二十年になるか」

 

 ふと、ゲイルは今まさに思いついたように言った。

 

「はい。あなたに拾われてからそんなになりますか…………懐かしいものです」

「ふ、あの小さな子供が私が見上げるまでに成長したのだ。月日が経つのは早い。力で私を超えるのも近いか」

「似合わないことを仰らないで下さい。俺などまだまだです」

 

 フォンには母親がいなかった。父親は屈強な戦士で男手一つで育ててくれた。二十年前の魔法世界は戦争の最中だったので、片親などさして珍しい事ではなかった。

 孤児などいくらでもいたし、片親とはいえ親と家があったフォンは当時の時代を考えれば恵まれた方だったのだろう。その父とも二十年前に別れたきりである。流石のフォンも肉親のことだけは気になって調べたことがあるが、二十年前のあの時に行方不明、死体が見つかっていないだけで事実上は死亡扱いになっているようだった。

 もしかしたらフォンは記憶に薄らとある父の面影をゲイルに重ねているのかもしれない。

 

「私も年を取った。このままでは現役でいられる時間もそう長くはないだろう」

 

 精神面は歳を重ねるほどに円熟している。だが、肉体だけはそうはいかなかった。月日が経つほどに肉体は衰えていく。ゲイルに始めて会った時は二十代後半の父と同じ頃の年代で、衰えるには早いかもしれないが魔眼がなんらかの影響を肉体に与えているのかもしれないとフォンは考えていた。

 

「その為のカネの水です。不老不死となればゲイル・キングスは何時までも不滅となります」

 

 ゲイルが衰えを見せ始めたのはここ数年だった。フォンにはそれがどうしても我慢できなかった。神の衰えを許容できるはずがない。

 

「そうだったな。頼りになるのはお前だけだ、フォン」

 

 ゲイルは口元を笑みの形にしてフォンを見る。

 ドクン、とフォンは紅い眼で見られて心臓を大きく跳ねさせた。多くの者がゲイルの魔眼に魅入られると恐怖を感じるようだが、フォンだけは不思議な落ち着きと高揚を覚える。それこそがゲイルに対する自身の気持ちの現れと信頼の証なのだとフォンは何時も誇りに感じる。

 

「本当に、頼りにしている」

 

 ニヤリ、と嗤ったゲイルの笑みに気づかぬままフォンは哀れにも人形のように踊り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フォン・ブラウンに何度目かの突撃を仕掛けた長瀬楓は、無形の壁によって弾き飛ばされながら敵の強さを垣間見、その身で体感していた。

 

「流石に強いでござるな……っ!」

 

 木の幹に足を付けて弾き飛ばされた衝撃を殺した楓は、即座にその幹から跳躍して離脱する。直後、楓が足をつけた木は幹から寸断される。形がなく色もない刃によって切り裂かれた木の上半分が地に落ちて大きな音を立てた。轟音を気にすることも無く、楓は木の間を駆動し続ける。

 一息の間に右の横合いから飛び出して拳を突き出すが、フォンがハルバートをくるりと柄を回したことで穂先とは逆の石突きが急回転してあっさりと腕を弾かれる。

 

「フッ!」

 

 分身の攻撃を弾いたハルバートの急回転を活かして、巧みな捌きで柄を動かして穂先を楓のお腹に当て、鋭い呼気と共に弾き飛ばした。

 

「ッ!?」

 

 分身とはいえこれほど簡単に倒されるとは考えていなかったのか、一瞬だけ本体の動きが鈍る。その出来た時間にフォンは本体へと向き直っている。気配を消そうが、死角から迫ろうが、実力で勝るフォンの感覚から逃れることはできない。後ろから気配を消して接近している本体の楓も見ずに察知していた。

 

「忍!」

 

 フォンが振り返る頃には楓も既に正気に戻っており、右手の指を口の前に立てて何事かを呟いた瞬間、楓の姿は増えて十六人になっていた。

 眼の前に現れた十六人に増えた楓を前にして、フォンはこの身だけではいずれ手数で追い込まれてしまうと即座に結論を出した。0コンマ数秒で対抗策を練り上げる。

 

「纏めて吹き飛べっ!」

 

 柄を両手で強く握り、穂先に念動力を纏わせて横薙ぎに振るう。十六の分身と本体の区別などどうでもいいとばかりに、全てを迎え撃たんと念動力が、振るわれたハルバートの軌道上に広がって行く。

 

「な?! くっ」

 

 分身同様に動揺した本体の楓もまた辛うじて胸の前で腕をクロスして受けるが、耐えられずに自分の分身達と一緒に吹き飛ばされる。

 本体の楓が吹き飛ばされ、分身達が消失する。楓は攻撃を意志を忘れずに手に気弾を生み出してフォンに向かって投げた。

 気弾は弱すぎて避けるにも値しなかったのか、フォンの鎧に当たってカツンと乾いた音を立てる。鉄壁を誇っていたフォンに攻撃を当てられたことに楓は目を瞠る。

 

(もしかして、攻撃と防御の同時にあの不可思議な力を発動することが出来ないのではござらんか)

 

 衝撃は軽かったのだろう。少しフォンがよろめいた程度である。しかし、そこに楓は突破口を見つけた。

 

「大したことないくせに足だけはすばしっこい」

 

 無形の衝撃波を放った張本人であるフォンは、この場に来てから一歩も動いておらず、煩わしげに得物のハルバートを肩に担ぎ直す。

 

「この場所も悪いな。俺には不利だ」

 

 いくら筋骨隆々なフォンでも両手で持って始めて使えるようなハルバートを片手で握りながら、今の一撃で根元から吹き飛ばされた木々を見渡す。

 人の手なんて欠片も入っていない森の中がバトルフィールドなので、強大なハルバートは振るうだけでも木にぶつかる。もう何度も振るっているのでフォンがいる場所から半径十数メートルが伐採されているが、武器に対して不向きなバトルフィールドである。

 

「が、地形が不利なぐらいでお前程度に負ける気はしないがな」

 

 ガチャリ、と纏っている鎧を鳴らし、真っ向勝負を避けて死角から攻撃を仕掛けてくる敵の力量を見抜いて一人ごちる。

 悠々と待ち構えるフォンの姿を、分身達が消失した際に発生した煙に紛れて隠れた木の幹から覗き見た楓は死線の緊張に冷たい汗を額から流す。

 

「話以上、でござる」

 

 止まっていた息を大きく吐き出し、そしてまた息を吸い込む。心臓が大きく高鳴り、耳元で流れる血流の音すら響いているようでひどく落ち着かない。

 

「鉄壁の防御に強力な攻撃。隙がないでござるな」

 

 唯一の救いは戦う楓に竦みや怯えがないことであろうか。突破口もなくはない。

 

「攻撃と防御の隙間。はたさて、どうやって崩すか」

 

 真正面からの特攻は却下。言ってて情けないが楓に敵の防御を突破するほどのパワーはない。攻撃もまた同様だ。丈夫な方ではあるがハルバートと無形の力を耐えられるとは思えない。

 

「探りを入れてみるでござるか」

 

 影分身を四体生み出して四方に散らせ、本体は動くことなく推移を見守る。

 

「来たかっ!」

 

 本体の楓が見守る中で分身四体に前後左右から挟撃を受けるフォンが吠えた。

 フォンがハルバートの穂先を地面に打ち立てると、その衝撃が広がるように無形の球体がフォンの体を包み込んだ。

 

「「「「忍!」」」」

 

 分身達が揃って結界破壊の術を作動させ、掌底を四方から畳み込んで無形の球体を破壊する。

 ガラスが割れるような音が響いて結界が壊れ、結界破壊を行なった掌底とは反対の手を振りかぶった分身達は気を漲らせる。

 

「四つ身分身、朧十字」

 

 本体が技の名前を呟いたが、楓渾身の技が放たれることはなかった。

 

「弱い」

 

 結界を破壊させたのは囮だったのか。分身達を楓にとっては謎の力でその空間で固定して動けなくさせたフォンは、ハルバートを持っていない手の平を握った。すると分身達はまるで空間が握り潰されたかのように潰れた。

 

「凄まじいでござるな。手に負えん。これでは隙間を狙えるかどうか。今度は言葉で揺さぶりをかけてみるでござるか」

 

 その全てを隠れて見ていた楓は、攻撃の重みが本体とほぼ変わらない分身達の総攻撃を受けても小揺るぎもしないフォンに震撼する。攻防の能力のみならず、自分よりも弱い相手に油断もしていないことが特に。

 

「お主には女人に対して手加減をしようという気にならんのでござるか」

 

 特殊な忍術を使い、声を反響させて隠れている場所がばれない様に留意しつつ、言葉による揺さぶりをかける。

 

「手加減など知らん。戦いの場に立てば誰もが平等。女扱いしてほしいなら服脱いでアピールでもしてろ」

「ぬ」

 

 鎧を着てハルバートを持っているので騎士道精神でも持っているのではないかと期待したが、まこと言う通りなので言い返せない楓だった。

 

「戦場で性の差などない。その言葉には大いに賛成でござる」

 

 ならばと矛先を変える。

 

「だが、子供を生贄にするなどと人道に反する。間違っているとは思わないのでござるか」

「思わないな。人道などどうでもいいし、他人の命に興味もない。俺はボスの命令に従うのみ。ボスこそが絶対だ」

 

 揺さぶりをかけた楓の眼下で言い切ったフォンはハルバートを両手に強く握った。

 狂信とでもいうべき信頼に対して言葉での揺さぶりは損にはなれど得にはならないと判断した楓だったが、それでも言わなければならないことがあった。

 

「絶対とは、人が人に向けて良い感情ではござらん。そんなものは決して忠義ではない!」

 

 木の影から手裏剣を投げつける。合計八の手裏剣は、時には正面から、時には孤を描きつつ横から、時には木を迂回しつつ背後からフォンへと迫る。

 

「お前の言葉など知らぬ存ぜぬどうでもいい」

 

 八つの手裏剣はフォンの体に触れることはなかった。体の周囲に展開された念動力によって堰き止められ、見えない蜘蛛の巣に搦め取られたように空中に静止していた。

 更に手裏剣が投擲される。今度は斜め下から、上から、先に倍する十六の手裏剣が飛来する。

 

「ボスは誰よりも正しい。ボスの望みは俺の望み。邪魔をするものは皆、殺す。今まで俺はそうしてきた。そしてこれからもそうするのみ」

 

 しかし、今度もまた止められる。先の八つの手裏剣のように見えない壁に阻まれる様に静止する。

 だが、今度の手裏剣には先程とは違う。手裏剣には糸が付けられていて、その先には爆符と呼ばれる起爆札があった。

 

「お主には出来ないでござる。ここで今までの罪の報いを受けるでござるのだから」

 

 カチリ、と音が鳴った。投げ込まれたのは火種。

 火種はゆっくりと爆符に舞い降り、盛大な爆発を引き起こした。一枚目が起爆し、その爆発に反応して二枚目が、三枚目が…………と、連鎖して一瞬で爆符はその効果を示す。

 フォンのいた場所を起点として十数メートルを呑み込む巨大な爆発。

 

「その爆符は特別製でござる。これならば」

 

 フォンがいた場所を爆心地として濛々たる黒煙は天空高く舞い上がり、島外からでも良く見えることだろう。間一髪で逃げ延びた楓は、爆風によってあちこちを焦げさせながら振り返る。

 

「…………今、なにかしたか?」

「なっ」

 

 平然とした声が響いた直後、黒煙が一瞬で晴れる。風もなく時間を飛ばしたように消えた黒煙が一点に収束していた。

 黒煙が晴れた先、周辺を爆発によって抉り飛ばしながら中心地で平然と立つフォンに傷はない。傷どころか鎧に煤すらついていなかった。

 

「ボスに鍛え上げられたこの力。お前程度の力で突破することは叶わん」

 

 掲げた手の平の上で留めていた黒煙の固まりを楓に向かって投げつける。

 物理法則を無視した不可思議な軌道で楓の下へと飛来した黒煙がその固まりを解いた。念動力によって圧縮された黒煙が解放され、楓を一瞬で包んだ。

 

「煙幕のつもりでござるか!」

「お前の物を返しただけだ。親に言われなかったか。『人の物を盗るな』とな」

 

 瞬く間に周囲に広がる黒煙を厭うように、離脱しようとしたその刹那。横合いからなにが飛んできた。

 

「ごふっ」

 

 楓の脇腹を殴打したそれは太い丸太だった。風切音すらなく飛来した丸太は先の爆符によって出来たものか、フォンが斬りおとしたものか。そんな埒もない思考が痛みに呻く楓の脳内に走り、戦士としての本能がフォンの攻撃がこれだけで終わるはずがないと体を動かさせる。

 

「ほう、今のはよく避けた」

 

 体を捻らせて開いた空間に、先が尖った丸太が通り過ぎて行く。また風切音はしなかった。

 本能に理性が追い付き、動きを止めることへの危機感に急かされて虚空瞬動を繰り返すと、ボッと黒煙を抉って次々と丸太が楓が一瞬前にいた空間を通り過ぎて行く。丸太の飛来はそれだけに留まらない。時に孤を描き、時に間を遮る木を貫き、時に頭上から雨の如く振り降り、時には下から抉るように振り上がり、時には物理法則を無視して横殴りに突進してくる。

 判断が僅かでも遅れれば丸太は楓の肉体を貫くことだろう。自分でも良く避けれていると思うほどに、この時の楓の回避動作は神懸っていた。

 

「いい加減にうっとうしい。これで沈め」

 

 念動力で丸太を投擲することで風切音すら発生させずに攻撃していたフォンは、ハルバートを振り上げ――――緩やかな動作で振り下ろした。

 

「え?」

 

 殺気を感じた。物理的な威圧感とでも言うべきか。

 空が落ちてくる、と考える前に本能で動いていた楓はそう感じ取って空中で動きを止めた。止めてしまった。見上げたところでそこには空があるだけだ。なのに見上げた空が落ちてくるような錯覚は余計に強くなる。

 

「!?」 

 

 突如としてガクンと天井にぶつかってしまったように楓の体は衝撃に揺れた。

 そのまま真下に叩き落とされる―――――のではなく、天井が下に落ちていくようにぶつかった背中側から圧迫感を感じた楓は虚空瞬動で離脱しようとした。だが、抜けられない。一歩で数メートル、二歩で十数メートルと距離を稼いでいるはずなのに背中の圧迫感は消えない。地面への距離が着々と近づいていく。

 三歩、四歩でようやく圧迫感から逃れることに成功する。成功したはずだった。寸でのところで間に合わなかったと見るべきか、足一本を犠牲にすることで離脱したとするべきか。飛んできた木が体に当たる。

 退避に全力を注いでいたのと、圧迫感によって地面が近づいていたことと、木がぶつかったことで着地が上手くいくはずがなかった。勢いのままに地面に倒れ込んで何度も無様に転げ回る。数メートルを転がってようやく止まった楓の全身は土まみれでで、気で全身を覆っていようとカバーしきれなかったことで細かい傷が出来ていた。

 切れた額から流れた血が眉間を流れて行く。

 

「なんと……」

 

 楓は絶句した。全身の痛みすらも感じぬほどに見えた光景に驚愕していた。

 地面から首だけを起こしただけの楓と、戦い始めてから一歩も動いていないフォンとの距離は二十メートル以上はある。互いの間にはなにもなかった。二人が戦っていたのは森の中である。断じて更地ではなかった。にも拘らず、フォンを中心にして放射状に広がった念動力によって地面に深く根ざしていた木を根こそぎ吹き飛ばしたのだ。

 敵を前にして何時までも地に伏せてはいられない。

 

「がっ、ぁ……」

 

 体を起こそうとした楓は全身に痛みが走って呻く。木が当たった衝撃でどこかの骨が折れたか、罅が入ったのか。痛みは確実に楓の集中を乱すだけの威力を持っていた。

 痛みによって唯一上回っていた機動力を奪われた楓が絶望する中で、当のフォンは戦闘が始まった開始位置から一歩も動いていない。一歩、たった一歩すら動かすことが出来ない実力差。

 

「弱い。弱すぎる。この程度で俺と戦うなど片腹痛いわ。そのくせ無駄に時間だけをかけさせる」

 

 手応えがなさすぎて苛立っているように、下ろしていたハルバートを肩に担ぎ直したフォンは、なんとか立ち上がろうとしている楓を傲然と見下した。

 これは勝てそうにない、と楓は全身に走る痛みに死への覚悟を定めた。本気にすらさせることが出来ない確たる実力差を前にして出来ることなど、惨めな足掻きだけかもしれない。

 

「仲間達が今も戦っている。弱かろうが拙者も簡単にはやられるわけにはいかんのでござる。付き合ってもらうでござるよ。拙者の命が尽きるその時まで」

 

 それでも楓は良いのだと立ち上がる。勝てないと分かっていても、死ぬと分かっていても、為すべきことの為に命を賭けられる強さが楓にはあった。

 その強さを他人は羨むだろう。

 その強さを身内は悲しむだろう。

 命を他人の為に投げ出せるのは長所であり短所でもある。救われる他人にとっては救いであり、他人の為に命を捨てる楓を身内は悲しむ。

 

「反吐が出る」

 

 自己犠牲にも似た楓の強がりを気に入らんとフォンが顔を歪ませた。

 怒りにも似た表情でハルバートの柄を握ったフォンの頭は、冷静に戦いだけではない領域にも動いていた。眼の前の楓を殺すことは当然として、遠く離れた場所で静かに戦う真名とナーデの気配を探る。

 

「これを利用できるか?」

 

 小さな声でポツリと呟いたフォンの言葉が微かに聞こえても楓にはなんのことか分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間の決死の行動で大洞窟に飛びこんだネギだが全てが予定通りというわけにはいかなかった。エミリア・オッケンワインの無事を確認次第に先制攻撃を仕掛けるつもりだった。敵を一人一殺する戦術を出したのはネギである。戦力的に油断などすることなど出来なかったし、慢心などしていなかったと断言できる。惜しむらくはネギにゲイルの情報がなかったこと。

 

「体が……動かない……?」

 

 杖に乗って最速で大洞窟深部に到達したネギだったが、エミリアの無事を確認して先制攻撃を仕掛けようとした直後、自身の体が動かないことに気付いた。留まっているのはマズイと力を入れているのに、体はゲイルの血のように不吉な紅い眼に魅入られたように動かなかった。

 

「ぐあっ」

 

 魔力すらも思い通りに操れなくなったネギは杖から転げ落ちて、突進そのままに勢いで地を無様に転がる。何回転も地面を転がって少なくない傷を負いながらも、ネギの目は魅入られたようにゲイルの紅い眼から不自然なほどに逸らせない。

 手足に力を入れるが、一向に動かない。どんなにもがこうとも、身体は動かない。むしろ入れれば入れるほど固まっていく気がする。意識の端で同じように地面に投げされたカモの体が動かないことを感じ取る。どうやら気絶してしまったようだ。

 

「鼠が潜り込んで来るとは、奴らも使えぬものよ」

 

 紅い眼の輝きがネギの視界を覆っていくのと合わせるように、体が麻痺していく。歯を食い縛って、とにかく全身に力を込めても指先はぴくりとも動かない。もはや神経という神経が、がっちりとゲイルの視線に絡め取られている。

 ゲイルは赤く染まる目を輝かせながらゆっくりとネギに歩み寄り、手を伸ばして髪の毛が掴まれる。頭を持ち上げられたと理解したのは、目の前に紅い眼があったから。

 

「賢そうな顔をしている。私の知っている忌まわしい者に似ているが、奴は愚かではあったが貴様のように間抜けではなかった」

 

 その言葉と同時にネギの視界が途切れた。手足の感覚はとうに無く、視覚さえ無くなった。

 気がつけばネギの眼前に広がるのは白と黒の色しかない異様な空間。とてもこの世のモノとは思えない未知なる異界。光も射さない闇の牢獄に閉じ込められ、十字型の石柱に磔にされ、両手足を固定されて身動きが取れない。声も出ない。

 

「貴様の顔が歪むのは心地良い。奴への意趣返しも兼ねて地獄を見せてやろう」

 

 誰もいなかったはずの空間に突如現れたゲイル。しかしそれは一人だけではなく、その周りには数えることすら無駄と言わんばかりに数十人、数百人のありとあらゆる凶器を持った無数のゲイルの姿があった。全てのゲイルがネギに向かって凶器を向け、構える。数百人から凶器を向けられる恐怖は筆舌にし難い。

 

『我が遊戯にて無数の死を経験するといい。怖かろう。恐ろしかろう。これほどの死はまたとないチャンス。存分に楽しむが良い』

 

 ゲイル達が一斉に発声し、語り掛けていく。数百の人間が同時に声を出して、同じ言葉を寸瞬も狂わずに合わせる異様さ。同一人物だとしても聞かされているネギからすれば異様を通り越して異常である。

 そして闇の中で一際ギラリと光る刺殺隊の存在は恐怖を通り越した絶望をネギに齎す。

 異様な光景、異様な事実、異様な世界。なにもかもが異様な空間において正気を保つことは難しい。あの凶器に貫かれる。きっと痛いだろうことは簡単に察しがつき、恐怖から人前でもあられもなく泣き喚きたい。だが、それでもネギは戦うと決めたのだ。

 

「怖くなんてない。恐ろしくなんてない。これはただの幻術だ。ここでの死が現実に影響を及ぼすことは、ない」

「良くぞ吠えた。奴の息子よ」

 

 近くにいた一人のゲイルが凶器を持っていない反対の手でネギの髪を掴み、顔を引き上げた。

 炯々と光る紅い眼がネギを射抜く。

 

「屈伏し、隷属し、平伏せよ。さすればその命、助けてやらんでもない」

 

 高度な幻術は時に現実を侵食する。禁呪書庫に忍び込んだことで見習い魔法使いの領域を遥かに超えた知識を有しているネギにはそれが分かってしまう。しかし、それでも尚とネギは吠えた。

 

「お前に屈服するぐらいなら地獄に堕ちる方がマシだ。どんな痛みでも………………耐え切って見せる!!!!」

 

 拘束された状況で囁かれる解放への甘美な誘惑にも怯むことなく言い切った。ネギの決意に対するゲイルの返答はなく、凶器を持っていない片手を上げてまるでなにかの合図のように下ろすだけ。

 ネギは自らに向かってくる刃を挑むように見つめるだけだった。

 

 

 

 

 

 刺され、穿たれ、抉られ、痛みに喘ぎ、叫び、悶絶した。何度も死んでは元に戻り、また処刑が繰り返される。

 数十まで数えた地獄は百を超えたところで発狂してしまったのか、ネギも数えることを止めてしまった。

 

「……はっ!?」

 

 気がついた時には、体が雑草が生い茂る場所に横たわっていた。

 雑草に身を横たわらせながら見えたのは月だった。澄んだ夜空に青月のかかる、美しい宵である。

 絹雲は月光を受けて青く照り、凪いだ中天に浮いている。静かな月明かりは深緑の根元にも青白い影を落としていた。重なり合う木々の枝葉が、複数の影を落としている。光と影が斑になって、どこまでも続いて世界を覆っているような錯覚を与える。

 

「…………?」

 

 一瞬、ネギは状況が理解できなかったが直ぐに己が現状を把握した。

 辺りを覆い隠すようにして繁っている木々が開けた――――――有り体に言うならば一種の広場のような所にいた。

 深い新緑の葉をつけた枝々が天を覆うようにしているお陰で昼ですら薄暗い周囲と違い、夜空を彩る宝石箱の中身を撒き散らしたような星々や月が煌々と輝く様を充分に見て取れる場所になっている。 地上では周囲を遮るようにしている木々のお蔭か、未だ冷たさを残す風は枝を微かに揺らし、葉を少しばかりざわめかせる程度にしかふいていない。が、高空では話が違うらしい。空の高みで吹き荒ぶ風が、夜空にたゆたう捉えどころのない雲たちを思うままに弄び、千切り、押し流している。そうして風に弄ばれる雲たちが、ときたま天然自然の広場に差し込むささやかな、陽光にはけして持ち得ぬ柔らかみと冷たさを同時に備えた月明かりや星明りに強弱をつけていた。

 

「……フゥ……」

 

 木々に繁る青葉を揺らす季節から考えると聊か冷たすぎる風に、疲労の極地にある身体を一撫でされて、ネギは呻きとも溜息ともつかぬものを口から漏らす。

 じっとしていると倒れそうになるので空を見上げる。どれぐらいの間、空を見ていたのか分からない。

 

「…………?」

 

 ふと、近くで不自然に木の葉が舞い上がった。ある予感を感じてそちらに目を向けると、そこにはさっきまでいなかった、目立つ金髪以外は上から下までの夜の闇に沈みそうな漆黒で統一された服を着た少年―――――アスカ・スプリングフィールドが立っていた。

 

「ネギ」

 

 無表情のままアスカは僅かに腰を落とす。その途端、アスカの全身から、凄まじいまでの量の魔力が右手に向って集中していくのが分かる。

 アスカは鉤爪のように指先を曲げた右手の手首を左手で掴む。

 左手を添えられたアスカの右手が、空気の引き裂ける音を発した。それは、目に見えるまでに高められ、一点に集約された魔力そのものだった。ぼうっと光り始め、さらに小さな稲光のような閃光が、周囲に纏わりつくように広がっていく。

 魔力が、殺気が、アスカから放たれる全てがネギの存在を否定するように発せられる。

 

「アスカ!? 何を!?」

 

 ネギの叫びはアスカには届かない。 

 

「――――オッ!」

 

 臨戦態勢をとるとアスカは少しの間、まるで決意を固めるように目を閉じてまた開く。チリチリと空気の弾ける音を響かせながら紫電の走る右手を構える。

 

「オア――――――アアアアアアアアアッ!」

「――――アスカ!?」

 

 疾走するアスカの口から叫びとなって迸る。後方に引いて構えた右手には、いまやはっきりと輝いて見える高密度の魔力が雷光を発していた。

 ネギの痙攣するような内臓の動悸が、どうしようもない衝動となって肺を震わせる。状況が分からない。どうしてアスカが自分を攻撃してくるのか。それでも即座に取るべき手段を選択する。 

 

「風花・風障壁!!!」

 

 攻撃を阻まんとネギを護るように風の壁が生み出そうとする。しかし、雷属性で肉体の神経系の速度を活性化させて圧倒的なスピードを出すアスカの方が早かった。

 

「邪魔をするな!」

 

 一瞬とも思える時間でネギまでの距離を縮めたアスカは、如何なる刃物より鋭利な刃と化した右手で展開途中の風花・風障壁を貫く。身内が殺しに来る動揺もあって魔力の練りが甘かった風花・風障壁はさしたる抵抗もできず、拍子抜けするほど呆気なく貫かれた。

 一瞬の遅滞だけを押してアスカは最後の一歩を跳んだ。

 

「なっ?!」

 

 早すぎる。身内が自分を殺そうとすることへの動揺、状況が理解できない動揺、アスカの成長に追いつけない動揺。理由は幾らでもあっただろう。魔法学校時代なら確実に留めることが出来たはずの防御だった。

 雷に輝く手が突き出る。正確に心臓を狙って突っ込んで来るアスカの雷によって光る手を、現実感がなくてネギは他人事のように感じて見返すだけで、その時の全てがスローモーションになって見えていた。

 肉に食い込み、骨を切り裂き、そして突き抜ける感触があった。

 

「ガハッ!!」

 

 アスカの右手は正確にネギの心臓を貫き、強すぎる雷属性が心臓周辺の臓器を焼いたのも明確に感じ取った。

 心臓に近かった左肺をも潰し、ネギの口から大量の血が吐き出される。鮮血が飛び散り、ネギから溢れた真紅の液体がアスカの金髪に掛かって斑に染めていく。

 

「死ね」

 

 最初から一貫して変わらない無表情のアスカは双子の兄に致死の一撃を与えたとは思えぬ程に無感動に呟き、右手を抜いて崩れ落ちるネギの体を放り捨てた。

 

「ゲホッ!! ゴホッ!!」

 

 咳き込む音と共に溢れかえる真紅。堰を隠すように口元を抑えるが、それで押さえられるわけでもなく荒い息遣いと、溢れ出る水音。地から見上げたアスカの顔を彩るすべての表情が今まで通り鮮烈な色で飾る。濁った瞳の奥は晴れやかに輝き決して光を失わない。

 ネギの意識はまた途切れた。

 

 

 

 

 

 

 気が付いた時、ネギは大人の男に圧し掛かられて首を絞められていた。

 

「ナギィィィ、貴様がああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 男の目は既に正気を失っており、目の焦点は合ってなく口からは涎が飛び散っている。薬物か何かをやっているのか理由は判らないがどう見ても正気には見えず、その所為でネギをナギと混同してしまっているのか。

 

「がっ……はっ、ぐぇ……っ!」

 

 男は顔を憎しみに染め、ネギは強い力で首を絞められ苦悶の声が零れた。

 

「貴様さえいなければあああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

「っ……あ……あ…………ぁ……」

 

 首を絞められているため呼吸ができず、ネギの意識は徐々に薄れていく。

 

「死ね、死ねええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」

 

 自分自身を完全に意思の力でコントロールできる人間というのは少ない。いっそ、いないと言ってしまった方が現実的だろう。

 自分は他人の言いなりになんかならないと信じている強い意志の持ち主でさえ、何かの切っ掛けで心に隙が生まれ、それまで考えもしなかった異常な行動を取ってしまうことがある。ことに本能、と呼ばれるものは意思でどうにかなるものではない。それが本人の意思に反するものだとしても。

 脳に行き渡るはずの酸素が不足して、ネギの意識は既に殆ど失っているに近い。口の端からは泡が吹き出し始めた。

 生存本能が意志を無視して体を動かす。無意識に右手に風を纏い、更に力を込めるために近づいていた男の首のある場所に意図せず拳を放った。

 

「がはっ………ごほっ、ごほっ……ハッハッ、ハァハァ……」

 

 拳を放った衝撃で男の体が僅かに浮いたことで直ぐに圧し掛かる体の下から抜け出して起き上がり、犬のように舌を出し空気を貪った。下を向いて空気を貪っていると上から何か液体が降りかかるが、視界が回復していないため見えない。やがて、呼吸も安定してきて視界も戻ってきた。

 薄れた意識の中で右手に初めて感じるそれは重く、深く、熱く……いうならば『生命』そのもの触れた手応えだった。どくん、とネギの心臓が軋んだ。気付いてはいけない。それが何か気付いてしまえば―――――――――自分は壊れる。そんな予感がした。

 

「―――――っ!」

 

 クリアになってきた己の手にヌメリを伴った奇妙な感触を感じた。その生暖かい感触にどくん、と更に心臓が軋む。薄れていた意識が正常に戻っていく。僅かな感覚から精神が乱れて思考が途絶する。

 まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか――――――。

 薄れていた意識が完全にはっきりとして、そこで男が何もしてこないのを疑問に思い、さっきので気絶したのかと下げていた視線を上げると眼前の衝撃的な光景を目前して固まった。

 

「――――え?」

 

 それを見た瞬間、ネギの思考回路は信号を失った。頭の中が空白で満たされ、時間が止まり、絶句する。何が起こった、と自問するが、答えは精神を覆う深い霧によって隠され見つからない。

 ネギの視覚器官は間違いなくその光景を捉えていたのだが、精神を司る部分がその答えの算出を拒絶したのである。だが、確かに見た。嘘だと思いたかった。男は気絶なんてしていなかった。男は…………死んでいた。

 眼前の男は地面に膝をつき、腕をだらんと下に垂らして焦点の合わぬ瞳を宙に向けたまま、空を仰いでいた。そこまではいい。だが、首にはバックリと穴が開き、今もそこから血が噴水の如く吹き出している。先程かかった液体は男の血だった。目の前にいたためネギの体に今も降りかかり続け血に塗れていく。

 生存本能が意図せず放った雷を纏った拳が首に当り、そこで爆発したのだ。喉の付近が穴が開きそこから中身も見えている。どう見ても致命傷で流した血は致死量を越えており、既に絶命している。ビクビクと痙攣を繰り返し、首から飛び散って自身にもかかっている血の色彩に、起きた事実を認識してしまった。

 

(死んで、る?)

 

 首の前半分が半ばから千切れ、どんな奇跡が起きようとも目の前の男が既に死んでいることは分かった。

 変えようのない事実を認識した時、足元の全てが崩れ落ちていく様な、今まで忘れていたモノに圧し潰される様な、二度と自身が今まで居た場所に帰れないと思い、まるで自分が潰れながら奈落に落ちていくように感じた。

 常人なら目を背けてしまう死体の有様を見て、ゆっくりと認識してそう思った瞬間、音を立ててネギの感じる世界が壊れていく。

 母なる大地が地震の如く揺れている。その振動は尋常ではなく今にも地面が割れて落ちてしまいそう。悠久なる空に遍く空気が重たい。星の荷重が重く伸し掛かって今にもこの身体は押し潰れてしまいそう。

 世界に垣根なく広がる風が冷たい。熱を失った風に吹かれていると今にも心臓が凍りついてしまいそう。世界は何も変わってはいない。全てネギの錯覚だ。しかし、その押し寄せる錯覚はネギの中では真実のものと成りかけていて、今にも心を打ち砕いてしまいそう。全身に力が入らない。

 既にネギの目に、光は映っていない。ただ、ただ―――――目の前の死体となった男の姿だけが目に入っていた。ネギはそれを認識できない。人を殺したという現実を受け止めきれず、精神は緩やかに崩壊を始めていた。

 最初に鼻についていた血の臭いが消え、僅かに口に入った血の味を感じなくなった。続いて地と接している感覚が消え、風が鳴らす葉の擦れ合う音が聞こえなくなった。

 降りかかった血が頭部から目元を伝って涙のように流れる。

 

「ゴメン、なさい……」

 

 その謝罪は誰に向けてなのか。殺した相手か、未だ見ぬ両親か、それとも自分の身を案じてくれているだろう誰かにか。本人にも分からぬまま、心が砕ける音が聞こえると共に視界が閉じる。

 

 

 

 

 

「…………暗いな」

 

 地下への階段を見つめ、隣のアスカが囁いたのをネギは耳にする。アーニャが何者かに誘拐されたとの報を受け、アスカと二人で誘拐犯の居場所を察知して忍び込んだところである。

 住人は現代的ではないのか屋敷には電球などの照明器具が一切無かった。あるのは壁に立掛けられた蝋燭だけで現代的な物がほとんどない。当然、地下には一筋の光も無い。ここに来るまでに様々な動物が綯い交ぜになった――――ちぐはずなカタチをした生き物が次々と襲い掛かってきた。ネギはアスカと協力して撃退しながらここまで辿り着いた。

 手分けして捜索したが、人の姿はなく、アスカが地下への入り口を見つけた。

 

「行くぞ」

 

 敢えてアスカが言葉を出したことを切っ掛けとして、ネギも遅れて一歩を踏み出して階段を下りていく。こんなところにも分厚いカーペットが敷き詰めてあるので、足元が妙にフワフワとして頼りない。階段を下りているので、まるで果てしない闇の底に落ちていくような錯覚に襲われた。

 階段を下りるまで拍子抜けするほど襲撃などはなく下りきると大きな扉があった。

 

「この奥に……」

 

 ネギの前に立つアスカが扉に手を当てて慎重に力を込めていく。鈍く軋みながらも、扉は徐々に開かれていった。

 照明の炎が扉の隙間に潜り込み、地下室を明るく照らし出す。意外に広く、壁が十数メートルの奥行きがあった。明かりがあるのに、そこだけ暗黒に閉ざされているかのように暗く陰って……それでも、この場所に合う如何にもな白衣を着て背を丸めている老人の姿だけは、切り抜かれたようにハッキリと鮮明に映り出た。

 好々爺な笑みを浮かべている姿からは、孫と一緒にいれば微笑ましい光景に映ったであろう。だが、様々な器具や魔法陣に取り囲まれ、巨大なフラスコが幾つも乱立する暗く狭い場所にいてはそんなイメージを持つことすら出来ない。

 

「おい! アーニャはどこだ!! ここに連れて来られたのは分かっているんだ!」

 

 現実感のない世界でポツンと立っていた老人は、叫びにふと気がついた様子でアスカを見遣って、そして、やや笑顔を顰めつつ首を傾げた。

 

「ん、突然に人の家に入って来て何のことかな?」

 

 まるで身に覚えのない突飛な質問に困惑する老人――――公園とかならまともな反応でも、場所が場所だけに、そんな如何にも真っ当な反応には異常さだけが際立つ。

 大きく一歩、アスカが歩み出る。部屋の不気味さに父から貰った杖を強く抱きしめたネギもまた、老人に近づくために一歩ずつ確実に進む。が、前を進んでいたアスカの歩みが急に止まって、ネギの歩みも直ぐに止められた。

 どうして足を止めたのかと訝しんでアスカの背中から視線を外したネギは息を呑んだ。

 

「うッ!?」

 

 内部を見たネギが思わず呻きを漏らすのは無理もない。誰もが目の前に広がる陰惨な光景に絶句しただろう。

 

「これは、一体?」

 

 ネギよりは落ち着いている様子のアスカが辺りを見渡す。

 部屋の両脇に設けられた檻の中には、白骨化した爬虫類、哺乳類は言うに及ばず、人骨も見てとれる。問題はその横に並べられたガラスケースにあった。大凡、人の原型をとどめていない『何か』がガラスケースの中でホルマリン漬けにされている。単眼のサイクプロス、腕が腹の部分から一本余分についた三本腕のスリー・アームドなどと、まるで子供が書いた下手な怪物の絵を実体化させた様である。

 それらがずらりと視界の果てまで並んでおり、生の宿らない瞳で『彼ら』はこちらを恨めしそうに睨んでいる様にも感じられた。

 

「ここで、一体なにをしていたッ!?」

 

 正視に耐えうる『彼ら』の出迎えは、アスカに少なくない衝撃を与えて叫んだ程である。ネギにも、この光景は我慢ならないものだった。

 

「…………ア……ネ…………カ………ギ……」

 

 聞こえた声に問い詰めようと近づいていたアスカの足がピタリと止まる。声の発信源は老人の後ろ、光に遮られた暗い闇に隠れるようにその存在がそこにいた。かつて自分をそう呼んだ少女の気配と、その存在の気配が重なる。

あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ない。あり得ないそこにいるのはアーニャとは似ても似つかない、赤い体毛を纏った四肢を地面につけて座る大型の獣しかいないのに。

 同じ色の瞳と不思議と適合する部分が多い。首に密集して生える長い鬣があることからライオンに近い印象を強く与える。そこに人であるアーニャと重なる部分など瞳と髪の毛の色しかないのに、何故か獣の姿が重なてしまったネギは絶句した。

 

「ああ、困ったな。流石にコレを見られては言い逃れようも無いか」

 

 ネギの視線が老人の後ろにいる存在に釘付けになる。耳に誇らしげなまでに穏やかな声が届いて斬り捨てたくなった。

 

「凄いだろう? これが私の研究成果である人間と獣の合成――――合成獣(キメラ)だ」

 

 仰げば、そこにはとても楽しげに嬉しげに、ニコニコと笑う老人の異様。まるでちょっとした失敗を照れて恥じるように、老人は顔を赤らめて………あまりにも晴れやかな笑顔を浮かべて言った。

 

「…………アー、ニャ」

 

 紡がれた言葉は、たった一言。護ろうとして護れなかった少女の名前。それだけで老人は全てを察したようだった。

 

「アーニャ? ああ、確か実験体の娘の名か。それを救い出すためにここまで来たと? 残念だが一寸遅かったな」

 

 ネギを嘲るように、老人は唇の端に笑いを刻む。その笑みが、これが単純な狂気ゆえの行為ではなく、明白なる理性と悪意が渦巻いているという事実を表している。ブラックホールを閉じ込めた宝石のように虚ろに輝きを放つ瞳が相手を射抜く。

 

「っ!」

 

 その言葉に、頭を思いっきり殴られたような衝撃が走る。世界が足下から崩れていくような感覚。ついで、噴火のように腹の下から沸きあがってきた怒りにネギは身を震わせる。

 

「いや、そろそろ実験に人間を使おうと思っていたところに、森の中で一人でいるところを見つけた時には運命を感じたよ」

 

 ネギは目の前に立つアスカの体が震えるのを感じ取る。

 

「実験中も助けを求めるように誰かの名前を叫んで喧しかったな。『アスカ』とか『ネギ』とか」

 

 老人は二人の反応を楽しむように、そして嬲るように言葉を続ける。

 

「あの娘は、私の実験体となることで自らの命に価値を与えた。実に良くやってくれたよ。彼女の存在は私の研究の一部となり礎となってくれた」

 

 今まで二人を嬲る以外に何の感情も覗かせなかった老人がかすかに口調を変えた。真摯ともいえる口調が他人からすれば根拠のない理由でも、彼が本気でそう思っていることを窺わせる。

 

「ふ……ふざ、け………るなっ……!」

 

 その言葉を聞き、ネギはアーニャがただ生贄などという下らないものになるために、これまで生きてきたなどと言われたことに人生で最大の怒りを抱いた。

 何故、アーニャがそんな目に遭わなければならなかったのか。こんな男の身勝手な欲望の為に。価値がそれだけしかないのだと語る厚かましさは絶対に許すことはできなかった。

 

「ふん、やはり理解できんか。やはり凡人には私の崇高な研究は理解できないか。私を学会から追放した愚か者達と同じようにな」

 

 怒りを露にするネギに老人はつまらなそうに舌打ちする。

 

「は、何を怒ることがある? 医学に代表されるように人類の進歩は無用の人体実験の賜物だろう。ましてやこれほど短時間にこの場所に辿り着けたのなら君も魔法使いなのだろう。本来、魔法使いは『立派な魔法使い』よりも、私のように万物を司る『法』に背くものである『魔の法』を使うからこその『魔法使い』なのだよ」

 

 老人のある種の悪意の究極ともいうべき言葉が、衝撃となってネギの心を揺さぶる。

 

「目の前に可能性があったからこそ試した。例えそれが禁忌であると知っていても試さずにはいられなかった!」

 

 他人と話すのは久しぶりなのか、老人は徐々に興が乗ってテンションが上がってきたようだった。

 自己の欲望を満たすために、人間はあらゆる苦難を克服してきた。たとえ次元の障壁が立ちはだかろうとも、必要とあらば必ずそれを打ち破る。それによって、他者が被る被害のことなど気にも留めずに。欲望の全肯定―――善きにつけ悪しきにつけ、それが種の方向性だと老人は主張した。

 

「人間を使って初めての実験だったが大成功だ。まさか私も最初に上手くいくとは思わなかったよ。まさに私のために生まれてきてくれたようなものだ」

 

 既に老人の眼に在るのは正気はなく狂気のみ。人の道を外れた外道と成り果てている。

 本当の意味で彼の研究が世界に必要とされているのなら、どこかしらの組織との繋がりがある。それが悪意によるつながりにしろ、利用できるものなら利用しているだろう。だが、彼にはそれがない完全な独り善がり。待っているのは、世界に見捨てられ、妄執の果てに狂った老人は片田舎の洋館に引き篭り、周りを巻き込んだ破綻のみ。

 

「………………」

 

 朗々と自分が成したことを自慢するように語り続ける老人を前に、ネギにはたった一つの感情しかなかった。

 何故。何故。何故。ネギの中で、ざらりとした何かが猛然と膨れ上がった。いつもなら、どんなに意志が猛り、精神が疼こうとも、届かなかった心の奥の更に最深部にまで届いた。

 猛り燃え上がる意思に、焼けつく心に、真っ直ぐ呼応して脈打つ血の胎動。ネギの存在という根底で、今にも溢れ出しそうに煮え立つ感覚がある。それはネギ自身の精神を食い尽くすかと思えるほどにドス黒く、ドロドロとした感覚を放つものだったが、ネギはあえて抑えるつもりはなかった。

 それは今までにもそこにあったけど、理性の氷壁を溶かすほどに熱く燃えることはなかった。今はそれがネギ自身にはどうしようもないほどに熱く、激しく、グラグラと激しい火炎を上げて渦巻いている。

 今、この時のネギの感情を確かに表すもの。それは明確にして冷徹なる意思。そこにいる存在を絶対に赦さぬと、心の底から研ぎ澄ました殺意。頭の芯と腹の底から激しく煮え立ち、どうしようもなく込み上げる不快なる嫌悪感。

 

「御託はそれだけか」

 

 ぽつり、とアスカが言葉を漏らすのをネギは辛うじて聞き届けた。

 

「―――――殺して、やる」

 

 言葉の形をとった憎悪と怒りの情念が、ネギから発せられた。

 そこで記憶は途切れた。記憶が断線する。

 

「――――――――――」

 

 ぐちり、と何かを踏んだ。柔らかでぬるぬるとした、たまらない感触を足裏に覚えてネギは慄然と立ち竦んだ。

 時間の感覚が飛んでいる。朦朧とした視界に、うすらぼんやりと何かが映った。

 息が、止まった。いいや、肺ごと機能を停止して、ネギは大きく咽かえった。

 目の前に広がるのは黒と赤。世界はその二色だけに描き分けられている。無邪気な子供がインク入りの水風船でも投げ合ったように、壁も地面もありとあらゆる場所がアカイロに染められて、そのアカイロが乾いた場所から流れている。

 爆心地にも似たアカイロの中央に―――――妙にぶよぶよした物体が浮いていた。紅い血溜まり―――――そこに倒れ付す血に染まった白衣を羽織った老人の姿。

 赤く鮮やかな色彩と、黒く沈んだ濁り。生きながらに切り開かれた人体というものは、かくもビクビクと脈打つものなのか。零れ出た紅色と、引きずり出した朱色と、赤黒い色彩が視界を埋め尽くしていく。

 開いたドアから入ってくる風が吹くたびに小さな波が立って、周囲に金臭いような生臭いような――――独特な匂いを撒き散らす。鋭利な刃物で切り裂かれたような傷が全身にあり、衣服はズタズタに引き裂かれて真っ赤に染まっている。破れた衣服から覗く傷口からは肉と内臓が露出して、天井から照らされた電球の光に照らされ白く瑞々しく輝いている。

 それと対照的なのが目だった。痛み、恐怖、驚愕で男の顔は歪んでいて、今にも断末魔の叫びが聞こえそう。そして零れ落ちそうなまでに見開かれた眼球―――――そこにはもう光は無い。濁った汚水でさえ光を受ければ煌くというのに、男の目は光を受けても虚ろなまま――――これ以上は無いというぐらいに死んでいるという証。

 

「殺した。憎かったから、生かしてはいけないと思ったから殺した」

 

 これは間違いなく殺人であり、ネギは絶対に老人の存在を許せないと思い、生かしておけぬと思い、激しく強い殺意をもって殺害した。一人殺せば、後は何人殺しても積み上げた数字でしかない。0と1とで分けた袂は、二度とは戻らない。それでも殺意を持ってか、そうでないことでは天と地の差がある。ネギは言い訳のしようのない正真正銘の『人殺し』に成り下がった。

 朱に染まった地獄の中で一人で立ち尽くす。

 そう、地獄の中で立っているのはネギだけだ。

 老人の周囲に先程までガラスケースに入っていた単眼のサイクプロスや三本腕のスリー・アームドの死骸も散らばっている。暴虐のアスカとネギに抗するためにガラスケースから出したが、いくら手傷を負わせても二人は止まらず蹴散らした。

 だが、問題は前衛のアスカが傷を負いすぎたことにあった。

 

「アス、カ?」

 

 ネギもまた身体中には致命傷とまではいかなくても、服はズタズタで血が流れ続けている。しかし、その視線の先には地に倒れ、動かなくなったアスカの姿があった。

 そして―――――

 

「ア、スカ……ネ、ギ……」

 

 今、目の前でかつては少女だったモノが死に行く姿に、己は本当に無力で無価値な存在なのだと気づかされる。

 単眼のサイクプロスや三本腕のスリー・アームドも戦わせた老人がアーニャをそのままにしておく理由がない。目測の大きさから200キロはあるだろう巨体が跳躍して前肢でネギを引き倒し、噛みついて仕留めようとした。

 彼我の体重差は半分どころか数倍はある。押し倒されればそれだけで圧死は確実。その凶悪に光る牙で噛み付けばネギは簡単に死ぬだろう。

 生存本能に従って行動したネギが選択したのは迎撃。相手がアーニャということを頭が理解する前に身体は、圧し掛かる獣の口に風の弾丸を突っ込んだ。寸でのところで頭が追いついて止めたから即死には至っていないものの致命傷には違いない。

 ゆっくりと、その瞼が閉じた。もう開かない。

 

「ああああああああああああああああ……………いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!!!」

 

 何時も三人でいたのにたった一人残ってしまった悔恨に泣くことも出来ない深い悲しみの底で、自分自身への憎悪を声に込めて絶叫する。

 ネギの眼から赤い涙が流れ落ちる。全身に被った返り血の一部が流す涙のように見えた―――――ネギ自身の涙は既に枯れ果てたように流れなかった。

 

 

 

 

 

 気がつくと、何時の間にかネギは一寸先も見えない真っ暗闇の中を歩いていた。前後左右全てが闇。自分の体さえも、手を目の前まで持ってこないと確認できない程である。状況が分からず、目視で判断出来ないとなれば音に頼るしかない。

 

「誰かいないのっ!」

 

 耳を澄ましてもなにも聞こえないので、足を止めて出来る限りの大声で叫んでみた。

 暫く待っても返事は返ってこない。これだけの闇にいて気配も感じなかったことから大して期待もしていなかったが、誰もいないという現実を直視させられて肩を落として落胆した。

 首を動かして辺りの様子を窺っても、やはりなにもないし誰もいない。ただひたすら闇だけが広がっているばかりだ。普通ならどんな暗がりの中にいても、時間が経てば徐々に暗さに目がある程度慣れてくるものである。少しすれば暗闇にも目が慣れてくるはずなのに、一向にその気配がない。どう考えてもこの闇は普通ではなかった。

 

《―――――!!》

 

 誰かの声が脳裏に響く。だけど、それが誰か分からない。何を言っているのかが分からない。どうして―――――――――そんなにも必死なのかが分からない。

 

『人殺し』

 

 困ったように頭を掻いていたネギは、突然、背後から囁くような声が聞こえてきて慌てて振り返った。しかし、誰もいない。闇の中で視界が悪いのだとしても、周囲数メートルの気配を感じとれるので誰かがいれば直ぐに分かる。だからこそ、周囲に人がいないと分かる。

 

『人殺し』

 

 声の気配の位置を見極めようと集中していると、また聞こえてきた。今度は先程とはちょうど逆方向からだ。まったく感知できなかったことに慌てて振り返るが、やはりそこには闇が広がるだけで誰もいなかった。やはり周囲に人の気配はない。

 

「いったい誰だ! いるなら出て来い!」

 

 声の主はネギに気配を悟らせない者。真っ向から叩き潰せるだけの実力者が、こんな嬲るようなやり方をすることに薄気味悪さを感じて大声を出した。

 

『お前は人殺しだ』

 

 暗がりの中からそれなりの高齢だと思われる白衣を着た老人が現れ、右手でネギを指差した。

 

「ひっ!?」

 

 ネギはその一瞬で今までの惨劇を思い出す。アーニャが誘拐され、アスカと共に潜り込んだ屋敷の地下室での惨劇。老人の登場があまりにも突然だったため、ネギは指差された手に押されるようにフラフラと後退った。

 

『そうだ。お前は人殺しだ』

 

 今度は背後から耳元で囁くような声がした。背中にくっついて近距離から囁かなければいけない近さに心底から驚きながら慌てて振り返る。

 そこにいたのは、大人の男。あの日を再現するように首元から血を溢れさせていた。

 

「うわっ!?」

 

 咄嗟に手を伸ばして突き飛ばそうとしたネギに触れられるのを嫌うように身を翻した男は闇の中にスゥッと溶けて消えた。伸ばした手がなにも掴めずに空を切る。

 

『そうよ。ネギは私を殺したんだもんね』

 

 続いて大型の獣と人間の姿のアーニャが断罪するように非難する。

 

「アーニャ!?」

『どうして私を殺したの?』

 

 失ってしまった少女はネギの驚きなど知らぬと、冷たい目で静かな声で問いかける。

 

「違う。僕は殺したくなんかなかったんだ」

『言い訳はいいわ。ネギが私を殺した事実は変わらないんだから』

 

 ネギの答えが間違っていると断ずるように、アーニャは囚人服の男と同じように身を翻した。闇に同化するように遠ざかっていく。

 

「待って!」

 

 遠ざかっていくアーニャに話を聞いてもらいたくて追いかけようとすると、いきなり別の人間が現れた。

 金髪の短い毛を逆立てたアスカ。

 

「あ、スカ」

 

 アスカは腰を屈めて鼻先ギリギリのところまで、ぬっと顔を突き出してきた。

 アーニャを追いかけようとしたのと、死者が目の前に現れるありえぬ現象が重なって、アスカが近づいてきたのから離れるように無様にも尻餅をついた。

 

『無様だ。お前にはその恰好が良く似合ってる』

 

 アスカは尻餅をついたネギを見下ろした状態で、暗い目をこちらへ向けている。

 

『人殺しのネギ・スプリングフィールドにはお似合いの恰好だ』

 

 あちこちから血を流したアスカがネギを見下ろして暗い哂いを響かせる。

 アスカの笑いが発端となって、周りから爆笑が起こった。

 見るとネギは見知った顔に取り囲まれていた。

 大人の男、白衣の老人、アーニャ、アスカの四人が、ネカネが、スタンが、明日菜が、木乃香が、のどかが、他にも麻帆良で出会っで交流を深めた人々が、ウェールズにいる校長や先生や友達達が、村の人々が、これまでネギが知り合った全ての人達が『人殺し』と連呼しながら、周りを回って哂い続ける。現れては消え、消えては現れる。

 みんなのそんな声を聞きたくなくて見たくなくて、尻餅をついたまま立ち上がるよりも固く両手で耳を塞いで強く目を閉じる。

 

「あ、ぁ…………あああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 ネギは叫んだ。喉の奥から、あらん限りの声で叫んだ。

 ネギの心は壊れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 超大型台風が招来したかのように吹き荒れる暴風の最中で、ゲイル・キングスは己が失策を悟る。

 

「獅子の子もまた獅子。こんな単純なことも見抜けないとは逸ったか、私も」

 

 ゲイルは今も脳裏に強く残る鮮烈とした紅の髪の男を想起させる顔を持つ暴風を生み出し続ける人物――――ネギ・スプリングフィールドを見遣って表情を顰めた。

 

「草食獣の皮を被った眠れる獅子を起こしてしまったか」

 

 ゲイルは魔眼でネギを幻術に嵌めた。この魔眼で幻術に嵌められて無事だったものは誰一人の例外なく精神崩壊に至り、自ら死を選ぶ。ゲイルは自らの魔眼に自信を持っていたし、ネギを幻術に嵌めて勝利を確信していた。

 予想外を上げるとすればネギの精神的な弱さであり、内心で抱える闇の深さであった。

 

「自死に至るよりも敵を打倒せんとするその意志。狂気と言わんとなんとする」

 

 子供に魔眼で幻術に嵌めたことのないゲイルの経験のなさであり、ネギの心の奥底に眠る狂気に気づかなかった落ち度でもある。

 

「ゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ――――――――!!!!」

 

 獣の如き叫びを上げるネギに呼応するかのように暴風はその威力を更に増す。

 丈夫であるはずの大洞窟が暴風に削られ、ナマカ山が揺らいでいる。このまま風の威力が高まり続ければ大洞窟の崩落どころか山自体が崩れ落ちることもありえた。

 

「流石や奴の息子といったところか。凄まじい魔力だ」

 

 目を開けていることすら困難になる風の中で、ゲイルは暴風によって削られて飛んでいる岩石を己が目的の為に守らざるをえないエミリア・オッケンワインを背後に抱えながら動けずにいた。

 

「魔力放出に釣られて風の精霊がこうまで集まる。奴は雷も使っていたが風の属性も備えていた。親子とはこうまで似るものか」

 

 風速いくらか。台風など目にもならない狂風の中では如何な魔法使いといえども移動することすら困難であった。

 

「忌々しい。親子二代に渡って我が前に立ち塞がるとは」

 

 これが大洞窟のような限定空間ではなく、開かれた外の空間であったならばゲイルにもやりようはあっただろう。エミリアという足手纏いと抱え、閉鎖空間内で今のネギの相手をするのは難しい。

 魔力の暴走(オーバードライブ)。ネギの魔力容量は、普通の魔法使いの優に数十人分に迫る。未だ未熟ゆえに使いこなせていないが、魔力容量はトレーニング等では大きくすることが出来ない天賦の才である。魔法使いにとって魔力が大きいことはそれだけで優れた証明になるのだ。

 例えば同じ魔法の射手を放ったとしても、構成や術式が同じであるならば優劣を競うのは込められた魔力である。実際には構成や術式が同じであることは天文学的な確率であっても、同一人物でもなければ合致することはまずないので、魔法の優劣を決めるのは必ずしも魔力ではない。

 魔力に恵まれなくても弛まぬ努力と修練で大成した魔法使いは多い。だが、そうであっても魔力容量が大きければそれだけ絶大なアドバンテージになる。

 魔力容量が十と百ほどの違いがある魔法使いが、自身の魔力容量に対して一割の魔力を魔法の射手に込めて撃ち合った場合、十倍の魔力に勝る構成と術式がなければならない。そんなのは、よほどの隔絶した技量差がなければ意味を為さない。

 哀しいことに魔法使いとは生まれの時点で差が生まれてしまうのだ。魔力容量というどうしようもない差が。

 

「どうする? 今の私ではこの風を突破する力はない」

 

 魔眼に絶大な自信を持っていたが故の過ち。致死性の幻術を見せてしまったことでネギは自分で精神状態を回復することはまずない。

 しかし、外部から刺激を与えるにしても今の(・・)ゲイルの状態では、ネギに近寄ることが出来ない。近づかずに刺激を与えるのがベストであるが、幻術にかけた張本人であるゲイルの刺激では精神状態が回復するどころか余計に暴走を助長しかねない。

 

「このまま魔力切れを待つか、一か八か博打を打つべきか」

 

 今のネギは中級魔法を常に放ち続けているようなものだ。風の威力が上がり続ければそれだけ魔力の消費も大きくなる。どれだけの莫大な魔力容量を持っていようとも長時間、今の状態は続かない。魔力切れまで大洞窟が、ナマカ山が持つかということを度外視すれば最高の選択であろう。

 楽観的予測で待つことを選ぶことは出来ない。

 ゲイルが何年か振りに焦りを覚えている中、新たな乱入者が現れる。

 

「ネギ先生!!」

 

 機械仕掛けの人形である絡繰茶々丸がバーニアと加速装置であるブースターを全開にして風を切って現れた。

 誰にとっての助けか。

 誰にとっての救いか。

 まだ答えの天秤は揺れている。

 




流れ

数百ゲイルによる殺害→アスカによって殺される→男に殺されかけて殺す(正当防衛)→アーニャ+白衣の老人殺害(憎しみで)→以上の全ての人に罪を責められる。

いきなり精神死しそうなネギ君でした。
 
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